2013年7月28日日曜日

『現代オカルトの根源――霊性進化論の光と闇』

●大田俊寛[著]  ●ちくま新書  ●800円+税

本書はその本・副題が示す通り、現代のオカルト集団の教義と宗教体系教等を霊性進化論という概念を基軸にして説明する試みである。霊性進化論とは耳慣れない言葉だが、著者(大田俊寛)は、それをダ―ウインの唱えた進化論に影響を受けて考え出された神智学を発端とする宗教思想である、と定義づける。神智学とは何かについては後述する。現代オカルティズムは、ダーウィンの進化論の影響なくしては生まれなかった、ということになる。

●現代オカルトの根源=神智学の創始者及び継承者

本書は、まず、19世紀後半から20世紀初頭に隆盛を極めた神智学系の宗教思想(者)として以下の人物及び思想を紹介する。

①その祖であるブラヴァツキー夫人(1831~1891)の宗教思想、
②神智学をヨーガと合体(チャクラ)させ、神智学を継承的に発展させチャールズ・リードビーター(1854~1934)。彼は大師(マスター)を頂点とするハイアラーキ―(階層組織)及びイニシエーション(通過儀礼)を取り入れた教団の原型を創出した人物ともいえる。
③人智学の祖ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)
④アーリアン学説、ユダヤ陰謀論からナチズムに強い影響を与えたアリオゾフィ(アリオゾフィとは、アーリアのArio+叡智Sohiaの合成語)。;グイド・フォン・リスト(1848~1954)、ランツ・フォン・リーベンフェルト(1874~)、トゥーレ協会創設者であるルドルフ・フォン・ゼボッテンドルフ(1875~1945)、ヒトラーを中心とするナチズムの主要メンバー

次に、第二次世界大戦後、大陸ヨーロッパにおいて後退した神智学が米国・英国に渡って発展したポップ・オカルティズムとして、
⑤催眠時人格により前世との交信を実現したとされるエドガー・ケイシー(1877~1945)
⑥UFOと宇宙の哲学を創設したジョージ・アダムスキー(1891~1965)
⑦マヤ暦と終末論を展開したホゼ・アグエイアス(1939~2011)
⑧爬虫類人陰謀論のデービット・アイク(1952~)

さらに、日本の新宗教を代表とするものとして、
⑨日本シャンバラヤ計画、竜王界創始者/三浦関三(1883~1960)
⑩「国際宗教・超心理学会会長」の本山博(1925~)
⑪阿含宗創始者/桐山靖雄(1921~)
⑫オウム真理教創始者/麻原彰晃(1955~)
⑬幸福の科学創始者/大川隆法(1956~)

●神智学とはなにか

神智学とはどういう学なのか――ということの詳細は本書を参照していただきたいのだが、大雑把には、19世紀末、ウクライナ生まれのブラヴァツキー夫人がつくりあげた神秘思想である、と言える。ダーウィンの進化論、天文学、インド・チベット(ヒンドゥー教、仏教の輪廻転生・弥勒思想)の宗教哲学、占星術、超古代歴史観(アトランティス大陸、アーリア人至上主義)等を折衷・融合させたもの。彼女はヨーロッパを拠点として、米国(1873年~)、チベット(1856~1863年)、インド(1878年~)、北アフリカ等を放浪し、その間、以下のような要素を神智学に盛り込んだとみられる。

ブラヴァツキーはまず、ヨーロッパにおいて、エリファス・レヴィの魔術を始めとするオカルティズム、エソテリシズム(秘教)、グノーシス主義、新プラトン主義、ユダヤ教カバラ、ドイツ神秘主義等の教義を学び、さらにフリーメイスンと接触することにより、宗教的秘密結社に関する知見を得る。

米国では、当地で隆盛を極めた心霊主義(スピリチュアリズム)の影響を受ける。と同時に、そのころ米国内で生起したダーウィンの『種の起源』をめぐる対立をみることにより、宗教と科学の対立矛盾を解決する道を探求する契機も得たという。心霊主義(スピリチュアリズム)とは、(幽)霊との交信が可能となった少女の存在から、人間は肉体の死後もその魂が霊界で生き続けられるのだという宗教的世界観である。このことにつては、後述する。また、チベット・インドでは、人種・文化論におけるアーリアン学説とヒンドゥー、仏教の輪廻転生論の影響を受ける。

ところで、ブラヴァツキーの神智学は、当時の米国の社会情況から最も強く影響されて形成されたという。米国では、伝統的なキリスト教が全体として弱体化・狭隘化する一方、新たな科学的世界観として台頭する進化論と、その真逆である新たな宗教的世界観として流行する心霊主義が流行するという混然とした社会情況があった。
表面的には彼女は、進化論と心霊主義の両者を、截然と否定した。すなわち、進化論に対しては、生命の物質的側面のみに着眼した誤った理論であると批判し、心霊主義に対しては「夢魔」のような低級霊に憑依されることによって生じた幻の現象にすぎないと断じたのである。
とはいえ、ブラヴァツキーの真意が、この両者を単に否定し去ろうとすることであったとは思われない。むしろ彼女は、進化論と心霊主義の構想を巧みに融合させ、人間の生きる目的は、高度な霊性に向けての進化にあることを明らかにしようとしたのである。(P33)

●神智学の体系『シークレット・ドクトリン』

ブラヴァツキーの神智学を体系化した書物が『シークレット・ドクトリン――科学・宗教・哲学の総合』(以下「SD」と略記)である。第一巻の「宇宙発生論」と第二巻の「人類発生論」からなる。筆者は同書を読んでいないので著者(大田俊寛)の要約に従うと、同書の中心的位置を占めるのは、『ジャーンの書』と呼ばれる神秘的テキストで、ブラヴァツキーによればその文書は、中央アジアの聖地において、霊的熟達者(アデプト)たちによって太古から保存されてきたものであり、世界中の多くの宗教は、そこに記された知恵から派生していったものだという。

さて、SDの第一巻(宇宙発生論)では宇宙の原初状態から、太陽系が誕生するまで経緯が描かれる。
原初においては、「永遠の親」という女性の神格が存在し、彼女は「処女卵」を抱いて眠り込んでいた。するとあるとき、そこに一条の光が差し込み、処女卵は「世界卵」に変容する。やがて世界卵は孵化し、そこから「子なる神」と呼ばれる宇宙意識が誕生する。子なる神は、宇宙を創造するために、「七大天使」や「十二星座天使団」と呼ばれる天使たちを生み出す。そして神と天使たちは、光線を降り注がせることによって、太陽系の惑星霊たちを創造する。
太陽系の創造者である宇宙意識としての神は、「デミウルゴス(ギリシャ語の「創造者」)」や「ロゴス(ギリシャ語の「言葉」)」、あるいは「太陽系」と称される。そして神は太陽系に7つの周期(ラウンド)を設定することにより、その進化を促進しようとする。(P35~36)

著者(大田俊寛)が指摘する通り、「それは全体として、グノーシス主義、新プラトン主義、ユダヤ教バカラといった古代以来の神秘思想における流出論的な宇宙発生説を基礎に置きつつ、近代天文学の知見をそこに盛り込んだものと理解することができる」(P36)

SD第二巻(人類発生論)では、このような第一巻で説明されたプロセスから創造された太陽系において、人間の霊が誕生し、進化を遂げる過程について描かれる。
先に述べたように太陽系においては、進化に関する「七つの周期」が設定された。そしてSDによれば、地球に霊が誕生したのは、七周期のうちの第四期に当たる。そして七つの周期は、地球上での人類の進化においても反復される。すなわち、地球においては人類は、7つの段階の「根幹人種」を経て進化してゆくのである。(P36~37)
地球は最初自らの力のみによって生命体をつくりだそうとしたが失敗し、結果として誕生したのは半漁人、有翼人、山羊人間といった半人半獣の奇異な怪物たちばかりであった。天使たちはその肉体を嫌悪し、そこに霊を住まわせようとはせず、炎によって彼らを絶滅させたという。それを見た地球は太陽神に対して、知恵を備えた霊的生命体を授けるよう祈念する。太陽神はそれに応えて七大天使たちに人間を創造するよう命じた。その結果、天使たちがそれぞれ人間の原型を作成し、それをもとに、地球に生み出されたのが7つの根幹人種ということになる。根幹人種の概念は、今日のオカルト思想にしばしば応用されるものなので、少し長いが全貌を見ておこう。
地球における最初の人類、すなわち第一根幹人種は、北極周辺に存在する「不滅の聖地」に出現した。しかしその場所は、不可視の非物質的領域であり、そこに現れた人間も、天使によって与えられた「アトラス体(星気体)」という霊的身体をもつにすぎなかった。不滅の聖地は、地球における人類発祥の地であると同時に、人類が第七根幹人種にまで進化した際に再び回帰する場所とされる。(P38)
以下、その名称(及び出現した場所)等を記す。

第二根幹人種;ハイパーポーリア人。現在のグリーンランド近辺にあったとされる「ハイパーポーリア大陸」と呼ばれる極北の地に誕生。「エーテル体(生気体)」という霊体を有し、分裂によって増殖する性質を備える。大規模地殻変動が起こって厳寒の冥府となり、第二根幹人種は滅亡。

第三根幹人種;レムリア人。「レムリア大陸」に誕生。第二根幹人種の一部から、進化した者。彼らは当初、卵から生まれ、両性具有の存在であったが、やがて男性と女性に分化し、生殖行為と胎生によって子孫を増やすようになった。人類として初めて、物質的身体を有するようになった。惑星霊に属する「光と知恵の子」と呼ばれる者たちは、第三根幹人種の身体を好ましく思い、そのなかに降下した。こうして地球に、高度な霊性の種子を有する人間たちが現れることになった。彼らは、後の「大師(マスター)」の原型となる。しかしこの段階において、人類がある程度の知性と自由を獲得したことは、悪への転落を生じさせる契機ともなった。大師の原型が生み出される一方、「炎と暗い知恵の主」と呼ばれる者たちも人間のなかに降下し、彼らはルシファーを始めとする「悪魔」の原型となった。火山の爆発によりレムリア大陸は海中に没した。

第四根幹人種;アトランティス人。プラトンが論じた伝説の地「アトランティス」で発展を遂げた。高度な文明を築いたものの、第三根幹人種において発生した善と悪の対立が継続反復され、第四根幹人種は「光の子」と「闇の子(=巨人族)」に分化。アトランティスは大洪水によって沈没し巨人も滅びた。

第五根幹人種;アーリア人。アトランティス王国を統治していた聖人たちは洪水を逃れてヒマラヤやエジプトなどの各地に離散し、「大師」として人々を導くことによって、新たな文明を築いていった。その営みから誕生したのがアーリア人である。SDではアーリア人が現在の世界の支配種族として位置づけられている。

第六根幹人種;バーターラ人。アーリア人の文明は、(SDが書かれた当時は)世界各地に点在しているが、今後はアメリカ大陸が中心地となり、将来的にはその場所で第六根幹人種が誕生する。新しい人種の子供たちは、出現の当初は精神的・肉体的な奇形児と見なされるが、徐々にその数を増加させてゆき、やがては人類の多数派を占めるようになる。しかしその頃には火山の爆発や津波が頻発し、最終的にはアメリカ大陸も沈没する。現在の第六根幹人種は、こうして死滅するに至る。

第七根幹人種;バーターラ人は海洋から新たに浮上する大陸でさらなる進化を遂げ、物質的身体の束縛から急速に離脱してゆく。彼らのなかから第七根幹人種が生み出されるが、そのとき人類における物質的周期は終了し、完全な霊性の段階に移行することになる。地球における人類の進化の歴史は、こうして終焉を迎える。神人として不滅の聖地に回帰する。

●ブラヴァツキーの神智学の中心的要素

著者(大田俊寛)は、神智学の中心的要素を以下の8項目にまとめている。これらの事項も現代オカルト思想に準用されているものなので、かなりの分量になるが書き抜いておく。(P46~47)
  1. 霊性進化――人間は、肉体の他に「霊体」を持つ。人間の本質は霊体にあり、その性質を高度なものに進化させてゆくことが、人間の生の目的である。
  2. 輪廻転生――人間は、霊性を進化させるために、地上界への転生を繰り返す。地上での行いは「カルマ」として蓄積され、死後のあり方を決定する。
  3. 誇大的歴史観――霊体を永遠不滅の存在であるため、個人の歴史は、天体・人種・文明等の歴史全体とも相関性を持つ。これらの集合的存在もまた、人間と同様に固有の霊性を有し、円環的な盛衰を繰り返しながら進化を続けている。
  4. 人間神化/動物化――人間は霊的な成長を遂げた結果として、神のような存在に進化しうる。しかし、霊の成長を目指さず、物資的快楽に耽る者は、動物的存在に退化してしまう。
  5. 秘密結社の支配――人間の進化全体は「大師」「大霊」「天使」等と呼ばれる高位の霊格によって管理・統括されており、こうした高級霊たちは、秘された場所で結社を形成している。他方、その働きを妨害しようと目論む悪しき低級霊たちが存在し、彼らもまた秘密の団体を形成している。
  6. 霊的階層化――個々の人間・文明・人種は、霊格の高さに応じて階層化されている。従来の諸宗教において「神」や「天使」と呼ばれてきた存在の正体は低級霊である。
  7. 霊的交信――高級霊たちは、宇宙の構造や人類の運命など、あらゆる事柄に関する真実を知悉しており、必要に応じて、霊媒となる人間にメッセージを届ける。
  8. 秘教的伝統・メタ宗教――霊性進化に関する真理は、諸宗教の伝統のなかに断片的な形で受け継がれている。ゆえに、それらを総合的に再解釈し、隠された心理を探し当てる必要がある。


ブラヴァツキーが創設した神智学は、以降、前出の神智学者らによって発展的に継承され、ヨーロッパにおいてはナチズムの伏流として勢い増し、やがてナチズムに統合化されていった。ナチズムは神智学の一派が強調したアリオゾフィを「アーリア人至上主義」に単純化するとともに、神智学が唱えた「陰謀史観」を国家統合と世界戦争完遂のイデオロギーとして大いに利用した。その結果、多くの戦争犠牲者を出しただけでなく、ヨーロッパ各所においてユダヤ人等大量虐殺という悲劇を招いた。

ナチス・ドイツの敗戦とともに、神智学は後退し、それが戦後の思想界、宗教界に大きな影響を与えることはなくなったように思えた。

●第二次世界大戦後のオカルト思想――ニュー・エイジ運動

ヨーロッパにおいて後退、衰退したと思われた神智学だが、第二次大戦後、新大陸アメリカにおいて、ヒッピームーブメント(または、ニュー・エイジ運動)として復活を遂げ、1960年代後半から70年代初頭にかけて隆盛を極め、現在にも多大な影響を与え続けている。

本書ではニュー・エイジ運動よりも、英米で開花したポップ・オカルティズムの動きを追っているのだが、筆者の経験では、神智学の系譜は、フラワーチルドレンを自称したヒッピー(ムーブメント)が支持した、ニュー・エイジ運動のなかに求められると思っているので、本書とは関わりがないが、大衆レベルに浸透したヒッピー文化とニュー・エイジ運動を紹介しておきたい。日本でも団塊前後の世代は、ヒッピームーブメントを同時代的に経験している者が多いと思う。

彼らの世界観及び生活実践は、ニュー・エイジ運動と多くの点で合致する。両者とも、現代文明の物質性、科学性、政治・経済システム等を否定し、超自然的・精神的な思想をもって既存の文明や科学、政治体制などから解放された、真に自由で人間的な生き方を模索しようとする点である。

ヒッピーは、ラブ・アンド・ピースを掲げるとともに、超自然性、精神性を重視し、近代的自我を超えた超自我を探求した。そのための彼らの実践方法としては、LSD、サイケデリック等に代表される薬物を使用したトリップ体験があった。また、西欧文明を象徴するキリスト教(教会)を拒否して異教(道教、チベット仏教、ヒンドゥー教等の輪廻転生)を信仰し、かつ、それらの修行方法である、禅、ヨーガ=呼吸法・さまざまな整体術等の身体技法、瞑想法を取り入れた。また、宇宙(人)、前世とのチャネリング/リーディング、前世療法・催眠療法等の心理療法、心霊治療、アロマテラピー、パワーストーン、アメリカ先住民の原始信仰、シャマニズム、さまざまな波動系グッズ利用などを実践した。性の解放(一夫一婦制結婚制度の否定)もその一部である。

ヒッピームーブメントとニュー・エイジ運動がまったく同一なものというわけではなかったが、両者は似たような世界観を共有し、同じような価値観を信奉し、同じような自我解放手法を実践した。

なお、ヒッピー発祥の地は米国西海岸サンフランシスコであるが、彼らは既存の国家(境)を越え、世界中に自分たちのコミューンを形成しようとした。ヒッピーの聖地となり得た地域は麻薬が手に入りやすいところであった、ということもあるが、アジアの場合は、異教の聖地と重なるところもある。世界各地のヒッピーが集まった代表的な地域は、クタ(バリ島/インドネシア)、カトマンズ(ネパール)、ゴア(インド)、イビサ(スペイン)、カーブル(アフガニスタン)、クリスティアニア(コペンハーゲン/デンマーク)である。なかで、カトマンズ、カーブル、ゴアはヒッピーの「三大聖地」と呼ばれている。

●ニュー・エイジ運動とミュージカル『ヘアー』

ヒッピームーブメントとニュー・エイジ運動の相似を示す格好な事例があるので紹介しよう。当時、爆発的ヒットとなったミュージカル『Hair(ヘアー)』である。オフブロードウエイの上演は1967年、ブロードウエイでの初上演は1968年である。日本では1969年に渋谷東横劇場で公演されている。

ストーリーは、ベトナム戦争中のアメリカが舞台。多くの若者が戦場に召集されていた。田舎の青年、クロードもその1人。入隊前のわずかな時間を楽しむために、彼は大都会ニューヨークに立ち寄る。そこで、バーガーを初めとする自由奔放な、長髪のヒッピーグループと出会い、彼らの反社会的な生き方に呆れながらも、親交を深めていく。そして戦争に行かないよう、仲間たちから説得されるが……。

このミュージカルは、当時の若者サイドの強い反戦メッセージが感じ取れる一方、当時のヒッピームーブメントをリアルに伝える作品でもある。前出のラブ・アンド・ピース、ビーズ・アンド・フラワーズ、ビー・イン(Be in)と呼ばれたヒッピーたちの集会、マリファナやLSDなどの麻薬によるサイケデリック体験・トリップ感覚、フリーセックス、インド精神哲学の流行(クリシュナ信仰)などが盛り込まれている。またタイトルにもなっている、Hair(髪)を長く伸ばすのも、ヒッピーの大きな特徴の一つである。

この劇のストーリーやテーマは知らなくとも、テーマソングとも思われる「Aquarious〜Let The Sunshine In」は知っている人が多いのではないか。このミュージカルの最初と最後の曲をメドレーにしてカバーした、フィフス・ディメンションの「Aquariousu〜Let The Sunshine In / 輝く星座」は、1969年のグラミー賞最優秀レコード賞を獲得した。また1979年には、ミロス・フォアマン監督によって映画化されている。ちなみに、Aquariousとはいうまでもなく、水瓶座のことである。

Aquarious〜Let The Sunshine In の歌詞は以下のとおり。

When the moon is in the Seventh House
月が第7宮にあり

And Jupiter aligns with Mars
木星が火星と直列するとき

Then peace will guide the planets
そのときこそ、平和が諸々の惑星を導くことだろう

And love will steer the stars
そして愛が星々の舵を取るのだ

This is the dawning of the age of Aquarius
いまは水瓶座の時代の夜明けのとき

The age of Aquarius
水瓶座の時代だ

Aquarius! Aquarius!
アクエリアス! アクエリアスだ!

Harmony and understanding
調和と理解と

Sympathy and trust abounding
共感と信頼が満ち溢れる

No more falsehoods or derisions
インチキやバカげたものはもうおしまい

Golden living dreams of visions
ヴィジョンに溢れた光り輝く生の夢

Mystic crystal revelation
神秘的な透徹とした黙示

And the mind's true liberation
そして心の真の解放

Aquarius! Aquarius!
アクエリアス! 水瓶座!

When the moon is in the Seventh House
月が第7宮にあり

and Jupiter aligns with Mars
木星が火星と直列するとき

Then peace will guide the planets
そのとき、平和が諸々の惑星を手引きするだろう

And love will steer the stars
そして愛が星々の舵を取るのだ

This is the dawning of the age of Aquarius
いまや水瓶座の時代が明けようとしているのだ

The age of Aquarius
水瓶座の時代

Aquarius! Aquarius!
アクエリアス! アクエリアスだ!

Let the sunshine,
陽の光を

Let the sunshine in
太陽の輝きを差し込ませよう

The Sunshine in
陽の光を入れるんだ

Let the sunshine,
太陽の輝きを

Let the sunshine in
陽の光を入れるんだ

The Sunshine in
太陽の光が差してくるぞ

●ニュー・エイジ――水瓶座の時代への「転換」

この歌詞は、ニュー・エイジ運動を知らないと、その本意が理解できない。宇宙的規模な壮大さと愛と調和が盛り込まれた美しい歌詞だと思っている日本人が多いと推測するが、そんなものではない。

まず、ニュー・エイジ運動を定義しよう。以下、本書の参考文献にも掲げられている『現代社会のカルト運動』(S・V・シュヌーアバイン著)からの引用である。
「現代の危機」から霊的脱出路を求めている・・・西欧と北米の人びとは、伝統的宗教組織に心の支えを見出しているのでもないし、世界を解明し、改革し得ると主張する世俗的組織(いわば政治的イデオロギーと科学的世界観)によってこうした問題を解決できるとも思っていない。だから、彼らのうちには意味の空白を満たしてやろう、と呼びかけてくる秘教的、あるいはオカルティズムの教えに惹かれる人たちもいる。いわゆるニュー・エイジ運動は、これらの教えを受け容れる貯水池となっている。
この運動を正確に述べるのは、難しい。というのは、この運動は統一的組織をもたず、拘束的教義もなく、世界観の共通性も僅かしかないからである。この運動を結び付けているのは、ある種の強い帰属感情である。したがって、ニュー・エイジ運動とは、「合理的に伝達されて、広い範囲に影響を及ぼす拘束力よりも、並列している諸傾向の感情的結合を強調する、新しいタイプの社会《運動》である。」(Pilger/Rink)
こうした諸傾向には、神秘主義、秘教、オカルティズム、現代の西欧自然科学、すなわち心理学(とくにW・ライヒとC・Gユングのそれ)の諸要素、心理療法のさまざまな流れ、ある種の再生思想という西洋宗教の概念装置、それに前キリスト教、あるいは非キリスト教の種族宗教もしくは自然宗教のインパクトがある。とくに、後者には「シャマニズム」「新魔女(ノイエ・ㇸクセン)」、それにケルトとゲルマンの「叡智の教え」がある。
(略)
この運動は、現代社会が生存の危機に陥り、破滅の淵に瀕している、という意識をもち、調和に満ちた、新しくより高度な時代――ニュー・エイジの名称も、ここに由来するのだが――の到来に備えて、「転換期」に生きる思想に革新する。
この「転換期」は占星術的解釈を取り入れた天文学のモデルによって説明されている。「地軸が徐々に回転することによって、天の赤道と黄道の交点は黄道の獣帯(黄道十二宮)上を逆向きに移動してゆく。」今日、この交点は黄道十二宮の魚座と水瓶座の間にあり、それゆえ新しい時代はニュー・エイジ運動では「水瓶座時代」と呼ばれている。
危機意識から生じた意味喪失感から、多くの人びとは宗教問題に対し関心をもつようになっている。現代の産業社会の、絶えず増大している現世志向と世俗化傾向は――マックス・ヴェバーはこれを「世界の脱呪術化」と特徴づけた――多くの現代人にはいまや自明の事柄であるし、あるいはまさにこの傾向こそが、現代の体制危機の原因だと考えられている。かといって伝統的な教会に戻ることもできない。教会こそが現代の危機を招来した共犯者である、と時には考えられているのだから。
これに対してニュー・エイジ運動は、「世界の再呪術化」と呼びうるような、そして前近代的で神秘主義的――呪術的世界像の諸要素を復権させるような、一種のパラダイム転換を要求しているのである。
さらにニュー・エイジ運動は、現代社会の方向喪失現象に対して、秘教思想の入り混じったさまざまな心理療法の技法によって、「自己の根源と根底」を再発見することを提唱する。こうすることによって、合理的・直線的思考とは異なる、水瓶座時代への移行にふさわしい、全体的・循環的な「新しい意識」も人間のうちに目覚めさせられるのだ、と云う。
結局のところ、彼らは、支配的な科学にある自然科学の一面的な合理的見方に代わって、現代自然科学の成果と宗教的・神秘的内容を混ぜ合わせることによって、「全体的世界観」を生み出そうと望んでいる。この点で、とくにエコロジーの傾向が重視されている。
ニュー・エイジ運動の歴史的基盤と資源は神智学である。神智学はすでに一世紀以上も前に、当時の人びとのオカルティズムや仏教・ヒンドゥー教の宗教の装置と、当時流行していた自然科学理論、とくにダーウィン主義・ヘッケルの一元論を、ニュー・エイジと似たようなやり方で綜合していた。神智学とニュー・エイジの親近性は、たんに世界像と個々の思想が似ている点だけでなく、ニュー・エイジの主導的支配者らが、かつて神智学運動に加わっていたし、現在も参加している、ということでも示されている。(前掲書P2~4)

『ヘアー』は、ニュー・エイジ運動の世界観である水瓶座の世界への転換を強調したミュージカルなのである。『ヘアー』は今日でも世界各地で再演されているというが、今日の観客がどれだけニュー・エイジ運動を意識しているかはわからない。が、少なくとも、このミュージカルがつくられ上演され多くの若者が支持した当時(1960年代末から70年代初頭)の米国の時代背景の内側に、ニュー・エイジ運動があったことだけは知っておいてほしい事柄である。

●日本のニュー・エイジ運動――その影響と悲劇

さいわいにして、当時日本に上陸したヒッピームーブメントは、長髪、ベルボトムのジーンズ、絞りのTシャツやフラワープリントのシャツ、サイケデリックアート、サイケデリックロックの流行というファッションのレベルにとどまり、ニュー・エイジ運動の思想的影響については軽微であった。

だがしかし、ヒッピームーブメントからおよそ10年余の年限を経た1980年代から20世紀末、ニュー・エイジ運動はオウム真理教に代表される新宗教の台頭という形で、日本において再生をはたした。そのようななか、ニューアカデミズムと呼ばれた新進思想家グループの一人として、オウム真理教を積極的に支持した宗教学者・中沢新一がいた。彼が、チベット密教の瞑想修行を体験的に記録した『虹の階梯』を上梓したのは、おそらく、1981年のことであったと記憶する。中沢は、日本を代表するニューエイジャーの一人である。

しかし、日本のニュー・エイジ運動は、オウムの暴走(地下鉄サリン事件等の勃発)という悲劇的結末をもって幕を下ろしたはずだった。ニューエイジャー・中沢新一も、オウム騒動のなかで沈黙し、著作活動・思想営為を休止し、事実上潜伏したように見えた。ただ、残念なことに、中沢は自らのオウム支持に係る思想的総括を公表していない。

●3.11以降、日本にニュー・エイジ運動が復活する兆し

東日本大震災と福島原発事故は、人々の心の中に、自然に対する畏怖、拝跪の念を強めさせた。と、同時に、現代科学技術、産業主義・物質主義に対する懐疑の念を一層深いものとした。もちろん、既存のイデオロギー及び政治政党への不快の感情も、とりわけ多くの若者の意識のなかに、深く沈潜するようになった。

そんななか、反原発を主唱するグリーンアクティブの「指導者」として、ニューエイジャー・中沢新一がいつのまにか復活した。中沢の復活は、日本におけるニューエイジ運動の浸透力の強さ、根深さを象徴するものと言える。

今日の反原発運動については、安倍政権が進める「原発安全基準策定」及び原発輸出政策は批判されて当然であるし、東電救済政策、根本的には電力エネルギー政策及びその体制への批判も支持できる。だが、それが単純な科学技術否定や産業否定に直結し、オルタナティブなエコロジー主義(循環型社会信仰)、秘教、神秘主義の肯定に結びつくようなことにはならないようにしなければならない。

今日の日本の反原発運動については、前出のマックス・ヴェバーの言葉に従えば、 “現代の産業社会の、絶えず増大している現世志向と世俗化傾向”を高度化すること、すなわち、「“原発”の脱呪術化」を極めることにおいて、なされなければならない。反原発運動は、原発を制御しうる、あるいは、原発を越える科学技術もしくは産業技術の高度化達成にむけて、政府に圧力をかけるような運動でなければならない。

2013年7月14日日曜日

山本太郎&三宅洋平選挙フェス(渋谷ハチ公前広場)

三宅洋平の演説と演奏

三宅の前座バンド

広場で配られた扇子


友人の勧めで、三宅洋平を聴きに行った。あいにく雷雨に見舞われ、小一時間、ビルの軒下で雨宿り。

雨が止んだところで、太郎の演説、それからTPP反対の山田某(前民主党)の演説が入り、真打・三宅の演奏となった。

太郎は東京から、三宅は全国区で、それぞれ緑の党からの参院選立候補のようだ。

筆者は「緑派」全般を容認しないので、緑の党は支持しない。

だが、太郎の反原発の姿勢は支持するし、三宅の素朴な若者らしい反体制的姿勢も支持する。

がんばれ、若者よ!

冷房がきつい

暑がりの猫だが、冷房の効いた部屋は苦手のようだ。



2013年7月12日金曜日

福島原発事故原因の究明は闇の彼方へ

吉田昌郎・元東京電力福島第1原発所長(58歳/以下、肩書等略)が食道がんで急逝した。ご冥福をお祈りします。

さて、マスメディアは、吉田の死後、彼を英雄のごとく報道した。事故収束にむけて決死隊を組織した、吉田のためなら死んでもいいという部下が何人もいた、崖っぷちの日本を救った・・・云々。死者を鞭打つなかれ、とは言うものの、原発事故に関しては過剰に抒情的な報道は避けるべきではないのか。

原発事故対応については、吉田の存在なしでは、事故の拡大があったかもしれない。また、東京電力という官僚的企業風土のなかで彼のような存在は異質であり、そのことが事故処理対応にとってプラスに働いたことも否めないかもしれない。

だが、吉田の事故当時の肩書は『執行役員』であった。経営幹部だ。当然のことながら、事故を起こした責任者の一人であり、しかも、東電が08年に想定外の津波の可能性を把握した際、彼は対策を先送りした原子力設備管理部の部長だったという。つまり、事故の原因をつくった犯人の一人ということになる。

テレビ報道で不愉快なのはそれだけではない。吉田に密着取材して「吉田本」を書いたというフリージャーナリスト(門田隆将氏、以下敬称略)が自著の宣伝も兼ねて、吉田をヨイショしっぱなしなのには驚いた。取材者が取材対象と一体化しでどうする。門田は、吉田の宣伝マンなのか。対象に思い入れれば、客観性を失う。門田は間接的に原発事故原因に係る究明を阻害する役割を果たしている(但し、筆者は門田の著書を読んでいないので、推測の域を出ないが)。死の淵にある吉田に密着しながら、原発事故原因の真相を吉田から聞き出そうともしていない。

吉田が真に果たさなければならなかったのは第一に、事故前、吉田本人が元気だったころ、福島原発の安全対策に万全を期すことだった。前出のとおり、吉田はその職にあった。にもかかわらず、そのことを全うできなかった。吉田の職務怠慢は追及されてしかるべきだろう。

第二は、事故後、吉田が重病に犯されていたことに同情するものの、彼が果たすべきは、二度と悲惨な原発事故を繰り返さないという観点から、福島原発の事故原因の真相を日本国民のために話すことだった。吉田は東電に「守られ」、その真相を墓場まで持っていってしまった。このことは、吉田一人の責任ではないかもしれない。吉田を「守りつつ」、世間から遮断したのは東電だったのかもしれない。悔やまれるのは、吉田が病状にあったとき、前出の門田というジャーナリストが密着取材をしていながら、吉田から福島原発事故原因についてなんにも聞き出していないことだ。

吉田が事故処理に尽力したことは評価するものの、吉田が現場から離れたとき、吉田の使命は、最も現場近くにいた者として、事故原因の真相を語ることだった。吉田の近くにいた取材者の使命もまた(やれ事故直後、東電本社とやりあっただの、政治家のだれそれがどうのこうのではなく)、吉田から福島原発の事故原因を聞き出すことだった。

けっきょくのところ、吉田は(そして門田も)、「原子力ムラ」の住人であることにかわりがない。

2013年7月11日木曜日

夏バテ猫

 
暑い日が続き、猫たちも元気がない。

2013年7月1日月曜日

Zazie, Nico(7月)

筆者と猫たち


7月だ。2013年も半分過ぎた。

猫たちの体重を記録しておこう。

Zazieは4.3㎏、先月から700gも増えた。

Nicoは6.1㎏、同じく200gの増。

Zazieの体重増がすごい。


2013年6月30日日曜日

花は咲く(3)

谷中にはいろいろな種類の花が、民家・寺院の庭先や路地に咲いている。



@Yanaka

クチナシの花

ヒマラヤ杉をのぞむ一本の路地にクチナシが群生し、いかにも甘い香りをあたり一面にふりまいている。

「クチナシの道」と命名しておこう。



@Yanaka

ヒマラヤ杉が危ないか

谷根千のなかで最も驚異的な景観の一つであるヒマラヤ杉が伐採の危機にあるかもしれないという。

伐採はよくない、保存してほしい。

これは、一本の大木を伐採するというエコロジー的な問題にとどまらない。

人々はこの杉の木の存在に生態象徴的な意味を見出してたからだ。

そこに詩的に住まうことの意味を重ねていたからだ。

このような景観は、人間が人為的にいくらつくり出そうとしてもつくりだせない。

長い年限にわたる人と自然の調和がなければ成立しないのだ。

都心・谷中におけるヒマラヤ杉は、誠に稀有な現象なのだ。



@Yanaka

自己責任論の倒錯

「保守派」を気取るテレビタレント(自称「ニュースキャスター」)・辛坊治郎がテレビ番組の企画のため、ヨットで太平洋横断を試みたが、ヨットが浸水して失敗。海上自衛隊に救助された。辛坊治郎はかつてイラクで人質にされた日本人を日本国が救済したことに腹を立て、「自己責任論」をもちだして、人質にされた人物及び救済した日本国を声高に非難した“前歴”があったようなのだ。今回は「救済される側」にまわった辛坊治郎、立場が逆転して、お前を助けるために税金を使ったぞ、と非難されている。

人質救済に税金を使うのは間違っていると主張した側が、こんどは海難事故で救助される側に逆転したわけだ。しかも、ヨット旅行はテレビ番組の企画のため、つまり、事業活動の一環なのだ。タレント活動中のタレントを救助するために多額の税金を使ったぞ、どうするつもりか、弁済するのか、と納税者の一部から非難されている(笑)

このような非難の声は気持ちとして了解できるし、辛坊治郎に反省を求めるという意味でわからないではないが、基本的には間違っている。

おもしろい、実におもしろい。国家が危機にある国民を救済すること(理由の如何を問わない)は、国家の機能の一つ。税金をそこに使わずして、いつ使うのか。自分はいつもタックスペイヤーであって、タックスイーターを見るたびに腹が立つ。しかし、今回のように己がタックスイーターになったとき、腹を立てた自分はいったいなんだったのかと、反省しなければならなくなる。情けない話だ。生半可な「自己責任主義者」の虚像が崩壊したにすぎない。哀れな「保守派・自称ニュースキャスター君」。

さて、それはそれとして、わが国では「自己責任」という概念が倒錯しているので、整理をしておこう。日本で「自己責任論」を声高に叫ぶ人物の多くは保守陣営、愛国主義者、国家主義者のグループに属している場合が圧倒的だ。彼らの多くは、国家主義を強く貫く者だ。このタレントもそのような立場の発言を繰り返しているという。

ところが、本来、自己責任を貫く立場というのは、究極的には国家の廃絶を望む思想でなければおかしい。本来の自己責任主義者は国家が、たとえば警察、軍隊、裁判所、その他救助組織を税負担によって保有することを嫌悪する。警察に己を守ってもらうのではなく、自己もしくは民間が自らを守るという立場をとる。よって、人民武装が必須となり、銃規制は考えられない。彼らはその共同の敵については、民間武装組織(自警団もしくは民兵)によって対する。争いごとの解決に国家が介入することを排し、よって訴訟を否定し、当事者同士が(結局は暴力的手段によって)決着をつけることを望む。犯罪者は私刑によって裁かれる。

それだけではない。国家が経済、文化、思想、宗教、性差等に対して介入することを嫌う。だから、国家等が人種差別、性差別、学歴差別等を制度化することにも反対する。あらゆる分野において、人種・宗教・身体性を超えた自由競争(=自己責任)が前提となる。このような思想は、米国ではリバタリアニズムと呼ばれ、共和党の超右派勢力として現存する。

自己責任という言葉は、リバータリアンとして、少なくとも以上述べた如くの覚悟がなければ、唱えてはいけない。犯罪者に対しては警察に、国防に対しては軍隊に、天災に対しては行政、消防、軍隊に依存しておいて、他者の災難に対してのみ自己責任を声高に叫ぶというのは、いかにも情けない。普段、国家(警察、軍隊、行政組織等)に依存する者に「自己責任論」を唱える資格はない。

さて、自衛隊に救助されたテレビタレント・辛坊治郎は、「(悪天候の中、自分を助けてくれた優秀な救援部隊を有する)日本に生まれてよかった」と涙ながらにコメントしたという。辛坊治郎よ、君はどこまでお調子者なのか、リバータリアンが国家を礼賛してどうする。

辛坊治郎は海難事故にあってから、タレント活動は休止中のようだが、己の「自己責任論」の浅はかさを反省して、おもしろいタレントとして出直してほしいものだ。

2013年6月16日日曜日

猫が来てから2年が経った

窓の外、寺の屋根に群がるカラスの大群にかたまった二匹
Zazieがわが家にやってきたのが2011年の6月13日、Nicoが同年7月3日。二匹とも誕生日はおよそ、その2ヵ月前だから、満二歳を過ぎたことになる。

2011年6月といえば、東日本大震災の直後。家人の心境に変化が生じ、猫を飼いたいと思うに至ったようだ。筆者は動物、すなわち生き物に煩わしさを感じていて、猫に限らず犬も鳥も飼うことに反対をしていた。

ところが、家人がいきなり猫を連れてきた。正直、驚いた。しかも、その直後、1月も経たないうちに、二匹目を連れてきた。こんどは驚きを通り越して、呆れかえってしまった。

しかし、猫を追い出すわけにはいかない。飼い始めてしまった以上、飼い主かペットのどちらかがくたばるまで、一緒にいなければならない。それが定めというものだ。覚悟を決めてペットを飼い始めたのではなく、ペットがいるから覚悟を決めた、というわけだ。

あれから2年も経った、早い、とにかく早い。

2013年6月14日金曜日

加藤良三NPBコミッショナーはサイテー男

日本野球機構(NPB)が「統一球問題」で不祥事を起こした。“飛ぶボール”から“飛ばないボール”、そして今シーズンから、再び“飛ぶボール”に逆戻りをしたのだ。そのことを、NPBは選手にもファンにも告知しなかった。むしろ、秘密にしていたようだ。

ところが、先般、選手会から使用球に関する質問が正式にあり、隠し切れなくなって、とうとう6月12日、加藤良三NPBコミッショナーが会見を開き、変更を認めた。この 問題の核心は、①変更した事実を隠したこと、②さらに、変更を隠蔽するよう指示したトップが、隠蔽の罪を部下に負わせようとしたこと――の2点にある。

公式球の仕様を変えることは、そのことを事前に告知しておれば、問題にするに値しない。プロサッカーにおいても、公式球の変更は少なくない。最近では、日韓W杯から導入された無回転シュートが可能なボールの導入や、ぶれておちるシュートが可能になったボールへの変更が記憶に新しい。NPBと異なるのは、公式球への変更について、現場もファンも事前に知っていて、その対策を十分にしていたことだ。だから、ファンは新しい公式球がもたらすスリルを楽しむことができた。現場も十分な対策という技術向上が果たせた。そこが今回のNPBの姿勢と著しく異なる点だ。

加藤コミッショナーは「知らなかった」と事務局内の意志の疎通を欠いたことは認めたが、責任については「不祥事ではない」と突っぱねた。その姿は惨め極まりない。加藤コミッショナーは、聞けば国家公務員上がりだという。日本の役人特有の自己保身、責任逃れの体質を丸出しにしている。しかも、告知しなかった責任を部下(事務局長)に負わせようとしている。“この問題に私は関与していない、報告も受けていない、関係ない、部下が勝手に・・・”という、逃げの姿勢を記者会見で露わにした。TV映像の態度から、この人の人品の卑しさがにじみ出ていた。

報道によると、NPBは公式試合で使用する公式球のすべてに、加藤良三コミッショナーの名前を入れているという。いわば、コミッショナー自身が、公式球として認める判をついたようなものではないか。それでも、自分は知らない、というつもりなのか。

さらに言えば、プロ野球にいくらか関心のある人ならば、今シーズンはホームランが多いな、と感じていたのではないか。スポーツ番組でも使用球の変更の疑惑については、しばしば話題になっていた。昨シーズンの1試合当たりのホームラン数を今シーズンのそれと比較してみれば、使用球が変わったことは容易に想像がつく。それをコミッショナー自身が「知らなかった」というのならば、そもそもプロ野球そのものを「知らない」か、もしくは「見ていない」のではないのか。

なんでこんな人物をプロ野球業界はトップに迎え入れたのだろうか、と不思議に思わずにいられない。プロ野球に限らず、プロスポーツ業界というのは、結果責任を厳しく問われる世界ではないか。打てない打者、打たれる投手は給料が下がり、トレードされ、それでも成績低迷が続けば解雇される。勝てない監督はくびになる。言い訳は許されない。その潔さに、ファンは喝采を送る。スポーツの競技の内容以外の「人事」にも、ファンは関心を寄せる。プロ野球の監督は、チーム成績低迷に係る言い訳は一切しない(中にはコーチに責任をとらせる者もいるようだが)、概ね、自身の責任をまっとうし、それでもだめならば、シーズン途中であっても辞める。ファンは、その姿に男の美学、ロマンを感じとる。それがファンというものだ。それが、スポーツの広がりのある文化というものだ。

今回のNPB加藤良三コミッショナーの態度は、プロ野球選手及びその指導者が示してきた潔さと、真逆のものだ。醜悪な自己保身、責任逃れ、言い訳、開き直り・・・おそらく、日本プロ野球史上、最悪、最低の出来事だ。こんな最低男をコミッショナーに仰ぐなんて、プロ野球の現場にとって、悲劇にほかならない。社会がこういう態度を許してしまえば、スポーツマンシップを子供に教える立場がないではないか。

2013年6月7日金曜日

『終わらないオウム』

●上祐史浩・鈴木邦夫・徐裕行 ●鹿砦社 ●1500円+税

拭えぬ違和感

本書に登場する徐裕行は、1995年、オウム真理教最高幹部の一人だった村井秀夫を殺害した人物だ。彼は2007年に刑期を満了し出所。そしてこうして、同じくオウムの最高幹部の一人であった上祐史浩と顔を合わせ、第三者(鈴木邦男)を挟んで対峙している。いかにも奇異な組合せというほかない、というよりも、本書の広告を見たとき、強い違和感を抱いた。 というのは、徐裕行と上祐史浩という、かつての「敵同士」が面談することではない。ほかでもない、あの村井を殺(やっ)た犯人がもう出所したのか――というそれだ。殺人者が刑に服する期間が12年とはなんと短いものなのか。  

村井は徐裕行に殺されなくとも、サリン事件の主犯格として死刑判決を受けた可能性は高い。だが、村井が殺されたときには、もちろん村井は逮捕もされていなければ、有罪判決も受けていない。事件当時、村井はマスコミ報道等から推察する限り、かなり怪しく思えたが、証拠があったわけではない。いわば、村井は当時、一介の教団幹部の一人にすぎなかった。ゆえに、徐裕行の犯行が免罪される根拠はない。情状酌量の余地もない、徐裕行は第一級の殺人者だ。そういう者が12年という短期間の服役で済むものなのか――という違和感だ。法律上の人間の生命の軽さに、改めて愕然とした次第だ。殺された側はたまらない。殺された者の人生は絶対に二度と、もどることがないのだから。

もう一つの違和感は遺族への配慮についてだ。殺された村井に妻子があったのかどうかは知らない。だが、村井に限らず親は絶対にいるはずだ。徐裕行が村井の遺族にどういう態度をとったのかはわからないが、残された村井の遺族は徐裕行を無条件で許したのだろうか。村井の両親は息子を殺害した徐裕行をどう思っているのだろうか。 

このような観点に立つとき、殺人を犯した者が刑期を終えからといって、公の場で発言することへの違和感は拭えない。もしも自分の肉親が殺害されたとしたら、刑期を終えた元殺人犯の公での発言をどのような気持ちで受け止めるのかについては、想像しにくい。刑期を全うしたということは更生したことを意味する、と頭の中で了解し得たとしても、感情のレベルで納得がいかない。もちろんだからといって、殺人犯をすべて死刑に処せと言っているわけではない。更生した証として懺悔を聞きたいわけでもない。殺害された被害者とその遺族への同情のほうに感情が傾くことを避けられないだけなのだ。 

徐裕行の発言は内容的にも量的にも貧しすぎる 

その一方、徐裕行の犯行には組織的背景があったのではないか、という疑念がずっと世間を支配していた。村井殺害の犯行の過程を振り返ると、疑惑・疑念をもつことのほうが自然な部分もあった。だから、徐裕行がそのことを全部話さないまでも、なにか暗示するところはないのかどうか、本書に期待する面があった。かりに、村井殺害の“真相”の一端が明らかになれば、遺族への配慮を超え、徐裕行の本書の発言が歴史的重要性をもつとも思えたからだ。だから、違和感を振り払って本書を読んでみた。

本書において、徐裕行は犯行の組織的背景を否定し、単独犯であることを強調した。そのうえで、村井を標的にしたことも否定した。徐裕行は、村井・上祐・青山(オウム教団の顧問弁護士)のうち、(殺す対象は)だれでもよかった、と発言している。つまり、サリン事件の主犯格であり、教団のサリン関与の全貌を知る(であろうと世間が想像した)村井を狙って殺害したという疑惑を全面否定している。徐裕行は村井を殺害したのは偶発的だった、という意味の発言をしている。そして、「あの時、本当に殺そうとしたのは上祐さんだった」とも。

徐裕行の発言は、その公判記録等に当たれば明白なのだろうが、裁判ではなく、私的な発言として、事件当時の生々しい“真実”がわかるのではないか――という“ウブな期待”は裏切られた。 

本書において、世間が期待する徐裕行による“真相告白”もしくは“新しい事実”の露呈はない。というよりも、徐裕行の発言そのものの分量が少ない。この期に及んで村井殺害に関し、語るべきものはなにもない、というのが徐裕行のスタンスなのだろう。 

上祐史浩が展開する「オウム論」 

では、本書200数十ページにわたる本文にはどのような内容で占められているのかと言えば、かつてオウム教団の幹部の一人であった上祐史浩の発言ということになる。  

上祐史浩は、地下鉄サリン事件当時ロシアに滞在しており、同事件への関与なしとして、別の軽微な罪科で刑に服した後、出所後は麻原を積極的に否定し、麻原の路線を継承すると言われているアレフ教団と袂を分かった。そして現在、「光の輪」というサークルを立ち上げ宗教的活動を続けている。 

なぜ、オウムは巨大化したのか  

本書において、上祐はオウム教団がなぜ、1990年代中葉、かくもあのように活発な宗教活動、非合法活動そして無差別テロまでを展開し得たのかについて、かなり分析的な発言を繰り返している。オウムを生んだ社会状況にも切り込んでいて、オウムは日本の合わせ鏡だともいう。彼なりの日本の現代社会の病理・病巣への危惧もある。また、「陰謀説」の危険性にも警鐘を鳴らしているし、当時もいまも日本のマスコミの危険性に対する指摘も的確だ。そういう意味で上祐は、怪しげな陰謀説を振りまくメディアに出没するコメンテーターよりは良質だ。教団に深くかかわっていた者であるだけに、彼の「オウム論」に耳を傾ける価値はある。

(一)「カルト的なもの」を社会に浸透させたマスメディア 

当時、オウム真理教が台頭し始めた1990年代を振り返ると、「カルト的なもの」を容認する社会的風潮があった。それまでにも、「ノストラダムスの大予言」に代表される終末論が紹介され、終末論をテーマにしたアニメが流行り、UFO・スプーン曲げ、超能力等に人々の関心が集まっていた。当初、それらはマイナーな専門雑誌で紹介される程度だったのだが、TV等のマスメディアがエンターテインメントのひとつのコンテンツとしてそれを積極的に取り上げることにより、世代を超えて「カルト的なもの」が日本社会に浸透した。この潮流は、オウム教団の台頭の基盤となった。  

これらの現象は世界的な潮流であり、ワイマル共和国の研究者であるウルリヒ・リンゼは、カール・クリスティアン・ブライの『偽装された宗教』から引用して、次の項目を挙げている。――禁酒運動、占星術、反ユダヤ主義、ヨガ、占い棒易術、アトランティス大陸探索、菜食主義、エスペラント語運動、性生活改善運動、リズム体操普及運動、超人信仰、加持祈祷、世界平和運動、利子撤廃運動、神智学、郷土芸術運動、聖書研究、オカルト信仰その他諸々の運動。  

また、マスメディアはオウム教団を興味本位に取り上げた特別番組や教団批判番組を多数、お茶の間に届けた。その結果、多くの若者がオウム教団に興味を示すと同時に、オウム信者は過剰な自己防衛感情を高ぶらせ、組織の硬化を促進させた。マスメディアが、オウムの膨張及び組織強化を助長したことに異論はなかろう。オウムはメディアが大きくした、と言って過言ではない。 

また一方、バブル経済が崩壊した当時、人々は「経済的な価値」に失望し、「精神的な価値」を求めるようにもなっていた。ここでいう「精神的価値」というのは、即席で安易な癒し(ヒーリング)効果であり、理屈を排除した非合理的・直感的神秘主義の類だ。ヨーガ、瞑想、風水身体論、似非チベット仏教、霊媒師、ニューエイジ思想、オルタナティブなエコロジー思想、日本の縄文信仰などを適当に組み合わせた新宗教(新宗教教団の具体名は省略する)が立ち上げられた。その中の一つがオウム教団だった。こうした新宗教を積極的に取り上げたのもマスメディアだった。 

なお、「カルト」について体系的に把握されたい方は、『現代社会のカルト運動―ネオゲルマン異教』 (S. フォン・シュヌーアバイン 著、恒星社厚生閣)を参照されたい。

(二)バブル経済の隆盛と崩壊、そしてマルクス主義の衰退  

オウム教団を取り巻くもう一つの大状況としては、バブル経済の崩壊を挙げておく必要がある。バブル経済崩壊は、人々の価値観を大きく変えた。とりわけ、日本社会において長らく厚い信任をおかれた大手銀行の企業としての、あるいはそこに従事する者の、数々のモラルハザードの発覚は、人々の社会観を変容させるに十分だった。不良債権処理問題、闇社会との癒着、公的資金導入は、とりわけ若者の純粋な正義感を刺激した。

なかで特筆すべきは、マルクス主義の衰亡ではないか。1970年代までの日本社会においては、若者の正義感の発露と反体制意識の受け皿は左翼思想が受け持っていた。とりわけ知的大衆(学生)が社会の諸矛盾に鋭く反応する場合、彼らの急進的思想と行動主義を吸収したのはマルクス主義組織であった。多くの学生が一時(いっとき)、おのが人生を「共産主義革命」に賭けようとした。「世直し」のために。  

しかし、1990年代になると、日本の左翼陣営はほぼ組織的に壊滅していた。学生を中心とした若者が、バブル崩壊の衝撃とそれに付随して生起したモラルハザードに対して純粋に怒りを感じたとしても、マルクス主義政治組織は機能し得なかった。その結果として、オウム真理教がマルクス主義に代わって、彼らの怒りの受け皿となった。マルクス主義もオウム真理教も「千年王国」を標榜する点で差異はない。両者はともに「革命」を志向する点で共通する。それゆえ、その台頭と暴力主義的運動論及び運動実態、それを支える厳格かつ禁欲的組織形態とその運営実態、さらには、官憲の追及に窮して行った内部粛清から崩壊に至る過程は、「連合赤軍」と共通する部分も多い。  

そんな中、マルクス主義に代わるモダニズム、すなわち、ニューアカデミズムの旗手の一人として登場したのが中沢新一だった。中沢は、いまや「反原発」の理論的指導者の一人として多くの支持者をあつめているが、当時はオウム教団の理解者であり、彼がチベット密教を体験修業してまとめた『虹の階梯』はオウム教団のポアの思想と同質のものであった。いま現在、中沢は、当時、自分がオウム支持者であったことについて一切ふれようとしない。このような中沢の姿勢に対する思想的攻撃は宗教学者・大田俊寛が繰り返し行っているところなので、その内容に興味がある方は、『オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義・原理主義』(春秋社)等の著作を当たることをお奨めする。  

さて、オウムを取り上げた代表的TV番組の1つとして、本書司会役の鈴木邦男は、1991年に放映された『朝まで生テレビ!』について、次のように話している。
鈴木 ・・・『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)でやった「激論 宗教と若者」(91年)でのオウムと幸福の科学との対決とかもすごかったですね。あれでオウムはすばらしいと思った人たちもいたし、ぼくもそれを見てオウムは本物だと思いました。そのオウムに熱狂していく過程を知らずに今の結果だけを見れば、なんであんなバカらしいものにかぶれるのだろうと思うだけですよね。(P102)
鈴木のこの発言は、テレビがものごとの本質を伝えにくい媒体であることの恐ろしさをついているという意味で貴重だ。“本物”という意味は、本気で殺人・無差別テロをするまでの覚悟があるように見えた、という意味ならば、鈴木の慧眼に恐れ入るのだが、鈴木はTV討論番組に出演した麻原をはじめとするオウム教団の幹部の正体をつかめなかった。そのことを鈴木は、もっと率直に反省・懺悔すべきなのだ。おそらく、鈴木を含めて、多くの視聴者は、オウムを宗教団体として“本物”だと感じたのだ、テレビを通じて。幸福の科学は、金儲けの似非宗教だが、オウムは違う、宗教団体としてしっかりしていると。この感覚がオウムを膨張させた主因の一つではないのか。

オウムをオウムたらしめたもの

以上指摘してきた事項は、大きな社会状況である。こうした社会背景の下、数多くの新宗教、神秘主義的集団が日本社会に群生した。これらの事項は、新宗教等が群生する根拠にはなるが、だからといって、それらのすべてがオウム教団のような暴力主義、革命主義、テロリズムに走ったわけではない。オウムがオウムになった個別的要因はなんだったのか。

(一)麻原の父権的カリスマ性
上祐 気という霊的なエネルギーというのがあって、それを感じ取って操ったりする、つまり相手のエネルギーを感じたり、相手に自分のエネルギーを入れるという力は、麻原にかぎらず、多くの人が経験しています。そういった力は、麻原には、かなりあったなと思います。(P116)
上祐 われわれの麻原への狂信の下、麻原からの誘導があるんです。麻原が親族をやれと言う場合があったとすれば、その親族がかなり教団を攻撃していて、このままではその親族は将来地獄に落ちてしまうから、お前は親族を救うために形としての親族を殺せ、親族の魂を救ってやるために殺せと言うでしょうね。親族への愛を使って殺すように仕向けるのです。(P117)  
鈴木 上祐さんは麻原に父親を見たと言ってましたよね。
上祐 オウムに入る人には、親との関係が悪い者が少なくなく、麻原に理想の父親像を見たというのは私以外にも多分にあると思います。(P119)

上祐 私は、麻原は真実を自覚したら生きていけないから、サリン事件をやったと考えています。サリン事件に合理的な利益はないのに、それをやった理由は、そうしなければ、彼が信じ込んだ、自分は弾圧と戦って勝利する救世主であるという虚構のアイデンティティが崩れるからだと思います。その虚構の維持は、彼をコンプレックスの強い不遇な一人の男から、彼を救世主と信じる教団の教祖にした根源ですから、彼にとって命よりも大切なことであり、それを守るためには、社会と妥協しないでしょう。(P124)

上祐 私は、教祖型の精神病理というのがあると思います。教祖型の人格障害、超自己愛型の人格障害・・・人格障害とは、社会生活が送れない精神病とはちがって、非常に高い能力やカリスマ性を持つ場合があるとされています。けれど、一方で狂気も持っているわけです。わかりやすく言えば、ヒトラーですよね。ですから、カリスマ型人格障害という心理学的な理論が必要ではないでしょうか。研究が足りないと、社会に免疫も生まれませんしね。(P125)
カリスマ的宗教実践者については、「精神病質者」と規定する見方もある。詳しくは、『ワイマル共和国の予言者たち―ヒトラーへの伏流―』(ウルリヒ・リンゼ[著]、ミネルヴァ書房)を参照されたい。

(二)麻原の世界観
上祐 ・・・麻原の世界観の本質はなんだったのかと考えた結果、これは過去の日本の暗部の亡霊ではないかと感じました。自分たちの教団を神の集団とし、そのトップを生き神とし、米国を悪魔と位置づけ、日米決戦に勝って正しい世界ができるといった予言など。そういう誇大妄想に加え、被害妄想や陰謀説も組み込んでいった。それが国家規模で起こるのがナショナリズムなんでしょうね。自己存在価値に飢えているから、自分たちは正しくて相手が悪いと思いたい。(P168)

鈴木 麻原彰晃という人が内乱を起こそうとした。そこまではまだわかるんです。ところが、このままだと自滅すると思った時に、麻原一人が自決するとか、あるいは南米の人民寺院事件のように集団自殺するというのは悲惨な結果だけれども、まだ理解できるんですよ。ところがそれが、なぜ外に暴力が向いてサリンをまいてしまったのか?
(略)
上祐 それは自分たちは神の集団だから勝てるはずだ、それをやらないといけないんだという麻原の思考が根底にあるんです・・・麻原は神から戦う救世主だという予言を、啓示を受けていた、と思い込んでいた。彼は自分の存在価値が戦うことにあったのだから、立ち止まって考え直すことなくやり続けるということなんです。
鈴木 でも、殉教の宗教者だと思い込んでいたわけでしょう?
上祐 殉教というか、彼には戦う救世主というイメージ・アイデンティティがあって、それをどうしても手放せなかったのではないかと思うんです。(P156~157) 

オウム問題の現代社会における意義

(一)オウム問題の根源

オウム問題の根源について、上祐史浩は次のように本書終章でまとめている。
オウムの危険な要素の中で、今や社会全体に感染していると思われるものは、陰謀説の流行や、右傾化、排外主義だけではない。スピリチャアルブームの一部も同様である。そのすべてが悪いわけではないが、中には妄想的な性質のものもあるように見える。
問題は、これらの傾向の背景に、同一の根本原因があると思われることだ。それは、現実的に健全に自尊心・自己価値の充足ができないために、一種の妄想を抱き、その中で自尊心を満たすことだ。そこで、自分たちこそが正しく、他は悪であるという善悪二元論が出てくる。(P234)
(オウムの問題の根源は)暴力主義を肯定するタイプの運動や活動、学生運動、右翼運動、国家による戦争などに共通する問題であり、誇大妄想的な自己特別視、被害妄想的な排外主義の問題である。さらに、その背景には、現代社会に広がった、未熟な妄想的な自己愛、間違った自尊心の充足という問題である。それによって、世界を善と悪に二分化し、自分こそが善だと思い込む未熟な精神の問題だと思う。(P241)
(二)宗教とはなにか

上祐のオウム問題の根源についての発言は間違っていない。しかし、オウム問題の根源は、暴力主義を肯定するタイプの運動や活動、学生運動、右翼運動、国家による戦争などに共通する問題というよりも、宗教がもつ根源の問題だと言いなおした方がいい。彼は宗教の本質がわかっている。以下、鈴木とのやりとりを書き抜いておこう。
鈴木 カルヴァンは宗教改革を行った正義の人なんです。そして、自分に厳しいだけじゃなく他人にも厳しい。だから、スイスで権力を握ると、神についてこれない人、自分についてこれない人を徹底的に弾圧するんです。また、ルターも宗教改革をやって、100%正義の人ですけれども、その後、ドイツ農民戦争なんかを徹底的に批判して、自分についてこれない人を殺してもいい、そういう反乱を鎮圧することが神の意志だとする。そういう意味で、カルヴァンもルターも正義の人なんだけれども、妥協しない怖さというものがありますよね。
(略)
上祐 ルター、カルヴァンと麻原の共通性は、自分こそが善で、他は悪だという考え方ですね。一方、両者のちがいは、現実への対応能力だと思うんです。麻原は、小規模な一教団で革命を起こすという妄想に陥って自滅した。ルターやカルヴァンは現実に相当の支持者を得て、宗教戦争を戦い抜く力を持ち、自滅することはなかった。(P151)
このやりとりは、見事にすれちがっている。鈴木は宗教が天国を地上化する運動である以上、内部に粛清を、外部に弾圧を伴うものであると言いたかったのに対し、それを受けた上祐は、宗教家が独善的だというふうに論旨をそらし、しかも、「現実への対応能力」という世界史的な成功と失敗という結果にちがいを求めてごまかした。上祐の論点のすり替えは巧みだ。

オウムに限らず、宗教というものが地上に天国を建設する運動である限り、その本質として、現実社会の基本的な仕組みに対して軋轢を生じせしめ、現実のシステムに対し、非妥協的姿勢を取らざるを得なくなるものだ、ということを了解しあってくれれば、上祐に対する信用は高まった。さらに言えば、世界史的成功とされる宗教運動の裏側には、無数の殉教と迫害――弾圧され消滅した教団とその信者の命が――あったのではなかろうか。宗教指導者のちがいとは現実への対応能力の結果ではなく、民衆がその宗派に注いだ宗教的情熱と現実のエネルギーがどれだけの力量で融合したかのちがいだけだと思われる。

上祐が現在行っている光の輪の活動は、西洋の学者が釈迦の教えを「これは宗教じゃない。これは自己訓練の哲学だ」と評したことを援用し、宗教というよりも「宗教的な知恵の学習・実践センター」のイメージだと力説している。しかし、地上に天国を築くことを諦めれば、そこに宗教的求心力は生じない。上祐の目指す光の輪がこれからも持続的に知恵の実践センターであり続けるのかどうか。光の輪については、もう少し時間をかけて注視する必要がある。

(文中敬称略)

2013年6月5日水曜日

サッカー日本代表に構造改革必要

サッカー日本代表は4日、オーストラリアとホームで引き分け、W杯ブラジル大会出場を決めた。ザッケローニは、代表監督として、最低限のミッションを果たした。

試合内容は、全体として日本やや優位で試合を進めたものの、後半36分、相手クロスがゴールインという不運な失点でオーストラリアに先行された。しかし、タイムアップ直前、相手選手のハンドの反則でペナルティーキックを得、本田が落ち着いて決めドローとした。日本は1998年フランス大会以降、自国開催の2002年日韓大会を含め、5大会連続のW杯出場を果たした。

日本はW杯アジア予選B組において1試合を残しているが、日本のW杯出場決定により、少なくともアジアでベスト4に入ることを証明した。A組では韓国、ウズベキスタン、イランがしのぎを削っていて、3チームのうちどこが勝ち残るか予断は許されない状況だ。一方、B組の残り1枠は、勝ち点2差で2位オマーン(18日・アウエーでヨルダン戦)、3位オーストラリア(11日・ヨルダン戦、18日・イラク戦いずれもホーム)の争いになっている。残り2試合をホームで戦うオーストラリアが優位にあることは間違いなさそう。オマーンがアウエーのヨルダン戦に勝って勝ち点3を積み上げても、最終の勝ち点は12までしか伸ばせない一方、オーストラリアは2勝すれば勝ち点を最終13まで伸ばすことができる。

日本はアジアの4強にすぎない。課題は多い。第一に、オーストラリアとは2試合戦って2試合ともドロー、つまり勝っていない。当コラムで何度も書いていることだけれど、オーストラリアはドイツ大会の代表選手がいまだ主力を構成する、ロートルチーム。若手育成に失敗していて、どの試合も後半、運動量がガクッと落ちる。それでも、日本は勝てない。パワーで劣る相手に、日本は勝ちきれない。オーストラリア戦の前の親善試合に0-2で負けたブルガリア戦からもその傾向は明らかだ。ブルガリアはW杯欧州予選では2位を確保できない欧州の中堅クラス。このクラスとアウエーで五分に渉りあえるくらいでないと、W杯ベスト8の常連国にはなれない。

課題の第二は、アウエーにおける試合の進め方がうまくないことだ。アウエーではオーストラリアと引き分け、オマーンに勝ち、ヨルダンに負けた。格下のヨルダンに競り負けるようでは、この先、アジアでベスト4の地位を確保できるとは限らなくなる。日本には、ここ一番のアウエー戦に負けないような自力はついていない。

課題の第三は攻撃力の弱さだ。パスサッカーが日本の進む道だとは思うが、ゴール前で相手を完全に崩し、GKと1対1をつくって決めるというイメージが強すぎるのではないか。世界レベルのサッカーでは、とにかくまず、“シュートありき”ではないか。強いストライカーの不在が日本の最大の弱点の1つだ。

課題の第四は、とにかく“本田頼み”の日本代表だということ。課題の四にしたけれど、第一番目かもしれない。精神的にもボールキープという面でも、本田不在の日本代表はあらゆる面での「弱さ」が目立つ。

ザッケローニは、W杯予選の全過程を通じて、固い選手起用をしてきた。それが、予選突破という最低限の目標達成の最善手だったことを否定しない。結果が示す通り、ほかに打つべき手はないかのように思える。グローバルに選手が分散する今日のサッカー状況においては、代表チーム強化の手法としては、これしかないのかもしれない。しかし、日本代表が海外から呼ばれて試合ができるようになれば、いろいろな選手を起用できるのかもしれない。キリン(カップ)に縛られた国内親善試合を消化するだけでは、代表選手の発掘も実戦において果たされないのではないか。日本代表のあり方、進め方を構造改革する時期に来ている。

2013年6月2日日曜日

6月の猫(Zazie, Nico)

Zazie

Nico

6月になってしまった。

恒例の猫の体重測定記録を残しておこう。

まず、Zazieが3.6㎏で先月の3.6㎏と変わっていない。

NIcoは5.9㎏で、先月の5.8㎏から0.1㎏の増加。

手術後に体重を増やしてきたZazieだが、ここにきて安定してきたようだ。

2013年5月31日金曜日

『花粉航海』

●寺山修司[著] ●ハルキ文庫 ●520円+税

寺山修司は日本の戦後、昭和の高度成長期において、映像、演劇(戯曲)、写真、文学(俳句・短歌・詩・散文)、競馬評論・作詞等のサブカルチャーに至る各分野を越え、多岐にわたって活躍した天才であった。しかしながら筆者は、当時の寺山の通俗性が性に合わず、彼の作品を実際のところ見たり読んだりしなかった。ただ唯一の例外が短歌で、寺山の短歌集は何度も読み返したものだった。寺山の短歌を初めて知ったのは、学生時代、吉本隆明の『言語にとって美とは何か』に引用された、

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

の一首からであった。難解極まる同書にあって、この引用短歌だけは奇妙に記憶に残り、その後、沖積舎版の『寺山修司全歌集』を読むに至った経緯がある。ところで、このような経験は筆者だけにとどまらず、“『言語にとって美とは何か』は理解できず頭の中には何も残っていないけれど、寺山の短歌だけは覚えているよ”と語る同年配者が複数存在することを後年知った。同書の著者・吉本隆明の本意ではないかもしれないけれど、寺山の短歌こそが、言語にとって美だったのである。

さて、寺山修司のよき理解者でない筆者は、寺山の創作活動の出発点は短歌であり、短歌創作の限界を感じた寺山が、以降、戯曲、映像、散文…へと創作の土俵を変えたと理解していたものだった。ところが、ついこの間、没後30年(1983年5月4日没)の命日近くの新聞記事から、寺山の俳句作品の存在を知った次第である。

寺山の俳句創作活動は、15歳から18歳までの3年間だった(『手稿』) という。本書は、その間の句集(▽草の昼食、▽幼年時代、▽左手の古典、▽鬼火の人、▽望郷書店、▽だまし絵、▽狼少年、▽憑依、▽少年探偵団)を集成したもの。本題は「少年探偵団」の中のもの。この年代は青春期しかも青春前期にあたり、人はみな多感である。寺山の場合、この時期の俳句創作に彼の生涯にわたるテーマを凝縮させていたようにも思える。

生涯にわたるテーマとは何かと言えば、一つは家族、とりわけ父及び母への思いであろう。そして父母への思いと連携して、「母」への屈折した感情と「母」が代理する生まれ故郷にまつわる土俗的、民俗的、土着的世界への関心がすでにその時期に向けられていたことがうかがえる。母への鬱屈とした思いを託した句は数多い。

暗室より水の音する母の情事
母恋し鍛冶屋にあかき鉄仮面
母とわが髪からみあう秋の櫛

この思いは、後年、カルメン・マキが歌って大ヒットとなった歌謡曲「時には母のない子のように」へと引き継がれている。

時には母の ない子のように
だまって海を みつめていたい
時には母の ない子のように
ひとりで旅に 出てみたい
だけど心は すぐかわる
母のない子に なったなら
だれにも愛を 話せない


そして、弘前警察署勤務から徴兵されセレベス島で病戦死した「父」への尊敬と思慕の思いである。

父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し
癌すすむ父や銅版画の寺院
父と呼びたき番人が住む林檎園

やはり「父」は、後年、フォーククルセダーズが歌った和製フォークソング「戦争は知らない」の歌詞となって引き継がれている。

戦争の日を何も知らない
だけど私に父はいない

父を想えばああ荒野に
赤い夕陽が夕陽が沈む

いくさで死んだ悲しい父さん
私はあなたの娘です

二十年後のこの故郷で
明日お嫁にお嫁に行くの

見ていて下さいはるかな父さん
いわし雲とぶ空の下

いくさ知らずに二十才になって
嫁いで母に母になるの

だが、「父」は、病戦死した父への思慕とは方向性を異にして、「父」が代理するグローバルなものへの関心に変質したようだ。寺山の場合、それは“モダニズム”と“異界”に分岐している。

ランボーを五行とびこす恋猫や
春の鳩鉄路にはずむレーニン祭
次の頁に冬来たりなばダンテ閉ず

モダニズムはそのとおりであるが、“異界”という表現には注釈・説明が必要だろう。それを端的に言えば、ヨーロッパの中世のイメージのような、西欧の暗部に潜む非合理的・悪魔的・黒魔術的な傾向への憧憬である。モダンの基層にある闇世界を寺山はすでにこの時期、その内部に抱え込んでいたのかもしれない。

犬の屍を犬がはこびてクリスマス
酢を舐める神父毛深し蟹料理
秋は神学ピアノのかげに人さらい

もちろん、青春期にありがちな、まっすぐな純粋な言葉の選択もある。それもまた寺山の生涯にわたる傾向の一つだった。

ラグビーの頬傷ほてる海見ては

2013年5月17日金曜日

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

●村上春樹[著]   ●文芸春秋  ●1700円+税

 

大雑把に言って、村上春樹の作品には2つの傾向が認められる。1つは自分史に基づく私小説的なもの。この作風を筆者は洗練化された私小説と呼ぶ。初期の作品群にその傾向が色濃い。たとえば、『ノルウェイの森』(1987年刊)が代表作である。

そしてもう1つの傾向は、重大事件等をベースにしつつ、荒唐無稽にイメージを膨らませたファンタジーもの。『1Q84』(2009~2010)が思い浮かぶ。

最新刊の本書だが、その作風は初期作品に回帰していて、自分史の重大なエピソードに執拗にこだわった作品となっている。

●3.11と本書を関連付ける発想は危険

一方、本書は、3.11を背景にして書かれた、と解釈する立場もある。たとえば、東京新聞の書評である(評者:横尾和博)。以下、引用しよう。

本書の背後には3.11の大震災と原発事故がある。著者が1995年の阪神大震災のあと、連作短編集「地震のあとで」(のちに『神の子どもたちはみな踊る』)を発表したように。本書には津波も放射能もなにも書かれてはいない。だが大震災が行間に深く埋もれている。私はそのように読んだ。同じ時代の空気を吸ってきた同世代の者の勘である。
その根拠を謎解きのように提示するのは簡単だ。主人公の多崎つくるという名前。姓は三陸リアス式海岸の多くの岬を象徴し、名はモノ作りと再生を比喩する。人間関係の正五角形とは原子力ムラを暗示。また盛んに使われる「色彩のない」という表現について、私は大津波が押し寄せるさまや、事故後の福島第一原発のモノクロ映像を想起した。そして「調和する親密な場所」は「消え失せた」のであり・・・

勘を働かすことによって、作品をいかように解釈しようと勝手である。著者が3.11を踏まえたかどかは著者に聞く以外にない。しかし、この評者の解釈は、村上春樹の仕掛けたトラップに見事はまったと思うしかない。村上春樹という作家は、そういう戦略的な技巧に長けている。

この評者に決定的に欠落している視点――そして、村上春樹もそのような姿勢において同書を書いたのならば同罪だが――3.11にあって、地震・大津波という自然災害と福島第一原発事故との決定的な違いを認識しないことにある。地震・津波がなければ福島原発事故は起きなかった、のではない。事故が起きた福島に限らず、日本の原発政策は、3.11前からすでに破たんしていた。にもかかわらず、だれもそのことを指摘しえなかった。福島の事故は、国民(政治、行政、学界、マスコミ、法曹界、地域住民、電力消費者・・・)が真剣に原発(政策)に向き合っていれば防げた。その一方、地震と津波は防ぐことはできない。そこに決定的な違いがある。地震・津波と原発事故は、ともに大きな被害をもたらしたが、両者を区別することなく、その悲惨さだけを同等に扱えば、両者は“自然災害”という統一カテゴリーにイメージとして共有され、やがて、同じような位相で忘却されてしまう危険性を孕む。

3.11で引き起こされた2つの異なる人類史的悲劇について、巨大な自然災害という統一的イメージで受け止めることだけは最低限避けなければならない。このことは、文学を書く者、評する者、読む者に隔てはない。だから、本書と3.11を関係付けて読むことはできれば、避けてほしい。作者村上春樹の自分史の範囲にとどめておいてほしい。

主人公(=多崎つくる)は団塊ジュニア、時代は「いま」であって、村上春樹の青春時代とは異なっている。だが、本書のストーリーはおそらく、村上春樹の青春時代の経験が土台となっているはずである。突然の人間関係の断絶及び崩壊について、いまなお村上春樹は執拗にこだわり続けているように思える。

●1990年代型の「最新」感覚

ストーリーの大筋を示せば、以下のとおりである。

多崎つくるは、名古屋の高校時代に形成した無辜な5人(男3人と女2人)の仲良しグループから、東京の大学進学後、突然、理由も知らされないまま、絶交を言い渡される。そして、16年後、36歳になった多崎つくるが恋愛関係にある沙羅という女性の助言に基づき、絶交を言い渡された理由を突き止めるため、昔の仲間に会いに行くことになる。次々に仲間に会いに行く行為を巡礼と称したのであろう。

おそらく、村上春樹は自分史のなかに、特別な人間関係の崩壊と悲劇を組み込んでいる。そして、そのことにこだわり続けることが自己の倫理に適うのだと確信している。

自分史にこだわること、あるいは自分の過去にこだわることが悪いわけがない。それが文学において普遍化されるのであるならば、時代や空間を越えて多くの人々の経験と共鳴し、価値を高める。だが、村上春樹は新作において時代を見誤った。

村上春樹はデビュー作『風の歌を聴け』(1979年刊)において、団塊の世代の政治的挫折経験者から共感を得た。その後、村上の小説は、日本が都市化、情報化、国際化を国策として旗印に掲げ、成長を遂げようとした、1980年代後半から1990年代に同伴しつつ、読者を獲得した。シリアスな虚無主義的作風から、時代が消費するに足る心地よさに迎合した作風へと転位した。『海辺のカフカ』(2002年刊)及び前出の『1Q84』においてその気分は頂点に達した。

その巧みさは、サブカルチャーに係る情報を大量に作品中にちりばめることにより、若い読者の共感を得る手法だった。ファッション、ミュージック、クルマ、地名、スポーツ、登場人物の名前、容姿・・・等に何かを暗示させるかのような手法であり、読者は村上春樹が提示した、それらのそれぞれに鋭く反応した。

だが、時代のほうがいつのまにか、村上春樹の外界への感受性を追い越してしまったようだ。そのことに気が付かないまま、村上春樹はその気分をいまに持ち越している。だから本書の各所にいまとの齟齬が顔を出してしまう。そのことは、作品と時代(いま)とのズレを明確にし、陳腐さを読む者に与えてしまう。村上春樹は、1990年代の「現代」から飛び出せていない。
たとえば――
偶然というべきか、五人はみんな大都市郊外「中の上」クラスの家庭の子供たちだった。両親はいわゆる団塊の世代で、父親は専門職に就いているか、あるいは一流企業に勤めていた。子供の教育には出費を惜しまない。家庭も少なくとも表面的には平穏で、離婚した両親はいなかったし、母親はおおむね家にいた。学校はいわゆる受験校だったから、成績のレベルも総じて高い。(P8)

引用のとおり、主人公を含んだ仲良しグループはみな、名古屋の「中の上」、すなわち、アッパーミドルの家庭に育った偏差値の高い高校生として設定され、4人が地元名古屋の大学から地元に就職している。男友達の一人(アオ)はトヨタの高級車レクサスの営業職である。そしてもう一人(アカ)は名古屋の大学を卒業後、脱サラして社員教育のアウトソーシング会社の社長になっている。なお、主人公だけが東京の大学に進学し、卒業後、鉄道会社の鉄道駅の設計部に就職している。

いまの時代にあっては、アッパーミドルは解体過程にあり、そのことが深刻な社会問題発生の根源にある。一方、村上が設定した5人は時間差によってその解体過程から免れ、小説上の時制においてのいま現在、うまく1%の側に属すことに成功しており、けして99%の側ではない。

だから、村上春樹に派遣社員や就職浪人を主人公とした作品を書け、といっているわけではない。前出のとおり、村上春樹が同伴した時代では、大学卒の就職はさほど困難ではなかった。高校、大学、就職は既定の路線であった。進学、就職は一連の自然の進路なのだが、しかし、いまはどうだろうか。99%の側の若者――非正規社員、アルバイト生活として生活に呻吟している階層にとって、本書のような登場人物の属性の設定は気持ちのいいものではなかろう。むしろ、村上春樹の時代感覚といまとの落差に苛立つのではなかろうか。

登場人物の職業や銘柄も、村上春樹の時代感覚のズレを表している。前出のレクサスは1989年に開発が開始された、まさに情報化の申し子のような車種である。だが、車離れが進むいまや、レクサスを崇める若者はおそらく少数派ではないか。

社員教育のアウトソーシング会社というのも、情報化(という胡散臭さ)を象徴する業態であり、アウトソーシングという概念そのものが、1990年代に一般化したものの1つである。

鉄道会社の駅の設計という仕事はいささか古くさい感じがしないではないが、鉄道会社=安定企業=1%を象徴する。

●地名が喚起するイメージと地方都市差別

本書に登場する地名、名古屋、東京、浜松そしてヘルシンキ及びその郊外のハアタイネン(フィンランド)も村上春樹の価値観を表している。グループが育まれた名古屋といえば、日本が生んだグローバル企業の代表格トヨタの本拠地。都市化、情報化、国際化の条件をすべて満たしている。多崎つくるが就職地として選んだ東京は言うまでもない。フィンランドだが、これも村上春樹の価値観に基づき選ばれた場所である。けして、バンコク、マニラ、ソウルではない。実際に行ったことはないが、おそらくフィンランドはドライかつクリーンさからみて、ヨーロッパの中でも清潔感抜群な地域のイメージを抱かせる。さらに、その郊外となれば、北欧特有の透明感が増すばかりである。

一方、残された浜松はどうか。本書では、そこでグループ崩壊を象徴する悲劇的事件が発生しているのだが、事件現場としての具体的記述は一切書かれていない。浜松という無個性的地方都市のもつイメージがどういう効果を与えているかは、読者がそう思うとおりなのである。浜松の関係者に礼を失することを承知で言えば、“そこで、いかにも”、という印象を読む側に惹起させる効果を村上春樹は計算しているのである。

登場人物の姓名にはすべて色が付されており、色と無関係な姓名をもつ者は、主人公・多崎つくるのみである。本書のなかで、色は人間のありようを明示する重要なメルクマールとして扱われているが、筆者はそのことに重要性を認めない。村上春樹の技巧の1つではあるのだろうが、どうでもいいような気がする。

●産業の洗練化に即した私小説の洗練化
・・・最後にもうひとつ質問がある。レクサスって、いったいどういう意味なんだ?」
アオは笑った。「よく人にきかれるんだが、意味はまったくない。ただの造語だよ。ニューヨークの広告代理店がトヨタの依頼を受けてこしらえたんだ。いかにも高級そうで、意味ありげで、響きの良い言葉をということで。不思議な世の中だよな。一方でこつこつと鉄道駅を作る人間がいて、一方で高い金を取って見栄えの良い言葉をでっちあげる人間がいる」
「それは一般的に『産業の洗練化』と呼ばれている。時代の流れだ」とつくるは言った。
アオは顔に大きな笑みを浮かべた。「お互いそいつに取り残されないようにしよう」(P176)
先述のとおり、本書は私小説であり、洗練化されたそれである。村上文学は、その骨格の半分として産業の洗練化ならぬ自分史の洗練化という傾向をもち続けている。引用部分は、村上春樹の自嘲であろう、売れる本を書き続けるために・・・だが、時代が村上春樹を取り残して進んでしまっている。そのことが、本書の凡庸さを際立たせる。

2013年5月16日木曜日

オシャレなカフェ

Hagiso. 1Fのカフェ @Yanaka
ペチコートレーン @Sendagi

2013年5月15日水曜日

都心の井戸

谷中天王寺境内 @Yanaka

2013年5月14日火曜日

伊勢五

谷中三崎坂の酒店「伊勢五」の店頭がきれいに整頓されていた。

最初は小売り、その後、店を移転し、ここはしばらく倉庫のようだったが、新たな事業展開か。

建物がいいだけに期待したい。

取り壊しだけは、勘弁してほしい。


@Yanaka