サラリーマン諸氏は長い休みが取りづらかったようだ。
そんなこととは関係のない筆者だが、どういうわけか、
東京の下町・錦糸町から、スカイツリーに行ってしまった。
昇らなかったけど。
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| 錦糸町のタイ料理店「ウイパダー」のママさん |
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| スカイツリーのそばに川が流れていたのか |
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| 近くで見るとけっこうふとい |
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| ソラマチにある「世界のビール博物館」 |
STAP細胞の論文問題で、小保方晴子氏の不正を認定した理化学研究所調査委員会の委員の論文に、画像の切り貼りなど加工の疑いが指摘されていることが一日、分かった。理研は、本格的な調査が必要かどうかを判断するための予備調査を始めた。オセロゲームというのがある。シロとクロがプレーヤーの一手一手でめまぐるしく反転するあれだ。理研を舞台とした小保方劇場はまさしく、その様相を呈してきた。先日、小保方の論文不正を調査し、不正ありと判定した「研究論文の疑義に関する調査委員会」委員長の石井俊輔の論文不正が明るみに出て石井は同委員会委員長を辞任したばかり。それに次いで、今度は同委員の面々が小保方と同様、実験画像の切り貼りや使い回しをしていたのだ。つまり、小保方がクロ、理研の調査委員会はいかにもシロの集団だったのだが、このことにより、委員会もクロに反転してしまったのだ。つまり、小保方劇場出演者全員がほぼクロである。
調査委では、委員長だった石井俊輔上席研究員の論文に画像の切り貼りが見つかり、石井氏は「不正ではない」としたが委員長を辞任している。
新たに指摘があった調査委員は、理研の古関明彦グループディレクターと真貝洋一主任研究員、東京医科歯科大の田賀哲也教授。
二〇〇三~一一年に発表された論文のうち、古関氏が責任著者を務めた四本や、石井氏と真貝氏の共著の一本、田賀氏が責任著者である二本の計七本に指摘があった。DNAを分離する電気泳動という実験の画像の切り貼りや、細胞の写真の使い回しがあるのではという内容で、理研は田賀氏の論文を除く五本を予備調査の対象とした。古関氏は取材に「指摘の部分は、理研に報告している。現段階で個人的なコメントは差し控えたい」と回答した。(東京新聞/5月2日朝刊)
そこ(漂泊的バンド社会)から、定住以前の狩猟採集民社会について、ある程度推測できるだろう。・・・バンドの凝集性は、共同寄託や供食儀礼によって確保される。バンドの結合は固定的ではなく、いつでも出ていくことができる。バンドは概ね、25-50名ほどの小集団である。その数は、食料の共同寄託(平等な分配)が可能な程度以上に増大せず、また、共同での狩猟が可能である程度以下にも減少しない。また、バンドが固定的でないだけでなく、家族の結合も固定的ではない。・・・家族と家族の間の関係は、もっと不安定である。ゆえに、親族組織は未発達であり、また、バンドを超える上位の集団を持たない。(本書P181)
狩猟採集によって得た収穫物は、不参加者であれ、客人であれ、すべての者に、平等に分配される。これは、この社会が狩猟採集に従事しているからではなく、遊動的だからである。彼らはたえず移動するため、収穫物を備蓄することができない。ゆえに、それを所有する意味もないから全員で均等に分配してしまうのだ。(本書P182)柄谷は定住以前の社会について、きわめて自由度の高いものとしてイメージする。自分たちが狩猟採集したものを平等に分配できる範囲の定員が保たれ、そこから出るのも入るのも自由、家族の結合も緩やかで、バンドを超える集団、すなわち支配権力層をもたない。柄谷によると、このような社会形態を規定するのは狩猟採集という生産形態ではなく、遊動的生存という条件によって強いられたものだという。つまり、狩猟採集とは獲物となる動物や食料となる植物等を求めて遊動する必要があるから、それを可能とする社会として、前出のようなイメージの社会集団が形成されていたということになる。
〔註〕バンド(band); 文化人類学の用語としてはもっとも未発達な進化段階の社会組織を意味する。衣食住のための物質文化もきわめて単純であり、また生産、保存貯蔵、運搬などの技術も未発達な集団で、ほぼ採集・狩猟に生計を依存し、動植物資源を追って季節的に移動する。生活単位は夫婦とその子どもからなる核家族で、資源が豊富なときは一時的に30人から100人ほどの集団をつくるが、また家族単位で離散してしまう。
(この全員均等分配は、)「純粋贈与」であって互酬的ではない。収穫物を蓄積しないということは、明日のことを考えないということであり、昨日のことを覚えていないということである。したがって、贈与とお返しという互酬が成立するのは、定住し蓄積することが可能になった時からだといえる。そうすると、定住以前の狩猟採集社会には、共同寄託はあるが互酬的交換はなかったと考えるべきである。」(本書P182)
・・・たとえば、縄文時代は新石器文化である。もちろん、そこで始まった栽培・飼育が、農耕・牧畜へと発展する可能性はあった。また、定住とともに生産物の蓄積、さらにそこから富と力の不平等が生じる可能性があった。それは早晩、国家の形成にいたるだろう。しかし、そうならなかったのは、定住した狩猟採集民がそれを斥けたからである。彼らは、定住はしても、遊動民時代のあり方を維持するシステムを創りだした。それが贈与の互酬性(交換様式A=贈与と返礼)なのである。ゆえに、農耕・牧畜と国家社会の出現を「新石器革命」と呼ぶのであれば、われわれは、それを阻止することをむしろ革命と呼ぶべきであろう。その意味で、私はこれを「定住革命」と呼ぶ。
一般に、氏族社会は国家形成の前段階として見られている。しかし、むしろ、それは定住化から国家社会に至る道を回避する最初の企てとして見るべきである。その意味で、氏族社会は「未開社会」ではなく、高度な社会システムだといえる。それは、われわれに或る可能性、つまり、国家を超える道を開示するものとなる。
くりかえすと、定住とともに、集団の成員は互酬性の原理によって縛られるようになった。贈与を義務として強いることによって、不平等の発生を妨げたからである。もちろん、これは人々が相談して決めたことではない。それはいわば「神の命令」として彼らに課せられたのである。(本書P183-184)
・・・チャイルドが唱えた新石器革命(農業革命)という概念によれば、農業・牧畜が始まり、生産力の拡大とともに、都市が発展し、階級的な分解が生じ、国家が生まれてきた。・・・(その一方、ジェイコブズによれば)・・・その逆に、農業は「原都市」で始まったのである。「原都市」は、共同体と共同体の交易の場として始まった。そこでは、さまざまな情報が交換、集積された。農耕はその結果として生じた、と彼女はいう。私(柄谷)は、この仮説を支持する。(本書P186-187)柄谷は加えて牧畜についても、それは原都市で発明されたもので、その後、農耕民と遊牧民の分化が生じたと考える。狩猟採集民の後に出現した遊牧民も遊動性が高い生活様式を維持しているが、遊牧民の遊動性と、狩猟採集民のそれとは異質だという。
農耕と牧畜は原都市で出現した。とともに、それらの分化、いいかえれば、農耕民と遊牧民の分化が生じた。遊牧民は、原都市を出て遊動するようになる。彼らはある意味で、遊動的狩猟採集民にあった遊動性を回復した。しかし、彼らは狩猟採集民とは異質である。遊牧は農耕と同様、定住生活の中で開発された技術であり、また、遊牧民は農耕民と分業関係にある。彼らは農耕民と交易するだけでなく、商人として共同体との間の交易をになう。(本書P188)二種類の遊動民
この場合、国家を形成するのは、たんなる暴力ではない。それは、服従すれば保護する、というかたちでの「交換」である。私はこのような交換のあり方を、交換様式Bと呼ぶ。すると、遊牧民は、交換様式Cとともに、交換様式Bの発展を担ったということができる。(中略)国家あるいは王権が成立するためには、外部からの征服という契機が不可欠である。それが遊牧民である。とはいえ、すべての国家が征服によって形成されるわけではないし、また、つねに征服が遊牧民によってなされるわけでもない。ただ、征服が現実になくても、遊牧民に対する防衛という動機が、首長制国家を集権的な国家に変容するのである。(P188-189)柄谷によれば、原都市=国家で生まれた農耕・牧畜、あるいは農耕民と遊牧民があいまって、国家を形成したことになる。遊牧民の遊動性はしたがって、遊動的狩猟採集民のそれとは似て非なる。遊牧民は共同体の間にあり、商業ないし戦争を通して、共同体の中に浸透、侵入、支配するにいたる。遊牧民の遊動性は、交換様式でいえば、Aではなく、BとCに導かれるという。さらに、遊動民の中に、遊牧民に似た者として、(四)山地民を加える。
遊動民一般をノマドと呼ぶとすれば、その中には、狩猟採集遊動民、遊牧民、山地民(焼畑狩猟民)が入る。また、遊動性という観点からみれば、漂泊する商人や手工業者を入れてもよい。定住農耕民からみれば、ノマドは不気味な存在である。彼らは非農耕民を軽蔑するが、それに依存するほかない。なぜなら、彼らとの交換がなければ、共同体の自給自足的経済はなりたたないからだ。一方、ノマドも、定住農民の生き方を軽蔑していると同時に、さまざまな意味で、後者に依存している。このように、各種のノマドが、交換様式C(商品交換)の発展を担ったし、また、しばしば交換様式B、すなわち国家形成に関与してきたのである。(本書P190)ドゥルーズ&ガタリの“ノマドロジー”は帝国を創り出す
このノマドロジーは、定住性やそれに伴う領域性や規範を超えるとしても、国家と資本を超える原理ではない。それどころか、国家や資本を飛躍的に拡張する原理である。たとえば、戦争機械としての遊牧民は、国家を破壊するが、より大きな国家(帝国)を創り出す。資本も同様である。たとえば、金融資本は、脱領域的であり、領域化された国家経済を破壊する。柄谷は、ドゥルーズ&ガタリのノマドロジーを否定しつつ、資本=ネーション=国家を超える手がかりとして、遊動性を掲げる。柄谷のそれは、遊牧民的遊動性ではなく、狩猟採集民的な遊動性だ。定住以後に生じた遊動性、つまり、遊牧民、山地人あるいは漂泊民の遊動性は、定住以前にあった遊動性を真に回復するものではない。かえって、それは国家と資本の支配を拡張するものである。
米ソの冷戦体制が揺らぎはじめた1970年代以後、ノマドロジーは、この冷戦構造を解体する脱領域的・脱構築的な原理と目された。しかし、ソ連邦が崩壊し、資本主義のグローバリゼーションが生じた90年代以後、それは「資本の帝国」、あるいは新自由主義を正当化するイデオロギーに転化した。・・・90年代に入ると、それは新自由主義のイデオロギーと区別できなくなる。(本書P191-192)
定住以前の遊動性を高次元で回復するもの、したがって、国家と資本を超えるものを、私は交換様式Dと呼ぶ。それはたんなる理想主義ではない。それは交換様式A(互酬)がそうであったように、「抑圧されたものの回帰」として強迫的に到来する。いわば、「神の命令」として。したがって、それは最初、普遍宗教というかたちをとってあらわれたのである。だが、交換様式そのものは宗教ではない。それはあくまで経済的な交換の形態なのである。柳田国男は先住民(山人)と遊動民(山民・芸能的漂泊民)を区別した
交換様式Dにおいて、何が回帰するのか。定住によって失われた狩猟採集民の遊動性である。それは現に存在するものではない。が、それについて理論的に考えることはできる。(本書P193)
先ず、彼(柳田国男)は「山人」の存在を主張した。山人は、日本列島に先住した狩猟採集民であるが、農耕民によって滅ぼされ、山に逃れた者だという。ただ、山人は山民(山地人)とは違って、その実在を確かめることができない。彼らは多くの場合、天狗のような妖怪として表象されている。さらに、柳田は、移動農業・狩猟を行う山民、および、工芸・武芸をふくむ芸能的漂泊民に注目した。しかし、柳田はそのような遊動民と山人とを区別していた。つまり、遊動性の二種類を区別したのである。(本書P194)次に網野善彦である。網野に代表される柳田民俗学批判は、後期の柳田がその関心を、遊動民から定住農耕民に向けるようになったため、定住農民と国家を超える視点を無くしたというものだ。網野に代表される柳田批判は、商人・職人・芸人のような遊動民を重視し、そこに、定住農民による国家権力(天皇制)を超える契機を見い出だそうとした。
しかし、このような芸能的遊動民は山人とは異質である。遊牧民が定住農民の社会の間にあって、それらを交易などで媒介しつつ、時には定住農民を支配する国家を形成するように、芸能的遊動民は定住農民共同体の間にあって、それらを媒介することによって生きつつ、他方では、定住農民を支配する国家(王権)と、直接・間接的に結びつく。つまり、彼らは一方で定住民に差別される身でありながら、他方で、定住民を支配する力をもったのである。柳田は山民の中に「社会主義の理想」を見た
一方、根本的に「国家に抗する」タイプの遊動民は、山人である。しかし、山人は当初から実在するとはいいがたい存在であった。山人の存在を唱えた柳田は嘲笑され、次第に自説を後退させた。が、けっして放棄することはなかった。定住農民(常民)に焦点を移しつつ、彼は「山人」の可能性を執拗に追及したのである。最終的に、彼はそれを「固有信仰」の中に見出そうとした。彼がいう日本人の固有信仰は、稲作農民以前のものである。つまり、日本に限定されるものではない。また、それは最古の形態であるとともに、未来的なものである。すなわち、柳田がそこに見いだそうとしたのは、交換様式Dである。(P194-195)
彼(柳田国男)はこの論文に、「社会主義の理想の実行さるる椎葉村」という小見出しを付した。《・・・此山村には、富の均分というが如き社会主義の理想が実行せられたのであります。『ユートピア』の出現で、一つの奇跡であります。併し実際住民は必ずしも高き理想に促されて之を実施したのではありませぬ。全く彼等の土地に対する思想が、平地に於ける我々の思想と異なって居るため、何等の面倒もなく、斯かる分割方法が行わるるのであります。(『九州南部地方の民風』)》(本書P68)柳田国男が生きた時代、椎葉村では焼畑農業と狩猟が人々の生計を支えていた。柳田国男はそこに伝えられていた資料を使って『後狩詞記』を書いた。椎葉村の人びとは、伝承となって妖怪化した山人ではなく、実際に生きている山民であった。柄谷は、柳田は椎葉村の暮らしの中に「稲作農耕民以前の狩猟採集民」の生活形態をみた、と考える。
小保方晴子とSTAP細胞の発見は、安倍晋三の進める「成長戦略」のプロモーション・シンボルだった。その中味は三つあって、第一に、再生医療への国家を挙げた重点投資が「成長戦略」の目玉になっていたことに関わっている。安倍晋三とマスコミが「成長戦略」を宣伝するときは、必ず再生医療が引き合いに出され、「成長戦略」を正当化し訴求する看板商品になっていた。第二に、「女性の活用」がある。1/20に産業競争力会議が出した「成長戦略進化のための今後の検討方針」では、その第一の課題項目が「女性の活躍推進」になっている。第三に、教育の分野での研究開発投資の戦略的重点化で、「特定国立研究開発法人」を設置して巨額の予算を投入し、年収1億円以上の研究者をゴロゴロ出すことが策定されていた。つまり、安倍晋三の「成長戦略」の柱であるところの、再生医療、女性、研究開発重点投資の三つのキーワードが結節したところに、「小保方晴子のSTAP細胞」の花火の打ち上げあったということになる。実際に、安倍晋三は1/11に理研を視察し、笹井芳樹から説明を受ける場面をマスコミに撮影させて宣伝報道させていた。(2014/3/25)
(ポストモダン資本主義への)イデオロギーの移行は、1960年代の反乱(68年パリの5月革命からドイツの学生運動、アメリカのヒッピーに至るまで)の反動として起きた。60年代の抗議運動は、資本主義に対して、お決まりの社会・経済的搾取批判に新たな文明的な批判をつけ加えていた。日常生活における疎外、消費の商業化、「仮面をかぶって生きる」ことを強いられ、性的その他の抑圧にさらされた大衆社会のいかがわしさ、などだ。
資本主義の新たな精神は、こうした1968年の平等主義かつ反ヒエラルキー的な文言を昂然と復活させ、法人資本主義と〈現実に存在する社会主義〉の両者に共通する抑圧的な社会組織というものに対して、勝利をおさめるリバタリアンの反乱として出現した。この新たな自由至上主義精神の典型例は、マイクロソフト社のビル・ゲイツやベン&ジュリー・アイスクリームの創業者たちといった、くだけた服装の「クール」な資本家に見ることができる。・・・(略)・・・1960年代の性の解放を生き延びたものは、寛容な快楽主義だった。それは超自我の庇護のもとに成り立つ支配的なイデオロギーにたやすく組み込まれていった。・・・(略)・・・今日の「非抑圧的」な快楽主義…の超自我性は、許された享楽がいかんせん義務的な享楽に転ずることにある。こうした純粋に自閉的な享楽(ドラッグその他の恍惚感をもたらす手立てによる)への欲求は、まさしく政治的な瞬間に生じた。すなわち、1968年の解放を目指した一連の動きの潜在力が、枯渇したときだ。
この1970年代半ばの時期に、残された唯一の道は、直接的で粗暴な「行為への移行」――〈現実界〉へおしやられることだった。・・・(そして、)おもに3つの形態がとられた。まず、過激な形での性的な享楽の探求、それから、左派の政治的テロリズム(ドイツ赤軍派、イタリアの赤い旅団など)。大衆が資本主義のイデオロギーの泥沼にどっぷりつかった時代には、もはや権威あるイデオロギー批判も有効ではなく、生の〈現実界〉の直接的暴力、つまり、「直接行動」に訴えるよりほかに大衆を目覚めさせる手段はないと考え、そこに賭けた。そして、最後に、精神的経験の〈現実界〉への志向(東洋の神秘主義)。これら三つに共通していたのは、直接〈現実界〉に触れる具体的な社会・政治的企てからの逃避だった。
プロレタリアの雑誌に発表されたオーストリアのシュトゥーバハ発電所(注)についての考察を見ると、この発電所は「現代の労働の、そして現代の人間精神の創造のみごとな作品」であるとほめそやしていることがわかる。プロレタリアは、電気――あらゆる自然力のうちの最強のもの――を、社会主義に道を開くブルジョア社会の爆破薬と見なしていた。すなわち、教養ブルジョア階級の文明批判が主張した反産業的で工業技術を敵視する反近代主義は、労働運動の中では受け入れられる見込みがなかった。
(労働者にとっては、)大規模な工業技術による自然力の利用は、まだ矛盾なく自然保護と調和させることができると思われていた。・・・歴史上の社会主義労働運動は、一方でこの自然開発の持つ自然破壊的な影響には辛抱強く目をつぶっていたのだが、それは・・・この運動が労働者の中に工業技術による自然の統治者を見、そしてこの工業技術がいつか生産の進歩を通じて労働者自身の宿命をも耐え得るものにすることができると考えられていたからである。