2016年3月25日金曜日

上野公園の桜

 ちらほら1~2分咲といったところ
 


芸祭の神輿が出展中






寛永寺境内の桜のなかには開花したものも


寛永寺の枝垂れ桜

隣接する上野中学校の別種の桜は満開

2016年3月23日水曜日

NPB(日本野球機構)じゃなくてYPB(読売野球機構)

プロ野球・読売巨人軍の高木京介投手(26)が野球賭博に関与していた問題で、プロ野球の熊崎勝彦コミッショナーは22日、高木京に1年間の失格処分、読売球団に対して制裁金500万円を科した。この処分は、日本野球機構(NPB)の調査委員会(委員長=大鶴基成弁護士)による報告書の処分案を受けた結果だ。

報告書によると、高木京は2014年4月末ごろから5月上旬ごろにかけて、同僚の笠原将生元選手(25)を介し、飲食店経営の男性らとともに、3、4回にわたってプロ野球の試合8、9試合で賭けを行い、野球賭博への関与を禁じた野球協約第180条(有害行為)違反にあたるとした。読売戦への賭けや敗退行為(八百長)、野球賭博常習者との交際は認められなかったという。

高木京の甘い処分に違和感

あれれ、読売選手による野球賭博関与問題では昨年11月、笠原、福田聡志(32)、松本竜也(22)の元選手3人が無期失格処分となったが、高木京への失格処分は1年間。違和感を覚えた人は筆者を含めて少なくなかろう。

調査委は、元選手3人に比べて(1)賭博を行った期間が短く試合数も少ない(2)野球賭博をやめた後、笠原元選手から再三、野球賭博に誘われたが断った−−など、野球賭博への関わり方の積極性の違いを挙げている。

だが、高木京の場合、前出の3投手が賭博関与問題で騒動になった後の調査では自らの関与を明かさなかった、と報道されていた。高木京の賭博関与発覚は週刊誌の読売球団への取材がきっかけだったはず。つまり3投手賭博関与後の当初調査では「だんまり」を決め込み、逃げ切ろうと図ったのではなかったのか。高木京は、「逃げ切れない」という状況判断により、やむなく「出頭」「白状」したのではなかったのか。このような高木京の態度は、むしろ前出の3投手よりも悪質だと判断するのが一般的ではないのか。

戦力として計算できる高木京は読売にとって貴重な存在

単純に考えれば、▽高木京が当初、調査に非協力的であった事実、▽逃げ切れないと判断してやむなく白状した事実、▽彼が前出の3投手とは違って、一軍の試合にレギュラー格として出場していた事実――に鑑みれば、彼こそが、野球賭博から八百長への最短の道筋にいたと考えられるわけで、高木京の処分が最も重くなるのが自然ではないのか。

ではなにゆえに高木京の処分が3投手よりも軽くなったのかといえば、読売球団が高木京を貴重な戦力として評価しているからだ。野球賭博のキーパーソンといわれる笠原は伸び悩み、福田は峠を越え、松本はこれから――の選手である一方、高木京は、あと5年は一軍の貴重な左腕中継ぎ投手として使えるメドがたっている。それゆえ、読売球団(=渡邊恒雄)はコミッショナーに対し、高木京を軽い処分とするよう働きかけたと推測できる。

読売の便宜を図る熊崎勝彦コミッショナー

今回のNPBコミッショナーの裁定は、「NPB=日本野球機構」が「YPB=読売野球機構」であることの証左にほかならない。熊崎勝彦といえば、検察官、最高検察庁公安部長、東京地方検察庁特別捜査部長を歴任して、第13代日本野球機構コミッショナーに就任した人物。東京地検が正義の執行機関だと思っている人はいまでは少数派だと思うものの、日本の検察界の大物の一人だ。それが読売グループの走狗として、読売球団に便宜を図るとは、ナベツネに恩義を感じての措置なのか、読売グループによほど世話になったのか――と想像したくもなる。

読売に由来し、読売が行使し、読売が享受する日本プロ野球

今回の熊崎勝彦の措置は公正さに欠け、NPBが読売グループの一部として機能していることの象徴だ。日本のプロ野球が、 from the people,…of the people,…by the peopleならぬ、from the YOMIURI,… of the YOMIURI,…by the YOMIURI(読売に由来し、読売が行使し、読売が享受する日本プロ野球)であることを熊崎が図らずも証明した。野球賭博事件の真相究明への道は固く閉ざされた、と判断せざるを得ない。

2016年3月19日土曜日

2016年3月16日水曜日

フランチャイズ意識を確立し、ノブレス・オブリージュの精神を育め―読売巨人軍野球賭博の闇と日本プロ野球再生論―

日本プロ野球の人気球団、読売巨人軍は8日、昨年秋に同球団の3選手が野球賭博に関わり無期失格処分を受けた問題で、新たに高木京介投手(26)も関与していたと発表した。これを受け、渡邊恒雄(以下「ナベツネ」)・最高顧問、白石興二郎オーナー、桃井恒和会長の球団幹部3人が引責辞任した。

続いて14日、巨人の選手が自チームの公式戦の勝敗を対象にしてカネをやりとりしていたことが判明した。選手が試合ごとに現金を出し合い、勝てば試合の円陣で「声出し」をした選手が総取りするルール。巨人もこれを認め、1試合あたり投手、野手で総額14万円が動いていたと説明した。野球賭博に関与して無期失格処分を受けた元巨人の笠原将生投手(25)は産経新聞などの取材に「1000円から連勝するごとに、3000円、5000円と、どんどん金額が跳ね上がる。レートが上がりすぎて(わざと)打たないことも可能だった」と、敗退行為による八百長すら示唆していた。

マスメディアは野球賭博事件の検証に集中せよ

この「声出し総取り」行為はサラリーマンの職場仲間で行われる賭け麻雀、賭けゴルフ、アミダ甲子園優勝賭博等と大差ない。敗退行為による八百長にまで発展するには一軍のプロ野球選手の年俸からすれば金額が少額すぎる。「李下に冠を正さず」の誹りは免れないが、野球賭博とは性格が異なる。もちろん危ない行為ではあるからやめたほうがいいに決まっているが、本質的問題は、日本のプロ野球選手が野球賭博を行っていたことにある。メディアがプロ野球選手の日常的賭け事にまで報道を広げすぎると、読売球団の4投手がのめり込んだ野球賭博の検証を怠る結果に陥りかねない。

高木京の野球賭博関与は危険レベル

さて、読売4投手の野球賭博に話を戻そう。この問題は、既に多くのブロガー等から指摘されているとおり、読売球団が極めて憂慮すべき状況に達していることを意味している。深刻度の指標とは第一に、高木京が一軍中継ぎ投手としてレギュラー格であること、第二に、高木京が彼の会見の発言から野球賭博仲介者から恫喝を受けていたと推測できること――だ。既に契約を解除された3投手は戦力としては高木京ほどではない。高木京は公式戦の勝敗を左右する立場にあった。野球賭博の延長線上には当然のことながら八百長がある。

当コラムで既に書き、さらに先述のとおり、読売球団選手に広がる野球賭博汚染は、サラリーマン社会で一般に行われている賭け麻雀、賭けゴルフ、甲子園優勝賭博のような「遊び」とはわけが違う。賭け麻雀経験者の筆者は、それらの禁止を主張するほど清廉な身ではない。本丸はあくまでも野球賭博。プロ野球の現役選手が野球賭博に興じるということは、その情報をもっとも入手しやすい立場の者が賭博行為を行うこと――株の投資におけるインサイダー取引に近い。むろん、インサイダー取引は違法行為だ。

なぜ、読売選手が賭博に関与するようになったのか

なぜ人気球団であり、かつ、日本プロ野球を主導してきた読売巨人軍において野球賭博が行われるようになってしまったのか。このテーマについて、読売球団、日本プロ野球機構(NPB)及びマスメディアが真剣に向き合わない限り、読売球団に巣食った病巣は取り除かれることがない。

日本のプロ野球界が抱える最大の問題は、コミッショナーに権限がなく、読売グループが球界を牛耳っているところにある。コミッショナーはお飾りで、主たる権限はオーナー会議にあり、そのオーナー会議は読売グループの実質的トップであるナベツネが事実上統括している。その歴史的経緯をかんたんに振り返っておこう。

(一)米国CIAエージェントによって創設された日本プロ野球業界

日本にプロ野球を根付かせたのは読売新聞社主・正力松太郎。彼は戦中、大政翼賛会に属していたが、戦後、米国CIAのエージェントとして、読売傘下の新聞等のメディアを駆使し、米国の対日政策に協力した。その代表事例が日本における原発建設推進であった。そればかりではない。読売グループは総力を上げて、敗戦国日本人が戦勝国である米国に対して敵対心をもたないような親米政策への協力に取り組んだ。いわゆる米国によるソフトパワー戦略への協力で、プロ野球普及もその代表事例の一つ。野球は米国の国技であり、戦勝国米国にとっても野球が日本人に広く受け入れられることに異論はなかったはずだ。

日本人の野球好き傾向は戦前からであって、読売だけの力で今日の野球の隆盛が導かれたわけではないが、読売のメディア戦略なくして、プロ野球が日本のスポーツ界におけるナンバーワンの地位を築くこともなかった。

(二)読売(正力松太郎)が描いたプロレス式プロ野球=常勝巨人軍構想

読売(正力)が描いた日本のプロ野球の構図は読売巨人軍を球界の中心に位置づけ、そのまわりに他球団を配するというもの。この構図は、テレビ黎明期、日本国民を惹きつけたプロレスのそれに類似している。プロレスはもちろんショーであって、純粋スポーツではない。しかし、プロレスは単純だが絶対的な構造を有していて、それが人々の心情をつかむ。その構造とは以下のとおり――プロレスラーの中心には絶対的ハンサム(善玉)が、そしてそのまわりにはヒール(悪玉)が配される。戦い序盤はハンサムが劣勢に立たされ苦戦するが、最終的にはヒールは敗退し、ハンサムが勝つ。

(三)読売のドル箱プロレス(力道山)と反社勢力とのつながり

前出のとおり、テレビ黎明期、プロレス中継は読売傘下のテレビ局(関東圏では日本テレビ)が独占中継権を持ち、爆発的人気を博した。そのときのハンサム役にして、最強のスターは力道山。ところがその力道山は、1963年12月、都内の高級クラブで反社会的勢力構成員とのトラブルで殺害される。読売グループのドル箱スター(力道山)は、反社勢力に極めて近い存在だった。力道山殺害事件が象徴するように、読売は力道山を介して、反社勢力と少なからず関係があったと推測できる。

にもかかわらず、日本人は読売傘下のテレビ局が中継する力道山のプロレス番組に大興奮し、視聴率は100%に近かった(ライバル局が少なかったという、今日とは異なる事情もあるが)。プロレスを見るためにテレビを買った家庭も多かった。読売(テレビ)が育てた力道山のプロレスは、読売(テレビ)の絶対的コンテンツとして時代の寵児となった。読売は自社の繁栄のためならば、昔から悪魔とも手を結ぶ。

(四)プロレス人気の終わりとともに始まった巨人V9

力道山殺害事件後、プロレスはスポーツとは異なるエンタメとしてそれなりに定着したが、テレビ黎明期ほどの勢いはなくなった。ナイーブ(ウブ)な日本人にも、プロレスがスポーツでなく、ショーであることに気づいた。プロレスはお茶の間のドル箱番組から、マニアのそれへと変質した。そして、プロレスの衰退と反比例して国民的プロスポーツの地位を獲得したのがプロ野球であった。「巨人・大鵬・卵焼き」の時代の到来だ。

読売巨人軍は、プロ野球黎明期から積極投資をして有名選手を掻き集め常勝態勢を構築し、読売新聞(スポーツ紙を含む)のメディアの威力によって、日本一の人気球団になった。同時に、巨人軍のチケットはプラチナチケットと呼ばれ、読売新聞の販売促進ツールとして力を発揮した。それはまさに、読売グループの善循環形成への貢献だった。読売新聞は全国規模で新聞販売部数が増加、読売巨人軍は全国規模でファン数を伸ばした。もちろん「巨人戦」テレビ中継も高視聴率を維持した。

読売巨人軍は豊富な資金力を背景にして、他球団の主力選手を入団させ圧倒的戦力を誇り、1965年から1973年までV9達成という文字通りの「常勝球団」となった。読売が描いたプロレス式プロ野球の集大成だ。このときのV1(1965年)は力道山の死から2年後であった。読売の常勝を柱としたドル箱コンテンツは、プロレスからプロ野球に形を変えた。

(五)プロレス式プロ野球の遺産を継承したナベツネ

80年代までにに築かれた読売巨人軍の遺産を継承し発展させようとしたのが、前出のナベツネにほかならない。ナベツネは1989年、巨人軍中心のプロレス式プロ野球人気が下降に転じる時期に読売球団及びNPBに積極介入した。ナベツネは戦力均等化が果たされるドラフト制度に最後まで抵抗した。ドラフト制度導入後には、その代替としてFA制度を導入させた。また、中世ギルドのように12球団オーナーを結束させ、球団数増及び新規参入を拒んできた。しかし、時代はプロレス式プロ野球を拒否しはじめ、プロ野球人気は衰退傾向を強めた。

(六)巨人プロレス式野球衰退から地域密着型球団の台頭

流れを変えたのが、1988年のダイエー(現ソフトバンク)福岡移転、2004年の日ハム札幌移転、2004年の楽天仙台新球団創設等の新潮流だった。これら球団の経営方針は読売全国区の流れを止め、プロ野球を地域密着産業に組み替えた。ダイエーから経営を引き継いだソフトバンクがそれを加速させ、現在人気球団となりつつある千葉、横浜、広島もその流れの中にある。

腐敗を醸成する「常勝」という絶対性

読売巨人軍全国区人気という一極集中したプロレス式プロ野球は驕りと腐敗を内部に胚胎させる。読売巨人軍の若手選手が賭博に手を染めたのは、彼らが全国区人気の球団に所属することにより純粋培養された結果にほかならない。たいした成績を上げなくともチヤホヤされ、世間をしらないまま金銭感覚を失い、得体の知れない人物と交友を深めた挙句、野球賭博に引きずり込まれたのではないか。

このたびの賭博問題の前に世間を騒がせたのは、読売巨人軍に所属していたことのある清原和博の覚せい剤問題だった。彼が覚せい剤に手を染めたのは読売巨人軍在籍中だったといわれている。読売グループは、1963年に刺殺された力道山のプロレスはいうまでもなく、清原覚せい剤問題、そしてこのたびの野球賭博事件と、反社勢力との関係をうかがわせるような事案を起こしている。

球界健全化はコミッショナー権限の確立及びマスメディアの健全化

日本プロ野球界なかんずく読売グループ(=巨人軍)に内在する腐敗を一掃する方策は、第一にオーナー会議に集中した権限をコミッショナーに戻し、一元化すことだ。ナベツネは読売球団の最高顧問を辞めたけれど、代理人を使ってNPBを支配し続けようと図るだろう。彼はいまなお、読売巨人軍中心のプロレス式プロ野球の再来を夢想し続けている。そのことが健全なプロ野球経営を阻害し続けている。

もう一つ大事なことは、読売以外の球団が読売に依存することなく、自立した球団経営に注力することだ。読売巨人軍人気に依存していたセリーグ6球団ばかりでなく、プロ野球を通じて自社名がマスメディアで報道されればそれでいい、まともな球団経営よりも、自社名がメディアに載れば宣伝になるという考えから、他球団が脱却することだ。

そのことと並行して重要なのがマスメディアの体質改善だ。このことは、マスメディアのプロ野球報道を公平かつ正常に戻すことと換言できる。これまで、残念ながら、マスメディア及びスポーツメディアの業界は、読売のプロレス式プロ野球と利害が一致していた。全国規模で単一ブランドが売れれば取材の労力が省けて、簡単に売上を伸ばすことができた。巨人、巨人と報道するだけで全国津々浦々、新聞や雑誌がイージーに売れ、TV視聴率が稼げた。マスメディアは読売のプロレス式プロ野球の恩恵を受けてきたのだ。

地域密着型球団が選手にノブレス・オブリージュの精神を育む

最後に――それはコミッショナーの統括権限が確立したという前提(オーナー会議からNPBコミッショナーが権限を奪取した状態)において果たされる事項であり、かつ、筆者の従来からの持論でもあるのだが――NPBにおける球団数の増加を挙げたい。

日本の民力及び野球文化の普及状況に鑑みれば、現行の12球団から最低でも16球団に増やせる。かつ、増やしてなお、各球団の健全経営が可能だと考える。球団増により、地域密着した球団が増加すればするだけ、読売のプロレス式プロ野球は一掃される。

なぜならば、プロ野球球団が地域に密着すればするほど、プロ野球関係者(球団経営者、スタッフ、選手等)は、地域社会に対する責任を自覚するから。地域社会の一員として、彼らの地域社会への責任意識は重くなり、自尊心が高まる。プロ野球選手に「ノブレス・オブリージュ」の精神が育まれる。

その真逆にあるのが、読売のプロレス式プロ野球。それはプロ野球選手から社会意識を喪失させ、閉ざされた特殊感覚を醸成させてきた。その代表的現象がこのたび明らかになった金銭感覚のマヒであり、覚せい剤事件であり、具体的には若い有望選手を禁断の野球賭博へと導いてしまった。

プロ野球選手と社会との接点を媒介するものこそ、地域密着を掲げた球団の在り方であり、地域社会と共に歩むという、プロ野球球団の存在理念にほかならない。

2016年3月6日日曜日

La Cuji

根津にあるモダンジャズバー。

こちらの看板猫は「にゃん太郎君」

雑誌に取材されたりして、人気者だ。

「にゃん太郎」

登場した雑誌

店内

店内

スペインビールあります

2016年2月25日木曜日

西日暮里の異界

谷根千の隣り、西日暮里の山手線内側には神社や寺が散在していて、

谷中の風情の延長線上にある。





梅の花(谷中)

2月もそろそろ終わり。

梅の見ごろもすぎたかも。

紅梅

白梅

2016年2月19日金曜日

丸山発言は米国隷属と国粋主義が同居する「新保守主義」の不満の噴出

自民党の丸山和也法務部会長は17日参議院憲法審査会でオバマ大統領を引き合いに出し、「今、米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」などと人種差別的な発言をした上で、発想の転換を求めるたとえ話として「日本が米国の51番目の州になれば、『日本州』出身者が大統領になる可能性が出てくる」などと話した。これらの発言は審査会の席上「暴言だ」と指摘され、丸山議員は国会内で緊急会見、発言を撤回した。

丸山発言は既に語られてきた俗論

あきれた話である。だが、このような言説は丸山のオリジナルではない。「奴隷云々」はオバマが大統領になる前後から、アメリカでは古典的人種差別主義者の間で語られていた。アメリカにはいまなお、KKKに代表される白人至上主義者、アーリア人至上主義者が存在する。オバマは彼らに暗殺されるのではないかという噂が絶えなかった。

「日本がアメリカの51番目の州」という言説もかなり前から世界中で語られていたもの。戦後、日本は米国の外交方針に盲目的に追従し続けてきた結果、自主外交を主張する勢力からこのように、揶揄されてきた。

この二つの言説は、まったく結びつかない「与太話」にすぎないのだが、なぜか丸山はこれらを強引に結びつけ、「未来は予測できない」という結論に結びつけた。むろん、この二つは「未来は不確定」という自明の論理を証明する事例としてはまるでそぐわない。にもかかわらず、憲法審査会という公式の場で丸山が発言した裏側には(推測するに)、彼がかねてより、この二つの言説を気に入っていた可能性がある。どこかで引用して持論の一部として展開したいと。それが、なんと憲法審査会の場だったというわけだ。

安倍政権=新保守主義が抱える二律背反

丸山の心理状態は巷間説明されるように、現在の安倍政権及びそれを支持する新保守主義者の倒錯したそれに対応する。本来の保守の神髄は、「日本会議」に代表されるような国粋主義。だから、米国に代表される外国勢力の存在を認めたくない。そのことは人種差別、排外主義となって表出する。ヘイトスピーチがまさしくそれだ。丸山の場合は、その矛先が米国のアフリカ系大統領=奴隷という表現で表出されたわけだ。

もう一つ、保守主義を突き詰めれば、日本の自主独立、米国隷属からの脱却がテーマとなる。保守の理想は、明治維新(1868)からアジア太平洋戦争敗戦(1945)までの日本。第一次大戦で疲弊した欧州列強に代わって日本帝国主義が世界をリードしたかのように見える時代である。その脈絡から、憲法改正(自主憲法制定)、日米安保破棄(米軍の撤退、米軍基地の奪還)、原爆保有…の道筋が描かれる。

ところが、現政権に限らず日本の政権はすべからく、米国に隷属することで政権維持が担保される。それゆえ、日本の保守は米国隷属となる。そのことが「米国の51番目の州」発言の裏側にある。

1945年以降の日本は、国土内の米軍基地の自由使用が容認され、原爆保有は認めないが原発建設及び原発(再)稼働が推進され、米軍が危なくなったら自衛隊は集団的自衛権行使に基づいて助けに来いよ、となってしまう。米国の容認する範囲、米国の国益に叶う範囲における日本の軍事大国化であり、米国のための自衛隊強化である。

丸山発言は米国隷属と国粋主義が同居する「新保守」の不満の噴出

米国隷属と国粋主義の二律背反状態が、新保守の現政権及び現政権支持者の不満であり、丸山はその心情を図らずも荒唐無稽な発言で吐露してしまったのではないか。

丸山は倒錯的で非常識だが正直である。矛盾に耐えられず、抱え込んだ不満を〈人種差別〉と〈対米隷属〉という二つの発射台から世間に噴射させてしまったのではないか。その非論理性こそが、日本における新保守主義の現実を示している。安倍政権の矛盾は新保守主義の矛盾であり、属米的・国粋(排外)主義という矛盾である。

〈国粋〉のベクトルは自主憲法制定、全体主義、治安維持法の復活、基本的人権の制限、言論弾圧へと向かい、加えて〈排外主義〉となって、嫌韓、嫌中、嫌アジア…へと先鋭化する。一方の〈属米〉は日米行政協定の固定化、原発再稼働及び原発建設推進、米軍による米軍基地永年自由使用、集団的自衛権行使容認、自衛隊海外派兵、米軍の援軍として武力行使…へと米国主導で拡大する。この道が亡国へのそれでなくてなんであろうか。

2016年2月18日木曜日

Lotus Scented Tea

春節で故郷ベトナムに帰省していたダーさんから蓮のお茶をお土産にいただいた。


2016年2月17日水曜日

汚れた紳士たち――読売巨人軍と反社勢力

日本プロ野球(NPB)はだいじょうぶなのか――素朴な疑問がわきあがってくる。2016シーズン開幕前のキャンプイン直後、元読売巨人軍の清原が覚せい剤関連で逮捕され、いまもって(2月17日)、テレビの情報番組は関連報道を続けている。なかで驚きは、同じく元読売巨人軍投手が現役時代、清原に覚せい剤を調達したという意味の暴露発言を繰り返していること。清原は読売巨人軍在籍中から覚せい剤を使用していた可能性が高い。

読売球団、賭博、覚せい剤と相次ぐ不祥事

読売といえば、昨年、賭博事件で現役3選手が契約解除されている。賭博の裏側には、野球賭博と八百長画策の魔の手が迫っていたとも推測できる。読売巨人軍は、覚せい剤、賭博で在籍5選手が関与していたことになる。読売巨人といえば球界ナンバーワンの人気チーム、このチームのモットーは「巨人軍選手は紳士たれ」というものらしい。ずいぶんと汚れた紳士が多い、あきれた話だ。

清原が読売在籍中に覚せい剤常用なら読売球団にも責任あり

読売球団は、在籍中の清原についてなんらかのコメントを発すべきだが、いまのところダンマリ。メディアも同業者読売(球団)への取材は憚れると見え、コメントを要求する気配はない。清原が読売に在籍した時代の監督・コーチ・スタッフ・選手も前出の元投手を除いて、発言していない。

NPBはメディアにとってドル箱のコンテンツ。なかでも読売巨人軍は人気ナンバーワン、下手に読売球団を取材して出禁になれば、(情報が入手できず)痛手となるのか。それとも、大事なコンテンツを守ることが自社利益に直結するのか――ほかにもいろいろと理由があるのだろう。読売の選手管理の在り方を問うメディアは、いま(2月17日現在)のところ皆無だ。

企業の社員の不祥事にはトップがなんらかのコメントをするのが習わしになっている。読売球団在籍中に清原が覚せい剤を常用していたのならば、当然、読売のトップが説明をすべきだし、そのことが事実と判明しなくとも、なんらかのコメントを出すべきだ。退団した選手の逮捕にいちいちコメントしてられないというのがメディア業界である読売の姿勢なのか。他社の不祥事には総動員態勢で突っ込むが、自社の関連企業の不祥事にはダンマリを決め込むのが読売新聞社の企業姿勢なのか。

読売球団と反社勢力との関係は?

というわけで、賭博事件に続いて読売巨人軍時代の清原の覚せい剤常用疑惑も疑惑のままで終わりそう。読売のスキャンダルは大事にならない、だから不祥事が避けられない。

読売が清原在籍時代についてコメントしないのならば、読売は闇社会との関係を断ち切れない、読売と反社勢力の関係は密接なのだ――と、推測されても読売は反論できない。読売はここらですべての膿を出すべきなのだ。

獺祭とちらし寿司

IMさんにいただいた獺祭と家内のちらし寿司





2016年2月16日火曜日

里芋(千駄木・ひょうたん池)

ジム友と千駄木でいかにも遅い新年会。
里芋がおいしかった。




2016年2月14日日曜日

St.Valentine's Day

ヴァレンタインデーに猫のチョコをいただいた。

可愛いね。



2016年2月11日木曜日

最近の猫たち(2月)

まだまだ寒い日が続いている今日この頃、猫たちは筆者のベッドの上が大好き。


仲が良かったり、喧嘩したり・・・


2016年2月10日水曜日

テレビのギャラが清原の覚せい剤代金に消えた

逮捕前の清原の動向がようやく明らかに

元プロ野球選手で、テレビ等のエンタメ業界で活躍していた清原和博が覚せい剤関連で逮捕されたのが2月2日。1週間経過したここにきてようやく、逮捕前の清原の動向が報道されるようになってきた。それらを大雑把に要約すれば、「逮捕は当然」「遅きに失した」「周囲の者は気づいていた」…といったところか。なかには、プロ野球の現役時代に清原に覚せい剤を渡した、と証言する元読売巨人軍選手まで現れた。元読売巨人軍選手が賭博に次いで覚せい剤である。読売(巨人軍)とその筋との関係は浅からぬものがあるようだ。

逮捕直前までテレビに出ていた清原

ウエブサイトの「goo」によると、清原が今年になって逮捕前にTV出演したのは、「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ)/2016年 2月 4日(木) 21:00~21:54、「S☆1(エスワン)」(TBS)/2016年 2月 8日(月) 0:00~ 0:50ほか数本あった。

これらの番組は生中継及びそう遠くない過去に収録されたもの。つまり、テレビ局は清原逮捕直前まで、彼をタレントとして起用していた。それら番組担当者は清原と面識があった。2015年以前に遡れば、清原は数え切れないほどのTV番組に出演している。このことから、清原とTV局関係者の接触はほぼ日常的にあった。換言すれば両者は同業者仲間、個人的付き合いがあったことは間違いない。

逮捕前の清原の様子を伝えるテレビ関係者は絶無

覚せい剤常用者に会ったからといって、その正体がわかるとは限らない(かもしれない)。清原はTV出演前には服用を済ましており、禁断症状を出すことはなかった(だろう)。だから清原の行動に不信を抱かなかった、という弁解が成り立たないわけではない。しかしながら、その噂が出たのが2年前。それ以降に奇行が続いたという報道が多い。最近、様子がおかしかったという関係者の発言も頻繁に出てきている。入手先については北関東とのことで、そこに週一回程度、車を飛ばしていたこともわかってきた。周囲の者、なかんずく、テレビ業界人は清原のこうした動向に気づかなかったのだろうか。

テレビのギャラは覚せい剤購入代金に消えた

繰り返すが、筆者が理解できないのは、テレビ局がなぜ、清原を逮捕直前まで起用し続けていたのか、ということ。TV局は清原の悪い噂についてはまったく無頓着で、レギュラーに起用していた番組もあった。単純にいえば、TV局が支払った清原へのギャラが、覚せい剤代金にまわったわけで、TV局は、覚せい剤供給者を、清原を媒介にして間接的に潤わせていたことになる。テレビ局は清原との関係について、きちんと説明すべきだ。

2016年2月5日金曜日

テレビ、「清原覚せい剤報道」のくだらなさ

清原逮捕は「甘利隠し」?

元プロ野球選手、清原和博が覚せい剤取締法違反の疑いで現行犯逮捕された。清原が覚せい剤をやっているという週刊誌報道があってから2年余り。この報道に特に驚きはなかった。というよりも、なんでいまごろ?という疑義すら生じた。「甘利隠し」「TPP隠し」「株価下落隠し」…政権にとって都合の悪い事象は、芸能ネタや民間企業の不正報道で民意をそらすのが現政権の常套手段。今回もその一環ではないかと。確かにその疑いは拭えない。株価下落で安倍政権が声高に叫ぶアベノミックスも風前の灯火、マイナス金利導入も効果なし。そこで民意をそらすため、手持ちのカードであるとっておきの一枚を当局にきらせたと。そのような推測はじゅうぶんすぎるくらい説得力をもっている。もしかしたらそうかもしれない。

「清原逮捕」はそれでも大事件

それはそれとして、それでも、清原逮捕は「大事件」だ。甲子園の大スター、日本プロ野球における輝かしい実績、「涙のドラフト事件」という物語性、独特の存在感、濃いキャラクター等々、プロ野球を引退したいまでも、彼は逮捕前まで、テレビというエンタメ業界のスターであり続けていた。その実績を遺産として、彼はエンタメ業界でじゅうぶん活躍できた。プロ野球業界に復帰すれば、解説者、コーチ、監督、リポーター・・・なんでもできた(はず)。凡人からすれば、なんとももったいない、あれだけの才能があり、いい仕事を成し遂げながら、晩節をこうまで汚さなければならなかったのか――理解に苦しむばかりだ。

手持ちの映像でお茶を濁すテレビ

であるがゆえに、テレビの清原覚せい剤報道は情けない。テレビ局にしてみれば、清原の映像はいくらでもある。清原を知るプロ野球業界人(元選手、監督、コーチ…)はいくらでもいる。だから、本件のテレビ報道は、清原の現役時代の映像(ホームランを打った場面等、涙のドラフト…)や、彼の同僚、友人(桑田真澄、佐々木主浩…)、OB(王貞治…)のコメントばかり。しかも、それがどの局でも使われていて、まるで代わり映えしない。テレビ局とはまったく情けない存在というほかない。

逮捕前まで一緒に仕事をしていたテレビ局の人間は清原をどう見ていたのか?

前出のとおり、元プロ野球かつ現エンタメ業界の大スターである清原和博が、なぜ、覚せい剤におぼれたのか、そこが最大のポイントだ。清原を“知る人”にコメントをもらうのならば、“かつての”ではなく“いま”の清原を知る人でなければ意味がない。その人とは、清原と現に親交があり、彼がどのような生活をしていたかを知る人ということだ。

彼が最近まで飲みに行っていた飲食・接客業者、ゴルフ仲間、飲み仲間、仕事仲間…なんでもいい。彼の周辺の者がどのように清原を見ていたのかが明らかになれば、清原がなぜ覚せい剤なのか――という疑問の一端を知ることができる。知名度が抜群で豊富な資金力、多数の人材を擁したテレビ局ならば、それくらいの取材は朝飯前のはずだ。

仕事仲間といえば、当然、テレビ局の人間も入る。逮捕前まで清原と仕事をしていたテレビ局の人間は、清原の動向をどう見ていたのか。

エンタメ業界における危険薬物使用者一覧

芸能業界、プロスポーツ業界における危険薬物等に係る犯罪は少ないとはいえない。ウエブサイトの『NEVERまとめ』によると、覚せい剤関連の主な逮捕者は、高部あい(2015)、ASKA(14)、酒井法子(09)、槇原敬之(1999)、清水健太郎(83、86、94、04、10)、小向美奈子(09)、岩城滉一(97)、中村耕一元・J-WALK(97、10)、赤坂晃光・GENJI(07、09)、大森隆志元・サザンオールスターズ(06)、加勢大周(08)、西川隆宏・元DREAMS COME TRUE(02)、尾崎豊(87)、江夏豊(93)、ミッキー吉野・ゴダイゴ(92)、田代まさし(00、01、04、10)、野村貴仁・元巨人ほか(06)。

同じく大麻では、内田裕也(77)、萩原健一(83)、桑名正博(77、81)、長淵剛(95)、美川憲一(77、84)、錦野旦(77)、カルーセル真紀(01)、井上陽水(77)、研ナオコ(77)、といった具合だ。
※(  )内は逮捕された年

大麻から覚せい剤へ

概ね1970~80年代が「大麻の時代」、そして90年代から2000年代以降は「覚せい剤の時代」といえる。覚せい剤において、再犯率が高くなることもわかる。大麻に比べて依存性が高く危険な覚せい剤の使用が増加しているということは、いかにも不気味。この傾向はおそらく、社会全体の傾向に敷衍できるのではないか。

当然のことながら、清原逮捕事件からテレビ局が取材、報道すべき展開は、エンタメ業界のスターたちが危険薬物に手を染める要因を明らかにすることだ。その入手先、人脈、売人との接触場所などを取材しなければいけない。テレビ局ほどの情報収集力ならば、逮捕から数時間も要することなくその現場に到達できるだろう。しかも、エンタメ業のテレビ局は、前出の逮捕された芸能人、元プロスポーツ選手と同じ業界人。いわば同業仲間同士なのだから、その生態に詳しいはずだ。

テレビは清原、清原と騒ぐだけ

なぜテレビは、芸能人等の麻薬関連の事件において、浅い報道しかしないのだろうか。だれもが疑問に思う部分に手を付けないのだろうか。テレビが覚せい剤を止められとはいわない。そんな期待はしない。けれど、犯罪を報道するのならば、社会性をもたなければいけない。騒ぐだけなら、バ○でもできる。テレビ局に知性はないのか。

2016年1月31日日曜日

谷中の火事!

本日午前10時少し前、拙宅裏手墓地を挟んだ民家から出火。

およそ30分後、消防により鎮火した。

その模様を拙宅ベランダより写真撮影した。

拙宅裏手の古い民家から突然出火

およそ30分後、鎮火

現場検証



谷中の火事!

本日午前10時少し前、拙宅裏手墓地を挟んだ民家から出火。

その30分後に消防により鎮火した。

その模様を拙宅ベランダより写真撮影した。

突然、古い民家が炎を上げて燃え上がった

火はおよそ30分後に消えた

消防による、鎮火後の現場検証






2016年1月24日日曜日

『フランシス子へ』

●吉本隆明〔著〕 ●講談社 ●1200円+税

日本の思想史に燦然と輝く巨星・吉本隆明(1924-2012)。その死の3カ月前、吉本の最愛の猫フランシス子が死んだ。「僕よりはるかに長生きすると思っていた猫が、僕より先に逝ってしまった」(P3)。フランシス子という名前は吉本の次女・ばなながつけた。一時ばななに引取られたのだが、馴染まず、吉本のもとに戻ってきたという。

この猫とはあの世でもいっしょだなという気持ちになった

吉本が愛したフランシス子への慈しみの感情が溢れんばかり語られている。少しだけ紹介しておこう。

平凡きわまる平凡猫だっていえば、それが当りまえだっていう気がします。
(略)
だけど、僕とは相性がよかった。
(略)ぼんやり猫だったけど、そのぼんやり加減が僕とはウマがあった。(P10-11)
猫というのは本当に不思議なもんです。
猫にしかない、独特の魅力があるんです。
それはなにかっていったら、(略)自分の「うつし」がそこにあるっていうあの感じ・・・(P20)
死ぬ前の3日間くらいは僕の枕元であごのところや腕のところを枕にして、かたときも離れませんでした。
(略)
・・・この猫とはあの世でもいっしょだなという気持ちになった。・・・きっと僕があの世に行っても、僕のそばを離れないで、浜辺なんかでいっしょにあそんでいるんだろうなあって。(P22-23)

猫好きの者ならば、じゅうぶん了解できる思いである。とりわけ、“この猫とはあの世でもいっしょだなという気持ちになった”という言葉はいい。筆者も猫を飼っているけれど、あの世まで一緒だとは思ったことがない。

猫が自分の「うつし」とは?

フランシス子は、「毛が薄くて、触るとあばら骨の感じがわかるみたいな、痩せた印象」(P9)の猫だったらしい。前出の「うつし」というのは外見ではなく内面的なものをいうのだろうけれど、吉本本人が「(フランシス子の)痩せた体も、面長な顔も、自分とそっくりだという気がしないでもない」(P16)と外見が似ていることを認めている。

筆者は吉本と面識はないが、二度、見たことがある。最初は学生時代、某大学の大講堂で、吉本の講演会の聴講者の一人としてであった。そのときは演壇との距離が相当あったので、表情すらよくわからなかった。けれど、遠目ながらもずいぶんと痩せていて小さな人だなという印象をもった。

2度目は20年位前、暗黒舞踏家・土方巽(1928-1986)が開設したアスベスト館(2003年に閉館)のリニューアルオープンのイベントだった。吉本は中上健二と対談をした。筆者は取材の仕事だった。質問の時間もなく、黙って二人の語りを聴くだけだったのだけれど、そのときはずいぶんと至近距離で吉本を見ることができた。吉本は土方巽を評して、“土方は胎児の身体の縮み具合や、日本の農民の湾曲した脚や腰を舞踏にとりこんでいて、それは西欧近代が求めた機能的で美しい理想の身体と対極をなす”というようなことを発言したように記憶している。吉本の印象は最初のときと変わらず、やはり、痩せて小さな人だなと思った。

この吉本の「痩せている」という印象は、谷川雁が著した『庶民・吉本隆明』のなかの一節、「蝶ネクタイなど逆立ちしてもうまくない貧乏性の世代があるものだ。その貧乏な世代の貧乏神が吉本だ・・(こっち=谷川雁は)なんとかして馬小屋のかたすみで絢爛たる交響曲でも聞いてみようと苦心しているのに、妙に節くれだったやつが門口にあらわれて、棟つづきの隣家のことをわめいたり、おまえらのやっていることは幻想だとぶつくさいったりする」であるとか、「彼(吉本隆明)の文章たるや陰気で皮くさくて骨っぽくて・・・」といった辛辣な表現の影響かもしれない。とまれ、吉本の外見からは「痩せた、骨ばった」という印象が拭いきれない。

とにかく吉本は猫を愛したようだ。猫といえば直観的で、「理屈どおりいかないんですよ、猫は」(P15)といいながら・・・

夢の中のような、詩うような語り口

本書は、▽本題のとおりの愛猫フランシス子について、▽同志、村上一郎への思いから始まる戦中派論、▽ホトトギスをめぐる実在の確認の困難性について、▽親鸞について――のパートに区分される。しかし、本書ではそれらがとりとめのない吉本の語りの調子で流れていく。その流れは雑然としたものであって、もちろん論理的関連はない。

というのは、本書はもともと『十五歳の寺子屋 ひとり』という4人の男の子女の子が吉本隆明の話を聞くという出版社の企画のなかで実現したものだからだという(P120/「吉本さんへ あとがきにかえて」瀧晴巳)。あとがきを書いた瀧晴巳は、吉本の語りを本にまとめたライターである。

15歳の少年少女に村上一郎の自害の話はきついとは思うものの、そのとりとめのなさ、雑然とした流れが晩年の吉本の姿を再現するような臨場感を読む側に伝える。本書末に吉本の長女・ハルノ宵子が「瀧さんの文章は、あの頃の父の夢の中のような、詩うような語り口がよく再現されている」と評している。むべなるかな。

2016年1月21日木曜日

2016年1月17日日曜日

『老人と猫』

●ニルス・ウッデンベリ〔著〕●アーネ・グスタフソン〔イラスト〕●エクスナレッジ●1600円+税

著者(ニルス・ウッデンベリ)がどのような人物なのか、筆者は全く知識を持っていない。カバー折り返しにある著者略歴及び本文によると、医師免許を持ち、心理学と生命観における実践的研究の教鞭を執っている、スウエーデン人の大学教授とのこと。本書から、著者(ウッデンベリ)が自然科学のみならず、文学・歴史等に関しても深い教養をもった人物であることがうかがえる。

日本においても猫好きの知識人、文化人は数多い。夏目漱石、内田百閒、吉本隆明を浅学な筆者でも挙げることができる。本書では西欧のそれとして、T・S・エリオット、ジャン・コクトー、ドリス・レッシング(ノーベル文学賞受賞者)が紹介されているが、ほかにも多くの猫好き知識人、文化人がいるに違いない。

猫好きは知識人に限られるわけではない。筆者のような凡人にも猫は愛されていて、かくいう筆者も猫を2匹飼っている。だから、著者(ウッデンベリ)の猫に対する思いや描写については共感できる部分も多い一方、これはちょっと思い込みが強すぎるのではという部分もある。

猫は突然、家にやってくる

猫に関する著者(ウッデンベリ)と筆者の具体的な違いの一つは、飼っている環境である。前者は北欧の都会の真ん中に居を構えているとはいえ、あたりは自然に恵まれ、その中で放し飼い状態のようだ。広大な庭を舞台として、野ネズミを捕ったり野鳥を追いかけたり、木に登ったりしたあと、ねぐらと餌と飼い主のぬくもりを求めて家に帰ってくる。まったくもって、自由奔放な暮らしぶりだ。一方の筆者の猫たちは東京・下町のたいして広くないマンション暮らし。筆者の猫たちは家の外に出たことがない。

二番目は猫との出会いの仕方である。前者の場合は、猫が突然やってきて、“私(猫)、あなたに飼われることに決めました”とでもいうように、庭にある小屋で暮らし始めたという。寒い北欧の冬を迎え、著者(ウッデンベリ)は猫を家に入れ、キティと名付け、食事を与え・・・と、だんだんと猫と抜き差しならぬ関係を築いていく。大雑把にいえば、本書は猫に篭絡された知識人の思いの数々ということになる。
わが家の猫

筆者の場合は、家内が突然、どこからか子猫1匹を家に持ち込んだのだ。カフカ流に記せば、“ある日、帰宅すると家の中に猫がいた”。2匹目も同様に、1匹目の猫の登場から数日後に私のもとにやってきたのである。同様に記せば、“1匹目の猫がやってきてから数日後、ご婦人2人が1匹の猫を連れて家にやってきて、私に猫面接試験を受けさせ、2人が「OK」を出した結果、2匹目の猫との同居が決まった”といった次第。これらの「猫事件」は2011年のことだから、筆者の猫歴ははや5年目にならんとしている。

「猫は飼わない」はずが猫好きに

共通点もある。著者(ウッデンベリ)も筆者も猫を飼う気がなかったこと。前出のとおり、著者(ウッデンベリ)と筆者の猫との出会いは全く異なるのだが、猫を飼うきっかけは、偶然というか他動的だった。著者(ウッデンベリ)も筆者も猫に限らず、(動物を飼うことは)「責任を伴う」し、「旅行に行けなくなる」し、「死んだらペットロス」に陥るから絶対に飼わない、と決めていた。それだけではない。著者(ウッデンベリ)も筆者も幼年期は動物好きで犬やいろいろな小動物を飼った経験をもっていること。それが、少年期から思春期にかけて、“動物はもう一切飼わない”と決心したこと。

猫と人間との関係の歴史

さて、前出のとおり、猫に対する考え方や思いに関しては、著者(ウッデンベリ)と筆者の間に違いもあれば、同意するところもある。猫の神秘性、愛らしさ、不思議さ等については本書にてゆっくり味わっていただければよい。ただ本書の中で、筆者が著者(ウッデンベリ)の「猫論」にもっとも敬服した点があり、ぜひとも紹介したい。それは猫と人間の関係に係る考察である。著者(ウッデンベリ)によると、一般に猫が人間に愛される存在となったのは、西欧においては現代になってからだという。著者(ウッデンベリ)が主張する猫と人間の関係の歴史について以下に概略を示そう。

  • 猫はアフリカのどこかを原産地として誕生し、自然の中で小動物等を捕獲して生きていた時代
  • 人間の自然界への進出に伴い、猫の餌となっていた小動物は減少。その代り、人間が暮らす場所の周辺に鼠等の小動物が増加。猫は人間が貯蔵する穀物に集まる小動物を目当てに、人間界と接触を深めた(人間も猫が害獣を駆逐する益獣と認識する=猫の半分家畜化・半分野生猫化)時代

猫は野生及び半家畜状態で生きてきた時代が圧倒的に長かったのである。


西欧社会では18世紀まで猫は危険視され、「勤勉」な犬が尊重されていた

このような時代を経て、現代、世界中で猫が人間の身近な存在となったのだが、それまでの西欧では、猫は危険視される存在だったという。動物学者のカール・フォン・リンネ(1707-1778)すら「猫とベッドで寝ると人間は必ず病気になる」と評したというし、1800年代においても、「猫は鼠を捕る以外は害獣」だと動物学者のスヴェン・ニルソンは記したそうだ。そのニルソンは、「家猫によって、数匹の子羊が殺された」「ゆりかごで寝ていた赤ん坊が猫に殺された」「猫が老人を襲って大怪我を負わせた」という「事例」を紹介しているという。

この時代(1800年代)、動物の行動に道徳的意味をもたせたわけである。人間界にもっとも身近な生物は犬と猫である。犬は狩猟、牧畜、警護、愛玩・・・と、人間に無限に奉仕する。ところが猫は鼠を駆除するが、それ以外はマイペースである。勤勉な犬が尊重され、怠惰な猫は嫌われた。犬の忠実さ、人間のすべての要求に従う性格が評価されたわけだ。

20世紀初頭、自由と反抗のシンボルとして「猫派」が台頭

しかし1900年代初頭、猫に対する認識に大転換がおとずれる。著者(ウッデンベリ)はジャン・コクトー(1889-1963)がいったとされる「犬より猫の方が好きなのは警察猫というものがないからにすぎない」という言説を引用し、自由で社会的地位に無関心で反逆をよしとするインテリ層に、猫はじょじょに支持されるようになった、と説明する。

現代日本においても、自由で束縛を嫌う猫は、集団に対する帰属意識が強く人間に忠実な犬に比して、その手の人間に強く支持されている。いわゆる「猫派」と「犬派」の対立である。社会的に成功した人の多くは、勤勉(そう)に人間に尽くす犬を尊重する。そのような人は、自分に忠実な犬の行動に対して、自分に服従して仕事をこなす部下の姿を重ね合わせているかもしれない。絶対的に信頼できる犬こそが最善の友(ペット)なのだ。

一方、社会的帰属意識が薄く、自由で反抗的で孤独を好む人々にとっては、猫の勝手かつ気儘な性格や、単独行動を好み、怠惰を旨とするその姿に自分を重ね合わせようとする。猫のように生きたいと。それが「猫派」の心情である。

けっきょく猫についてはわからないことだらけ

なるほど、目から鱗である。著者(ウッデンベリ)が展開する、猫が人類に愛される理由の解説は説得力が高い。このような解説に共感される人も少なくないだろう。しかし、猫が愛される理由は、その手の人間が多数派とはいわないながらも市民権を得たことによるのだろうか。猫と人間が接触したころから、人間は猫の愛らしさ、率直さ、両義的で不思議な魅力にとりつかれたのではないだろうか。それが猫の対人間に対する戦略だったのか、生来の性格なのかはわからない。猫について理論的に説明することは不可能なのだから。猫はなにもしゃべらないのだから。著者(ウッデンベリ)もそのことを強調する。その点を含め、読後の感想としては、著者(ウッデンベリ)に同志的共感を覚えずにはいられない。2人とも、猫にいとも簡単に篭絡された人間であることだけは確かであり、そこがかけがいのない共通項であり、多くの猫派の自覚だからである。

2016年1月13日水曜日

久々にトラットリアNOBI(千駄木)

今年に入ってからはもちろんのこと、しばらくぶりにNOBIさんでディナー。

ロースハム

つまみに最適なアスコラーナ

ピエドラと自家製ベーコンのパスタ

メーンはカモのソティー
※赤ワイン(デキャンタ)、デザート、コーヒーは写真省略

2016年1月11日月曜日

カルチョッフォとオリオ ディ オリーヴァ

イタリア・ミラノ在住のYさんが帰国のおり、拙宅に宿泊していった。

そのときのお土産がカルチョッフォ(アンティチョーク)とオリーブオイル。



2016年1月10日日曜日

『戦争の谺 軍国・皇国・神国のゆくえ』

●川村 湊〔著〕 ●白水社 ●2800円+税

昨年(2015年)は戦後70年に当たったため、アジア太平洋戦争及び戦後についての論文が各方面から多数発表された。加えて安倍政権が推し進めた臨戦態勢構築(安保法制)についての議論も国民的規模で噴出した。昨年は“戦争・戦後論”の花盛りの年となった。本書刊行もおそらく、その脈絡にあるのだろう。

本書巻末の初稿一覧によると、本書掲載論稿は、著者(川村湊)が1996~2006年にわたって著したものの集成である。内容としては、▽敗戦直後論、▽戦中論、▽戦後論、▽戦争(戦中・戦後)文学論――に分類される。(※各稿タイトルは本文末目次に掲出)

〝70年余の戦争の時代″と〝70年の「平和」の時代″

わが国の対外戦争の発生を歴史年表で調べると、明治維新(1868年)以降に頻発することは小学生でも知っている。それ以前の対外戦争といえば、豊臣政権が朝鮮等に出兵した「文禄・慶長の役」(1592-1593、1597-1598)、そして、元寇(モンゴル軍来襲)とよばれる文永の役(1274)、弘安の役(1281)まで遡る。

明治維新前、日本はおよそ600年間に2度の対外戦争しか行っていなかったのだが、明治維新以降、▽日清戦争(1894-1895)、▽日露戦争(1904-1905)、▽第一次世界大戦(1914-1918)、▽シベリア出兵(=ロシア革命干渉/1918-1922)、▽アジア太平洋戦争(日中戦争/1937-1945、太平洋戦争/1941-1945)と戦争を常態化させた。しかもその間、日韓併合、台湾統治といった、近隣諸国に対する植民地支配も行った。

とまれ1945年8月、日本は連合国に無条件降伏する形で終戦を迎え、以来70年間、「平和」状態を継続させ今日に至る。およそ400年間の「平和」の時代、維新から77年間の戦争の時代、そして、アジア太平洋戦争敗戦から70年間の「平和」の時代を経て、日本はこの先どうなるのだろうか――という素朴な疑問を抱えつつ本書を読んでいった結果、おぼろげながら、その答えが見えてきた。その答えは、かなり悲観的なものだったのだが――その理由については後述する。

間違って生きたのか、なにも変わらずに生きたのか

本書の書評としては、池田浩士の「運命と定めて責任問わず」(東京新聞書評欄/2015年11月22日)が、管見の限り最も的確なものの一つだと思われる。「私たちは戦後を間違って生きてしまったのではないか? これが、本書を貫いて流れる基本的テーマだ」と、池田はいう。

本書に係るこの言説は、1868年以降の日本の戦争の時代(77年間)と1945年以降の敗戦後の時代(70年間)をふり返った時、そこにいかなる連続性と非連続性(断絶)が見て取れるのか――と換言できる。池田浩士のいうように、“間違って生きてしまった”のか、それとも“変わらずに生きてしまった”のか。池田浩士がいうように前者ならば、選択を誤った結果という自覚性が認められ、多少の救いが見いだせる。だが、後者ならば、戦争も戦後も自然過程にあり、この先永遠にアジア・太平洋戦争に係る反省、否定の契機を失ったまま、すべてが肯定されて日本人は生きることになる。日本史における、戦前、戦争、植民地支配、敗戦、平和、天皇制ファシズム、戦後民主主義・・・そして、生と死すらも〈自然〉に溶解する。先に悲観的な見通しと述べた所以はそこにある。

本書の最初の論稿(「トカトントン」と「ピカドン」)には、以下のとおりショッキングな事実が書かれている。

栗原貞子は書いている。「占領下の21年8月6日、『原爆を忘れて復興しよう』と被爆者の苦しみや遺族の悲しみをよそに、どのような乱痴気騒ぎが行われたか。町内会はシャギリ、山車、俵もみ、仮装行列などを行って『ピカッと光った原子のたまにヨイヤサーとんで上った平和の鳩よ』と3日間踊って歌ったのである。
まだ、瓦礫と焦土のままのヒロシマの街に、花電車が走り、山車が繰り出され、仮装行列が練り歩いて歌って踊ったというのは、何か悪夢のなかの幻想の出来事のようにも思えるが、事実だった。(略)原子爆弾という「人類最終兵器」が、「世界平和恒久平和」を作り出すというマジック。しかし、あろうことか、広島の生き残った市民たち(日本人たち)は、そうしたアメリカと日本の支配層が共同製作した大マジックに拍手喝さいを送ったのである。(P14~15)

米国(軍)によるヒロシマへの原爆投下は、大量殺戮であり戦争犯罪である。当時の広島市の人口35万人のうち9万~16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡したという(「WikiPedia」より)。米国が自らの犯罪を隠蔽し合理化しようとも、日本人ならば永遠に、原爆投下した米国に対する憎悪を拭い去ることはできないはずだ。しかし、著者(川村湊)の驚きのとおり、広島市民は、原子爆弾を、平和を作り出した“原子のタマ”として崇めたのだ。

この驚きの行動を解明するカギは、第一に、戦争責任を回避する思考回路であり、第二に、戦争を〈自然〉と同一視する日本人の戦争観である。これらが自らの戦争責任及び戦勝国米国の戦争犯罪を追及する姿勢を去勢してしまった。

日本人にとって戦争・敗戦とはなんだったのか

著者(川村湊)は本書「ああ、長崎の鐘が鳴る」において、キリスト教信仰と天皇崇拝を融合させた戦前派クリスチャンの永井隆の著作にふれて次のように書いている。

天皇も国民も、等しく戦争の犠牲者なのであり、国民の苦難と苦痛を天皇も共にしている。国民に、今回の戦争を引き起こした責任がないとしたら、天皇にもそれはないのであり、あるとしたら、それは国民みんなにもあるのだ。それが「一億総懺悔」という現象の底にある思想にほかならない。
それは昭和天皇やその側近としての官僚、そして軍人・政治家・産業人たちを免責し、免罪する根拠として存在する。昭和天皇の「人間宣言」のなかにある「朕(=天皇)と爾等(=国民)」の〝麗しい″関係は、昭和天皇までも「戦争犠牲者」として規定し、その戦争責任を免責するという永井隆のような「現人神」観に基礎を据えられていた。(P48)

著者(川村湊)は、本書「戦後文学者のアジア体験」において、文芸評論家の井口時男が、“『黒い雨』は井伏鱒二の最大の天地異変小説である”という断言を受けて、被爆小説として高名なこの文学作品について次のように書いている。

「黒い雨」の場合、天地異変は、世界を地平から横殴りに照らし出した一瞬の強烈な光と爆音爆風、広島上空にむくむくとたちのぼった巨大なキノコのような、あるいはクラゲのような奇怪な形の雲、そして雷鳴響く黒雲の下の黒い雨の夕立、としてあらわれる。
(略)
「天地異変」であり、「怪物」であるようなもの。これが広島の「非戦闘員」の庶民たちが受け止めた「原子爆弾」についての、きわめて優れた文学的描写であることは間違いないが、それがまた総力戦に巻き込まれた日本の国民たちの戦争に対するとらえ方の「限界」であることを示している。
(略)
・・・もちろん、「戦争」は「天変地異」の出来事であったとしても、天災そのものではない。それは自然災害のようにやむをえないものではなく、人為的に、人工的に引き起こされる災害であり、「原爆投下」のように明らかにそれに関与し、決定し、実行した人間がいる「人災」なのである。(P262-263)

このような日本人の態度は、3.11と同時並行して勃発した福島原発事故に対するそれに通じている。3.11は大地震及びそれによって引き起こされた大津波自然災害であるが、福島原発事故は明らかに人災であり、電力会社及びそれを監督する政府の防災対策におけるミスから発生した。ところが、政府及び電力会社はその責任を問われることがない。マスメディアも自然災害のごとく報道し、国民もそれらを容認している。

戦後の「歪み」と「ねじれ」の淵源

著者(川村湊)は日本の戦後体制に係る結論を次のように書いている。

戦争は、第一義的には交戦権をもち、宣戦布告ができる者、それをした者が全責任を負うべきものである。だが、日本の戦後はその最高責任者を、すなわち昭和天皇裕仁を免責することから始まった。連合国側に「国体護持」の条件を受け入れさせようとして、いかに「無条件降伏」の受諾を悪足掻き的に遅らせたか。もし、日本の戦後社会に「歪み」や「ねじれ」といったものがあるとすれば、その淵源はそこにあるはずだ。戦争の幕を上げ、戦争の幕を引いた者に「戦争責任」がないのだとしたら、その上意下達の軍隊組織における絶対的な命令により、そして、その下賜された武器によって戦争を行った者たちに、責任や罪責など生じようもないのである。戦後の「無責任体制」の「ねじれ」や「歪み」を象徴しているのは、まさにこうした最高責任者としての昭和天皇が免責されるという、超法規的な時代・社会の出発点にあるのである。(P298)

著者(川村湊)が下した結論に同意する。そのとおりだと思う。ただ戦争直後、天皇を免罪することで自らを免罪することにした――というのは、疲弊した敗戦国民の主体的かつ選択的行為だったのだろうか。

戦後すぐの天皇の「人間宣言」、平和憲法制定等の民主化路線については、米国(GHQ)と日本の戦後体制を率いた政治勢力との間における利害関係の共有の結果、すなわち、巧みな占領政策としての性格が色濃い。日本国民を支配しコントロールするツールとして、(人間)天皇制度と戦後民主主義を合体させて機能させることが必要だった。そしていまなお、日本国は占領軍(米国)とそれに従属する勢力のコントロール下にある。その一方、それを下支えしているのが、日本国民が戦前から不変に維持するメンタリティーである。

日本国民の不変のメンタリティーとは、戦争中、「一億一心」「進め一億火の玉だ」「進め一億」「一億玉砕」を叫び、戦後は、「一億総懺悔」「一億総白痴化」を経て、戦後70年の昨年(2015)には、「一億総活躍」が安倍内閣の経済政策(アベノミックス「新三本の矢」)として提唱されている。言葉尻ではなく、「一億」で国民を一律に束ねたい安倍政権の政治姿勢を積極的に批判する国民世論が湧きあがらない。

「一億・・・」に代表される全体主義、前出のとおり、戦争をも〈自然〉に韜晦させてしまうロマン主義、そしてそれらの頂点に君臨する天皇制度――これら「三本の矢」が、日本の戦前、戦中、戦後を通貫している。そしていま、日本(人)は確実に、新たな戦争に向けて歩を進めている。

本書本題は『戦争の谺』とある。谺とは音や声が山や谷などの側面にぶつかって跳ね返って聞こえる現象をいう。この現象を媒介するのは木に宿る霊、木の精霊だという。日本において、戦争を媒介するのが日本人にとりついた全体主義、ロマン主義、天皇崇拝の霊ならば、それらを除霊する思想的営為こそが国民一人一人に求められている。

〔目次〕
Ⅰ 「トカトントン」と「ピカドン」-復興ヒロシマ論
Ⅱ ああ、長崎の鐘が鳴る―復興ナガサキ論
Ⅲ 沖縄のユーリー-敗戦後オキナワ論
Ⅳ 「鬼畜米英」論
Ⅴ 「八紘一宇」論
Ⅵ 天皇と植民地の子供たち
Ⅶ 天皇とセヴンティーン
Ⅷ 国家は鎮護することができない
Ⅸ ゴジラが来た!
Ⅹ 戦後文学者のアジア体験
Ⅺ 事変化の“戦争文学”
Ⅻ 軍旗と勲章

2016年1月6日水曜日

新年会

学生時代からの友人と拙宅にて新年会。

一年に一度会うかどうかという関係だが、疎遠という気がしない。


原発被害アピールのウエアに身を包むY君

2016年1月5日火曜日

寺町(谷中)の正月

谷中は寺町であって、仏教において新年は格別なものではない。

とはいえ、各寺院は新年の装いをこらす。




新年とは無関係

2016年1月4日月曜日

寺町(谷中)の正月





初詣 2016(諏方神社)






2016年1月1日金曜日

Happy New Year 2016

新年あけましておめでとうございます。

元旦の朝のささやかな食卓。

今年が良い年でありますように。