(その2)必ずしも寝やすいところで寝るわけではない
(その3)アニエス・ベーのトートバッグにラブラブ
いま世界で進行している出来事は、単なる新自由主義や社会主義を超えた、ポスト資本主義の新しい枠組み、「コーポラティズム」(政治と企業の癒着主義)にほかならない。(略)本書にはコーポラティズムに基づいて、多国籍企業がアメリカ政府に働きかけた規制緩和及び規制の数々の「成果」事例が紹介されている。たとえば、遺伝子組み換え作物(GM作物)に関する法規制をアメリカ国内において換骨奪胎させる手口だ。開発企業を守るため、規制緩和と称して、GM作物の表示義務を撤廃する一方、一般の科学者がGM種子を実験に使用することですら、特許法を盾に許可されない。開発企業に不利な表示義務は、規制緩和の名の下に撤廃され、また、開発企業にとって不利となる実験行為等は、特許という法規制によって守られる。消費者の選択する権利は規制緩和によって奪われ、GM作物の安全性を解明しようとする科学的行為は特許法という合法によって阻止される。これがアメリカ流の「新自由主義」の実態だ。どこに「自由」があるというのだ。
グローバリゼーションと技術革命によって、・・・無国籍化した顔のない「1%」とその他の「99%」という二極化が、いま世界中に広がっている。
巨大化して法の縛りが邪魔になった多国籍企業は、やがて効率化と拝金主義を公共に持ち込み、国民の税金である公的予算を民間企業に移譲する新しい形態へと進化した。ロビイスト集団が、クライアントである食産複合体、医産複合体、軍産複合体、刑産複合体、教産複合体、石油、メディア、金融などの業界代理として政府関係者に働きかけ、献金や天下りと引きかえに、企業寄りの法改正で、“障害”を取り除いてゆく。
コーポラティズムの最大の特徴は、国民の主権が軍事力や暴力ではなく、不適切な形で政治と癒着した企業群によって、合法的に奪われることだろう。(P274)
これ(=ISD条項)はたとえば韓国に投資したアメリカの投資家や企業が、韓国の国内政策によって経済的に損害を被るかその恐れがある際に、世界銀行傘下の国際投資紛争仲裁センターに提訴できるという内容だ。世界銀行はアメリカ支配が最も強く、裁判は密室で行われ上訴は不可、そして判決の基準は公益ではなく、「投資家にとって不利益があったかどうか」になる。(P160)アメリカがTPPを積極的に推進しようとする背景には、世界最大規模の市場であるEC内においては、アメリカを本籍とする多国籍企業が思うとおりの経済活動ができない実態があるためではないか。ECは、社民主義の伝統が根強く、アジア・太平洋地域よりも厳しい経済規制をしいている。アメリカ政府は、人口増及び経済成長を続けるものの、ECに比べて社会の成熟度が低いアジア・太平洋圏の経済支配を狙って、TPPを梃にした外交を展開しようとしているように思える。そのことは無論、多国籍企業の意に沿ったものだ。TPPの恐怖はそこにもある。
オバマ大統領は今回新しく、議会の承認が不要なUSDA(合衆国農務省)直属機関である食糧農業国立研究所を政府内に設立、所長にはモンサント社が出資するダンフォース・プラント科学センターのセンター長だったロジャー・ビーチを指名した。ビーチは大統領選挙の際、オバマ陣営の選挙資金に大きく貢献した一人だ。「TPPのことはわからない」のではない。本書のこのくだりを読めば、多少の想像力を働かすまでもなく、TPPとは、アメリカを本籍とするバイオ関連の多国籍企業による、世界的規模の農業・穀物支配戦略の一環であることが明白となろう。ではなぜ、日本のマスメディアは、このくらいのアメリカ政府のTPPシフト人事について報道しないのだろうか。
TPP交渉における要職である、USTR(合衆国通商代表部)農業交渉主任には、以前クリントン政権下のUSDAでバイオテクノロジーを推進したイスラム・シディキが任命された。彼は世界の農薬市場の四分の三を占めるモンサント他五社を代表するロビー団体「クロップ・ライフ・アメリカ」の副社長でもある。
USDA総合担当弁護士にはラモーナ・ロメロ。モンサント社についで世界トップの農薬・種子企業デュポン社の元顧問弁護士だ。
最高裁判所の裁判官には、GM小麦アルファルファと有機農家が戦った訴訟で、モンサント社側の弁護士を務めたエレナ・カーデンが選ばれた。
モンサント社といくつもの共同事業を進めるバイオテクノロジー研究の「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」で農業開発管理者だったラジプ・シャアは、オバマ大統領によってUSDA教育研究所次官に指名されている。(P81~82)
「レーガン政権のEPA(合衆国環境保護庁)長官とFDA(合衆国食品医薬品局)長官は、どちらもモンサント社の役員でしたし、ブッシュ政権のアン・ベネマン農務長官は元バイオ企業役員でした。クリントン政権の通商代表は元モンサント社の役員、内政アドバイザーとFDA局局長代理はその後モンサント社の役員と子会社役員にそれぞれ就任しています。こうして挙げていけばきりがありませんが、アメリカの食に関する規制緩和が、信じられないようなスピードで進められていった背景には、こうした政府と業界の癒着があったのです」前出のとおり、アメリカは変わった――にもかかわらず、アメリカ国民はそのことを知らない。そして、アメリカで起こったことが、いま日本に起こりつつある。もちろん、日本国民もそのことに気づくことがない。
「国民はこうした変化に気がついていたのでしょうか」
「・・・未だに多くの国民は、こうした事実を知りません。彼らにとって、FDAやEPA、USDA神話は、まだ強固なままなのです」
「それはどんなイメージですか」
「自分たちの食の安全や、環境と農業を誠実に守ってくれる政府の専門機関。FDAはアメリカ国民にとって最も信頼される機関の一つだと言われ、諸外国からも信用されています。近年大きなブームとなっているオーガニック食品は、USDAの認証ラベルがひとつの安心めやすになっていますからね」
かつてリンカーン大統領は、国民のいのちの元である食を守る「人民の省」としてUSDAを設立した。そのイメージは、今も消えていないのだ。
「こうなった原因はどこにあると思われますか」
「独占禁止法の規制緩和と寡占化で企業規模が大きくなりすぎたこと、そこに1999年の〈グラススティーガル法(金融規制法)〉撤廃が想像を超えた儲け方を可能にしてしまった。勝ち組になったウォール街と企業がタッグを組んで、途方もない資金力でマスコミや政府を買うようになってしまったのです」
「国民の多くが知らないうちにですか」
「大半は何が起こっているのかさっぱりわかっていないでしょう。国民が法律そのものに関心をまったく払わないことに加えて、企業はその資金力で政府だけでなく、必ずマスコミも一緒に押さえるからです。こうすれば国民に気づかれずに都合のいい法改正を行える。一日の平均視聴時間が8時間以上のテレビ社会アメリカでは、国民の思考は番組制作者が形成するのです」(P83~84)
80年代から加速した規制緩和と民営化、垂直統合、政府・企業間の回転ドア、ALEC(米国立法交流評議会)、そして市民連合判決といった動きが、アメリカを統治政治から金権政治へと変えていった。寡占化によって巨大化した多国籍企業は、立法府を買い、選挙を買い、マスメディアを買うことでさらに効率よくその規模を広げてゆく。アメリカの二大政党制は――繰り返し述べることになるが――マスメディア、とりわけ大手テレビ局がつくりあげたイメージの産物でしかない。民主党もしくは共和党のどちらの候補者が大統領になっても、多国籍企業、投資家・株主、一部のIT企業といった「1%」の側の利益となる政策が遂行されるだけだ。
「最大の問題は、こうした動きが国民の知らないところでスピードを上げていることです」そう言うのは、2010年の中間選挙でカリフォルニア州の第三党から州議会議員に立候補したジル・スタインだ。
「大企業は吸収や合併を繰り返し巨大化するにつれ、無駄がなくシステマティックになってゆきます。この動きは年々加速しているにもかかわらず、あまりに洗練されているので国民の意識がついていけない。その時差をマスコミがさらに利用するのです」
「どんなふうに利用するのでしょうか」
「たとえば、選挙の時期になるたびに、マスコミはこの国にまだ二大政党制が機能しているかのようなイメージを振りまいてきました。保守対リベラル、共和党対民主党、赤い州対青い州、といった具合です。大衆は分かりやすい構図を好みますし、CMも二つの対立軸を煽るように作られている。国民を高揚させるようにデザインされているのです」
「そのことの弊害とは何でしょうか」
「国民がマスコミと政治家によって見せられるイメージと、実際に起きていることのギャップの大きさです。2012年の大統領選挙では、「1%」の代表であるロムニーが金権政治の象徴で、オバマがその逆であるかのようなイメージが、テレビ画面を通じてリベラル派の間に広がりました。反ロムニー感情を煽られたリベラル派の多くは、あっという間に忘れてしまったのです。オバマ大統領が2008年に就任した直後に、いったい国民の税金を何に使ったのかを」
2008年、政治資金監視団体の「オープン・シークレット(Open Secrets.Org)」は、オバマ大統領が公的資金注入を実施した大手保険企業であるAIG社から、選挙の際に10万4332ドル(約1043万円)の献金を受け取っていた事実を公表している。
「税金から1730億ドル(約17兆円)もの公的資金を受けて経営破綻を逃れたAIGは、その後幹部に1億6500万ドル(約165億円)、従業員に2億3000ドル(約230億円)のボーナスを支払い、国民の怒りを買いました。国内の失業率が10%を超えているのに、救済金は一般市民や中小企業ではなく金融機関幹部に流れた。その行く先はオバマ大統領の選挙スポンサーリストとピッタリ合っているのです」
たしかに政治献金の内訳を見ると、当選後の政策と明らかにリンクしているのが分かる。2008年のオバマへのトップ献金元リスト上位に並ぶのは大手金融機関だ。AIG社が受け取った公的資金の半分が流れた同社の大株主で最大債権者のゴールドマン・サックスは、オバマ献金リストの第二位にいる。(P234~236)
民主党大物OB 党再生に菅、野田氏ら「悪霊」の「除霊式」提案筆者も平野氏の見解に全面的に同意する。民主党政権と一口に括ることが多いが、政権奪取当時の小沢一郎幹事長及び鳩山由紀夫代表(首相)を執行部とする第1次民主党政権と、菅、野田が首相となった第2~3次民主党政権とは、その性格が水と油ほども違う。第1次民主党政権は、普天間移転問題で「県外」を掲げてマスコミに袋叩きにあい、さらに、政治資金問題に係る検察・マスコミのテロで倒壊してしまった。鳩山の場合は、実母からの政治資金提供疑惑、小沢の場合は「陸山会事件」である。その結果、小鳩はほどなく政界から事実上、追い出された形となって今日に至っている。
今回の参院選では27議席減、先の衆院選では174議席減という選挙結果が示す通り、民主党は堕ちるところまで堕ちた感がある。「もはや解党するしかない」という声も上がるが、ここまでくればもう守るものなんてない。ぜひ決死の覚悟で「再生プラン」をブチ上げていただきたい──。誠に僭越ながら、勝手に民主党再生プランを考えてみました。
同党の大OBである元参議院議員の平野貞夫氏が、愛憎込めて提言するのは「除霊式プラン」である。
「民主党が国民の信頼を取り戻せないのは、ひとえにマニフェストを反故にし、消費増税を決めた裏切り行為にある。主要政策のための予算16兆8000億円は“財源がない”ということになってしまったが、徹底した歳出見直しや埋蔵金探しをすれば必ず出たはず。
それなのに民主党執行部が官僚に手玉にとられて、予算作りを放棄してしまった。消費増税にしても、財務官僚や自民党にコロッとだまされて決めてしまったこと。この党が新たな道を進むには、それらを推進した民主党内の“悪霊”たちを一気に追放する“除霊式”を大々的にやるしかない。菅直人、野田佳彦の両首相経験者は当然のこと、岡田克也、前原誠司、安住淳ら元執行部は全員“悪霊”だ」
「キョンシー」に出てくるような除霊のお札を、この面々のおでこに「バチーン!」と貼れたらさぞ痛快に違いない。除霊式には民主党員のみならず相当の観衆が集まるはずだ。(『週刊ポスト2013年8月9日号』より引用)
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| Zazie |
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| Nico |
表面的には彼女は、進化論と心霊主義の両者を、截然と否定した。すなわち、進化論に対しては、生命の物質的側面のみに着眼した誤った理論であると批判し、心霊主義に対しては「夢魔」のような低級霊に憑依されることによって生じた幻の現象にすぎないと断じたのである。
とはいえ、ブラヴァツキーの真意が、この両者を単に否定し去ろうとすることであったとは思われない。むしろ彼女は、進化論と心霊主義の構想を巧みに融合させ、人間の生きる目的は、高度な霊性に向けての進化にあることを明らかにしようとしたのである。(P33)
原初においては、「永遠の親」という女性の神格が存在し、彼女は「処女卵」を抱いて眠り込んでいた。するとあるとき、そこに一条の光が差し込み、処女卵は「世界卵」に変容する。やがて世界卵は孵化し、そこから「子なる神」と呼ばれる宇宙意識が誕生する。子なる神は、宇宙を創造するために、「七大天使」や「十二星座天使団」と呼ばれる天使たちを生み出す。そして神と天使たちは、光線を降り注がせることによって、太陽系の惑星霊たちを創造する。
太陽系の創造者である宇宙意識としての神は、「デミウルゴス(ギリシャ語の「創造者」)」や「ロゴス(ギリシャ語の「言葉」)」、あるいは「太陽系」と称される。そして神は太陽系に7つの周期(ラウンド)を設定することにより、その進化を促進しようとする。(P35~36)
先に述べたように太陽系においては、進化に関する「七つの周期」が設定された。そしてSDによれば、地球に霊が誕生したのは、七周期のうちの第四期に当たる。そして七つの周期は、地球上での人類の進化においても反復される。すなわち、地球においては人類は、7つの段階の「根幹人種」を経て進化してゆくのである。(P36~37)地球は最初自らの力のみによって生命体をつくりだそうとしたが失敗し、結果として誕生したのは半漁人、有翼人、山羊人間といった半人半獣の奇異な怪物たちばかりであった。天使たちはその肉体を嫌悪し、そこに霊を住まわせようとはせず、炎によって彼らを絶滅させたという。それを見た地球は太陽神に対して、知恵を備えた霊的生命体を授けるよう祈念する。太陽神はそれに応えて七大天使たちに人間を創造するよう命じた。その結果、天使たちがそれぞれ人間の原型を作成し、それをもとに、地球に生み出されたのが7つの根幹人種ということになる。根幹人種の概念は、今日のオカルト思想にしばしば応用されるものなので、少し長いが全貌を見ておこう。
地球における最初の人類、すなわち第一根幹人種は、北極周辺に存在する「不滅の聖地」に出現した。しかしその場所は、不可視の非物質的領域であり、そこに現れた人間も、天使によって与えられた「アトラス体(星気体)」という霊的身体をもつにすぎなかった。不滅の聖地は、地球における人類発祥の地であると同時に、人類が第七根幹人種にまで進化した際に再び回帰する場所とされる。(P38)以下、その名称(及び出現した場所)等を記す。
- 霊性進化――人間は、肉体の他に「霊体」を持つ。人間の本質は霊体にあり、その性質を高度なものに進化させてゆくことが、人間の生の目的である。
- 輪廻転生――人間は、霊性を進化させるために、地上界への転生を繰り返す。地上での行いは「カルマ」として蓄積され、死後のあり方を決定する。
- 誇大的歴史観――霊体を永遠不滅の存在であるため、個人の歴史は、天体・人種・文明等の歴史全体とも相関性を持つ。これらの集合的存在もまた、人間と同様に固有の霊性を有し、円環的な盛衰を繰り返しながら進化を続けている。
- 人間神化/動物化――人間は霊的な成長を遂げた結果として、神のような存在に進化しうる。しかし、霊の成長を目指さず、物資的快楽に耽る者は、動物的存在に退化してしまう。
- 秘密結社の支配――人間の進化全体は「大師」「大霊」「天使」等と呼ばれる高位の霊格によって管理・統括されており、こうした高級霊たちは、秘された場所で結社を形成している。他方、その働きを妨害しようと目論む悪しき低級霊たちが存在し、彼らもまた秘密の団体を形成している。
- 霊的階層化――個々の人間・文明・人種は、霊格の高さに応じて階層化されている。従来の諸宗教において「神」や「天使」と呼ばれてきた存在の正体は低級霊である。
- 霊的交信――高級霊たちは、宇宙の構造や人類の運命など、あらゆる事柄に関する真実を知悉しており、必要に応じて、霊媒となる人間にメッセージを届ける。
- 秘教的伝統・メタ宗教――霊性進化に関する真理は、諸宗教の伝統のなかに断片的な形で受け継がれている。ゆえに、それらを総合的に再解釈し、隠された心理を探し当てる必要がある。
「現代の危機」から霊的脱出路を求めている・・・西欧と北米の人びとは、伝統的宗教組織に心の支えを見出しているのでもないし、世界を解明し、改革し得ると主張する世俗的組織(いわば政治的イデオロギーと科学的世界観)によってこうした問題を解決できるとも思っていない。だから、彼らのうちには意味の空白を満たしてやろう、と呼びかけてくる秘教的、あるいはオカルティズムの教えに惹かれる人たちもいる。いわゆるニュー・エイジ運動は、これらの教えを受け容れる貯水池となっている。
この運動を正確に述べるのは、難しい。というのは、この運動は統一的組織をもたず、拘束的教義もなく、世界観の共通性も僅かしかないからである。この運動を結び付けているのは、ある種の強い帰属感情である。したがって、ニュー・エイジ運動とは、「合理的に伝達されて、広い範囲に影響を及ぼす拘束力よりも、並列している諸傾向の感情的結合を強調する、新しいタイプの社会《運動》である。」(Pilger/Rink)
こうした諸傾向には、神秘主義、秘教、オカルティズム、現代の西欧自然科学、すなわち心理学(とくにW・ライヒとC・Gユングのそれ)の諸要素、心理療法のさまざまな流れ、ある種の再生思想という西洋宗教の概念装置、それに前キリスト教、あるいは非キリスト教の種族宗教もしくは自然宗教のインパクトがある。とくに、後者には「シャマニズム」「新魔女(ノイエ・ㇸクセン)」、それにケルトとゲルマンの「叡智の教え」がある。
(略)
この運動は、現代社会が生存の危機に陥り、破滅の淵に瀕している、という意識をもち、調和に満ちた、新しくより高度な時代――ニュー・エイジの名称も、ここに由来するのだが――の到来に備えて、「転換期」に生きる思想に革新する。
この「転換期」は占星術的解釈を取り入れた天文学のモデルによって説明されている。「地軸が徐々に回転することによって、天の赤道と黄道の交点は黄道の獣帯(黄道十二宮)上を逆向きに移動してゆく。」今日、この交点は黄道十二宮の魚座と水瓶座の間にあり、それゆえ新しい時代はニュー・エイジ運動では「水瓶座時代」と呼ばれている。
危機意識から生じた意味喪失感から、多くの人びとは宗教問題に対し関心をもつようになっている。現代の産業社会の、絶えず増大している現世志向と世俗化傾向は――マックス・ヴェバーはこれを「世界の脱呪術化」と特徴づけた――多くの現代人にはいまや自明の事柄であるし、あるいはまさにこの傾向こそが、現代の体制危機の原因だと考えられている。かといって伝統的な教会に戻ることもできない。教会こそが現代の危機を招来した共犯者である、と時には考えられているのだから。
これに対してニュー・エイジ運動は、「世界の再呪術化」と呼びうるような、そして前近代的で神秘主義的――呪術的世界像の諸要素を復権させるような、一種のパラダイム転換を要求しているのである。
さらにニュー・エイジ運動は、現代社会の方向喪失現象に対して、秘教思想の入り混じったさまざまな心理療法の技法によって、「自己の根源と根底」を再発見することを提唱する。こうすることによって、合理的・直線的思考とは異なる、水瓶座時代への移行にふさわしい、全体的・循環的な「新しい意識」も人間のうちに目覚めさせられるのだ、と云う。
結局のところ、彼らは、支配的な科学にある自然科学の一面的な合理的見方に代わって、現代自然科学の成果と宗教的・神秘的内容を混ぜ合わせることによって、「全体的世界観」を生み出そうと望んでいる。この点で、とくにエコロジーの傾向が重視されている。
ニュー・エイジ運動の歴史的基盤と資源は神智学である。神智学はすでに一世紀以上も前に、当時の人びとのオカルティズムや仏教・ヒンドゥー教の宗教の装置と、当時流行していた自然科学理論、とくにダーウィン主義・ヘッケルの一元論を、ニュー・エイジと似たようなやり方で綜合していた。神智学とニュー・エイジの親近性は、たんに世界像と個々の思想が似ている点だけでなく、ニュー・エイジの主導的支配者らが、かつて神智学運動に加わっていたし、現在も参加している、ということでも示されている。(前掲書P2~4)
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| 窓の外、寺の屋根に群がるカラスの大群にかたまった二匹 |
鈴木 ・・・『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)でやった「激論 宗教と若者」(91年)でのオウムと幸福の科学との対決とかもすごかったですね。あれでオウムはすばらしいと思った人たちもいたし、ぼくもそれを見てオウムは本物だと思いました。そのオウムに熱狂していく過程を知らずに今の結果だけを見れば、なんであんなバカらしいものにかぶれるのだろうと思うだけですよね。(P102)鈴木のこの発言は、テレビがものごとの本質を伝えにくい媒体であることの恐ろしさをついているという意味で貴重だ。“本物”という意味は、本気で殺人・無差別テロをするまでの覚悟があるように見えた、という意味ならば、鈴木の慧眼に恐れ入るのだが、鈴木はTV討論番組に出演した麻原をはじめとするオウム教団の幹部の正体をつかめなかった。そのことを鈴木は、もっと率直に反省・懺悔すべきなのだ。おそらく、鈴木を含めて、多くの視聴者は、オウムを宗教団体として“本物”だと感じたのだ、テレビを通じて。幸福の科学は、金儲けの似非宗教だが、オウムは違う、宗教団体としてしっかりしていると。この感覚がオウムを膨張させた主因の一つではないのか。
上祐 気という霊的なエネルギーというのがあって、それを感じ取って操ったりする、つまり相手のエネルギーを感じたり、相手に自分のエネルギーを入れるという力は、麻原にかぎらず、多くの人が経験しています。そういった力は、麻原には、かなりあったなと思います。(P116)
上祐 われわれの麻原への狂信の下、麻原からの誘導があるんです。麻原が親族をやれと言う場合があったとすれば、その親族がかなり教団を攻撃していて、このままではその親族は将来地獄に落ちてしまうから、お前は親族を救うために形としての親族を殺せ、親族の魂を救ってやるために殺せと言うでしょうね。親族への愛を使って殺すように仕向けるのです。(P117)
鈴木 上祐さんは麻原に父親を見たと言ってましたよね。カリスマ的宗教実践者については、「精神病質者」と規定する見方もある。詳しくは、『ワイマル共和国の予言者たち―ヒトラーへの伏流―』(ウルリヒ・リンゼ[著]、ミネルヴァ書房)を参照されたい。
上祐 オウムに入る人には、親との関係が悪い者が少なくなく、麻原に理想の父親像を見たというのは私以外にも多分にあると思います。(P119)
上祐 私は、麻原は真実を自覚したら生きていけないから、サリン事件をやったと考えています。サリン事件に合理的な利益はないのに、それをやった理由は、そうしなければ、彼が信じ込んだ、自分は弾圧と戦って勝利する救世主であるという虚構のアイデンティティが崩れるからだと思います。その虚構の維持は、彼をコンプレックスの強い不遇な一人の男から、彼を救世主と信じる教団の教祖にした根源ですから、彼にとって命よりも大切なことであり、それを守るためには、社会と妥協しないでしょう。(P124)
上祐 私は、教祖型の精神病理というのがあると思います。教祖型の人格障害、超自己愛型の人格障害・・・人格障害とは、社会生活が送れない精神病とはちがって、非常に高い能力やカリスマ性を持つ場合があるとされています。けれど、一方で狂気も持っているわけです。わかりやすく言えば、ヒトラーですよね。ですから、カリスマ型人格障害という心理学的な理論が必要ではないでしょうか。研究が足りないと、社会に免疫も生まれませんしね。(P125)
上祐 ・・・麻原の世界観の本質はなんだったのかと考えた結果、これは過去の日本の暗部の亡霊ではないかと感じました。自分たちの教団を神の集団とし、そのトップを生き神とし、米国を悪魔と位置づけ、日米決戦に勝って正しい世界ができるといった予言など。そういう誇大妄想に加え、被害妄想や陰謀説も組み込んでいった。それが国家規模で起こるのがナショナリズムなんでしょうね。自己存在価値に飢えているから、自分たちは正しくて相手が悪いと思いたい。(P168)
鈴木 麻原彰晃という人が内乱を起こそうとした。そこまではまだわかるんです。ところが、このままだと自滅すると思った時に、麻原一人が自決するとか、あるいは南米の人民寺院事件のように集団自殺するというのは悲惨な結果だけれども、まだ理解できるんですよ。ところがそれが、なぜ外に暴力が向いてサリンをまいてしまったのか?
(略)
上祐 それは自分たちは神の集団だから勝てるはずだ、それをやらないといけないんだという麻原の思考が根底にあるんです・・・麻原は神から戦う救世主だという予言を、啓示を受けていた、と思い込んでいた。彼は自分の存在価値が戦うことにあったのだから、立ち止まって考え直すことなくやり続けるということなんです。
鈴木 でも、殉教の宗教者だと思い込んでいたわけでしょう?
上祐 殉教というか、彼には戦う救世主というイメージ・アイデンティティがあって、それをどうしても手放せなかったのではないかと思うんです。(P156~157)
オウムの危険な要素の中で、今や社会全体に感染していると思われるものは、陰謀説の流行や、右傾化、排外主義だけではない。スピリチャアルブームの一部も同様である。そのすべてが悪いわけではないが、中には妄想的な性質のものもあるように見える。
問題は、これらの傾向の背景に、同一の根本原因があると思われることだ。それは、現実的に健全に自尊心・自己価値の充足ができないために、一種の妄想を抱き、その中で自尊心を満たすことだ。そこで、自分たちこそが正しく、他は悪であるという善悪二元論が出てくる。(P234)
(オウムの問題の根源は)暴力主義を肯定するタイプの運動や活動、学生運動、右翼運動、国家による戦争などに共通する問題であり、誇大妄想的な自己特別視、被害妄想的な排外主義の問題である。さらに、その背景には、現代社会に広がった、未熟な妄想的な自己愛、間違った自尊心の充足という問題である。それによって、世界を善と悪に二分化し、自分こそが善だと思い込む未熟な精神の問題だと思う。(P241)(二)宗教とはなにか
鈴木 カルヴァンは宗教改革を行った正義の人なんです。そして、自分に厳しいだけじゃなく他人にも厳しい。だから、スイスで権力を握ると、神についてこれない人、自分についてこれない人を徹底的に弾圧するんです。また、ルターも宗教改革をやって、100%正義の人ですけれども、その後、ドイツ農民戦争なんかを徹底的に批判して、自分についてこれない人を殺してもいい、そういう反乱を鎮圧することが神の意志だとする。そういう意味で、カルヴァンもルターも正義の人なんだけれども、妥協しない怖さというものがありますよね。このやりとりは、見事にすれちがっている。鈴木は宗教が天国を地上化する運動である以上、内部に粛清を、外部に弾圧を伴うものであると言いたかったのに対し、それを受けた上祐は、宗教家が独善的だというふうに論旨をそらし、しかも、「現実への対応能力」という世界史的な成功と失敗という結果にちがいを求めてごまかした。上祐の論点のすり替えは巧みだ。
(略)
上祐 ルター、カルヴァンと麻原の共通性は、自分こそが善で、他は悪だという考え方ですね。一方、両者のちがいは、現実への対応能力だと思うんです。麻原は、小規模な一教団で革命を起こすという妄想に陥って自滅した。ルターやカルヴァンは現実に相当の支持者を得て、宗教戦争を戦い抜く力を持ち、自滅することはなかった。(P151)
本書の背後には3.11の大震災と原発事故がある。著者が1995年の阪神大震災のあと、連作短編集「地震のあとで」(のちに『神の子どもたちはみな踊る』)を発表したように。本書には津波も放射能もなにも書かれてはいない。だが大震災が行間に深く埋もれている。私はそのように読んだ。同じ時代の空気を吸ってきた同世代の者の勘である。
その根拠を謎解きのように提示するのは簡単だ。主人公の多崎つくるという名前。姓は三陸リアス式海岸の多くの岬を象徴し、名はモノ作りと再生を比喩する。人間関係の正五角形とは原子力ムラを暗示。また盛んに使われる「色彩のない」という表現について、私は大津波が押し寄せるさまや、事故後の福島第一原発のモノクロ映像を想起した。そして「調和する親密な場所」は「消え失せた」のであり・・・
偶然というべきか、五人はみんな大都市郊外「中の上」クラスの家庭の子供たちだった。両親はいわゆる団塊の世代で、父親は専門職に就いているか、あるいは一流企業に勤めていた。子供の教育には出費を惜しまない。家庭も少なくとも表面的には平穏で、離婚した両親はいなかったし、母親はおおむね家にいた。学校はいわゆる受験校だったから、成績のレベルも総じて高い。(P8)
・・・最後にもうひとつ質問がある。レクサスって、いったいどういう意味なんだ?」先述のとおり、本書は私小説であり、洗練化されたそれである。村上文学は、その骨格の半分として産業の洗練化ならぬ自分史の洗練化という傾向をもち続けている。引用部分は、村上春樹の自嘲であろう、売れる本を書き続けるために・・・だが、時代が村上春樹を取り残して進んでしまっている。そのことが、本書の凡庸さを際立たせる。
アオは笑った。「よく人にきかれるんだが、意味はまったくない。ただの造語だよ。ニューヨークの広告代理店がトヨタの依頼を受けてこしらえたんだ。いかにも高級そうで、意味ありげで、響きの良い言葉をということで。不思議な世の中だよな。一方でこつこつと鉄道駅を作る人間がいて、一方で高い金を取って見栄えの良い言葉をでっちあげる人間がいる」
「それは一般的に『産業の洗練化』と呼ばれている。時代の流れだ」とつくるは言った。
アオは顔に大きな笑みを浮かべた。「お互いそいつに取り残されないようにしよう」(P176)