2005年3月31日木曜日

『ケルト映画紀行』

●武部好伸[著] ●論創社 ●価格不明(古本)

 
本書は、ケルト民族、ケルト文化をテーマにした映画の舞台となった、アイルランド、ウェールズ、コンウォール、マン島、スコットランドを旅行した印象をまとめたもの。その地にちなんだ映画の粗筋、名場面、俳優、監督の紹介や、その地の人々とのふれあいもあり、また、簡単なケルト民族、ケルト文化の解説もある。

さて、アイルランド系移民の多いアメリカでは、北アイルランドを舞台にした政治闘争及び反英武装闘争を展開したIRAにちなんだ映画が多数つくられている。北アイルランドとイングランドの対立の根源には、宗教上の対立があると言われ、そのような図式で映画がつくられている場合もある。また、映画は娯楽媒体なので、アクション映画に仕立てられたものもある。こうした映画を「ケルト」という概念で括ることは難しい。また、現代アイルランド社会を描いた映画の中には、ケルト民族やケルト文化との連続性でとらえられないものもある。このことは、アイルランドの現代における社会現象について、ケルトという概念にどこまで還元できるのか――と換言できる。

アイルランドの基層民族はケルト人だ。ケルト民族はローマ、ゲルマンに圧迫された、幻の民だ――こうした見方は、ケルトロマン主義を醸成する。現代アイルランドの諸事象が、ケルトという魅力的な「概念」ばかりで過剰に説明され、アイルランド経済、アイルランド社会の現実を歪めるのではないか――そんな疑問も残る。

2005年3月21日月曜日

『十字軍』

●ジョルジョ・タート[著] ●創元社 ●1400円  

本書は十字軍の歴史に関する入門書。イスラムとフランクの戦闘のようすや武具などを描いた絵が豊富にあって、わかりやすい。十字軍開始から撤退までの歴史を包括的に記した本文と、十字軍に係る資料編の二部構成になっている。

私が注目したのは、十字軍遠征に伴うイスラム教徒の殺害をだれがどう合理化したのかだった。つまり、キリスト教の教えの中に、異教徒抹殺の信仰的基盤が根ざしているのかどうか――この問については、本書資料編の聖ベルナールがテンプル騎士団の修道士たちに向けて行った、「良心的参戦拒否者に対する説明」を読むことによって、解答を得られる。

聖ベルナールは本来、修道士の集まりだったテンプル騎士団を軍隊化する過程で、戦闘に参加することを拒否しようとした良心的宗教者に対して、軍事活動=異教徒殺害は、神の教えに適うというような意味の説明を行った。以降、異教徒に対する虐殺、拷問、略奪などの暴力が神の名において許されたと解釈できる。

聖ベルナールの「説明」は、西欧の侵略主義の根拠となって、その後の南仏のカタリ派弾圧=アルビジョア十字軍や、近世の新大陸植民地化、アジア・アフリカの植民地化、そして今日の米国のアフガン、イラク戦争にまで続いていくことになる。

西欧のキリスト教は基本的に侵略主義であると考えてさしつかえない。軍事的にそれが実現できないときには、彼らは西欧に引きこもって時を待つ。十字軍から今日まで、西欧側からの侵略の歴史は、その繰り返しだった。西欧のキリスト教は、十字軍以前と以降では、根本的に異なるものだと考えなければいけない。だから、聖書に「汝、殺すなかれ」と書かれているから、キリスト教は平和主義だと考えてはいけない。そんな幻想を抱いている人は、聖ベルナールの「説明」を読んでほしい。キリスト教が、この「説明」の誤謬を指摘したという事実は、管見の限りない、のだから。

2005年3月12日土曜日

『アラブが見た十字軍』

●アミン・マアルーフ[著]/牟田口義郎[著] ●ちくま学芸文庫 ●1500円+税

十字軍とは、ローマ帝国崩壊後、中原ヨーロッパ世界の混乱を経て政治的安定期を迎えたゲルマン系諸族のアラブ侵略をいう。十字軍の中心勢力がゲルマン系のフランク族=フランク(王国)であったため、十字軍はアラブから「フランク」と呼ばれた。キリスト教に帰依したフランク王国はローマ教皇と共同でイスラムに奪われたキリスト教の聖地・エルサレムを「奪回」するため、当時地中海の覇権をアラブ勢力と争っていたベネチア、東ローマ帝国(アラブから「ルーム」と呼ばれた)と協力して、地中海沿岸エジプト、シリア、アラブ、トルコ(セルジュークトルコ)を侵略して植民地化し、エルサレム王国を建国する。

年表によると、イスラム勢力がイスラエルを征服したのが638年。フランクの第一回の遠征が1097年。フランクのエルサレム王国建国が1099年。フランクがエルサレムから撤退したのが1244年。フランクの最後の植民都市アッカ陥落が1291年だから、第一回遠征から撤退までのおよそ200年が「十字軍の時代」に該当する。

さて、本書は本題のとおり、アラブから見た十字軍の実態だ。西欧キリスト文明から記された十字軍の歴史とは正反対の立場から書かれている。

著者・アミン・マアルーフはレバノン人のジャーナリスト。本書は1983年にフランス語で書かれている。日本語訳文体はカエサルの『ガリア戦記』のように簡潔にして余分な装飾・技巧はない。もちろん、イスラム教の教義とは無関係で、アラブが残した歴史資料を忠実に編集したもの。西欧の十字軍の歴史よりも、十字軍の「歴史」が忠実に再現されているように思える。

アラブが呼んだ「フランク」とは何か。『蛮族の侵入』(ピエール・ルシェ著)によると、フランク族は現在のオランダ・ドイツあたりを元郷としたゲルマン系民族の一派。ローマ時代からガリア(現フランス)に侵入し、法制度を中心としたローマ文明を受け入れてていたという。482年、クローヴィス王がフランク王国を建国し、カトリックに帰依している。前出のルシェによると、《ローマ教皇とフランク王国との同盟は蛮族の侵入時代の終結、古代と中世の間の転換期を表象しており・・・西欧が新しい形態をとった創始期ともいえる》と書いている。まったくそのとおりだ。

さて、キリスト教圏は十字軍を野蛮との戦いと位置づけているが、本書にもあるように、フランクには人肉の習慣があったことがわかる。もちろん、当時はアラブの方が文明レベルは高く、フランクの方が野蛮に属していた。

ではなぜ、フランクがアラブに侵入できたのか。著書・アミン・マアルーフは、アラブ側にフランクの侵入を許す弱さが内在化していた、と指摘する。アラブの弱さとは、高い文明を維持しながらも、共通の敵に共同で戦うための政治的調整力の欠如、支配下にある民衆を平等に扱う法制度の未整備などもあるが、何よりも、地域ごとの勢力の分権化が極端で、なかには侵略者フランクと組んで、隣接する勢力を排除するような動きもあった。

西欧側が侵略を開始できた背景には、この時代、農業生産力が飛躍的に伸長し、都市や修道院を拠点に工業・商業が発展したこともあった。また巡礼路を中心に、交通網が整備され、ローマ教皇権力と封建国家の共同性の構築が確保された。経済的安定と宗教的熱狂が西欧の膨張(侵略)のエネルギー源となったのではないか。

なお、当時のアラブの分裂と現代のアラブの状況とは、驚くほど酷似している。米国がイラク侵攻を「十字軍」にたとえたが、危険な思想である。西欧とアラブをおさめる複眼の思想が求められているいま、本書の一読をお勧めする。