2021年8月31日火曜日

セリーグの本当の首位はどこだ

NPBセントラルリーグが混戦模様になってきた。2021.08.31.17:00 時点の上位3球団の順位は以下の通り。

1.読売=50勝、37敗、12分、勝率 .575、ゲーム差-

2.ヤクルト=47勝、35敗、11分、勝率 .573、同0.5

3.阪神=55勝、41敗、3分、勝率 .573、同-1

2位と3位のゲーム差が「マイナス1」というのはいかにも奇異というほかない。

これに反して、サッカーJリーグが採用している勝点制度(勝=3、負=0、分=1)で計算すると、

阪神=55×3+1×3=168点

読売=50×3+1×12=162点、勝点差4

ヤクルト=47×3+1×11=152点、2位と勝点差10、首位との勝点差14

となり、阪神が1位、2位が読売、3位がヤクルトとなる。

仮に残り2試合を残してシーズンが終わるとすると、阪神が全敗した場合、読売は2勝なら首位、1勝1分けでプレーオフどまり。阪神が1勝すれば巨人はとどかない。2位ヤクルトは問題外となるくらいの差なのである。

これは、NPBの勝率計算が、引分を試合数から除去することにより生じたもの。読売はNPBのレギュレーションを理解して引分けに持ち込む試合展開を進めているのに反し、阪神は監督が未熟なため、そのような試合運びができていないことによる。阪神の弱点が監督にあることは筆者がたびたび指摘していることでもある。

しかし、NPBの順位決定がこれでいいわけはない。勝負は勝ち・負けを競うもの。勝利を重んずる哲学を根本としなければ嘘である。MLBは引分がない。

よしんば、コロナ禍という状況を鑑みるなら、9回同点ならば、その先、タイブレークを採用する選択肢もあった。この方式は日本人が大好きなオリンピックで採用されていて、予選で日本がアメリカに勝った。タイブレークがなじまないという論理はない。試合時間短縮ならば、勝点制度がベスト。勝利に勝点=3点を与えて、敬意を表すべきである。

『都市の経済学----発展と衰退のダイナミズム』

 ●ジェーン・ジェイコブズ ●TBSブルタニカ ●2000円+税

国民経済という概念を取払い、都市単位における財・サービスの出入を指標として、経済を考え直すという試みである。

著者(ジェイコブズ)は次のように書く。

経済活動はイノベーションによって発展する。つまり輸入代替によって拡大する。この二つの主要な経済過程は、密接な関連をもっており、ともに都市経済の関数である。さらに、輸入代替がうまくいく場合には、生産計画、原材料、生産方法の適応を伴うことが多く、このことは、とりわけ生産財とサービスのイノベーション、および臨機応変の改良を意味するインプロビゼーションを必要とする。(P46)

ある地域(国、都市、村…)が存続し続けるためには、そこで調達できないモノやサービスを他から調達する必要がある。その際、調達(輸入)ばかりしていれば、そこは経済的に自立できない。永続的に輸入(調達)を続けるためには、その地域で産み出されたものを他の地域に輸出しなければならない。つまり、ある地域と、それとは別の地域――別の都市、農村地帯、工業地帯――とは、トレードオフの関係にある。輸入と輸出の相互性、一つの都市から見れば、経済活動の拡大は輸入代替(もしくは輸入置換)によってなしとげられる。別言すれば、都市の発展は輸入代替に規定される。

都市が持続的な輸入代替を可能とするのがイノベーション、つまり、新たな価値創造であり、インプロビゼーション、つまり即興性である。後者はモダンジャズ演奏やダンス等の世界ではあたりまえのことで、形式や約束事にとらわれない自由な発想と解釈でパフォーマンスを行うことをいう。
その結果として、都市は外延的に拡大する。それを‶都市地域″の形成(拡大)という。

都市における重要な輸入代替は、爆発的に発生し、五つの大きな経済的拡大力を生み出す。すなわち、新しい様々な輸入品に対する都市の市場、都市における仕事の急増、農村の生産と生産性の上昇のための技術、都市の仕事の移植、都市で生み出された資本である。これら全部が同時に揃って現れるのは、都市に直接隣接する後背地においてだけである。(P56)

これが都市の拡大の論理である。しかし、このような論理が都市のすべてに当てはまるわけではない。情況の変化(技術革新)、経済的競争、政治の仕組みなどで都市の発展拡大は阻害されることもある。

経済活性化の試みとして用いられるのが、移植工場とよばれる手法である。「工場を誘致する」ために税制を優遇する、用地を整備するなどが行政の手によってなされ、生産を高めたい企業に呼び掛ける。工場ができれば(著者は移植工場と呼ぶ)、生産された工業製品は他地域に輸出されるが、その集荷先は遠方の都市の市場や軍隊であり、地元のニーズに合ったものは僅かであり、その地域の住民(工場に雇用された住民と新住民=移住してきた労働者)が必要とする財とはトレードオフしない。そればかりではない。移植工場の経営も永遠ではない。市場性、技術革新等によって、経営が困難になる場合もある。閉鎖である。

このような困難を乗り越えたのが台湾である。まず首都・台北が輸入代替都市となり、台北で構築された産業から分化した業種が高尾に移動した。台北は一時衰退するが、前出のインプロビゼーションで再興すると、台北~高尾の軽工業群が台湾経済を支えるようになる。

こうして著者(ジェイコブズ)は、経済が興隆し繫栄するときに生ずる三種類の変化を次のようにまとめる。

第一に、全体として見れば経済活動の都市化が進み、農村的色彩がより少なくなる。都市の仕事と都市間交易は、絶対的にも相対的にも最大の利益をもたらす。農村の生産と交易も増大するが、しかしそれは、都市活動の副産物としてである。
第二に、都市間交易の拡大につれて、それは主として最低生存地域か供給地域であったような不随的都市に活気を生じさせ、それらを流動的な都市交易のネットワークの中に引き込む。
第三に、生産されるすべての財・サービスの量と種類が増大し、それが都市に輸入されてその地で輸入代替過程に入り込む。これは、先行する二つの変化の結果であり、またそれらの変化が続く条件でもある。
こうした変化は、経済的拡大と発展、すなわち活動状態にある発展のダイナミクスにほかならない。(P226~227)

著者(ジェイコブズ)は都市を国家の上位においた経済学を唱えながら、自ら都市の経済学を否定する。彼女は、国家は血なまぐさい軍事力によって成立したといい、国家は軍神(マルス)の申し子のようにふるまい、多くの国民は、そのことゆえに国家を崇めるのだという。

国家の神秘性は、人間の犠牲の上に成り立った強力で陰惨な魅力によるものである。国家とその統一を裏切ることは、血を流したすべての人間を裏切ることになる。経済的向上のために国家を裏切ることは、栄光ある民族の歴史のページをただの喧騒と凶暴とに変えてしまうように思われる。国民国家の政府のほとんど(略)と、大部分の国民は、分断状態のまま繫栄し発展するよりは、国家の統一が維持されるための犠牲たらんとして、むしろ衰退し朽ち果てるほうを選ぶだろう。(P258)

本書は1984年に上梓されたもので、著者によって取り上げられた国、都市の事例は、現状(2021)とは異なっているものもある。だが、ダム、軍事産業、補助金、交付金といった、国家(政府)が行う産業政策が、逆に都市の衰退から国家の衰退にまで及ぶ事例を伴った論証は、説得力に富む。国家を超える経済発展のあり方を考えるうえでいま、読むに値する。