2016年11月30日水曜日

低すぎる主審の力量――Jリーグチャンピオンシップ

<Jリーグチャンピオンシップ:鹿島0-1浦和>◇決勝第1戦◇29日◇カシマ

浦和がアウエーゴールをPKで得て先勝。優位に立った。試合内容を一言でいえば、「つまらない」。その主因は、ホームの鹿島がアウエーゴールを怖がって、「得意」とする守備的サッカーに持ち込もうとする消極策にあった。

Jリーグの問題点――チャンピオンシップという愚かな制度

試合内容とは離れてしまうが、日本プロサッカーの最高峰に君臨するJ1リーグが抱える二つの問題点を指摘しておきたい。第一は、チャンピオンシップ(CS)という制度。このことは拙Blogで何度も指摘してきた。Jリーグは昨年、今年をもって廃止するとのことだが、当然だ。そもそも採用すべきではなかった。

ポストシーズンは広大な北米大陸が舞台でこそ意味を持つ

ポストシーズンという制度は、管見の限りだが、アメリカMLBが広めたものではないか。アメリカの国土は日本の25倍の広さを持ち、人口もおよそ3倍だ。MLBにはカナダも参加しているから、北米大陸のスケールは、日本と比較にならない。

だから、リーグとは別に「地区」という概念を基礎とした制度に有効性がある。「地区」の勝者が競い合うポストシーズンという短期決戦がコンテンツとして生きてくる。一方の日本で「地区」といえばせいぜい「東西」くらい。実際に東西を基軸にJ1リーグ18チームを分けてみても、地区の勝者同士が優勝カップを争うことにリアリティはない。

そこでJリーグ(事務局)が無理くりつくったのが現行制度。前後期それぞれの優勝者に年間勝点を絡ませたものだが、今季は前期優勝の鹿島が年間勝点で3位となったため、年間最多勝点及び後期優勝の浦和が1位、そこに年間勝点2位の川崎が2位となって、鹿島と戦って負けたため、浦和―鹿島が決勝(ホーム&アウエー)となった。

CSはマラソンの後に短距離走をさせるようなもの

かくも不自然な制度はいわば、マラソンの後に短距離競争で優勝者を決めるようなもの。マラソンでトップが浦和、2位が川崎、3位が鹿島。次の短距離走で川崎と鹿島が争って鹿島が勝ち、その鹿島が浦和と短距離走を2回やるという具合だ。こんなバカバカしい制度をよくつくったものだと感心するが、メディアもサポーターも真面目である。「真の勝者はどこだ」なんてキャッチフレーズで煽っている。

リーグ戦というのは、勝負の偶発性を排除するため、各チーム総当たり2回戦(ホーム&アウエー)で実力を競うもの。そこで勝ったものが「真の勝者」である。前後期制度であれば、スタートダッシュに成功したところが前期優勝者となってしまう。その反対に、前期を捨てて、後期に勝負をかけるようなチームが後期優勝を果たすような弊害は、年間リーグ戦制度ならば排除できる。

日本では低調なカップ戦

サッカーでは、短期戦のおもしろさも楽しめる。実力よりも偶発性を楽しむもの。いわゆる「下剋上」の醍醐味だ。トップリーグのチームが下部リーグに苦杯をなめることもある。それがカップ戦である。

日本サッカー界にもカップ戦はある。Jリーグが運営するのが、J1限定のJリーグカップ(ルヴァン杯)。そして日本サッカー協会が運営するのが天皇杯で、これは完全な一発勝負。前者は代表選手が抜けた期間に試合が行われる。後者はJリーグ終幕後に日本中のサッカーチームが参加するものだが、J1チームでは、選手・監督等の契約事務が終了した後の試合になるため、緊張感はない。元旦に決勝戦が行われる、いわば「年中行事」「季語」「縁起物」のような意味あいが濃い。天皇杯優勝者が日本最強クラブだと信じているサッカーファン、関係者は、おそらくごく少数だろう。

ACLも低調

アジアのクラブチームが短期で争うACLもある。だが、これが全く日本では盛り上がらない。日本におけるACLは、欧州のチャンピオンリーグのような価値をもっていない。その理由はまた別の機会に述べたい。

かくしてJリーグでは「チャンピオンシップ」という超短期戦が始まったのだが、サッカーファンも選手も関係者も、これまで述べたごとく、制度自体の欠陥を容認できなくなり、今年で終了する。浦和-鹿島の視聴率は、わずか7.3%だったという。

主審が下手すぎる

第二の問題点は、主審の力量の低さ。浦和の決勝点となったPKは誤審である。リプレー映像で確認しても、あれがファウルならサッカーにならない。接触で倒れればファウルがもらえるのならば、日本サッカーは確実に弱くなる。日本代表監督のハリルホジッチが“デュエル”を強調しても、リーグで軟弱なサッカーが容認されているようなら、選手は強くならない。誤審はPKばかりではない。アドバンテージで流すべきところを止める。イエローの基準があいまい。「最強決定」の試合でこれでは、日本サッカーは向上しない。

下手な審判は一線を退いてもらうしかない

“サッカー(スポーツ)に誤審はつきもの”だとか“審判は絶対”…という言説が日本のスポーツ界では「常識」のように語られ、審判批判は非常識だとされる。だがこれは誤りまたは誤解である。判定が覆らないだけの話である。

下手な審判は、適正な評価の下、処分されなければならない。処分内容を公表するかしないかは別問題。下手な審判は退いてもらうしかない。しかし、評価を行う機関の適正さが担保されていなければ意味がない。元審判が現役審判を仲間内で評価するのならば、それは機能しない。審判の技量を向上させる制度構築が必要となる。

微妙な判定については、メディアがリプレー映像を積極的に流してほしい。スタジアム、TV中継、スポーツニュース、スポーツ特番、インターネット…そこで検証されるべきである。

拙Blogにおいて既に書いたが、W杯アジア最終予選で日本代表に有利となる誤審を中継するTV局がリプレー映像を流さなかった。日本有利の誤審は2試合続いたのだが、2試合の中継がそれをパスした。一方、日本不利の判定だったUAE戦では、繰り返しリプレー映像が流された。これが日本のスポーツメディアの放送コード。あきれてるばかりだ。

そればかりではない。日本サッカー協会が、スタジアムでのリプレー映像の放映を中止するよう要請したという。協会が審判技術を信用していないあらわれである。協会は、技術の高い審判を養成する自信もない。

TV中継解説者は応援団か幇間では情けない

最後に、メディアの問題に改めて触れておく。この試合、民放のTV中継で観戦したのだが、そのときの解説者は2名。別に1名のCSアンバサダーとやらがが登場していた。筆者が彼らの解説を聞く限り、彼らの言説は、応援団もしくは誉め役のそれであって、試合及びプレーに係る技術、戦術等の専門的指摘ではない。「○○選手に入れば期待が持てる」「うまいですね」…と彼らが力説するも、両チームともPK以外の得点なし。守備がいいから点が入らない、ではサッカーにならない。

0-0のスコアレスドローが緊張した、いい試合なのか。この試合では、両チームの攻撃陣が精神的にも肉体的にも委縮していた。真の解説者ならば、相手の守備をどう破るのか――自分が監督ならどんな指示を出すのか、自分が選手ならどんなプレーをするのか――視聴者が専門家から聞きたいことは、専門的言説である。「うまい」「期待する」「いい試合」「緊迫してます」なんてのは、解説ではない。「盛り上げ役」でギャラをもらうというのは、虫が良すぎる。

2016年11月21日月曜日

章一君の手料理

章一君の東京事務所兼自宅に招待された。

王子駅から徒歩10分くらいのマンション。
部屋には仕込んだ骨董品がたくさんあった。



料理の腕もなかなかのもの。

献立:

  • 豚の香料煮込み
  • 卵とトマトのスープ
  • 牡蠣と豆腐のスープ
  • 海鮮(白身魚、海老)とエノキダケの生姜・青唐辛子煮込み
  • 刺身



2016年11月18日金曜日

章一君

中国杭州市から章一君が拙宅にきた。

彼は骨董のバイヤーで、本国でいろいろな事業を展開している。

若き起業家、いまのところ事業は順調らしい。

章一君

イスラム風のティーポットを土産にくれた


2016年11月16日水曜日

サッカー日本代表、誤審とサウジの自滅で命拾い

▼ロシアW杯アジア最終予選]日本 2-1 サウジアラビア/11月15日/埼玉

日本がホームでサウジアラビアを2-1でくだし、グループ2位に順位を上げた。

出場選手は以下のとおり。

GK西川周作
DF(Lsb)長友佑都、(Cb)森重真人、(Cb)吉田麻也(Rsb)、酒井宏樹
MF(D)山口蛍、(D)長谷部誠
MF(O) 清武弘嗣(⇒香川真司、後半19)
FW(Rs)原口元気、MF(Rs) 久保裕也(⇒本田圭佑、後半03)
FW(C)大迫勇也(⇒岡崎慎司、後半48)

本田、香川、岡崎がベンチスタート

特筆すべきは、既に多くの報道が示すとおり、不動のメンバーといわれてきた、本田、香川、岡崎が外れ、久保、清武、大迫が先発に名を連ねたこと。筆者は12日の拙Blogにおいて、「鮮度を取るか、実績を取るか」と書いたが、ハリルホジッチは「鮮度」を取り、結果を出した。

筆者は、ハリルホジッチの成功を日本のサッカー発展という視点で評価したい。「本田」に代表される海外ブランド信仰は、スポーツ選手の実力評価とは無縁のマーケティング的視点。彼らは大手広告代理店操作による「広告塔」だ。ハリルホジッチは前任者ザッケローニと同様、“本田と心中”する覚悟だと筆者は書いたが、この試合を境にして腹をくくった。本田をとれば、自分は職を失うと。彼は本田との心中から心変わりした。

ミランで控えが続く本田のことを、「二軍の巨人軍選手」と揶揄したコメンテーターがいた。いい表現だ。二軍でも巨人の選手だといってありがたがる野球ファンがかつては多かったようだが、いまはそうでもない。今日の野球界のスーパー・スターは、イチロー、大谷、筒香、ダルビッシュ、田中であって、巨人の選手ではない。サッカー界(=メディア業界)ではいまだ、“ミランの10番”だけが取り柄の本田にすがっている。

日本勝利の4要因

(一) ブランド選手から、調子のいい選手の起用へ

ハリルホジッチの勝因を整理しておこう。第一は、ここまで書いてきたとおり、先発メンバーを変えたこと。「広告塔」から実力本位、コンディション本位にしたことだ。オフェンシブMF(トップ下)を香川から清武にしたことにより、チームの攻撃に推進力と多様性が生じた。本田を外したことにより、速さが加わった。大迫を真ん中に入れたことで攻撃の基点のターゲットが明らかになった。

(二)献身的プレーの復活――原口の頑張り

二番目は、FW(Ls)原口が勝利のために献身的姿勢を貫き、自身のプレーでチームメイトに示したこと。彼はとにかく攻守に身体をはり、よく走った。そのことで、チーム全体に貢献の意識が共有された。もっとも、原口の姿勢を学ばなかった選手もいたが、そのことは後述する。

この試合まで原口と対称に位置するFW(右サイド)の「オレサマ本田」は、自分が得点する意識ばかりが強く、守り、攻守の切り替えの意識がない。本田は右サイドラインの守備をおろそかにして、真ん中に入りすぎる。そのため攻守のバランスを崩していた。

一方の原口は、左サイドライン沿いの前線から自陣までの守備に献身的に取り組んだ。チームへの献身という意識が原口と本田の差である。サッカーの神様は、献身的な原口に得点機会を与えた。

なお、原口が左サイドを行ったり来たりするプレーについて、スポーツコメンテーターの岩本輝雄氏は、原口の運動量に敬意を表しつつ、「原口に長い距離を走らせるのは、左サイドバックの長友、ボランチの長谷部の守備に問題があり、チームとしては良くない」という指摘をした。慧眼の至りとは、まさにこのこと。

原口が若く、体力があり、W杯出場のモチベーションが高い選手であるのに比べ、長谷部、長友はW杯経験者で若くない。がむしゃらさが失われていたとしてもそれは自然過程というもの。若い選手にチャンスを与えたほうが、W杯予選では良い結果に結びつく。

(三)誤審で日本優位の展開に

主審が日本に絶好のプレゼントを与えてくれた。問題のシーンをリプレー映像で見る限り、清武のシュートはサウジアラビアDFの胸に当たっていた。その跳ね返りが手にふれたかどうかまではわからないが、手にふれたとしても故意によるものではないから、ハンドはない。日本にとってプレッシャーのかかる試合、予期せぬ先取点を日本がもらったことにより、この試合の展開は大いに日本有利となった。

なお余談だが、日本のTV中継ではこのような微妙な判定について、角度を変えた映像を繰り返し流すことがない。日本に不利な判定の場合はリプレー映像を流すが、日本有利の場合はさらりと切り抜ける。海外のサッカー中継ではそのようなことはあり得ない。これでは国際映像としての価値をもたない。日本のテレビ中継を世界中のスポーツファンが楽しむ時代、TV業界は相変わらずの鎖国状態で偏狭なナショナリズムに支配されている。誠に嘆かわしいし、情けない。

(四)サウジアラビアの戦術的失敗

・サウジのアンチフットボールが逆効果

サウジアラビアの闘争心が空回りした。試合開始早々から、彼らは苛立っていたように見えた。と同時に筆者はW杯南アフリカ大会決勝のスペイン1―0オランダを思い出していた。この大会でオランダ代表を率いていたのが、いまサウジアラビア監督のベルト・ファン・マルワイク。彼は技巧派でこの時代、絶頂期にあったスペインに対し、序盤から徹底したアンチフットボールを仕掛けた。試合は荒れに荒れ、オランダは9枚のイエローをもらい(CBヨン・ハィティンハが2枚目のイエローで退場)、スペインに敗れた。サウジアラビアのラフプレーがファン・マルワイクの指示だったかどうかはわからないが、主審の心情がホームの日本に傾いたことは否定できない。

・ボールを持ちすぎたサウジ

サウジアラビアの選手はボールを持ちすぎた。彼らはボールをもつと、なぜかしらないが、ワンプレーを入れたがる。とくに前線の攻撃側の選手に顕著だった。ホーム日本が激しいプレスをかけてくるものと予期して、一回ボールキープして日本選手が飛び込んでくるのを外すことを目的としたプレーなのだろうか。そのため、攻撃がワンテンポ遅れ、逆に日本の前線の選手の落ち着いた守備に引っかかった。このことが、サウジアラビアが攻撃にリズムをつかめなかった最大の要因である。逆にいえば、日本の選手がむやみに飛び込まなかった成果ともいえる。この面では日本の情報収集力がサウジに勝っていた。

サウジアラビアが攻撃の形をつくり始めたのは、日本の追加点が入った後半35分以降。ここから、ややパワープレー気味のロングボール主体に攻撃スタイルを切り替え、日本を追い込み始めた。しかし残り10分余りとなれば、1点を返すので精いっぱい。同点に追いつくことはできなかった。

日本のDFは高さに弱いし、ペナルティーエリアでミスを犯す傾向がある。展開力にこだわらず、パワーに重きをおいた攻撃に早めに切りかえておけば、日本を崩せた。知将といわれるファン・マルワイクだが、この試合に限れば、彼の策略はすべて裏目に出た。日本を甘く見たのか、策に溺れたのか、サウジのサッカーに自信過剰となっていたのか定かではないが、日本の献身的かつ走る守備的サッカーがサウジアラビアのパワーを上回る結果になった。

日本代表、まだまだ続く茨の道

日本はホームでサウジアラビアに勝ち、予選折り返し点でグループ2位の自動出場権が得られる順位に入った。日本の成績はホームで3試合、勝点6(UAEに勝点0、イラクに同3、サウジに同3)、アウエー2試合で同4(タイに勝点3、オーストラリアに勝点1)の10。2017年のアウエー3試合(UAE、イラク、サウジアラビア)は、ホームよりもはるかに厳しい。この3試合で勝点5以上なら、2位以内を確保できるだろう。

ライバル、オーストラリアが最下位タイと引き分けたのは朗報だが、とりあえず、ロシア行きの確率を五分に戻しただけ。清武、原口、大迫という新戦力の発見はプラス材料だが、逆にいうと、日本の伸びしろはもうないという見方もできる。ハリルホジッチの茨の道はまだまだ続く。

2016年11月13日日曜日

トランプのアメリカと日本

(1)アメリカの中間層革命

アメリカ大統領選挙は予想外の結果でトランプがヒラリーに勝った。筆者も予想していなかったけれど、投票日前、NHKTVが放映したエマニュエル・トッドの特番を見たあたりから、トランプがもしかしたら・・・という漠とした思いを抱くようになっていた。そして、その思いが現実となってしまった。

トッドはトランプ現象を「アメリカ中産階級の革命」だと評していた。米国の中産階級をいかに定義するかは議論があると思うものの、格差社会の急速な進展の中で没落する可能性の高い人々なのだろう。エリート層から疎外され、転落する可能性に抗えないとなったならば、そうした状況を脱するため、彼らは悪魔にすがることも辞さない。それが革命的意識の醸成根拠である。

おそらく8年前、彼らはオバマに希望を見出し、オバマに投票したはずだ。ところがオバマは革命(チェンジ)どころか、エリート層のいうままに格差を固定化し、中間層を見捨てた。だから、彼らは「ヒラリー」を嫌った。「ヒラリー」は「オバマ」と変わらない。アフリカ系の次は女性というエリート層のイメージ戦略を見抜いていた。「ヒラリー」になっても「オバマ」と変わらないことを予見していた。

このたびの中間層の選択を「革命」というならば、彼らが意図する現状変革のための最初の一歩は成功した。ただ、それが「トランプ」というところが納得できない。トランプが繰り返してきた言説はヘイトスピーチだった。それをおもしろがってアメリカのメディアが流し、結果的に宣伝したことがトランプの勝因の一つだった。中間層に革命的意識が広がったとき、そのエネルギーを負(トランプ)ではなく正(?)に転換することにアメリカ社会は失敗した。

トランプは共和党の予備選で敗退すべき候補者だった。ところが、そんな存在がいつのまにかトランプ現象となってしまった。その主因は、前出のとおり、メディアがトランプの言説を容認し、拡声器となってアメリカ社会に流し続けたことにある。その結果、トランプという負のエネルギーは中間層の反エリート意識と混合し、膨大な数へと膨れ上がっていった。そうなってしまえば、もうだれも止められない。風、流れ、潮流・・・いろいろな表現があるが、理性が投票行動を律する状況から、情動的で単純な言説に人々が囚われていくうねりが生ずる。女性、非白人、移民、イスラム教徒・・・といった差別意識が白人層に高じ、トランプ現象となり投票行動に結実する。

(2)トランプのアメリカと日本

このたびのアメリカ大統領選挙が日本人に有益であったのは、アメリカ社会の実情を知ったことにある。アメリカは自由の国ではないこと、豊かな社会でもないこと。むしろ、断絶、格差、貧困、差別・・・が日本以上に進んだ、歪んだ国だということ。〝アメリカンドリーム″は遠い過去の神話だということ――を思い知ったことではないか。

それでもアメリカに無条件に追従していこうとする日本の政治指導部の愚かしさが白日の下に晒されたのが、TPPの強行採決である。日本の総理大臣は、なにも見えていないかのようだ。

日本がもっとカネを払わなければ、米軍を撤退させるぞと脅すトランプに慌て怯えているのがその彼であり、その側近たちだ。トランプの脅しは、未果じめ料を払わなければ、お前の店がどうなるか・・・と脅迫する暴力団と同じレベル。そんな脅しに自ら屈してしまおうと、さっそくトランプに挨拶に行くそうだ。まずはトランプ詣でか。「トランプさん捨てないで」か。

アメリカは内部から崩壊しつつある。アメリカが世界に誇れるのは唯一軍事力だけ。だが、軍事力で古代世界を制圧していたローマ帝国も、それだけで存続することはできなかったという歴史がある。

アメリカを絶対化し、それに隷属することばかり考える日本の政治家、公務員、学者、メディア業界人・・・トランプショックからすみやかに目覚め、相対的にアメリカを見るときがきたことを自覚せよ。


2016年11月12日土曜日

退屈な調整試合だったオマーン戦

サッカー日本代表がアジア予選サウジアラビア戦を前に、オマーンとテストマッチを行い、4-0で勝った。

ただし、この試合は親善試合、練習試合、調整試合であって、得点差、試合内容、試合展開、活躍した選手を評価する材料にはならない。

得点者は大迫(2得点)、清武(PKによる1得点)、途中交代出場の小林(1得点)と、新戦力が機能したかのように見える。斎藤も鋭いドリブルを見せた。

守備面でも相手を完封したのだからといって、CBの丸山、守備的MFの永木が即、合格だともいえない。相手が相手であって、彼らが次のサウジアラビア戦で同様の活躍ができる保証はない。

オマーンは外形的には「仮想サウジアラビア」かもしれないが、まるで異なる相手。こんな試合に高額な入場料をとる協会はあこぎである。強化というならば、今季J2に降格した湘南を相手にしたほうが効果的。湘南の堅守速攻のほうが来日したオマーンよりも強くて速い。

まるで歯ごたえのないオマーンを相手に、先発で見せ場をつくれなかった「日本のエース」、本田の調子の悪さが心配である。ハリルホジッチも前任者のザッケローニ同様、本田と心中する覚悟のようだが、早いところ見切りをつけないと、ロシアに行けなくなる可能性が高くなる。

香川、岡崎、原口の状態がわからないが、サウジアラビア戦の先発メンバー発表が楽しみ。実績をとるか、鮮度の良さを取るか。サウジアラビア戦は本番なのだから、失敗は許されない。

2016年11月2日水曜日

NPB、2016シーズン総括(パリーグ・日本シリーズ)

2強(日ハム、ソフトバンク)4弱(ロッテ、西武、楽天、オリックス)は的中

遅まきながら、パリーグの総括をしておこう。シーズン前の筆者の予想は以下のとおり。

(1)ソフトバンク、(2)日本ハム、(3)西武、(4)ロッテ、(5)楽天、(6)オリックス

実際は、
(1)日本ハム、(2)ソフトバンク、(3)ロッテ、(4)西武、(5)楽天、(6)オリックス

であった。


「ソフトバンク、日ハムの2強、4弱」と予想していたので、かすらなかったわけではない。しかも下位の楽天、オリックスは当たっている。セリーグの予想よりはましな結果だった。

パリーグについては、筆者の予想云々よりも、日ハム、ソフトバンクの2強状態がしばらく続きそうな気配が濃厚で、とても気になっている。とりわけ、西武、楽天、オリックスは来シーズン以降、ブレークする要素が見当たらない。球団経営に本気で取り組まないと、パリーグはこの先、人気凋落傾向に陥る可能性が高い。


地域活性化手段としてのプロ球団経営

日本シリーズは日本ハムが広島を4勝2敗で退け、日本一に輝いた。広島(ホーム)は初戦、日ハムのエース大谷翔平を叩いて先勝、第2試合もものにしたが、札幌で失速して3連敗。悪い流れはホームに戻っても断ち切れず、日ハムに押し切られた。

熱戦、接戦と評価の高かったシリーズであったが、筆者の見方としては、バッテリーエラー、守備エラー、サインの見落とし等、ミスの目立ったレベルの低い内容に終始した。

ただ、ホームの利が鮮明となったシリーズで、その点は評価したい。これまでの読売一辺倒のNPBの風景が急激に変容していることが見て取れた。審判の判定に「ホームの利」が露骨にあらわれたのも、特徴ではないか。

NPBが地域密着化し、MLBに近い形態になりつつある。地域経済活性化が期待できるわけだから、地場産業、地域財界などが球団経営に興味をもてば、この先、NPBの球団増が期待できる。これまでの12球団から16~20球団になれば、ポストシーズンのあり方も変わる。NPBが読売の販路拡大ツールから、地域に根付いたスポーツ文化として発展する道筋が見えてきた。

広島の敗因は緒方監督の力量不足

シリーズを決めたのは、栗山と緒方に係る監督の力量の差だった。栗山が短期決戦で即断即決して結果を出したのに対し、緒方はペナントレースの形に固執して失敗した。現在行われているMLBのワールドシリーズを見ている人はわかることだが、投手起用においては、先発を中3日で登板させたり、クローザー(チャップマン)を中抑えに起用したりと、指揮官は変幻自在の策を講じている。

第6戦、ホーム広島は、セットアッパー(SU)に不調のジャクソンを投入して失敗した。野球評論家の張本氏が指摘したように、あの場面は黒田博樹で行くべきだった。筆者は黒田もしくは中崎翔太でもよかった。中崎をSUで起用し広島リードで9回表を迎えられたならば、クローザーはもちろん黒田だ。黒田が打たれて広島の日本シリーズ敗退が決まっても、ファン、選手は納得する。勝てば、第7戦に総力全力を上げればいい。短期決戦とはそういうものだ。
 
3戦目以降、緒方に焦りが出た。バント失敗、盗塁失敗という最悪のパターンを繰り返した。広島(緒方)の積極走塁作戦はリスクが高い。2戦目、無謀な本塁突入はチャレンジでアウトからセーフに判定が覆ったが、無謀な走塁であることに変わりない。この「成功」で調子に乗りすぎた感がある。とにかく、野球では簡単に相手に「アウト」を与えてはいけない。