2016年12月31日土曜日

大晦日、

佐藤さん宅にて、年越しパーティー。

谷根千の飲み屋仲間が集まりました。

日本酒、焼酎の一升瓶、ワインボトルが空いてゆく。



お寿司にはアボガド巻きが


イチゴ・ケーキまで



2016年12月24日土曜日

Jack and Scott

クリスマスイヴ、JackとScottが拙宅にやってきた。

下手な英語で話して飲んで食べて、楽しかった。

日本酒が好きなのに驚き。





2016年12月23日金曜日

鹿島アントラーズの傷


FIFAクラブワールドカップ(CWC)は開催国枠で出場した日本の鹿島(J1優勝)が決勝進出。欧州大陸王者のレアルマドリードと90分間では2-2と善戦した。延長で鹿島は4-2で負けたものの、鹿島の奮闘に対して世界中から称賛が寄せられた。

さて、鹿島アントラーズとは不思議なチームである。先のJ1優勝決定戦では3位の位置から勝ち上がり優勝をさらった。鹿島の優勝については、拙Blobにおいて、Jリーグの優勝決定システムの瑕疵を指摘しておいたので、繰り返さない。もちろん真のJ1王者は、前後期を通じて最も勝ち点を上げた浦和レッズである。

鹿島は、CWCでは開催国枠で出場権を得た。アジア大陸枠からはACLを制した韓国の全北が出場したのだが、準々決勝で北中米大陸王者のクラブアメリカに1-2で負けた。開催国枠とACL優勝枠とは出場の重みが違うと筆者は思う。もちろん大会レギュレーションでは開催国枠には厳しい日程が組まれていて試合数が多い。しかしそんなハンディはハンディにならなかった。

鹿島のCWCにおける善戦の要因は何か――といえば、“ホームの利”に尽きる。開催国枠クラブが決勝進出した事例は、2013年、北アフリカのモロッコ開催で起きていて、同国のラジャ・カサブランカが果たしている。同大会のアフリカ大陸代表はアルアハリ(エジプト)であった。また、2015年日本開催では、開催国出場枠のサンフレッチェ広島が3位になっている。ちなみち、広島3位のときのアジア大陸王者は広州恒大で、広州はなんと3位決定戦で広島に苦杯を舐めた。

日本のクラブが開催国枠以外で、つまりACL覇者としてCWCに出場したのは2007年の浦和レッズ、2008年のガンバ大阪の2回のみ。その2回のCWCは日本開催で、浦和、大阪とも3位の成績をおさめている。

つまり、日本開催のCWCならば、ACL王者であろうが開催国枠であろうが、日本のクラブでもけっこう戦えることが実績で証明されている。これすなわち、“ホームの利”にほかならない。

CWCは課題が多い。開催国が有利なのは、各大陸王者が開催国まで移動する時間が長いことに起因する。とりわけ欧州王者はリーグ戦の真っ最中。クリスマス休暇に突入する前だから、激戦が続いている。その時期におよそ15時間の飛行時間を経て、試合の3日前くらいに開催国にやってくるのだから、時差等でコンディションはよくない。欧州以外からでも、日本開催の場合、北中米、南米、アフリカのクラブならば、概ね20時間以上の飛行時間を覚悟しなければならない。

結論をいうならば、鹿島がJ1で年間勝ち点最多の成績(=優勝)をおさめ、さらにACLを制し、日本以外の開催地で行われるCWCで決勝に進むことができたならば、このたびの鹿島の善戦が実力によるものと証明される。幸い、来季からはJ1リーグは1シーズン制に復帰する。また、WCWの開催国はUAEに決まっている。つまり、鹿島がリーグ戦とACLを並行して戦い、どちらも手を抜くことなく、アジア大陸王者としてUAEに乗り込めるかどうか。そして、CWCの舞台でどれだけの成績をおさめられるのか。換言すれば、鹿島がACLを制せなければ、Jリーグで優勝してもCWCには進めない。鹿島がACLを制しても、Jリーグで優勝できなければ、リーグを捨てたと見做される。来季の鹿島アントラーズの戦いぶりを注視しよう。


2016年12月16日金曜日

学生時代からの友人との忘年会

大学時代に知り合ってから半世紀弱。

長い付き合いになった。

会うのは一年に一回だけになった奴が多いが。







2016年12月15日木曜日

イングランドから、

ジャックとスコットがやってきた。

二人ともドラマーだ。

世代としては、息子くらいの隔たりがあるが違和感はない。

谷中のビアパブ・イシイにて。






2016年12月14日水曜日

ジム友と忘年会

近くのROBCOさんにて、忘年会。

ワインが安いし食べ物も豊富。



2016年12月7日水曜日

読売、FA宣言選手を爆買い

NPB読売球団が資金力に任せて、2016年FA宣言選手を掻き集めた。既に入団発表があった森福允彦(投手、30才・ソフトバンク=SB)、山口俊(投手、29才・横浜)に加え、陽岱鋼(外野手、29才・日ハム)の入団も決定的と報道されている。今年FA宣言した注目選手はこれら3選手のほか、糸井嘉男(外野手、オリックス→阪神)、岸孝之(投手、西武→楽天)だったから、FA選手獲得に関しては読売が他球団を圧倒した感がある。

その一方、2016シーズン優勝した日ハム及び広島、戦力保持では日本一と思われるSBはFAに関しては表だった動きは見せなかった。読売に入団及び入団決定的な3選手については、阪神、オリックス、楽天等がオッファーを出したようだが、条件面で読売に劣ったと報道されている。

読売は補強戦略をもっていない

読売のFA補強には、どのような意図があるのだろうか。まず、左のワンポイント森福については、鉄人山口鉄也投手(34才)の衰え、勤続疲労を見越してのもの。投手王国だった読売だが、ベテランが多く、左腕のリリーバーは気づいてみたら山口鉄也だけ。賭博事件関与の高木京介(27才)には1年間の出場停止処分が課され、契約が解除されたまま。来シーズン、再契約されるかどうかは未定だ。日ハムとの複数トレードで読売に入団した吉川光夫(28才)は先発・リリーフの経験があるから、森福、吉川の左腕の補強は、読売にとって一見意味があるように思える。だが、日ハムの見返りに若手の左腕・公文克彦(24才)を放出しているから、読売の意図は理解しがたい。公文より森福、吉川のほうが、実績があるということか。

横浜から獲得した山口俊投手は先発か抑えか。読売の抑え澤村拓一(28才)は2016シーズン、最多セーブ王に輝いたが、勝負所でのセーブ失敗が目立ち、貢献度はそれほど高いとはいえない。横浜時代、山口俊は2016シーズン、抑えから先発に転向して成功した。この流れ及び読売先発陣の台所から見ると、山口俊は先発の方がベターということになる。菅野智之(27才)-田口麗斗(21才)-マイルズ・タイス・マイコラス(28才)-山口俊-大竹寛(33才)の5枚が先発として揃う。加えて、先発控えとして、左腕は内海哲也(34才)、前出の吉川、杉内俊哉(36才)が、右腕で高木勇人(27才)、桜井俊貴(23才)らがそろう。だが、不安定な抑え、澤村をサポートする投手はだれなのか。マシソンを抑えにする可能性もあるということか。

こうしてみると、読売のFAを中心とした補強は必然のように思えるのだが、逆の見方をすれば、読売の若手の成長がないことの証明ともなる。投手陣では前出のとおり公文が、そして小山雄輝(28才)が楽天に移籍してしまった。

ダブつく外野手

外野の陽の加入は読売にプラスなのか。読売の外野陣はNPPでは最強の布陣。ほぼ2チーム分の戦力を保持している。左翼にはギャレット・ジョーンズ、重信慎之助、中堅には立岡宗一郎、橋本到、右翼には長野久義、亀井善行。代打及び控えの控えとして、堂上剛裕、松本哲也らがいる。重信の二塁コンバートもあるらしいが、陽の加入で少なくとも5選手の出場機会が失われる。ケガや故障もあるから選手層は厚ければ厚いほどいいにきまっているが、読売の場合は常軌を逸している。読売球団は毎年大幅黒字経営で、予算というものがないのだろうか。選手を高給で掻き集めるよりも、入場料を下げて利益を消費者に還元する気はないのか。

読売への選手偏在がNPB衰退を加速

読売の選手補強の目的は、戦力アップという面ももちろんあるが、FA等で流動性の生じた選手を他球団に渡さないことにある。FA宣言した注目選手が他球団に移籍すれば、その球団の戦力が上がり、反対に選手が流出した球団は当然、戦力ダウンする。読売がFA宣言選手をすべて入団させてしまえば、読売は入団した選手が活躍しようがしまいが、少なくとも読売に敵対する戦力とはならないぶん、優位な戦い方ができる。戦力の囲い込みだ。飼い殺しでもいいという算段だ。

人的補償で有望若手が流出か

さて、FA制度の規定によれば、読売が獲得する(であろう)山口俊、陽については、読売が横浜と日ハムに人的補償として、2選手を放出することになる可能性が高い。既に移籍が決まった小山、大田、公文を除いてプロテクトされない選手を予想すると、西村健太朗(投手31才)、江柄子裕樹(投手30才)、中川皓太(投手22才)、長谷川潤(投手25才)、吉川大幾(内野手24才)、辻東倫(内野手22才)、中井大介(内野手27才)、藤村大介(内野手27才)等となる可能性が高い。横浜、日ハムがどのような選択をするか。両球団とも読売で花が咲かなかった才能のある中堅・若手を獲得して当然だ。そうなれば、読売の若返りはさらに遠ざかる。

マギーはライバル・阪神に渡せない

FA選手ではないが、読売がかつて楽天の日本一に貢献したケーシー・マギー(34)の獲得に成功したとの報道がある。マギーは阪神との競争だったという。マギーは一塁、三塁が守れる強打者。だから、昨シーズン、三塁が弱点で、しかも、一塁のマウロ・ゴメスが抜けた阪神が獲得したいというのは理解できる。

ところが、読売の場合は、捕手復帰を諦めて一塁専任になった阿部慎之助(37才)がいるし、三塁には2016シーズン、ゴールデングローブ賞をとった守備の名手で強打(打率302、25本塁打)の村田修三(35才)が健在だ。しかも、若手の大砲といわれる岡本和真(20才)が控えている。マギーが入団すれば必然的に岡本の一軍戦出場機会は減少する。岡本も大田と同じ道を歩む可能性が高まった。

マギーを阪神に渡して活躍されれば、読売にとって大いにマイナスだ。ならば、読売に入れておけば、マギーが読売で試合に出なくても、阪神で活躍されるよりはマシだということか。

読売の頽廃的戦力補強

読売の「補強」は補強とはいえない。資金力に任せた頽廃的行為、爆買いだ。競売に出た商品はすべて競り落とす――それが読売の補強戦略か。その弊害は若く才能ある選手の芽を摘み、他球団で活躍できる選手を二軍で腐らせる結果となる。大金が稼げればいいという選手の希望を読売はかなえてはいるが、スポーツとしてのNPBをつまらなくさせ、ファンは高額なチケット代負担を強いられる。

読売の爆買いは、結果として、長期的に見てファンの支持を失うだろう。現に、広島、日ハム(北海道)、福岡SB(九州)といった地域密着球団が、球団としての実力及びステイタスを上げつつある。ファンは、若く、フィジカルに優れた選手で構成された球団に注目するようになり、FA等で寄せ集めたピークを過ぎた中年選手が集まった球団に魅力を感じなくなる。

FAでは読売の弱点(二塁、捕手)の補強はできない

そもそも読売の弱点はなんだったのか。投手陣全体の衰えは確か。今年のFAとトレードで、投手の補強はある程度できた。しかし、読売の致命的欠陥は二塁と捕手ではなかったのか。しかしながら、この2つのポジションでFA宣言した有力選手はいなかった。その結果、2017シーズン、読売は2つの弱点を克服できないままとなる。そもそも捕手は世界的に人材難、自前で育成するしかない。二塁も現代野球のキーといわれる重要ポジションで、探せばかんたんにみつかることはない。ところがいまの読売において、若手台頭の気配はない。山田哲人(24才ヤクルト)や菊池涼介(26才広島)がFA宣言するのは何年先となろう(笑)

2016年12月4日日曜日

浦和は負けるべくして負けた―J1CSファイナル

◇JリーグCS決勝第2戦 鹿島2-1浦和(12月3日/埼玉)

CS2戦目は鹿島が浦和からアウエーゴール2を奪い、CSチャンピオンとなった。年間勝点トップの浦和が同3位(前期優勝)の鹿島に負けた結果、年間3位チームがリーグチャンピオンとなってしまった。こんな結果に違和を感じるのは筆者だけだろうか。何度も拙Blogで書き続けてきたことだけれど。

●適正だった主審のジャッジ

そのことを詳述する前に、CSの2試合について、簡単に触れておこう。第一に、決勝第1戦に比べて、主審のジャッジが格段に良かったことを挙げたい。拙Blogで触れたとおり、Jリーガー、海外組を問わず、日本人選手は選手同士の接触プレーに弱い。その主因はJリーグの審判団がデュエルを好まないからだ。見かねた代表監督のハリルホジッチがその必要性・重要性をことさら強調して改善を要請してきた。しかし、Jの審判団はハリルホジッチの希望にこたえていない。その代表的な試合がCS第1戦だった。

ところが、第2試合の主審は実に的確に接触プレーを判定した。その結果どうなったかというと、御覧のとおり、フィジカルの強い鹿島が浦和に勝った。この試合の笛を第1試合の主審が吹いていたら、浦和は負けなかったかもしれない。つまり、浦和の1勝1分けもしくは2勝で終わった可能性が高かった。

●浦和の守備力に難あり

第二は、浦和の守備力の弱さだ。前出のとおり、浦和選手のフィジカルに難点が目だったが、とりわけ守備面でその弱さが表出した。

メディアは浦和のCS敗退を「埼スタの悲劇」「番狂わせ」「下剋上」と、予想に反した結果として報道しているが、果たしてそうなのだろうか。筆者はCS制度が導入された昨年今年のJリーグに興味を失っていたのでその試合を見ていないが、CS2試合を見た限りでいえば、浦和に足りないものはフィジカル及び守備力だ。鹿島に同点に追いつかれたのは、前半40分、浦和の左サイドにでたロングボールを処理しようとした浦和DFが、鹿島の遠藤に簡単にボールを奪われ“どフリー”でクロスを上げられ、右サイドのノーマークの金崎にゴールを決められたもの。守備的MF阿部もケアしきれなかった。

浦和は攻撃力に定評のあるチームだといわれているようだが、守備力は弱い。DFの背後に配されたパスもしくはロビングに対応しきれなかった。3バックの両サイドに広大なスペースがある。だれがどう守るのかの決め事がないようにみえる。決勝PKを献上したシーンは前がかかりになった自陣で簡単にボールを奪われ、決定的なパスをつながれて槙野が鹿島のFWを背後から倒したもの。浦和敗戦の戦犯は、左サイドの守りを担当する槙野、宇賀神、阿部だ。

違和感残る「真の王者」――鹿島がJ1最強なのか

さて、CSの結果、J1の「真の王者」は鹿島となった。年間勝ち点74の浦和に対し、3位の鹿島は59と“5勝分”にあたる15点もの勝ち点差があった。J1リーグ戦年間順位は、1位=鹿島(勝ち点59)、2位=浦和(勝ち点74)、3位=川崎F(勝ち点72)。違和感が拭えない。

(一)後期を捨てたチームでもCSに参戦できる?

年間勝ち点首位の浦和が負けた結果、CS制度の矛盾が一気に噴出してきた。その第一点目は、後期を意図的に捨てたチームでも、CSに参戦できること。鹿島は前期優勝を果たしたが、後期はまるで振るわず、内紛まで起こしたチーム。前期優勝で気が緩んだのか、意図的に後期を捨てたのか定かではないが、後期は試行錯誤を覚悟して臨んだ可能性が高い。鹿島の心理を大げさに書けば、“前期優勝でCS出場権を確保した。後期いくら一生懸命やってもCSがあるから、流そう”と。そんなムードがあったかどうかは知らないが、ただいえるのは、前期を制したチームは、後期について、CSに向けた調整期間としてとらえることが可能だということ。

(二)シードの浦和は実戦から遠ざかりすぎ

第二点目は、リーグ(後期)終了から、シードチーム(今年は浦和)はCS決勝まで空白期間があること。浦和は年間勝点1位を決めてから3週間以上も間が開いた。公式戦は、11月12日に行われた天皇杯4回戦以来となる。試合勘に不安があって当然だ。

一方の鹿島は川崎と試合(11月23日)をして「肩慣らし」をして29日に決勝第1戦を迎え(0-1で負け)、2戦(12月3日)に臨んだ。浦和に比べれば、きわめて順当な間の取り方だ。実戦から遠ざかっていた浦和の第1戦は辛勝。精神的に優位に立てなかった可能性がある。いわゆる「追われる立場」の弱さだ。

●CSが明らかにした、J1リーグのレベルの低さ

浦和のCS敗退はもちろん、制度の欠陥だけではない。浦和の弱点は、前述のとおり、フィジカルの弱さであり、3バックのもつサイドの空きスペースを埋めきれなかった点であり、翻っていえば、攻撃重視の姿勢が前のめりとなりすぎ、横の視線が欠けたことにある。守備ブロックという概念さえ、浦和の選手には欠落していたように思われる。

フィジカルが弱いから、相手のプレッシャーが強ければ、ボールを奪わる回数が増える。前のめりでしかも、3バックだから、サイドに大きな穴が開く。自陣でボールを奪われれば、相手に決定機を与える。一発勝負となれば、偶発性、ミス等によって、勝敗の行方は左右される。第1戦は判定に救われて先勝したが、2戦目の主審は浦和に有利な判定をしてくれなかった。浦和は負けるべくして負けた。

CS制度が「真の王者」の決定の場として相応しくない場であることだけが証明された。確かにこのような制度は矛盾が多い。今年で最後となるのは当然だ。CS制度に飲み込まれた浦和は、ある意味において、悲劇のチームだといえなくもない。

しかし、CSファイナルに出場した2チームのレベルはどうなのだろうか。難点ばかりが目立った浦和が、年間勝ち点トップなのはなぜか。フィジカル面で強さを見せた鹿島の後期の成績はどうなのか。普通ならば3位のチームにすぎない。J1のレベルアップが望まれる。


2016年11月30日水曜日

低すぎる主審の力量――Jリーグチャンピオンシップ

<Jリーグチャンピオンシップ:鹿島0-1浦和>◇決勝第1戦◇29日◇カシマ

浦和がアウエーゴールをPKで得て先勝。優位に立った。試合内容を一言でいえば、「つまらない」。その主因は、ホームの鹿島がアウエーゴールを怖がって、「得意」とする守備的サッカーに持ち込もうとする消極策にあった。

Jリーグの問題点――チャンピオンシップという愚かな制度

試合内容とは離れてしまうが、日本プロサッカーの最高峰に君臨するJ1リーグが抱える二つの問題点を指摘しておきたい。第一は、チャンピオンシップ(CS)という制度。このことは拙Blogで何度も指摘してきた。Jリーグは昨年、今年をもって廃止するとのことだが、当然だ。そもそも採用すべきではなかった。

ポストシーズンは広大な北米大陸が舞台でこそ意味を持つ

ポストシーズンという制度は、管見の限りだが、アメリカMLBが広めたものではないか。アメリカの国土は日本の25倍の広さを持ち、人口もおよそ3倍だ。MLBにはカナダも参加しているから、北米大陸のスケールは、日本と比較にならない。

だから、リーグとは別に「地区」という概念を基礎とした制度に有効性がある。「地区」の勝者が競い合うポストシーズンという短期決戦がコンテンツとして生きてくる。一方の日本で「地区」といえばせいぜい「東西」くらい。実際に東西を基軸にJ1リーグ18チームを分けてみても、地区の勝者同士が優勝カップを争うことにリアリティはない。

そこでJリーグ(事務局)が無理くりつくったのが現行制度。前後期それぞれの優勝者に年間勝点を絡ませたものだが、今季は前期優勝の鹿島が年間勝点で3位となったため、年間最多勝点及び後期優勝の浦和が1位、そこに年間勝点2位の川崎が2位となって、鹿島と戦って負けたため、浦和―鹿島が決勝(ホーム&アウエー)となった。

CSはマラソンの後に短距離走をさせるようなもの

かくも不自然な制度はいわば、マラソンの後に短距離競争で優勝者を決めるようなもの。マラソンでトップが浦和、2位が川崎、3位が鹿島。次の短距離走で川崎と鹿島が争って鹿島が勝ち、その鹿島が浦和と短距離走を2回やるという具合だ。こんなバカバカしい制度をよくつくったものだと感心するが、メディアもサポーターも真面目である。「真の勝者はどこだ」なんてキャッチフレーズで煽っている。

リーグ戦というのは、勝負の偶発性を排除するため、各チーム総当たり2回戦(ホーム&アウエー)で実力を競うもの。そこで勝ったものが「真の勝者」である。前後期制度であれば、スタートダッシュに成功したところが前期優勝者となってしまう。その反対に、前期を捨てて、後期に勝負をかけるようなチームが後期優勝を果たすような弊害は、年間リーグ戦制度ならば排除できる。

日本では低調なカップ戦

サッカーでは、短期戦のおもしろさも楽しめる。実力よりも偶発性を楽しむもの。いわゆる「下剋上」の醍醐味だ。トップリーグのチームが下部リーグに苦杯をなめることもある。それがカップ戦である。

日本サッカー界にもカップ戦はある。Jリーグが運営するのが、J1限定のJリーグカップ(ルヴァン杯)。そして日本サッカー協会が運営するのが天皇杯で、これは完全な一発勝負。前者は代表選手が抜けた期間に試合が行われる。後者はJリーグ終幕後に日本中のサッカーチームが参加するものだが、J1チームでは、選手・監督等の契約事務が終了した後の試合になるため、緊張感はない。元旦に決勝戦が行われる、いわば「年中行事」「季語」「縁起物」のような意味あいが濃い。天皇杯優勝者が日本最強クラブだと信じているサッカーファン、関係者は、おそらくごく少数だろう。

ACLも低調

アジアのクラブチームが短期で争うACLもある。だが、これが全く日本では盛り上がらない。日本におけるACLは、欧州のチャンピオンリーグのような価値をもっていない。その理由はまた別の機会に述べたい。

かくしてJリーグでは「チャンピオンシップ」という超短期戦が始まったのだが、サッカーファンも選手も関係者も、これまで述べたごとく、制度自体の欠陥を容認できなくなり、今年で終了する。浦和-鹿島の視聴率は、わずか7.3%だったという。

主審が下手すぎる

第二の問題点は、主審の力量の低さ。浦和の決勝点となったPKは誤審である。リプレー映像で確認しても、あれがファウルならサッカーにならない。接触で倒れればファウルがもらえるのならば、日本サッカーは確実に弱くなる。日本代表監督のハリルホジッチが“デュエル”を強調しても、リーグで軟弱なサッカーが容認されているようなら、選手は強くならない。誤審はPKばかりではない。アドバンテージで流すべきところを止める。イエローの基準があいまい。「最強決定」の試合でこれでは、日本サッカーは向上しない。

下手な審判は一線を退いてもらうしかない

“サッカー(スポーツ)に誤審はつきもの”だとか“審判は絶対”…という言説が日本のスポーツ界では「常識」のように語られ、審判批判は非常識だとされる。だがこれは誤りまたは誤解である。判定が覆らないだけの話である。

下手な審判は、適正な評価の下、処分されなければならない。処分内容を公表するかしないかは別問題。下手な審判は退いてもらうしかない。しかし、評価を行う機関の適正さが担保されていなければ意味がない。元審判が現役審判を仲間内で評価するのならば、それは機能しない。審判の技量を向上させる制度構築が必要となる。

微妙な判定については、メディアがリプレー映像を積極的に流してほしい。スタジアム、TV中継、スポーツニュース、スポーツ特番、インターネット…そこで検証されるべきである。

拙Blogにおいて既に書いたが、W杯アジア最終予選で日本代表に有利となる誤審を中継するTV局がリプレー映像を流さなかった。日本有利の誤審は2試合続いたのだが、2試合の中継がそれをパスした。一方、日本不利の判定だったUAE戦では、繰り返しリプレー映像が流された。これが日本のスポーツメディアの放送コード。あきれてるばかりだ。

そればかりではない。日本サッカー協会が、スタジアムでのリプレー映像の放映を中止するよう要請したという。協会が審判技術を信用していないあらわれである。協会は、技術の高い審判を養成する自信もない。

TV中継解説者は応援団か幇間では情けない

最後に、メディアの問題に改めて触れておく。この試合、民放のTV中継で観戦したのだが、そのときの解説者は2名。別に1名のCSアンバサダーとやらがが登場していた。筆者が彼らの解説を聞く限り、彼らの言説は、応援団もしくは誉め役のそれであって、試合及びプレーに係る技術、戦術等の専門的指摘ではない。「○○選手に入れば期待が持てる」「うまいですね」…と彼らが力説するも、両チームともPK以外の得点なし。守備がいいから点が入らない、ではサッカーにならない。

0-0のスコアレスドローが緊張した、いい試合なのか。この試合では、両チームの攻撃陣が精神的にも肉体的にも委縮していた。真の解説者ならば、相手の守備をどう破るのか――自分が監督ならどんな指示を出すのか、自分が選手ならどんなプレーをするのか――視聴者が専門家から聞きたいことは、専門的言説である。「うまい」「期待する」「いい試合」「緊迫してます」なんてのは、解説ではない。「盛り上げ役」でギャラをもらうというのは、虫が良すぎる。

2016年11月21日月曜日

章一君の手料理

章一君の東京事務所兼自宅に招待された。

王子駅から徒歩10分くらいのマンション。
部屋には仕込んだ骨董品がたくさんあった。



料理の腕もなかなかのもの。

献立:

  • 豚の香料煮込み
  • 卵とトマトのスープ
  • 牡蠣と豆腐のスープ
  • 海鮮(白身魚、海老)とエノキダケの生姜・青唐辛子煮込み
  • 刺身



2016年11月18日金曜日

章一君

中国杭州市から章一君が拙宅にきた。

彼は骨董のバイヤーで、本国でいろいろな事業を展開している。

若き起業家、いまのところ事業は順調らしい。

章一君

イスラム風のティーポットを土産にくれた


2016年11月16日水曜日

サッカー日本代表、誤審とサウジの自滅で命拾い

▼ロシアW杯アジア最終予選]日本 2-1 サウジアラビア/11月15日/埼玉

日本がホームでサウジアラビアを2-1でくだし、グループ2位に順位を上げた。

出場選手は以下のとおり。

GK西川周作
DF(Lsb)長友佑都、(Cb)森重真人、(Cb)吉田麻也(Rsb)、酒井宏樹
MF(D)山口蛍、(D)長谷部誠
MF(O) 清武弘嗣(⇒香川真司、後半19)
FW(Rs)原口元気、MF(Rs) 久保裕也(⇒本田圭佑、後半03)
FW(C)大迫勇也(⇒岡崎慎司、後半48)

本田、香川、岡崎がベンチスタート

特筆すべきは、既に多くの報道が示すとおり、不動のメンバーといわれてきた、本田、香川、岡崎が外れ、久保、清武、大迫が先発に名を連ねたこと。筆者は12日の拙Blogにおいて、「鮮度を取るか、実績を取るか」と書いたが、ハリルホジッチは「鮮度」を取り、結果を出した。

筆者は、ハリルホジッチの成功を日本のサッカー発展という視点で評価したい。「本田」に代表される海外ブランド信仰は、スポーツ選手の実力評価とは無縁のマーケティング的視点。彼らは大手広告代理店操作による「広告塔」だ。ハリルホジッチは前任者ザッケローニと同様、“本田と心中”する覚悟だと筆者は書いたが、この試合を境にして腹をくくった。本田をとれば、自分は職を失うと。彼は本田との心中から心変わりした。

ミランで控えが続く本田のことを、「二軍の巨人軍選手」と揶揄したコメンテーターがいた。いい表現だ。二軍でも巨人の選手だといってありがたがる野球ファンがかつては多かったようだが、いまはそうでもない。今日の野球界のスーパー・スターは、イチロー、大谷、筒香、ダルビッシュ、田中であって、巨人の選手ではない。サッカー界(=メディア業界)ではいまだ、“ミランの10番”だけが取り柄の本田にすがっている。

日本勝利の4要因

(一) ブランド選手から、調子のいい選手の起用へ

ハリルホジッチの勝因を整理しておこう。第一は、ここまで書いてきたとおり、先発メンバーを変えたこと。「広告塔」から実力本位、コンディション本位にしたことだ。オフェンシブMF(トップ下)を香川から清武にしたことにより、チームの攻撃に推進力と多様性が生じた。本田を外したことにより、速さが加わった。大迫を真ん中に入れたことで攻撃の基点のターゲットが明らかになった。

(二)献身的プレーの復活――原口の頑張り

二番目は、FW(Ls)原口が勝利のために献身的姿勢を貫き、自身のプレーでチームメイトに示したこと。彼はとにかく攻守に身体をはり、よく走った。そのことで、チーム全体に貢献の意識が共有された。もっとも、原口の姿勢を学ばなかった選手もいたが、そのことは後述する。

この試合まで原口と対称に位置するFW(右サイド)の「オレサマ本田」は、自分が得点する意識ばかりが強く、守り、攻守の切り替えの意識がない。本田は右サイドラインの守備をおろそかにして、真ん中に入りすぎる。そのため攻守のバランスを崩していた。

一方の原口は、左サイドライン沿いの前線から自陣までの守備に献身的に取り組んだ。チームへの献身という意識が原口と本田の差である。サッカーの神様は、献身的な原口に得点機会を与えた。

なお、原口が左サイドを行ったり来たりするプレーについて、スポーツコメンテーターの岩本輝雄氏は、原口の運動量に敬意を表しつつ、「原口に長い距離を走らせるのは、左サイドバックの長友、ボランチの長谷部の守備に問題があり、チームとしては良くない」という指摘をした。慧眼の至りとは、まさにこのこと。

原口が若く、体力があり、W杯出場のモチベーションが高い選手であるのに比べ、長谷部、長友はW杯経験者で若くない。がむしゃらさが失われていたとしてもそれは自然過程というもの。若い選手にチャンスを与えたほうが、W杯予選では良い結果に結びつく。

(三)誤審で日本優位の展開に

主審が日本に絶好のプレゼントを与えてくれた。問題のシーンをリプレー映像で見る限り、清武のシュートはサウジアラビアDFの胸に当たっていた。その跳ね返りが手にふれたかどうかまではわからないが、手にふれたとしても故意によるものではないから、ハンドはない。日本にとってプレッシャーのかかる試合、予期せぬ先取点を日本がもらったことにより、この試合の展開は大いに日本有利となった。

なお余談だが、日本のTV中継ではこのような微妙な判定について、角度を変えた映像を繰り返し流すことがない。日本に不利な判定の場合はリプレー映像を流すが、日本有利の場合はさらりと切り抜ける。海外のサッカー中継ではそのようなことはあり得ない。これでは国際映像としての価値をもたない。日本のテレビ中継を世界中のスポーツファンが楽しむ時代、TV業界は相変わらずの鎖国状態で偏狭なナショナリズムに支配されている。誠に嘆かわしいし、情けない。

(四)サウジアラビアの戦術的失敗

・サウジのアンチフットボールが逆効果

サウジアラビアの闘争心が空回りした。試合開始早々から、彼らは苛立っていたように見えた。と同時に筆者はW杯南アフリカ大会決勝のスペイン1―0オランダを思い出していた。この大会でオランダ代表を率いていたのが、いまサウジアラビア監督のベルト・ファン・マルワイク。彼は技巧派でこの時代、絶頂期にあったスペインに対し、序盤から徹底したアンチフットボールを仕掛けた。試合は荒れに荒れ、オランダは9枚のイエローをもらい(CBヨン・ハィティンハが2枚目のイエローで退場)、スペインに敗れた。サウジアラビアのラフプレーがファン・マルワイクの指示だったかどうかはわからないが、主審の心情がホームの日本に傾いたことは否定できない。

・ボールを持ちすぎたサウジ

サウジアラビアの選手はボールを持ちすぎた。彼らはボールをもつと、なぜかしらないが、ワンプレーを入れたがる。とくに前線の攻撃側の選手に顕著だった。ホーム日本が激しいプレスをかけてくるものと予期して、一回ボールキープして日本選手が飛び込んでくるのを外すことを目的としたプレーなのだろうか。そのため、攻撃がワンテンポ遅れ、逆に日本の前線の選手の落ち着いた守備に引っかかった。このことが、サウジアラビアが攻撃にリズムをつかめなかった最大の要因である。逆にいえば、日本の選手がむやみに飛び込まなかった成果ともいえる。この面では日本の情報収集力がサウジに勝っていた。

サウジアラビアが攻撃の形をつくり始めたのは、日本の追加点が入った後半35分以降。ここから、ややパワープレー気味のロングボール主体に攻撃スタイルを切り替え、日本を追い込み始めた。しかし残り10分余りとなれば、1点を返すので精いっぱい。同点に追いつくことはできなかった。

日本のDFは高さに弱いし、ペナルティーエリアでミスを犯す傾向がある。展開力にこだわらず、パワーに重きをおいた攻撃に早めに切りかえておけば、日本を崩せた。知将といわれるファン・マルワイクだが、この試合に限れば、彼の策略はすべて裏目に出た。日本を甘く見たのか、策に溺れたのか、サウジのサッカーに自信過剰となっていたのか定かではないが、日本の献身的かつ走る守備的サッカーがサウジアラビアのパワーを上回る結果になった。

日本代表、まだまだ続く茨の道

日本はホームでサウジアラビアに勝ち、予選折り返し点でグループ2位の自動出場権が得られる順位に入った。日本の成績はホームで3試合、勝点6(UAEに勝点0、イラクに同3、サウジに同3)、アウエー2試合で同4(タイに勝点3、オーストラリアに勝点1)の10。2017年のアウエー3試合(UAE、イラク、サウジアラビア)は、ホームよりもはるかに厳しい。この3試合で勝点5以上なら、2位以内を確保できるだろう。

ライバル、オーストラリアが最下位タイと引き分けたのは朗報だが、とりあえず、ロシア行きの確率を五分に戻しただけ。清武、原口、大迫という新戦力の発見はプラス材料だが、逆にいうと、日本の伸びしろはもうないという見方もできる。ハリルホジッチの茨の道はまだまだ続く。

2016年11月13日日曜日

トランプのアメリカと日本

(1)アメリカの中間層革命

アメリカ大統領選挙は予想外の結果でトランプがヒラリーに勝った。筆者も予想していなかったけれど、投票日前、NHKTVが放映したエマニュエル・トッドの特番を見たあたりから、トランプがもしかしたら・・・という漠とした思いを抱くようになっていた。そして、その思いが現実となってしまった。

トッドはトランプ現象を「アメリカ中産階級の革命」だと評していた。米国の中産階級をいかに定義するかは議論があると思うものの、格差社会の急速な進展の中で没落する可能性の高い人々なのだろう。エリート層から疎外され、転落する可能性に抗えないとなったならば、そうした状況を脱するため、彼らは悪魔にすがることも辞さない。それが革命的意識の醸成根拠である。

おそらく8年前、彼らはオバマに希望を見出し、オバマに投票したはずだ。ところがオバマは革命(チェンジ)どころか、エリート層のいうままに格差を固定化し、中間層を見捨てた。だから、彼らは「ヒラリー」を嫌った。「ヒラリー」は「オバマ」と変わらない。アフリカ系の次は女性というエリート層のイメージ戦略を見抜いていた。「ヒラリー」になっても「オバマ」と変わらないことを予見していた。

このたびの中間層の選択を「革命」というならば、彼らが意図する現状変革のための最初の一歩は成功した。ただ、それが「トランプ」というところが納得できない。トランプが繰り返してきた言説はヘイトスピーチだった。それをおもしろがってアメリカのメディアが流し、結果的に宣伝したことがトランプの勝因の一つだった。中間層に革命的意識が広がったとき、そのエネルギーを負(トランプ)ではなく正(?)に転換することにアメリカ社会は失敗した。

トランプは共和党の予備選で敗退すべき候補者だった。ところが、そんな存在がいつのまにかトランプ現象となってしまった。その主因は、前出のとおり、メディアがトランプの言説を容認し、拡声器となってアメリカ社会に流し続けたことにある。その結果、トランプという負のエネルギーは中間層の反エリート意識と混合し、膨大な数へと膨れ上がっていった。そうなってしまえば、もうだれも止められない。風、流れ、潮流・・・いろいろな表現があるが、理性が投票行動を律する状況から、情動的で単純な言説に人々が囚われていくうねりが生ずる。女性、非白人、移民、イスラム教徒・・・といった差別意識が白人層に高じ、トランプ現象となり投票行動に結実する。

(2)トランプのアメリカと日本

このたびのアメリカ大統領選挙が日本人に有益であったのは、アメリカ社会の実情を知ったことにある。アメリカは自由の国ではないこと、豊かな社会でもないこと。むしろ、断絶、格差、貧困、差別・・・が日本以上に進んだ、歪んだ国だということ。〝アメリカンドリーム″は遠い過去の神話だということ――を思い知ったことではないか。

それでもアメリカに無条件に追従していこうとする日本の政治指導部の愚かしさが白日の下に晒されたのが、TPPの強行採決である。日本の総理大臣は、なにも見えていないかのようだ。

日本がもっとカネを払わなければ、米軍を撤退させるぞと脅すトランプに慌て怯えているのがその彼であり、その側近たちだ。トランプの脅しは、未果じめ料を払わなければ、お前の店がどうなるか・・・と脅迫する暴力団と同じレベル。そんな脅しに自ら屈してしまおうと、さっそくトランプに挨拶に行くそうだ。まずはトランプ詣でか。「トランプさん捨てないで」か。

アメリカは内部から崩壊しつつある。アメリカが世界に誇れるのは唯一軍事力だけ。だが、軍事力で古代世界を制圧していたローマ帝国も、それだけで存続することはできなかったという歴史がある。

アメリカを絶対化し、それに隷属することばかり考える日本の政治家、公務員、学者、メディア業界人・・・トランプショックからすみやかに目覚め、相対的にアメリカを見るときがきたことを自覚せよ。


2016年11月12日土曜日

退屈な調整試合だったオマーン戦

サッカー日本代表がアジア予選サウジアラビア戦を前に、オマーンとテストマッチを行い、4-0で勝った。

ただし、この試合は親善試合、練習試合、調整試合であって、得点差、試合内容、試合展開、活躍した選手を評価する材料にはならない。

得点者は大迫(2得点)、清武(PKによる1得点)、途中交代出場の小林(1得点)と、新戦力が機能したかのように見える。斎藤も鋭いドリブルを見せた。

守備面でも相手を完封したのだからといって、CBの丸山、守備的MFの永木が即、合格だともいえない。相手が相手であって、彼らが次のサウジアラビア戦で同様の活躍ができる保証はない。

オマーンは外形的には「仮想サウジアラビア」かもしれないが、まるで異なる相手。こんな試合に高額な入場料をとる協会はあこぎである。強化というならば、今季J2に降格した湘南を相手にしたほうが効果的。湘南の堅守速攻のほうが来日したオマーンよりも強くて速い。

まるで歯ごたえのないオマーンを相手に、先発で見せ場をつくれなかった「日本のエース」、本田の調子の悪さが心配である。ハリルホジッチも前任者のザッケローニ同様、本田と心中する覚悟のようだが、早いところ見切りをつけないと、ロシアに行けなくなる可能性が高くなる。

香川、岡崎、原口の状態がわからないが、サウジアラビア戦の先発メンバー発表が楽しみ。実績をとるか、鮮度の良さを取るか。サウジアラビア戦は本番なのだから、失敗は許されない。

2016年11月2日水曜日

NPB、2016シーズン総括(パリーグ・日本シリーズ)

2強(日ハム、ソフトバンク)4弱(ロッテ、西武、楽天、オリックス)は的中

遅まきながら、パリーグの総括をしておこう。シーズン前の筆者の予想は以下のとおり。

(1)ソフトバンク、(2)日本ハム、(3)西武、(4)ロッテ、(5)楽天、(6)オリックス

実際は、
(1)日本ハム、(2)ソフトバンク、(3)ロッテ、(4)西武、(5)楽天、(6)オリックス

であった。


「ソフトバンク、日ハムの2強、4弱」と予想していたので、かすらなかったわけではない。しかも下位の楽天、オリックスは当たっている。セリーグの予想よりはましな結果だった。

パリーグについては、筆者の予想云々よりも、日ハム、ソフトバンクの2強状態がしばらく続きそうな気配が濃厚で、とても気になっている。とりわけ、西武、楽天、オリックスは来シーズン以降、ブレークする要素が見当たらない。球団経営に本気で取り組まないと、パリーグはこの先、人気凋落傾向に陥る可能性が高い。


地域活性化手段としてのプロ球団経営

日本シリーズは日本ハムが広島を4勝2敗で退け、日本一に輝いた。広島(ホーム)は初戦、日ハムのエース大谷翔平を叩いて先勝、第2試合もものにしたが、札幌で失速して3連敗。悪い流れはホームに戻っても断ち切れず、日ハムに押し切られた。

熱戦、接戦と評価の高かったシリーズであったが、筆者の見方としては、バッテリーエラー、守備エラー、サインの見落とし等、ミスの目立ったレベルの低い内容に終始した。

ただ、ホームの利が鮮明となったシリーズで、その点は評価したい。これまでの読売一辺倒のNPBの風景が急激に変容していることが見て取れた。審判の判定に「ホームの利」が露骨にあらわれたのも、特徴ではないか。

NPBが地域密着化し、MLBに近い形態になりつつある。地域経済活性化が期待できるわけだから、地場産業、地域財界などが球団経営に興味をもてば、この先、NPBの球団増が期待できる。これまでの12球団から16~20球団になれば、ポストシーズンのあり方も変わる。NPBが読売の販路拡大ツールから、地域に根付いたスポーツ文化として発展する道筋が見えてきた。

広島の敗因は緒方監督の力量不足

シリーズを決めたのは、栗山と緒方に係る監督の力量の差だった。栗山が短期決戦で即断即決して結果を出したのに対し、緒方はペナントレースの形に固執して失敗した。現在行われているMLBのワールドシリーズを見ている人はわかることだが、投手起用においては、先発を中3日で登板させたり、クローザー(チャップマン)を中抑えに起用したりと、指揮官は変幻自在の策を講じている。

第6戦、ホーム広島は、セットアッパー(SU)に不調のジャクソンを投入して失敗した。野球評論家の張本氏が指摘したように、あの場面は黒田博樹で行くべきだった。筆者は黒田もしくは中崎翔太でもよかった。中崎をSUで起用し広島リードで9回表を迎えられたならば、クローザーはもちろん黒田だ。黒田が打たれて広島の日本シリーズ敗退が決まっても、ファン、選手は納得する。勝てば、第7戦に総力全力を上げればいい。短期決戦とはそういうものだ。
 
3戦目以降、緒方に焦りが出た。バント失敗、盗塁失敗という最悪のパターンを繰り返した。広島(緒方)の積極走塁作戦はリスクが高い。2戦目、無謀な本塁突入はチャレンジでアウトからセーフに判定が覆ったが、無謀な走塁であることに変わりない。この「成功」で調子に乗りすぎた感がある。とにかく、野球では簡単に相手に「アウト」を与えてはいけない。

2016年10月16日日曜日

日本プロ野球2016シーズン総括(セリーグ)

日本プロ野球(NPB)はセリーグのポストシーズンが終了。広島がDeNAをくだして、日本シリーズ進出を決めた。

セの順位は筆者の予想をはるかに超えた結果に

セの2016シーズンの順位等を総括しておこう。

(1)広島、(2)読売、(3)DeNA、(4)ヤクルト、(5)阪神、(6)中日

優勝した広島と2位読売のゲーム差はなんと17.5。広島の独走、圧勝のシーズンであった。

筆者の開幕前の予想は、(1)読売、(2)ヤクルト、(3)阪神、(4)広島、(5)DeNA、(6)中日であったから、最下位の中日だけが当たっただけ。しかも、筆者は読売が断トツで1位と予想したのだから話にならない。

繰り返して書くが、筆者が読売独走を予想した根拠は、▽他の5球団が戦力を落としたこと、▽原が監督を辞め、新しい指揮官が任命されたこと、▽投打とも、圧倒的な戦力を維持していたこと――であった。2016シーズンの覇者広島であるが、エースの前田健太(マエケン)がMLBに移籍。昨年の覇者ヤクルトもクローザーのバーネットが退団。阪神はクローザーのオスンファン、強打者マートンが退団。読売のライバルたちがことごとく戦力をダウンしたと思われた。

しかも筆者の見立てでは、DeNA、中日は選手層が薄く、戦力的にみて下位に沈むはずだった。つまり、読売が維持している分厚い選手層が機能すれば、相対的に読売が独走すると考えたのだ。ところが、DeNAが3位に進出し、しかも、読売をポストシーズンでくだし、ファイナルに進出してしまった。これも予想外。

読売の敗因を探る

(一)打撃は昨年を上回る成績

読売のチーム成績をみてみよう。個人部門では、坂本が首位打者、投手では菅野が防御率トップ、澤村がセーブ数トップ、マシソンがホールドポイントでトップ。投打の個人成績のうち、4部門を読売の選手が取った。

打撃成績はチーム打率251でリーグ3位。昨年が243で最下位だったから、打撃は好調だったといえる。個人成績を見ると、打率(規定打数以上)では、坂本344(269)、村田302(236)、長野283(251)、規定打数以下では、阿部310(242)、亀井252(272)、橋本233(219)、立岡229(304)・・・【※(  )内は2015シーズン成績】となっていて、主軸の阿部、村田、坂本、長野が昨シーズンの成績を大きく上回った。昨年活躍した立岡が故障で試合に出られなかったというマイナス面はあるが、読売の主軸は、昨シーズンを上回る成績を残したのである。

(二)投手陣は悪化

チーム防御率を比較すると、昨年が2.78の1位。今年は3.45と下降してリーグ3位に終わった。個人成績では、先発投手陣の内海が9勝6敗、防御率3.94(2勝1敗、防御率5.01)、大竹6-6、3.55(3-4、3.21)、高木勇5-9、4.31(9-10、3.19)、ポレタ1-3、4.00(8-8、2.94)、マイコラス4-2、2.45(13-3、1.92)、菅野9-6、2.01(10-11、1.91)、田口10-10、2.72(3-5、2.71)。

リリーフ陣はマシソンが70試合登板、49ホールドポイント、防御率2.36、(63試合登板、31ホールドポイント、防御率2.62)、山口が63、20、4.88(60、33、2.73)、澤村が63、37セーブ、防御率2.66(60登板、36セーブ、防御率1.32)であった。

先発陣では外国人のマイコラス、ポレタ及び高木勇の3投手が戦力として機能しなかった。田口が成長したが、彼だけでは3投手の穴は埋められない。内海、大竹のベテランは成績を上げた。筆者は内海「限界説」を唱えていただけに、意外な結果であった。読売投手陣の問題点は、勝利の方程式の一角、山口の不調。ホールドポイントも下がったが、防御率が大きく悪化した。澤村も同様に防御率が悪化した。しかも、澤村は大事な試合におけるセーブ失敗が顕著で、読売が躍進できなかった最大の要因の一つだろう。

読売を圧倒した広島の投打

しかし、読売がペナントを制せなかった主因は、読売の内在的要因というよりも、それをはるかに上回った広島の戦力の充実に求められる。

前出のとおり、筆者のシーズン前予想としては、エース前田の移籍により、広島が戦力ダウンしたと考えた。つまり広島の若手投手陣及び打撃陣の成長の芽を発見することに失敗した。広島の若手の急成長を予想できなかった。今シーズンの結果は、広島の各選手の成長の反映であって、それ以外にない。

読売がFA制度に依拠した補強をすれば、読売の未来は閉ざされる。読売の若手・中堅の奮起が期待される。

2016年10月12日水曜日

サッカー日本代表、2010年南アフリカにタイムスリップ

サッカー、W杯ロシア大会アジア最終予選B組第4戦、FIFAランク56位の日本代表はアウエーで同45位オーストラリアと1-1で引き分けた。

日本、全員守備の超消極的サッカー

なんとも“イタイ”試合だった。日本は超守備的な戦術を90分持続させた。攻撃陣形は、本田がワントップ、Rsに小林、Lsに原口が入り、Oh(トップ下)に香川。ところが、彼らが終始、前線から徹底して守備に励んだ。Ohの香川が日本のゴール付近で相手攻撃陣の守備を務めるとは・・・おどろきの光景だった。

先制点はそんな日本が奪った。オーストラリアの右サイドが手薄になった瞬間をついて、日本のパス交換がうまく運び、原口がゴールを決めた。だが、日本の攻撃はこの場面のみといっていいくらい。先制点でヒーローとなるべき原口だったが、相手ボックス内でファウルを犯してPKを献上してしまう。原口については後述する。

 
できのわるいオーストラリア

さて、オーストラリア――前評判は高かったが、この試合のできは悪かった。前線から守備をする日本の攻撃陣に戸惑ったのかどうかしらないが、攻撃が単調。自陣に引きこもってブロックをつくる日本に対して、ボールを回してから、日本DFの背後を狙うパスか、あるいは、日本のブロックの直前に供給する速いパスでゴールに迫ろうかというもの。こうした時間帯がほぼ90分続いたのだから、緊張感のまるでない試合だった。

日本、10月のノルマ勝点4を確保

繰り返しになるが、拙Blogにおいて、今月のイラク戦(H)、オーストラリア戦(A)において日本が勝点4を上げられなければ代表監督更迭が望ましいと書いた。その結果として、ハリルホジッチ監督は合格点(勝点4)を死守した。アジア王者に対してアウエーで引分ならまずまずとなれば、ハリルホジッチの進退問題は進展しないのだろうか。

南アフリカからこの試合まで、日本は何をしてきたのか

それにしても、こんな消極的な日本代表の姿は、2010年W杯南アフリカ大会以来、久々だ。いまから6年前、発展途上の岡田ジャパン、世界の強豪がひしめくW杯本戦なのだから、なりふりかまわぬ岡田の消極策も許された。予選突破という結果も出した。しかし、その守備的戦いぶりの反省のうえ、ブラジル大会(2014)では攻撃的サッカーの完成を目指して、ザッケローニを招聘し(結果は惨敗)、そして、ロシア大会(2018)では、さらなる進化を遂げようとこの予選に臨んだはず。にもかかわらず、なんと、南アフリカに回帰してしまうとなれば、いったいぜんたい、この間、日本代表はどんな強化策を講じてきたのかが問われて当然だ。よしんば、アジア予選を突破してロシアに行ったとしても、結果については望めまい。

ハリル監督、試合のコンセプトと選手起用が極めてミスマッチ

そればかりではない。ハリルホジッチ監督の選手起用、采配、選手交代もわけがわからない。第一に、トップ下の香川を守備に使ってどうする。第二に、日本の「エース」と呼ばれる本田がまったくだめ。慣れないワントップだからという言い訳も通じない。「一対一」で簡単にボールを奪われるし、90分間、走れない。コンディション、試合勘、フィジカル面で本田は代表選手というより、サッカー選手として危機にある。このことも繰り返しになるが、ワントップが必要ならば、ワントップとして実戦で鍛えられた選手を代表に選ぶべきなのだ。

第三に、日本は右サイドの小林、右SBの槙野が2人で相手左サイドからの攻撃を封じる作戦に出た。この形がはまって、オーストラリアは得意の形を活かせなかった。もちろんその代償として、日本の攻撃も左サイドからに限定され、攻撃の選択肢が狭まった。結果、調子の悪いオーストラリに勝ち切れなかった。予選終了時、日本の勝点が足らなくなったとき、この試合の臆病な展開を後悔しても遅い。

原口が自身の思考、態度を改めない限り、日本の新たなリスクに

PKを与えた原口に苦言を呈しておく。原口のPKには伏線があった。PKの前、原口はタッチライン沿いでオーストラリア選手を押したプレーでファウルを取られたのだが、彼はそれに対して執拗に主審に抗議した。彼は正当なショルダーチャージだと主張しているようにTV画面からはうかがえた。ところがリプレーをみると、原口は上腕(肘とその先)をつかって相手を押しのけていた。主審は原口の抗議に対してイエローは出さなかったが、心証を害したことは確か。しかも、原口の抗議の表情は険しく、主審の技量のなさを軽蔑するようにさえみえた。おそらく、主審は原口が同じプレーを繰り返し、再び抗議をしたらイエローをだす腹積もりだっただろう。そして、原口は同じようなファウルをボックス内で犯した。主審にためらいはなかったはず。原口が前のプレーで何事もなかったようにファウルに従っていれば、PKはなかったかもしれない。

原口は最終予選、3試合連続得点をあげ、日本のポイントゲッターになったのだが、この試合ではゴールを帳消しにするPK献上だ。彼は90分間よく走り続け、決定力もある。だが、彼はハリルホジッチが口にするデュエル(決闘)の意味をはき違えている。闘志あふれるプレーと反則プレーはちがう。本当のデュエルは相手を潰さなければいけないものだが、サッカーはルールの下、体力、技術で相手に勝つスポーツだ。ルールを守らなければ罰がある。守備の基本をおろそかにしてはいけない。さらにいえば、審判の心証を汲む度量がなければ、一流選手にはなれない。

そもそも原口は態度に問題を抱える選手。Jリーグ時代、監督の交代にあからさまに抗議を示した“実績”もある。性格に問題がある選手なのだ。彼が今後、自身の思考、態度を改めないかぎり、彼の存在が日本代表にとって新たなリスクとなる可能性もある。

11月、ホームのサウジアラビア戦の日本代表監督はだれか

B組はサウジアラビアがUAEを破り、首位に立った(2位オーストラリア、3位日本、4位UAE)。しかも、日本を苦しめたUAEに3-0の圧勝だ。サウジアラビアをホームで迎える11月、この試合で日本が勝点3を上げられないと、同組3位で終わってしまう可能性が高まる。この試合をハリルホジッチで迎えるのか、その前に協会(JFA)が大鉈を振るうのか・・・今回の予選は楽しみが多い(笑)

2016年10月7日金曜日

サッカー日本代表の危機、ますます深まる

サッカー、W杯ロシア大会アジア最終予選B組第3戦、FIFAランク56位の日本代表が同123位のイラク代表に2-1で勝利した。決勝弾は後半アディショナルタイム。まさに薄氷を踏む勝利とはこのことだ。対戦相手は内戦で国家が溶解状態のイラクだ。彼らはホームでは試合ができない流離のチーム。その相手に日本がホームで辛勝なのだから、劇的な試合結果に酔っている場合ではない。日本代表の危機はより深まったように筆者には思える。

筆者は5日の拙Blogにおいて、今月のイラク戦(H)、オーストラリア戦(A)において日本が勝点4を上げられなければ代表監督更迭が望ましいと書いた。筆者の基準に従えば、結果的には次の試合引分以上でノルマ達成だから、ハリルホジッチの首は切らなくてもいい。ハリルの首は薄皮一枚でつながる可能性は高まった。

ベンチの香川はもちろん、先発の本田、岡崎も貢献度ゼロ

試合内容は悪かった。日本の「エース」と呼ばれるFW(Rs)本田がまったくだめ。「一対一」で簡単にボールを奪われる、走れない、決定機を外す。コンディション、試合勘、フィジカル面で彼は代表に相応しくない。日本代表の「10番」、香川(MF)も最後までベンチ。状態は相当悪いのだろう。岡崎(CFW)も得点に絡まずじまい。ポストプレーを確実にこなしていたという評価もあろうが、シュートシーンが皆無に等しいのだから、ワントップとしては失格だ。

先制点は、オフサイド気味。判定については不利も有利もあるのだから、得点は得点だけど、ちょっとどうなのかなと思うところ。決勝点はパワープレーの結果生じたもの。長身DFの吉田麻也が前線に残り、彼が粘った結果生じた決勝点だ。パワープレーも戦術のうちだから否定はしない。ならば、ハイボールを取り入れた攻撃パターンを選択肢とした取り入れた選手選考をすべきだろう。この試合結果が、長身CFを代表に呼ぶ必要性を実証した。

試合に出ていない選手は使えない

前出の拙Blogにおいて、日本代表危機報道の具体的要素をアンバンドリングしておいた。それを再掲すると、▽「海外組」が試合に出場していないこと、▽それに代わる新戦力(Jリーグ選手)の台頭がないこと、▽ハリルホジッチの戦術が選手に浸透していないこと――であった。

この試合に限れば、「海外組」については香川、本田、岡崎の3選手がダメで、清武、原口、吉田麻也が合格。「国内組」では山口蛍が合格となるのだろうが、相手は先述のとおりイラクだ。彼らはいろいろと困難な状況を乗り越えて日本にやってきたチーム。同情すべき相手なのであって、ホームの日本がねじ伏せなければいけない。にもかかわらず、内容は五分五分、「一対一」で負けているようではどうにもならない。

こんなサッカーなら、世界との差広がるばかり

戦術面については、日本が速攻で相手を崩した場面が相当数あったとは思えない。ジーコジャパン、岡田ジャパン、ザックジャパンがアジアの代表チームと戦ってきた試合内容とほぼ等しい。FIFAランキング100位以下の相手ならば、日本のポゼッションサッカーが通じるということだ。

このことは日本にとって喜ばしい反面、日本が世界の潮流から大いに遅れてしまう要因となっている。このレベルで辛勝ならば、アジアでもスピードとフィジカルで日本を上回るオーストラリアやイラン、さらに、ソンフンミン(イングランドプレミア、スパーズ所属)擁する韓国に劣る。

ホームのサウジアラビア戦がまさに正念場

イラン、韓国とは組が違って幸いだが、11月には同組のサウジアラビアとの対戦が控えている。アジアにおける日本の立ち位置は、オーストラリア、イラン、韓国、UAEに次ぐ5番手くらいが妥当なところ。筆者は別のコラムにおいて、最終予選、日本はB組3位と予想したのだが、とにかく、サウジアラビアが日本の前に立ちはだかるようなことがあれば、筆者の予想は的中する。日本が3位に沈めば、A組3位とのプレーオフ。それに勝てば、北中米のどこかの国との大陸間最終プレーオフが待っている。そこまで混沌としてしまったら、W杯予選の結果に係る予想は、いまの段階では不可能というもの。とにかく日本はオーストラリア戦を引分以上で終わり、当面の敵、11月のサウジアラビア戦に全力を傾け勝利しなければならなくなった。

2016年10月6日木曜日

今月2試合勝ち点4以下ならハリル解任


明日(6日)、W杯ロシア大会最終予選イラク戦を前にして、日本のマスメディアはサッカー日本代表に対する報道姿勢を転換したようだ。ハリルホジッチ監督解任論、海外組批判、国内組不安・・・と、ロシア大会出場は絶望的なような論調になってきた。いままで、本田だ、香川だ、岡崎だ、清武だ――と騒いでいたメディアが、ようやく彼らの力量に疑問を持ち始めたのだ。この転換について筆者は「良い傾向」だと考える。遅きに失した感はあるが、海外組の実態を日本のメディアがようやく理解するようになったからだ。筆者はすでにそのことを力説しておいた。

結論をいえば、ホームのイラク戦、アウエーのオーストラリア戦で勝ち点4以下ならば、日本はロシアに行けない可能性が高く、もちろん、ハリルホジッチを解任すべきだ。年内(11月)のサウジアラビア戦を基点として、2017年からの予選後半を新監督に託したほうが日本サッカー界にとって、悪くない経験を積むことになる。

日本のマスメディアの危機報道の内実

日本のマスメディアの危機論の要旨は、第一に、「海外組」が試合に出場していないこと、第二に、それに代わる新戦力(Jリーグ選手)の台頭がないこと、第三に、ハリルホジッチの戦術が選手に浸透していないこと――等となろう。ハリルホジッチがこれまで新戦力を試してこなかった、と批判する声も圧倒的に多い。

あれあれ、これまで「海外組」を称賛し、W杯優勝も夢ではないかのように日本代表への賛辞を書きまくっていたのはどこのだれだったっけ――といいたくもなる。日本のメディアに自己検証、反省、内省、自己批判を求めても無駄だから、これ以上の批判はやめる。この期に及んで、日本のメディアを非難しても、日本代表が強くなるはずもない。

2017年に向けて「代表再構築」必要

いまさらながらの危機であるが、これを打開する道はあるのか、もはや手遅れなのか――もちろん、今月(10月)の2試合及び11月の1試合(予選前半)に限れば手遅れだけれど、それ以降(2017年3月以降の5試合の予選後半)に向けてならば、新生日本代表をつくりあげる時間はある。監督が新戦力として、広く人材を求める気があるのならば、という条件付きではあるが。

それ以外の条件としては、アジア予選を勝ち切る戦術を探求するという謙虚な姿勢を示すこと。換言すれば、対戦相手によって戦い方を変えること。日本はこれまで「自分たちのサッカー」をすれば勝てると妄信してきた。とりわけアジア相手ならば、自由自在に攻撃サッカーで勝ち切れると、自分たちの力を過信してきた。

ハリルホジッチは、速攻を旨として代表選手を選考してきたのだが、UAE戦、タイ戦では、その方針が戦い方に反映されていない。むしろ、そのことにより、日本が中盤でミスを多発し、相手に攻められる場面も散見した。つまり、ハリルの指針がマイナスに作用していた。

日本がアジア予選を勝ち抜くには、むしろボールポゼッションを高め、相手にボールを簡単に渡さない攻撃を選択するほうがいい。あるいは、相手DFの陣容次第では、サイドから高いボールを使って、(CFの頭に)合わせる攻撃があってもいい。

戦術の幅を広げて、選手選考を見直せば、停滞した現状を打開できる。ハリルホジッチの選手選考基準は、速い攻撃ができる出場機会のない「海外組」と、彼らより実力が劣る「国内組」の混成部隊という構成に限定されてしまった。その結果、同タイプの選手ばかりが招集され、攻撃が単純で相手に読まれがちであった。戦術転換を伴わない、海外組か国内組かという不毛な択一は、現状を打開しない。

アジアで勝つには、高いCFの存在が重要なのである。かつ、それにむけて、海外で試合に出場していながら、代表に招集されない選手に目を向ける必要も出てくる。

これまでハリルホジッチは海外視察と称して、しばしば日本を離れているのだが、結果として、彼の視察は結果に反映されていない。TVの仕事を兼ねたり、バカンスを楽しんでいたりではなかったのか。そんな視点からしても、今月の2試合を最後にハリルホジッチの監督更迭は必至だろう。

2016年10月5日水曜日

スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、ボスニアヘルツェゴビナ旅行

9月21日から30日まで、旧ユーゴスラビア4か国を観光してきた。

4か国といっても、モンテネグロ、ボスニアは小国中の小国。

バスで2~3時間走れば検問所にたどりつく。

日本人に対する検問は緩いから、国境を越える時間はそんなにかからない。

率直な感想として、いいところ。

自然豊かで、街も清潔。

しかも、カトリック、正教会、ユダヤ教、イスラム教が混在していて、

それぞれの地域性が街並みなどに反映されている。

ヨーロッパ、スラブ、トルコあたりをまわってきた感がある。

ブレット湖(スロベニア)

ポストイナ鍾乳洞(スロベニア)

プリトヴィツェ湖群国立公園(クロアチア)

トロギール(クロアチア)
ドゥブロヴニク(クロアチア)

コトル(モンテネグロ)

首都サラエボ・バシャルシア地区(ボスニアヘルツェゴビナ)

2016年9月10日土曜日

猫は箱が好き

宅配便を開けて中の荷物をとりだして放置しておくと、

猫が必ず中に入っている。

うずくまって様子を窺っている。

隠れたつもりなのかな。


2016年9月9日金曜日

タイ戦、「勝利の方程式」はこの先通用せず

W杯アジア最終予選第2戦目、日本はアウエーでタイに2-0で勝った。初戦、UAEにホームで黒星発進した日本であったが、タイから勝ち点3を奪い、星を五分に戻した。

ハリルの選手起用(ボランチ、左サイド、ワントップ)が成功?

先発メンバーは以下のとおり。

GK西川周作(浦和レッズ)、DF酒井宏樹(マルセイユ/フランス)、吉田麻也(サウサンプトン/イングランド)、森重真人(FC東京)、酒井高徳(ハンブルガーSV/ドイツ)、MF長谷部誠(フランクフルト/ドイツ)、山口蛍(セレッソ大阪)、香川真司(ドルトムント/ドイツ)、本田圭佑(ミラン/イタリア)、原口元気(ヘルタ)、FW浅野拓磨(シュツットガルド/ドイツ)

ワントップ(Cf)には、岡崎に代え浅野を起用。左サイド(Ls)に原口、ボランチ(Dm)には、UAE戦、不完全燃焼に終わった大島に代えてJ2の山口を入れた。原口と浅野がゴールを奪い、山口の守備力が光ったわけだから、ハリルの選手起用は結果的に成功した。

しかし試合後のハリルホジッチ監督のコメントは、「2人ともゴールというのは偶然だと思うが、それにしてもよい雰囲気をもたらしてくれた」というもの。このコメントからうかがえるのは、勝利をもたらした2得点とも、意図した結果ではないということを図らずも吐露したように聞こえる。監督が代役2人の殊勲者を絶賛していない。監督自身、勝つには勝ったが、チームは本調子でない、と思っている。

攻撃陣形のバランスを崩し続ける本田

この試合のあと、日本のネットにおいて、「本田、長谷部が戦犯」という記事が目に留まった。また、日本の攻撃の主軸といわれる、本田、香川、岡崎に対する辛口のコメントが散見された。それらの批判は大手メディアにではなく、ネットのサッカー専門サイトに掲載されたものだが、それらを再掲載したポータルサイトもあった。ようやく、本田、香川、長谷部ら海外組批判のタブーが破られつつあるのか。筆者はこうした傾向を歓迎する。

辛口コメンテーターの某氏が指摘しているように、アジア予選のスタート2試合の日本の状態は悪かった。日本の攻撃のかたちを見ると、Rsの本田が中央に入り込む形が多くなり、サイド攻撃の機会が減っている。窮地の日本を救ったともいえるタイ戦の先取点は、前出のとおり本田が中央に入り込んでそれにつられてタイのDFが真ん中によったため、日本の右サイドががら空きになり、右Ssbの酒井宏がフリーでクロスを打つことができた結果。そのクロスがゴール前をスルーしてLsの原口がほぼフリーとなり頭で決めることができた。

この得点シーンについて、Rsb酒井宏の好判断と評価するか、得点者、Ls原口の決定力というべきか・・・まあ、何といおうとすべてが結果論。それがゴールというものだ。野球でいえば、ホームランを打った打者を褒めるのか、失投した投手、サインを出した捕手を責めるのか・・・というのと同じようなもの。

クロスを放った酒井宏、ゴールを決めた原口を評価しつつも、筆者はこの得点は日本代表の狙いではないと確信する。なぜならば、ある程度のレベルのチームのDF陣ならば、Rsbの前のスペースを自由に使わせるような守備はしない。タイのように、まったくのフリースペースをつくらせることはない。タイのDF陣が本田につられたのだから、本田が囮になったというべきだろうが、それはけがの功名というやつだ。

本田がRsを「職場放棄」し続けるため、日本は相手ゴール前中央にCfの浅野、Om(トップ下)の香川、本田の3人が塊となり、チャンスをつくれない時間が続いた。ただ、救いは、とにかく日本が先取点をとれたこと、タイのチャージが甘く、日本が自由にボールを奪えたこと――タイは日本にとって与しやすい相手だったこと――だ。先取点がとれずに時間が経過したら、日本はタイとスコアレスドローを演じたかもしれない。

この試合、その本田及び香川が決定機を外したため、日本はさらに試合を難しくした。救いは山口はじめ(本田と香川を除いた)各選手が、積極的に守備をしたこと。繰り返すが、タイは体格で日本を下回り、しかも、フィジカルが弱い。日本の圧力に抗しきれなかったことが救いだった。

日本は後半30分、長谷部のロングパスに浅野が反応して裏に飛び出し、ゴールを決めた。この得点は、Cfがその仕事をまっとうした結果である。敢えてシニカルに表現するならば、後半、極端に足が止まった本田がゴール前にいなかったから、浅野が自由にプレーできたともいえなくはない。それくらい、本田のポジショニング、ランニング、判断、フィニッシュの精度は悪かった。

香川、2試合とも不調、不発

本田に負けず劣らず、香川も悪かった。決定機を外したことももちろんだが、彼はOmとして機能していなかった。コンディションの問題なのか、ドルトムントで活躍していた香川の姿とは全く別人のようである。

海外組は下り坂か?

かくして、攻撃陣の軸といわれる、▽本田がUAE戦、タイ戦を通じて攻撃陣のバランスを崩し続け、▽香川も2試合とも生気がみられず、不調かつ不発、▽岡崎はUAE戦で不調、タイ戦がベンチ。▽その岡崎の代わりにタイ戦でCfに入った浅野が得点を上げ、▽同じく、本田の反対側のポジション(Ls)の原口が貴重な先取点を上げた。守備陣では、キャプテン長谷部にミスがめだつありさま。最終予選の2試合を通じて、日本代表の海外組、主軸といわれる選手たちが年齢的、体力的に下り坂に来たことの前兆とみられなくもない。

タイ戦の「勝利の方程式」はこの先、通用しない

タイ代表は成長著しいチームだが、日本代表にはやりやすい相手だ。日本代表をダウンサイジングした感じ。だから、日本がセカンドボールを支配できたし、相手ゾーンでボールを奪えた。

しかし、このような試合展開が残り7試合=オーストラリア(A・H)、イラク(H・A)、サウジアラビア(H・A)、もちろんUAE(A)との対戦でできるはずもない。欧州リーグが進展する来月以降、海外組といわれる本田、香川、岡崎、清武、長谷部らが調子を上げられだろうか。

筆者は、本田が最も難しい存在だと思っている。彼が16-17シーズン、ACミランで出場機会を得ることは難しいと感じているからだ。代表戦以外の公式戦に1年以上出場しない選手を主力と表現できない。試合勘、フィジカル等が劣化することは間違いない。本田に代わる選手はいるのだろうか。国内組の台頭は期待できるのか。この期に及んで新戦力をテストすることは困難であるし、さらに、日本の救世主が彗星のごとく出現するとも考えにくい。この先のアジア最終予選の各試合は、日本代表及びそのサポーターにとって、苦難の連続となりそうだ。

2016年9月4日日曜日

サッカー日本代表、その現状と構造的危機の到来


日本がホームでUAEに1-2で負けた。筆者は別のBlogにおいて(2016.04.22)、この試合は引分けだと予想したのだが、それどころではなかった。もっとも、浅野の「幻のゴール」を得点と見做せば、筆者の見立てはあながち間違いともいえない。

試合内容、監督采配、戦略・戦術等における敗因追及は、前出の拙コラムで行ったので、ここではやらない。また、日本がロシアに行けるのかどうかも扱わない。本稿では、日本代表の長期停滞傾向――構造的危機について、詳しく論ずる。

代表のクラブチーム化(UAE)が日本に必要か否か

もちろん答えは否である。日本のスタメンは――

GK西川周作(浦和レッズ)、DF酒井宏樹(マルセイユ/フランス)、吉田麻也(サウサンプトン/イングランド)、森重真人(FC東京)、酒井高徳(ハンブルガーSV/ドイツ)、MF長谷部誠(フランクフルト/ドイツ)、大島僚太(川崎フロンターレ)、香川真司(ドルトムント/ドイツ)、本田圭佑(ミラン/イタリア)、清武弘嗣(セビージャ/スペイン)、FW岡崎慎司(レスター/イングランド)

先発メンバーを見る限り、海外組と呼ばれる欧州クラブに属している選手が8人を占めていて、一見すると国内組が過半のUAEをはるかに凌ぐと思えて不思議はない。UAEのサッカー事情についてはわからないものの、メディア報道によると、国内リーグの待遇がいいことから、優秀な選手は海外に出ないという。UAEについてTV映像からうかがえるのは、アラブの産油国の特徴として、アフリカ系の選手が含まれていて、体格面では日本を上回っていること。そんな選手が2カ月近くの合宿をはって初戦に臨んできた。加えて、UAEは若い年代から固定メンバーで戦ってきているといわれ、“代表というよりもクラブチームのようだ”という評価もある。先のアジア杯で日本に勝った要因として、UAEの結束力、チームワーク、コンビネーション、コンディショニングにあった面を否定できない。

UAEのような代表チームのつくり方は、かつての日本が歩んだ道そのものだった。02年日韓大会(トルシエ監督)、06年ドイツ大会(ジーコ監督)では、そのような代表チームをつくって、日韓大会ではホームという利も作用して、16強入りを果たした。ところがドイツ大会では予選で敗退。チームワークやコンビネーションだけでは勝てない現実を思い知らされたものだった。

以降、日本選手の海外移籍が活発化し、代表選手構成は海外組主体に移行した。海外移籍が代表入りの重要な指標ともなった。その反面、選手を保有するクラブの都合が優先され、日本がUAEのように長期間にわたって代表合宿することは不可能となった。海外組はせいぜい3~4日間で代表チームに融合しなければならなくなった。

日本はもはや、02~06の過去に戻ることはできない。世界のプロサッカー市場が欧州4強リーグ(ドイツ、イングランド、スペイン、イタリア)を中心にして各国を動かしている以上、日本のサッカーも同調せざるを得ない。このような傾向はどの国にも強いられている現実であって、それが代表チームの宿命だともいえる。それがサッカーのグローバルスタンダードだとも換言できる。代表選手は、欧州~日本の長期移動を強いられる。それも今大会にまったことではない。日本代表がグローバルスタンダードに組み込まれてはや10年が経過した。ややこしい条件を克服する最善手段が関係者に求められている。

代表の4つの危機

代表チーム運営の変遷を云々するのはこれくらいにして、本論に入ろう。筆者は日本代表の危機について、①若手タレントの不在、②海外組への誤解と幻想(メディアの批判精神の欠如)、③センターフォワード(CF)の不在、④日本開催代表試合の陥穽――という四つの視点で考察する。そして、日本代表再構築に果たすべきセクターとして、選手以外のセクターとして、協会、メディア、サポーターの3つを挙げ、それぞれのセクターが代表再構築に果たすべき役割を提示する。

若いタレントが出てこない――日本のフィジカルエリートは相変わらず野球界へ

日本代表の弱体化の第一の要因は、新しい才能の台頭がみられないことだ。いまのJリーグにおいて、世間が騒ぐほどの「才能」の存在が認められるだろうか。クラブユース、高校、大学を見渡しても見当たらない。ハリルジャパンに招集されるJリーグの若手選手は同じようなタイプの選手ばかり。しかも、センターフォワード(CF)の逸材が現れない。

その一方で日本プロ野球界では若手選手の大型化が進み、パワーアップ、スピードアップが順調に進捗している。日本のフィジカルエリートはサッカーではなく、野球に集中している実態は変わっていない。スポーツの質が異なるから、体格面の比較は愚かかもしれないが、ダルビッシュ有、田中将大、岩隈久志、前田健太、大谷翔平、菅野智之、筒香嘉智、山田哲人、柳田悠岐・・・といったプロ野球選手のうち、一人でもいいからサッカー界に進んでいてくれたなら、サッカー日本代表の姿もおおいに変わっていたはずだと残念に思うばかり。

才能のある選手が払底し、代表に限らずリーグが衰退化する現象は日本だけではない。前出の欧州4強リーグのなかで、イタリアが弱体化傾向にある。

「海外組」という幻想

海外組代表選手に対する幻想とは、彼らに対する評価の在り方という意味だ。このことは、日本のスポーツメディアに責任があるのだが、メディア批判は後述するとして、実態を見ておこう。

前出のUAE日本代表における攻撃陣の先発メンバーの所属クラブにおける成績を見てみよう。日本のエースと呼ばれる本田圭佑のセリエAの昨シーズン(15-16)の得点はわずか1。(30/38=38試合中30試合出場)。以下、ドイツの香川真司が9得点(29/34)、同じく清武弘嗣が5得点(32/34)、イングランドの岡崎慎司が5得点(36/38)。一番得点を上げている香川でも、1試合当たりの得点はおよそ0.3である。つまり、海外組といわれる攻撃的選手はポイントゲッターではない。

ちなみに、岡崎が所属するレスター(イングランドプレミア)のチーム得点王はジェイミー・ヴァーディーの24得点(36/38)。15-16シーズンのプレミア得点王はハリー・ケーン(23才・トットナム所属)。彼は38試合出場で25得点。1試合平均0.65の高率で、プレミアならシーズン20点超えがポイントゲッターのメルクマールとなる。余談だが、ケーンは23才だから日本なら五輪世代と呼ばれる。欧州リーグでは23歳は若手ではない。

本田が所属するACミランのチーム得点王はカルロス・バッカで18得点(38/38)。イタリアセリエAの得点王は、ゴンサロ・イグアイン(ナポリ)。35試合に出場して36得点だから、1試合平均1点超。まさに「点取屋」だ。

シーズン1得点の本田に得点を期待するのは愚か

日本のスポーツメディアは本田圭佑に何を期待しているのだろうか。昨シーズン、わずか1得点の窓際選手に代表戦で得点を期待するなんて見当違いもはなはだしい。岡崎もしかり。香川に得点を期待してもいいが、セリエAの得点王の四分の一の選手だ。過分な期待はしないほうがいい。

とはいえ、岡崎、本田、香川・・・らがダメな選手だというわけではない。彼らは所属チームにおいて、それなりの貢献があるから契約を継続していられる。岡崎の場合は、ヴァーディーの得点機会を助ける役割を全うしている。本田の場合は、おそらくマーケティング上の貢献だろうが。

大雑把な譬えをすれば、海外組は野球の打線でいえば1番、2番あたりを任せられる野手なのだろう。チームバッティングや犠打が得意で、得点機会を増やす。守備は鉄壁。真面目でミスはしない。そんな選手が代表として集まってチームをつくったとしたら、どうなるのだろうか。相手にしてみれば怖くない。決定機にバントなのだから(笑)。日本代表に必要なのは、強打のポイントゲッター、強いCFだ。

日本代表におけるCFの系譜

日本代表の選手選考において、いわゆるCF不在は恒常的なものなのか、というとそうでもない。フランス大会では中山雅史、日韓大会では鈴木隆之、ドイツ大会では高原直泰、ドーハの悲劇(フランス大会最終予選)に遡れば、アジアの大砲・高木琢也がいた。れっきとしたCF専門職が存在感を示していたのだ。

岡田の奇策――本田ワントップの成功体験

日本代表がCFを不在にして、「トップレス」(笑)になったのは、W杯南アフリカ大会だった。ジーコの失敗からバトンを渡されたオシムは、「代表の日本化」という困難な課題に取り組んだ。それでもCFに高原直泰、前田遼一、巻誠一郎を起用していた。前田、巻は国内組だが、ワントップ(CF)のフォーメーションは維持されたのだ。

オシムが病で倒れた後を受けた岡田武史は、W杯南アフリカ大会予選(カメルーン戦、オランダ戦、デンマーク戦)、そしてベスト8をかけたパラグアイ戦の計4試合に本田をワントップに起用した。それまでの強化試合では、岡崎らのワントップが試行されていたのだが、本戦になっての直前変更だ。

南アフリカ大会の日本は超守備的チームだった。岡田の守備重視を支えたのが、闘莉王、中沢祐二のCBであって、ベスト16入りの原動力は、ワントップの本田よりもDFの二人だと筆者は思っている。

ザックジャパンでは大迫勇也、大久保嘉人といったCFが起用されたが、本戦は予選敗退という結果に終わっている。さて、ハリルジャパンだが、彼は岡崎を信頼し、二番手に武藤嘉紀。終盤の切り札に浅野拓麿に期待しているように思えるが、筆者はこの3人をCFとして適正をもっているとは評価しない。

CF不在は日本に限られていない。先のW杯開催国、ブラジルもCF不在に泣いた。けっきょく国内得点王のフレッジがCFに起用されたが、本戦6試合で1得点と振るわなかった。王国のブラジルでもこうした現象は避けられない周期で訪れるようだ。

なぜ、CFの専門職を招集しないのか

日本のワントップが、レスターのCF・ヴァーディーのシャドーである岡崎に務まるのか。経験のない武藤や浅野でいいのか。日本人でCFをこなせる選手はいないのか。

そこでJリーグを見ることにする。外国人を除いたワントップの選手は、大久保嘉人(川崎)、興梠慎三(浦和)、佐藤寿人(広島)、金崎夢生(鹿島)、長沢毅(G大阪)、伊藤翔(横浜)、豊田陽平(鳥栖)、前田遼一(F東京)、指宿洋史(新潟)、野田隆之介(名古屋)、大槻周平(湘南)、金森健志(福岡)だろうか。セカンドトップの選手も含まれているのでCFと厳密にはいえないかもしれないが。

このなかで日本代表に推薦できる選手がいるだろうか。実績からみれば、豊田、佐藤、興梠、前田、金崎の5選手だろう(※金崎は素行不良により代表落選となった)が、いずれも代表経験がありながら、結果が伴わず定着しなかった。歴代の代表監督がCF(ワントップ専門選手)を招集しなくなって久しい。

海外組では、ハーフナーマイクが昨シーズンのオランダリーグADOデンハーグで16得点(31/34)をあげている。結論をいえば、日本代表のCFとして最も適性の高いと思われる選手は、ハーフナーということになる。だが、ハリルが彼を代表に招集する気配はない。ハーフナーが代表に呼ばれない理由も定かではない。

しかし、ハーフナーが日本代表を救うという立論も成り立たない。日本代表が高く強いCFを中心としたチームづくりをこれまでしてこなかったから。アジア最終予選が始まったこの時期にハーフナーを招集して、練習を開始しても間に合わない。ハリルホジッチ監督の2年間は、筆者には時間の浪費に思える。所属チームでシーズン1得点の本田と心中しようというのだから、前任者(ザッケローニ)の二の舞である。ザックを上回る成績は望めまい。

日本開催の代表試合は興行にすぎない

本田や岡崎は、代表試合で得点している、という反論が上がるだろう。だが、日本で開催される代表試合(親善試合、強化試合)はごく少数の例外を除いて、いわゆる「咬ませ犬」相手の興行にすぎない。相手はナショナルチームを僭称するものの、主力は招集されていない二軍、三軍だ。所属クラブにしてみれば、国際Aマッチデーといっても、主力をシーズン中に遠い極東まで派遣するリスクはおかせない。日本の強化のためには、相手国に出向かなければ、せいぜい調整試合で終わってしまう。二軍、三軍で、しかもコンディションが整わない相手に対して6人交代可能のレギュレーションならホームの日本代表はいくらでも得点できる。

日本サッカー界はいますぐ、代表の現状を否定せよ

日本サッカー協会が資金繰りのために代表試合を組む必要を否定しない。重要なのは、代表試合を正しく評価する目であり、その目とは、スポーツメディア及びサポーターのこととなる。代表の国内興行で日本が勝てば大喜び、W杯に優勝しそうな報道となり、本田や香川はヒーローになった。メディアもサポーターも、シーズン1得点の本田に得点を期待する。そんな見当違いをだれも糺さない。間違ったメディアの報道及び無意味なサポーターの熱狂が日本サッカー界、代表選手を狂わせ、長期的に見て大いなるマイナスとなって今日まで作用している。最終予選初戦、ホーム黒星発進は彼らを覚醒させるに十分なショックである。この敗戦を無駄にしてはいけない。

とはいえ、日本代表がこのたびのアジア最終予選を突破するかどうかは神のみぞ知る。よしんば突破してロシアに行けたら、UAEからうけた屈辱も忘れ去れるだろう。しかし、その次の日本代表はもっと困難な状態に陥っているはずだ。W杯出場を絶たれれば、日本の代表ブームは終焉する。

日本サッカー界がいまの代表のあり方を否定的に総括し、有効な方策を打ち出すことを期待してやまない。

2016年9月1日木曜日

2016年8月17日水曜日

『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』

●矢部宏治〔著〕 ●集英社インターナショナル ●1200円+税

「アーミテージ・レポート」と安保法制

本書を読み始めてすぐに頭をよぎったのが、2012年8月に発表された「第3次アーミテージ・レポート」だった。このレポートはジャパン・ハンドラー(米国の対日政策に大きな影響力をもつ知日派知識人)として知られる、アーミテージ(Richard L. Armitage)、ナイ( Joseph S. Nye)によってまとめられたもの。発表時は、3.11発生からそんなに時間はたっていない。

震災直後、日本のマスメディアが米軍による支援活動「トモダチ作戦」を大々的に報道していた。同レポートはこの作戦をとりあげ、日米の今後の在り方を象徴する「作戦」と称賛していた。同作戦が被災地にどれほどの支援になったかはわからないが、ともかく、米軍のPR臭を強く感じたことを覚えている。

同レポートの柱は以下のとおり。
(1)原発推進
(2)日韓関係の安定化
(3)TPP推進
(4)日本の集団的防衛の禁止に関する改変

同レポート発表後、日本政府(安倍政権)はこれらの柱に基づき、関連諸政策を策定、推進、法制化した。前出のとおり、日本が大震災にみまわれた直後、米軍は「トモダチ作戦」を展開して日米の「絆」をPRしたように見えたのだが、それが日本の安保法制(集団的自衛権行使容認)の露払い的示威行動だったことを知った。日本が危ないときは米国が助け、米国が危ないときは日本が助けると。「トモダチ作戦」は日本国民に対する印象操作だった可能性もある。

それだけではない。同レポート発表後の日本政府の対応は奇異なものがあった。とりわけ安保法制は憲法改正にかかわる大問題。憲法改正は時間がかかるし、民意に反する。しかしながら安倍政権はそれを解釈改憲で押しきった。大多数の憲法学者が「違憲」と発言しながら、あっというまに法制化してしまったのだ。

米軍に日本が従属する法的根拠とシステム

いったいなぜ、ジャパン・ハンドラーとよばれる民間人(元軍人と国際政治学者)になるレポートが日本政府の政策を決定づけてしまうのか、日本政府と彼らの関係はどのようなものなのか。もしかしたら、日米間には、米国(軍)主導で日本の政策を決定できるシステムがあるのではないか。その決定システムは、両国政府間において法的に担保されているのではないか。

本書は筆者が抱いていた素朴な疑問に極めて適正に答えてくれた。前作『日本はなぜ、「基地と原発」を止められないのか』(以下「前作」と略記)につぐ労作だ。読後、毒が回って無力感にとらわれる。日本(人)にとって、日米間の絶望的なシステムの存在を知り、虚脱感にさいなまれる。戦後70年余り、日本は米国(軍)に完全に隷属し、コントロールされてきたことがわかる。1945年の日本の敗戦時から今日まで、米軍主導のシステムが日本の深部にしっかりとビルトインされていたのだ。

朝鮮戦争と米国の対日政策の大転換

日本の無条件降伏後のいわゆる米国による戦後処理は、朝鮮戦争(1950-53)前と後で、大転換をとげた。〈1945-49〉までは日本の武装解除及び戦争犯罪人追及、平和国家への改変に力点が置かれた。GHQは、東京裁判(1946-48)、天皇の人間宣言(1946)、平和憲法(1947施行)等の施策を矢継ぎ早に実行し、日本を二度と戦争ができない国にするための大改造が試みられた。

ところが、冷戦の深刻化と朝鮮半島の緊張化を契機として、GHQは対日姿勢を180度転換する。朝鮮戦争勃発とともに、それまでの「日本平和国家構想」を放棄し、日本を戦争の兵站拠点として位置づけるとともに、日本人の警察予備隊7万5千人を急きょ徴兵する。警察予備隊創設の目的は、朝鮮に派兵して空になった米軍基地の防衛だ。そればかりか、海上保安庁職員を8千人増員し、海上保安庁掃海艇部隊が朝鮮における米軍の軍事行動に友軍として参加したという(本書P203)。日本国憲法は施行後わずか3年にして、その実効性を喪失した。

日本はサンフランシスコ講和条約(1951年調印)によって、連合軍の占領が終了し、主権を回復したと、日本の教科書にはある。ところが、講和条約と抱き合わせで、日米安保条約、日米行政協定が締結され、かつ、日米の首脳及び行政官どうしによる密約によって、米国(軍)は日本にある米軍基地の永年自由使用権を手に入れるとともに、のちに警察予備隊から軍隊と化した自衛隊の指揮権も確保したという。在日(=極東)米軍の利権の貫徹だ。この間の日米間の交渉過程等については、本書に詳しい。

米軍の意思を日本で実現するシステム=日米合同委員会

ここで再び安保法制だ。集団的自衛権の行使容認とは、米軍の戦争に自衛隊が米軍の指揮の下、参戦すること。もちろん、日本にある米軍基地は米軍が放棄しない限り永遠に日本には戻らない。その最先端に位置するのが沖縄――普天間であり辺野古であり高江…だ。

米軍の意思を日本政府が無条件で受け入れるための、日本国民にとって絶望的な「システム」とは、著者が前書でもふれていた、「日米合同委員会」。同委員会の米側の出席者は、米側代表=在日米軍司令部副司令官、代表代理=在日米大使館公使。以下出席者=在日米軍司令部第五部長、同陸軍司令部参謀長、同空軍司令部副司令官、同海軍司令部参謀長、同海兵隊基地司令部参謀長。日本側の出席者は、日本側代表=外務省北米局長、代表代理=法務省大臣官房長。以下出席者=農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官。そして、その下に35ある部会で構成されている。(詳細は本書33P)

著者はこう指摘する――
…おかしいですよね。どんな国でも外務官僚が協議するのは、相手国の外務官僚のはずです。そして外務官僚どうしが合意した内容は、もちろん軍の司令官の行動を規制する。これが「シビリアン・コントロール」と呼ばれる民主主義国家の大原則なはずです。(略)
この日米合同委員会というシステムがきわめて異常なのは、日本の超エリート官僚が、アメリカの外務官僚や大使館員ではなく、在日米軍のエリート軍人と直接協議するシステムになっているとところなのです(P36-37)

これが「日本の実像」なのか。おそらく安保法制は、軍の利益を代表するジャパン・ハンドラーの手によって、「アーミテージ・レポート」という風船が上げられ(世に出て)、日米合同委員会において、米軍と日本の行政機関の専門家の手によって、日本の法体系の中に落とし込まれ(法制化され)、安倍政権によって閣議決定され、国会を通過したのではないか。

安保法制は米軍のためのもの

安保法制はいまから66年前、米軍の要請により、在日米軍基地防衛のために警察予備隊が創設されたごとく、米軍の戦争遂行の兵力の穴埋めのためだ。米軍の「テロとの戦い」は泥沼化している。この戦いに必要な武器、兵員、物資を米軍単独では賄いきれない状況にある。そこで自衛隊だ。自衛隊は世界的に見て、米軍の指揮権が可能で、かつ、強力な軍隊の一つ。その存在は韓国軍に次ぐ。しかも前出のとおり、他国の軍隊でありながら、米国(軍)が法的にも軍事的にも、ほぼ完璧にコントロールできる。

日本国憲法を真剣に問わなければ、米軍従属が続くだけ

日本国民の総意として、憲法9条2項を改正することが現実的だというのならば、それもあり得る。自衛のための武力保持を現憲法に加筆するという選択もあるかもしれない。そのことと引き換えに、在日米軍基地、横田空域、米軍関連施設の返還という選択肢も外交課題となろう。

だが、米軍の戦争継続のために憲法の空洞・空文化が加速し、自衛隊が米軍の指揮下で戦争をすることは耐えられない。それは、ローマ帝国に征服された被支配民が、ローマの軍人となって、ローマの新たな征服に駆り出される姿と同じもの。ローマ帝国=米国(軍)の戦争に追随するのか、新しい道を選ぶのか――いよいよ、国民一人一人が選択しなければならなくなった。

2016年8月12日金曜日

『21世紀の戦争と平和 きみが知るべき日米関係の真実』

●孫崎享〔著〕 ●徳間書店(Yahoo!ブックストア)●1400円+税

冷戦後、米国が準備した「新しい戦争の時代」

冷戦後、世界はどう変わったのか――という基本的認識から、いまの世界と日本を考える必要がある。冷戦が終わり、いわゆる共産主義勢力が退場したのだから、世界平和の時代が到来した――わけではない。米国は冷戦終結後、すなわち平和な時代が構築できるという選択肢をもちながらそれを手放し、冷戦に代わる「新たな戦争の時代」の準備にとりかかった。

「悪の枢軸」「自由と民主主義を守る戦い」「テロとの戦い」・・・美辞麗句に彩られた米国が掲げた戦争スローガン。日本はその流れに徐々に巻き込まれ、いまや日本は、“戦争のできる国”にまでその姿を変えてしまった。米国とそれに追随する日本国内の勢力にとって、いまはその総仕上げの段階にある。本書はそれに抗す小石ほどの投擲にすぎないかもしれないがしかし、その流れを止める可能性を秘めている。その意味で、本書は国際情勢、日米関係、防衛問題等を考えるうえで必読の書だといえる。理由は後述する。

今日、米国の戦争に巻き込まれてゆく日本(人)の姿形は、いまから75年ほど前、米国との無謀な戦争(アジア太平洋戦争)に突入したころの姿形に近い。米国により操作された国際情勢分析、それを受け入れて訳知り顔でTV解説する日本人の御用学者、自称ジャーナリストら。彼らにかかれば、ナイーブ(うぶ)な日本国民の洗脳は難しいことではない。日本が集団的自衛権行使容認を合憲として立法化したのは、米国の働きかけを受け入れた、それら日本国内の諸勢力の骨折りの結果でもある。

「米国の核の傘、米軍の抑止力=平和」という思考停止

日本の防衛に係る言説は、原発安全神話に酷似している。原発は事故を起こさないという思考停止と、米国の核の傘、米軍の抑止力により日本は守られているという思考停止。両者は相似形をなしている。敗戦から70年余り、日本国憲法、日米関係、日本の外交防衛問題、核武装等の最重要課題については、日本ではまともに議論することが避けられてきた。なぜか。それにふれれば、ふれたほうが選挙に負けるからだ。本年(2016)行われた参議院選挙においても与党は改憲を視野に入れながら、アベノミックス(経済)を選挙の争点に絞ってそれを避け、マスメディアも追及を避けた。しかし日米間の秘密裏の合意に基づき、内外のメディア、アカデミズム、シンクタンク…らが流す情報により、日本はじょじょに姿を変えつつある。

神話にしたまま触れなければ波風が起きない。日本の外交防衛は米国の指示どおり。憲法改正はしないで解釈改憲すればいい。それが与党の唯一の「戦略」であり、野党もそれに対抗できない。原発は3.11によって、その神話が崩壊したものの、政府とマスメディアが共同でそれを“なかったこと”にしようと謀っている。歴史修正主義。9条が代表するた日本人の反戦・平和主義はいま、日本人の意識から消去させられようとしている。

米国人の防衛意識と強迫観念

『レッドドーン』(原題:Red Dawn/2012年公開/ダン・ブラッドリー監督/カール・エルスワール脚色)という米国映画がある。この映画は1984年公開された『若き勇者たち(原題:Red Dawn)』のリメークだ。アメリカが共産主義国(北朝鮮)に突如占領される。占領軍に抵抗するため、海兵隊を除隊して故郷に帰っていた兄をリーダーにして、若い兄弟とその友人たちが占領者に抵抗ゲリラ戦を展開するという荒唐無稽の物語。

なぜこんなB級映画が2度も映画化されたのか。それはそのときの米国の情況に求められる。最初の映画化は1980年代初頭、レーガン政権下の冷戦末期、83年にはレーガンが「悪の帝国発言」を行っている。同年には大韓航空機撃墜事件を筆頭に、凶悪なテロ事件が多発していた。そしてリメーク公開された2012年といえば、第二次イラク戦争が終わったばかりのころ。その前前年、オバマ大統領がイラク戦争終結を宣言している。

どちらも米国にとってきな臭い、戦争が身近な情況において、同映画は公開されている。筋書きは、前出のとおり米国本土が敵対する共産主義勢力に突如、侵略されるというもの。そこに、米国人の強迫観念が滲んでいるように思える。米国人には、いつかだれかに侵略されるという恐怖が潜在しているように感じる。

米国はいうまでもなく、大西洋を渡ってきたヨーロッパ移民が開拓した国。彼らは先住民にとって侵略者であり、その一方、英国との独立戦争では敵(英国軍)は大西洋を越えてやってきた。侵略者でありながら、侵略される側でもあった米国人の原体験は、“いずれ侵略される”という恐怖となって、米国人に潜在しているのではないか。「やられる前にやれ」となる。いま米国国内で多発している警官による黒人無差別射殺事件の原因の説明にも、彼らが潜在的恐怖からいまだ解放されていないという理由づけが有効かもしれない。

米国の安全保障の地勢的要諦

米国における安全保障の地勢的要諦を大雑把に見ておこう。防衛ラインは、(1)米国東=北大西洋、(2)同西=(米国にとっての)西太平洋、南は、(3)メキシコ国境、(4)キューバを臨むフロリダ湾、(5)北=ロシアと接するベーリング海、(6)米国の中東地域の飛び地=イスラエル周囲=エジプト、シリア、ヨルダン、レバノン、サウジアラビアであり、この地域がもっとも不安定。

(1)の防衛体制はNATO。冷戦時代はソ連圏と対峙。現在はロシアに代わっている。(2)は中国、北朝鮮の西進を阻む目的で、韓国、日本、東南アジア諸国が中国北朝鮮に対する「蓋」の役割を担っている。75年前、日本の西進により、米国はハワイ真珠湾を攻撃された経験を持っている。(3)(4)はキューバ革命(1953-1959)以降、ゲバラによる革命輸出と、南中米に社会主義政権国家が誕生した1970年代が米国にとって最も不安定な時期となっていた。米国はゲバラを殺害し、CIAを使って軍事クーデターを起こし、親米(軍事)政権を樹立させ、安定化を図った。

日米関係と中国

さて、日米関係である。日米関係はいうまでもなく、米国における(2)の防衛ラインに属す。米国の脅威は、中国-日本の親密な関係構築にある。最悪のシナリオは日中が共同で米国と敵対し、戦争になること。だがそうはならない。その説明については本書に詳しい。

米国にとって現実的な脅威とは、日本~中国・北朝鮮が互いに敵対せず、安定すること。そうなれば、日本、韓国、台湾はもとより、北東アジア、東南アジアが安定し、米軍は存在意義を失う。その結果、米国の武器輸出は漸次低減する。米国にとって日本に親中国政権ができることは、なにがなんでも避けたいところ。いま現在、日中間における尖閣列島を巡る緊張は、日本がそれまで中国と合意していた「棚上げ」を無視して国有化を図ったことに起因する。このことの詳細も本書にある。それだけではない。日本の政治家のなかで中国と親和的関係を築いた者の多くが、「政治とカネ」等のスキャンダルで失脚している。

2度のイラク戦争は米国による侵略戦争

第一次及び第二次イラク戦争については、米国によるイラク侵攻の正当性がなかったことが今日わかっている。しかし、日本では前者における130億ドルの資金協力の評価すら正確でなく、後者における自衛隊イラク派兵の是非すら論じられることがない。それどころか、米国側による戦闘協力の要請に従おうとしている。それが、集団的自衛権行使容認の経験的根拠にすらなっている。その経緯についても本書に詳しい。

日本の外交防衛路線はすべからく米国の指示に基づく

本書が提供する日米の関係に関する情報を読み通したうえで総じていえるのは、戦後の日本の外交防衛路線は、すべからく米国の要請(命令?圧力?)に従っているという事実。敗戦(1945)による武装解除、以降(1947~)、開始された再軍備、日米安全保障条約締結、基地提供、地位協定、米国製武器輸入、原発建設、イラク派兵、特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認(安保法制)に至るまで、日本は米国(軍)に引っ張られてきた、という事実が確認できる。

「1%」のための戦争

日本のみならず世界中を紛争の渦に巻き込む米国(軍)の原動力はなにかといえば、米国における“産軍共同体”の存在。世界中が平和になって戦争がなくなってしまえば、米国(軍)の経済は立ち行かなくなる。米国の軍需産業がだめになるだけではなく、金融、商業、運輸、IT…すべてがだめになる。とはいっても、それは米国が特別でなくなるだけのこと。もっといえば、米国の“1%”がだめになるにすぎないのだが――

本書は著者(孫崎享)の専門とする外交防衛に特化した日米関係の書。だが現実には、経済、メディア、文化、学界等々の各分野において、米国による日本への圧力が認められるはずだ。だから、日本国内の米国追従者の動向にも目を光らせておく必要がある。彼らは米国の指示に忠実に反応しているはずだから。

テレビに代表されるマスメディアは、既に米国とそれに従属する側の手にある。それだけに、心配なのが著者(孫崎享)の身辺だ。日米関係のタブーに触れた者に多くの不審死が出ていること。そうでなくとも、万一孫崎に何か起きた後、彼の仕事を引き継ぐ勇気ある人材はいるのだろうか。

2016年8月10日水曜日

8月の猫

しばらく猫の写真を上げていなかった。

結論をいえば、相変わらず2匹とも元気。

ときどき喧嘩もするが、仲は悪くない。

写真を撮ろうとしても、なかなかツーショットの機会がない。

この日はタイミングがよかった。




2016年8月7日日曜日

『政府は必ず嘘をつく 増補版』

●堤未果〔著〕 ●角川新書(Yahoo!ブックストア) ●800円+税

政府の嘘が常態化する今日の状況

政府が嘘をつくことはいまに始まったことではない。たとえば、1940年代の日本。アジア太平洋戦争末期、日本軍の敗色が濃厚となった時点においても、日本帝国軍の戦勝報道が「大本営発表」の下、続けられていた。当時の日本国民は(TVはなかったものの)、大新聞、ラジオ、雑誌、ニュース映像による偽の「戦勝シーン」を見聞きすることによって、戦争勝利を確信していた。都合の悪い事実を隠したい政府、その政府に屈服し従属するメディア、信じたいものを信じる国民――という三者の構造的関係は、戦争から70年以上が経過した今日の日本において変化ない。

いや、変化ないどころか、状況はより深刻度を増している。今日の政府の嘘は、戦時、非常時下におけるものではない。言論の自由、表現の自由、基本的人権が憲法によって保障され、ジャーナリストが自由に取材、執筆することができるはずの世の中において、マスメディアから出てくる情報が、政府によって“検閲済”なものばかりか、隠蔽、操作されることが常態化しているという意味において、より深刻化している。国民は先の戦時下から何も学ばず、マスメディアは「大本営発表」を教訓とせず、戦後70年余りにわたり、政府の嘘を許容し続けている。

そればかりではない。政府による嘘の技術向上、巧妙さ、その連続性と増大という傾向は、政府が国民にとって不利益な体制の構築を着々と準備している予兆だと換言できる。本書は、政府~マスメディアが共同して国民に情報を隠すことの危うさを読者(=国民)に伝えなければという強い使命感に貫かれている。その意味において、著者(堤未果)は、まことに稀有なジャーナリストの一人だといえよう。

世界規模で常態化する嘘

政府の嘘はもちろん、日本に限定されていない。情報隠蔽、情報操作をモデル化したのはナチスドイツかもしれないが、米国によって、より緻密に方法化されたと思われる。前出の日本が負けた戦争の末期、広島、長崎に投下された原子爆弾二発も米国政府の嘘に依っている。当時、米軍幹部は原爆投下がなくとも日本は無条件降伏すると確信していたという。ところが原爆を投下したいトルーマン大統領(当時)らは、“上陸作戦が敢行されれば、多数の米軍兵士が犠牲になる”という嘘情報を流し、原爆投下を正当化した。その結果、広島、長崎の一般市民が大量虐殺された。

今日のアラブ世界の危機的状況も嘘が招いた

9.11をはさんで二度にわたった対イラク戦争、アフガン侵攻、リビア侵攻、シリア内戦、エジプト政変等にアメリカが関わっていたことは明白だ。介入の表向きの看板は「反独裁」「自由と民主主義を守る」「対テロ戦争」といったもの。イラクが保有しているはずの大量殺戮兵器は第二次イラク戦争後、存在しなかったことが判明した。米国のイラク侵攻は「嘘」を大義として敢行されたのだが、そのことを咎める国際世論は存在しないに等しい。日本はイラクに自衛隊を派遣したのだが、それが米国の嘘によるものだったことの反省・検証を促す政治勢力も日本に存在しないに等しい。

リビアの指導者・カダフィ大佐については、「アラブの狂犬」「非情な独裁者」というレッテルが米国及びその追随勢力によって貼られた。「リビア国民に対し非情な弾圧を行っている」というのも彼らのでっち上げ。カダフィは豊富な地下資源を背景にして、国内的には国民にやさしい福祉国家をつくりあげるとともに、対外的には大量に保有していた金を原資に、アフリカ・アラブ統一通貨「ディナ」の発行を計画していたことがわかっている。ドル・ユーロの価値低下をおそれた西側が、カダフィ暗殺を企てた。シリアのアサド大統領もカダフィの場合に酷似している。

エジプトでは「アラブの春」の直後、ムスリム同胞団主導のムルシー政権が成立したが、米国に支援された軍部中心のクーデターがおこり、シーシー政権が成立。そのとき、米国は「ムスリム同胞団はテロ組織支援政党だ」というキャンペーンをはった。シーシー政権によってムスリム同胞団はいまなお、弾圧を受けている。

イラク、シリア、リビア、エジプトといった、アラブの安定国家が米国等によって侵略される背景には、アラブをアメリカ化したいイスラエル・アメリカ両国の思惑が働いている。その第一は、イスラエルの安全保障。アラブ各国が安定して成長を続けることはイスラエルにとって最大の危機の到来という認識。アラブ各国が崩壊し、国力を低下すればするだけ、イスラエルの安全が高まると。

戦争は米国の主力産業

その第二は米国の戦争願望。戦争こそが米国の経済成長戦略だからだ。武器輸出はもちろんだが、産軍複合体による開発武器の実験場、戦争の民営化、セキュリティーシステムの販売(イスラエルの輸出主力商品はセキュリティーシステムである)…内戦状態のアラブ各国において、死の商人が暗躍する。その副産物がテロ集団ISであることに異論はあるまい。

原発報道は嘘のかたまり

最近の日本政府による積極的な嘘といえば、原発事故に係るもの。事故前は原発の「安全神話」という嘘が報道され、事故直後(菅政権)から終息宣言(野田政権)までの事故の実態についての嘘は、民主党政権下においてだった。以降、今日までの嘘は自公アベ政権によるもの。最近では、アベの「アンダーコントロール」が耳から離れない。「原子力村」は国家(行政)・産業・メディア・学界が複合化したコーポラティズムの典型にほかならない。

TPPは情報隠蔽

経済分野ではTPP。その内容はもちろん、交渉過程まで一切、情報開示されていない。著者(堤未果)が繰り返し警鐘を発するISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項。Investor State Dispute Settlement)や医療・保険(国民健康保険)分野において予想されるリスクについて、日本のマスメディアは政府の嘘しか報道しない。

こうした傾向は日本だけではない。先進国の新聞・テレビ等、いわゆるマスコミはすべからく、投資会社やメディア事業者に買収されている。“ジャーナリズム”は既に死後である。日本のマスメディアは新聞社系に系列化されているが、株主構成をみると外資が過半を占めるという。日本のマスメディアは自らを「ジャーナリズム」、その従事者を「ジャーナリスト」と僭称するが、これも立派な嘘。彼らはメディア事業者、メディア事業従業者にすぎない。彼らが流す「情報」は政府及びスポンサーの主意に沿っているものばかり。

嘘の根源はコーポラティズム

著者(堤未果)は政府の嘘が常態化する主因をコーポラティズムに求める。コーポラティズムとは大企業(グローバル企業)が政府と一体化して、企業利益を追求するシステム(体制)のことだ。政府の政策は国民のためと謳われながら、実は企業の利益追求を手段化したものという具合だ。

近年の日本におけるわかりやすい事例は、国民総背番号制(マイナンバー)だろう。マイナンバーが立法化される前、マスメディアは海外先進国では当たり前――といった報道をしたが、海外では事故続きで、どこも行き詰まり状態だという。マイナンバーはだれのためかといえば、大手の通信事業者、ソフトウエア会社、プロバイダー等のIT企業だ。政府は彼らに対し、予算(税金)から莫大な事業費を支払ったばかりか、ほぼ永遠にかつ定期的に維持費、運営費、メンテナンス費用を支払い続ける。国民がマイナンバーから受ける恩恵はいまのところ皆無に近いし、将来的にないに等しいだろう。

TPPはアメリカ政府を使ったグローバル企業による市場開拓であり、グローバル企業がより自由に企業活動を展開するため、各国に具備された法律、規制等を無効化することが目的だ。たとえば、日本の地方自治体が地元産業に助成する制度をもっていたとしよう。TPP加盟国は、日本の地方自治体が行う助成制度について、フェアトレードを阻害するとクレームをつけることができる。TPPが発効すれば、助成を受けてなんとかやっている日本の地場産業、中小企業、農業等は壊滅する。

国家はどうあるべきかが重要

その背景には、新自由主義があり市場原理主義がある。ただ、剥き出しの新自由主義をいま現在、瀬戸際で阻んでいるのも国家にほかならない。資本主義国家群がロシア革命以降誕生した社会主義国家群(スターリン主義国家群もしくは阻害された労働者国家群)に対抗するため、労働者を保護し、市場の無秩序を経済政策でコントロールしようとした遺産(社会民主主義)が、西欧、日本にはまだ残っているからだ。福祉国家という概念もその一つだ。それらを規制緩和という名目で一掃しようと図るのが構造改革主義。構造改革を掲げる政治集団には注意を要する。

国家の支援を受けて世界中に吹き荒れるコーポラティズムの暴力から国民を守ることができるのは、実は自国政府(=国家)しかない。国家をどうするのかについては、国民が決めなければいけない。そのためには国家を制御する憲法をどうするかを考えなければいけない。

日本版『デモクラシー・ナウ!』を立ち上げよ

政府は嘘をつく。しかも政府の嘘は、メディアを媒介にして国民に伝えられる。ならば、国民が信頼できる新しいメディアをつくりあげることが急務となる。たとえば筆者の数少ない情報からえられるイメージとしては、米国で立ち上げられた、『デモクラシー・ナウ!』(Democracy Now!)のようなものだ。著者(堤未果)はエイミー・グッドマンになれるだろうか。


2016年8月5日金曜日

テレビが当選させた都知事、小池百合子

東京都知事選が終わった。投票日の午前中、筆者はあるSNSのダイレクトにおいて、仕事を一緒にしたことのあるZ子ちゃんとメッセージ交換をしていた。Z子が「今日は都知事選ですよ!」と話題を振ってきた。以下、そのやりとり。

筆者:Z子ちゃんは都民じゃないでしょう。これから鳥越さんに投票してきます
Z子:そう、神奈川県民なので。鳥越さんなんですね!!
筆者:もちろんですよ。参考までに、Z子ちゃんがまだ都民だったとしたら、だれにしますか?マック赤坂?
Z子:笑 マック赤坂 私は小池さんかな~

Z子は最近結婚して、東京から神奈川に転居したばかり。政治に興味のない、サーフィン好きのアラフォー女性。彼女の「小池さんかな」という呟きに、筆者は鳥越当選の最後の望みを絶たれたようにすら感じた。やっぱりだめか、と。

その予感はあっという間に現実となる。筆者の願望叶わず、鳥越は落選。超右派(改憲・軍事オタク)の小池百合子が当選した。改めて得票結果を見てみよう。小池百合子=2,912,628票、増田寛也=1,793,453票、鳥越俊太郎=1,346,103票、上杉隆=179,631票(以下略)。小池の圧勝だ。

立候補者を巡る混乱?

都知事選の経緯を簡単に振り返ってみよう。あの舛添前知事の騒動のあと、自民党・公明党は人気のあるジャニタレの父で元総務省の役人トップを候補者と目論んだが断られた。有力な代替候補がみつからないうちに小池が自公の公認を得ずに立候補を表明。慌てたように見えた自公はとりあえず増田を公認候補とし、保守分裂の様相を呈した。

一方の野党共闘(民進・共産等)は、先に立候補を表明していた宇都宮健児を下ろし、土壇場で自ら立候補を表明した鳥越俊太郎の推薦を決めた。

保守分裂、野党共闘は候補者の一本化に成功――この状況を受けて、筆者は都知事選における野党共闘の勝利を確信した。

テレビと小池

「東京都知事」については、ここのところ格好のテレビコンテンツとなり、猪瀬辞任騒動、舛添騒動と、朝から晩まで都知事関連報道がなされるのが定番となった。すっかりアベ政権のポチとなったテレビ局が自由に取材放映できる数少ない政治的題材。国政とは関係ないため、比較的自由に扱える。製作コストは安価だし視聴率も悪くない。視聴者側も都知事選ともなれば各候補者の品定め――と、お茶の間のかっこうな暇つぶしだ。

しかし、テレビ局というのはそれほど頭が悪いわけではない。都知事選の報道には巧妙な罠が仕掛けられている。前出のとおり、小池はいわゆる先出し立候補表明。思い付きではない。舛添辞任を見越して、都知事選にむけて準備をしていたと思われる。

自民党・公明党は前出のとおり、総務省の役人に断られた時点で、この選挙を諦めていたと推測できる。野党連合も候補者選びに難儀し、準備不足のまま鳥越に決まった。「後出し」有利という風評を流したのはテレビであり、野党連合もそれを信じた感がある。

小池当選はテレビの誘導の結果

このたびの都知事選は、テレビ局が小池当選に向けて暗躍した結果である。都知事選立候補者は、小池、増田、鳥越を含めて全部で21名いた。増田及び鳥越は政党の推薦者であるから有力な候補者であるという理屈はとおる。ところが小池は表向き、組織の支援を受けないと自ら表明していた。小池は元防衛大臣だから有力候補者として増田と鳥越と同格だという論理は成立しない。テレビ局が報道に値する候補者として増田、鳥越、小池を選び、3人に報道を集中させた根拠は理論的には存在しない。各テレビ局が恣意的にこの3人を「有力候補者」として選んだにすぎない。政党推薦なしの候補者は小池だけではない。小池の候補者としての格付けは、今回得票数4位(179,631)に終わった上杉隆と同程度。にもかかわらず、上杉に関するテレビ報道は皆無に近かった。小池を有力候補者の一人に加えたのはテレビなのである。

それだけではない。極めて興味深い分析がある。小池百合子のテレビ露出時間が他の候補者に比べて圧倒的に長いというデータ(「テレビ放映時間から見る都知事選」)である。小池が立候補表明を他の2人より早く行ったから露出時間が長かったという事実を考慮しても、小池がテレビによって、立候補者21名のなかで特別扱いを受けていたことが明らかだ。

三択の罠

三択から何を選ぶか――消費者が3ランクに格付けされた商品を選択するパターンである。「赤・白・ピンク」なら「ピンク」、「松竹梅」なら「竹」、「上中下」なら「中」、が選ばれる。政党色を嫌う東京人の過半は、冴えない風体の増田(白)及びオールドレフトの鳥越(赤)を嫌って、ピンクの小池を選択する。与党の増田(松または上)、野党の鳥越(梅または下)にも嫌気を感じ、推薦なしの竹または中(=小池)を選ぶ。

テレビに細断された情報の「かけら」

テレビが増田・鳥越・小池の3者を恣意的に選択し、報道を3人に集中した結果、イメージとして優れていたのは残念ながら小池だった。そのことを的確に評したのが、次のツイート。

@C4Dbeginner: 小池百合子候補は高齢世代からは穏健なリベラルに見え、ネット世代からは石原的な強硬派に見え、女性からは高学歴キャリア女性の象徴に見え、都議会に反発 する人には小泉的改革者に見える。無知や無関心ではなく、メディアに細断された「情報のかけら」の集合が生む鵺(ぬえ)のような怪物だと思う。

では小池の政治家としての本質はどのようなものなのか。金子勝のツイートが的確だろう。

masaru_kaneko: 【首都の死3】軍事オタクの核武装論者で移民排斥の新自由主義者の小池百合子氏が勝った。これから首都でトランプやボリス・ジョンソン並みのワイドショー型扇動政治が始まるだろう。だが、アベノミクスは日本経済と社会を破壊していく。

孫崎亨は小池を「アメリカがつくった政治家」だと評した。アメリカも小池の当選を喜んでいるとも。




地上戦の戦闘員

小池はメディア(主にテレビ)の援助を得て、いわゆる空中戦で他候補を圧倒した。では地上戦ではどんな戦いが展開されたのだろうか。小池の選挙戦の深層については報道がないからわからない。筆者も取材していない。だからここから先は推測になる。小池の選挙戦を支えたのはおそらく日本会議のメンバーではなかろうか。街頭への動員、シンボルカラーのグリーンの着装、選挙運動員の派遣、資金の捻出については、それこそブラックボックスである。政党推薦のない小池がその個人資産で賄ったとは思えない。

都民無党派層の傾向

今回の都知事選は1999年の選挙とまったく同じというわけではないが、保守が統一候補を絞り切れなかったという意味で共通していた。99年の当選者は石原慎太郎で推薦政党なし。石原の得票数は1,664,558、民主が推薦した鳩山邦夫が2位で石原の半分強の851,130、3位が推薦政党なしの舛添要一(836,104)、自公推薦の明石康は690,308で自公惨敗となった。今回と重なるのは、自公が明石、民主が鳩山、政党推薦なしが石原及び舛添で4名が有力候補者として注目された点。結果も今回の小池と同様、無党派の石原が圧勝した。ちなみに石原と舛添を足すとおよそ250万票で、小池の獲得票に近づく。

99年の自公の明石候補が今回の増田候補に、同じく民主の鳩山が今回の鳥越に、同じく石原が今回の小池に該当する。99年は無党派どうしの舛添と石原が票を食いあったため、石原得票数は今回の小池に遠く及ばなかったが、政党推薦なしが圧勝するパターンは99年に既に確立されていたのだ。今回は舛添のような「不純分子」が立候補しなかったため、表向き政党推薦なしの小池が圧勝という形をとった。今回の自公推薦の増田はタマとして最悪で、99年の明石と似たタイプ。鳩山と鳥越はタイプ的に異なるが、野党推薦で勝てるパワーはともになかったことが共通項。石原と小池はよく似た者同士で、無党派層の厚い支持を受ける要素を具備していた。

全政治過程における野党の怠慢

建前としての無党派(候補)が、実態と異なることはよくあること。だからといって、テレビがつくりだしたイメージに簡単に騙されてしまう都民は愚かだと嘆いてみても始まらない。都民の皮膚感覚的投票行動を都会人の軽薄さと侮蔑することもできない。有権者がどうだこうだ、と嘆いてみても得るものはない。「劇場型」「先出し後出し」「知名度」とマスメディアが流した都知事選のイメージにたやすく便乗しようとした野党側にすべての責任がある。

野党連合は、たとえばこのたびの主戦場である東京都において、戦後71年間、いったいどれだけの確固たる支持者を獲得し得ていたのか。民進党は、頼みの連合ですら反原発を踏み絵にして、鳥越支持の一本化を取り付けられなかったし、共産党も、党員数及びそのシンパ数は一貫して減少もしくは横ばいである。特定秘密保護法、原発、安保法制、TPP、改憲・・・と、政権を追い込む政治課題が山積していながら、しかも、甘利問題はじめ自公側にオウンゴールがありながら、勝ちきれない。相変わらずの「風」だのみ、若者団体「SEALDs(シールズ)」に尻を叩かれるありさまだ。経済危機がやってきて、プロレタリアートが一斉蜂起する夢を彼らは見続ける気なのか。党が「風」や「劇場」という自然発生性に拝跪したままならば、政権奪取(変革)は永遠にやってこない。「野党」が強い党をつくるために努力するしかないのだ。

2016年7月13日水曜日

鳥越俊太郎を支持する

役者がそろった都知事選

ジャーナリストの鳥越俊太郎が東京都知事への立候補を正式に表明した。ご承知のとおり、舛添要一辞任後の同選挙の立候補者については混迷を極めていた。保守陣営(自民公明)からは自民党国会議員の小池百合子が自公の推薦を受けずに出馬を表明、与党側はこれを公認せず、原発推進派の元建設官僚・増田寛也を公認した。

一方、反自公陣営からは宇都宮健児が出馬を表明していたのだが、そこに、先述のとおり鳥越が宇都宮をかぶせるようにして出馬を表明、それを受けて、参院選から継続中の野党共闘の流れを受け、民進・共産等が鳥越を急きょ公認した。

結局のところ、与野党双方がそれぞれ2名の候補者を出すという異例の展開で選挙戦を迎える。その間、タレントの石田純一、古賀茂明が「反与党的立場」から出馬を表明しながら、すぐ撤回するというハプニングもあった。

反安部の流れを持続し実現せよ

鳥越の出馬については批判がある。その第一は国政を地方自治に持ち込むなというもの。第二は健康状態。第三は都政に無知、政策がない云々。これらの批判は筆者から見れば、批判に値しない。なぜならば、鳥越の出馬は「東京都知事」の地位に限定されていないからだ。鳥越の危機感は参院選与党(安倍政権=自公)勝利にある。安倍政権が準備しているのは、憲法改正、安保法制の強化、福祉切捨て、格差拡大、対米追従の日本だ。先の参院選の結果は、国民がそのことに無自覚なまま、安倍を容認したことになる。

鳥越の危機感は筆者のそれ。参院選前、野党も“安倍にそこまでは”という自覚の下、やっと一人区における野党共闘を実現させた。そして都知事選、この期に及んで、都知事選を東京の自治に限定する都知事候補は政治センスがなさすぎる。それほどまでに「地方自治」にこだわるのならば、都知事ではなく区議会選挙にでも出馬したほうがいい。野党共闘は、最重要選挙区である沖縄、福島で与党候補に勝利した。流れをつかみかけた野党陣営が都知事選においても共闘を継続するのは政治における常道といえる。鳥越公認を野合だとか、政策協定がないと批判するのは、ある種の原理主義。流れを渡せば、都民、国民が損をするのだから。

宇都宮陣営が仕掛ける野党共闘妨害工作

宇都宮健児が頑なに鳥越批判を繰り返し、野党共闘の流れに水をさしている。宇都宮の出馬によって喜んでいるのは、分裂選挙を余儀なくされ、二流のタマである増田を擁立した自公だ。鳥越VS〈小池・増田〉ならば、増田に勝ち目はない。ところが、野党側も分裂してくれたので、増田に勝ち目が出てきた。宇都宮は猪瀬辞任後の都知事選においても細川護熙の出馬に与せず、舛添の勝利に間接的に貢献した。そして宇都宮は再び、自公のアシストを繰り返した。

がん患者に希望を与える鳥越出馬

次に鳥越の健康問題である。筆者は、鳥越が「がん患者だから政治がダメというのはおかしい」という意味の発言をした。筆者は鳥越の言葉に共感する。がん患者は病気に苦しむと同時に、社会の差別にも苦しんでいるという。鳥越ががんを乗り越え、しかも、余命を都政改革、反安部政治のために燃焼させようというのならば、それこそが多くのがん患者の励みとなろう。それをロマン主義と笑うのは勝手だが、筆者は鳥越にエールを送りたいし、勝ってもらいたいと願っている。

政治家選びに重要なのは候補者の人間性、感性の見極め

出馬表明のさい、鳥越は具体的に政策を語らなかったとの批判がある。だが待てよ、先の参院選において、一国の首相すら、政策を語らなかったではないか。安倍が語ったのは「アベノミクスの推進」だけではなかったか。しかも、そのアベノミックスだってなんの成果も上がっていない。大事な年金を損失させ、格差を拡大し、自らが公約した消費税率のアップすら取下げたではないか。沖縄出身でありながら、基地問題を語らなかったタレント候補はどうなのだ(彼女は当選したらしいが)。

政治家に必要なのは、実態のない言葉(政策らしきウソ)ではない。有権者が見抜かなければならないのは、候補者のもつ人間性、感性、センス、たとえば弱者に対する配慮などだと思う。その配慮とは、「福祉重視」「待機児童の解消」「特養老人ホームの増築」「公営住宅建設」という政策の具体性(言葉)とは異なる次元のものだ。投票行動の構造的分析は困難かもしれないが、有権者が、立候補者が弱者に真に寄り添っているか否かを見極め、そのことを投票の指標とするならば、日本はちがった国家になっていたように思う。

※拙Blog投稿後の夜、宇都宮陣営が都知事選立候補の取下げを表明。同陣営による野党共闘妨害工作は終焉した。

2016年7月7日木曜日

神楽坂~東京大神宮

神楽坂

にぎやかですな。

地下鉄の駅を出るとすぐにあるイベント&物販スペース




クラフトビールが飲めるパブ

東京大神宮~七夕祭り開催中(縁結びの御利益があるとか)
偶然通りかかった東京大神宮