2009年9月23日水曜日

彼岸花


近くのU公園に彼岸花がたくさん咲いているというので、見にいった。花は盛りを過ぎたようで、美しくはなかった。


その後ろには大仏の頭。不思議な顔である。


帰り道、寛永寺によったら本堂が開いていて、公開法要が行われていた。本堂の中を初めて見た。






寛永寺の近くの浄明院に寄る。

2009年9月22日火曜日

読書計画変更

先般、『海と列島文化』全10巻シリーズを読破すると宣言しておきながら、わけあって、『1968』上下巻(小熊英二[著])を読むことになった。

同書も相当なボリュームである。内容は、1960年代後半から1970年初頭にかけて起った、「全共闘運動」の研究である。

同書読了後、『海と列島文化』第2巻からの再読を開始する。

『1968』を今年中に読み終えることができるかどうか・・・

2009年9月21日月曜日

『日本海と北国文化(「海と列島文化」第1巻)』

●網野善彦ほか(著) ●小学館 ●6,627円(税込)


日本は海に囲まれた島国。そのため、外界(外国)との交流が阻まれてきたという話をよく聞くし、日本は稲作中心の農業国だともいわれる。どちらも、日本についての常識的説明だと思われているのだが、根拠を欠いた俗論である。

古代(いまでもそうであるが)、海路は物流の大動脈である。また、農業以外を生業とした日本列島人が、それぞれの神を戴き、地域的権力(武力・統治力)をもち、中央政府と同調、また、拮抗した関係を築いてきた。海に生きる人々は、土地に縛られない、高い流動性をもって暮らしていた。あるネパール人は、「海に囲まれた日本が羨ましい」と筆者に言った。彼らは海(港)をもたないから、重要な物資をインドの港を経由して自国に持ち込む以外ない。そのネパール人は、インドへの依存度が高いことを嘆いたのである。

本書は「海と列島文化・全10巻」の第1回配本(1990)で、日本海と北国を扱っている。かつて日本列島の日本海側は“裏日本”と呼ばれ、冬は寒く豪雪となり夏は短く、「暗い」というイメージが支配的であった。いつの日か“裏日本”という呼称は使用を禁ぜられ、日本海側と呼ばれるようになった。また、日本海沿岸のいくつかの都市で拉致事件が発生したことでもわかるように、そこは大陸、朝鮮半島と一衣帯水である。日本列島の政治の中心地は長らく近畿にあり、17世紀以降、関東(江戸・東京)に移ったものの、ユーラシア大陸との接点という意味において、日本海沿岸の重要性はいまも昔も変わっていない。

さて、日本海を舞台とする海上交通の歴史は、古代以来の出雲(いずも)と越(こし)の二大勢力地域との交流があり、そこに大陸との直接交渉の窓口という特異性がある。本書には、そのことの具体例として、筆者が初めて知ったことが多数記述されている。たとえば、▽山形県最北の飛島という小島が、高麗、渤海、粛慎(みしはせ)、靺鞨からの諸外国使節を迎え入れていたこと、▽海驢(みち/日本アシカ)猟を生業としていた能登(舳倉島)の民、▽北の海の武士団・安藤氏、▽蝦夷地でアイヌを奴隷化した紀州・栖原家、▽蝦夷の民の3類(日ノ本、唐子、渡党)、▽金山で栄えた佐渡の相川の善知烏(うとう)神社祭礼。無秩序の混沌とした様子がうかがえる。相川には、全国から芸能の者が集まったという。いずれも、稲作を生業とした、「日本人」のイメージとも、かつて、日本海が“裏日本”と呼ばれていたイメージとも異なっていて、ダイナミズムとモビリティにあふれている。

2009年9月19日土曜日

LEVON HELM




久しぶりに、CDを購入した。リヴォン・ヘルムの「Dirt Farmer」「Electric Dirt」の2枚である。リヴォン・ヘルムは、筆者がこよなく愛した「THE BAND」の3人のヴォーカルのうちの一人であり、「THE BAND」ではヴォーカルとドラムを担当した。

「THE BAND」については、多くを語る必要はないだろう。ボブ・ディランのバック・バンドを務めたことが世に出るきっかけとなった。飛躍のきっかけとして、ハモンド・オルガンの名手・ガース・ハドソンがメンバーに加入し、音楽性における飛躍を成し遂げたことも挙げられよう。

「MUSIC from BIG PINK 」が大ヒットを記録。さらに、彼らの楽曲である「The Weight」が映画『Easy Rider』中の挿入歌として使用されメガヒットし、以降、ロックバンドとして安定した地位を築いた。その間、いくつかの伝説的コンサートも行った。彼らの解散コンサートの模様が、「THE LAST WALTZ」という記録映画となっていることはよく知られている。

「THE BAND」は有名になったけれど、メンバー同士は不仲だったといわれている。中でも、リード・ギターのロビー・ロバートソンとリヴォンは仲が悪く、「THE LAST WALTZ」がロビー主導で撮影されたことをリヴォンは快く思っていなかったという。ボブ・ディランはロビーのギターを賞賛したけれど、リヴォンは、ロビーのギターを“数学的”と評している。(『Levon Helm and the story of THE BAND』)リヴォンの土臭さと相容れないものがあったのだろう。

解散後、ロビーが抜けた「THE BAND」が来日したとき、筆者はもちろん、聞きにいった。そのとき、なぜかツインドラムの構成で、コンサート終了後、リヴォンはスタッフに肩を担がれステージから退場した姿が痛々しかった。

前出の「THE BAND」の3人のヴォーカルとは、リヴォンのほか、リチャード・マニュエル(ピアノ他)とリック・ダンコ(ベース)であるが、二人とももうこの世にいない。残ったリヴォンも咽頭ガンを患い、歌うことができなくなった、といわれていたのだが、奇跡の復活を成し遂げた。

復活後の最初のCD(2007)が、「Dirt Farmer」で、リヴォンの娘のエミー・ヘルムが、ハーモニーヴォーカルで参加。このアルバムは全曲ガチガチのカントリーで、マンドリン、フィドル、アコースティックギターをバックに、リヴォンが切々と歌い上げている。咽頭ガンの手術の影響であろうか、リヴォンの声はかすれ気味に聞こえるのだが、それがかえって哀愁を増している。

「Electric Dirt」は復活後の第二弾(2009)。こちらは、▽ブルース、▽アイリッシュ・トラッド、▽「THE BAND」時代が思い出されるロック、▽カントリー、と多様である。やはり、娘のエミー・ヘルムがハーモニーヴォーカルで参加している。ホーン(アルトホーン、チューバ、テナーサックス、トロンボーン、ソプラノサックス)を交えた重層的サウンド、力強さを増したリヴォンの声と、前作よりパワーアップしている。最終曲は、60年代の懐かしのプロテストソング「自由になりたい」(I wish I knew how it would feel to be free) 。さて、リヴォンはこの名曲をどんな風に料理したのでしょうか。

さて、過日、某FM局でリヴォンのこの曲がかかったのを偶然聞いたのだが、そのときのDJがこんなエピソードを披露してくれた。親日家の彼は、しばしばコンサートのため来日した。彼は、東京から福岡までの移動に新幹線を使用するよう頑強に主張した。もちろん、長時間の移動は非効率的であるし、体調にも影響をする。しかし、リヴォンは譲らなかった。

新幹線が広島に着き、停車時間が過ぎて発車したが、リヴォンは車内にもどっていなかった。心配したスタッフから連絡を受けた関係者が広島市内を探しまわり、リヴォンを見つけたとき、彼は広島の街中を泣きながら彷徨っていた。「俺たちアメリカ人が、この街(広島)にあんなひどいこと(原爆投下)をしたんだ・・・」

2009年9月11日金曜日

9.11

いまから8年前(2001)、米国ニューヨークのワールド・トレード・センター・ビルに旅客機が突っ込み、多数の死者が出た(「9.11事件」)。犯人はアラブ系イスラム原理主義グループの者だと言われている。米国ブッシュ(当時)大統領は以来、「テロとの戦い」を宣戦布告し、「ブッシュの戦争」を始めた。この事件の発生と並行して米国経済は活況を呈し、グローバリズム、新市場主義が世界を席巻した。

日本においては、小泉が首相に就任し、「構造改革」路線を掲げた。その結果として、日本経済も米国経済の活況に牽引されるようにミニバブルが発生し、米国流の金融の「高度化」の必要性が叫ばれた。しかしながら、昨年秋の米国のサブプライム・ローン問題からリーマン・ショックにより、世界同時金融不況が発生し、いま、米国、欧州、日本等が不況に喘いでいる。

この間、09年に米国では共和党政権から民主党(オバマ大統領)に政権交代し、日本も自民党から民主党への政権交代が成就している。そして、新市場主義、グローバリズム(米国流)が見直され、緩やかな保護主義と社会民主主義、環境保護主義が台頭し、世界的共通認識となりつつある。また同時に、米国・ブッシュ政権下、日本・小泉政権下で発生した格差の拡大と貧困層の増大に関して、見直し・反省・是正の機運が高まっている。

「9.11事件」は幾重にも悲劇が積み重なった事件である。ビル崩落で犠牲になったNY市民はもちろんのこと、その後の「ブッシュの戦争」の犠牲になった、戦闘地域市民、そして兵士たち。

同時に、「9.11事件」に並走した経済の歪みによって、貧困に至った市民たち。福祉切捨てによって、悲惨な生活を強いられた弱者たち。数え上げたらきりのないくらいの犠牲者が累々としている。

こうした累々たる犠牲者の発生の主因を、「9.11事件」にだけ帰せようとは思わない。けれど、結果論から言えば、米国が事件の発生を未然に防いでくれたら、と思うばかりである。米国ほどの軍事大国(軍事的情報収集力という意味において)が、なぜ、事件を未然防止できなかったのか・・・悔やまれてならない。

マイケル・ドイル(プリンストン大学国際関係研究所所長)に、「民主主義国家間の戦争は発生しない」(Michel Doyle, Kant, liberal legacies and foreign policy )という預言がある。軍事力に規定された「バランス・オブ・パワー」の國際関係論を超える預言として、筆者は、その到来を夢想する者である。「9.11事件」が筆者の夢想の到来を、少なくとも、10年遅らせた。

2009年9月4日金曜日

教会

昨日、伯母の葬儀のため、荻窪のA教会に行った。海外旅行ではカトリック教会に入ることが多い。その一方で、日本の教会に、しかも葬儀という宗教儀礼で参列したのは初めての経験だった。

伯母がキリスト教徒であったという記憶はない。入信したのかもしれないが、もしそうならば、自らの死を意識してからだろう。死因はすい臓ガンで、本人がそのことを告知されたのは、死の1月ほど前であったという。

生前、伯母は一人娘(筆者の従姉妹)が住む八丈島に長期間滞在していた。