2017年1月30日月曜日

『なぜ、猫とつきあうのか』

●吉本隆明〔著〕 ●河出文庫 ●580円+税

著者(吉本隆明・1924-2012)は、戦後のある時期、もっとも強い影響力をもった思想家の一人であった。と同時に、大の猫好きであったことが知られている。本書は吉本が聞き手(岡田幸文、山本かずこ)の質問に回答する箇所と、その内容にほぼ重複する短文(『猫の部分』・月刊ねこ新聞)とで構成されている。

ばなな曰く、盛り上がらないこの本

本題からすると、大思想家が、人類にとってもっとも不可思議な存在の一つである猫について、真正面から挑んだものではないかと期待を覚えるのだが、読後、それはみごとに裏切られる。吉本ばなな(隆明の次女)が、あとがきで次のように書いている。

それにしても、この本の、なんとなく盛り上がらないというか、無理がある感じが、なんとも間が抜けていてよく、妙な味が出ていますね。作っている人たち全員(父を含む)の困った気持ちが伝わってくるようだ。(P205)

このことは、前出の聞き手の力量不足もしくは吉本の手抜きによるものではもちろんない。おそらく、吉本が猫についての過剰な思い入れや擬人化を意識的に排したためだろう。読者であるわれわれは、本書を読む前、吉本から猫が“革命の象徴である”とか、“自立を体現するもの”とかの言説を無意識に期待していた。だが、最後までそのような言葉は吉本から聞かれない。

猫とはどんな存在なのか――についての吉本の回答は平凡だ。おそらく、吉本は自分が生物学者、動物行動学者等の猫の専門家ではなく、一介の飼育者である分をわきまえたのだ。今日、およそ巷に大量に出回っている“猫情報”のたぐいは科学的根拠の薄いもの、限られた経験に基づくもの、類推に当たるもが大半を占めているに違いない。猫の心はだれも知ることはできないのだから。

動物の行動を人間の道徳規準で評価しようとする社会

猫ブームの背景にある猫の物心化にいたっては、現代人の思い入れにすぎない。そもそも猫に限らず、人間が動物の行動に共感・共鳴する尺度は、人間の道徳規範に規定されている。

そのことを代表するのが「忠犬ハチ公」の物語だ。Wikipediaによると、主人公となったハチと呼ばれる犬は、死去した飼い主の帰りを東京・渋谷駅の前で10年間ものあいだ待ち続けたとされる。

ハチが飼い主である上野英三郎(大学教授)に飼われたのが1924年、そして英三郎は翌年(1925年)に急死した。その後、1934年に渋谷駅前にハチの銅像が建てられ、同年にハチの話は、尋常小学校の修身の教科書に採用されるようになった。1934年といえば、日本が天皇制軍国ファシズム体制に突き進んでいった時代、翌年には「国体明徴の宣言」が発せられている。国民よ、忠犬となって国に仕えよと教えられたわけだ。動物の行動がときの天皇制軍国ファシズム政権にとって有益な「道徳」規準に叶ったということになる。

一方、猫が反権力や実存主義、自由の象徴となったのは、『老人と猫』の著者、ニルス・ヴッデンベリによると、「ジャンコクトーが犬より猫のほうが好きなのは警察猫というものがないからにすぎない」といったことを嚆矢とするらしい。コクトーは、「人間に嬉々として従う犬の忠実さはまさに悲劇だ」ともいったようだが、その真偽のほどは定かではない。

とまれ、猫型人間という概念が定着し、猫は、組織に対する帰属意識を嫌うタイプの人々から圧倒的支持を受けるようになり、今日に至っている。コクトーの“警察猫”発言がいつ発せられたのは不明だが、彼が活躍しだしたのは20世紀初頭からだから、そう遠い昔のことではない。

筆者を含めた吉本支持者は、すくなくともコクトーなみの猫賛美を本書(の吉本の発言)に期待していた。しかし、吉本は慎重に言葉を選びつつ、「猫は(犬にくらべたら)、横に生活している」と断言するにとどめる。また、猫について、「最後の一点で猫は・・・個々の人間に絶対の信頼感をもって関係を結ぶというふうにおもっていないところがある・・・」(P163)と距離を置く。猫に対する過剰な思い込みを自ら戒めようとしているかのように。

猫から教訓をえようとは考えたことがない

吉本は猫に愛情をもっていないのかというと、そんなことはない。本題にあるように、“なぜ猫を飼うのか”と問われて、「こっちの勝手でもって親密関係を結べるみたいなところがいちばんいいような気がします。猫のことを察してやらなくても親愛感というのは結べるというのが、いちばん猫を飼っている意味みたいな気がします」と答えている。そして加えて、「猫から何か教訓を得るみたいなところまでかんがえたことないんです」とも。

また、短文のなかでは、「おまえはなぜ猫を飼うのかと質問をうけるとすると…子どものときは父母が猫好きでいつも家のなかに居たから、ひとりでに親密となったということだと答える…」ともいっている。吉本隆明はあくまで、猫に対して自然体を崩さない。

外猫と内猫の相違

さて、筆者も猫を飼っているのだが、猫に対する感じ方は吉本のそれといささか異なる。その相違は、猫の飼育環境の相違に起因すると思われる。吉本の猫たちは、家の外と内を行き来する「外猫」と呼ばれるものだが、筆者の飼い方は家の外に一切出さず、家のなかだけで飼う「内猫」と呼ばれるもの。前者は行動範囲が広く、野良猫や犬等の動物と接触するし、自動車、自転車等の危険にさらされる。また、高い建物の屋根や塀などに昇り降りをするし、植物、異物と接する。後者は狭い室内でほぼ、飼い主としか接触しない生活を送っている。そのため、病気やけがの心配がなく、清潔である。吉本は、庭のある戸建て住宅で猫を飼っていたのだろうが、筆者はマンションで猫を飼っている。その相違だ。

外猫は野生を色濃く残す一方、内猫は人間との接触しかないから、人間化が進む。両者のおかれた環境の相違が、猫の性格や行動の相違となってあらわれる。内猫は外猫に比べて人間に対する信頼度は高いだろうし、外敵から守られているから、おとなしい性格になりやすい。だから、前出の吉本の「最後の一点で猫は・・・個々の人間に絶対の信頼感をもって関係を結ぶというふうにおもっていないところがある・・・」とは、筆者には思えないような気がする。もちろん、筆者の思い込みで、猫から裏切られる可能性も否定できないのだが。

2017年1月25日水曜日

疲労骨折か?


24日の朝起きたら足首に違和感が。

スポーツクラブに行こうと思って外に出て、それから数メートル歩いたところで歩行を断念。

家に引き返し安静。

今朝は歩けそうな感じだったので近くの病院へ。

レントゲンなど撮って骨に異常はなかったものの、

疲労骨折の疑いもあると脅された。

医者が骨密度が低いかもしれないからと、「骨密度検査」を受けることに。

結果は数分で出て、異常なし。

同年齢平均値の108%、成人若年者の平均値の93%と、正常値を上回るものであった。





2017年1月20日金曜日

『日本会議 戦前回帰への情念』

●山崎雅弘〔著〕 ●集英社新書 ●600円+税

多数刊行されているという“日本会議もの”を取り上げるのは、『日本会議の研究』(菅野完著)に次ぐ。両書を比較すると、日本会議とは何か、かれらが何を目指すかという記述内容において差異はない。本書の特徴を敢えて挙げるならば、日本会議の思想的背景となる国家神道に注目している点。ゆえに、国家神道の復活を図る団体(=神社本庁)が日本会議と並行して論じられている。もちろん両者は親密不可分な関係にある。

日本会議は戦後社会を否定する

日本会議が何を目指すのかといえば、本題にもあるように、戦前・戦中の日本社会への回帰となる。彼らは日本の戦後社会に否定的だ。

日本会議は戦後日本について、GHQの指導の結果、日本の「伝統」を逸脱したがゆえに堕落し退廃したと考える。当然、戦後精神を代表する日本国憲法を否定し、明治憲法に回帰しようとする。戦後憲法の真髄は、反戦平和主義、基本的人権の尊重、象徴天皇制であるから、それが戦後社会の堕落頽廃の根源だと考える。彼らが望む「日本の伝統」に立脚した国家の再建というのは、天皇を頂点とした神国日本(国家神道)の復活だから、日本会議と神社本庁の共闘は必然である。

宗教界にかぎらず、現政権(安倍政権)の閣僚は日本会議メンバーで占められている。また、国会議員にとどまらず、地方議会においても、日本会議メンバーの議員が増加しているし、言論界、文化領域においても、「日本会議文化人」が発言力を強め、各方面に影響力を与えるようになってきた。その反面、政権批判をする知識人、ジャーナリスト等は、メディア業界から追放されているともいう。

日本会議のいう「日本の伝統」は維新政府の創作にすぎない

日本会議が評価する戦前戦中の日本社会とは、「日本の伝統」とは縁もゆかりもない。1868年(明治維新)から1945年(アジア太平洋戦争敗戦)までの77年間の国家体制を大雑把にいえば、西欧に成立した立憲君主制を模倣した、維新政府創作になる宗教的国家だといえる。西欧を模倣しつつ、「日本の伝統」のメッキをはった付け焼刃の「近代国家」だ。

明治維新で新たに権力奪取した薩長勢力は、西欧の立憲君主制の王権に天皇を代替的に挿入し、かつ、帝国議会開設によって「立憲」の体裁を繕った。維新国家が近代国家の要件を整えていることを列強に示したのだ。

ところが、以降、軍部、国粋主義者の台頭によって、維新国家は天皇制ファシズム国家へ変質した。それは「国体明徴宣言」を機に、一気に、土着的宗教(国家神道)と軍国主義が融合した全体主義国家化する。

真に戦後の日本社会の堕落頽廃を象徴するもの――米軍基地と化した祖国の姿

かくしてその帰結は、320万近くの日本国民の犠牲を伴った敗戦(国家の危機)であり、その後今日まで続く、米軍による祖国占領状態だ。戦後日本の堕落頽廃をもっともよく象徴するのは、祖国が米軍基地となり、わが国の政権が米国の指示の下、あれこれ走り回る嘆かわしい姿ではないのだろうか。

竹島奪還、尖閣防衛と日本会議は叫ぶけれど、日本が奪還すべきは沖縄、横須賀、佐世保、岩国、横田…ではないのか。そればかりではない。日本人の堕落頽廃は、先の大戦末期、日本に原子爆弾を投下し、およそ60万人が無差別殺害された米軍の戦争犯罪を告発しない政治状況ではないのだろうか。

「日本の伝統」復活は日本会議の偽看板

日本会議が戦後を頽廃堕落した社会とするのならば、その是正は、多数の国民を犠牲にしたうえで敗戦を招いた戦争責任者の追及から始めなければなるまい。加えて、日本の占領状態を放置し続ける戦後の保守(自民党)政権打倒こそがテーマとならなければいけない。日本会議がそれをしないのは、かれらのいう「日本の伝統」への回帰が偽看板にすぎないからだ。かれらの本質は、▽現政権に反対する勢力の抑圧、▽自由な言論の弾圧、▽米軍の補助となって自由に戦争できる日本軍の創設――つまりは、日本国憲法が保障する、自由な言論と基本的人権を尊重する戦後社会の破壊にある。

国家神道国家の復活を夢想する自由

日本が天皇を頂点とする神の国であり、世界に例をみない理想郷だとする観念(思想、宗教)をだれも排除できない。ヘブライ(ユダヤ)人の神話(旧約聖書)を信ずる人が世界に何億人いることか。思想信条の自由、信仰の自由は全世界的に保障されている。欧米にはいまなお、白人至上主義を是とする団体がいくらでもある。アーリア同胞団、KKK、神聖十字団、アーリア=ゲルマン協会・・・それらの多くはナチズムといまなお親和的関係にある。しかしながらそれらが合法的に活動し、入会者がいかなる神を信仰しようとも、それを禁止することはできない。

同じように、日本会議の活動、綱領、国家観、宗教性を弾圧することはできない。日本人の多くが、日本会議が標榜する国家神道に基づく天皇制全体主義国家体制を支持するのならば、日本は戦前回帰する。民主主義(多数決原理)が民主的国家を破壊する。いま現在の情況は瀬戸際にある。

観念の相対性

そんな危機感に抱かれながら、頭の中をよぎったのは、吉本隆明が『マチウス試論』のなかで用いた〈関係の絶対性〉だった。
秩序にたいする反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である。(『芸術的抵抗と挫折』「マチウ書試論」)

〈関係の絶対性〉を一言で説明するのは難しい。が、谷川雁が「庶民・吉本隆明」の中で用いた説明がわかりやすい。雁は〈関係の絶対性〉について次のように書いている。

・・・それ(関係の絶対性)は観念の相対性と同義語にすぎないが、にもかかわらず・・・関係の絶対性とよぶか、観念の相対性と表現するかには微妙なちがいがあるのだ。
それは紙一重というよりもさらに薄い皮膜の表裏であろうけれども、形式論理が弁証法へ、観念論が唯物論へと回転してゆく過程のもっとも内密な移行の段階がかくされている。観念の相対性というばあい、それは唯物論へ移行しきった直後の完了した視覚があるのにたいして、関係の絶対性とよぶかぎりにおいてなお関係それ自身の物心化という主観性がぬぐいさられていない前唯物論的な匂いを漂わせているからだ。(『汝、尾をふらざるか』「庶民・吉本隆明」)

雁のこの評論は、吉本隆明について「彼は唯物論に膚接する観念論の壁に沿って動きつづけ、記録と意識にたどりつき、群衆と存在の側へはがんとして移ろうとしない」(前掲書)として、吉本批判に終始する。

なお雁は、前掲書前段で、「関係の絶対性という概念・・・はフォイエルバッハがヘーゲルにたいして加えた修正とどんなにちがうのであろうか。関係の絶対性は必然に意識にたいする存在の優位に達するはずだ。しかし彼(吉本)はそのような認識の冷静さに頼ってはいない。彼は唯物論の第一命題にすわりこもうとはしない。」と、吉本を称賛しておきながら。

わたしも〈関係の絶対性〉という概念をつかって、(フォイエルバッハがヘーゲルを批判したような)宗教(=日本会議)批判を展開するつもりはない。運動と倫理の関係に深入りする気もない。それよりも、観念の相対性批判の根拠となる唯物論に依拠するとはどういうことなのか、唯物論とはなにか――という問題意識に立ち帰る。

唯物論(意識に対する存在の優位)とは

唯物論とはなにかを簡単に説明することは難しい。だがそれを大雑把にいえば、人間の営み(存在)とはなにかというところに行き着き、それを別言すれば、人間の本質は労働となる。狩猟、採集、農耕、遊牧、生産、製造、交換、流通、交通…それを経済過程といってもいい。そしてそのときどきの支配的な生産様式に規定された変化が歴史(史的唯物論)である。いま現在支配的な生産様式は資本主義であり、そのときの支配層が政治的ヘゲモニーを握っていると。

日本会議のイデオロギーは先述のとおり、神の国の再建であるが、実質は現政権が推進しようと図る、基本的人権の制限、米国に追随する戦争国家構築に与するもの。戦前回帰は偽の看板にすぎない。「日本の伝統」という仮面をかぶった、米国追随の非民主主義的国家構築という安直で危険な政治運動である。

だが、〈観念の相対性〉という自由、思想信条の、そして信仰の自由という先験性によって、かれらもわれわれもいま守られている。ならばそのような均衡状態を突破するためにはどうしたらいいのか――

第一に、徹底した理論闘争の開始である。日本会議の「伝統」が日本歴史のごく限られた、しかももっとも悲劇的な時代の産物にすぎないことをかれらとの論争を通じて明らかにすることだ。

同時に、かれらを公開の場に引きずり出して、メディアの力によって、彼らの本意を糺すことだ。日本会議の得意技は、光の当たらない地道な市民運動の積み重ねにある。その継続性によって、政権与党に接近することができた。その一方、彼らは反対勢力を一方的に批判するが、理論的ではない。彼らの弱点は抒情的であり情念的であるが理論性を欠くところだ。

彼らに対する公開の理論闘争をいま以上に活性化し、観念に対する存在の優位性を確信する者がいま以上に結集すること、そのような「われ」が多数派となる以外、日本会議の台頭を封ずるみちはない。

2017年1月8日日曜日

挑戦しないことが最大の失敗


お正月、地上波・BSTVに辟易して、CATVでUFCの再放送を眺めていたところ、プロレス界のレジェンド、CMパンクのMMA転向デビュー戦(2016/9/10)をみることができた。試合はパンクの惨敗。MMAの若手に1R数分でタップアウト。まるで試合にならなかった。

しかし、パンクの試合後のマイク・パフォーマンスがすごかった。彼は「(試合に負けたことより)挑戦しないことが最大の失敗なんだ」というような意味のことをいった。MMAに挑戦しなければ、パンクは「世界一強い男」でいられたかもしれない。だが彼はMMAに転向し挑戦した。その結果、無名の若者に惨敗した。彼の転身は結果からみれば大失敗だし、無謀とも思える。MMAとプロレスはまるでちがう。プロレスは格闘技ではないからだ。

パンクの転身はカネのためだとする報道もあるし、所属団体(興行元)とのトラブルからだという説も否定できない。そうなのかもしれないが、彼が敗ければ、彼が築いてきた名声を失う可能性もあった。彼を支持してきた全米の多くのファンの失望を買うかもしれない。そして、パンクは負けた。

さて、彼の地元クリーブランドで行われたこの試合、彼のマイク・パフォーマンスは観客から絶大な拍手と声援で受け入れられた。アメリカ人、少なくともクリーブランドのパンクファンは、パンクの失敗を非難するどころか、彼の「挑戦」を称賛した。結果がすべてではないことを肯定した。


「挑戦しないことが最大の失敗」、そうだな、オレの人生はまさにその意味で失敗だな・・・なんて、神妙な気分にとらわれた。自分は煩わしさ、鬱陶しさから逃げてきたというより、それらを避けてきた感が強い。

結果がすべての新自由主義の世の中、若い人が委縮しているように思う。パンクがプロレスからMMA転向を発表したのは36才のとき。そして2年間のトレーニングを積んで38才でUFCの檜舞台を踏んだ。格闘家としては若くない挑戦である。もちろん、パンクがMMAでこの先成功するかどうかはわからない。筆者はMMAの専門家ではないので、彼のMMAの才能を見極めることができない。けれど、「挑戦しないことが最大の失敗だ」というパンクの言説は心に響く。正月、いい番組を見られた。その意味で「偶然」に感謝したい。

2017年1月3日火曜日

新年会

ベトナム人留学生のCaさん、娘夫婦が集まって、新年会。

異国からやってきて、頑張ってるな。