2014年5月28日水曜日

AKB48の握手会は「フーゾク」的

人気アイドルグループのAKB48が握手会というイベントに出演中、メンバー2人がノコギリで暴漢に襲われる事件が起きた。無防備の女性を刃物で襲撃するという卑劣な犯行で、許しがたい。犯人は被害者に謝罪し、深く反省し、刑に服してほしい。

握手会は「フーゾク」的営業

さて、事件は事件として、握手会というイベントから、AKB48が抱える2つの問題点が見えてくる。まずは、その仕掛けだ。筆者はファンと握手会をつなぐ仕掛の内容を報道で知って、驚きを禁じ得なかった。

TV報道によると、AKB48の全国握手会の場合、シングルCD初回盤(限定版)に封入されている、「イベント参加券」を使うらしい。全国のいくつかの場所で行われており、“メンバーとファンの直接的交流の場であって、とても大事なもの”と、その位置づけが説明されている。確かにそのとおり。ファンがアイドルである若い女性メンバーと握手し、言葉を交わすことができるとは、まさにかけがえのない場であろう。なぜならば、日常生活において、たとえば年頃の男子高校生が、通学途中の電車でいつも会う可愛い女子高生に思いを寄せたとしよう。その男子高校生がいきなり、女子高校生に握手を求めたとすれば、それは犯罪に近い。痴漢行為に間違えられて不思議はない。

一方、AKB48の握手会の場合、ファンはTV映像や遠いステージでしか認識できないメンバーが、実際に自分の目の前に現れ、握手できる。これは、ファンにとって、貴重な体験だろう。ファンという立場ゆえに許される、特権的行為にほかならない。

だが、この特権的行為は、先述のとおり、握手券(=「イベント参加券」)の入手によって可能になる。報道によると、握手券1枚でメンバーと握手できる時間は概ね3秒。握手会の会場では、ファンは受付で握手券(の枚数)を差し出し、そこでメンバーとの握手時間が確認される。前出のとおり1枚なら概ね3秒、それを超えて手を握っていると、「はがしや」と呼ばれる警備員がやってきて、制限時間を超えて握手するファンを排除するらしい。

長時間握手したいファンは当然、AKB48のCDを大量に買い込むことになる。CD1枚で3秒ならば、1分間メンバーの手を握りたければCD20枚を購入する計算だ。AKB48のCDの値段はよくわからないが、かりに1000円だとすると総額2万円、つまり、1分間の握手の値段は概ね2万円ということになる。

この仕組みは「フーゾク」とかわらない。しかもかなり“法外”な価格設定だ。「フーゾク」の頂点であるソ●プ●ラ●ドの場合、おそらく60分であのサービスを受けて、1万5千円が相場だろう。とはいえ、「フーゾク」の業界における価格は、各人の欲望の対象にみあって設定されるものだから、「相場」「平均」は無意味という考え方もある。各人の嗜好に沿った価格が設定されるわけだから、AKB48の熱烈なファンにとって、メンバーとの握手3秒で1000円、1分ならば2万円は当然、高いとはいえないという論理だ。

だがそれでも筆者には、AKB48の握手会商法は悪質だと思える。その理由は、AKB48のプロモート側が、“握手会はファンとの直接的交流の場”という嘘にある。筆者の感覚からは、握手会はCDを買わせるための「フーゾク」的営業活動にうつる。もちろん、ファンはそんなことは承知のうえで、ファン各人の欲望充足のために敢えて仕掛にノッテいるのだから、他人がとやかくいうべきではない。AKB48のメンバーとの握手のために自分の全財産をつぎこんだとしても、それはけっこうなことであって、とめることはできない。だが、その仕掛が「フーゾク」的営業であるならば、それなりのリスクは覚悟しなければならない。「フーゾク」の業界というのは、欲望の中でも過激な性衝動を対象としたものだからだ。

しかも、看過できないのは、メスメディアがAKB48握手会を“ファンとの貴重な交流の場”と、AKB48のプロモート側の嘘を無批判的に報道する愚かさだ。AKB48をプロモートする側が握手会をそのように位置づけようとも、メディアはそれを真に受けて報道することはいかがなものか。握手会がAKB48のメンバーの肉体的接触を媒介としたCDの販売促進だとなぜ、いわないのか。もちろん、マスメディアに限らず、AKB48のCD販促が違法だとはいえないし、ファンに参加するなともいえない。だが、握手会商法は、AKB48のメンバーの人格をひどく損ねているように、筆者には思えるし、この事件をまつまでもなく、彼女たちをひどく危険にさらしているように思える。この危険性については次に述べる。

スターとファンが近づくことの危険性

二番目の問題点は、スターとファンとの距離に関する。このたびの事件は、いまのところ(5月28日時点)の報道では、AKB48の特定のメンバーを狙ったものではないとされている。だが、真相はわかっていない。たとえ、今回の事件が無差別的暴力事件の類型だったとしても、だからといって、握手会が容認されるわけではない。

なぜならば、ファンがスターに近づきすぎると、そこには思わぬ危険を招くからだ。今回の事件を機に、AKB48のプロモート側がファンとの交流イベントの開催を中止したことは幸いだ。AKB48にあっては、今後一切、握手会等の交流イベントをやめることが望ましい。若い女性を不特定多数と接触させないファンとの交流の方法は、いくらでもある。

一般に、スターとファンの間には、絶対に越せない溝を設けるべきだ。スターとはファンにとっては幻想的存在であり、それゆえ、スターをプロモートする側は、ファンをむやみに近づけてはいけない。ファンがスターに抱く感情は、無垢なものばかりとは限らない。スターへの偏愛が屈折した、危険な傾向をもってしまうことを否定できない。勘違い、思い違い・・・から、特異な感情が醸成され、爆発することもある。

それがどのような結果を招くかについては、映画『ザ・ファン』(ロバート・デニーロ主演)が描き出している。ファンがスターに近づきすぎると、思わぬ悲劇(犯罪)を引き起こす可能性が十分すぎるほどあり得る。

2014年5月24日土曜日

駒込富士神社

江戸時代、富士山信仰で名高い駒込富士神社。

富士山に模した、小高い塚の上に本堂が建っている。(本堂は鉄筋コンクリートで風情はない)

 近くの鷹狩場(現駒込病院)、この地域の特産物の茄子と併せ、

 一富士、二鷹、三茄の正夢の言い伝えが生まれた。









2014年5月23日金曜日

古河庭園~飛鳥山公園

好天に誘われ、近場に薔薇を見に行く(古河庭園)。




青淵文庫(飛鳥山)


青淵文庫(飛鳥山)
晩香蘆(飛鳥山)
紙の博物館

同上

2014年5月18日日曜日

鎌倉市海水浴場命名権事業の愚行――名称変更しなかった豊島屋は素晴らしい

鎌倉市(松尾崇市長)は新たな財源確保を目的として、同市が保有する公有財産、物品、印刷物、WEB ページ等に民間事業者等の広告を掲載する事業を開始した。このたびその一環として、同市にある3か所の海水浴場のネーミングライツ(命名権)を公募し、命名権者と名称が決定した。

愚かな話である。開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。海水浴場の名前といっても、それは地名である。地名は大地に刻まれた刺青ともいわれるくらい、歴史学、民俗学にとって重要な指標である。地名を失えば、その地域の成り立ち、堆積された記憶、人々の所縁を失う。柳田国男、谷川健一ら知の巨人たちが、地名の重要性を訴え続けてきた。そのことを知らない鎌倉の市長以下同市公務員たちは、“財源確保”という錦の御旗の下、いくばくかのはした金のために、地名という重要な財産を売り払おうとした。許されない暴挙である。

同市のHPによると、この事業は鎌倉行革市民会議が中心になって立案したらしい。同委員会の構成は、北大路信郷(明治大学専門職大学院ガバナンス研究科教授=専門委員)を会長として、以下、副会長に田渕雪子(行政経営コンサルタント=同)、坂野達郎(東京工業大学大学院社会工学専攻准教授=同)、友田景 (ビズデザイン株式会社取締役=同)、一ノ瀬美和子(市民委員)、稲垣康明(市民委員)、倉岡明子(市民委員)となっている。[*敬称略]

おそらくこの委員の面々には、柳田や谷川らが提唱してきた地名の重要性の言葉は届いていない。この面々には、歴史・民俗のもつ価値・重要性が理解されていない。それらを探る手がかりの一つ(=地名)を一度失ってしまえば、この先、とりもどすことの困難さもわかっていない。いまの鎌倉市長以下、同市の行政に携わる公務員に、日本のみならず世界的に貴重な歴史都市・鎌倉を任せられるのか、おおいに疑問が残る。

だが、“不幸中の幸い”が起こった。鎌倉市海水浴場のネーミングライツを獲得した株式会社豊島屋(久保田陽彦社長)が、3か所(「材木座海水浴場」「由比ガ浜海水浴場」「腰越海水浴場」)の名称を変更しなかったのだ。豊島屋の決断は素晴らしい。称賛されるべき快挙である。豊島屋の社長の英断に比し、同市が行った事業の姑息さがいかにも対照的である。賢明な民間事業者の手によって、行政の暴挙・愚挙が阻まれた。

それにしても理解できないのが、鎌倉市の暴挙・愚挙に対し、マスメディアが何の反応も示さなかったことである。地名に対する無理解がそうさせたのか。同市が掲げる“財源確保”という建前に沈黙したのか。財源確保は重要なことだけれど、かけがいのない財産を勝手に処分してもらっては困るのである。

2014年5月13日火曜日

『黒潮の道(「海と列島文化」第7巻)』

●宮田登ほか[著] ●小学館 ●6311円(+税)

本題の「黒潮の道」とは、台湾から沖縄の八重山・宮古諸島、南九州、四国、紀州を経て、伊豆半島、伊豆七島、房総半島、小笠原諸島、そして2011年に大震災と大津波に襲われた三陸地方に至る海流の進路をいう。本書が扱う地域は、伊豆半島、伊豆七島、房総半島、小笠原諸島、仙台湾・三陸周辺。

同地域には、源氏・北条氏が当地の水軍の協力を得て、武士政権を樹立した鎌倉が含まれるが、本書では政治史に係る記述は少なく、前出の各地域における黒潮との関わり――主な産業である漁業と漁撈儀礼、地域文化及び地域民俗信仰等――を採集し、その意味を問うものとなっている。


縄文時代は黒曜石の生産地

同地域が日本史において最初に特記される事項は、黒曜石をめぐる交易だ。黒曜石とは火山活動によって形成された黒色のガラス質火山岩のこと。先時時代、縄文時代を通じて、主としてナイフ型石器や石槍、石鏃などの石器の素材(石材)として利用された。日本列島における黒曜石の原産地は40か所ほどといわれるが、うち、伊豆七島の神津島の砂糠崎・恩馳島が本書「黒潮の道」に位置している。神津島の黒曜石は200㎞以上の遠隔地に運搬されていることがわかっている。このことは、先史時代の交易空間の広大さを実証する。近年、縄文時代遺跡の発見事例の増加に伴い、神津島産黒曜石が発見される頻度が高くなり、関東にとどまらず、石川県まで神津島産黒曜石が運ばれていることが判明している。神津島産黒曜石は、古代文化形成に伊豆諸島がはたした役割の代表的事例の一つといえる。

流人の地

中近世になると、伊豆諸島は流罪に処せられた罪人等が流入することとなり、同地域が独特の文化を醸成する契機となった。ちなみに、伊豆諸島がわが国の記録に初めて現れるのは、文武天皇3年(699)、讒言によって妖惑の罪を受けた役小角が伊豆諸島へ流刑されたという『続日本記』の記事だという。また、三宅島の島名の由来となった多治比真人三宅麻呂が養老6年(722)、伊豆島に遠流の刑に処せられている。最も名高いと思われる流人は鎮西八郎源為朝だろうか。彼は平安末期、保元の乱(保元元年/1156)で敗れ伊豆大島に流され、『吾妻鏡』によれば、この地で工藤介茂光に攻め滅ぼされている。だが、後世、この不世出の英雄を死なすにはしのびないとする島民たちによって、為朝は伊豆諸島各島を平定し、やがては琉球王にまで仕立てられている。現在でも、伊豆諸島各島にかならず為朝神社とその伝説がある。

漁撈と民俗

この地域の民俗の特性としては黒潮がもたらす水産資源に関連した漁撈儀礼がまず挙げられる。今年(2014年5月半ば)は、黒潮がもたらす海の幸の代表、鰹(カツオ)の水揚げが悪いという。今日、その原因の探索については、海洋学、気象学等が駆使されるが、近代以前の人びとにとっては、カツオが漁場から遠ざかったのは、超越的存在(神)の意志によるものと理解された。超越的な存在への畏怖、畏敬、感謝が黒潮の民俗宗教となって今日に至っている。具体的には、豊漁祈願や海難事故を忌避するための信仰・神事、漁船の正月乗初め、模擬漁撈とその芝居化等だ。また、水死体(ムエン)を漁の神、エベスサンとして祀る習俗(ムエン供養)もある。もっとも、水死体を祀る習俗は日本列島共通の観念であり、この地に限ったことではないが。

物忌みの神事

伊豆諸島神津島には、旧暦1月24日から26日にかけて、ニジュウゴニチサマと呼ぶ行事がある。一般の村人にとっては、ふつうの歳時習俗と同じく、家ごとの行事だ。これを仕舞正月という。24日と25日の夜は、「二十五日さま」というおそろしい神が村の中をめぐるといって、村人たちは家の中にこもる。村人たちは前日までに供え物をつくったりして神をむかえる準備をし、24日は仕事を休みその日の夕方から忌みごもりに入る。一方、村の氏神の物忌奈命神社の神主と、4人の祝は神事を行う。このような神事は大島、利島、新島、三宅島、御蔵島にもある。来訪神の信仰だ。

神津島、三宅島では、「忌の日」に、神々が島の山に集まるという。来訪神は大島ではヒイサマ(日忌さま)、利島ではカンナンボウシ(海南法師)、新島では海南法師が釜をかぶってくるという。御蔵島では24日の夜訪れる神をキノヒノミョウジン(忌の日の明神)と呼ぶ。三宅島神着では25日をキノヒ(忌の日)と呼ぶ。

ところで、超メガ都市・東京の近場で手軽なリゾート地として名高い熱海には、大楠の神木と梅の存在で多数の観光客を集める来宮神社がある。来宮(キノミヤ)の「キ」が「忌」であるとすると、これは漢語だ。前出の島々でいわれている「キ」の呼称も「忌」であるとすると、島にも熱海にも、中国的な陰陽道の知識があったことになる。もっとも忌の宮は、伊豆半島を中心に周辺地域にも多く分布していて、熱海の来宮はその一つで、古く走湯山権現(伊豆山神社)に「来宮明神」があったことが『走湯山縁起』巻二にみえている。肉、酒を忌む縁起が伝えられているが、これは仏教の影響だろう。

「キノミヤ」にまつわる肉や酒を忌む縁起は、列島各地において広く人々が実践していた、ものを忌む行為が、後年、仏教、神道によって教理化され、忌の宮(キノミヤ)信仰となって今日に至ったものと推定される。
11月23日は、大師講などとも呼ばれ、神来訪の伝えが広くみられる日である。朝廷などの新嘗祭や、その根底にある冬至祭にも相当する、一年のうちでも、最もたいせつな折目ではなかったかといわれている。その日が忌の宮精進の日であることは、きわめて興味深い。伊豆半島などの忌の宮で、禁を犯すと火難にあうというのも、火伏せの信仰の裏と表である。伊豆半島の忌の日が1月24日であったのも、愛宕信仰の縁日が24日であったことと無関係ではあるまい。「忌の日」が、11月の下弦の行事からひと続きであった可能性は、この点からも出てくる。
日本の旧暦は、立春を1月の指標にする中国歴であるが、中国でもかつては、冬至を新年の指標にする歴法が行われていた。ヨーロッパの暦がずっとそうであるように、北半球の温帯域の文明では、太陽がいちばん衰えて再生する冬至が、新年に最もふさわしい日であった。日本でも、朝廷の大嘗の日、後世の新嘗祭が、本来の新年儀礼であったと思われる。新嘗は、新たに獲れた穀物の祝いで、新嘗を神に捧げ、人々とともにいただく収穫儀礼であるが、それが冬至祭のかたちをとり、一年の切れ目になっていたらしい。(P376)
地方の新嘗については、伊豆半島のほか、下総、南武蔵、三浦半島南端、新潟県北蒲原郡、琉球諸島、奄美群島等にも散見される。なかで北蒲原郡では1月24日の夜におそろしい神霊が訪れる「オッカナノバンゲ」という忌みごもりの習俗がある。この夜、蓑笠を着て屋根の上にあがると、化け物の姿が見えるとか、逆さになって見ると、一年のうちに死ぬ者がわかるとか伝えられている。これを岡見(物見という地方もある)という。岡見、物見に併せて、吉兆占いをするところが多い。この習俗は、神津島、三宅島、琉球諸島、奄美群島にある。
ドイツなどのゲルマン諸族では、12月25日のクリスマスから1月6日の三人の博士の日までの12日間の夜を、「十二の夜々」と呼ぶ。キリスト教ではクリスマスの行事になっているが、古代ゲルマンの冬至祭を基盤にした新年であった。このとき、この世とあの世の往来ができるといい、死者や神の出現を表す行事があり、自分の将来をはっきり目で見ることができるといって、占いや予言をしたという。これは「忌の日」の伝えにきわめて近い。ゲルマン諸族でも、岡見は新年儀礼だったのである。(P381)

黒潮の道の最北端――仙台湾・三陸周辺と3.11

2011年3月11日、この地域は東日本大震災・大津波・福島原発事故という未曽有の大惨事に見舞われた。この地は黒潮(暖流)の北限にあたり、親潮(寒流)とぶつかりあう。そのため、自然界の諸領域において混合的特徴が見られる。たとえば、漁業資源においては、カツオ、マグロといった黒潮の幸と、サケ、マス、タラといった親潮の幸の両方が捕獲され、漁撈文化の多様性をかもしだす。さらに南北の宗教、婚姻形態、「蝦夷征討」の痕跡とアイヌ語地名の現存といった具合に、南と北が併存する。

当然のことながら、漁撈信仰、海や魚にまつわる伝承も多種多彩であった。ところが、3.11の影響で沿岸集落の多くが壊滅的被害を被った。物理的被害もさることながら、この地に伝えられていた民俗・文化の被害についてはいま、どのような状況にあるのだろうか。被災地の人口流出も止められないという。この先、われわれ日本は、黒潮の道の北限の文化をまもることが、できた、あるいは、できる――のであろうか。

2014年5月11日日曜日

都心再開発

PCの調子が悪くなったので、買換えを決意。

秋葉原のヨドバシを見てまわってから、電気街の入口にあるDellにて注文。

到着は二週間後くらいだという。

アキバから万世橋を経由して神田、日本橋方面へ。

このあたり急速に再開発が進んでいる。

万世橋の高架下は商業施設として生まれ変わっている
同上
古い階段が保存されている
ライトアップされている街並み
同上
夜の日本橋は怖い
同上

2014年5月9日金曜日

小保方劇場、舞台は劇場から法廷か――理研調査委、再調査不要の判断

STAP細胞の論文問題で理化学研究所の調査委員会が8日、記者会見し、小保方晴子研究ユニットリーダー(30)の不服申し立てに対し、「データの加工で、結果が真正でないものとなった。改竄(かいざん)と捏造という不正は明らか」と、再調査を不要とした判断の理由を説明した。理研は同日、懲戒委員会を設置した。小保方氏や理研発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の笹井芳樹副センター長らの処分を決めるほか、所属長らの管理責任も問う。
調査委は、弁護士の渡部惇委員長らが会見。STAP細胞が存在するかどうかの検証実験に関連して、渡部氏は「STAP細胞の有無と関わりなく、研究に不正が認められた。科学的問題とは切り離して考えた」と説明した。
理研の規定によると、研究不正が認定された場合は諭旨退職か懲戒解雇の処分が原則だが、場合によってはそれより軽い処分もあり得る。(産経ニュース/2014.5.8 19:34)

理研調査委の判断は当然

理研の同委員会の判断は当然のもの、小保方が論文不正を行ったのは明らか、小保方側が調査委の調査結果を覆すだけの証拠を示せなかった――筆者はそんな印象を受けた。理研はこれを受けて、粛々と規定に従い、小保方及び関係者に処分をくだしてほしい。小保方側が法廷闘争にもちこむのならそれもよかろう。法廷で新しい事実が出てくる楽しみがある。

筆者は会見をLIVEで見ていないので正確に把握できてはいないが、質疑応答では、マスメディア側が知りたいことと、理研調査委員会側の話したいこととは、かなりの開きがあったのではなかろうか。双方の問題意識のすれちがいはおそらく深刻で、むだな時間ばかりが浪費されたのではなかろうか。

調査委は理研を代表しない

マスメディア側及び大衆側が感じる焦燥感、質問しても核心に至らない痛痒の感覚は、どこからやってくるのかといえば、会見を主催する主体にある。いまさらいうまでもなく、会見の主体は理研の中の「研究論文の疑義に関する調査委員会」であって、この委員会は理研全体を代表するものではない。つまり、同委員会の調査対象も権限も限定的なのだ。

小保方問題は理研の構造に起因する

一方、小保方問題は、小保方の論文不正に限定できない。理研の野依良治理事長が発言したように、複合的な要因から発生した。そのことは以前、拙Blogにて指摘した。ここで念のため、野依の発言を以下に引用しておく。
理化学研究所の野依(のより)良治理事長(75)は9日午前、衆院文部科学委員会に参考人として招致され、STAP細胞論文不正問題の原因について、「若手研究者の倫理観や研究の不足と、責任分担の不明確さ、理化学研究所の組織としてのチェック体制の不十分さなど、複合的な原因で生じた」と述べた。
野依理事長は、終始はっきりした口調で質問に答えた。笠浩史(りゅうひろふみ)氏(49)=民主=から責任の所在などを問われると、「若手の研究者については、経験が不十分であるがゆえに有するリスクへの認識が相当に甘かった」と反省の弁を述べた。その上で、「若手からベテランまで、博士いうものは科学者としての基本的な指導訓練が完了しているという認識のもと、研修体制をつくってきた。ここが組織としての反省点」と述べ、再発防止に取り組む姿勢を示した。(2014.4.9 20:57産経ニュース)

小保方問題は野依がいうとおり、「複合的な原因で生じた」。複合的な原因とは野依がいうところの、▽若手研究者の倫理観や研究の不足、▽責任分担の不明確さ、▽理化学研究所の組織としてのチェック体制の不十分――に限定できない。むしろ、野依が「など」と表現して曖昧化した部分に核心が隠されている。

理研の構造的欠陥

複合的原因の核心部分を指摘しておけば、
  1. 理研は税金で丸抱えされていて、適正な競争原理が働かない組織であること
  2. その結果、研究に戦略性がないこと
  3. おなじく、研究のプライオリティーが内部(幹部)の恣意性に委ねられてしまっていること
  4. 換言すれば、理研幹部の情が個々の研究者の研究活動に影響していること。本件の場合は、小保方と笹井芳樹(発生・再生科学総合研究センター副センター長)の交情ということになる。
  5. (会見で理研幹部がはからずももらしたことであるが、)理研が巨大な組織であるため、研究者の「自主性」という美名の下、理研幹部が個々の研究者の研究実態を把握できないでいること
  6. 理研には不正の土壌が組織的に培われていること(理研幹部=同委員会委員長にも小保方とおなじ手口の論文不正が行われていたという疑惑が生じている。)
現状の理研の解体と戦略的再構築の道筋

これらのことから、理研を解体して戦略的に再編成する必要性が見えてくる。つまり、“なんでもあり”の時代遅れの百貨店から、専門性に特化した小規模な研究機関に再編成する道筋だ。それにより、研究テーマと成果が視覚化、透明化できる。さらに、個々の研究者の自主性を担保しつつ、その実態の把握も容易となる。小規模であれば、天下り人材の受入れも不可能だろうし、研究費以外(外国の高級家具などの購入)の余計な経費を使う機会も減る。

マスメディアが小保方問題の核心を聞きたければ、野依理事長をひっぱりだせ

さて、前出のとおり、会見ではマスメディア側から小保方の論文不正以外の質問(たとえば、特許問題、処分問題、理研幹部研究者=調査委員による論文不正疑惑など)が続出したようだが、理研側からは(自分たちの任務は論文不正に限定された委員会だという論拠で)、しばしば回答を引きだせず終わったようだ。

先述したように、この会見は「(小保方の)研究論文の疑義に関する調査委員会」が主催したものであって、同委員会は限られた目的のために限られた権限しか与えられていない。だから、理研全体の問題を質問しても、回答する権限をもたない。

マスメディアに託された使命は、小保方問題の原因、つまり、理研に内在する(野依の言葉に従えば、)複合的原因について、理研のトップ=野依良治理事長に聞き質すしかない。野依をひっぱりださなければ、小保方問題の全体的解明は難しい。

調査委がセッティングした会見にのこのこでかけ、理研全体の話をききだそうとしても時間の無駄というもの。野依が出てこない、というのであれば、周辺取材、調査取材をするしかなかろう。それが本来のマスメディアの使命というもの。もちろん、理研全体の問題については、理研のトップには話す義務がある。理研は税金が投入され運営されている組織だからだ。

上野東照宮

改装工事が終わった上野東照宮。

改装前は中に入れたのだが、いまはだめだ。









2014年5月4日日曜日

連休

今年のGWはカレンダーがよろしくない。
サラリーマン諸氏は長い休みが取りづらかったようだ。
そんなこととは関係のない筆者だが、どういうわけか、
東京の下町・錦糸町から、スカイツリーに行ってしまった。
昇らなかったけど。

錦糸町のタイ料理店「ウイパダー」のママさん


スカイツリーのそばに川が流れていたのか

近くで見るとけっこうふとい

ソラマチにある「世界のビール博物館」

 

小保方劇場、出し物は『オセロ』ならぬ“オセロゲーム”

東京新聞が以下の通り報じた。以下引用する。
STAP細胞の論文問題で、小保方晴子氏の不正を認定した理化学研究所調査委員会の委員の論文に、画像の切り貼りなど加工の疑いが指摘されていることが一日、分かった。理研は、本格的な調査が必要かどうかを判断するための予備調査を始めた。
調査委では、委員長だった石井俊輔上席研究員の論文に画像の切り貼りが見つかり、石井氏は「不正ではない」としたが委員長を辞任している。
新たに指摘があった調査委員は、理研の古関明彦グループディレクターと真貝洋一主任研究員、東京医科歯科大の田賀哲也教授。
二〇〇三~一一年に発表された論文のうち、古関氏が責任著者を務めた四本や、石井氏と真貝氏の共著の一本、田賀氏が責任著者である二本の計七本に指摘があった。DNAを分離する電気泳動という実験の画像の切り貼りや、細胞の写真の使い回しがあるのではという内容で、理研は田賀氏の論文を除く五本を予備調査の対象とした。古関氏は取材に「指摘の部分は、理研に報告している。現段階で個人的なコメントは差し控えたい」と回答した。(東京新聞/5月2日朝刊)
オセロゲームというのがある。シロとクロがプレーヤーの一手一手でめまぐるしく反転するあれだ。理研を舞台とした小保方劇場はまさしく、その様相を呈してきた。先日、小保方の論文不正を調査し、不正ありと判定した「研究論文の疑義に関する調査委員会」委員長の石井俊輔の論文不正が明るみに出て石井は同委員会委員長を辞任したばかり。それに次いで、今度は同委員の面々が小保方と同様、実験画像の切り貼りや使い回しをしていたのだ。つまり、小保方がクロ、理研の調査委員会はいかにもシロの集団だったのだが、このことにより、委員会もクロに反転してしまったのだ。つまり、小保方劇場出演者全員がほぼクロである。

これは困った。演劇といのは一般に善人と悪人があって、最後に善が勝つという物語で構成されているものなのだが、全員が悪人ならば物語は成立しない。小保方劇場は当初、小保方=善、理研=善で開幕し、第二幕は論文不正の発覚により、小保方=悪、理研=善でドタバタがあり、この第三幕で小保方=悪、理研=悪という結末に至った。

もっとも筆者は最初から小保方=クロ、理研=クロの立場を貫いてきたので驚いてはいない。が、それにしても理解に苦しむのが調査委員会の面面の精神構造だ。小保方の論文不正は日本中いや世界中が注目した問題。その調査委員を拝するということは、世界中の注目を浴びる。このことは火を見るより明らかではないか。自分の過去を振りかえってみて、自分に非がある可能性を自覚できれば、調査委員会に名を連ねるリスクを避けるのが普通だろう。“もし自分の不正がばれた”ならば、その反動の大きさは計り知れない…なのに…である。

ここからは推測だが、小保方も理研の調査委員会の面々も、あるいは先に論文不正を咎められたノーベル賞の山中伸弥も含めて、論文に掲載する画像に係る故意の加工は一般的行為であって、「不正」ではないとされていたのではないか。“そんなことは当たり前”という「常識」がまかり通っていたのではないか。拙Blogで何度も書いたことだけれど、小保方が「不正はない」と繰り返してきた根拠には、論文における画像等の加工等は「私だけでなく、諸先輩のだれもがやってきたこと」という確信があるのではないか。だから、「なんで私だけが不正と咎められるのですか」という論理に行き着くのではないか。

それにしても笑わせるのは、理研の野依良治理事長の言いぐさである。野依はかつて理研調査委員会の調査結果発表の記者会見で小保方を「未熟な研究者」と切って捨てた。小保方だけに論文不正の責任があるかのように小保方を断罪した。野依の断罪は、理研に非が及ばぬよう、理研に内在する不正の流れが明るみに出ぬよう、小保方でくい止めたいという願望からだろう。だがそうはいかなかった、理研の幹部が、しかも小保方をクロと判定した委員会の委員の多くが、小保方と同様の手口で論文作成において不正を行っていたのだ。もはや理研の組織的腐敗は明らかだ。小保方論文不正問題とは、理研という組織風土が生みだしたもの。「小保方」は、理研という腐った土壌に開いた、ドギツイ毒茸にほかならない。

こうなれば、小保方の不正よりも、理研の幹部たちの不正のほうが「罪」は重い。よって野依良治は一日も早く理事長職を辞任することだ。野依の辞任を出発点として、理研解体へと進むことが日本の科学研究分野を正常化する近道となる。

2014年5月2日金曜日

5月の猫


今月の猫たちの体重測定結果。

Zazieが4.6㎏(0.3㎏の増)、

Nicoが6.7㎏(0.6㎏の増)。

増えたり減ったり。

最近、猫たちはとても安定していて、とりわけNicoはますます人懐っこくなってきた。

昨晩はなんとベッドで筆者の傍らで寝た。

驚きの変化