2021年11月30日火曜日

『フランスの誘惑 近代日本精神史試論』

 ●渡邊一民 ●岩波書店 ●2913円+税

本書は、明治維新から現代(1960年代中葉)に至るまでの日本とフランスの交流をたどりつつ、近代日本の精神史に論言したもの。本書では、ゴンクール、ヴィオリスといった日本を訪れたフランス人について論じた章も設けられているが、やはり、フランスを訪れた日本人についての論及が質量ともに前者を上回っている。

ドイツからフランスへ

明治維新政府は富国強兵を第一義とし、就中、専軍・帝国主義国家を目指していたため、近代国家のモデルとしては、フランス共和国ではなくドイツ帝国であった。しかし、日清・日露戦争後、日本の精神史に転換が訪れる。国民が欧州の文化・芸術に対して強い関心を持つようになってきたのである。

ヨーロッパ精神の象徴としてのフランス

20世紀に入ると、第一次世界大戦後、ロシア革命の成功もあり、その影響が日本にも及ぶようになる。そうした状況変化に同期するかのように、フランスに留学する日本の学生、研究者、知識人が増加していく。第一次世界大戦後の戦勝国日本は戦後景気に沸き、一方、フランスは戦禍をまともに受けたため、円高、フラン安という条件も重なり、留学しやすい環境にあったこともその一因である。かくしてフランスは、ヨーロッパ精神を代表する知的先進国として、日本の文学者、画家、音楽家、社会主義者・共産主義者らが競って同国に留学・遊学しはじめた。フランスに出向いた知識人のなかには国費等の援助を受けた者もいれば、私費の者もいた。留学先で高等教育を受ける者もいれば、いわば放浪に近いかたちで滞在した者もいた。

フランスが第一次世界大戦から復興し始めるのは、1920年代からであり、その象徴が現代装飾工芸美術万国博覧会(1925年開催。通称「アールデコ」といわれた。)だった。以降フランスは、経済的にも文化的にも絶頂期を迎え、繁栄を謳歌し、アプレゲールと呼ばれる戦後世代の芸術家たちの活躍も目を引いた。

このように日本人留学生には恵まれた環境がフランス国内に醸成され、彼等は、フランス文化すなわちヨーロッパ精神と純粋に格闘することができた。その影響は日本国内のアカデミアにも反映され、《東京帝国大学仏蘭西文学科では・・・大正になってから震災までわずか九人を卒業させたのにすぎなかったにもかかわらず、二五年には渡邊一夫、伊吹武彦ら六名という創設以来の画期的人数の卒業生を出し、以後二六年には市原豊太、杉捷夫、川口篤ら九名、二七年には七名、二八年には小林秀雄、今日出海、三好達治、中島健蔵、平岡昇、淀野隆三ら一三名、二九年には佐藤正影、飯島正ら十四名と、まさに仏文科隆盛時代が現出する。(P89)》と筆者は説明する。日本の文学界は東京帝国大学仏蘭西文学科によって担われていた感がある。

フランスの凋落と日本回帰

1920年代の栄光のフランスが凋落する契機となったのが世界恐慌だった。フランスにその影響が及んだのは他国よりやや遅れて1931年からだった。商店の破産、工場閉鎖、パリを代表する繁華街にあるキャバレー、レストラン、カフェは閑古鳥が鳴き、パリの街は様変わりした。そればかりではない。東の隣国ドイツではナチスが台頭し、その波がフランスにも及ぶようになってくる。フランス国内にも極右政党が反政府(社民政権)を煽るような活動をはじめる。それに対抗して、「反ファシズム統一戦線」の旗の下、社会党・共産党が共闘する人民戦線内閣が結成される。また、西の隣国スペインでは、共和国政府がイタリア・ドイツのファシズム勢力に援助されたフランコ将軍率いる軍事勢力により、版図を二分されるまで追い込まれていく。フランスは共和国側を支持し、フランスのみならず各国から義勇兵がスペインでフランコ軍と戦った。しかし、ファシズム勢力は衰えるどころか勢いを増し、1938年にはナチス・ドイツがオーストリアを併合し、チェコ⁼スロバキアに迫る勢いをみせてくる。1939年、フランスはイギリスとともにドイツに宣戦を布告するがドイツ軍の優位が続き、1940年6月14日、ドイツはフランスの首都パリに入城をはたし、ボルドーに逃れていたフランス政府は22日に降服、休戦条約を締結するに至る。

日本への帰国によって始まった古代日本への回帰

第二次世界大戦前より、フランスに滞在していた日本人留学生らは日本政府による帰国命令に従い、ほぼ一斉に日本に帰国する。この間の日本の知識人が受けた衝撃は計り知れないものがあったようで、そのあたりについて、本書では横光利一の小説『旅愁』をつうじて、フランスに滞在した日本人知識層の変化を克明に論じている。日本人知識層の変化とは、彼らが日本に帰国した途端に極端な日本古代への回帰意識にとらわれたことだった。

パリ陥落、ヨーロッパ精神の象徴であるフランスの落日により日本に強制的に帰国させられた彼等の前に、日本古代がよみがえり、日本の伝統、日本人の遺伝子、祖先二千年の歴史―—天皇が立ち現れたのである。

明治維新以降における日本の欧化は、西欧諸国がなしとげた近代化とは異なる。日本には、欧州が18世紀に経験した啓蒙主義は生まれてこなかったし、自由市民による暴力革命も起きなかった。維新政府は、先述した通り、専軍・帝国主義国家づくりを短兵急に成し遂げたいという国家目標に突き進んでいたわけで、その限りにおいて、維新後の日本が摂取したのはヨーロッパ精神というよりも、産業、技術であった。そこから疎外された日本の知識人は、国家目標から自ら身を引き、フランスに留学・遊学し、ヨーロッパと格闘したわけだが、その果てに、ナチス・ドイツ(ファシズム)の手になるパリ陥落を契機として挫折する。そして日本に帰還後、古代日本に目覚めてしまったのである。1930年代のパリを舞台とした著者による横光利一に係る論及こそ、本書の白眉である。

2021年11月27日土曜日

またまたカラオケ

千駄木のKにてカラオケ



 

2021年11月21日日曜日

神田川クルーズ

 神田川クルーズとは、日本橋(川)から神田川などをとおり、隅田川にでて帰還する遊覧ボートの小さな水上の旅である。



2021年11月19日金曜日

まだまだ続く、大谷翔平の冒険

 

大谷翔平がMLBのMVPに満票で選出された。シーズン当初、筆者は拙Blogにおいて、大谷のシーズンを通しての「二刀流」は難しい旨のニュアンスをにじませた予想を立てたが、まちがっていた。2021シーズンの投打の実績はすばらしいものであった。大谷にはこの先、1年でも永く、現役を続けてほしいものだ。

気になるのは、所属するエンゼルスの成績だ。アメリカン・リーグ西地区(5球団)中4位とふるわなかった。アリーグ15球団の成績としては、チーム打率.245(6位)、本塁打数190(11位)、打点691(7位)、防御率4.67(12位)、勝利数77(10位)、セーブ39(8位)と低迷している。大谷の個人成績の偉大さと比べれば、とてつもなく劣っている。

大谷の「二刀流」だけが原因ではないが、彼の活躍がチームを活性化するまでには至らなかった。エンゼルスの試合をすべてチェックしたわけではないけれど、チームとしての、▽まとまり、▽リズム、▽つながり、▽落ち着きが、大谷の「二刀流」によって阻害されているような気がしてならない。このあたり、大谷というよりも、「二刀流」という変則体制をチームメイトが理解し、慣れることが課題となろう。

大谷の本塁打数が前半戦に比べ、後半戦で少なくなったのも気がかりの一つだ。オールスターゲーム前に行われる本塁打競争で打撃フォームを崩したという分析もあるが、それよりも、ポストシーズン出場を目指す他球団が勝負に気を遣う後半戦では、大谷へのマークが厳しくなったからだろう。

2022シーズン、だれもが気遣う事項は、①ケガの心配、②極端な内角攻めを含めた厳しいマーク、③蓄積疲労、④外野守備による負担増―—だろう。MLBの各球団、各選手が2年連続で大谷にしてやられるわけにはいくまいと、前半戦から、大谷に対して気合を入れてくるだろう。

1903年に始まったMLBベースボールが長年にわたって築き上げた投打分業スタイルが正常なのか、それとも大谷がその常識を一人で覆し続けるのか、いわば、「大谷の後ろに大谷なし、大谷の前に大谷なし」という歴史をつくり続けるのか。

「二刀流」が可能な選手が勝負に有効なのかどうかについての結論は、筆者においてはまだ出せないままだ。

2021年11月14日日曜日

赤坂バルバラにてGeorgeさんのシャンソンを聴く

 いつも根津のBar Hidamariでお世話になっているGeorgeさんが日本のシャンソンのメッカ、バルバラに出演。

さっそく聴きに行ってきた。



2021年11月13日土曜日

ジェームスさんの誕生日

 旧友のジェームスさんの誕生日、

ということで、久々に谷根千にてカラオケなど。


千駄木「ジャンボ」

千駄木「ジャンボ」

根津「なっかーさ」

根津「なっかーさ」

2021年11月12日金曜日

Yさん、Hさん、ネコと遊ぶ


Yさん、Hさんが遊びに来てくれました。

 

もうどうでもいいやの森保ジャパン


サッカー日本代表がアウエーでベトナムに辛勝したという。すでに2敗していてカタール行きに黄色信号が灯ったのちの2連勝だから、まずまずと喜びたいところだが、筆者は森安ジャパンが発足して以来、日本代表になんの興味も感じなくなってしまった。

その理由については、ロシア大会における代表監督に係るゴタゴタにまで遡る。すなわちハリルホジッチが代表監督を解任されたところから、日本サッカー協会に対する不信を禁じ得なくなってしまった。そのことは当該Blogに書いたので繰り返さない。

代表監督が日本人でなければならないわけはないし、外国人でなければならないわけでもない。すぐれた監督を国籍を問わず、選任すればいい。しかし、わが邦の狭隘なスポーツ文化の価値基準は、日本人か外国人かという、非理性的な二者択一へと関係者、サポーター、メディア等を追い込み、これまた狭隘なナショナリズム、ポピュリズムの勝利で終わる。

筆者の判断では、日本人の指導者人材において、W杯で勝ち進むだけの実力を備えた者は、いまのところいない。残念ながらそれが現実である。なぜそう判断できるのかと言えば、サッカー選手においては、海外組が増加し、けして一流のリーグではないものの、レギュラーを張れる者が増えてきたその一方、海外において指導者として活躍できる人材は皆無に等しい。前日本代表監督の西野がタイ代表監督として招聘されたが、成果が上がらず、解任されている。本田圭佑がカンボジア代表監督になったが、指導者の能力とは関係のない、別次元の監督就任であった。

これまで筆者は、外国人代表監督を興味をもって眺めていた。彼等の「言葉」の力に驚かされた。それはスポーツを超えた「日本人論」「日本文化論」のようにさえ感じた。トルシエのスポーツメディアに対する悪意ある挑発は、ある意味で、そのあり方への強烈な皮肉であった。オシムはレーニンを引用して、組織論、日本人論を語った。ジーコやザッケローニは金満日本において、巧みに立ち振る舞うさまを習得して、そこからカネを引き出すことに成功した。ハリルホジッチはその両方に失敗して、あえなく玉砕してしまった。

外国人監督のある者は、サッカーを介して、日本のシステムを批判し、自己流を貫こうとし、それを忌避した者は、無風のまま、そこそこの成績を残して消えた。前者は緊張を与え、後者は安穏たる国際交流を果たし、ともに去っていったのである。

森安にはなにがあるのか、空虚がある(笑)。なにもない。テンプレートのコメント、根拠なき選手起用、戦略なき用兵・・・日本サッカーの頂点とされる日本代表にはいま、サッカーをやるもの、見るもの、その双方のあいだいにおける緊張関係を失った。彼のサッカーからは、新しさ、魅力、進歩、革命、革新、ありとあらゆる領域におけるアドヴァンスが感じられない。それは森安が日本人だからではない、能力、資質の問題なのである。日本代表が爆発しなければ、日本サッカーは衰退し消滅する。Jリーグが日本サッカーをリードするほど、わが邦のサッカー文化は成熟していない。

2021年11月6日土曜日

Yさんを夜の根津へとご案内

猫と寛いだあと、夜の根津へ




Bar Hidamari
ar


 

 Yさんと猫とで寛ぐ




2021NPB順位確定(その2)パリーグ編


2021のNPB(日本プロ野球)、パリーグの順位である。

〈パリーグ〉

1オリックス(70勝55敗18引分、勝率.560、打率.247、防御率3.31

2ロッテ(67勝57敗19引分、勝率.540、打率.239、防御率3.67

3楽天(66勝62敗15引分、勝率.516、打率.243、防御率3.40

4ソフトバンク(60勝62敗21引分、勝率.492、打率.247、防御率3.25

5日本ハム(55勝68敗20引分、勝率.447、打率.231、防御率3.32

6西武(55勝70敗、18引分、勝率.440、打率.239、防御率3.94

筆者の開幕前の予想

1. ソフトバンク、2.楽天、3.ロッテ、4.西武、5.オリックス、6.日本ハム

であったから、こちらも外れた。楽天、ロッテをAクラスにあげていたのがせめてもの救いか。

主力の故障と高齢化――ソフトバンクBクラス転落の主因

ソフトバンクのBクラス転落は考えもつかなかった。順位表でわかるように、チーム打率はオリックスと同率ではあるが1位、防御率も1位である。投打のバランスは数字上、最も良い。なぜ4位なのか。

ソフトバンクは選手層が厚いと思われるのだが、それでも、エースの千賀滉大、先発ローテーションの一角・東浜巨、クローザーの森唯斗、中継ぎのリバン・モイネロ、打撃陣では、ジュリスベル・グラシアル、周東佑京といった主力選手に故障が相次いだことが、成績を落とした主因だろう。加えて、松田宣浩、アルフレド・デスパイネ、ウラディミール・バレンティンらベテラン陣の不振も重なった。主軸が活躍しないと勝負所で勝てないし、チームも波に乗れない、ほかのチームにプレッシャーをかけられない――といった勝負の綾があるのかもしれない。4年連続で日本一となったあとの2021シーズン、選手・監督のモチベーションが上がらなかった可能性も高い。

オリックス中嶋監督、指導力を証明

オリックス優勝の立役者は2020シーズン途中からチームを率いた中嶋監督である。現役時代、コーチ時代を含めて印象にない野球人であるが、セリーグの高津監督(ヤクルト)と同様、最下位チームを優勝に導いたのだから、指導者としての実力の証明としてはじゅうぶんすぎる。

このチームは投の山本、打の吉田正という日本球界を代表する選手を擁していた。2021はその山本がリーグ最多勝の18勝、高卒2年目の宮城が13勝、田嶋と山﨑福がキャリアハイの8勝を挙げた。野手陣も前出の吉田正が.339で2年連続首位打者及び.429で初の最高出塁率、杉本が32本塁打で初の本塁打王を獲得するなど、山本、吉田正はもちろん、それ以外の選手の才能が一気に花開いた感がある。オリックスはFAや前MLB選手といった派手な補強をしていない。むしろ、育成型の球団である。2022以降、このチームがどのような姿になっていくか注視していきたい。

2021年11月5日金曜日

2021NPB順位確定(その1)セリーグ編



 2021のNPB(日本プロ野球)のペナントレースは予想を超えた結果となって幕を閉じた。セパ両リーグで昨シーズン最下位球団が優勝をさらったのである。第1回目はセリーグから。まずは順位を見てみよう。

〈順位表〉

1ヤクルト(73勝52敗18引分、勝率.584、打率.254、防御率3.48)

2阪神(77勝56敗10引分、勝率.579、打率.247、防御率3.30)

3読売(61勝62敗20引分、勝率.496、打率.242、防御率3.63)

4広島(63勝68敗12引分、勝率.481、打率.264、防御率3.81)

5中日(55勝71敗17引分、勝率.437、打率.237、防御率3.22)

6 DeNA(54勝73敗、16引分勝率 .425、打率.258、防御率4.15)

筆者の開幕前の予想

1.読売、2.阪神、3.DeNa、4.中日、5.広島、6.ヤクルト、であったから、まったく外れた。以下、弁明を書く。

順位予想の手順

(一)既存戦力

順位予想に係る確定要素としては、まず既存戦力の見極めがある。既存戦力をみるには、前シーズンの実績があり、新たに台頭する戦力の予測が加わる。前者はわかりやすく、前シーズンに活躍した選手は次のシーズンも活躍すると見なしがちである。だから、前シーズン上位の球団はそのままスライドしがちである。一方、後者を予想するのは難しい。どの選手が力をつけて公式戦に参入するのか。6球団に目を向けるのはそうとうの労力を要す。

(二)新規加入戦力

新規加入戦力としては、新人と移籍がある。新人は難しい。2021は新人豊作の年で、新人王候補が目白押しである。シーズン前、これほどの新人の活躍を予想することはできなかった。それに比べれば、移籍はわかりやすい。入団した選手の力量と移籍したそれとを比べれば、球団の戦力アップ、ダウンの判断は容易である。

(三)補強が実を結ばなかった読売

たとえば筆者がセリーグ首位と予想した読売の場合、新人を除いた新戦力としては、FA=井納翔一:5試合 0勝1敗 防御率14.40、同=梶谷隆幸:61試合 64安打4本塁打23打点11盗塁 打率.282、MLBからシーズン途中=山口俊:14試合 2勝8敗 防御率3.56、日ハムからシーズン途中=中田翔:30試合 12安打3本塁打7打点 打率.150、MLBから新入団=テームズ:1試合 0安打 打率.000、同=スモーク:34試合 31安打7本塁打14打点 打率.272、ヤクルトからトレード=広岡大志:75試合 17安打3本塁打9打点2盗塁 打率.175、AAAからシーズン途中=ハイネマン:10試合 4安打0本塁打2打点0盗塁 打率.160。

これだけ新戦力を集めた読売なのだから、首位で終わって当然である。ところが、期待され入団した外国人2選手がシーズン途中で退団、怪我のためとはいえ、テームズがわずか1試合しか出場できなかったのは大誤算。FA移籍してきたDeNAの2選手も戦力にならなかったし、シーズン途中の補強も実を結ばなかった。難しいものだ。

既存戦力の底上げにも失敗した。昨年より実力を上げた既存戦力は松原ただ一人。野手の坂本、丸、大城、ウイラー、吉川も成績を落とした。投手陣も先発陣では、菅野以下成績を落としたし、ブルペンもシーズンをとおして安定しなかった。しかも、読売はチーム打率でリーグ5位、防御率で同4位であった。これだけ数字を落としながらCS出場を果たしたのは奇跡に近い。

ヤクルトの躍進

反対に最下位からリーグ優勝したヤクルトの場合は、攻撃面における外国人2選手の活躍がチームを引っ張った。中村捕手の打撃開眼、トップバッター塩見の成長、脅威の8番打者・西浦、チームリーダー・青木の健闘、不動の四番に成長した村上――と、攻撃の破壊力は昨シーズンを大幅に上回った。驚異的な成長を見せたのは投手陣である。中継ぎ陣の成長、抑えのマクガフがシーズンを通して安定して活躍した。ここまでたて立て直した監督・コーチに敬意を表する。

残念な阪神

阪神はチャンスを逃した。2位に甘んじたのは、9回延長なしの「コロナ禍ルール」である。Jリーグが採用している勝点制度(勝3点、引分1点、負0点)ならば、阪神は問題なく優勝していた。不運というほかない(ヤクルト=73勝×3+18引分×1=237、阪神=77×3+10引分×1=241)。筆者は、勝者をリスペクトする立場から、NPBも勝点制度を採用すべきだと考える。

第49回衆議院議員総選挙を総括する

2021/10/31、第49回衆議院議員総選挙が行われた。当該選挙の焦点は野党共闘であった。立憲、共産、社民、れいわの左派系野党が候補者調整を行い、小選挙で与党を上回る票の獲得を目指した。ところが、結果は与党の勝利に加え、極右政党である維新が議席数を大幅に伸ばし、立憲は後退した。立憲民主党党首・枝野幸男は選挙結果を受け、引責辞任した。

野党共闘は誤りである

 今回の総選挙、就中、野党共闘を次のように総括する。野党共闘は間違っていたと。なぜならば、立憲民主党は安易な足し算選挙を選んだからである。まわりも、そうけしかけた。立憲の、いや日本の左派の他力主義である。民主党が下野(2012.11)して以来、同党は自力再生、地域における票の掘り起こし、党員獲得・・・当たり前の政治活動を怠り、連合頼みの党運営、選挙運動しかしてこなかった。幹部が当選すればそれでよし、気楽な野党業に勤しんできた。
 これまでの国政選挙においては、日本共産党(以下「日共」)が独自候補を立ててきた。選挙が終わって票を集計すると、当選した自公よりも立憲と日共を合わせた票の方が多い。小選挙区で勝つには野党共闘しかない。だれでもそう思う。野党共闘の原理はこの単純な足し算主義である。筆者もそう思って、日共主導の人民戦線を支持した。しかし、この足し算選挙路線が誤りだった。

日本共産党とはいかなる政治勢力なのか

 日本の左派系文化人・言論人は日共を見誤っている。彼らはスターリニズム政党である。維新がナチ党に例えられるように、日共はスターリンが率いたソ連共産党に例えられる。管見の限りだが、前出の左派系文化人・言論人の中で日共を批判したのは、中島岳志の次の発言だけだと思われる。

小選挙区で共産党が議席を獲得するためには、共産党のあり方もさらに変わる必要があります。もっと候補者の個性が見えなければ、浮動票は集まりません。従来の<比例の票起こし>のための選挙区での戦いを大きく変え、党内に残っているパターナリズムを払しょくする必要があります。
 きわめて控えめな批判だが、間違っていない。そのパターナリズム(父権主義)こそが同党のエリート主義、官僚主義、密室的党運営の根源にある。ところで、左派系言論人の前官僚・前川喜平は、有権者をつぎのように罵倒した。《政治家には言えないから僕が言うが、日本の有権者はかなり愚かだ》。有権者(大衆)はほんとうに愚かなのか、いまさら吉本隆明の「大衆の原像」をもち出すつもりはないけれど、有権者の日共アレルギーは健全な拒否反応かもしれない。立憲の安易な足し算選挙路線を批判し、お灸を据えたと考えられないか。

日共のパターナリズムの淵源

 前出の中島の発言にある日共のパターナリズムとはどんなものか。それはロシアマルクス主義の「唯物(タダモノ)論」に平和と民主主義の二段階革命論を接合した修正主義である。日共内ではその修正主義をいかにも「普遍的」に理論化した者が〈父〉として君臨する。敗戦直後においては、非転向獄中組の精神性が加わって幹部の無謬性が高じ、神格化されるにいたった。日共はその後、路線上の紆余曲折を経ながらも、その頂点に立ち続けた宮本顕治は同党の家父長として最高指導者の座に居座り続けた。現下の日共幹部は「ミヤケンの子供たち(かなり年のいった)」にすぎない。
 日共の体質に内在する封建遺制については、かつて新左翼により、批判され尽くされたのだか、安倍政権の長期化と日本の右傾化が強まることにシンクロして、日共は「健全な市民政党」として、左派系内部で評価を高めた。白井聡、内田樹、適菜収といった、体制批判論者ですら、日共批判は時代遅れ、不当な中傷、右派によるフェイクニュースとして退けられ、封印された。日共こそが日本の救世主であるかのように。野党共闘を推進した左派系言論人たちは、日共の甘言に弄され、同党の本質を見誤っているのである。

来年に控える参院選をどう闘うべきなのか

 左派系言論人と日共が合作した「日本を取り戻す」ための政権奪取戦略が市民(=野党)共闘だったが、これは頓挫した。来年の参院選で野党共闘を継続することはけっこうなことである。再チャレンジしてもかまわない。だが、結果はあまり期待できないものに終わるだろう。もちろんこの先何があるかわからないけれど、一年弱で状況を一変させることは考えにくい。

永田町を離れ、現場で汗を流せ

 旧民主党の下野から今日までは、野党にとってというよりも、国民にとって「失われた10年」である。旧民主党の瓦解は、風頼み、連合頼み、百合子頼み、そして今回は日共頼みと右往左往した旧民主党の議員たちの体質に起因する。彼等の仕事場は永田町であり、彼等はその住民である。
 彼等の本来の仕事場は、地域、職場、高校、大学であり、彼等の本来の仕事は、そこで活動するありとあらゆる反ファシズム運動に携わる人々との共闘のための組織拠点を構築することである。連合の組合員の中にもベースアップにしか興味をもたない者ばかりではないはずだ。地球温暖化対策、ジェンダー問題、夫婦別姓問題、反入管、自民党のモリカケ・サクラ、甘利・河合夫妻問題、新型コロナ対策への怒り・・・等々、良心に基づく政治を希求する人々が少なからずいるはずだ。彼等と共闘するべく汗をかくべきなのだ。

極右維新を警戒せよ

 維新の大幅議席増については、ツイッター情報によると、在阪のテレビ局による維新偏重報道の影響が大きいという。吉本興行の芸人をコメンテーターに起用して、徹底して、吉村知事を応援。吉村は、コロナ禍を乗り切った英雄として扱われているといわれている。維新が府政・市政を担って以来の病床数減、病院閉鎖は大きく取り上げられない。
 そればかりではない。大阪人の反東京、反中央意識は根強い。また、大阪人の金銭感覚が庶民から大企業まで、新自由主義とみごなまでに融合してしまったことは不幸である。たとえば、大阪人が支持する萬田銀次郎(漫画『難波金融伝・ミナミの帝王』の主人公)の金貸し哲学は、貸した金は地獄の底まで取り立てる、という徹底した借り手の自己責任論に帰着する。〈貸し〉〈借り〉〈トイチの高金利〉は、緊縮に通底している。なお、『難波金融伝・ミナミの帝王』は超B級映画制作会社の伝説のVシネマが、竹内力主演で映画化し大ヒット、テレビシリーズも人気を博した。テレビシリーズでは、俳優時代の山本太郎が銀次郎の舎弟役で出演している。これまでのような、立憲の曖昧な福祉策では、大阪人のエートスに食い込むことはこれからさきも、かなり、やっかいかもしれない。

維新という政党は謎だらけ

 維新が大阪ばかりでなく、比例全国区で議席を増やしたことは、大阪人のエートスでは説明つかない。報道では、立憲が日共と組んで左傾化したことで、有権者が離れたから、との理由付けがされている。たしかに戦後日本の選挙の歴史をみると、中道右派が一定程度、議席を得ることは珍しくなかった。古くは社会党から右へスピンした民社党、その反対の新自由クラブ、20世紀末には、自民からやや左へ流れた新党さきがけ、日本新党などが存在感を示した。維新もそうなのかというと、筆者の感覚的受け止めとしては、どうもこれまでの中道政党とは性格を異にしているように思われる。
 その第一は、維新が徹底して極右ポピュリズムから出発し、それに徹していることである。いわば、日本版ナチ党である。ナチはドイツ、ミュンヘンを地盤とし、維新は大阪である。また、これまでの党のように、左右どちらかから真ん中によるという政治力学が働いていない。
 第二は、維新の資金の出どころがわからないこと。冷戦下なら、左から右はCIAだったけど、それはないだろう。維新の資金力は、これまでの日本の中道政党のそれをはるかにか上回っているのである。
 第三は、マスメディアを実態上、支配していること。先述したように、関西圏のテレビ局は、維新に完全支配されている。全国レベルでは、橋下徹が宣伝媒体として、テレビに出まくることで、維新の政治的主張が全国的に行き渡る仕組みが構築されている。加えて今回は、コロナ禍を吉村大阪知事が政治利用した。
 このような党は、かつて日本の政党史には例がないものの、維新の議席数は41であり、今回選挙が上限かもしれない。しかし、維新がこの先の国政選挙で議席数を着実に増やすとなると、憲法改正が現実のものとなる。憲法改正はアメリカのジャパン・ハンドラーの日程にすでに上がっているという(孫崎享)。自衛隊を海外に派兵するためには、憲法改正が必要であり、アメリカ軍の代わりに世界の「紛争地域」に自衛隊を派兵することが、アメリカにとっての合理性である。日本は変わらない、どころではない、憲法改正を機に、とんでもない方向に変わるのである。

2:3:5の壁を突破せよ

 日本の有権者の分布比率は、革新2、保守3、無党派5とされている。だから小選挙区では、革新はなかなか勝てない。今回の野党共闘で革新2に無党派の一部がプラスされて勝った選挙区もあったし、大阪のように維新という第三勢力が自公という保守に代替されたところもあった。そのなかにあって、維新=ファシズムと、日共=スターリニズムの暗黒の政治勢力が表の顔として、両極に顕在化してきた。そして、今回総選挙では、局部的に両極に引っ張られたものの、全体の構造に変化は起きなかった。つまり総体として、革新=2に変化はなかったのである。革新が票の積み増しに相も変わらず失敗し続けているのである。
 今後、無党派層は棄権という眠りから、目覚めるのだろうか。無党派層を目覚めさせるのは、憲法改正阻止、反ファシズム、反新自由主義といった、あたりまえの政策を掲げて(日共も掲げている政策なのだが)、ここが重要なのだが、透明で非官僚的体質の政党が地道な努力を続ける以外の方法はないのである。