2019年1月27日日曜日

優勝候補、韓国の8強どまりは意外

アジア杯2019、筆者が優勝と予想していた韓国がカタールに負け、前回優勝国のオーストラリアが開催国UAEに負け、優勝候補の一角と目された2チームが中東勢によりベスト4進出を拒まれた。

韓国の戦力はアジアナンバーワンだと思われたが・・・

大会前、筆者は韓国の戦力はアジアで群を抜いていると思っていた。ベテランのキ・ソンヨン(ニューカッスル)、脂がのり切っているソン・フンミン(トッテナム)と、イングランド・プレミアリーグでレギュラーをはる2選手に加え、ファン・ヒチャン( ブンデスリーガ・ハンブルガーSV)ほか、欧州でプレーする選手を複数擁する韓国代表は現時点でアジア最強だと思っていた。

予選リーグではチームとしてのまとまりが見られず、攻撃のかたちが見いだせない試合が続いたが、グループCを3連勝で首位通過、貫録を見せた。危険信号が灯ったのがラウンド16のバーレーン戦。延長までもつれこんでの辛勝だった。やっぱりうまくいっていないのか、と思いつつも、だんだんと調子を上げてくるだろうと考えていた矢先の敗退だった。ベスト8をかけたカタールとの試合では、スピードある攻撃が見られず、相手の堅い守備に決定機は少なく、カタールの一発に泣いた。

ポゼッション重視のベント監督は時代遅れ

韓国の敗因としては、キ・ソンヨンの負傷離脱、3試合目から合流したソン・フンミンの過労による調整不足などが挙げられているが、代表監督のベント(ポルトガル)の指導、采配の責任を追及する声が韓国国内で強まっているようだ。

ベントの目指すサッカーはポゼッション重視。そのため、韓国の伝統的強みとされる速さ、力強さが消えてしまった。チーム全体に停滞感がひろがり、韓国の特徴である闘志あふれるプレー、たとえば球際の強さ、深いタックル、速いサイド攻撃、ペナルティーエリア内での反応の速さ…が影をひそめてしまった。

ベントが代表監督に就任して以来、韓国は負けなしだったらしいが、日本代表と同様、親善試合の結果はあてにならない。親善試合では相手の状態を考慮し、勝敗ではなくサッカーの質をしっかり見極めないと、公式戦で取り返しのつかない結果に終わる。代表監督の評価については、韓国代表で起きたことを日本も他山の石とすべきだ。韓国はベントを躊躇なく解任できるから、2022に向けてはよかったかもしれない。

ポゼッションサッカーは堅守に対応できない

今日の世界のサッカー界におけるトレンドは、W杯ロシア大会が示した堅守速攻、フィジカル重視で変わっていない。本大会における中東勢を中心とした各国の台頭は、堅守速攻、とりわけ規律の高い守備、相手が守備体形をつくる前にゴール前に攻め込む速攻を武器とするチームが増えたことによる。

堅守速攻の土台となるのは強いフィジカル。韓国のエース、ソン・フンミンが精彩を欠いたのは、年始のイングランド、プレミアリーグの過密日程による疲労からだと思われる。しかし、代表戦ではそのことは理由にならない。エースがコンディション不良ならば、代替選手がその穴を埋めなければならないし、代表監督は調整期間を設けるような選手起用を心掛けなければいけない。

韓国代表が持ち前の強いフィジカルを生かしたサッカーを捨ててしまえば、相手は脅威を感じない。韓国は原点に帰るべきだった。さて、日本はどうなるのだろうか。

2019年1月25日金曜日

森保ジャパンに未来なし――ベトナム戦は悲惨な勝利

ベスト4を賭けた日本―ベトナムは日本が1-0で辛勝した。同組のイランが中国に勝ったので、日本はイランと準決勝で相まみれる。

まだツキがある日本代表

ベトナムの大応援団
日本に惜敗したベトナムは東南アジア王者。成長著しく、予選リーグ3位ながらノックアウトステージ(NOS)に勝ち上がり、ヨルダンをPK戦で破った。当然、勢いに乗っている。この試合、日本にとって予断は許されないと言われていたものの、ここまで日本が苦しむとは思っていなかった。

日本の決勝点はVAR(ビデオアシスタントレフリー)によるPK獲得によるもの。このPK判定について、各国で議論があったという。VARからの確認要請を受けて主審がビデオを見たとしても、堂安の転倒をファウルとみなしてPKをとる主審とそうでない主審がいたにちがいない。日本はまたまた幸運に恵まれた。既報のとおり、日本は吉田の先制得点がVARで取消しになっていたから、なんともすっきりしない勝ちだった。

この日の日本代表は試合には勝ったものの、内容は相変わらず悪い。NOSの日本の対戦相手、サウジアラビア、ベトナムにしてみれば、「相撲に勝って、勝負に負けた」と言いたくなるに違いない。

ベトナムの戦術に簡単にはまった森保ジャパン

日本がこの試合苦戦した要因の第一は、日本がベトナムの術中にはまっていた点。ベトナムは日本のパスコースを読みきっていて、ことごとく遮断した。たいへんな運動量だった。森保ジャパンはベトナムの作戦に対処できなかったが、ベトナムが納得できないVARで失点した後、彼らの足が止まってから、やっと、パスがとおりだし、前線も機能し出した。それでも、幸運なPKによる1点にとどまった。つまり、90分間を通して、日本がベトナムを完全に崩し、クリーンシュートを放ったシーンは一度もなかった。堂安の強引さが功を奏したまで。いってみれば個人プレーの結果にすぎない。フィジカルの強い対戦相手ではまずもって通用しない。

残念だが北川は代表レベルに達していない

相手がパスに対して労を惜しまず遮断してくるのなら、ワントップに当てる作戦もあった。ところが日本のワントップ(CF)として先発した北川が起点として機能しない。筆者は北川が代表に選ばれ、大迫の控えで試合に出る理由がわからない。北川の技術、闘争心はまだまだ低レベル。もっと練習してほしい。

CFの大迫に次ぐ二番手は武藤だが、彼の欠陥については前回の拙Blogで詳論したので繰り返さない。森保ジャパンのワントップは人材難だ。

森保ジャパンの最弱点はGK

森保ジャパンにおいて、結果に現れないが最も心配なウイークポイントはGK。正GKは権田らしいが、とにかく判断力が悪い。フィジカル、キャッチング、高さ、反応のレベルはJリーグの並みクラス。対戦相手ベトナムのGK、ダン・バン・ラムに比べて権田の技術、フィジカルが数段落ちることはだれの目から見ても明らかだった。日本代表のGKこそ筆者が最も心配しているポジションだ。

森保ジャパンの弱点整理

ここまでの5試合で露呈した森保ジャパンの弱点は以下のとおり。親善試合ではわからなかったが、公式戦だとはっきりする。
  • ワントップ=人材難
  • 二列目=攻撃の創造性の欠如、連携、有機性、構築力がなく個人プレーばかり
  • GK=フィジカル、判断力が低い。人材難で、もっとも心配なポジション
  • 代表監督=力量不足(情報力、指導力、サッカー観、采配の未熟さ、戦術の柔軟性の欠如…)
アジア杯は結果か内容か

このアジェンダは不毛。アジアのサッカーはいま、急速に発展しつつある。視点を広げてアジアのサッカーを地域別にみると以下のとおりとなろう。

  1. 急速に台頭する東南アジア、
  2. 資金力豊富な中国、
  3. 独特の「サッカー王国」を築く湾岸、中東諸国、
  4. フィジカル面で欧州に引けを劣らないイラン及びオーストラリア、
  5. 潜在能力の高い中央アジア、
  6. 飛躍が期待される西アジア(インド、パキスタン、ネパール、ブータン…)
  7. そして②の中国を含めた、日本、韓国、北朝鮮、台湾で構成される東アジア

そのなかにあって、イラン、日本、韓国、オーストラリア、サウジアラビアが強豪国だった。ところが、本大会においては唯一、イランだけが抜群の強さをみせているものの、日本、韓国、オーストラリアが停滞している。日本に惜敗したサウジアラビアは、あまり変化がない。

一方、前出の全地域が急速に力をつけてきたから、強豪国といわれた5カ国との差が一気に縮まった。一般論として、世界のスポーツのレベルは年々上がっている。上位が停滞すれば、下位にひっくり返される。2019アジア杯はそのような現実を目の当たりにした感がある。

冒頭のアジェンダに対しては、日本はこれからもアジアで絶対的な強さを誇らなければだめ、という解答しかない。内容的にも結果的にも、他国を圧倒しなければ、世界に追いつけない。日本が停滞すれば、アジアから見くだされ、世界で通用しない代表チームになってしまう。後退はもちろん、停滞すら許されない。日本が森保監督のままガラパゴス化し、停滞すれば、全アジア地域との差が縮まるどころか、逆転されるのは時間の問題となる。

森保が代表監督として的確でない理由

森保が代表監督としてなぜ、適正を欠くのかといえば、彼がJリーグというローカルなクラブチームの監督の経験しかないから。森保が少なくとも他国のナショナルチームを指揮した経験があっての日本代表監督就任ならば、適職の可能性はあった。それすらないのだから、悪いのは森保ではなく、任命者ということになる。

レベルの低い国の代表チームが外国人監督を招聘する理由は、代表監督を専門職とする者がもつ視野の広さ、引き出しの多さを買ってのこと。彼らは世界中を渡り歩き、異なる言語、文化、習慣、宗教等を乗り越えながら、受託した代表チームを指導する経験をもっている。世界のサッカートレンドに敏感な彼らは、契約先固有の国民性・フィジカル・世界観と、世界のサッカートレンドを融合し、代表チームを強化するスキルを持っている。

直近の事例でいえば、世界の有能な代表監督たちは、2018W杯ロシア大会当時の世界のトレンドが堅守速攻であることを認識し、それまでのポゼッションサッカーに見切りをつけていた。日本サッカー界に向けて、2018ロシア大会開催よりもずっと前から「フィジカル重視」の発言を行っていたのは、管見の限りだが、元日本代表監督のオシムだったと記憶する。そしてロシア大会は、オシムの言葉どおりのサッカーが展開された。ことほどさように、サッカー後進国にとって、代表監督を専門職とする者の存在は、世界のサッカー潮流を知るための潜望鏡のようなものなのだ。

準決勝、森保が目指すサッカーを明確に示してほしい

森保日本代表監督が目指し、また、理想とするサッカーはどのようなものなのか。世界と合い渉れると(思い描く)日本代表のサッカースタイルはどのようなものなのか。彼は代表監督として、代表ファンにどのような言葉でそれを発信し、日本代表チームに意識づけし、代表選手のプレーに浸透させているのか。このことを次戦イランとの試合で、明確に示してほしい。それが示せなければ、森保ジャパンに未来なし――と断言できる。

2019年1月23日水曜日

代表史上、最も醜悪な勝利――アジア杯KOステージ、日本、サウジに辛勝

サッカーアジア杯UAE大会、日本―サウジアラビアは日本が1-0で勝利し、ベスト8入りを果たした。ベスト8は日本を含めたアジアの4強(イラン、オーストラリア、韓国)、そして、ベトナム(次戦日本)、開催国UAE、カタール、中国に決まった。

いまの日本代表は弱い

さて、サウジ戦、日本の勝利に喜んでいる人は少ないだろう。むしろ、日本の弱さをはっきりと認識したと思う。日本は予選リーグ3連勝で1位通過、そしてノックアウトステージの初戦、ベスト8を賭けた難敵サウジアラビア戦に勝ったのだから、記録の上では順調なようにみえる。

ほんとうだろうか。筆者は拙Blogにおいて、本大会における日本代表のサッカーに警鐘を鳴らしてきた。ここまでの日本代表のサッカーは危機的状況にあると。そのことをサウジ戦で確信できた。

サウジ戦のスタッツをみれば一目瞭然、ほぼサウジにボールを支配され、日本は攻撃のかたちを一度たりともつくれなかった。日本は自陣のハーフコートに押し込まれ、まるで守備の練習を見ているようだった。

日本が上げた決勝点は、前半20分、コーナーキックから日本のCBのヘッディングによるもの。それ以外、日本はほぼ試合時間のすべてを自陣に立て籠もり、守備に終始した。もちろん、サッカーにおいて、このような試合が発生することは承知している。日本より実力がはるかに上回るブラジル、フランスといった強豪国に対して、弱小国である日本が取らざるを得ない選択として。

日本の相手は難敵とはいえ、FIFAランキングで日本を下回るサウジアラビアである。そればかりではない。筆者が残念に思うのは、日本が虎の子の1点を戦術的に守り切ろうとしたとは思えないことである。日本が先取点を上げなくとも、日本はサウジに終始攻撃されていたであろうことは明白なのである。つまり、日本は成り行きとして押し込まれ、守備しかできなかった。だから、この試合は、日本代表史上、もっとも醜悪な勝利だと筆者は考える。

いまだ調子があがらない攻撃陣

すでに以前の拙Blogに記したとおり、本大会における日本代表の調子は悪い。とりわけ攻撃陣4選手は最悪である。サウジ戦のワントップ武藤は、相手DFとの接触プレーでことごとく手を使ってファウルをとられ、攻撃の芽を摘んでいた。主審イルマトフは手を使った接触プレーのすべてを公平にファウルにとった。だから、日本代表が狙われたわけではない。

2列目の堂安、南野、原口にいたっては、自らがフィニッシュを狙う動きばかりで、彼らが連動して攻撃を仕掛けるようなアクションがみられない。それ以外は守備要員といったありさま。後方及びサイドから、攻撃に転じられるような有効なパス等が彼らに供給されない。攻撃の基点が皆無であり、攻撃を構築するイマジネーションがない。W杯ロシア大会で見せた香川、乾、長友でみせたような創造性がない。

堅守はそれで結構なことだが、堅守から速攻がないから、相手にキープを許してしまう。相手のサウジに決定力がなかったから完封できたものの、このような試合が続くようであれば、チームの成長はない。

「自分たちのサッカーをやるだけ」はどこへいったのか

アジア杯を通じて日本代表はなにを獲得したかったのか。言うまでもなくそれは優勝である。優勝するためには「勝利」が最優先だという理屈は明白である。このような大会では、勝利し続けなければ、若い選手に経験を積ませることもできないし、チームの戦術の幅を広げることもできない。だから勝つための手段を選ぶ。ところが、である、これまで日本代表はなんと言ってきたのか。日本代表選手の主力たちは、W杯を前にして、ことごとく「自分たちのサッカーをする」と言ってきたのではなかったのか。そうすれば勝てるとも…

森保ジャパンは「自分たちのサッカー」のあるべき姿をもっていない。試合の成り行きで選手がやみくもに動きまわり、ここまでのところ、各個のバラバラなアクションの積み上げが結果として成功してきたにすぎない。それが、予選リーグ3連勝、ノックアウトステージ1勝をあげたにすぎない。しかもそれらの勝利は、どれも「幸運」なものばかりである。ツキも実力のうちとは言われるけれど、森保が監督として、日本代表の理想とするサッカーを見せるべく選手を動かさなければ、また、選手が必死で戦い抜かなければ、勝利の女神は日本チームから去ってゆく。

いまの日本代表の実力はアジアで6番手

本大会のここまでの試合を見た筆者の印象からすると、現時点の日本代表の力は、韓国→イラン→オーストラリア→サウジアラビア→UAE→ウズベキスタン、に次ぐ程度だと思われる。もしかすると、中国より弱いかもしれない。日本はサウジアラビア、ウズベキスタンに勝ったけれど、内容では劣っている。

森保ジャパンがこの先、ホームの親善試合で勝ち続けたとしても、W杯2020カタール大会予選では苦戦するし、アジア予選が突破できたとしても、カタールW杯でベスト16入りするのは難しかろう。結論は今回も同じ、狭隘なナショナリズムに拘って日本人(森保)監督に固執することはまちがっている。

2019年1月18日金曜日

つくられた横綱(稀勢の里)の悲劇


大相撲の横綱、稀勢の里が引退した。テレビを筆頭としたメディアは、このニュースをトップで伝えた。ニュース番組、情報番組、ワイドショー等ではかなりの時間を「稀勢の里引退」に割いた。筆者は大相撲をスポーツだと思っていないので、メディアの格別の反応に驚いた。それほどのことなのだろうか。厚労省の統計不正、JOC竹田会長の贈賄疑惑、辺野古をめぐる県民投票・・・政権にとって“不都合な真実”の目くらましかと。

大相撲は伝統芸能、スポーツではない

大相撲がスポーツでないことについては拙Blogで何度も書いた。繰り返せば、大相撲とは、伝統芸能の興行なのだ。だからといって、力士が弱いわけではない。プロレスラーが常人に比して著しく強いのと同様、力士も強い。彼らは稽古に励み、肉体を極限まで強化する。

その実力は稽古場で計られ、各力士のおおよそのレベルが非公式に査定される。角界と呼ばれる大相撲業界の内側で各力士の実力のほどが認識される。本場所、真剣勝負で戦った結果が公式記録だ。白星、黒星。その結果、トップに上り詰めた者が横綱の地位を得る。

この過程はスポーツだが、本場所の公式記録が必ずしも真剣勝負の結果を反映していない、というのが筆者の推測だ。人気が出そうな力士を番付上位にあげる力学が働いているのではないかと。

スター性のある力士が幕内にいなければ、興行としてマイナスだ。近年、ハワイ、モンゴル出身の力士が横綱の地位を占めた結果、興行に悪い影響が出た。そこで、日本人横綱を、と稀勢の里は横綱になった。角界幹部及び全力士が、“稀勢の里は横綱”で合意した。

「奇跡の逆転優勝」を信じるか信じないか

稀勢の里のピークは、横綱としての初の場所となった2017年3月(春)場所。そのときの状況を、Wikipediaで参照してみる。
(横綱・稀勢の里は)初日から12連勝と好調であったが、13日目に日馬富士に寄り倒された際に左肩を負傷。14日目の鶴竜戦は一方的に寄り切られ、この時点1敗で並んでいた照ノ富士に逆転優勝を許してしまう可能性が高まった。
千秋楽、稀勢の里は、その左の二の腕が内出血で大きく黒ずむほどけがが悪化している中で、優勝争い単独トップの照ノ富士との直接対決を迎える。優勝決定戦と合わせて2連勝することが必要な稀勢の里の優勝はほぼ無いと思われたが、本割で左への変化から最後は突き落としで勝利、引き続いての優勝決定戦では、もろ差しを許して土俵際まで押されたが、体を入れ替えての一発逆転の小手投げが決まって勝利し、奇跡的な逆転優勝を決めた。
照ノ富士との勝負はいまでも語り草になっていて、奇跡の逆転優勝として相撲ファンの記憶に残っている。稀勢の里の代名詞でもある。

しかし、筆者は“奇跡の逆転優勝”に疑念を抱いている。稀勢の里のケガは尋常ではなかった。大胸筋の筋断裂という、大ケガだった。大胸筋を痛めれば、まず、腕が上がらなくなる。痛みをこらえて無理にあげたとしても、力が出ない。筋断裂ならば余計だ。それでも稀勢の里は勝った。

この取組は八百長として仕組まれたものではない。おそらく、対戦相手が忖度したのだと思う。相撲界繁栄のため、「優勝」を稀勢の里に譲った、と筆者は考えている。

「奇跡」後に厳しい現実がやってくる

奇跡は、稀勢の里に2度は訪れなかった。周囲の忖度もここまでだった。彼は後遺症に悩まされ、以降、休場が続いた。横綱昇進後の稀勢の里の成績は36勝36敗97休、2017年5月の夏場所から8場所連続で休場。年6場所制となった1983年以降のワースト記録。さらに昨年11月の九州場所で初日から4連敗、今年の初場所で初日から3連敗を喫して、昨年9月の秋場所千秋楽からは8連敗となった。1場所15日制が定着した1949年夏場所以降のワースト記録を更新した。

それでも、2018年秋場所は、10勝5敗で15日間務めあげた場所もあった。だが、筆者はこの場所の成績が怪しいと思っている。このことは後述する。

稀勢の里は「史上最弱」横綱

公式記録が物語るように、稀勢の里は、「史上最弱横綱」と呼ばれて不思議ではない。以下、稀勢の里の横綱昇進後の場所ごとの成績をみておこう。

・2017
春場所=13勝2敗(優勝)、夏場所=6勝5敗4休、名古屋場所=2勝4敗9休、秋場所=全休、九州場所=4勝6敗5休
・2018
初場所=1勝5敗9休、春場所=全休、夏場所=全休、名古屋場所=全休、秋場所=10勝5敗、九州場所0勝5敗10休
・2019
初場所=0勝4敗-引退

なんとも無残な成績だ。ところで、不自然なのが2018年秋場所の10勝5敗ではなかろうか。推測だが、周囲の引退勧告を鎮めるため、角界が時間稼ぎをしたのではないか。勝敗は他の力士の忖度の結果だろう。稀勢の里の復調を待ったのではないか。

「奇跡」は2001年にも起こっている(貴乃花の逆転優勝)

本割で負傷して、決定戦で逆転優勝するという「奇跡の優勝」のパターンは、稀勢の里の場合だけではない。なんと、あの貴乃花も同じような「奇跡の優勝」をはたしていた。そして、その後、低迷して引退するという稀勢の里と似たような進路を辿った。そのときの貴乃花の状況をWikipediaで再現してみよう。
(横綱・貴乃花は2001年)、5月(夏)場所初日から13連勝して完全無敵の強さだった。しかし14日目の武双山戦で土俵際での巻き落としを喰らって、右膝半月板を損傷する大けがを負った。もはや立つことも困難なほどの重傷であり、本来休場するべきところであった。二子山親方ら関係者も休場するよう貴乃花に勧めたが、幕内優勝が掛かっていたため、周囲の休場勧告を振り切り、翌日の千秋楽は無理矢理強行出場した。千秋楽はテーピングをせずに、横綱土俵入りを披露した。しかし本割りの仕切り最中にすら右膝を引き摺るような仕草があり、勝負にならないことは明らかであった。その悲惨な状況に審判部として土俵下に座る九重は仕切りの最中にも「貴乃花、痛かったらやめろ!」と忠告したほどである。予想通り千秋楽結びの一番の武蔵丸戦では、武蔵丸の立合いの変化に全くついて行けず一瞬で勝負がつく様な敗退で武蔵丸と相星となった。
続く優勝決定戦は誰もが武蔵丸の勝利を確信せざるを得なかったが、大方の予想を覆し、武蔵丸を豪快な上手投げで破った。勝利を決めた直後の鬼の形相と奇跡的な優勝に小泉純一郎は表彰式で「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!!おめでとう!!!」と貴乃花を賞賛した。後世相撲史に語り継がれる大一番となった。貴乃花が怪我を押して出場した背景には「休場すれば本割、優勝決定戦と不戦勝で武蔵丸が優勝をさらう史上初の事態になった」という状況があり、この優勝の際のスポーツ新聞の記事で貴乃花は「横綱としてというより、1人の力士としてやろうと思った。ひざがダメになったらという不安?そうなったらそうなったときですから」と言っていた。
この「奇跡の逆転優勝」を境に貴乃花はケガや体調不良に悩まされるようになる。そして、2001年7月(名古屋)場所から2002年7月(名古屋)場所まで休場。次の9月(秋)場所に12勝3敗の成績を残すも、2002年11月(九州)場所を休場、そして2003年の1月(初)場所、4勝3敗1休の成績をもって引退している。

貴乃花と稀勢の里の引退パターンはウリフタツ

貴乃花、稀勢の里、両者の共通点は、①場所中大ケガを追いながら、優勝争いをしていた力士に「奇跡的に勝利」し優勝する、②奇跡の優勝後、休場を続ける、③休場明けの場所でそれなりの成績を残す、④それなりの成績を残したその次の場所から再び休場を繰り返す、⑤休場明けに再度登場した場所で負け続け、引退に至る――という、①~⑤のプロセスが寸分たがわず同一だということだ。場所中のケガ→強行出場→相手の忖度→奇跡の優勝→故障休場→復活→故障休場→再々登場→大負け・引退というパターンだ。

大相撲は興行である

冒頭に筆者の大相撲に係る見解を開陳したとおり、「奇跡の逆転優勝」も角界の管理者、演技者が共同で仕込んだ物語にすぎない。対戦相手同士が阿吽の呼吸で感じ合い、勝負を演じた結果だろう。だからこれを八百長とは呼ばない。

それを「名勝負」として受け止めるナイーブ(うぶ)なファンや愛好家がいる限り、大相撲の「名場面」がこの先、再現され続けられるだろう。そのことは悪いことではない。江戸時代に確立された歌舞伎が今日まで愛され続けられているように、大相撲もこの先、いつまでも愛され続けられることだろう。



2019年1月16日水曜日

森保ジャパンは危険水域に

サッカーW杯ロシア大会(2018)終了後に発足した日本代表(森保ジャパン)が、アジア杯(UAE大会)で苦戦している。予選2試合で勝点6をあげ、早々と決勝トーナメント進出を決めたが、内容が悪すぎる。格下相手の予選リーグ、初戦のトルクメニスタン戦3-2、第2試合オマーン戦1-0と、いずれも辛勝。

とりわけオマーン戦では、主審の誤審でPKを得た1得点のみ。そのうえ、ペナルティーエリア内の長友のハンドをこれまた主審が見逃すという2度の幸運に恵まれ、なんとか勝ちを拾った。ビデオ判定があったら、日本が0-1で負けていた可能性も高かった。

選手は調整不足、監督は力不足、闘争心はゼロ

主審の判定に泣かされることもあるし、その反対もあるから、オマーン戦の結果はいい。それよりもなによりも、アジア杯における日本代表チームの状態が悪すぎる。第一に選手のコンディションの悪さ、第二に闘争心が感じられないこと、第三が指揮官の資質、能力不足の露呈――と、内容は極めて深刻。森保には選手を統率する力がない。モチベーターの役割すら果たしていないようにみえる。試合中の指示が不明確なのがうかがえるし、試合前の戦術の徹底がなされておらず、相手に自軍がなにを武器に、いかに戦うか――が理解されていないまま、選手が試合に入っている感が否めない。

日本国内における親善試合でいい結果を出したものだから、日本のメディアが絶賛した森保ジャパンだが、公式戦では相手が思うようにやらせてくれない。その分、内容の乏しい試合を続けている。具体的には、攻撃面では、選手が個人プレーに走りすぎ、コンビネーションが絶無。2列目の堂安、南野、原口が「個」について誤解している感があり、仲間と確実に得点につながるような有機的アクションの構築が目指されていない。

ロシア大会代表を凌ぐ人材ゼロ

それだけではない。中島が欠場した今大会、魅力的なニュースターも現れていない。まず2018年ロシア大会で活躍した大迫を押しのけるようなCFが出ていない。大迫が欠場したオマーン戦でそのことが証明された。

サイドバック(SB)も低調。右SBの酒井もキレがなく、右サイドからの攻撃の形ができていない。酒井に代わる人材もいない。左SBのベテラン長友が相変わらず豊富な運動量を見せつけているが、彼を追い越す人材が不在なことの逆証明。森保ジャパンにおいて、両SBの人材不足は明らか。SBに関しては、お先真っ暗闇である。中盤の柴崎もプレーメークができていない。スペインリーグで試合には出ていないのだから、彼のポジションを奪う人材が出てこなければいけない。

守備陣では、吉田とコンビを組むCBの人材が発掘できていないまま、大会に来てしまった感がある。さらに深刻なのがGK。権田が連続出場したが、高さ、判断力、キャッチがおぼつかない。トルクメニスタン戦で相手の先制ゴールとなったミドルシュートにほぼ無反応というのはさびしい限り。

このままなら、日本代表のガラパゴス化が進むばかり

森保が決勝トーナメントでこのチーム状態を建て直せなければ、協会は監督更迭のプログラムに着手しなければなるまい。代表監督とは、協会が「育てる」ような職務ではない。日本人だから日本代表監督という論法の誤りは、引退した日本人横綱・稀勢の里の事例が示すとおり。このままなら、日本代表のガラパゴス化がますます進行する。

2019年1月9日水曜日

お次は長野か!読売の不可解プロテクト外し

FAで広島から読売に移籍した丸佳浩外野手の人的補償が長野久義外野手(34)と決まった。先の内海哲也投手(36)に次ぐ連続の驚きだ。まさかまさかである。筆者の予想は左のワンポイント戸根千明投手(26)だったから、これまた大外れ。

相次いだ「ドラフト破り」選手のプロテクト外し

このたびの内海、長野の人的補償による放出には共通点がある。内海は2002年ドラフトでオリックスの指名を受けたが拒否、東京ガスに入社して一浪の末、翌年の自由枠にて読売に入団した。長野は2006年ドラフト(日本ハムからの指名)、2007年ドラフト(千葉ロッテからの指名)を拒否して二浪、2008年ドラフトで読売(の単独指名により)に入団した。つまり、内海、長野の共通点は、2人とも「ドラフト破り」の過去を持っているということだ。このことは、「巨人入り」を熱望して浪人までした選手をあっさりと、プロテクトから外したことを意味する。

読売の「ドラフト破り」は江川卓を初代にして、球界に黒歴史を刻んできた。その江川にはコーチ・監督の声がかからず、内海、長野がFAの人的補償で放出されたとなれば、読売が「ドラフト破り」の黒歴史の清算を図っているとも考えられる。大新聞社を親会社とするプロ野球球団がルール破りの歴史をもつということは、よろしくない。もし読売が過去の清算に乗り出したとするならば、「ドラフト破り」で読売に入団した現「エース」、菅野智之投手もいずれは放出されることになるのだろうか――

もちろん、筆者のこの「推論」は皮肉でありジョーク。読売グループに良心はない。「読売巨人軍」は、常勝軍団、球界の盟主、紳士たれ・・・らしいが、読売新聞の拡販を使命とした、時代遅れのスポーツ媒体にすぎない。

原辰徳(出戻り)監督の決定事項

内海、長野のプロテクト外しの意図はなにか――複数のスポーツコメンテーターがこのテーマに取組んでいて、色々な見解を発表しているが、管見の限り、しっくりしない。いうまでもなく、当事者である読売球団がプロテクトを外した選手名を公表するわけがない。だから真相はわからない。

ただいえるのは、監督に復帰した原辰徳の決定によるということだけだ。原が監督に復帰したと同時に、球団GMを兼ねることが報道されており、そのとおり、前GMの鹿取義隆が読売を去っている。つまり、内海、長野のプロテクト外しを決めたのは原辰徳だということ。

若手投手放出は読売のトラウマ

読売は近年、FAによる人的補償のみならず、トレード等による若手投手放出でミスを重ねている。その代表例が一岡竜司投手(2013年)のプロテクト外しだ。この件は先の拙blogでも書いたし、多くの報道があるので繰り返さない。

一岡に次いでFAの人的補償で他球団に移籍した結果活躍したのが、2017年、山口俊投手(31)の人的補償でDeNAに移籍した平良拳太郎投手(23)だ。平良は読売に在籍した2014~2016年、一軍登板1試合で1敗の成績だったが、DeNA移籍2年目、先発13試合で5勝3敗の実績を残し、2018年にはローテーション入りが確実視されている。

そればかりではない。2016年にトレードで日本ハムに移籍した公文克彦投手(26)も移籍先で活躍している。公文の読売在籍中(2013~2016)の一軍成績は14年に3試合登板、3イニング、16年に12試合登板で、3年間通算、勝利、ホールド等0だったのだが、日本ハムに移籍した途端、2017年には41試合登板、3ホールド、18年には57試合登板、11ホールドの実績を残している。

読売は同球団で実績の上がらなかった若手3投手(一岡、平良、公文)を放出したが、3投手とも移籍先で頭角を現したという次第。これら3事例から、読売には、若手投手の素質を見抜く力がなく、育成もできなかったことがわかる。読売の指導者(とりわけ投手コーチ)の無能ぶりを如実に示している。

原辰徳の編成能力に疑問

読売が内海、長野のベテランをプロテクトから外した一方で、中島宏之野手(36)及び岩隈久志投手(37)を獲得したことが話題になっている。中島は米国球団経験者だが、MLBに昇格していない。岩隈はMLBで実績を残したが、故障でほぼ2シーズン登板していない。つまり、内海、長野の放出が即ち若返りには通じていない。さらに不可解なのが、中井大介内野手(29)、廖任磊投手(25)を自由契約に、橋本到外野手(28)を金銭で楽天にトレードしたこと。中井はDeNA、廖は西武が獲得した。
(※なお、辻東倫内野手(24)が引退しているが、その理由は不明。致命的な故障があったのかもしれないので例外とする。)

2019シーズン、中井、廖、橋本が活躍し、中島、岩隈がダメだったら、原辰徳の編成能力が疑われて当然だろう。

優勝すれば、すべて忘れ去られる

丸、炭谷、中島、岩隈が仮に2019シーズン、鳴かず飛ばずであったとしても、他の選手の活躍で読売が優勝すれば、“原辰徳の編成能力がどうの、育成方法がどうの・・・”という批判は忘れ去られる。他球団に移籍した内海、長野、中井、廖がそれなりに活躍しようが、大した話題にはなるまい。それが「巨人」中心でまわり続ける、日本のプロ野球界の実態であり、スポーツメディアのスタンスなのだ。

Jackがきた

UK音楽界(Team Buggドラマーなど)で活躍中のJack Athertonが遊びに来てくれた。

日本人ミュージシャンとのコラボを模索中で、今年6月ごろまでの長期滞在だという。

彼は大の日本通で、滞在中、歌舞伎、神社、日本の城などを見学しているほか、神道、武士道に強い興味を示している。



2019年1月1日火曜日

Happy New Year 2019

あけましておめでとうございます。

元号の平成が終わる年。

次の年号はわからないが、筆者は昭和、平成、そして✖✖と、天皇三代の時代を生きる気配が濃厚だ。

今年の見通しは暗いものばかり。その元凶は現政権にある。

打倒「安倍内閣」が実現してほしい。