2006年3月21日火曜日

『スペイン巡礼史』

●関哲行〔著〕 ●講談社現代新書 ●740円(+税)

FI2412301_0E.jpgスペイン巡礼といえば、その終着点はサンティアゴ・デ・コンポステーラ。中世(9世紀)、この地に聖ヤコブの遺骨が「発見」され、キリスト教の聖地の1つとなったといわれている。

私は2003年の夏、フランスのパリからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで、巡礼路に沿ってロマネスク美術(教会・聖堂等)を見るバスツアーに参加した。そんなこともあって、本書を購入した次第。

そのときの私のツアー参加の目的は、後述するが、ロマネスク美術におけるケルトの影響の「確認」が主眼だった。そのため、巡礼の知識を準備しなかった。もし、本書がそのとき手元にあったならば、私のツアー参加はもっと深みのあるものになったに違いない。本書はサンティアゴ巡礼の解説書として最も的確な書の1つだといって過言でない。

本書は、サンティアゴ巡礼に係る歴史的、政治的、経済的、宗教的、社会的な分析だ。そのすべてが興味深いのだが、私を含む人々の最大の関心は、サンティアゴ・デ・コンポステーラがなぜ、聖地となったのかということではないか。

サンティアゴとは聖ヤコブのこと。ヤコブはキリストの使徒の一人だ。彼らが活躍した地はオリエントだから、ヤコブの遺骨がスペイン北西で「発見」されたというのは、いくらなんでも無理がある――というのがわれわれ日本人の感覚だ。(日本にも、「義経=ジンギスカン説」というのがあるから、スペインのことを笑えないけれど)

さて、スペインは、古代地中海世界からも、中世西欧世界からも辺境に位置する。とりわけ、聖ヤコブの遺骨が「発見」された9世紀のスペインは、その領土のほとんどをイスラム勢力に制圧されていた。北部に封じ込まれたキリスト教圏においては、聖ヤコブの遺骨が「発見」されなければならない政治的条件が存在した。レコンキスタ(国土回復)における対イスラム戦争の英雄として、聖ヤコブがクローズアップされたりした。キリスト教の聖地がキリスト教圏のスペインになければならなかったのだ。

私は聖地の政治的側面にあまり興味がない。サンティアゴ・デ・コンポステーラが聖地となるには、政治的解析だけでは説明しきれないと思うからだ。本書はそのあたりを、シンクレティシズムによって説明する。シンクレティシズムとは習合という意味だ。新しい宗教を布教するためには、もともとあった宗教の神話、教義、神像、秘蹟等を借用する場合がある。日本の中世には、神仏習合が進んだ。

本書によると、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラは、スペインに先住したケルト民族が信仰していた原始宗教の聖地に由来するという。サンティアゴ・デ・コンポステーラはスペインのガリシア地方に位置し、ガリシアはいまなお、スパニッシュ・ケルトの文化的遺産が息づくところ。ドルメン等のケルトの原始宗教の遺跡等が残っているという。

ケルト信仰と習合した異端キリスト教布教運動は、4世紀、アビラ司教・ビレスキリアーヌスによって担われた。ビレスキリアーヌスは、キリスト教と、この地方に伝わるケルトの自然宗教を習合させ、多くの信者を獲得した。ところが、ローマ皇帝によって、異端キリスト教を布教したかどで、4世紀末に処刑されてしまう。しかし、以降、彼は当地の民衆から聖者として信仰の対象となった。サンティアゴ・デ・コンポステーラは、ビレスキリアーヌスの墓所でもあるという。

私がヨーロッパ先住民であるケルト民族とロマネスク美術の関係に関心があったことは冒頭に記したとおりであり、私がロマネスク美術のツアーに参加した理由も、ロマネスク美術におけるケルトの影響を「確認」することだった。本書には(私の最大の関心である)ケルト民族と聖地サンティアゴの関係はほんの数ページしか触れられていないけれど、それでも教えられるところが多い。

そればかりではない。本書には中世における巡礼(者)の実態、巡礼と都市学、施療院の役割など興味深い記述に溢れている。サンティアゴ巡礼を総合的に知るには、本書が必読の解説書の1つであることは間違いないところ。是非の一読をお奨めする。