2014年2月18日火曜日

擬制は終焉せず

吉本隆明が『擬制の終焉』(1960年)を著してからはや、半世紀以上が過ぎた2014年2月9日。この日は、戦後「民主主義」を支えた旧左翼の裏切りがまたしても白日のもとにさらされた、記念すべき日であった。ほかでもない、前知事・猪瀬直樹の辞任に伴う東京都知事選投票日。主な都知事選立候補者は、舛添要一(当選)、細川護煕、宇都宮健児、田母神俊雄であった。

繰り返された旧左翼の裏切り

前出の『擬制の終焉』の擬制とは、共産党・(当時)社会党を併せた旧左翼が安保闘争に結集した広範な人民のエネルギーを結集できず、闘争を敗北に導いた指導責任を厳しく批判した総括的言語にほかならない。敗戦(1945年)後、日本に浸透した「民主主義」は60年安保条約改定を契機として危機に晒された。日米安保条約改定をめぐって、日本の世論はそれこそ二分された。進歩的市民・学生・労働者に代表される反戦平和勢力は、共産党・社会党を支持し、対米従属を維持したい保守勢力は自民党を支持した。

当時、共産党・社会党は、日本の「民主主義」(反戦・平和)を唱える良心的指導政党だと広く大衆に信じられていた。たとえば、総評と呼ばれた労働者の全国組織は、社会党支持で一枚岩だった。また、正統的左翼(前衛)としての共産党は反戦平和市民組織、知識人、芸術家、未組織労働者、学生組織等から幅広く支持されていた。しかしその当時、正統的とされた旧左翼の欺瞞性をいちはやく見抜いていた戦闘的学生集団がブント(共産主義者同盟)を結成し、国会突入という武装闘争を行った。しかし、安保条約改定阻止は果たされず、日本の反体制運動は以降沈静化した。以上が60年安保闘争の概要である。

2014年東京都知事選挙は、60年安保闘争に匹敵する歴史的選択を都民が行う政治決戦であった。そのテーマとは言うまでもなく、原子力発電の継続か否かであり、首都東京の民意を問うものであった。60年安保闘争が日本の反戦平和主義の貫徹による民族自決か、それとも、対米追従に基づく米国の属国化(占領体制)の継続かを問う民族主義的(ナショナルリズム)選択であったのに対し、2014年の都知事選挙は原発の是非、換言すれば、国家、国土、国民の存亡を問う――重いテーマであった。だが、半世紀前と同様、日本の「前衛」が大衆の高揚した反原発の意志を裏切った。

「反原発」勢力が分裂

このたびの選挙はかつてないほど重いテーマを背負いながら、人々は白けた気分で投票日を迎えた。原発の是非を問うという命題は「決戦」を意味する。決戦とは“白か黒か”“東か西か”を問う性質のもの。中間は存在し得ない。しかるに、日本の「前衛(共産党・社民党)」は、この決戦を反原発勢力のヘゲモニー争いにすり替えた。原発推進派が舛添要一に候補者を一本化し、連合(労働組合)をも支持母体に組み入れることに成功した一方、反原発側は宇都宮健児と細川護熙の2人の候補者を立ててしまった。

宇都宮・細川の両者の立候補の経緯を大雑把に振り返ると、まず、反原発勢力の一角である共産、社民が宇都宮健児を候補者として公認する。一方の推進派はその時点で正式な候補者を出さず、「マスゾエ」という名前がマスコミにチラホラ報道されるような状況だった。おそらく、推進派は桝添要一で決まっていたのだろうが、正式立候補は表明されていなかった。決戦であるならば、[推進派=桝添]VS[反原発=宇都宮]ですっきりするのだが、[反原発=宇都宮]では桝添に勝てない、宇都宮では“タマ”が悪すぎる、という雰囲気が漲ってきたところで、小泉・細川の元首相連合が反原発候補として登場する。立候補届出締切日ギリギリであった。細川ならば桝添に勝てる、という雰囲気が反原発勢力内部に盛り上がってきた。そこで候補者の調整が進められるであろうと、だれもが思った。

ところが、共産、社民は立候補者の調整に応じず、宇都宮、細川という二人の候補者が反原発勢力側から立候補することが正式に決まってしまった。ここで「決戦」は「不戦」に変わった。原発の是非を問う決戦選挙は成立せず、開票前から桝添当選が決まったような状況となって、決戦ムードは沈静化し、投票を待たずに推進派勝利が決まったも同様であった。

共産、社民は、反戦・平和・護憲という「老舗の暖簾」を守る選挙に転換

共産、社民はなぜ、候補者統一の調整に応じなかったのか。かりに宇都宮を下して、反原発のリーダーが小泉・細川にシフトしてしまったら、共産、社民はその存在意義を完全に失ってしまうからである。共産、社民にとって重要なのは、都知事選に勝って、「ストップ・ザ、安倍」を実現することよりも、日本の反戦平和(反原発を含む)勢力の「老舗の暖簾」を守ることだった。彼らは、小泉・細川を攻撃し、宇都宮が桝添に次ぐ投票数を獲得することに腐心した。つまり2位狙いである。そして、その結果として、以下の結果を招いた。

[2014年東京都知事選挙結果、主要4候補者の得票数]
  •  舛添要一   211万2千票
  •  宇都宮健児  98万2千票
  •  細川護熙    95万6千票
  •  田母神俊雄  61万8千票
 
共産、社民は都知事選には敗れたが、彼らが最初から目標とした、「左翼の暖簾」を守りとおした。共産、社民は依然として、日本の反戦・平和・脱原発勢力のリーダーの地位を安泰としたのである。もちろん、その結果、桝添が当選し、原発推進派が勝利した。これこそ擬制そのものではないか。60年安保闘争以来半世紀以上を経過しながら、日本の前衛の「老舗」である共産、社民の地位は安泰であるのだが、世直しはいっこうに進まない。

共産、社民とは、まさに体制の補完物にすぎない。大衆の原初的世直しの革命的エネルギーを踏みにじり、正統派「左翼」の地位を体制内に維持することだけに腐心する補完物。彼らは60年安保闘争のときと同じように、「革命」の擬態を身に着けたまま、彼らの本質を曝け出した。擬制は終焉していない。誤りは繰り返されたのである。
 
「68年革命」後のポストモダン資本主義の象徴=小泉・細川
 
歴史は繰り返したのか――否。歴史は螺旋状に上向した。60年当時、体制に向かって、旧左翼、新左翼(ブント→革共同)と左から順に配置されていた政治集団は、2014年においては体制に対して、旧左翼と新自由主義が並立していた。かつて存在した新左翼の席は空席だった。このことは何を意味するのか。
 
この問いはかなり難しい。即答は困難だが、ただ言えるのは、『ポストモダンの共産主義』(スラヴォイ・ジジェク[著])の次の一節が回答の一部をなしているのではないかと筆者は感じている。 
 
(ポストモダン資本主義への)イデオロギーの移行は、1960年代の反乱(68年パリの5月革命からドイツの学生運動、アメリカのヒッピーに至るまで)の反動として起きた。60年代の抗議運動は、資本主義に対して、お決まりの社会・経済的搾取批判に新たな文明的な批判をつけ加えていた。日常生活における疎外、消費の商業化、「仮面をかぶって生きる」ことを強いられ、性的その他の抑圧にさらされた大衆社会のいかがわしさ、などだ。
資本主義の新たな精神は、こうした1968年の平等主義かつ反ヒエラルキー的な文言を昂然と復活させ、法人資本主義と〈現実に存在する社会主義〉の両者に共通する抑圧的な社会組織というものに対して、勝利をおさめるリバタリアンの反乱として出現した。この新たな自由至上主義精神の典型例は、マイクロソフト社のビル・ゲイツやベン&ジュリー・アイスクリームの創業者たちといった、くだけた服装の「クール」な資本家に見ることができる。・・・(略)・・・1960年代の性の解放を生き延びたものは、寛容な快楽主義だった。それは超自我の庇護のもとに成り立つ支配的なイデオロギーにたやすく組み込まれていった。・・・(略)・・・今日の「非抑圧的」な快楽主義…の超自我性は、許された享楽がいかんせん義務的な享楽に転ずることにある。こうした純粋に自閉的な享楽(ドラッグその他の恍惚感をもたらす手立てによる)への欲求は、まさしく政治的な瞬間に生じた。すなわち、1968年の解放を目指した一連の動きの潜在力が、枯渇したときだ。
この1970年代半ばの時期に、残された唯一の道は、直接的で粗暴な「行為への移行」――〈現実界〉へおしやられることだった。・・・(そして、)おもに3つの形態がとられた。まず、過激な形での性的な享楽の探求、それから、左派の政治的テロリズム(ドイツ赤軍派、イタリアの赤い旅団など)。大衆が資本主義のイデオロギーの泥沼にどっぷりつかった時代には、もはや権威あるイデオロギー批判も有効ではなく、生の〈現実界〉の直接的暴力、つまり、「直接行動」に訴えるよりほかに大衆を目覚めさせる手段はないと考え、そこに賭けた。そして、最後に、精神的経験の〈現実界〉への志向(東洋の神秘主義)。これら三つに共通していたのは、直接〈現実界〉に触れる具体的な社会・政治的企てからの逃避だった。 
60年安保闘争から「68年革命」(日本で言うところの新左翼「全共闘運動」)を経た今日、日本の首都東京に現れた旧左翼に並走して登場した反対勢力の象徴は、新自由主義者の元首相・小泉純一郎と、政権奪取前後から、規制緩和を前面に打ち出した(当時)日本新党の党首にして元首相・細川護煕だった。二人はいうまでもなく、ネオリベラリストであり、シジェクが言うリバタリアンにほかならない。彼らはポストモダン資本主義の象徴そのものとして、都知事選に登場したのである。細川はさらに「陶芸家」という“東洋の神秘主義”をまとった政治家として再現したのである。そして、小泉も細川も、「68年革命」の経験者(いま60代半ばの世代)の嗜好である「自由」を体現した、まさにぴったりの、かつ、“直接〈現実界〉に触れる具体的な社会・政治的企てからの逃避”を好む者の象徴的存在にほかならなかった。
 
首都原発決戦に「細川・小泉」が飛び出してきたのは偶然でもなければ、体制側の深謀遠慮でもない。出るべくして出てきたのである。それは、「68年革命」経験者がいまだに、“具体的な社会、政治的企てから逃避し続けている”ことの帰結である。

だから、ニュートラルな良識的反原発派は予め、この選挙に距離をおいた。2014年東京都知事選は、反原発勢力が二分化した時点で、というよりも、共産、社民が早くに宇都宮を都知事候補とした時点で、終わっていたことを悟っていたからである。その帰結として、低い投票率がある。「決戦」を永遠に持ち越そうとする旧左翼の戦術に翻弄されたまま、大衆の素朴な反原発意識は封じ込まれたことを悟ったからである。だが、それでも、焦燥感を滲ませながら「細川」に賭けた人々もいた。彼らは、おそらくその多くが「68年革命」経験者だったに違いない。その結果、60年安保闘争、「68年革命」、に次ぐ三度目の敗北を経験したに違いない。性懲りもなく悪夢を三度繰り返して見たに違いない。
 
労働者とは産業の進歩に自らの希望を見出す存在
 
この選挙でもう一つ注視しなければならないのは、連合(労働組合)の桝添支持ではないか。連合を構成する大型組合組織の一つに全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)があり、同組合は3.11以降も原子力推進を公言してはばからない。連合加盟の大手組合は、労使一体、エネルギーは原子力で一致しているから、連合が桝添支持にまわるのは必然だった。
 
そのことは21世紀の日本特有の話ではない。以下、『生態平和とアナーキ―』(ウルリヒ・リンゼ[著])からの引用である。リンゼはワイマル時代のドイツの労働者の意識について次のように評している。 
プロレタリアの雑誌に発表されたオーストリアのシュトゥーバハ発電所(注)についての考察を見ると、この発電所は「現代の労働の、そして現代の人間精神の創造のみごとな作品」であるとほめそやしていることがわかる。プロレタリアは、電気――あらゆる自然力のうちの最強のもの――を、社会主義に道を開くブルジョア社会の爆破薬と見なしていた。すなわち、教養ブルジョア階級の文明批判が主張した反産業的で工業技術を敵視する反近代主義は、労働運動の中では受け入れられる見込みがなかった。
(労働者にとっては、)大規模な工業技術による自然力の利用は、まだ矛盾なく自然保護と調和させることができると思われていた。・・・歴史上の社会主義労働運動は、一方でこの自然開発の持つ自然破壊的な影響には辛抱強く目をつぶっていたのだが、それは・・・この運動が労働者の中に工業技術による自然の統治者を見、そしてこの工業技術がいつか生産の進歩を通じて労働者自身の宿命をも耐え得るものにすることができると考えられていたからである。
ワイマル共和国の政治を中心的に担ったドイツ社民党が指導する労働者が、当時最新の技術で稼働したシュトゥーバハ発電所に労働者の未来を見た如く、2014年、日本の連合に領導された電力総連は、“あらゆる自然力のうちの最強のもの”すなわち原子力発電を日本の労働者の未来を約束する工業技術の進歩だと錯誤して不思議はない。3.11があって福島第一原発事故が収束の見通しのつかないいまに至っても、日本の労働組合にとって原発は、“労働者自身の宿命をも耐え得るものにすることができる”ものと考えられている。
 
だから、反原発と労働組合運動に交点はない。20世紀初頭のドイツ(ワイマル共和国)に見られたとおり、進歩は労働者の希望であり、“原発という最先端(だという錯誤にすぎないのだが)技術”を労働組合が否定することは難しい。
 
なにをなすべきか

決戦はこの先、いずれやってくる。安倍政権が戦後日本の国是であった反戦・平和・護憲主義を否定し、臨戦体制を構築しようと突っ走る中、国を二分する政治課題が近いうちにわれわれの頭に降りかかる。おそらくそれは、火の粉のようにやっかいなものとしてだろうが。だからそのとき、体制内補完物として正統左翼の暖簾を守ろうとする旧左翼を封じ込めるような戦線の統一が望まれる。「68年革命」の幻影を追うことなく、大衆・生活者の生活感に沿う運動を構築することが求められる。
 
2014年都知事選敗北の総括・反省として肝に銘じなければならないのは、体制側と旧左翼の候補者に対して、ネオリベラリスト・リバタリアンを候補者として担がなければならなかった不条理ではなかったか。その不条理を乗り越える政治的テーマは、旧左翼に対する「新左翼」というアンチテーゼではない。それは「68年」に終わったことではないか。
 
だから新たな結集の環は、なにをなすべきかというよりも、なにをだれに委ねるか、と言い換えられなければならない。もちろんだれにゆだねるのかと言えば、若い世代に、である。彼らは無意識のうちに「68年革命」が生んだポストモダン資本主義の象徴である新自由主義者を否定するだろう。彼らは、安倍政権(コーポラティズム資本主義)、細川・小泉(ポストモダン資本主義=ネオリベラリスト、リバタリアン)、旧左翼(共産、社民)を超える新たな指導者(像)を見いだすはずである。それがだれであるか、また闘争のテーマがどんな形で現われるかは、まだ具合的に言えないが。(2.17.2014)

注:シュトゥーバハ発電所は水力発電所であって、原子力発電所ではない。
 

2014年2月12日水曜日

嘘に嘘を重ねる「詫状」――佐村河内ゴーストライター事件

「佐村河内ゴーストライター事件」に進展があった。佐村河内本人がメディア各社に宛てて「詫状」をFAXを送りつけたようだ。同書状のポイントは、以下の通り。
  1. 佐村河内は自伝で「35歳のとき、私は全聾になった」とし、2002年に手帳の交付を受けたことを明らかにしているが、3年くらい前から言葉が聞き取れる時もあるまで聴力が回復してきたと主張していること
  2. 新垣が6日の記者会見で「初めて会った時(18年前)から 耳が聞こえないと感じたことはない」と証言したが、新垣の告発は誤りである――新垣が嘘をついていると主張していること
  3. 取得していた聴覚障害2級の身体障害者手帳について「専門家の検査を受けていい」とし、2級でないと判定されれば手帳は返納するとの意思を示したこと
この「詫状」の記述を真実だと受け止める者は、ごく少数にとどまるだろう。多くの人々は、「あれあれ、この期に及んで、まだ佐村河内は、嘘に嘘を重ねるのか」とあきれたに違いない。

雑誌「AERA」の「耳が聞こえる」記事に怯えたのか

佐村河内が「3年前に聴力は回復していた」と言い出したのは、おそらく雑誌「AERA」が「佐村河内の耳は聞こえていた」ことを記事にしたからではないか。10日発売の「AERA」によると、「本誌が見抜いた佐村河内の嘘(うそ)」と題して、昨年6月に行ったインタビューの掲載を見送った経緯を紹介している。同誌によると、横浜市内にある同氏の自宅マンションで取材を行った際、疑わしい振る舞いがいくつかあったという。彼は交響曲「HIROSHIMA」に込めた思いや、幼少期のエピソード、作曲方法などについて冗舌に語ったが、手話通訳の動きが終わる前に話し始めたことが何度かあったという。さらに取材終了後、帰りのタクシーが到着してインターホンが鳴ると、即座に立ち上がって「来ましたよ」と言ったという。 同誌は、取材後に話を聞いた複数の関係者が、作曲能力や聴覚障害について疑問を投げかけていることなどから、インタビュー記事の掲載を見送ったらしい。

雑誌が気づき、NHK(TV)が気づかない不思議

ところで、“佐村河内ブーム”に火をつけたといわれているのが、2013年3月31日、NHKが放送した「NHKスペシャル 魂の旋律 〜音を失った作曲家〜」。同番組の企画は2012年ごろ、フリーのテレビディレクターによりNHKへ持ち込まれたという。筆者は同番組を見ていないので、Wikipediaからの引用によると、番組内容は以下のとおりだったらしい。

番組中では作品の構想が浮かばず苦悩する佐村河内の姿や障害者や東北大震災の被災者と佐村河内の交流などが描かれ、薬の飲み過ぎで立つことすらできずに床を這いまわるシーン、あるいは東日本大震災の被災者名簿を見たあと深夜の公園で一人苦悩し風速10m、零下2℃の海辺に6時間佇み、さらに2日間全く寝ずに闇の中からやっとつかみ取った旋律が「ピアノのためのレクイエム」になったなどと紹介されたという。

佐村河内がこのたびの「詫状」において、「3年前は耳が聞こえていた」というから、NHKの取材のとき、彼は聴覚障害者のふりをしていたことになるのだが、これも不思議な話。前出の雑誌「AERA」は昨年6月の取材の過程で佐村河内の聴覚障害の演技を見破っていた。一方のNHKの密着取材ドキュメンタリーの取材過程では、佐村河内の聴覚障害の演技を見破れなかったということになる。

当のNHKは、2月5日のニュース番組中で「取材や制作の過程で、本人が作曲していないことに気づくことができませんでした」と謝罪したというのだが、NHKの「謝罪」も怪しい。同一の対象を取材しながら、雑誌が見破れて、公共TV放送が見破れない、というのは合理性に欠ける。対象と接した時間は、TV取材=NHKのほうが、雑誌取材=AERAより長かったのではないか。NHKが嘘をついている――佐村河内は聴覚障害者ではないと知りながら、「音を失った作曲家」に仕立て上げた――可能性が高い。NHKの罪は重い。
 
「詫状」の狙いは何か
 
なぜ佐村河内はいまになって、深夜、「詫状」FAXをメディア業界にばらまいたのか。巷間言われているのは、“五輪報道でメディアが手一杯の時間帯を狙った”というもの。その可能性がないとは言えないが、この手の報道は一刻一秒を争うものではないので、“五輪説”は疑わしい。FAXの送付のタイミングに格別意味はないのではないか。

この「詫状」の狙いは何かと言えば、ずばり、刑事による立件の回避だろう。(聴覚障害の虚偽の申立てによる)障害者手帳不正取得は前の当コラムに書いたように、身体障害者福祉法違反の罪に問われ、六月以下の懲役または20万円以下の罰金が科される。立件されれば、当然、逮捕、拘留だ。起訴かどうか微妙なところだが、社会的影響を考えれば、起訴され、裁判で実刑判決が下される可能性もある。これも先述したが、ホリエモンが、罪状は異なるが、初犯で実刑判決を受け収監されたことを考えれば、佐村河内が塀の中に入ることも大いにあり得る。佐村河内はこの可能性をもっとも恐れたのではないか。だから、そうならないよう、手帳の返納を申し出たのではないか。願わくば、「お詫び」ですべて済まそうという魂胆が見え見えだ。

2014年2月9日日曜日

2014年2月8日土曜日

「佐村河内ゴーストライター事件」の深い闇

佐村河内守のゴーストライターとして名乗り出た新垣の会見内容は、筆者の直感にすぎないが、大筋で正しいのではないかと思う。だが、新垣はこの事件の発端にして核心部分について明言していない。また記者会見の席上、それについて質問した者は不在だったようだ。

ネットに記載された新垣の会見詳報によると、新垣が佐村河内に出会ったきっかけについての質問に、新垣は次のように回答している。

--佐村河内さんとの出会いのきっかけは

新垣:「彼(佐村河内氏)とは知人を介して紹介されてお会いしました。彼が映画の音楽を担当することになり、彼が必要とした『オーケストラのための音楽をできる人を探してほしい』という相談を受け、私のところに連絡が来ました。最初の出会いはそのようなものです」

会見詳報においては、新垣と佐村河内の出会いに係る質疑はそこで終わり、次の話題に移っているのだが、気の利いた人ならばここに当事件の核心が内在していることに気がつくはずだ。佐村河内と新垣を引き合わせた人物の存在にほかならない。文春の記事によれば、知人から依頼を受けたのは、新垣がようやく桐朋学園大学非常勤講師の職を手に入れた1996年のことだという。

新垣がいわゆる「知人」と称した人物――その「知人」は新垣を知り、かつ、佐村河内から彼の要望について相談されるほど、佐村河内に通じている者であろう。音大の講師を務める新垣の「知人」――しかも“オーケストラのための音楽ができる人”を探せる人物――なのだから、音楽業界者、音楽関係者である確率が極めて高い。結論を急げば、その「知人」が「現代のベートーベン・佐村河内守」を企画立案した者となるが、それは早急すぎる。企画立案者はほかにいて、「知人」は作曲ができる人間を探すことを託されたに過ぎないかもしれないし、そちらのほうが現実的だ。
 
筆者の推測は以下のとおりとなる――
 
企画立案者=Xは、健常者であるが音楽にはまったくの素人である佐村河内の容貌等から彼を「現代のベートーベン」に仕立て上げることを思いつく。まず、Xは佐村河内を聴覚障害者に仕立て上げるため、彼に身障者手帳を入手させる。聴覚障害者になりすますことは極めて容易だという。聴覚障害は自己申告が基本だからだ。
 
次にXは、佐村河内が音楽活動をしている実態を捏造する。このあたりでXが新垣以外の代作者を使った可能性もある(が、それを実証する時間はいまの筆者にはない)。聴覚障害者である佐村河内の音楽活動が音楽業界に及ぶようになってくるに従い、会見にあったように「オーケストラのための音楽を」という仕事の依頼が佐村河内にくるようになり、そこでXは、先の「知人」に依頼して新垣と佐村河内を引き合わせ、佐村河内に新垣が代作を引き受けてくれるよう説得させる。佐村河内の依頼を受けて代作を納品した新垣は、佐村河内の信任を得、以降、関係を続けるようになる・・・といった具合だ。
 
だから、「知人」を探し出して、「知人」から芋づる式に佐村河内の人脈を探りだせば、本件の全貌は明らかになる。もちろん、佐村河内に新垣を引き合わせた動機を詳しく聞き出せば、Xの存在もしくは非存在を含め、本件の核心が明らかになる。「知人」は佐村河内のこともよく知る人物であろうから、彼が聴覚障害者であるのかそうでないかも証言してくれるだろう。新垣そして「知人」が“佐村河内は聴覚障害者でない”と証言すれば、佐村河内は身障者手帳の不正取得で法の裁きを受けることになる。もちろん佐村河内の周辺の者、たとえば、彼と近い距離にいる家族が真実を話せば、ことの本質はもっと早く明らかになる。もっと手っ取り早いのは、佐村河内自身がすべてを話すことだが、いまの状況では難しかろう。佐村河内が法を犯した可能性が高いばかりか、民事で追い込まれることはまず間違いないからだ。
 
繰り返すが、筆者は佐村河内が単独で今回の事件を引き起こしたとは思っていない。本件を佐村河内と新垣の両者のみの関係に還元してしまえば、今回のペテンの全貌は闇に葬られる。このペテンを企画立案し実行した仕掛人=Xが必ずいるはずだ。
 
その者=Xは――
  1. 無名の佐村河内をどこからか見つけ出し、
  2. 彼を聴覚障害者に仕立て上げ(身障者手帳を入手させ)、
  3. 無名の音楽講師・新垣を引きずり込み音楽をつくらせ、
  4. 佐村河内に聴覚障害の演技を仕込み「現代のベートーベン」と偶像化し、
  5. 「聴覚障害の音楽家」という物語を餌に、NHKを筆頭とした間抜けなメディアを味方につけ、
  6. メディアに無料で広告宣伝(パブリシティー)をさせ、
  7. 善意の大衆の同情を買い、
  8. CD販売やコンサート興行で大衆から金銭を巻き上げ、
  9. 大儲けをした
――のだ。

そればかりではない。Xは、佐村河内が被爆二世であるという生い立ちを利用し「被曝」を商品化(『交響曲第1番《HIROSHIMA》』)し、東日本大震災被災者をも騙し(東日本大震災の被災者へ向けたピアノ曲「レクイエム」)、大儲けをしたのだ。

佐村河内の罪も重いが、仕掛人(がいるとしたらその者=X)の罪も変わらないくらい重い。法の裁きを受けてほしい。

2014年2月7日金曜日

佐村河内守は詐欺罪、身体障害者福祉法違反だ

聴力を失った作曲家として知られ、「現代のベートーベン」とも呼ばれる佐村河内守の楽曲が、実は別の人物が作曲したものだったことが明らかになった。この件を便宜上「佐村河内ゴーストライター事件」と称しておこう。それを受けて、当のゴーストライター(桐朋学園大非常勤講師・新垣隆)が会見を開き、これまでの佐村河内との関係を明らかにした。

佐村河内の聴力は健常者と変わらない

会見で新垣は概ね以下のことがらを告発した。

  • 佐村河内はこれまで聴力を失いながらも全ての曲を自身が作曲したとしてきたが、18年前から佐村河内が新垣に楽曲の構成やイメージを伝え、実際の作曲は、新垣が行っていたこと
  • 佐村河内は聴力障害者だとされてきたが新垣は、彼の聴力は健常者と変わらないこと
  • 新垣は代作の報酬としていくばくかの金銭を佐村河内から受け取っていたこと
佐村河内の代表曲というのは、広島の被爆者への鎮魂の曲「交響曲第一番 HIROSHIMA」や、ソチオリンピックで男子フィギュアスケートの高橋大輔選手が競技に使用する予定の楽曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」などがあるというが、この手の楽曲にまるで興味のない筆者はこれらの曲を聴いたことがない。そもそも佐村河内の存在すら知らなかった。たとえ知っていたとしても筆者はこの手の楽曲を評価する力量がないから、佐村河内の音楽家としての実力を云々することはできなかっただろうが。

身障者手帳不正取得は身体障害者福祉法違反の罪

佐村河内側は代理人(弁護士)をたて、すでにゴーストライターの存在を認めており、佐村河内が実際に作曲をしていないことを認め、謝罪をしている。ところが、新垣の会見を受けた佐村河内の代理人(弁護士)は、「(代理人自身が)佐村河内の身体障害者手帳を実際に見ている」と反論したというが、佐村河内の体調不良を理由として、本人が会見を開く予定はないとしている。

筆者が興味をもったのは、佐村河内が身障者手帳を取得し、自らを聴覚障害者としていたことだ。佐村河内の聴力については手帳をもっているという客観的事実からいえば、いまの段階では佐村河内のほうが正しいのだが、彼と接触していた新垣が健常者と変わらないと証言している以上、佐村河内が不正に手帳を取得した可能性の方が高い。なぜならば、新垣が会見で嘘を言う理由がないからだ。新垣は自分がゴーストライターであることを認め、真実を明らかにしようとして公の場に登壇した。そこで重ねて虚偽の発言をする理由が見つからない。新垣が佐村河内と接触したままを偽りなく会見の場で明らかにした、と考えたほうが自然だろう。

よって筆者は、佐村河内が不正に手帳を取得したもの推測する。手帳の不正取得は、身体障害者福祉法違反の罪に問われ、六月以下の懲役または20万円以下の罰金が科される。佐村河内の代理人は、佐村河内が手帳をもっているかどうかではなく、彼が聴覚障害者なのかそうでないのかを、明らかにすべきではないか。

TVに出演したヤメ検弁護士さんによると、佐村河内が問われる罪は、刑事における詐欺罪、民事における諸々の損害賠償責任であるという。さらに、身障者手帳の不正取得による身体障害者福祉法違反も問われるべきだろう。

ハンディキャップを装うことの大罪

さはさりながら、なんと醜い事件だろうか。被爆二世、聴力障害というハンディキャップを装い、それを売り物にしたペテン師・佐村河内守――実際は、自身が作曲する能力を持たないうえに、聴力障害を装って身障者手帳を不正取得した疑いすらある。この事件はうやむやにすべきではない。あのホリエモンが塀の中に収監されたのだから、佐村河内も自身の犯した罪を悔い改めるまで、きちんと勤めを果たしてほしいものだ。

家族はなぜ、不正を糺さなかったのか

次なる疑問は、佐村河内のペテンを周囲が見抜けなかったのかどうか――まず家族の存在。彼の最も身近にいる家族が佐村河内の不正を糺すべきではなかったか。

第二に彼が所属するプロダクション及び音楽業界関係者。佐村河内が聴力障害なのかどうか、音楽家としての実力はどうなのか。告発者によると、ピアノの技術は初心者レベル、楽譜も書けない者を「現代のベートーベン」と崇めた(というか売り出そうと考えた)のは、所属するプロダクションとレコード会社ではなかったのか。

第三にマスメディア業界。NHKTVは佐村河内の特集番組を制作・放映したという(筆者はその番組を見ていないのだが)。取材した担当ディレクターが佐村河内の音楽的力量及び聴覚障害の程度について、疑問を感じなかったのか。NHKは、取材対象を把握せず、はなから「現代のベートーベン」という物語をつくりたいと考え、思い通りの絵がとれたことをもって自己満足したのではないか。NHKは対象の実相についての検証を怠り、製作側の先入観を満たした映像を垂れ流したのではないか。TV業界に限らず、日本のメディア業者はレッテルを貼ることに熱心で、対象の実相に迫ることを怠る場合が多い。この件も、芸能プロ、音楽業界及びメディア業界が共作した偽装事件である可能性が高い。

本件は犯罪としての立件が望ましい

この事件が明らかになってもなお、「良ければだれがつくろうと関係ないじゃないか」――と、不正を見逃そうとする俗論がメディアにおいて支配的だ。おそらく、佐村河内と共犯関係にあるTV業界が意図的に流しているに違いない。

音楽的価値というのは相対的なものだ。音程の外れた歌手の楽曲のほうが、レコードがよく売れた、という話も音楽業界にはあるらしい。ところで一般に、身障者の作品には同情的な購買意欲が働く。パラリンピックという競技大会がある。身障者が陸上競技や水泳等の競技を行うのだが、その記録はもちろん健常者のものには劣るが、この大会の参加者に対しては、健常者以上の敬意が払われる。健常者の記録には劣るとはいえ、健常者以上の驚きと称賛が集まる。そのことはきわめて自然なことだ。

だから、佐村河内が聴力障害者でありながら作曲をしたという前提に対して、消費者は尊敬・敬意・驚きの感情を付加して、彼の作品を評価した。このことは、消費者が愚かなのではない。だから、佐村河内が聴力障害者でなかったことや、ゴーストライターの作であったことが明らかになった時点で、彼に裏切られたと感じることは当然のことだ。また、そう感ずることが身障者を貶めることにはならないし、健常者の“上から目線”でもなんでもない。

繰り返すが、今日、音楽に限らず、商品(作品)の価値は相対的なものだ。その商品(作品)を良しとする根拠・基準は見出しにくい。時代背景もあるし、このたびのように生産者(アーチスト)の属性に左右される場合もある。評論家、鑑定者といった専門家の評価に大衆が左右されることも少なくない。広告宣伝の力も無視できない。

それだけに、商品(作品)を提供する側には、偽装・不正・虚偽を防止するための規制や法体系が構築されていなければならないのだが、日本の場合、サプリメント商品に係る表示違反事件や外食産業の偽装表示事件にみられるように、規制はきわめて不備なままで、無法状態に近い。いわば提供者のなすがままに近い。消費者は守られていないのだ。

本件の場合、商品(作品)の提供者/制作者側の虚偽・不正が誰の目からも明らかになってきている。よって、商品(作品)提供者の非を法的に追求し、提供者の罪を厳しく問う必要がある。謝罪で済まされる問題ではない。

(文中敬称略)

2014年2月2日日曜日

2月

猫の体重測定から。

Zazie=4.4㎏(前月比-300g)、Nico=5.8㎏(同-400g)。

二匹ともかなり多重が減った。

このあたりで落ち着いてくれるといいな。