2014年8月22日金曜日

「STAP細胞」問題は終わったのか

あれほど人々の注目を集めた「STAP細胞」騒動も、マスメディアの世界では終息した感が強い。いまではこの問題を取り上げるメディアは皆無に近い。もちろん終息の主因は、キーパーソンだった笹井芳樹の自殺にある。笹井の死後、メディアは、笹井はもちろん、小保方晴子に対する追及を封印した。笹井の自殺は世界的頭脳の損失として惜しまれ、あたかも聖人のごとく崇められ、この問題に対し自死をもって終息を宣言した。

笹井の自殺後、不自然な遺書の公開があり、また、笹井の家族が家族宛の遺書の一部を公開した。どちらの内容も、問題発生の根源に触れるものでない。むしろ、笹井の死があたかもそれを追求したメディアが原因であるかのようなニュアンスを伝えるものだった。乱暴に言えば、笹井はメディアが殺した――というニュアンスを伝えるかのような。

“死者を鞭打たない”というのは、奥ゆかしい規律かもしれない。ましてや、笹井は自らの命をもって償ったという解釈もできる。だから、「STAP細胞」問題は終わったと。

筆者を含めて人々がこの問題に対して急速に興味を失ったのは、人々がそう思うとおりのことがこの問題の真相であることを確信したからだろう。単刀直入に言えば、この問題の張本人は、小保方晴子と笹井芳樹であるということ。

二人は炎のごとく、「STAP細胞」という二人の共同の幻想に取りつかれ、破滅への道を走った。かつて小保方が「STAP細胞」の再現実験に復帰するとき、「自分の子供に会いに行く気分」という意味の発言をしたが、まさに彼女が言ったとおり、「STAP細胞」は笹井と小保方の愛の結晶だった。

笹井が共同の幻想から覚めた時、彼はどうしようもないジレンマに追い込まれていることを自覚した。あの割烹着イベントの発表が終わった後、ネットを中心に「STAP細胞」に関する疑惑が指摘され始め、ふと現実世界に戻ったとき、引き裂かれた自分の立ち位置に絶望した。

論文不正・研究不正の責任を小保方一人に負わせれば、彼女を裏切ることになる。彼は会見で、自分は実験には関与していない、と暗に小保方一人に不正の責任を取らせる立場を明言していた。

だがまてよ、小保方が笹井の無責任さに逆上し、笹井の不正への関与を世間にばらせば、笹井の立場は小保方以上に悪くなる。そればかりではない。小保方の愛を裏切ることになる。笹井は気丈に会見では「自分は関係ない」と主張してみたものの、内心はヒヤヒヤだったのかもしれない。

その一方、笹井が自ら不正への関与を認めれば、彼の研究者としての立場はゼロどころか、学界からの追放は免れない。ノーベル賞候補といわれるまで実績を積み重ねた笹井が、小保方の論文不正、実験不正に手を貸したとなれば、破滅である。

自殺は無念の死である。この問題を機に、研究者としてではなく、ほかの道で生きていこうと考えられるような者には、けして死の誘惑は訪れない。小保方との愛、研究者としての将来――そのどちらも得ていたいという傲慢な我執にとらわれたとき、そして、そのどちらの道も閉ざされたことを悟ったとき、死の誘惑に勝てなかった。

笹井の自殺の原因をなしたのが、『NHKスペシャル-STAP細胞 不正の深層』(以降「Nスぺ」と略記)だったという主張は間違っていない。笹井は、「Nスぺ」をみたとき、観念したのだと思う。つまり、「Nスぺ」が誹謗中傷ではなく、この問題の真相を突いていたから。「もはや言い逃れはできない」というのが笹井の心境だったと想像できる。

同番組の中で笹井と小保方のメール交換を男女の声優が代読したシーンがあった。あれはひどい、という意見もあったようだが、NHKは笹井と小保方の関係について、事実をつかんでいたからこそ、番組で再現できたのだろう。二人の関係を濃密に反映したメールのうち、二人の関係者に配慮して、もっともあたりさわりにないものを選んで。

メディアが不正を追及することは当然である。ただし、きちんとした取材、証拠という裏付けをとったうえでの話。NHKが推測や思い付きで、あれほどの内容を放映するはずがない。NHKは、訴訟に備えられるだけの裏付けをもっていたと考える方が自然である。小保方(弁護団)が放送後、NHKを訴えていないことがその根拠となる。さらに言えば、NHK以外のメディアは、それほどの取材も証拠集めもせず、ただ騒いでいたにすぎないということになる。NHK以外のメディアの追及には平然としていた笹井が、NHKには敏感に反応したのではないか。「Nスぺ」がこの問題の核心を突いたからこそ、当事者にショックを与えたのではないか。

不正を働いた者が、メディアによって真実を明らかにされ、逃げ場がなくなって自殺した――これは誠に残念な結果である。本来ならば、笹井と小保方を雇用していた理研が真相を明らかにし、迅速に二人を処分していたならば、少なくとも自殺者を出すことはなかった。少なくとも、NHKがこのような番組を制作する必要もなかった。

この問題を当事者の一人が自殺したことで終わらせてはいけない。「STAP細胞」に係る発想、実験、実験データ、論文執筆に至る全過程において、何があったのか、まさに不正の深層ならぬ真相を明らかにすることが理研に課せられた課題である。そしてなによりも、もう一人の当事者が、すべてを包み隠さず、その真実を語ることが期待される。

2014年8月12日火曜日

過而不改是謂過矣――笹井芳樹の自殺とモンスター小保方晴子のこれから

過而不改是謂過矣(過ちて改めざる、是を過ちと謂う。)――現代日本の中学生が初めて漢文に接するとき、おそらくこのフレーズを最初に目にするのではないか。出典はもちろん孔子の『論語』で、解釈は、「過ちを犯したことを知っていながらも改めようとしない、これを本当の過ちという。」となる。

はなはだ説教臭い言い回しに辟易する方も多いと思われるものの、このたびの「STAP細胞」問題が笹井芳樹の死という最悪な事態に進展したいま、孔子の言説の重さを改めて痛感するのは、筆者だけであろうか。

小保方晴子の場合

「STAP細胞」の論文に疑義が生じたとき、理研は調査委員会を立ち上げ、論文不正を認定して不正者の処分を理研の懲戒委員会にゆだねた。ところが、小保方弁護団が5月26日、理研の懲戒委員会に弁明書を提出した。弁明書の要旨は、「調査委員会が研究不正の解釈や事実認定を誤っており、調査の過程にも重大な手続違背がある。そのような審査結果を前提に懲戒委員会が諭旨退職及び懲戒解雇を行うならば、その処分は違法となる」という主張である。

小保方晴子(弁護団)が「不服申し立て」を行ったところから、この問題はいわば泥沼化していく。結果的には、このとき小保方が不服申し立てを行わず、その後に出された理研の懲戒委員会の処分を受け入れていれば、ことは決着した。処分→論文撤回という単純な展開である。その後、実験等に係る不正が発覚したとしても、問題は大きくはならなかった。かりに小保方晴子と笹井芳樹の不倫問題が執拗に報道されたとしても、ここまで長引くことはなかった。世間もここまでの関心を払わなかった。

小保方晴子が弁護士を立て、理研と争う姿勢を見せた動機が分からない。小保方の両親の差し金なのか小保方本人の強い意志によるものなのか、それ以外の利害関係者の意志なのか・・・いずれにしても、この「不服申し立て」作戦は最悪の結果を招いたことは誰しもが認めるところだろう。小保方が“過ちて、改めていれば”、笹井の自殺はなかった。

小保方が“改める”機会はもう一回あった。7月2日、雑誌『ネイチャー』論文の取下げに同意したときだ。「論文取下げ」が意味するのは、実験結果もデータもすべて同研究の白紙化である。すなわち、「STAP細胞」は発見も作製もなかったということである。ところが驚いたことに、小保方(弁護団)は論文取下げに同意しながら、「STAP細胞」はあるという主張は取下げなかった。科学界では「論文の取下げに同意する」ということは、前出のとおり、発表された研究すべてが白紙化されたというコードがある。つまり小保方は“同意=改めた”はずなのだが、小保方(弁護団)は「不本意な同意」という、意味不明の抗弁を行った。これぞ、「過而不改是謂過矣」の典型である。

このように小保方が過ちを複数回“改めなかった”ことにより、事態は小保方側にとって悪化してゆく。他の細胞の混入、マウスの差し替えといった、実験過程の不正に係る証拠が次々と挙がってくる。小保方が「籠城」し、担当弁護士が詭弁を弄するたびごとに、小保方側に不利な証拠が報道されるという構造が定着してきたのだ。

こうした構造は、小保方と笹井の関係性にいっそう疑義をもたらす結果を招いた。当初、笹井は小保方に対する、監督責任を問われるだけだった。ところが、小保方の「籠城」により、笹井の不正への関与に係る疑惑が強まった。小保方の「籠城」は、小保方を有利にするどころか、この問題の真相をあぶりだす媒介になった。「STAP細胞」が、小保方と笹井の共同謀議による捏造であるという疑惑を明るみに出す結果となった。

筆者はこの問題の対処について、小保方弁護団に戦略的誤りがあったと考える。小保方弁護団は、落としどころとして、理研との和解を目指していたように思う。つまり、理研が小保方を処分しない方向でこの問題をフェイドアウトさせることである。しかし、事態はそうならないばかりか、問題を一層深刻化させた。弁護団が小保方を擁護するたびごとに、小保方側に不利な情報が流出する。早期解決こそが、傷を少なくする最善策だった、と、結果からは言える。弁護団の「不服申し立て」が小保方の傷を深くし、笹井を死に追いやった。

笹井芳樹の場合

笹井の自殺について改めて考えてみよう。自殺の原因はいろいろある。一つの事柄を思いつめて自殺する場合もあるし、健康問題、借金問題、不倫問題等の複数の要因が重複する場合もある。笹井の場合はどうなのだろうか。

さて、その前に自殺の原因について、「STAP細胞」問題と切り離す説もある。いわゆる「薬物説」である。笹井が心療内科に通院していたとき処方された薬物により、笹井は鬱状態になり、自殺した、というもの。この説について、いまもって心療内科学会から異議が出ていないのが不思議である。この説は心療内科が処方する薬物は、自殺を誘引すると言っているに等しい。にもかかわらず、同学会はこれを積極的に否定しない。同学会が、その可能性を否定できない根拠を隠蔽しているからなのか。

筆者はこの「薬物自殺原因説」を棚上げにしておく。判断する医学的材料をもっていないから。よって、薬物以外の、つまり笹井の精神性に限定して自殺原因を推測する。

(一)自尊心

まず、笹井は「STAP細胞」問題のすべてを知るキーパーソンであったことは何度も書いた。そして笹井ほどの頭脳の持ち主ならば、それが存在しないことも知っていたはずなのだが、笹井は先(4月16日)の会見において、「STAP細胞」の存在可能性を強く主張した。その後、事態の進展に伴い、同細胞に関する疑義が科学界から指摘され、不在の状況的証拠が突きつけられるようになってきて、STAP細胞は、“もはや、ネッシー”とまで揶揄されてしまった。

笹井は科学者としてすべてを失いつつあった。つまり、4月の会見において、“過ちを改めて”さえいれば、ここまで自分を追い込む必要はなかった。報道によると、笹井は会見前、副センター長を辞する旨、理研側に申し出ていたという。つまり、笹井は改める用意があったと推測できる。ところが、実際には、謝罪はしたが「STAP細胞」の捏造については改めなかった。“過ちて、改めざる”ことの恐ろしさを痛感する次第である。

(二)不倫問題

それだけではない。笹井の犯した過ちとして、小保方との個人的関係を無視できない。笹井を追い詰めたのは、小保方晴子との不倫問題であった。この問題の実態が小保方側を含めた他者の口から明らかにされる前に、笹井は自ら命を絶った。エリート特有のプライドというやつか――自分がやってしまったことが芸能人やサラリーマンといった、自分より「下位」にある(と笹井が思っている)人々と同じことだったことを、笹井自身が許容できなかったのである。

笹井は自らの不倫問題について家族に説明したのか、しなかったのか、知る由もないのだが、筆者は、笹井はこの問題について一切改めることはなかった、と推測する。笹井は、この問題を自己嫌悪としてだけ受け止めた。

前出のとおり、自分より下位の者と同じ過ちを犯してしまった、という自己嫌悪である。笹井が不倫問題について家族と向き合い、改めて解決にむけて歩みだしていれば、彼の精神が自殺に向かうことは避けられた。笹井はこの問題から、逃げたのである。不倫問題は、その発生から終局に至るまで、科学的には解決できないからである。

(三)資本、国家、行政との関係の行き詰まり

三番目は、「STAP細胞」問題が国家プロジェクトであること。このことは既に拙Blogにて繰り返し書いてきたので詳述を控える。報道によると、笹井は神戸市のまちづくり及びアベノミックスと深く結びついていたらしい。理研を代表して、資本、地方自治体及び国家との交渉、予算取り等で活躍していたという。しかし、彼がその分野で活躍していたとしても、それは笹井の本分ではなかろう。自己の資質を逸脱した、つまりかなり無理をしていたのだと思う。アカデミズムで育ってきた人間がカネの心配が得意であるはずがない。資本は科学論文を書き上げるように理路整然と進まない。そのうえでの「STAP細胞」問題である。笹井は、資本、行政、国家との関係において、追い込まれていた可能性はある。

しかし、自殺はあくまでも個人の問題であって、資本、権力、他者等が強要できるものではない、と筆者は考える。上から下から周りから、どんな圧力をかけられていたとしても、自殺を選ぶのは当事者であって、他者が人を自殺に追い込むことは相当難しいと筆者は思っている。ある状況に追い込まれたとき、自殺を選ぶ者と選ばない者がいる。その人の資質や人間関係、家族関係等の状況が左右する。社会的地位、自尊心等も関与するかもしれない。

だが、どんな状況であれ、自殺は当事者の決意なしではなし得ない。笹井芳樹は、「過而不改是謂過矣」のまま、自ら命を絶った。つまり、笹井は自らの生命をもって、改めたのであろうか。改める方法として自裁があるのだろうか。孔子は残念ながら、そこまでは言及しなかった。

小保方晴子はモンスター

小保方晴子は、「過而不改是謂過矣」が意味する倫理観、道徳観とはおよそ相容れない存在である。だから、自分が「改めざる」が故に生じた最悪の結果(笹井の自死)について考えを及ぼすまい。彼女は善悪を越えた、倫理を越えた、モンスターなのだから。

それゆえ、自己の実験、論文における捏造、不正という過ち、そして、笹井を巻き込み、死に至らせた過ちについて、深刻に考えることもなかろう。小保方はモンスターとして、この先、どのように生きていくつもりなのだろうか。小保方がモンスターから普通の人間に戻る方法は、――それが笹井の死に報いる唯一の方法なのだが、――孔子の言うとおり、「過ちを改める」こと以外にはないのである。

2014年8月5日火曜日

笹井芳樹は自裁を選んだ--真相解明に向かわなければ、死者の魂は永久に浮かばれない

理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長(52)が自殺した。兵庫県警によると、笹井は5日朝、発生・再生科学総合研究センターに隣接する先端医療センター研究棟の4階と5階の間の踊り場で、ひものようなもので首をつった状態で見つかったという。遺書が近くのかばんの中にあり、小保方に宛てた遺書には「あなたのせいではない」「STAP細胞を必ず再現してください」という趣旨のことが書かれていたという。また、別の理研関係者宛の遺書には、「疲れた」という趣旨や謝罪する内容が書かれていたという。まさに無念の自殺であろう。衷心よりお悔み申し上げる。

さて筆者は先の拙Blogにおいて、▽笹井が「STAP細胞」問題のキーパーソンであること、▽この問題の舞台が神戸の埋立て人口島「ポートアイランド」で起きたこと――の2点を強調しておいた。笹井が自宅ではなく、職場である人口島の研究棟を自死の場に選んだことは、筆者の直観があながち外れていなかったことを傍証しているようで、気味が悪かった。

埋立て人口島の先端医療センター研究棟――いかにも人の温もりを感じさせない場ではなかろうか。筆者がポートアイランドを訪れたのはいまから20年以上前のことだ。バブル崩壊と震災の影響で同所を訪れる機会が失われてしまったものだから、現在の状況はわからない。しかし、人口島は人口島、そこには人の所縁、温もり、記憶、絆が薄い。コンクリートの箱、すべすべしたタイル、金属製の手すり・サッシ、冷たいガラスで覆われた、ピカピカの「職場」であったに違いない。研究棟ならばなおいっそう、人と人を結びつける息づかいすら聞こえにくいのではなかろうか。植栽が施されていたとしても、その緑や花は、埋立ての人口島の厚化粧の一環に過ぎない。

そんな人口島の一角に医療研究施設と医療関連企業をテナントとして集めること――それが国と神戸市、理研から笹井に課せられた特命だった。そしてその切り札として「STAP細胞」研究というテーマが、若い女性研究者とともに舞い込んだ。笹井はそのことにより、人生を狂わせた…

笹井は「STAP細胞」問題のキーパーソンであった。だから墓場まで持っていかざるを得ない情報やら事情を抱えていた。笹井が問題の真相を語れば、国、神戸市、理研は崩壊する。ノーベル賞受賞者の理研理事長もただではすまない。口を閉ざし続けることの重荷は計り知れないほど重かったのだろう。

それだけではない。笹井を追い込んだ要因は幾つかある。笹井が会見において「存在する」と力説した「STAP細胞」に関する科学アカデミーからの反証が当たり前のように報道されるようになったことだ。その中には笹井より科学者として“序列の低い者”――理研の研究員、科学ジャーナリスト、ネット情報――からのものが圧倒的だった。そして、それらを集大成したのが『NHKスペシャル――STAP細胞 不正の深層』の放映だった。(この番組については筆者も拙Blogで感想を書いておいた)

笹井に圧力をかけたのは、それだけではない。日本学術会議は7月25日、「研究全体が虚構であったのではないかという疑念を禁じ得ない段階に達している」と指摘。改革を早急に進めること、保存されている関係試料などを調査し、不正が認定されれば速やかに関係者を処分することなどを求めていた。この声明は、日本を代表する科学コミュニティーから発せられたものだ。

同会議の声明の根底には、理研が「STAP細胞」問題に関する情報を必要以上に隠蔽する姿勢を崩さないことへの不信感がある。科学研究というのは、自由に議論し合うことで切磋琢磨され真理へ近づくものである。理研は各界から提起された疑問や疑念に答えるための真相解明に着手しようとしないばかりか、議論する姿勢すらみせない。

理研の姿勢と共通するのが、小保方(弁護団)である。小保方(弁護団)も科学的見地からの質問や指摘に対しては一切の回答を拒否し、一見強気なヒステリックな決めつけ的言語で逃げている。つまり、理研も小保方も、科学的真相解明を拒否する姿勢において共通する。両者は、争っているように見えて、実は真相解明を忌避する姿勢において利害を一にする存在なのだ。

理研も小保方(弁護団)も真相解明の動きを遮断する盾として、「STAP細胞」の再現検証実験を掲げる。真相解明とは、それを換言すれば、小保方、笹井ほかの関係者の処分に行き着く。しかるに、前出のとおり、理研も小保方もそのことの先延ばしに奔走してきた。そして、その裏側で不正に係る証拠物等の処分を内密に進めようとしていたのではないか。ところが、理研と小保方(弁護団)が処分を留保しようとすればするほど、理研の脇の下から、不正に係る情報、証拠、証言がこぼれ落ちてくる。それらを掻き集めれば、小保方、笹井らの不正が傍証されてくる。そうした状況に耐えきれなくなったのが、笹井のこのたびの自死ではなかったのか。本日(8月5日)の理研の会見で「処分を保留したことが自殺の原因ではなかったのか」という質問があったそうだが、筆者もこの質問をしたメディア関係者と見解を同じくする。

笹井の自殺の原因は何かということになるのだが、遺書が公開されていない段階では推察するしかない。筆者は、笹井が「自裁」を選んだ、と推理する。笹井は「STAP細胞」に関わる(小保方の)着想・実験・論文作成、すなわち、この問題の全過程における不正、捏造等を知っていたはずだ。(にもかかわらず笹井が小保方と共謀して「STAP細胞」論文を世に出した主因については、拙Blogで繰り返し書いてきたので省く。)

すでに論文が撤回され、不正も明らかになった。この期に及んで、当たり前の組織ならば、関係者は処分され、処分後に新しい人生を歩むことになったであろう。犯罪者が服役後、新しい人生を歩むように。

ところが、筆者が拙Blogで書き続けてきたように、当たり前の処分は留保された。張本人の小保方は、弁護士を立てて引きこもり、“真相隠蔽”において共通する理研と共闘して、「STAP細胞」の再現検証実験という無限時間の中に身を置くことを選んだ。

一方の笹井は、一流の研究者という自負において、「再現検証実験」の無意味さを自覚し、処分留保の時間的圧迫に一人、身をさらさねばならなかった。つまり、自己の行き場所を完全に失いつつあった。笹井は「不正」を自白することもかなわず、科学者の良心と不正の隠蔽という葛藤に悩み、自らの不正を自らが裁く方法、すなわち自裁の道を選んだ。

笹井の自死はもちろん、先述したように回避できた。笹井を自裁に追い込んだのは、理研(とその上にある文科相、官邸)であり、小保方(弁護団)である。なによりも真相解明に向けて当事者が口を開かなければ、死者の魂は永久に浮かばれない。

2014年8月4日月曜日

誕生日

8月6日が誕生日。

娘夫婦が東京でも珍しい、生ハムと肉の専門料理屋にて祝ってくれた。

とてもおいしかった、ありがとう。



さて、このことは何度も書くことだが、6日は広島の原爆記念日だ。

人類史上、最初に原子力兵器が使用され、多くの市民が命を落とした。

原爆で命を落としたのは、戦争を始めた張本人ではない。

張本人たちは東京で、これまた米軍の空爆で命を落としている市民をよそに、

頑丈な防空壕のなかで、「終戦」の道筋を探っていた。

戦後、自分たちが延命する方策を弄していた。

その間に、沖縄戦があり、大空襲があり、広島・長崎への原爆投下があった。

筆者が「その日」に生まれたのは偶然だけれど、

「悲劇」がなぜ、起きたのか、それを繰り返さないために何が必要なのか。

生涯、そのことを忘れないように生きていこうと思う。




2014年8月3日日曜日

イスラエルの無差別殺戮は許せない

イスラエルによるガザ攻撃が開始され、この2日でひと月(26日目)近くたった。この攻撃は、イスラエルによる同地区のパレスチナ人の大量虐殺であって、戦闘や戦争ではない。双方の戦力はあまりにも非対称的である。ガザはイスラエルが開発するハイテク装備と最新兵器の実験場と化しているという。

イスラエルが同地区を攻撃した理由は明らかで、先の選挙によって成立した同地区の自治政府にハマスの勢力が合流したからだ。そのことを機に、イスラエルは謀略を通じて侵攻の火ぶたを切った。26日間のイスラエルの殺戮行為により、ガザでのパレスチナ人の死者は1700人を超え、負傷者は9000人以上になったらしい。その中には、民間人(子供、女性)が多く含まれている。

近年の中東の混乱はすべからく、イスラエル(アメリカ)による、アラブ弱体化の帰結である。20世紀末、それまで安定していた中東において、アメリカは世紀を挟んだ二度のイラク戦争により、イラク=フセイン政権を打倒し、イラクを内戦状態に追い込んだ。

エジプトではイスラム同胞団の新政権を軍部クーデターにより打倒し、親米(親イスラエル)政権を樹立した。相前後して、シリアのアサド政権(シーア派)に対して、イスラム教スンニ派過激勢力を使って内戦状態に追い込み、いま現在のシリアも内戦状態にある。

ヨルダンはすでに、親米(親イスラエル)国家となっていて、脅威ではない。アメリカとイスラエルは、イスラエルに好意的でない周囲のアラブ諸国をすべからく、内戦・内乱状態に陥れ、その弱体化に成功している。そのうえで、ガザ地区パレスチナ人の大量殺戮に踏み切った。イスラエルの脅威となる周辺国は内乱状態もしくは親米(親イスラエル)国家となっているから、イスラエルの安全が損なわることはないという読みである。

イスラエルによる空爆と民間人無差別虐殺は、イスラエルによる、(ナオミ・クラインがその著書名とした)『ショック・ドクトリン』と呼ばれる支配方策の実践である。激しい空爆と地上戦における無差別殺人を受けた側は、恐怖によって頭の中が真っ白になり、軍事作戦終了後、抵抗や反抗の意思を喪失してしまう。アジア太平洋戦争末期、アメリカは日本中に激しい空爆を続け、そのことにより、焦土に残された日本人は戦争終了後、アメリカに対し抵抗する意思を無くした。

1970~80年代、チリ、ブラジル等の南米南部地域の軍事政権が国内の社会主義勢力や市民運動家に対して行ったのは、空爆・砲撃等の軍事行動ではなく、拉致、誘拐、拷問(電気ショック等)及び無差別処刑であった。おそらくガザ地区では、軍事作戦と並行して、反イスラエル活動を行ってきたパレスチナ人活動家に対し、報道されていないが、前出のような非人道的弾圧が繰り返されているに違いない。

筆者は昨年(2013年)12月、イスラエルに観光旅行に行った。もちろん、ガザ地区を訪れたわけではないが、観光ガイド氏は、イスラエル国内のユダヤ人とアラブ人は、互いに共存の道を模索していると説明していた。

当時、筆者が訪れた観光地はみな平穏で、今の状態を想像することはできなかった。ガザの悲劇をよそに、エルサレム、テルアビブ、ファイファといった主要都市は平穏なのかもしれないが、イスラエル国内各所のパレスチナ人がガザの虐殺に憤って決起しないとも限らない。情勢は予断を許さない。
子供たちの殺戮を許すことはできない(イスラエル・ナザレ市内/筆者撮影)



2014年8月1日金曜日

8月の猫

暑い。 盛夏である。

 猫の体重を記録しておく。

 Zazieが4.3キロ、Nicoが5.9㎏で前月と変わらなかった。

 さて、2匹の猫の性格について書いておく。

 さび猫のZazieきわめて人懐っこく、気温が低くなると、人の胸の上にのって寝てしまう。

 無理やり抱かれるのは好きではないが、気が向くと人の胸に飛び込んでくる。

 気性が荒く、あまり鳴かない。

 一方の白の大型のNicoは、人に抱かれるのが大嫌い。

 そのかわり、人と、遠からず近からず、ほどよい距離(自分の距離)でいることが多い。

 性格は温厚だが屈折している。

 要求が多く、年中、鳴いてあれをしてほしい、これをしてほしい、とせがんでいる。

 ブラッシングと手でなでられるのが大好き。

一方のZazieは、これらをまったく受けつけない。

まるで正反対の性格の猫が2匹。

何の因果でわが家にやってきたのか、神の悪戯だろうか。

落ち着いた状態、満腹か遊んだあと

窓の上を通過する鳥を見据えた状態。野生に戻った瞬間かも

新聞を読んでいると必ず邪魔をしにくる。新聞紙の上に乗ってしてやったりの顔。