2013年4月28日日曜日

ビアパブの開業

本日(4月28日)、娘の婿殿が拙宅近くにビアパブを開店した。

身内に飲食店をやる者がいなかったので、新鮮な気分だ。

うまく軌道に乗ることを祈念している。

※以下の写真はプレオープン(26日)のもの

店名はずばりイシイである
外観
内装

店主の石井
クラフトビールが「売り」である

2013年4月16日火曜日

NPBの長寿投手の米国体験が意味するもの

済美・安楽の投手生命を危ぶむ観点から、日本プロ野球(NPB)で活躍する長寿投手について調べてみた。

NPBにおける現役最年長投手=選手は、中日ドラゴンズに所属する山本昌投手(47歳)だ。山本は、投手生命が短いと言われているNPBにおける例外中の例外的存在。先のコラムで書いたニューヨーク・ヤンキース所属の黒田博樹投手は1975年生まれの38歳だから、山本の長寿ぶりが特筆できる。

この2人の長寿投手の共通点は、第一に、なんといっても高校時代に「甲子園」で活躍していないこと。2人とも、高校野球は無名投手であった。つまり、「甲子園」を巡る予選、本戦における連投、多投の経験がない。

第二に、米国野球体験をしている点だ。現役大リーガーの黒田が米国式のトレーニング、調整法に従っていることは当然のことで理解できるのだが、山本にMLB経験はない。だから、山本は純国産投手ではないかと思われるかもしれないが、Wikipediaによると、山本が投手としての才能を開花させたのは米国留学によったことが理解できる。

Wikipediaの記述によると、入団当時、野球解説者だった星野仙一(1987年より中日監督)は山本を見て、「背番号が34で左投げというから『金田2世』と期待してブルペンを見に行ったが、ただの大柄な男で、あまりに不恰好なモーションでコントロールもない。球も130km/h前後しか出ないからがっかりした」と語っていたという。

NPBでは評価が低かった山本だが、1988年2月、中日は業務提携していたロサンゼルス・ドジャースと同じベロビーチでキャンプを行い、山本ら若手選手5人が野球交換留学としてそのままアメリカに残ることになった。ところがその実情は、中日がドジャースとの交流関係を保つために選手を派遣する必要があり、その年の戦力にならない選手が選ばれ、山本については「手足は長いし、体も大きい。本場アメリカの指導者ならこういう選手の扱いに慣れている分、うまくいくかもしれない」という一抹の期待を掛けられてのものだったという。山本は、ドジャース傘下の1Aベロビーチ・ドジャースで前年に山本を指導していたドジャースの世話役・アイク生原から、投手の基本である低めへのコントロール、スローカーブの精度の向上、その他生活習慣を厳しく指導されたという。

山本は帰国直後、当時の中日の投手が足りない状況だったこともあり先発の一角に加わると、スクリューや精度の高いコントロールを駆使して一軍で5連勝を記録し、リーグ優勝に貢献した。その1988年の日本シリーズでは第3戦の先発に抜擢され工藤公康と投げ合ったが、彦野利勝の先頭打者本塁打の1得点を守りきれず敗戦投手となった。

ところが、翌シーズン(1989年)、なかなか勝利をあげることができず、前出の星野仙一(当時・中日監督)から、同シーズンオフにおいてのアメリカへの教育リーグ再留学を言い渡される。つまり、星野から、山本は半ば戦力外扱いを受けたのだった。星野といえば、日本の暴力指導の悪しき伝統を受け継ぐ「指導者」の一人。その星野が解説者時代に入団当時の山本昌を酷評し、そして監督として、山本をほぼ戦力外扱いにした。星野からネグレクトされた山本が現在まで現役を続行しているという事実は、日本式投手トレーニング方法及び調整法の危うさを象徴するものともいえる。

そんな山本は2008シーズン、42歳で200勝を達成し名球会入りを果たした。さて、2000年になってから、山本の前に200勝を達成したのは、2005シーズンMLBロイヤルズで200勝を達成した野茂英雄(36歳)、そして、2004年に41歳で200勝を達成した工藤公康の2人。けっきょく、工藤を最後としてそれ以降、つまり2000年代、スターターで200勝を達成した投手は出ていない。

そのうちの1人、工藤公康は、1982年に西武ライオンズ入団し2011年に引退するまで、16年間現役を続行した。工藤が黒田、山本昌と異なるのは、「甲子園」から工藤はスター投手だった点だ。

しかし、工藤も黒田、山本昌と同様に米国野球と接点をもつという共通体験をもっている。工藤もMLB経験はないが、彼の球歴をWikipediaで調べると、入団1年目(1982年)には活躍をしたものの、その後はやや伸び悩み、入団3年目の1984年に広岡(当時監督)に命じられ、アメリカの1A・サンノゼ・ビーズへ留学している。

工藤にとってはMLBを見たことが転機となり、さらに、帰国後宮田征典の指導を受け、主力投手として成長できた。投手コーチの宮田といえば、読売で「8時半の男」といわれたクローザーの草分け的存在。卓抜した野球理論と合理的指導で名高い。宮田には、「エース」ならば多投、連投も辞さず先発完投という日本型の硬直した観念はないはずだ。もちろん工藤本人の精進はあるが、米国留学及び宮田の指導という環境が、工藤の名球会入りの基盤となった、と、想像できまいか。

今後、名球会入りの可能性がある先発投手は、西口文也(40歳)の182勝(2012シーズン終了時点)と石井一久(40歳)の2人。石井はNPB・MLB合計で182勝(同)を達成している。次いで、前出の黒田博樹(160勝、NPB、MLB合計)。そして、松坂大輔(32歳)もNPB、MLB合計で158勝(同)なので可能性は十分ある。松坂の場合は、故障から再起できるか否かがカギを握っている。

松坂に代表される「甲子園」の「エース」が、プロ入り後、故障に苦しんでいる姿を見ることは、筆者には耐え難い。高校時代に多投・連投をすることで、投手生命を縮め、30代前半の若さで、通算200勝を前にしてリハビリにもがいているのだ。彼らは桁外れの才能をもちながら、「甲子園」という舞台で酷使され、プロ球界に入って後に前線からの撤退を余儀なくされる。プロ野球を目指す若者には、「甲子園」がなければドラフトに係らない境遇を改善することができない。自分のキャリアを自分なりに大事に構築できないのだ。

2013年4月7日日曜日

済美・安楽智大の722球は体罰に等しい

いわゆる「センバツ」が終わった。高校生の全国的野球大会だ。このイベントの目玉は、済美高校の2年生投手・安楽智大(16歳)だ。球速は150キロを超え、変化球(主にカーブ)もいい。フィジカル的にも優れた逸材だ。安楽には、日本球界のみならず、米国MLBも注目しており、ダルビッシュの再来だという評価もあるらしい。

ところで、この大会の安楽の投球状況をみると、3月25日=232球、30日=159球、4月1日=138球、2日=134球、3日=109球という驚異的なもの。なんと、9日間で772球にのぼっているではないか。このことについて、米野球専門誌ベースボール・アメリカ電子版は3日、「酷使」だと眉をひそめ、「メジャーの投手なら5~6週間分に相当する球数。決勝はスピードが10キロ落ち、疲れ果てていた」と将来的な影響を危惧したという。

当然の指摘だ。安楽は、済美高校野球部監督から、4月の1日から3日まで、なんと3日連続登板・合計381球という狂気的な起用をされた。安楽は前出のとおり、まだ16歳の高校生。身体面では、肩、肘はもちろんのこと、全身が発展途上にあり、短期間とはいえ、身体の酷使は故障につながりやすい。更に驚くべきことは、日本のスポーツマスコミがこのような狂気の投手酷使を批判しないことだ。批判どころか、熱投、力投と賛美する。だれがどう考えたって、16歳の少年に9日間で772球も投げさせれば、いいことはないと考えるだろう。肩や肘に必要以上の負担がかかると考えるほうが普通だろう。

ところが、日本の野球風土では、それが当然だとさるばかりか、むしろ逆に称賛されるのだ。スポーツ医学会は、こういう現実を放置するつもりなのだろうか、「医者」の「良心」とやらはどこに行ってしまったのだろうか。そればかりではない。スポーツジャーナリズムも狂気の連投について警告しないどころか、このような現実を美談として称賛し、逆に推奨しようとする。「ジャーナリスト」の「良識」とやらは、どこに行ってしまったのだろうか。筆者にはまったく理解できない。

「センバツ」の前にWBCという、これまた野球の世界的イベントがあった。日本代表である「侍ジャパン」は準決勝でプエルトリコに負けた。このイベントはくだらないと思うものの、唯一評価できる点は、投手に投球数制限がかけられていることだ。細かいレギュレーションはここでは書かないが、まずもって連投はできない。もちろん、一人の投手が「センバツ」のように、第一試合から決勝戦まで、イベントすべての試合に投げることはあり得ない。当然だろう。

球数制限については、日本では、米国は肩、肘等を消耗品だと考えることが通念だと報じられることが多いが、もちろん、医学的側面もあるが、プロフェッショナルの場合、できるだけ多くの投手に登板機会を与えようという側面もある。雇用機会の増大だ。そのことを根拠にして、スターター、セットアッパー、クローザーという1試合の中の分業体制が整備されている。

日本の高校野球の場合、「エースで4番」という「スーパースター」に依存しているチームがほとんど。その「エース」が予選から本大会(甲子園)まで一人で投げ切るのが定番になっていて、今年の「センバツ」に限らず、夏の大会も含めて、一人の「エース」が狂気の投球数で大会を投げ切ることが義務となっている。

その結果どういうことが起こるのかというと、投手生命の短命化傾向だ。たとえば、日本の名球会会員(資格:日米通算で打者が2000本安打以上、投手が200勝以上、もしくは250セーブ以上)53人のうち、投手は15人、打者は38人と、打者優位の結果となっている。投手15人のうちスターター(岩瀬、佐々木、高津のクローザーを除く)は、なんと、12人にまで減少する。日本の投手は優秀だといわれながら、200勝以上を達成できた投手は意外と少数であることがわかる。

また一方、日本の投手は優秀だという評価を反映して、日本人投手のMLB移籍が頻発しているものの、抜群の実績を上げたのは野茂英雄ただ一人(ダルビッシュには大いに期待できるが)。野茂は1995~2008の13シーズンもMLBに在籍した。日本人投手では最長だろう。あの怪物・松坂大輔でさえ2007にMLB移籍して、活躍したのは2007、2008の2シーズンにとどまり、2012シーズン途中でトミー・ジョン手術を受け、2013シーズンどうなるかというところ(筆者は、MLB復帰は困難だとみているが)にきている。

例外は、黒田博樹で、38歳のベテランながら、今シーズンもMLBで活躍を続けている。ほかに、大家友和が1999~2009と在籍年数は長いものの、実績はいまひとつ。MLBから日本球界に復帰した石井一久も39歳で現役続行中だが、やはりMLBにおける実績はいまひとつ。そのほかの日本人投手のスターターで、MLBにおいて実績を残した者は思い当たらない。 

日本野球は、日本の分厚い野球文化を背景にして、優秀な選手を輩出してきた。しかしながら、非科学的な「英雄主義」と、誤った「チーム献身思想」に毒され、逸材を思いのほか、早くに球界から去らせる結果を招いている。このような悲劇から若い才能を守るためには、リトルリーグ、高校野球、大学野球において、投球数制限をルール化することだ。さらに、野球を志す若い才能を多様化して認知することだ。先発型なのかブルペン型なのかを見極め、適所にあった選手起用をすることだ。スポーツ医学界も、若年層の連投、多投を制限するよう、アマチュア球界に働きかけてほしい。そして、なによりも、日本のスポーツメディアが、若年投手の連投、多投を非難・批判するような報道をすることだ。

日本のスポーツ界は、指導者が選手に暴力(「体罰」と言われているようだが)を行使し、根性を鍛えることが「強化」の常識と化している。この暴力風土は、小中学校、高校、大学体育会で常態化し、指導者は暴力で選手を鍛えれば強くなると信じている。そのため、指導者の暴力を嫌って、才能のある若者が運動部から退部することもまれではない。優秀なアスリートが、指導者の暴力の行使により、理不尽にも、逆にスポーツから遠ざけられているのだ。

高校野球の全国大会(甲子園)では、直接的な暴力ではないものの、監督(指導者)が非常識な投球数を一人の高校生投手に課すことが当たり前どころか、美化されている。このたびの済美の監督による安楽投手への連投命令は、まさに体罰=暴力に匹敵する。

スポーツ医学界、メディア、スポーツ指導者の3者が、若年アスリートの身体と競技の妥当かつ合理的な関係に目覚めるのは、いったいいつの日のことになるのだろうか。若きアスリートの身体を消耗させることでカネを儲ける者を、これ以上、許していいものなのだろうか。

2013年4月2日火曜日

4月の猫(Nico, Zazie)

先月(3月)、Zazieが手術を受けたため、体重測定日を後ろにずらしたが、
 
今月から、月初測定にもどした。
 
Nicoが5.7㎏で前月より300g減。
 
Zazieは3.2㎏で前月より200g増。
 
Zazieは手術後、体重が増えているのみならず、活発である。
Nico

Zazie