2017年6月16日金曜日

『現代の“見えざる手”――19の闇』

●元木昌彦〔編著〕 ●人間の科学新社 ●1800円+税

本書は、編著者(元木昌彦)が19人の言論人にインタビューした記事の集成。元木昌彦はいくつかの週刊誌編集長を歴任したジャーナリスト。本書は2009年1月から2016年12月までの間、雑誌『エルオネス』に掲載された記事のうち、19本を抜粋して再掲したもの。本題にある「19の闇」の19とは、インタビュー相手の人数だ。

元木のインタビュー相手は、いわゆる左派、体制批判派の面々。論題は、反原発、反グローバリズム、反新自由主義、貧困撲滅、格差社会是正、マスメディア批判、司法の独立回復、資本主義批判、反秘密保護法、米国属国論…などに及ぶ。森友問題、加計学園問題について触れられていないのが残念ではある。

さて、前出の2009年1月~2016年12月という期間、日本を揺るがす大事件が3件起きている。一つは、2009年9月の民主党政権(鳩山内閣)の誕生。そして、二件目が2011年の3.11(東日本大震災及び福島原発事故)、三つ目が2012年12月の第二次安倍政権の誕生だ。

この間、日本国を取り巻く情況は大転換を遂げている。大雑把にいえば、(1)戦後の自民党政権が小泉・麻生政権で一区切りついた、戦後自民党独裁の終焉、(2)国民が「民主党政権」という希望を見出した(束の間の光の)歴史の始まり、(3)その反動=安倍政権という(闇の)歴史の始まり――といえよう。

鳩山民主党政権が打ち出した政策は、国民の希望を代弁するものが多かったと思うのだが、それを否定する保守反動勢力の抵抗はそれ以上だった。反動勢力はあらゆる手段を講じて、民主党鳩山政権打倒に結束し、政権を奪い返しにかかった。そのとき、威力を発揮したのが検察(警察)権力とマスメディアの合体だった。もちろん全官庁組織も鳩山潰しに協力したが、国民レベルに威力を発揮したのは、検察とマスメディアの共同だった。検察とマスメディアの協力体制は、孫崎亨の論証によれば、GHQの時代から今日まで続いているというが、第二次安倍政権において、一気に表に出てきた。民主党政権潰しのために構築されたシステム(体制)は、今日の安倍政権の強権政治に直結する。なお、ここでいう民主党政権とは、鳩山・小沢体制のことで、菅~野田政権は保守反動勢力に含まれる。

民主党鳩山政権が続かなかった要因はいろいろあるのだろうが、マスメディアが果たした役割は計り知れない。植民地日本の宗主国である米国が鳩山に拒否反応を示したとしても、国民が鳩山を支持し続ければ、簡単には潰せない。マスメディアが協力しなければ、短時間での鳩山潰しは成就しない。

それだけではない。日本のマスメディアの洗脳により、日本国民は民主党に完全アレルギー反応を起こしただけでなく、長期間にわたりそれを持続させている。加えて、現在の安倍政権は、マスメディアを駆使して政権に楯突く者に人格攻撃を繰り返し潰しにかかっている。このような手段が市民権を得て常態化したのは、鳩山民主党潰しに成功して味をしめた安倍のなすところだ。政策云々よりも、マスメディアの情報・印象操作が政権の殺生与奪権を握っている。

本書を読めば、日本のマスメディアが抱えている闇の深さが、理解できると思う。

2017年6月14日水曜日

日本代表、W杯アジア地区代表の資格なし

<W杯アジア最終予選:日本1-1イラク>◇B組◇13日◇イラン・PASスタジアム

ハリルの迷采配で日本苦境に
サッカー日本代表(FIFAランク45位)がイラク(同120位)と1-1で引き分けた。この試合はイラクのホームゲームであるが、戦乱下にある国情を考慮して、中立地イランの首都・テヘランでの開催となった。

試合は気温37度、湿度20%という厳しい環境の中での消耗戦となり、日本は前半8分にFW大迫(27=ケルン)が1点を決めたが、後半27分、ゴール前の混戦の中、DF吉田とGK川島の味方同士ぶつかり合い、イラクに同点弾を決められた。

炎天下、気温37度の下でサッカーは可能か

日本とイラクが中立国で試合をすることに異論があろうはずがない。だが、炎天下、気温37度の下でやる必要があるのだろうか。日没後でないのはなぜか。イランは電力不足の国なのだろうか。筆者は2009年にイランへ観光に行ったが、夜間、電力制限はなかったし、名所はライトアップされていた。イランが電力不足の状態にあるとは思わなかったし、そのような話は今も昔も聞いたことがない。試合開始時間の設定はテロ発生前からだから、テロ警戒のためでもない。

仮にも、日本のTV中継の関係(日本時間午後9時半というゴールデンタイム)上、日没前の現地時間4時55分キックオフならば、両国の選手及びサッカーファンにとって最悪だ。選手が最上のパフォーマンスを可能とする環境を提供するのが、FIFAやAFCのつとめであり、できうる限り最上の環境下でプレーできるよう、努力するのがこうした協会の義務だ。選手がよいパフォーマンスを発揮しやすくし、そしてそれをファンが享受できるために。

かりにも、酷暑、猛暑のため日本人選手が力を出しきれずに日本チームが負けてW杯にいけなくなったら、広告代理店もTV局も最良のコンテンツの一つを失うのではないのか。

サッカー選手は代理店・TV局の奴隷ではない

そればかりではない。炎天下では、選手に思わぬ事故や故障が発生しやすくなる。水分不足から筋肉系を痛めやすくなるし、注意力散漫から、選手同士の衝突や、受け身が取れなくなっての頭部打撲なども起こりがちだ。今回、故障者が多く出たが、選手寿命に関わるものでなく幸いだった。炎天下のため、選手生命にかかわる事故が発生したとしたら、代理店、TV局はどのような責任をとるというのか。アスリートはローマ時代の剣闘士ではない。代理店やTV局の奴隷ではない。

日本はアジアの代表になる資格がない

今月、日本はホームの親善試合(6月7日)でシリアと引き分け、中立国開催のW杯予選でイラクと引き分けに終わった。日本の対戦国、シリア、イラクは、政情不安どころではない、戦争状態にある。そんな国難にある相手に対し、日本はそのどちらにも勝てなかった。

いまから70年以上前、アジア太平洋戦争の最中にあった日本は、国中が米軍の空襲で焦土と化していた。いまのシリア、イラクも似たようなものだ。テロが相次ぐ分、そのときの日本よりも厳しい状態かもしれない。そのような情況で日本はスポーツの国際試合ができただろうか。

今日、平和な国・日本、その中にあって日本代表チームは協会の潤沢な資金援助を受け、国民、メディアから絶大な応援を受けている。何の不自由なくサッカーができる、世界で最も恵まれたナショナルチームの一つかもしれない。にもかかわらず、シリア、イラクに勝てない。

いまのサッカー日本代表はアジア代表として、W杯に行く資格がない。シリア、イラクの健闘があるとはいえ、スポーツの常識からいえば、恵まれた日本は国難にある両国に勝って当たり前。いや勝たなければいけない。「日本代表、情けない」の一言に尽きる。

シリア戦のアンカーをやめてダブルボランチに戻す

さて、試合内容に戻ろう。まずメンバー。

GK川島永嗣

DF昌子源
DF長友佑都
DF酒井宏樹⇒酒井高徳(後半31分)
DF吉田麻也

MF遠藤航
MF井手口陽介⇒今野泰幸(後半17分)

MF原口元気⇒倉田秋(後半25分) 0
FW本田圭佑
FW久保裕也

FW大迫勇也

この試合、シリア戦で採用したワンボランチ(アンカー)をやめて、4-2-3-1のダブルボランチに戻した。攻撃的MF(トップ下)には、シリア戦で故障した香川に代えて原口が入り、ワントップに大迫、右に本田が先発復帰し、左に久保が入るというこれまでにない形。

先制しながら日本は追い込まれる展開に

システム変更の成果ではないが、前半8分、コーナーキックから、日本が先取点を奪った。アウエーで喉から手が出るほど欲しい先取点が取れたのだから、勝点3が見えた、とだれもが思ったはず。まずは幸先の良いスタートを切った。ところが、ハリル采配の混乱から、試合はもつれた。

  • 後半17分、頭を強打したMF井手口のため1枚目の交代カード(今野を投入)を切った。この交代はいたしかたないが、これが混乱の前触れともいえるものだったとは
  • 後半25分、FW原口に代え、MF倉田を投入。結果的には、この交代で日本は勝ち越し点を奪う可能性をなくした。厳しい気象条件下、二人目の交代は早すぎた
  • 後半27分、DF陣の混乱から同点とされる
  • 後半31分、酒井宏が倒れ、担架で退場


ここで最後のカード(3人目の交代枠)として、最終ラインにDF酒井高を投入せざるを得なくなった。同点にされた後15分以上を残して、攻撃の切り札、FW乾、浅野を送り込めなくなった。しかもこのときすでに、FW久保は足を引きずるダメージを受けていて、試合に参加できない状態だった。久保は交代枠がなくなった以上、やむなくピッチに残らざるを得なくなった。同点にされた後の日本は、実質10人で戦わざるを得なくなった。

混沌としてきた日本の予選通過

かくして、日本は勝点3をとるべき試合で勝点2を失った。結果、日本は勝点17でB組トップを維持したものの、残り予選2試合(オーストラリア=勝点16、サウジアラビア=勝点16)を厳しい条件で戦わざるを得なくなった。オーストラリア戦はホームだが、日本はこれまでW杯予選で勝ったことがない。サウジアラビアとの試合は9月のアウエー戦となり、イラク戦のような中立国でないうえ、気候はイランよりも厳しいといわれている。オーストラリアは日本以外にタイと、サウジアラビアは同じくUAEとの試合を残しているが、どちらも勝点3が見込める相手だ。

オーストラリアが日本に勝てば、タイに勝つ可能性が高いので、勝点は16+6で最終22となる。日本と引分に終わると、オーストラリアは16+4で最終20となる。

日本はオーストラリアに負けた場合は、勝点17で最終サウジアラビア戦に臨む。日本がサウジとの最終戦に勝てば勝点20。ところがサウジアラビアはUAEに勝っている可能性が高いので、日本戦を前にして勝点19だから、サウジは日本と引分でOKだが、負けると日本のほうが2位になる。サウジが日本に勝つと勝点23となり、一気に首位に躍り出る。その場合、日本は17にとどまるのでオーストラリアに次いで3位となってしまう。

日本は、オーストラリアと引き分けた場合、17+1=18でサウジアラビア戦に臨むことになる。サウジはその時点で前出のとおり勝点19で日本戦に臨むため、サウジは日本に引分以上で2位以上通過できる。オーストラリアは前出のとおり20だ。もちろん、タイ、UAEが両国に負けると決まったわけではないから、グループBの上位2カ国がどこになるか混沌としてきた。

日本は次戦オーストラリアから勝点3を上げないと、最終サウジアラビア戦でひっくり返される可能性が高まる。かくして、日本代表のW杯予選通過は予断を許さなくなった。

2017年6月11日日曜日

『騎士団長殺し 第1部「顕れるイデア編」第2部「遷ろうメタファー編」』

 

●村上春樹〔著〕 ●新潮社 ●各1800円

凡庸な長編

退屈な凡作である。本書における状況設定、登場人物のキャラクター、比喩表現等々は、作者(村上春樹)がこれまで使い続けてきたものの焼き直しのように思える。思いつきで展開するストーリー、奔放といえば聞こえはいいが、支離滅裂なイメージの連鎖。そしてワープ。イデア、メタファーが実体化され、彼らがトリックスターとして、物語を進展させていくさまにうんざりする。

音楽業界では、創作に行き詰って解散を決めたロックバンドが、解散直前にベスト盤とか、レベルの低い未発表曲を集めてアルバムを出すことがある。筆者の本書読後の感想としては、“そんなアルバム”を聴いた後の虚無感とかわりない。しかも、“そんなアルバム”の二枚組なのだから、虚無感も二倍に増幅されたのである。

実感と乖離した設定

本書の発売を聞いたとき、まずもっていやな予感がした。筆者のまわりには、「村上ファン」であることを廃業した者がたくさんいる。「もういい加減にしてくれ」「読むだけカネと時間の無駄」といった声が渦巻いている。そんななか、迷った挙句の購入である。私には、「村上ファン」を廃業した人々に、今度の新作の評価を伝える義務がある。私が「つまらなかったよ」と彼らに一言いってあげれば、廃業者たちは、「そらみろ、オレのいったとおりだろう」と安心して喜ぶのである。そんなふうに自己合理化を図り、本書を購入した次第である。

さてこんどは、手元に本書があるにもかかわらず、読むべきか読まざるべきか迷った。けっきょくのところ、いやいやともいえる心境の中、読み始めるに至った。この“迷い”がどこからくるのかといえば、おそらく本題からであろう。“騎士団”というのは、日本にない組織名称である。西欧史に多少興味のある人ならば、「マルタ騎士団」「テンプル騎士団」くらいの名前は知っているかもしれない。中世、十字軍の時代、巡礼者の保護を目的に創設された武装キリスト教徒の集団である。しかし、“騎士団長”となると、まったくその名前が浮かんでこない。

本題の放つ印象から、本書は筆者にとって、距離をもった存在であることが直観された。もちろんそのことは、ひとえに筆者の西欧的教養のなさに起因する。その思いは、読み始めてすぐ(第1部・P101)、“騎士団長殺し”が、モーツアルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』のワン・シーンであることが明かされることにより、さらに深刻度を増した。「騎士団(長)」「オペラ」「ドン・ジョバンニ」と並べられることにより、筆者と本書との距離は、より遠ざかっていった。本書のこのあたりは、筆者にとって、通行の難所に設けられた関所のようだった。追い返されるような拒絶感――読み進めることの困難さとでもいっておこう。

「南京事件」の挿入はきわめて不自然

「思いつき」の実例を挙げておこう。主人公「私」は36才(第1部・P27)。そして、この物語の重要なカギとなる絵画作品(=「騎士団長殺し」)を描いた画家・雨田具彦は92才(第1部・P65)。具彦の息子で主人公「私」の親友である政彦は、「私」より2才年上(第1部・P26)だから38才という設定である。そうすると、政彦は雨田具彦が54才の時に誕生したことになる。このようなことは、世間になくはないが、かなり稀なケースである。政彦は親友である「私」に、自分が年取ったときの父の子であることを告白する方が自然であるが、そのようなくだりはない。

なぜ、かくも不自然な世代設定をしたのかといえば、作者(村上春樹)が「アンシュルツ」と「南京虐殺」を物語に挿入したかったからだろう。ナチズム及び日本軍国主義という20世紀の暗い歴史に対し、作者自身が異を唱える立場だということを明確にしたかったのだろう。日本の一部メディアは、村上春樹の「政治的姿勢」を評価していた。作者(村上春樹)の受け狙いか。

「アンシュルツ」については、物語の展開上、動かしがたい歴史的事象であり、前提である。その結果、主人公「私」をはじめとする登場人物の年齢に一般的でない不自然さが生じてしまった。前出のとおり、雨田具彦が高齢で子をもうけたことを無視して、物語はあたかもそれが普通のことのように、進められた。そうしなければ、この物語における人間関係、すなわち全体が成り立たなくなる。だから世代的齟齬を無視せざるを得なくなった。なお後者については、その余波ともいえるもので、まるで取ってつけたような挿入の仕方で、不自然さしか感じない。

家族とはなにか

本書の主題を筆者なりに推察すれば、〈家族〉に行き着くのだと思う。

  1. 「私」-「ユズ」は夫婦であったが、別れた(後に復縁するのであるが)関係で、これが物語の出発点になっている。
  2. 「私」-「コミ(チ)」は兄と妹の関係であったが、「コミ」は「私」が12才のときに年若くして死んでしまう。そして、「コミ」の生まれ変わりが「秋川まりえ」である。
  3. 前出の「雨田具彦」-「政彦」は父と子の関係であり、父の派生として「具彦」の弟(すなわち政彦のおじ)「継彦」が「南京事件」のショックで、若干20才で自殺したことになっている。
  4. 「免色渉」-「秋川まりえ」は父と娘の関係を象徴するが、実際は父-娘であるかはわからないままだ。

大文字の「母」

「秋川まりえ」の母は「まりえ」が幼いときに死んでいて、「まりえ」は「おば」の「秋川笙子」に育てられている。「まりえ」の本当の母は、かつて免色と深い関係にあったが結婚はしていない。そして、免色は「まりえ」を自分の子だと確信している。免色と笙子はやがて結婚することになる。

「ユズ」は「私」と別れた後、「ハンサムな男」と交際し妊娠するが、「ユズ」は身ごもった子の父親が「ハンサムな男」であることを頑なに否定する。では誰の子なのか。

この物語は、「私」と「ユズ」がよりを戻し、「私」が「ユズ」が身ごもった子供を引き取り、新たな「家族」を形成することで終わる。

このように、登場人物の関係を大雑把に見たとき、そこに「母」の不在に気づく。物語中、主人公「私」の母の話はまるで出てこないし、「まりえ」の母の具体的姿は語られない。「まりえ」の母代わりの「笙子」にも、母の面影は消去されていて、成り行きとして「まりえ」を育てているようにしか描かれない。登場人物の不可解で勝って極まりない行動(欲望)は、隠された大文字の母という他者の欲望なのだろうか。

描かれない女性の実存

作者(村上春樹)が理想とするかのような女性像は、この物語に限らず、胸の小さな中学生くらいの少女である。本書では、妹の「コミ」であり、その再来である「秋川まりえ」である。

その一方で、成熟した女性となると、主人公「私」のセックス相手となる「人妻」へと一気に飛躍する。その女性像は、浮気、不倫、噂話…に特化された、きわめて陳腐で定型化された「人妻」となる。あたかもそれは、昭和のピンク映画のごとくで、〈人妻=浮気、性欲、噂好き〉という類型的かつ差別的となる。物語中、そのような役割しか与えられないままなのである。

作者(村上春樹)はなぜ、女性の実存を描かないのだろうか。

2017年6月9日金曜日

サッカー日本代表、イラク戦は不安だらけ

<国際親善試合:日本1-1シリア>◇7日◇味スタ

サッカーW杯ロシア大会アジア地区最終予選イラク戦を控えた日本代表(FIFAランク45位)は、親善試合でシリア(同77位)と対戦し、1―1で引き分けた。日本は13日、中立地テヘラン(イラン)で開催される第8戦でイラク代表と対戦する。


日本代表、システムは4-3-3

日本代表のスタメンは以下のとおり。

GK川島永嗣(34=メッス)

DF長友佑都(30=インテル)
DF吉田麻也(28=サウサンプトン)
DF酒井宏樹(27=マルセイユ)
DF昌子源(24=鹿島)

MF今野泰幸(34=G大阪)
MF香川真司(28=ドルトムント)
MF山口蛍(26=C大阪)

FW大迫勇也(27=ケルン)
FW原口元気(26=ヘルタ)
FW久保裕也(23=ヘント)

本番(イラク戦)に向けて沸き起こった4つの不安要素

試合展開の詳細は省略するものの、大雑把に言えば、前半はシリアのスピードとフィジカルに日本が圧倒され、まるでダメという感じ。なお得点は、シリアが後半3分、日本が後半13分。

この試合では以下、4つの不安が認められた。▽香川が脱臼で故障、代表から外れたこと、▽新たにCBのレギュラーとなった昌子の守備力と吉田とのコンビネーション、▽日本のシステム4-3(1-2)-3(中盤の守備的MFが1人=アンカーとかワンボランチとも言う)、▽海外組にコンディションに不安のある選手が散見されたこと――だ。

どれも深刻だが、とりわけ、ワンボランチと急造CBコンビ(昌子と吉田)の2つの不安を抱えた日本の守備陣はどうだろうか。インサイドハーフ(この試合の先発は今野・香川→倉田)のうちどちらかを下げて、2ボランチに戻したほうがいいのではないか。

攻撃陣を構成する海外組のコンディションも悪い。全体的に守備が弱い状況で、いまのシステムだと負ける確率が高くなる。サイドの原口・久保、SBの長友・酒井宏が本番のイラク戦で復調しているかどうか。

本田のインサイドハーフはない

後半、右インサイドハーフに本田が入り、日本の攻撃にリズムと推進力が出たように見え、日本のスポーツメディアが「本田の新たな可能性」として称賛したが、それは違う。親善試合ではアウエーチームは後半スピードが落ちる。そこへ6人交代制で新たに入った選手がいい動きを見せたように見えるだけ。本番で本田がこのポジションで即機能するとは思えない。

本番では、イラクはシリア同様、球際に強く出て、フィジカルを活かして攻撃的に来るだろう。しかも後半まで攻撃を持続させるだろう。なぜならば、イラクのいまの順位では守りに徹しても意味がない。日本がシリア戦と同様、後手に回って先制を許し、そのまま押しまくられるようだと、日本がイラクに勝ち点3を献上する可能性は低くない。

テロ事件直後のテヘランは戒厳体制か

前出のとおり中立地開催ということで、テヘラン(イラン)で開催されるイラク戦。普通ならば、イランは親日感情が高い国だが、テヘランでテロ事件が発生したため、試合前、日本代表選手が息抜きのため、街中を散策したりショッピングをしたりすることが許されない状況となろう。当日は当日で、試合会場は戒厳体制となるだろう。思わぬ重圧が日本代表にかかることが否定できない。13日のイラク戦は、いろいろな面で日本代表にとって、不安だらけの試合となりそうだ。

2017年6月7日水曜日

「バベルの搭」展(東京都美術館)

「バベルの塔」展、なかなか良い展示であった。





上野公園・自由の女神

上野公園に自由の女神が。

なんでだろう。