2010年5月31日月曜日

小道



日暮里駅西口から谷中霊園に入る階段を昇ると、桜並木の小道がある。お彼岸や桜の咲く時期はお墓参りの人や観光客で騒々しいが、いまは人通りも少なく閑散としていて、歩くと気分がいい。

小道を進むと、天王寺に突き当たる。

2010年5月29日土曜日

疲れた

昨晩は、夕方の6時半から、谷中のY通りの居酒屋「T」、少し離れたH小路の韓国人ママの居酒屋「M」にて、12時半ころまで痛飲。

旧友のS氏のW杯南ア取材の壮行会である。

「M」の韓国人ママは日本語がまだまだで、おそらく、会話の半分くらいは理解していない可能性もあるが、明るく気さくな人である。カラオケが好きで、歌い方に迫力がある。

どういう経緯で言葉の分からない異国にあって、しかも、H小路という、ほんとに“どん詰まり”みたいなところで、居酒屋を始めたのか知る由もないのだが、とにかく、店がうまくいくことを祈っている。

きょうはそんなわけで、水分の取りすぎによる下痢ぎみだったけれど、いつもの時間にスポーツクラブへ。汗をたっぷりかいて、気分転換を図るつもりだった。しかし、あまり力が出ない。考えてみれば、6時間も飲んだり食ったり話したり歌ったりしたわけだから、疲れていてあたりまえか。

2010年5月26日水曜日

『玄界灘の島々(「海と列島文化」第3巻)』

●宮田登ほか[著] ●小学館 ●6627円(税込)

本書が取り上げる主な地域は、対馬、壱岐、沖ノ島、鐘崎(福岡県宗像郡玄海町)等である。そこは日本列島とアジア大陸・朝鮮半島の境界でもある。

■韓国から見た対馬、壱岐

アジア大陸から日本列島にいたる経路は、『魏志倭人伝』にあるとおり、朝鮮半島の金海(狗邪韓国)から海路で対馬~壱岐(一支国)を経て九州北部に入ったようだ。当時、北九州には、「末盧国」(佐賀県松浦)「伊都国」(福岡県糸島郡)「奴国」(福岡県博多)などがあり、その先に女王卑弥呼が統治する「邪馬台国」があると記されている。この記述は、朝鮮半島から島伝いに日本列島の中心(当時)に向かう安全かつ最短の順路であったと思われる。なかでも、対馬、壱岐は海路の中継地点として、重要な存在だった。当時、倭国より先進地域であった中国、朝鮮から、ヒト、モノ、情報、カネなどが、この地域を媒介して、倭国にもたらされた。

本書の諸論文中、「玄界灘に残る韓国文化」(任東権/イムドンクォン[著])が、朝鮮から見た対馬・壱岐の典型的認識を示す論文だと思われる。イムドンクォンによると、人類の移動は、寒冷地から温暖地へと向かうものだという。それが自然過程なのだと。このことは、一見自然のようだが、民族の正統性が「北」にあるというイデオロギーと不可分のものでもある。韓国人の常識には、日本列島の北に位置する朝鮮から南へ、すなわち、寒冷な朝鮮半島から、温暖な日本列島に向けて、民族移動があったはずだという前提があるようだ。

モンゴロイドの起源を特定することは不可能であるものの、彼らが地球の寒冷期への突入と同時に、北から南へ移動を開始した可能性は高い。しかし、歴史時代になると、人間集団(民族)の移動は、気候的要素に一元化できるものではない。朝鮮半島の住民が、対馬、壱岐を経て、日本列島に移動し定着したとはいい難い。しかし、朝鮮半島と日本列島が、もちろんその住民同士が活発に交流したことはまぎれもない事実である。同論文にあるとおり、韓国起源の山神信仰が対馬に残されているのは、明らかに、韓国からの影響であり、ヒトの移動を伴っていた。また、漂流神、天道(天童)信仰、檀君信仰等も、朝鮮半島~日本列島に広く分布する。海の正倉院といわれる沖ノ島には、中国・朝鮮を原産地とする遺物が多数奉納されており、古代のある時期、大陸文化が日本列島に一方的に流入した事実を否定しようもない。

地名についてみると、壱岐の全地域にいまも残る、「触(フレ)」のつく地名は、韓国語の古語の「村」を意味する、パル、パラ、ピレ、ヒラを起源とするのではないかという指摘も興味深い。

韓国語の古語と日本語の関係でいえば、対馬において、海神神社(いわゆる海神系の神社)に関するイムドンクォンの指摘に注目したい。日本においては、「ワタツミ」は、海神、和多都美と表記されるが、「ワタ」は“渡る”の意で、韓国語のパダ(海)に由来すると解されるという。つまり、日本の海神神社の起源は、朝鮮からの渡来神を起源としていることが、海神(ワタツミ)の語源から推察できるというわけだ。さらに、対馬にある海神神社は、海岸または海が臨める小高い丘の上に存するのであるが、そのことは、かつて海を渡ってきた人々の上陸地点か、または、定着した後に、故郷を臨める地点に信仰の中心地が建設された、と推測するのである。

■移動する海人

現代の漁業従事者というのは、港近くに居を構え、船にのって漁を行い、獲れた魚を販売することで糧を得る、いわゆる定住者のイメージが強い。家庭~港~出漁~帰宅というパターンである。ところが、「鐘崎と海人文化」(伊藤彰[著])を読むと、そんな漁民=定住民のイメージは吹き飛ぶ。海人の移動は「アマアルキ」といわれ、彼らは、「より良好な漁場があり、周辺に海産物を求める農村があり、そして領主の入漁保証と小屋掛けするだけの海辺の土地供与があればどこでも移住の対象地となった」(P396)という。鐘崎海人と隣接する大島海人(筑前)の分村は、瀬戸島(島根県)、夏泊(鳥取県)、輪島(石川県)に至っている。海人とは、「移動する民」なのである。彼らが漁業従事者であると同時に、海の軍事(海軍)を担う民であったことはいうまでもない。

ほかに、中世鎌倉時代から江戸時代に至るまで、日本の朝鮮外交を専門的に担ってきた、 宗氏の存在も忘れてはならない。

2010年5月24日月曜日

『1Q84 BOOK3』

●村上春樹[著] ●新潮社 ●1900円(税別)

本書BOOK2において、落雷と激しい雨の降る日、青豆はさきがけ教団のリーダーを殺害し、天吾を守るために自らの命を絶つ(はずだった)。一方、そのとき、天吾はリーダーの娘・フカエリと性交をした。その後、天吾は入院している父親の病床で、空気さなぎのなかに横たわる青豆の姿を幻視した。

BOOK3では、青豆は自殺せず、天吾の子を身籠って、生き延びていた。彼女は黒幕であり彼女の雇い主である老婦人らが考えた、教団の追跡を逃れる計画を変更し、天吾を見た高円寺の小さな公園の近くのマンションに潜伏する。そこで、日夜、ベランダから公園の監視を続け、天吾が現れるのを待つ。思わぬ展開である。読者は青豆が自殺することが必然だと感じていたはずだ。天吾と青豆が高円寺で接近するような展開を予想していなかったはずだ。

BOOK3では、BOOK1~BOOK2にて拡散した物語全体が縮小され、その舞台は、天吾が住み、青豆が潜伏する高円寺という町と、天吾の「父」が入院する「猫の町」の二箇所に集約される。そして、天吾と青豆の接近を媒介するのが牛河という、さきがけ教団に雇われた調査員である。牛河については後述する。

BOOK3では、BOOK1~BOOK2の「落ち」とも思える、リーダーの殺害~天吾の救済~青豆の自殺という設定が全否定され、荒唐無稽な展開を見せる。しかし、作者(村上春樹)が、これまで無秩序に拡散してきたイメージの集約化を意図しているのであろうか、説明・解説的記述が増えた分、全体がとても落ち着いた感じになっている。

この小説は伝奇的エンターテインメントであって、歴史(時代)、社会のあり方、権力の核心構造等の解明を意図したものではない。作者(村上春樹)がインタビューで述べているように、思春期、生活過程において、疎外された男女(天吾と青豆)の純愛を軸としている。天吾はNHKの集金人を父に、そして青豆は、新興宗教の熱心な信者の母をもつ。天吾は集金に、青豆は布教のための戸別訪問に同行させられたことになっている。このことは、思春期の二人にとって屈辱であり、理不尽このうえなかった。そんな二人があるとき啓示的な愛に打たれる。この小説の出発点は、二人の啓示的純愛であり、それを盛り上げるために、作者(村上春樹)の中に蓄積された様々なイメージが盛り込まれているにすぎない。

それはそれでかまわないのであって、面白くて読者が楽しめればいいのだが、純愛とアイロニーを描いた『春の雪』をスタートに、日本の近代史の核心を突いた、三島由紀夫の『豊饒の海』に及ばない。三島由紀夫と村上春樹の同質性はたびたび指摘されるところだけれど、『1Q84』3部作と『豊穣の海』4部作を比較するならば、エンターテインメントの質、作品の構想力(スケール)、時代を射抜く勢い(パワー)において、三島作品のほうが勝っている。

蛇足だが、作者(村上春樹)が、牛河という調査員の外形を、かくも必要以上に異形に描くことに違和感を覚えた。牛河という調査員は、過去に理想的家庭生活を営みながら、わけあってそこから離脱を余儀なくされ、人から軽蔑されるような下種な調査員に身を落としている男と設定されている。彼は、俗にいうところの「左脳」人間であって、地道に資料を集め、人に会って裏を取り、執拗なまでに時間をかけ、依頼された仕事を完成させようとする。牛河が導く結論は分析的であり、計算づくである。そして、その外形は、なぜか、恐ろしく醜い。なぜ醜くなければならないのだろうか…

本書の登場人物において、「牛河」の側に属すのが、NHKの集金人の天吾の「父」であり、新興宗教の熱心な信者の青豆の「母」だ。天吾の「父」は自分を裏切った妻が産んだ天吾を男手一つで育てたことになっているのだが、そのことは読者には明らかにされるものの、天吾に告げられることがない。天吾の「父」の集金人としての働きぶりは実直であり、それが滑稽に通じ、結果として不細工であるかのように描かれる。しかも、天吾の「父」の集金の仕事ぶりは常軌を逸していて、昏睡状態で寝たきりの「父」の魂は幽体離脱し、潜伏する青豆らを脅す。そればかりではない。「父」が火葬にふされるとき、NHKの集金人の制服を着ることになるのだが、それは真面目な生活者の滑稽さを揶揄したもののように思える。NHKの集金人を肉親に持つ人々は、本書のこの場面をどうのように受け止めたことであろうか。

その一方、青豆・天吾はもちろんのこと、青豆の黒幕である老婦人、老婦人を守るタマル、そして、フカエリは身体的に美しく、シェイプアップされ、生活臭を帯びず、すっきりとしていて、テンポのよい俗にいうところの「右脳」人間になっている。彼らには実生活、労働、人間関係、家族関係、倫理、法・秩序の煩わしさが感じられず、臭いすらない。天吾が寝たきりの「父」を入院先の病院に長い間見舞い、結局、「父」の死に遭遇するのであるが、それでも、天吾と「父」の関係は、実生活上の肉親の死に遭遇した者が迫られる状況とは異なっている。

前出の牛河は、老婦人に雇われている美しいゲイの殺し屋であるタマルに殺害される。この場面は、ナチスドイツがユダヤ人虐殺と同時に行った、身障者迫害を連想させる。肉体的に美しい「優性民族」が、劣性とされる民族や、ハンディキャップを負った人々を排除するのである。牛河がタマルに殺される場面は、牛河が青豆やその黒幕の老婦人を危機に陥れるから殺害されるのではなく、彼が醜い外形であるが故に、抹殺されるかのように受けとめられる。作家(村上春樹)の小説上の排除の傾向は、いくらフィクションの世界であっても、安易に容認されるべきではない。

物語の終幕、天吾と青豆が「1Q84」の世界からの脱出に成功し、“こちら側”で結ばれる。それは、ハッピーエンドを示唆するが、もちろん、“BOOK4”が書かれたとき、このハッピーエンドがひっくり返される可能性はある。とにかく「何でもあり」なのが村上ワールドなのだから。4部作となるかどうかはもちろん、わからない。

何年か経ったとき、2010年にこの3巻の小説が異常に売れたことを覚えている人は、あまり多くはないだろう。

2010年5月23日日曜日

『ルポ 貧困大国アメリカ 2』

●堤未果[著] ●岩波新書 ●756円

本書は、米国社会の実相ルポの第二弾だ。第一弾は、アフガン・イラク戦争、サブプライムローン破綻、リーマンショック下の、そして、本書では、オバマ大統領誕生以降の、米国の姿が扱われている。

前書では住宅ローン破綻で家を奪われた人々や、借金苦の若者が「対テロ戦争」にかり出されていく構造が報じられたが、本書では、国民皆保険制度に反対する医産複合体(保険業界、医療業界)のロビー活動の結果、病人が高額な債務を背負わされるプロセスや、債務者が戦争に行く代わりに刑務所に放り込まれ、刑務所で強制的低賃金労働に従事させられる実態が明らかにされている。まったくもって、信じられない話だ。

米国で生活をしたことがない者には、本書が米国の「真の姿」であるのか、誇張された「虚の姿」であるかは断じるすべがない。だがそれでも、筆者は本書を信じる。なぜならば、その内容が、日本のマスコミがこれまで意図的に報じてこなかった米国民の悲惨な姿だと推測するからだ。筆者は、21世紀の米国社会とは、富めるものと貧なるものが固定化した、強固な階層社会だと確信する。また、米国=豊かな中産階級国家という神話が崩壊したことをも確信する。この神話は、日本が米国との戦争に敗れた後、1960年代を通じて日本国民に刷り込まれた“情報”だった。

米国に逆らってはいけない、米国は自由主義の旗手であり、自由主義に基づく理想の国家なのだ--というのが日本の国家権力及びマスコミの共通認識であり、そのようなメンタリティーの下で、「日米同盟」は維持されてきた。米国のありのままの姿を日本国民に知らせないことが、日本の権力者とその同伴者たるマスコミの情報戦略だった。そしてそのことは、いままさに普天間問題報道で維持されている。

本書を読む限り、かつての“栄光の米国中産階級”はとっくに二極分化過程を終え、極端な富者と極端な貧者に分断・固定化されてしまっている。そのことをなぜ、日本のマスコミは報じないばかりか、“自由なアメリカ”“アメリカンドリーム”を喧伝し続けるのか。

米国の一般的学生が学費ローンの「蟻地獄」に取り込まれるプロセスが本書に詳しい。米国の若者は、有名大学を卒業しなければ、「まともな就職」ができない、という恐怖に陥っているようだ。そうでなければ、薄給(時給)の外食産業従事者、不安定な非正規労働者にしかなれないことを知っているからだ。このあたりの事情は悲しいかな、日本は米国に近づいている。

若者は高額な学費を必要とする有名私大に入学するため、学費ローンを組む。ところが、超エリート大学には最初から、入学できない仕組みになっている。米国の超エリート大学とは、たとえば、“アイビープラス”と呼ばれる(ブラウン、コロンビア、コーネル、ダートマス、ハーバード、プリンストン、ペンシルバニア、イエールの“アイビー”に、マサチューセッツ工科、スタンフォード、デューク、シカゴ、カリフォルニア工科、ジョンズ・ホプキンスを加えたもの)。この“アイビープラス”には、いくら優秀でも、裕福な家庭の学生以外は、入学できないといわれている。その理由は公表されていないが、大学側が、大学施設を維持するために必要な寄付金を入学者に期待しているからだろう。

超エリート大学への入学の道を不本意にも閉ざされた中産階級以下の大量の学生たちは、次のクラスの大学に入学せざるを得ない。そこで彼らは、卒業後に高額な年収を得られるという見込みのうえで学費ローンを組む。しかし、実際には卒業後の彼らにまともな職はない。とりあえず、仕方がないので、低額時給のファーストフード業等に従事し食いつなぐ。彼らの低い収入では当然、学費ローンの返済は滞ることになるから、借入利子が膨らんで、不良債務者に転落していく。

だが、そうなれば、学費ローンを学生に供給したローン業者も大量の不良債権を抱え込んで経営が立ち行かなくなるのではないか・・・と思うのだが、ここに米国が掲げる「金融立国」の問題点が潜んでいることがわかる。

米国では学費ローンは、公的セクターが担ってきたが、いつの間にか民営化されていた。学費ローン企業は、“債権の流動化”と称して、学生に貸し付けた債権を傘下の債権回収業者(サービサー)、債権取立て代行業者等に売り払う。債権の流動化というのは、日本でも古くから行われていて、たとえば手形の割引や、借金の取り立て代行などが該当する。100万円の借金の取立てができなくなった債権者が、回収ゼロよりは…という思いで、それを専門業者に50万円で売り払う。債権を引き継いだ専門業者が債務者から50万円以上を取り立てれば、その分が利益となる。利息を計算すれば、100万円の債権はたとえば200万円くらいに膨らんでいることもあるかもしれないから、サービサー等が利息を含めた借入額全額を回収できれば莫大な利益を得られる。

米国の学生が借り入れを返済できなくなった学費ローンの利子を含めた総額は、時の経過とともに額面上は莫大な(債権)額に膨らんでいるわけであるから、それをサービサーが次から次へと転売(=流動化)していくことにより、架空の(未実現でありながら利息計算上の)利益を得られるように見える。典型的な「ババ抜きゲーム」だ。債務者である学生には、過酷な取立てが行われる一方で、流動化の出口でババを掴んだサービサーは当然破綻する。サブプライムローンと同じ結果だ。学費ローンの未実現の債権はいろいろな金融商品に織り込まれているから、証券を購入する投資家には見えない。それがどこかで破綻すれば、一気に金融危機がやってくるというわけだ。

学生が過剰な学費ローンを組むからいけないのだ、というかもしれないが、高校を卒業したばかりの若者には、大学進学以外に職を得る道がないと思うのは当然だし、将来、ローン返済が不可能になるとは思わない。ナイーブな若者を食い物したローンビジネス=債権流動化(証券化)ビジネスが諸悪の根源にある。

さて、本書がささやかながら伝えているのが、“オバマ大統領の真実”だ。就任当初7割という支持率から比べれば、現在5割に支持率は落ちたというものの、およそ半分の米国民はオバマを支持している。50%という数値は、オバマが“貧困大国アメリカ”の救済者なのか、所詮はブッシュと同じ、富者のための大統領なのかについて、米国民が判断しかねていることを表しているようにみえる。大統領選挙前から、3割はオバマを社会主義者だとして支持しないリバータリアンだろうから、オバマに期待した国民のうちの2割が彼を見切ったことになる。

この先、オバマの支持率は更に低下するであろうし、おそらく、米国の貧困も改善されないだろう。よしんば改善されたとしても、「××バブル」のおかげだろう。日本国民は、そんなオバマの米国をまだ信奉し続けるつもりなのだろうか。

2010年5月15日土曜日

読書の整理

2010年3月以降、今日まで、『海と列島文化3-玄界灘の島々-』『エクリチュールと差異-下』(ジャック・デリダ[著])『1Q84book3』(村上春樹[著])を読了。

いま、『貧困大国アメリカⅡ』(堤未果[著])を読み始めた。すぐ読み終えるだろう。

2010年5月5日水曜日

GW終了

GWが終わった。

久々に日本で過ごした。

拙宅界隈は、観光客で大賑わい。

相変わらずの「下町ブーム」のようである。

2010年5月3日月曜日

復活

風邪が完全に抜けたとはいえない中、スポーツクラブへ。

病み上がりということで、「軽め」のはずのトレーニングが、結構厳しい。

とりわけ、スクワットがきつかった。

家に帰り、昼寝から目覚めると、風邪が抜けた感じ。

いつまでも「病気」の意識がかえって、「病気」を長引かせていたのかもしれない。

2010年5月2日日曜日

スターリンの亡霊



旧共産圏の東欧には、支配者だったソ連や、その権力者・スターリンを揶揄する定番のジョークがあった。

“この街で一番の景色を見るとしたら、どこがいいのかね?”

“そりゃあ、あの塔の上が一番さ”

“どうして・・・”

“だって、あの塔が絶対に見えないじゃないか”

往時、東欧を支配したソ連は、東欧各国の主要都市に高い塔や無骨な高層建築物を建てまくった。この手のジョークは、それがいかに醜く、東欧の歴史的街並みにそぐわないものであったかをいまに伝えるものの1つだ。

さて、「東京スカイツリー」である。筆者は、この鉄の塔の存在を忌々しく思っている。東京の街並み、とりわけスカイラインは破壊尽くされ、いまさらスカイツリーが建てられたとしても、美観に影響を及ぼさない、といえるかもしれないが、筆者の拙宅の窓から見えることが気に入らないのである。

幸いにして、日本で一番高かった東京タワーは拙宅から絶対に見えない位置にあるので気にならない存在だが、スカイツリーは嫌でも、ベランダの真正面に聳え立つ。それは、不気味な墓石のようにも、また、壮大な無意味さ、虚無のようにも映る。

さて、20世紀の到来を記念して、パリにエッフェル塔が建てられようとしたとき、パリ市民の多くが反対をした。しかし、時の経過とともにエッフェル塔はパリを代表する建築物になった。古いものを守ることも大事だが、新しいものを受け入れることも大切だといわれる。それが、生活に必要な電波環境の向上のために必要なのだから、高い塔を建てることは必然なのだと説明される。パリにエッフェル塔が必要だったように、東京にも、いま、スカイツリーが必要なのだと。

科学に無知な筆者には、「東京タワー」が無用になった理由が分からない。エッフェル塔が電波塔なのかどうかもわからないのだが、パリに2つも塔はないし、新しく建てる計画も聞いたことがない。ニューヨークやロンドンにはあるのだろうか、なぜ、東京には、2つもの高い電波塔が必要なのだろうか・・・

筆者には、だから、スカイツリーを観るたびごとに、日本には、「日本型スターリン」が存在しているのだと確信している次第である。

2010年5月1日土曜日

不覚にも



GW前に風邪を引いた。

風邪を引いたのは何年ぶりかのこと。

調子がよかっただけに誠に残念。

家でゴロゴロして休養するしかない。