2009年6月18日木曜日

『カラー版 イタリア・ロマネスクへの旅』


●池田 健二[著] ●中公新書 ●1000円(+税)

日本人がイタリア文化に抱く親密性は、古代ローマとルネサンスに二極化しているように思える。イタリア観光で人気のある都市といえば、おそらく、ローマ、ポンペイ、ミラノ、フィレンチェ、ヴェネチア・・・と続くのではないか。イタリアの高級ファッションブランド購入ツアーを除くとしても、日本人のイタリアへの関心は、古代ローマ時代とルネサンス時代に集約されよう。

イタリアにも、もちろん、中世という時代がある。イタリアの中世、すなわち、ローマ帝国がゲルマン系諸民族の侵入を受け滅亡した後、イタリアの地では、古代ローマ文化とゲルマン系文化の融合が進み、さらに、ビザンツ文化の影響も加わった。こう書くと、いかにも順調に時代が進んだように思えるが、ローマ帝国滅亡後、異民族の侵入で疲弊したイタリアが活力を取り戻すのは、西ヨーロッパ地域の回復期と同様、10世紀以降のことになる。ローマ帝国の東西分裂(395)から数えて、実に500年以上を要している。

本書が取り扱うロマネスク芸術の時代とは、11世紀以降、十字軍遠征の時代(1096年から約200年間)をピークとし、その様式がゴシックにとって代わられるまでの間、すなわち、中世初期に該当する。ヨーロッパの農業が安定し、人口が増え、新たな産業が興りつつあった時代である。

ローマ帝国末期、イタリアに侵入した主なゲルマン系民族について時代を追って記すと、まず始め、フン族に追われたゴート族が2~3世紀にローマ帝国内に移動しはじめ、5世紀にはローマを一時支配するに至る。さらに、6世紀にはロンゴバルト族の侵入が始まり、ロンゴバルト王国が建国された。イタリアのロンバルディア地方という名称は、ロンゴバルト人の土地という意味だ。さらに、カール大帝が率いるフランク族により、774年にロンゴバルト王国は滅亡し、フランク王国の支配を受ける。

そればかりではない。5世紀、ゲルマン系のバンダル族がカルタゴを本拠にして、南イタリア、シチリア島を含むバンダル王国を建国している。また、12世紀、傭兵としてやってきてこの地に土着したノルマン族が、ノルマン公国を建国している。さらに、海賊として脅威を与えたイスラーム勢力や、長期にわたって介入を繰り返した東ローマ(ビザンツ)帝国(=ギリシャ勢力)の影響を加えることもできる。

“ロマネスク”の語意は「ローマ風」ということになるから、ローマ帝国のお膝元であるイタリアならば、その開花は当然のことだと思いがちであるが、ロマネスク芸術の担い手は、本家の古代ローマ芸術を担ったイタリア人ではなく、カトリックを受容した、ゲルマン系民族であった。イタリアに根を下ろした彼らは、ローマ風を基礎にしながら、彼らの出自とする北方的要素と、ビザンツ、イスラーム等の東方芸術を融合させ、ロマネスク芸術を開花させたのである。

さて、本書で取り上げられているロマネスク教会等の所在地は、▽ロンバルディア地方=ミラノ、チヴェーテ、パヴィア、▽エミリア・ロマーニャ地方(パルマ、モデナ、ポンポーザ)、▽ヴェネト地方(ムラーノ、トルチェロ、ヴェローナ)、▽トスカーナ地方(ピサ、ルッカ、サンタンティモ)、▽ラチィオ地方(サン・ピエトロ・イン・ヴァッレ、カステル・サンテリア、バロンバーラ・サビーナ)、▽アプルッツォ地方(ロシィーロ、サン・クレメンテ・ア・カヴァウリア、ペテロッラ・ティフェルニーナ)、▽プーリア地方(トラー二、モルフェッタ、オートラント)、▽カンパーニア地方とシチリア島(サンタンジェロ・イン・フェルミス、カゼルタ・ヴェッキア、チェファルー)である。

その中で筆者が見たことのある建物は、ヴェネト地方のヴェネチアの離島トルチェロにあるサンタ・マリア・アッスンタ旧大聖堂のみ。ミラノ、シチリア島には行ったことがあるが、サンタンブロージュ教会(ミラノ)、サンティ・ピエトロ・エ・パオロ大聖堂(シチリア島)には寄らなかった、というよりも、その存在すら知らなかった。

というわけで、ロマネスク芸術というと、フランス、スペインを想起しがちであるが、イタリアもあなどれない。本書を手がかりにして、未知なるイアリア旅行の企てが可能となる。

なお、池田健二[著]の『フランス・ロマネスクへの旅』が同じ出版社の同じ体裁(中公新書)で刊行されているので、併せての一読をお奨めする。