2010年1月14日木曜日

「反共」は死語ではない ?

ここのところの鳩山首相&小沢幹事長(以下「小鳩」と略記。)に対する検察とマスコミの動向はかなり、ヒステリックなものとなっている。検察とマスコミの動きは、30年前の田中角栄をターゲットにした攻撃に近いものに発展していく予感がする。“角栄バッシング”のとき、筆者を含めて世間の多くの人々は、“角栄攻撃”の実態についてわからなかったし、いまもわからないままだ。ただ、あのとき筆者は、“角栄は悪いやつだ”と思ったのだが、果たして本当にそうだったのか。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の田中角栄の項目を読むと、角栄が総理大臣の時代(1972~1974)に行った、すなわち東西冷戦の時代の外交のうち、以下の3点が注目される。1つは有名な訪中による、「日中国交回復」、2番目は、訪ソ(ソヴィエト連邦・当時)におけるシベリア開発の促進、そして最後は、日本外交として画期的なイスラエル不支持(アラブ支持)である。このとき中東ではイスラエルとアラブ側とで第4次中東戦争が戦われていた。角栄はイスラエル不支持に加えて、米国石油メジャーからの原油輸入に依存しない原油調達を模索していたらしい。Wikipediaでは、角栄のこの決定が、米国(石油資本及びイスラエルロビー)の怒りを買い、後の金脈・ロッキード疑獄に発展した、という“陰謀説”を紹介している。

角栄に対する攻撃は、自称ジャーナリスト・TTが口火を切り、やがて全マスコミもその流れに乗った。当時、およそ無名だったTTが結果的には、角栄を追い詰めたヒーローとなり、「ジャーナリスト」として確固たる地位を築いた。

しかし、角栄が首相になったとき、マスコミは「いま太閤」「コンピュータ付ブルドーザー」との仇名を付けて絶賛した。角栄の政策の下、少なくとも日本経済は順調だった。ところが、前出の「イスラエル不支持、アラブ支持」へと角栄が日本外交の舵を切った後、流れが変わったのである。角栄の政治手法に問題がないとは言わないし、彼の「ゲンナマ作戦」が適正だとも思わないが、内政上これといった失政のないまま、彼は失脚へと追い詰められていったのである。だから、“陰謀説”にはかなり信憑性があり、筆者は、角栄を追い詰めたのはTTの背後に控える巨大な闇の力に違いない、と信じる者の一人である。

70年代の角栄の愛弟子がいまの民主党幹事長の小沢一郎である。小沢がマスコミから不当な攻撃を受け続けているのは、よく知られている。しかしながら、その確たる理由は明らかではない。闇将軍、二重権力、豪腕、売国奴、独裁者・・・といったイメージ的形容詞が並ぶのだが、その実態を伝える客観的なデータや事実の記述や証言は存在しない。小沢が、○○を脅した、怒鳴った、切った・・・といった表現がマスコミに踊るが、脅された者、怒鳴られた者、切られた者からの証言が表に出たことは管見の限りないのである。

筆者が信じている“陰謀説”の仕掛人は、もちろん、日本の検察の背後の勢力を指す。70年代つまり冷戦下、角栄は米国の意に反し、東側の大国である中国、ソ連に急接近し、さらに、中東において親アラブ政策を選択し、石油メージャーと対立した。このことが米国の反感を買ったと推測するほうが自然であり、角栄失脚にCIA等が動いた可能性は十分あり得る。

さて、21世紀、冷戦終了から20年以上が経過したいま、小鳩体制を米国側から見たとき、どのような評価がなされているのであろうか。その結論を出す前に、角栄と小鳩の中間に位置した細川政権のことを思い出してみたい。細川政権はいまからおよそ16年前の1993年8月、自民党政権に代わって誕生したものの、わずか263日の短命で終わった、反自民政権である。角栄退陣から19年後、細川内閣は国民の期待を担って誕生しながら、あっという間に消滅した。その細川政権の外交を端的に表現した言葉が「『No』といえる日本」であった。これは1989年、当時ソニー会長の盛田昭夫と石原慎太郎(自民党政治家・当時)の共著により刊行されたもの。詳しい内容は省略するが、日本が米国の隷属から脱し、独立、自立した国家としてやっていこうというものであった。

もちろん、日本の自立・独立の志向は、米国にとって望ましくない傾向である。当時も今も、東アジアにおける脅威はロシア(当時ソ連)、中国、北朝鮮であり、それらに日本が加われば、同地域において米国が最も憂慮すべき事態の1つが生じた、ということになる。今日、米国はユーラシア大陸に限れば、イラク、アフガニスタン、イラン、北朝鮮で問題を抱えており、それに日本が加わらないまでも、米国にとって手ごわい交渉相手となれば、米国の世界戦略にとってプラスになることはない。日米間の「協議」「調整」に費やす時間と手間は、米国にとってやっかいな因子となる。もちろん、日本の自立的傾向が即座に日米対立、日米戦争に至るわけではないが、いずれ、日本が「No」と言い出すことは目に見えている。

角栄は「田中金脈」から「ロッキード事件」で失脚し、細川は「佐川急便事件」で政治生命を絶たれた。いずれも、政治家とカネの事件として報道され、国民的支持を失ったのである。そして、いま、小鳩である。両者とも「政治資金規正法」の事務的な微罪で秘書が検察に調べられている。

小鳩の外交は反米的なものではないが、地球温暖化対策では、米国を無視してCО2削減25%を打ち出し、いま、普天間問題で米国と距離を置こうとしている。さらに佐藤政権下の核持込密約が表面化し、これまでの日本と米国の外交のあり方の不透明性が日本国民の前に明らかにされようとしている。いまの流れは、山頂の湧き水のように、極めて小さなものに過ぎないが、いずれ日米関係を揺るがす大河に至るはずである。

エマニエル・トッド著の『帝国以後』にあるとおり、米国=「超大国」は幻想であり、小鳩がその幻想に規定されない政治家であることは明白である。米国への従属を外交姿勢とした自民党政権=小泉・安部・麻生とは一線を画している。

自称ジャーナリスト・TTが小鳩攻撃により、一部週刊誌で復活をしているが、今の世の中では週刊誌の影響力は当時に比して格段低下している。インターネットを見れば、もっと刺激的な「情報」が行き来している。40年前とは状況が違っているし、政治家もそれなりに学習を積んでいて、大金が絡んだスキャンダルを引き起こすことはない。だから、かつて、日本の検察がマスコミを効果的に利用して角栄や細川を葬った、「検察モデル」を使っても、小鳩は打ち落とすのは難しい。このたびの、小沢の金脈問題も検察側の無理筋という見方もある。検察・マスコミの小鳩攻撃では、鳩山内閣の支持率を多少下げることはできたとしても、小鳩の進退を極めさせるまでに至っていない。

ここで気になるのは、小沢一郎が「親中国」の政治家であることだ。日本の検察の延長線上に、「反共(反共産党)」を標榜する勢力が内在すると考えることは憶測にとどまるまい。いまさら、ロシア・中国・北朝鮮が共産主義国家だとはだれも思っていないかもしれないが、旧社会主義国家に顔を向けた政治家が――たとえば、田中角栄、金丸信、加藤紘一、田中真紀子、鈴木宗男といった面々の失脚の現実を踏まえるならば――日本の最高権力を奪取することは、なんとしても、日本の検察が阻止する、と考えて不自然ではないのかもしれない。となれば、小沢の失脚の可能性の高いことは、現代史が証するところなのであろうか。日本の政治のあり方は、日本国民の投票ではなく検察が決める、のであろうか。