2010年12月5日日曜日

「ウィキリークス」は世界を滅ぼすか

民間告発サイト「ウィキリークス」(創設者/ジュリアン・アサンジュ/39才)から、膨大な外交文書がインターネットを通じて公開されたことが話題になっている。わが国の場合、この問題については、ネット時代の脅威という観点から議論されることが多い。

また、先の尖閣沖中国漁船衝突映像が海上保安官の手によって動画サイトに投稿されたときは、TVに出演するジャーナリスト、野党政治家からは、国民の知る権利を大事にしろ、政府は国民に情報をすすんで開示すべきだという意見が出され、いまなお、世の大勢としては、映像を非公開とした民主党政府に批判が集中している。もちろん、映像が動画サイトに投稿されたことから、ネット時代の新しさとして話題となった。

「ウィキリークス」「尖閣ビデオ」の2つの問題は、「知る権利」と「国家の安全」の背反性、そして、インターネットという新しいメディアの脅威に議論が集中している。だが、まずもって、これらの観点だけで、ことの本質をとらえることが難しいと心得るべきだろう。

○はじめに秘密保持契約ありき

情報を秘密保持とするか、公開するかの関係を整理してみよう。企業間の取引等においては、当事者同士が取り決めをする。企業が何らかの取引をする際、取引先に、自社の情報の開示を必要とする場合がある。その場合、取引上知りえた情報を第三者、競合他社等に漏洩させないよう、相互に秘密保持契約を締結することが普通である。「秘密情報」は、英語でConfidential Informationと表現されるところから、自社の秘密情報を守る契約を、Confidential Agreementと呼ぶことがある。最近の日本のサラリーマンの間では、「CAを結ぶ」という言い方で、広く使われている。また、英米では、Non Disclosure Agreement と言われることも多く、「NDA」と呼称されるが、日本では「CA」のほうが広く使われているような気がする。

企業に限らず、自分たちが努力して開発した技術等を他者に盗まれることは、その存続を危うくする。そのことは、従業者を何千、何万と抱える大企業から、まちの小規模な飲食店に至るまで共通する。たとえば、繁盛しているラーメン店ならば、その味付けは秘伝であり、テレビの取材があっても、ここから先は「企業秘密です」なんていって、カメラを入れない。おいしいラーメンの作り方は“国民の知る権利”なんて論理は通用しない。“国民”がおいしいラーメンの秘密を知るためには、そのラーメンを食べて味を記憶し、その味付けを再現するため、様々な調味料等々を買い込み、実験、研究を重ねなければなるまい。それでも、素人の努力では、秘伝のスープに近づけない可能性のほうが高い。

○不正、犯罪は秘密保持契約の対象外

秘密保持契約は、当然のことながら、国家間同士の取引、交渉に適用される。国家同士が秘密保持契約を締結することはないけれど、それは外交ルールの基本中の基本である。

「ウィキリークス」は告発サイトであり、同サイトが成り立つ条件は、秘密情報を許可なく、持ち出す者が存在することである。通常、告発者と呼ばれるが、「ウィキリークス」に情報を提供する者は国家公務員等である場合がほとんどである。しかるに、国家(政府)と従業者(公務員)の間には、秘密保持契約が結ばれている。日本の場合、国家公務員法である。日本の企業の場合は、職務規程等であろうか。だから、告発者は、大雑把にいえば、契約に違反している者となる。

しかし、ことはそう単純ではない。国家、企業は、彼らが不正、不法、犯罪を行いながら、そのことを開示しないケースもあるからである。その場合、従業者(公務員、サラリーマン等)は告発を行う義務があるといって過言でない。政府や企業が行った、不正・不法・犯罪が秘密とすべき情報かというと、当然、「秘密」に該当しないから、不正を知る者の告発は義務であり、告発者は守られて当然であり、秘密保持契約の不履行に該当しない。

たとえば、イラク戦争において、アメリカ軍がイラク民間人をヘリコプターから銃撃し、多数死なせた映像が「ウィキリークス」によって公開されたケースは明らかに、米軍(人)の(戦争)犯罪が公開されたのであって、秘密保持契約の対象外である。米軍こそが裁かれるべきなのであり、映像告発者は人間としての義務をはたしただけである。

○アメリカを売った男――情報漏洩の根源にあるもの

告発とスパイ行為という、境界が紛らわしい概念がある。両者を截然と分離できるとは思わないが、参考となる素材を紹介しておこう。『アメリカを売った男』(原題:Breach、2007年、アメリカ)という映画である。この作品は、冷戦時代のアメリカで実際に起こった、ロバート・ハンセンによるスパイ事件を基にして作られた。原題のBreachを訳せば、(法律・義務・約束などの)違反、不履行、破棄となる。 a breach of contractならば契約違反、a breach of confidenceで秘密漏洩(ろうえい) 、a breach of trustで法律信託違反(受託者の義務違反)、背任となり、Breachという言葉の使い方から、映画のニュアンスが伝わると思う。クリス・クーパーが演じるロバート・ハンセンは、出世コースから外れた定年間近のFBI捜査官。詳しいストーリーは省略するが、この映画によって、人がスパイ行為を働く動機の一端を知ることができるのである。

米国ならばFBI、CIA、国防省・・・日本ならば、検察、自衛隊、海上保安庁、警視庁、警察庁・・・なんでもいいのだけれど、国家の機密を扱う部署に従事する者が、なぜ、冷戦時代の敵国であったソ連(当時)に自国の情報を渡すのかが、分かるような気がする。

スパイ行為の動機としては、①イデオロギー、②金銭、③個人的事情、などを、筆者ならば想像できる。①は、米国民でありながら共産主義者であって、ソ連を支持する者であるところから、米国政府の転覆を早めたいというもの、②は、スパイ行為が金になるから、③は、敵側に私生活上の弱み(不倫、不正等)を握られ、ゆすられて、敵側に情報を渡すはめに陥る――といったところか。

ところが、この映画のハンセン捜査官のスパイの動機は上記のいずれにも当てはまらない。彼にとって、「スパイ行為」こそが、自己の重要性の唯一の自己確認手段であった。FBIという組織内で出世コースから外れた男は、企業の出世コースから外れたサラリーマンと同じような鬱屈した気分に支配される。定年退職間近にして、彼に与えられた勤務室は小さく窓がなく、秘書官は若い捜査官一人きり。ハンセンが組織内で冷遇されていたことがわかる。

ハンセンは逮捕されるまで10年間以上も米国の敵国であるソ連(当時)にFBI情報を渡し続けたのだが、その主因が、自己の優越願望の実現であったことは明らかである。自分を重要人物として扱ってくれるのは、FBI(祖国)ではなく、ソ連(敵国)であった。彼はFBI内においては自らの気概を示すことができず、FBIの監視の目を盗み、欺き、祖国の機密を敵国に渡し、ソ連から重要人物として遇されることに気概の達成を感じていたのである。

冷戦時代(いまなおスパイは存在するのだろうけれども)にインターネットはなく、政府組織で上昇志向に失敗した官僚(捜査官)たちは、己の優越願望の達成をスパイ行為に代替したのである。その一方、インターネット時代の今日においては、スパイというリスクの高い犯罪は敬遠され、情報源が完全に隠匿できる「ウィキリークス」のような告発サイトを利用するようになった。

ハンセンはスパイによって、ソ連から報酬を受け取っていた。しかし、彼がスパイを働く目的・動機は、報酬ではなかった。彼が馬脚を現したのは、監視役の若い捜査官に「あなたは(祖国にとって)重要な人物ではない」という罵声を浴びせられたことからだった。ハンセンは若い捜査官の挑発に乗り、自らの重要性(気概)を証明するため、換言すれば、優越願望を達成するため、当局が張った網のなかでスパイ行為を働き、現場を押さえられるのである。

優越願望の達成に失敗した者が、自らの気概を示すため、冷戦時代においてはリスク覚悟でスパイとなる。今日のネット時代では、匿名が担保された告発サイトに情報を漏洩する告発者となる。両者は媒介手段を違えながら、自己の優越願望を満たすという同質性を、時代を越えて共有しているのである。

○「ウィキリークス」は潰せない

筆者は「ウィキリークス」が“正義”とは思わないが、国家を滅ぼす“悪”とも思わない。なぜならば、冷戦時代、多数のスパイが世界中に跋扈しながら、米国もソ連も日本も・・・、滅びなかったからである。ソ連が崩壊したのは自壊であって、米国のスパイの成果ではなかった。

現実の国家が、為政者にとって都合の悪い情報を開示していないことは明らかであるとはいえ、外交交渉では、公開しないことが外交カードとして有効である場合も多い。であるから、リアルタイムで何でも公開してしまえという論理も乱暴である。しかし、何年か先であれ、情報開示を前提とすれば、為政者による国家的犯罪、戦争犯罪、不正が抑止できる確率は高くなる。国家が善でない以上、国家の悪を告発する存在も重要となる。

「ウィキリークス」が潰されたとしても、第二、第三の「ウィキリークス」が現れるだろう。その理由は、国家内部、企業内部を問わず、前出の通り、なんらかのかたちによって、自己の気概を示そうとするのが、そして、他人に対して自己の優越願望を満たそうとするのが、人の性(さが)だからである。当局がいかなる手を尽くそうとも、国家秘密を漏洩(告発)する者が後を絶つことはない。