2011年3月20日日曜日

くたばれ“東京ドーム”

『フィールド・オブ・ドリームス』(Field of Dreams)という映画(1989年公開、アメリカ)がある。この映画の粗筋は省略するが、アメリカに生まれ、アメリカ人によって育まれた野球(ベースボール)というスポーツの原点が描かれているように記憶する。と同時に、この映画のタイトルは、ベースボールを「野球」と訳した日本の先人の言語感覚の鋭さ、知性をも改めて知らせてくれる。野球がFieldで行われるスポーツであることを疑うことができない。野球文化というものを考えるとき、それがFieldで行われている事実は、極めて重要な要素の1つだろう。

私たちは、Field=野原から、何をイメージするのだろうか。緑の芝生それとも黄色い枯草、突き抜けるような青い空それとも重苦しい曇天、さわやかな春の風それとも乾いた突風、土の香りそれとも花の香り、この映画の舞台でもある“とうもろこし畑”それとも未開墾の荒地・・・

いうまでもなく、野原はときどきの自然を写すステージだ。野原を生活の初舞台にした開拓者アメリカ人が、そこで、球を棒切れで打ち、走り、捕るという競技に及んだ。それが野球であり、Field of Dreamsなのだ。

さて、このたびの大震災である。被災地はもちろん、被害が及ばなかった地域でさえ、日本人一人ひとりが、復興に向けてあらゆる不自由を厭わない覚悟にある。たとえば、大都会・首都東京においても、みな節電に協力をし、無駄な電気の使用を控えている。そんななか、日本プロ野球のセントラルリーグが、過日、ナイター試合を強行すると発表した。セントラルリーグは、電力の充分な供給の再開の時期がいつになるか、わかっていたのだろうか。

この蛮行、愚行を機に、日本野球の球場について再考してもよい。日本では東京ドームの建設を皮切りに、札幌、名古屋、大阪、福岡にドーム球場が建設されていて、読売、日ハム、中日、オリックス、ソフトバンクがホームグラウンドとして使用している。ドーム球場の利点は概ね、経済面だ。天候による試合中止がめったにないから、ロスが少ない。経済合理性の追求だ。

だが、スポーツというのは経済合理性にとらわれるものではない。合理性の縛りから逃れ、自由に発想し行動し、非合理的に肉体を鍛錬するところから発するエンターテインメントではないのか。野球選手は、練習では投手ならば一日に200球超を投じ、打者なら千回超の素振りをするのが当たり前だという。選手たちのこの練習ぶりは、経済合理性からでは説明がつかない。

筆者は常々、日本のプロ野球がドーム球場にて行われていることを苦々しく思っていた。読売の東京ドームの試合では、凡打がホームランになるケースが多く、「ドームラン」と揶揄されている。東京ドームの上空は、白地の布のようなもので覆われ空は見えない。風は吹かず、ドーム内の気圧の流れが、高く上がった打球を外野フェンス側へと追いやるため、凡打が「ドームラン」になる。ドームの「Field」は硬いコンクリートでつくられていて、その表面には「人工芝」と呼ばれる緑色の人工繊維物が敷かれている。そこには、野や土の匂いはなく、もちろん生物は存在しない。いうまでもなく、ドーム球場は、環境保全の観点からも好ましくない。そこで行われる夜間試合は照明、冷暖房調整等に大量の電力を使用する。節電、計画停電が実施されている東日本、首都・東京で夜間試合が開催されることはあってはならない、と考えるのが常識というものだ。

そんななか、セントラルリーグは、①当初の開幕(3月25日)から1カード(4日間)遅らせて、3月29日開幕とする。②4月3日までの18試合中、節電地域内で開催されるナイター6試合については、すべてデーゲームで開催する。③5日からは節電地域内で行われるナイターを「減灯ナイター」として、大規模停電対策を講じて開催する。④節電対策の一環として、今季公式戦全試合について延長戦を行わず、9回で打ち切りとする。⑤消費電力が増える夏場の試合については、可能な限りデーゲームへの変更を検討する――ことなどを改めて決定した。

これらの変更事項をみると、プロ野球がドームではなく、自然=Fieldにて行われていれば、ほぼ実施できるものばかりのように思える。これを機に、以降、ドーム球場を建設しないこと、しかるべき機会にドーム球場を撤去し、Field(屋根なし・天然芝)の球場にリニューアルする――ことに着手してほしい。

さわやかな春の風に吹かれながら、あるいは、暑さの中、ビールを飲みながら、野球を見る楽しさをふたたび味わわせてほしい。だからいま、“くたばれ、東京ドーム”と叫びたい。