2013年4月16日火曜日

NPBの長寿投手の米国体験が意味するもの

済美・安楽の投手生命を危ぶむ観点から、日本プロ野球(NPB)で活躍する長寿投手について調べてみた。

NPBにおける現役最年長投手=選手は、中日ドラゴンズに所属する山本昌投手(47歳)だ。山本は、投手生命が短いと言われているNPBにおける例外中の例外的存在。先のコラムで書いたニューヨーク・ヤンキース所属の黒田博樹投手は1975年生まれの38歳だから、山本の長寿ぶりが特筆できる。

この2人の長寿投手の共通点は、第一に、なんといっても高校時代に「甲子園」で活躍していないこと。2人とも、高校野球は無名投手であった。つまり、「甲子園」を巡る予選、本戦における連投、多投の経験がない。

第二に、米国野球体験をしている点だ。現役大リーガーの黒田が米国式のトレーニング、調整法に従っていることは当然のことで理解できるのだが、山本にMLB経験はない。だから、山本は純国産投手ではないかと思われるかもしれないが、Wikipediaによると、山本が投手としての才能を開花させたのは米国留学によったことが理解できる。

Wikipediaの記述によると、入団当時、野球解説者だった星野仙一(1987年より中日監督)は山本を見て、「背番号が34で左投げというから『金田2世』と期待してブルペンを見に行ったが、ただの大柄な男で、あまりに不恰好なモーションでコントロールもない。球も130km/h前後しか出ないからがっかりした」と語っていたという。

NPBでは評価が低かった山本だが、1988年2月、中日は業務提携していたロサンゼルス・ドジャースと同じベロビーチでキャンプを行い、山本ら若手選手5人が野球交換留学としてそのままアメリカに残ることになった。ところがその実情は、中日がドジャースとの交流関係を保つために選手を派遣する必要があり、その年の戦力にならない選手が選ばれ、山本については「手足は長いし、体も大きい。本場アメリカの指導者ならこういう選手の扱いに慣れている分、うまくいくかもしれない」という一抹の期待を掛けられてのものだったという。山本は、ドジャース傘下の1Aベロビーチ・ドジャースで前年に山本を指導していたドジャースの世話役・アイク生原から、投手の基本である低めへのコントロール、スローカーブの精度の向上、その他生活習慣を厳しく指導されたという。

山本は帰国直後、当時の中日の投手が足りない状況だったこともあり先発の一角に加わると、スクリューや精度の高いコントロールを駆使して一軍で5連勝を記録し、リーグ優勝に貢献した。その1988年の日本シリーズでは第3戦の先発に抜擢され工藤公康と投げ合ったが、彦野利勝の先頭打者本塁打の1得点を守りきれず敗戦投手となった。

ところが、翌シーズン(1989年)、なかなか勝利をあげることができず、前出の星野仙一(当時・中日監督)から、同シーズンオフにおいてのアメリカへの教育リーグ再留学を言い渡される。つまり、星野から、山本は半ば戦力外扱いを受けたのだった。星野といえば、日本の暴力指導の悪しき伝統を受け継ぐ「指導者」の一人。その星野が解説者時代に入団当時の山本昌を酷評し、そして監督として、山本をほぼ戦力外扱いにした。星野からネグレクトされた山本が現在まで現役を続行しているという事実は、日本式投手トレーニング方法及び調整法の危うさを象徴するものともいえる。

そんな山本は2008シーズン、42歳で200勝を達成し名球会入りを果たした。さて、2000年になってから、山本の前に200勝を達成したのは、2005シーズンMLBロイヤルズで200勝を達成した野茂英雄(36歳)、そして、2004年に41歳で200勝を達成した工藤公康の2人。けっきょく、工藤を最後としてそれ以降、つまり2000年代、スターターで200勝を達成した投手は出ていない。

そのうちの1人、工藤公康は、1982年に西武ライオンズ入団し2011年に引退するまで、16年間現役を続行した。工藤が黒田、山本昌と異なるのは、「甲子園」から工藤はスター投手だった点だ。

しかし、工藤も黒田、山本昌と同様に米国野球と接点をもつという共通体験をもっている。工藤もMLB経験はないが、彼の球歴をWikipediaで調べると、入団1年目(1982年)には活躍をしたものの、その後はやや伸び悩み、入団3年目の1984年に広岡(当時監督)に命じられ、アメリカの1A・サンノゼ・ビーズへ留学している。

工藤にとってはMLBを見たことが転機となり、さらに、帰国後宮田征典の指導を受け、主力投手として成長できた。投手コーチの宮田といえば、読売で「8時半の男」といわれたクローザーの草分け的存在。卓抜した野球理論と合理的指導で名高い。宮田には、「エース」ならば多投、連投も辞さず先発完投という日本型の硬直した観念はないはずだ。もちろん工藤本人の精進はあるが、米国留学及び宮田の指導という環境が、工藤の名球会入りの基盤となった、と、想像できまいか。

今後、名球会入りの可能性がある先発投手は、西口文也(40歳)の182勝(2012シーズン終了時点)と石井一久(40歳)の2人。石井はNPB・MLB合計で182勝(同)を達成している。次いで、前出の黒田博樹(160勝、NPB、MLB合計)。そして、松坂大輔(32歳)もNPB、MLB合計で158勝(同)なので可能性は十分ある。松坂の場合は、故障から再起できるか否かがカギを握っている。

松坂に代表される「甲子園」の「エース」が、プロ入り後、故障に苦しんでいる姿を見ることは、筆者には耐え難い。高校時代に多投・連投をすることで、投手生命を縮め、30代前半の若さで、通算200勝を前にしてリハビリにもがいているのだ。彼らは桁外れの才能をもちながら、「甲子園」という舞台で酷使され、プロ球界に入って後に前線からの撤退を余儀なくされる。プロ野球を目指す若者には、「甲子園」がなければドラフトに係らない境遇を改善することができない。自分のキャリアを自分なりに大事に構築できないのだ。