2013年6月30日日曜日

自己責任論の倒錯

「保守派」を気取るテレビタレント(自称「ニュースキャスター」)・辛坊治郎がテレビ番組の企画のため、ヨットで太平洋横断を試みたが、ヨットが浸水して失敗。海上自衛隊に救助された。辛坊治郎はかつてイラクで人質にされた日本人を日本国が救済したことに腹を立て、「自己責任論」をもちだして、人質にされた人物及び救済した日本国を声高に非難した“前歴”があったようなのだ。今回は「救済される側」にまわった辛坊治郎、立場が逆転して、お前を助けるために税金を使ったぞ、と非難されている。

人質救済に税金を使うのは間違っていると主張した側が、こんどは海難事故で救助される側に逆転したわけだ。しかも、ヨット旅行はテレビ番組の企画のため、つまり、事業活動の一環なのだ。タレント活動中のタレントを救助するために多額の税金を使ったぞ、どうするつもりか、弁済するのか、と納税者の一部から非難されている(笑)

このような非難の声は気持ちとして了解できるし、辛坊治郎に反省を求めるという意味でわからないではないが、基本的には間違っている。

おもしろい、実におもしろい。国家が危機にある国民を救済すること(理由の如何を問わない)は、国家の機能の一つ。税金をそこに使わずして、いつ使うのか。自分はいつもタックスペイヤーであって、タックスイーターを見るたびに腹が立つ。しかし、今回のように己がタックスイーターになったとき、腹を立てた自分はいったいなんだったのかと、反省しなければならなくなる。情けない話だ。生半可な「自己責任主義者」の虚像が崩壊したにすぎない。哀れな「保守派・自称ニュースキャスター君」。

さて、それはそれとして、わが国では「自己責任」という概念が倒錯しているので、整理をしておこう。日本で「自己責任論」を声高に叫ぶ人物の多くは保守陣営、愛国主義者、国家主義者のグループに属している場合が圧倒的だ。彼らの多くは、国家主義を強く貫く者だ。このタレントもそのような立場の発言を繰り返しているという。

ところが、本来、自己責任を貫く立場というのは、究極的には国家の廃絶を望む思想でなければおかしい。本来の自己責任主義者は国家が、たとえば警察、軍隊、裁判所、その他救助組織を税負担によって保有することを嫌悪する。警察に己を守ってもらうのではなく、自己もしくは民間が自らを守るという立場をとる。よって、人民武装が必須となり、銃規制は考えられない。彼らはその共同の敵については、民間武装組織(自警団もしくは民兵)によって対する。争いごとの解決に国家が介入することを排し、よって訴訟を否定し、当事者同士が(結局は暴力的手段によって)決着をつけることを望む。犯罪者は私刑によって裁かれる。

それだけではない。国家が経済、文化、思想、宗教、性差等に対して介入することを嫌う。だから、国家等が人種差別、性差別、学歴差別等を制度化することにも反対する。あらゆる分野において、人種・宗教・身体性を超えた自由競争(=自己責任)が前提となる。このような思想は、米国ではリバタリアニズムと呼ばれ、共和党の超右派勢力として現存する。

自己責任という言葉は、リバータリアンとして、少なくとも以上述べた如くの覚悟がなければ、唱えてはいけない。犯罪者に対しては警察に、国防に対しては軍隊に、天災に対しては行政、消防、軍隊に依存しておいて、他者の災難に対してのみ自己責任を声高に叫ぶというのは、いかにも情けない。普段、国家(警察、軍隊、行政組織等)に依存する者に「自己責任論」を唱える資格はない。

さて、自衛隊に救助されたテレビタレント・辛坊治郎は、「(悪天候の中、自分を助けてくれた優秀な救援部隊を有する)日本に生まれてよかった」と涙ながらにコメントしたという。辛坊治郎よ、君はどこまでお調子者なのか、リバータリアンが国家を礼賛してどうする。

辛坊治郎は海難事故にあってから、タレント活動は休止中のようだが、己の「自己責任論」の浅はかさを反省して、おもしろいタレントとして出直してほしいものだ。