2013年7月12日金曜日

福島原発事故原因の究明は闇の彼方へ

吉田昌郎・元東京電力福島第1原発所長(58歳/以下、肩書等略)が食道がんで急逝した。ご冥福をお祈りします。

さて、マスメディアは、吉田の死後、彼を英雄のごとく報道した。事故収束にむけて決死隊を組織した、吉田のためなら死んでもいいという部下が何人もいた、崖っぷちの日本を救った・・・云々。死者を鞭打つなかれ、とは言うものの、原発事故に関しては過剰に抒情的な報道は避けるべきではないのか。

原発事故対応については、吉田の存在なしでは、事故の拡大があったかもしれない。また、東京電力という官僚的企業風土のなかで彼のような存在は異質であり、そのことが事故処理対応にとってプラスに働いたことも否めないかもしれない。

だが、吉田の事故当時の肩書は『執行役員』であった。経営幹部だ。当然のことながら、事故を起こした責任者の一人であり、しかも、東電が08年に想定外の津波の可能性を把握した際、彼は対策を先送りした原子力設備管理部の部長だったという。つまり、事故の原因をつくった犯人の一人ということになる。

テレビ報道で不愉快なのはそれだけではない。吉田に密着取材して「吉田本」を書いたというフリージャーナリスト(門田隆将氏、以下敬称略)が自著の宣伝も兼ねて、吉田をヨイショしっぱなしなのには驚いた。取材者が取材対象と一体化しでどうする。門田は、吉田の宣伝マンなのか。対象に思い入れれば、客観性を失う。門田は間接的に原発事故原因に係る究明を阻害する役割を果たしている(但し、筆者は門田の著書を読んでいないので、推測の域を出ないが)。死の淵にある吉田に密着しながら、原発事故原因の真相を吉田から聞き出そうともしていない。

吉田が真に果たさなければならなかったのは第一に、事故前、吉田本人が元気だったころ、福島原発の安全対策に万全を期すことだった。前出のとおり、吉田はその職にあった。にもかかわらず、そのことを全うできなかった。吉田の職務怠慢は追及されてしかるべきだろう。

第二は、事故後、吉田が重病に犯されていたことに同情するものの、彼が果たすべきは、二度と悲惨な原発事故を繰り返さないという観点から、福島原発の事故原因の真相を日本国民のために話すことだった。吉田は東電に「守られ」、その真相を墓場まで持っていってしまった。このことは、吉田一人の責任ではないかもしれない。吉田を「守りつつ」、世間から遮断したのは東電だったのかもしれない。悔やまれるのは、吉田が病状にあったとき、前出の門田というジャーナリストが密着取材をしていながら、吉田から福島原発事故原因についてなんにも聞き出していないことだ。

吉田が事故処理に尽力したことは評価するものの、吉田が現場から離れたとき、吉田の使命は、最も現場近くにいた者として、事故原因の真相を語ることだった。吉田の近くにいた取材者の使命もまた(やれ事故直後、東電本社とやりあっただの、政治家のだれそれがどうのこうのではなく)、吉田から福島原発の事故原因を聞き出すことだった。

けっきょくのところ、吉田は(そして門田も)、「原子力ムラ」の住人であることにかわりがない。