2016年1月10日日曜日

『戦争の谺 軍国・皇国・神国のゆくえ』

●川村 湊〔著〕 ●白水社 ●2800円+税

昨年(2015年)は戦後70年に当たったため、アジア太平洋戦争及び戦後についての論文が各方面から多数発表された。加えて安倍政権が推し進めた臨戦態勢構築(安保法制)についての議論も国民的規模で噴出した。昨年は“戦争・戦後論”の花盛りの年となった。本書刊行もおそらく、その脈絡にあるのだろう。

本書巻末の初稿一覧によると、本書掲載論稿は、著者(川村湊)が1996~2006年にわたって著したものの集成である。内容としては、▽敗戦直後論、▽戦中論、▽戦後論、▽戦争(戦中・戦後)文学論――に分類される。(※各稿タイトルは本文末目次に掲出)

〝70年余の戦争の時代″と〝70年の「平和」の時代″

わが国の対外戦争の発生を歴史年表で調べると、明治維新(1868年)以降に頻発することは小学生でも知っている。それ以前の対外戦争といえば、豊臣政権が朝鮮等に出兵した「文禄・慶長の役」(1592-1593、1597-1598)、そして、元寇(モンゴル軍来襲)とよばれる文永の役(1274)、弘安の役(1281)まで遡る。

明治維新前、日本はおよそ600年間に2度の対外戦争しか行っていなかったのだが、明治維新以降、▽日清戦争(1894-1895)、▽日露戦争(1904-1905)、▽第一次世界大戦(1914-1918)、▽シベリア出兵(=ロシア革命干渉/1918-1922)、▽アジア太平洋戦争(日中戦争/1937-1945、太平洋戦争/1941-1945)と戦争を常態化させた。しかもその間、日韓併合、台湾統治といった、近隣諸国に対する植民地支配も行った。

とまれ1945年8月、日本は連合国に無条件降伏する形で終戦を迎え、以来70年間、「平和」状態を継続させ今日に至る。およそ400年間の「平和」の時代、維新から77年間の戦争の時代、そして、アジア太平洋戦争敗戦から70年間の「平和」の時代を経て、日本はこの先どうなるのだろうか――という素朴な疑問を抱えつつ本書を読んでいった結果、おぼろげながら、その答えが見えてきた。その答えは、かなり悲観的なものだったのだが――その理由については後述する。

間違って生きたのか、なにも変わらずに生きたのか

本書の書評としては、池田浩士の「運命と定めて責任問わず」(東京新聞書評欄/2015年11月22日)が、管見の限り最も的確なものの一つだと思われる。「私たちは戦後を間違って生きてしまったのではないか? これが、本書を貫いて流れる基本的テーマだ」と、池田はいう。

本書に係るこの言説は、1868年以降の日本の戦争の時代(77年間)と1945年以降の敗戦後の時代(70年間)をふり返った時、そこにいかなる連続性と非連続性(断絶)が見て取れるのか――と換言できる。池田浩士のいうように、“間違って生きてしまった”のか、それとも“変わらずに生きてしまった”のか。池田浩士がいうように前者ならば、選択を誤った結果という自覚性が認められ、多少の救いが見いだせる。だが、後者ならば、戦争も戦後も自然過程にあり、この先永遠にアジア・太平洋戦争に係る反省、否定の契機を失ったまま、すべてが肯定されて日本人は生きることになる。日本史における、戦前、戦争、植民地支配、敗戦、平和、天皇制ファシズム、戦後民主主義・・・そして、生と死すらも〈自然〉に溶解する。先に悲観的な見通しと述べた所以はそこにある。

本書の最初の論稿(「トカトントン」と「ピカドン」)には、以下のとおりショッキングな事実が書かれている。

栗原貞子は書いている。「占領下の21年8月6日、『原爆を忘れて復興しよう』と被爆者の苦しみや遺族の悲しみをよそに、どのような乱痴気騒ぎが行われたか。町内会はシャギリ、山車、俵もみ、仮装行列などを行って『ピカッと光った原子のたまにヨイヤサーとんで上った平和の鳩よ』と3日間踊って歌ったのである。
まだ、瓦礫と焦土のままのヒロシマの街に、花電車が走り、山車が繰り出され、仮装行列が練り歩いて歌って踊ったというのは、何か悪夢のなかの幻想の出来事のようにも思えるが、事実だった。(略)原子爆弾という「人類最終兵器」が、「世界平和恒久平和」を作り出すというマジック。しかし、あろうことか、広島の生き残った市民たち(日本人たち)は、そうしたアメリカと日本の支配層が共同製作した大マジックに拍手喝さいを送ったのである。(P14~15)

米国(軍)によるヒロシマへの原爆投下は、大量殺戮であり戦争犯罪である。当時の広島市の人口35万人のうち9万~16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡したという(「WikiPedia」より)。米国が自らの犯罪を隠蔽し合理化しようとも、日本人ならば永遠に、原爆投下した米国に対する憎悪を拭い去ることはできないはずだ。しかし、著者(川村湊)の驚きのとおり、広島市民は、原子爆弾を、平和を作り出した“原子のタマ”として崇めたのだ。

この驚きの行動を解明するカギは、第一に、戦争責任を回避する思考回路であり、第二に、戦争を〈自然〉と同一視する日本人の戦争観である。これらが自らの戦争責任及び戦勝国米国の戦争犯罪を追及する姿勢を去勢してしまった。

日本人にとって戦争・敗戦とはなんだったのか

著者(川村湊)は本書「ああ、長崎の鐘が鳴る」において、キリスト教信仰と天皇崇拝を融合させた戦前派クリスチャンの永井隆の著作にふれて次のように書いている。

天皇も国民も、等しく戦争の犠牲者なのであり、国民の苦難と苦痛を天皇も共にしている。国民に、今回の戦争を引き起こした責任がないとしたら、天皇にもそれはないのであり、あるとしたら、それは国民みんなにもあるのだ。それが「一億総懺悔」という現象の底にある思想にほかならない。
それは昭和天皇やその側近としての官僚、そして軍人・政治家・産業人たちを免責し、免罪する根拠として存在する。昭和天皇の「人間宣言」のなかにある「朕(=天皇)と爾等(=国民)」の〝麗しい″関係は、昭和天皇までも「戦争犠牲者」として規定し、その戦争責任を免責するという永井隆のような「現人神」観に基礎を据えられていた。(P48)

著者(川村湊)は、本書「戦後文学者のアジア体験」において、文芸評論家の井口時男が、“『黒い雨』は井伏鱒二の最大の天地異変小説である”という断言を受けて、被爆小説として高名なこの文学作品について次のように書いている。

「黒い雨」の場合、天地異変は、世界を地平から横殴りに照らし出した一瞬の強烈な光と爆音爆風、広島上空にむくむくとたちのぼった巨大なキノコのような、あるいはクラゲのような奇怪な形の雲、そして雷鳴響く黒雲の下の黒い雨の夕立、としてあらわれる。
(略)
「天地異変」であり、「怪物」であるようなもの。これが広島の「非戦闘員」の庶民たちが受け止めた「原子爆弾」についての、きわめて優れた文学的描写であることは間違いないが、それがまた総力戦に巻き込まれた日本の国民たちの戦争に対するとらえ方の「限界」であることを示している。
(略)
・・・もちろん、「戦争」は「天変地異」の出来事であったとしても、天災そのものではない。それは自然災害のようにやむをえないものではなく、人為的に、人工的に引き起こされる災害であり、「原爆投下」のように明らかにそれに関与し、決定し、実行した人間がいる「人災」なのである。(P262-263)

このような日本人の態度は、3.11と同時並行して勃発した福島原発事故に対するそれに通じている。3.11は大地震及びそれによって引き起こされた大津波自然災害であるが、福島原発事故は明らかに人災であり、電力会社及びそれを監督する政府の防災対策におけるミスから発生した。ところが、政府及び電力会社はその責任を問われることがない。マスメディアも自然災害のごとく報道し、国民もそれらを容認している。

戦後の「歪み」と「ねじれ」の淵源

著者(川村湊)は日本の戦後体制に係る結論を次のように書いている。

戦争は、第一義的には交戦権をもち、宣戦布告ができる者、それをした者が全責任を負うべきものである。だが、日本の戦後はその最高責任者を、すなわち昭和天皇裕仁を免責することから始まった。連合国側に「国体護持」の条件を受け入れさせようとして、いかに「無条件降伏」の受諾を悪足掻き的に遅らせたか。もし、日本の戦後社会に「歪み」や「ねじれ」といったものがあるとすれば、その淵源はそこにあるはずだ。戦争の幕を上げ、戦争の幕を引いた者に「戦争責任」がないのだとしたら、その上意下達の軍隊組織における絶対的な命令により、そして、その下賜された武器によって戦争を行った者たちに、責任や罪責など生じようもないのである。戦後の「無責任体制」の「ねじれ」や「歪み」を象徴しているのは、まさにこうした最高責任者としての昭和天皇が免責されるという、超法規的な時代・社会の出発点にあるのである。(P298)

著者(川村湊)が下した結論に同意する。そのとおりだと思う。ただ戦争直後、天皇を免罪することで自らを免罪することにした――というのは、疲弊した敗戦国民の主体的かつ選択的行為だったのだろうか。

戦後すぐの天皇の「人間宣言」、平和憲法制定等の民主化路線については、米国(GHQ)と日本の戦後体制を率いた政治勢力との間における利害関係の共有の結果、すなわち、巧みな占領政策としての性格が色濃い。日本国民を支配しコントロールするツールとして、(人間)天皇制度と戦後民主主義を合体させて機能させることが必要だった。そしていまなお、日本国は占領軍(米国)とそれに従属する勢力のコントロール下にある。その一方、それを下支えしているのが、日本国民が戦前から不変に維持するメンタリティーである。

日本国民の不変のメンタリティーとは、戦争中、「一億一心」「進め一億火の玉だ」「進め一億」「一億玉砕」を叫び、戦後は、「一億総懺悔」「一億総白痴化」を経て、戦後70年の昨年(2015)には、「一億総活躍」が安倍内閣の経済政策(アベノミックス「新三本の矢」)として提唱されている。言葉尻ではなく、「一億」で国民を一律に束ねたい安倍政権の政治姿勢を積極的に批判する国民世論が湧きあがらない。

「一億・・・」に代表される全体主義、前出のとおり、戦争をも〈自然〉に韜晦させてしまうロマン主義、そしてそれらの頂点に君臨する天皇制度――これら「三本の矢」が、日本の戦前、戦中、戦後を通貫している。そしていま、日本(人)は確実に、新たな戦争に向けて歩を進めている。

本書本題は『戦争の谺』とある。谺とは音や声が山や谷などの側面にぶつかって跳ね返って聞こえる現象をいう。この現象を媒介するのは木に宿る霊、木の精霊だという。日本において、戦争を媒介するのが日本人にとりついた全体主義、ロマン主義、天皇崇拝の霊ならば、それらを除霊する思想的営為こそが国民一人一人に求められている。

〔目次〕
Ⅰ 「トカトントン」と「ピカドン」-復興ヒロシマ論
Ⅱ ああ、長崎の鐘が鳴る―復興ナガサキ論
Ⅲ 沖縄のユーリー-敗戦後オキナワ論
Ⅳ 「鬼畜米英」論
Ⅴ 「八紘一宇」論
Ⅵ 天皇と植民地の子供たち
Ⅶ 天皇とセヴンティーン
Ⅷ 国家は鎮護することができない
Ⅸ ゴジラが来た!
Ⅹ 戦後文学者のアジア体験
Ⅺ 事変化の“戦争文学”
Ⅻ 軍旗と勲章