2017年12月6日水曜日

日馬富士引退を残念がる倒錯した相撲ファン心理の根拠を探る

世の中を騒がせている日馬富士の暴行傷害事件。警察の書類送検も今週中とされ、起訴が濃厚だというのに、被害者よりも引退した加害者である日馬富士のほうに同情が集まる状況に変わりない。筆者には相撲ファンの心情がまったく理解できなかったのだが、彼らの心情の出どころについて、自分なりに見当がついたので、以下にまとめてみた。

逮捕されなければ「いいひと」

それはただただ、日馬富士が逮捕・拘留されなかったからではないかと。警察がむやみに人を逮捕拘留するのは危険であり、やってはいけないが、今回に限れば、日馬富士が逮捕されていれば、相撲ファン、日馬富士ファンの「引退残念」の勘違いはなかったはずと。

これまで、芸能人、スポーツ選手といった、いわゆる有名人の警察沙汰は珍しくなかった。だが、人々の記憶に残ったそれは薬物関連が大半であろう。薬物関連は証拠隠滅されやすいから、警察が被疑者を逮捕拘留することは当然の措置である。一方で今回のような暴行傷害事件では被疑者に逃亡の可能性がない限り、逮捕拘留しない。(だから今回、日馬富士を逮捕しなかった警察の措置は正しい。しかしながら筆者は敢えて、暴言を吐こうと思う。)


日馬富士が自由に街を闊歩している映像がテレビで放映されるその結果として、人々は日馬富士を被疑者と認識しない。その一方、薬物関連で逮捕拘留された酒井法子、清原和博、ASKAらについては、彼らが容疑者でありながら、すでに「犯罪者」だと認識する。ゆえに彼らに同情する人は少数にとどまる。暴行傷害と覚せい剤取締法違反を比較すれば、前者の方が重罪である。人々は逮捕拘留された者は犯罪者として断罪し、そうでない者には同情を寄せる。日馬富士の引退を残念だと平然と発言する。


テレビがつくりだす日馬富士擁護発言

テレビに出てくる相撲ファンの発言は、テレビ制作側の意図のもとに放映される。無作為に撮影され、放映されたものではない。相撲ファンのなかで、日馬富士の引退を当然だとする者の数と、それを残念がる者の数は統計化されていない。もちろん国民全体の受け止め方は世論調査を待つしかない。

テレビ局にとって相撲人気は捨てがたい。テレビ局は、日馬富士を批判する者の発言を抹殺し、引退残念発言が世間・巷の大勢だと思わせるため、日馬富士擁護発言を放映する。あたかも、それが国民の声のごとくに。

つまり、テレビは逮捕されない人はまだ「いいひと」だと視聴者に印象付け、加えて、日馬富士を擁護するファンの声を選んで放映することで、日馬富士を守りつつ相撲協会の暴力体質を隠蔽する。

テレビが「逮捕=犯罪者」とする、危険な印象操作

筆者は冒頭で、警察がむやみに人を逮捕拘留することは危険だと書いた。さらに、逮捕されただけでその人を犯人、罪人だと認識することも危険だと書いた。さて、このたびの日馬富士暴行傷害事件報道、とりわけテレビのそれを注視すると、日馬富士が「逮捕されないゆえに」、「日馬富士さん」と敬称付きで呼ばれていることがわかった。前出の清原ほか芸能人は、逮捕された時点で、「清原容疑者」と呼ばれた。

山城 博治沖縄平和運動センター議長
このことからわかるように、逮捕=犯人という印象付けを行っているのは実はテレビである。今日、安部政権下においてテレビによる印象操作、洗脳が強まっている。権力はテレビを使って、都合の悪い者を逮捕・長期拘留しようとする。たとえば。森友学園疑惑に関連して、逮捕、長期拘留されている籠池夫妻。彼らは疑惑の渦中にある安部首相夫妻にとって都合が悪い存在である。また、沖縄反基地闘争リーダー山城議長も運動の沈静化を狙った安倍政権により、逮捕・長期拘留されている。どちらも、危険な逮捕及び長期拘留である。

日馬富士暴行事件から見えてくるのは、相撲協会とテレビなどマスメディアの癒着であり、公益財団法人でありながら、隠蔽体質、暴力体質が改善されない相撲協会の姿であり、相撲界の闇であり、報道と人権の関係である。大げさと思うなかれ、このような状況を放置すれば、いずれ自分の首が絞められることになる。