2018年12月26日水曜日

『国体論―菊と星条旗』

●白井聡〔著〕 ●集英社新書 ●940円+税

本書は、国体という概念を媒介に日本の近現代史を読み直しつつ、現在の安倍政権を痛烈に批判するという建付けである。著者の白井聡は戦後日本の諸状況について、「永続敗戦」という著者自身になる造語概念を使って規定する政治学者。本書はその論の発展的展開として位置づけられる。それゆえ、まずもって「永続敗戦」の原理をおさえておく。
「永続敗戦」とは(略)、日本の戦後レジュームの核心を指示し、その特殊な対米従属の在り方を解明するための概念である。その原理は、アメリカのアジアでの最重要の同盟者となることによって、第二次世界大戦における敗北が持つ意味を曖昧化すること、すなわち、「敗戦の否認」である。敗戦の否認を続けるためには際限なくアメリカに従属せねばならず、際限のない対米従属を続ける限り敗戦を否認し続けることができる。かくして、負けを正面から認めたくないがために、永遠と負け続ける。この原理を主柱として、親米保守派がその支配に鎮座し続ける体制が「永続敗戦レジューム」である。(本書註:P342)(※『永続敗戦論―戦後日本の核心』講談社+α文庫、2016年、61~77頁参照)
日本の現代史における国体

(一)北一輝の『国体論及び純正社会主義』
日本の近現代史において、筆者の記憶に残る国体に係る事案は3つある。最初のそれは1906年(明治39年)、北一輝の処女作『国体論及び純正社会主義』の発刊である。北一輝は後の2.26事件(1935/昭和10年2月26日)を起こした青年将校に強い影響を及ぼした思想家。北一輝の思想は本書で詳細に取り上げらえているので説明を省くが、大雑把にその肝を示せば、天皇は国民のためにあるという、「天皇機関説」の範疇にある。北一輝が2.26事件の思想的指導者として死刑に処せられた理由は、北の天皇論に影響された青年将校により国家転覆未遂事件が起きたからにほかならない。

(二)「国体明徴の声明」
第二番目は、2.26事件の直後、同年8月に、ときの政府が発表した「国体明徴の声明」である。この声明は、軍部及び右翼が天皇を統治権行使の機関とみる学説を攻撃し、その主張者美濃部達吉を「学匪」ときめつけたので、天皇機関説事件ともよばれる。「国体明徴の声明」はときの権力者が北の思想と2.26事件を経験し、いま国体は危機にある、という認識から発せられたともいえる。貴族院・衆議院とも国体明徴を決議し、美濃部は貴族議員を辞め、その著書『憲法概要』『憲法精義』は発禁となった。これをもって政府は軍部の要求に負けて天皇機関説を排撃し、議会主義を否定し、学問言論思想の自由に強く干渉するようになる。

ときの岡田啓介内閣が発した「国体明徴の声明」は、その後の軍部独裁、アジア・太平洋戦争突入という、日本現代史の転換点を象徴する重大な事件だった。

国体明徴事件が示すとおり、戦前の軍部、右翼によって持ち出された国体とは、著者(白井聡)の表現を借りれば、“万世一系の天皇を頂点に戴いた「君臣相睦み合う家族国家」を理念として全国民に強制する体制(P3)”と定義される。天皇を絶対不可侵・超越的存在の神として崇め、日本国民は臣民として天皇(の命令)に絶対服従しなければならないとする国家原理とも別言できる。なお「明徴」とは、「明らかにする」と同義である。

(三)敗戦直前、戦争終結条件としての国体護持
国体が次に顕在化するのは、日本のアジア・太平洋戦争末期、日本の敗戦が決定的となり、連合軍からポツダム宣言(無条件降伏)の受諾を強いられたときであった。ときの日本帝国の為政者は、戦争終結の条件として国体護持に執着したため、無条件降伏を受け入れなかった。そのため連合軍の本土無差別爆撃(1944/6~1945/8)、沖縄地上戦(1945/3)、広島・長崎原爆投下(1945/8)という、連合軍による、日本の民間人大量殺戮を招き寄せた。

それでも無条件降伏を頑なに拒んだ日本帝国の為政者が、一転してアメリカ軍に降伏したのは、1945年8月9日のソ連軍の日本帝国領内侵攻作戦の開始であった。昭和天皇及びその側近はソ連軍の対日参戦に恐怖し、降伏を決意した。
昭和天皇が積極的にアメリカを「迎え入れた」最大の動機は、共産主義への恐怖と嫌悪であった・・・皇帝一家の殺害にまで至ったロシア革命の帰結と敗戦直後の社会混乱に鑑みれば、「共産主義革命=国体の破壊」という観念自体は全くの絵空事ではなかった。したがって、アメリカの軍事的プレゼンスを積極的に受け入れることは、まさに「国体護持」の手段たり得たのである。(P56~57)
日本の近現代史において国体が顕在化するのは、天皇制度が危機に瀕している状況下である。天皇を国民の側に引き寄せる北一輝の思想がときの支配層を震撼させ、しかも、政府転覆未遂事件まで起きた。ときの政府はその思想的指導者及び青年将校のリーダーを処刑し、より強権的支配を確立する。加えて、民主的勢力を一掃し、独裁体制を固める。

その政府が起こした戦争の末期、敗戦という国家滅亡の危機にあっては、敵であったアメリカの支配を積極的に受け入れ、天皇(家)を抹殺しかねないソ連軍=「共産主義」から国体を護持することに成功する。戦争当事者である日本帝国の為政者は、ソ連軍=共産主義から国体を守るため、アメリカにひれ伏すという選択を行い、結果、国体は守られた。それが、戦後の象徴天皇制である。

戦後の国体とはなにか

本書における明治維新からアジア太平洋戦争敗戦までの国体論は、橋川文三の未完の著『昭和維新試論』等を下敷きにして、簡潔かつ明確に整理されている。ところが、戦後の国体論は難解である。著者(白井聡)の戦後の国体論は、戦前の国体を体現した天皇の代わりに、アメリカをそっくり代入するという図式に単純化される。その点において筋が悪い。

著者(白井聡)の戦後の国体論の中核にあるのは、アメリカである。本書は、戦後日本の対米従属を国体だと規定するわけだが、その論証は矢部浩二や孫崎亨の戦後日米関係論に依拠していて、それを超えるような情報や見識が見当たらない。強いて新鮮だと思わせる部分を挙げれば、「天皇制民主主義」という言葉の提起だろうか。

アメリカの日本占領政策は古代からのセオリーに倣ったもの

天皇が日本帝国の戦争に関与していることは明らかだった。戦勝国側は、天皇の戦争責任を強く追及するかと思われたが、アメリカは天皇の戦争責任を免責し、新憲法の中で天皇を日本国民の象徴と新たに規定した。

著者(白井聡)は、アメリカの天皇免責について、アメリカの日本研究の結果だと大げさに指摘しているがそうでもない。たとえば、新約聖書の舞台となった現在のイスラエル・パレスチナの地は、いまから2000年余り前、ローマ帝国の属州だった。この地の支配者は、ローマ帝国第5代ユダヤ属州総督ポンテオ・ピラトだった。ピラトはイエスを磔刑に処した人物として新約に記されている。

そのピラトだが、彼はイエスを処刑することに最後まで消極的だった。というのも、ローマが属州を支配する構図は、総督自らが強権を振るうことではなく、ユダヤ教の神官に属州の統治を委任するものだったからである。武力を背景にして占領者が前面に出る直接的支配は、被占領地の人民の抵抗を受けやすい。ローマ兵に犠牲者が出る確率が高い。侵略者、占領者が当該地を安定的に統治する方法は、土着の支配者を配下にして間接的に支配するのがセオリーである。

2000年前に遡らなくとも、日本帝国が中国東北部に侵略して「建国」した満州国においても、日本帝国はローマ帝国と同様の統治方法を採用した。1931(昭和6)年9月、柳条湖事件に端を発して満州事変が勃発、関東軍により満州全土が占領され、関東軍主導の下に同地域は中華民国からの独立を宣言し、1932年(昭和7年)3月、満州国が「建国」された。元首(満州国執政、後に満州国皇帝)には清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀が就いた。中華民国によって滅亡した清朝は満州人が漢族を破って建国した王朝だったから、日本帝国が「建国」した満州国に清王朝の末裔を元首に置いたのは、戦勝国アメリカが日本を占領したとき、その国(日本)の天皇を元首(象徴)として残した事例と似通っている。

アメリカの日本占領政策の第一は、日本帝国の武装解除及び占領軍人の安全確保だった。アメリカが警戒したのは、戦争終結後にあっても旧日本軍の残党が日本各所でゲリラ戦を展開することだった。それを防ぐ切札的存在が天皇だった。日本の敗戦直後(1945年)の動きを追ってみよう。
  • 8月15日=天皇の戦争終結宣言(玉音放送)
  • 8月30日=占領軍総司令官マッカーサー、厚木に到着
  • 9月2日=無条件降伏文書調印
  • 9月27日=マッカーサーが天皇と会見
翌年の1946年1月1日に天皇の「人間宣言」が発出された。この間、国内外における旧日本帝国側からの連合軍に対する軍事的抵抗はほぼゼロであり、アメリカ主導の日本占領政策の第一歩は大成功をおさめた。

戦後の国体の形成というよりも維持は、戦争末期、日本帝国の為政者がソ連=共産主義の日本侵略を阻止するためにアメリカと手を組み、アメリカ主導の占領政策を受け入れたことから始まったのである。戦勝国(アメリカ)にとっても占領政策の柱に天皇を据えることに異議はなかった。

その後、日本は民主国家として再生し、かつての国体とは絶縁したと思われている。明治欽定憲法は撤廃され、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、象徴天皇制などを規定した日本国憲法が施行された。そこで国体は死語と化し、あえて戦後の国体とはなにかと問われれば、日本国憲法こそが戦後のそれというのが、一般的認識として定着した。そればかりか、今日、わが国の状況において、国体をテーマとした議論、論考、研究等としては、鈴木邦男著の『天皇陛下の味方です: 国体としての天皇リベラリズム』くらいしか、見当たらない。

アメリカへの隷属が新たな国体か

敗戦後から今日までの日本の歩みは、著者(白井聡)が指摘するとおり、アメリカに隷属している。とりわけ、現在の安倍首相は、アメリカのトランプ大統領の忠臣といったありさまで、アメリカ・メディアからも嘲笑を受けるありさまである。日本政府は、日米同盟は不変、普遍と認識している、と事ある後に国民に説明する。その結果、日米地位協定が代表するとおり、日本はアメリカの属国以下である。著者(白井聡)は、戦後の日本の為政者が頑ななアメリカ信仰を保持・盲従する心的構造を、アメリカをご本尊とする戦後国体思想だと結論づける。さて、そこが本書を支持するか否かの境目だろう。筆者は著者(白井聡)の論に納得していない。

天皇制の危機的局面に現れる国体擁護の動き

国体がわが国の現代史に現れた局面は、前出のとおり、天皇制が危機的状況に陥った時である。そしてもちろん、国体の護持を国民に呼びかけるのは、革新の側ではなく、絶対的、超越的存在としての天皇を擁護したい勢力からであった。戦前の場合は、議会制民主主義や社会主義の台頭を恐れた軍部及び右翼であり、アジア・太平洋戦争末期の場合は、ソ連(共産主義)の侵攻により、日本の天皇(家)がロシア皇帝(一族)のごとく処刑されることを恐れた日本の為政者からであった。

戦後の反米運動

戦後の日米関係に対する異議申し立ては、本書にあるように、60年安保闘争、68年前後の新左翼・全共闘運動、三島由紀夫の自害、反日爆弾闘争といった、戦後民主主義を相対化する思想に基づく政治運動によった。しかし連合赤軍事件、内ゲバ事件等に代表されるそれら運動組織の自滅行動を契機として、体制側の弾圧及びマスメディアによるネガティブキャンペーンが功を奏し、それら運動組織は「過激派」という蔑称で市民権を失ってしまった。このときに現れた革命運動は左翼にとっては共産主義革命(世界革命)を目指すものであり、唯一、三島由紀夫のそれだけが、アメリカに隷属する天皇、ときの政権及び自衛隊を批判するものであった。戦後体制の暴力的打倒を目指しながら、左派と三島は同床異夢の関係にあった。

日本はアングロサクソンとうまくやれば・・・

日本国民のなかに著者(白井聡)がいう戦後の国体(アメリカ信仰)がどれほど浸透しているのか。浸透というよりも、無意識化されているのか。筆者の直観では、アメリカは日本(人)にとってもっとも親和的な外国であるが、無謬的存在にまでは至っていないと思う。ただ気になるのは、「日本はアングロサクソンとうまくやれば、うまくいく」という俗論である。この言説を耳にしたのは、TVの討論番組において保守系国会議員が賜ったのか、あるいは保守系言論人の発言だったか覚えていないが、筆者のまわりの俗物保守派のあいだではしばしば使用される。

日本の近現代史において、日英同盟(Anglo-Japanese Alliance)が締結されていた期間(1902~1923)、日本帝国は順風満帆だった。日露戦争勝利(1904)、不平等条約解消=関税自主権獲得(1911)、第一次世界大戦参戦及び勝利(1914-1918)といった具合である。ところが、同盟廃棄後、満州事変(1930)を契機として、日本帝国は侵略戦争の道を突き進み、1945年の大破局を迎えたことはいうまでもない。

敗戦後の日本はアメリカの占領下におかれ、GHQの指令により国を運営してきたが、1952年、日米同盟(Japan-US Alliance)の締結(註)後、日英同盟締結後と同様に、日本は国際舞台において成功の道を歩んできている。そのとき講和条約が発効し、以降、日本は日米同盟に包摂されるかのように復興、繁栄を続け、GDP世界3位、G7(7大先進国)の一つという「大国」に成長している。

前出の「アングロサクソンに~」という言説は、(わが国は)大英帝国(戦前)、アメリカ合衆国(戦後)という超大国に追随していればいい、という没主体性を別言しただけの俗論である。だがいみじくも、その没主体性が日本を繁栄に導いたことも事実なのである。だが、それを国体とするのはなじまない。

著者(白井聡)が「永久敗戦レジューム」と定義した日本の戦後体制は、いい得て妙であるが、戦後の国体の中心にアメリカを据えるのは無理がある。日本の国体は明治維新に確立した天皇制国家であり、それは戦前・戦中・戦後も一貫している。著者(白井聡)は、国体の中心が戦後、天皇からアメリカに移ったというが、その戦後体制は国体の変化というよりも、明治以来の超大国依存、没主体的国家・国民性と規定すれば済む。日本の国体の真の変換は、天皇制か共和制かの二者択一以外にない。

著者(白井聡)の論の基調に流れる危険性

著者(白井聡)は、本書冒頭に今生天皇の退位の「お言葉」を掲げ、文末もそれで終わっている。著者(白井聡)は天皇と安倍政権を対立的関係に並べ、天皇の側に、民主主義の可能性を見出している。著者(白井聡)の認識は、かつて2.26事件で決起した青年将校が抱いた「恋闕の情」及び政治家・官僚に対する「君側の奸」という反感、すなわち、あくまでも純粋である「国民の天皇」を希求する情念に通じている。

著者(白井聡)の「お言葉」の受止めの延長線上には、安倍首相を筆頭とした政(政治家)、官(官僚)、学(学者)産(実業家)、そしてメディアが「君側の奸」であり、彼らはアメリカ依存だからダメだが、天皇だけは清いという結論を暗示している本書末に、著者(白井聡)は次のように書いている。
(天皇が)「お言葉」を読み上げたあの常のごとく穏やかな姿には、同時に烈しさが滲み出ていた・・・
それは闘う人間の烈しさだ。「この人は何かと闘っており、その闘いには義がある」――そう確信した時、不条理と闘うすべての人に対して筆者が懐く敬意から、黙って通り過ぎることはできないと感じた。ならば、筆者がそこに立ち止まってできることは、その「何か」を能う限り明確に提示することであった。(P340)
著者(白井聡)が国体の概念を用いて本書を著そうとした下地に天皇の「お言葉」があったことは明白である。そのことは日本の国体が戦前、戦後を通じて不変であり普遍的であることの逆証明にもなる。著者(白井聡)もその国体に絡めとられ、天皇制か共和制かと問う思考を脱落させてしまったのである。

註:Japan-US Allianceとは、以下の2つの条約の総称である。
  • 1952~1960:「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(Security Treaty Between the United States and Japan)
  • 1960~:「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(Treaty of Mutual Cooperation and Security between the United States and Japan)