2023年6月17日土曜日

「無知学」及び「亜宗教」

 東京新聞において、筆者の興味を惹く書籍関連の記事があった。お読みになった方も多数おられるとは思うが、筆者のメモとして2つの記事を留めておく。なお、筆者は紹介のあった2書については未読だ。

(1)「無知学/アグノトロジー」(『現代思想』6月号特集)

 同書をとりあげたコラム「大波小波」(2023/6/17夕刊)の著者(魯)は、フーコーの〝人間の知的探求は自由なように見えて、時代ごとに見えない制約のもとにある″という指摘及び〝西洋のアジア・アフリカ研究にはかならず植民地的収奪が後ろに控えている″というサイードのそれを引用しつつ、アグノトロジーを〝自由であるはずの人間の認識が、いかに権力によって歪められ、不均衡を強いられているかを分析する新しい学問である″と定義する。そして併せて、人間が知りたくもない知識や情報を知ることを、暗黙の裡に強要されているという事実を忘れてはならないとする。

 魯のアグノトロジーの定義については概ね同意するものの、人間の認識が権力によって歪められ、不均衡を強いられる、という表現には納得がいかない。フーコーが「見えない制約」と表現したのは、権力が上からばかりではなく下からも横からも、いわば網の目のように人間を制約していることをくり返し説いているところからすれば、誤解をうむ。「反権力」を標榜した、それこそ「自由」のもとで展開されたはずの認識が歪められたものである事例にこと欠かない。権力側及び反権力側から流布された認識をいま一度、カッコにいれてみる以外に認識の強要から逃れる術はないのではないか。 
 
(2)『亜宗教 オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで』(中村圭志著 

 石堂藍による書評(2023/6/17朝刊)だ。石堂によると、「亜宗教」というのは著者(中村圭志)の造語だそうで、同書に取り上げられているのは、①19世紀末の心霊主義ブーム、②明治期の千里眼騒動、③ファンダメンタリズム(原理主義)、④UFO 信仰とニューエイジなどだという。つまりオカルトだ。この分野においては、宗教学者の大田俊寛によるいくつかの解説書がすでに刊行されているし、『現代社会のカルト運動』(S. フォン・シュヌーアバイン著)という名著もあるので、筆者は同書を読むつもりはない。 

 それでも石堂の書評をここに取り上げたのは、「人間は奇妙な信念を抱きやすいものであり、陥穽はどこにでもある〔後略〕。信じやすい人に対しては、その虚妄を語り、冷静に批判するような人には、彼らもまた別の信念体系に囚われているということを気付かせる」という文末からだ。 

 

(3)概念の脱構築 

 

 秩序からの逸脱、または、逸脱からの秩序のどちらにせよ、《二項対立のプラス/マイナスは、あらかじめ絶対的なものとして決まっているわけではなく、ひじょうに厄介な線引きの問題を伴うのです。その線引きの揺らぎに注目していくのが脱構築の思考である〔後略〕》(『現代思想入門』千葉雅也〔著〕P28) を筆者の心構えとする。