2005年9月20日火曜日

『グノーシス』

●筒井賢治[著] ●講談社●1500円(税別)

FI1870918_0E.jpg グノーシス(派)主義は、2世紀、現在のパレスチナの地に成立したキリスト教の一派。2世紀ごろはキリスト教が東西に波及し出した時代であり、この一派は多数派教会(カトリック)とは異なる独特の解釈を確立していた。このころのローマ帝国は、成立以来、最安定期の時代だった。

グノーシスを直訳すれば「認識」となる。
 
グノーシス主義の中心地は、現在のエジプトのアレクサンドリアだった。当地は、アレクサンダー大王が世界最大の帝国(マケドニア)を築いたとき文化の中心地として建都し、自らの名を付した。アレクサンドリアでは、ギリシア文化が継承された。

キリスト教グノーシス(派)主義とは何か。本書では、ウァレンティノス派、バシレイデース派、マルキオン派の3思想が紹介されている。グノーシスに限らず、そのころ、宇宙(世界)の始原は物語によって説明されることが普通だった。とりわけ、宗教においては、天地創造が物語によって説明された。

グノーシス派の教えとはどのようなものだったのか。もちろんグノーシスの教えを一括りにすることはできない。正統多数派キリスト教の場合、至高神=創造神が、自ら創った人類を罪から救うために、自らの子・イエス・キリストを遣わし、人類に福音を伝えたとされる。

一方、マルキオン派を除くグノーシスの場合、至高神は、低劣な創造神が創った人類から、その中に取り残されている自分と同質の要素を救い出すために、自らの子・イエス・キリストを遣わして人類に福音を伝えたとされる。

マルキオン派の場合、至高神は、自らと縁もゆかりもない低劣な創造神が造った、自らとは縁もゆかりもない人類を、純粋な愛のゆえに、低劣な創造神の支配下から救い出して自分のもとに受け入れようとし、そのために至高神は自らの子・イエス・キリストを遣わして人類に福音を伝えた、という。

マルキオンは他のグノーシス派とは異なるものの、至高神が創造神の上位にあるという構造について共通している。物質(自然を含む)及び肉体が下位に属するという哲学は、プラトンのヒューレー(質料)という概念と似ている。このことを見ても、グノーシスがギリシア哲学の流れを汲んでいることは明白だ。また、マルキオン派は、聖書の正典数を限定し、多数派教会と対立した。

大雑把に言えば、キリスト教の教えをギリシア哲学ないしプラトン哲学の枠組みで理論的に体系化しようとしたのが、ウァレンティノス派、バシレイデース派となり、また文献伝承にメスを入れるまでして純粋な福音を再現しようとしたのがマルキオン派ということになる。

パレスチナで成立したキリスト教が勢力を増し、西方のローマに至るまでの間、東方(エジプト、シリア、ペルシア・・・)には複数のキリスト教教団が存在していた。たとえばエジプトにいまなお残存する「生誕派」は、現在でも、カトリックとは異なるキリスト教として活動を続けている。その中において、最大にして最強の教派は、グノーシスと対立した多数派教会だった。多数派教会はローマに定着し、やがて欧州を制覇し、世界規模のカトリック教会へと成長し現在に至る。

2世紀、グノーシスは、多数派教会から見れば異端であり、両者は互いに論争を繰り返し宗教として洗練度を増した。論争の結果、勝者は多数派教会(後のカトリック教会)であったことは歴史が証明しているのだが、グノーシスとの対立を経なければカトリックの教義の確立はなかった、という見方もできる。