2008年4月5日土曜日

『ルポ貧困大国アメリカ』

●堤 未果〔著〕 ●岩波新書(岩波書店)●700円(+税)


横須賀でタクシー運転手殺人事件があった。この事件で逮捕された脱走米兵はナイジェリア国籍だった。このことに違和感を覚えた人は少なくないはずだ。米軍になぜ、アフリカのナイジェリア国籍の人がいるのか、そして、日本で脱走を企てた挙句、殺人事件を起こしてしまったのか。

その答えは、本書に見つけられるかもしれない。徴兵制がなくなった米軍に入隊する者は、▽高卒で職を得られず、生活できなくなった米国の若者たち、▽永住権が取れない移民、▽病気や失業で多額な借金を背負った生活者・・・たちだという。この中には、サブプライムローンの破綻で家を失い多額な借金を背負った人々も当然、含まれるだろう。

ブッシュ政権の米国で吹き荒れる新自由主義経済は、社会に様々なヒズミを生み出した。公共部門で進む民営化により、命・生活に直結する医療費が高騰、ひとたび入院すれば多額の借金を背負う。インフラ整備や自然災害監視の予算が削られ、ハリケーン等の天災が起きれば、下層の人々が真っ先に命を落とし、家を失った人は社会の最下層に追いやられる。それだけではない。過度な競争により失業者が増加し、正規雇用が減少し、ワーキングプア、ホームレスが増加する。

大卒でなければ、まともな職が得られない。経済的に恵まれない若者は教育資金を捻出するため教育ローンを組むか、奨学金を利用する。ところが、卒業しても優良企業に就職できるとは限らない。就職できなければサービス業に時給労働で職を得るか、派遣社員になるしかない。当然、借金は返済できない。こうして、大学卒の多重債務者として、彼らは社会の下層に追いやられる。

そんな彼らの前に登場するのが、軍のリクルーターだ。リクルーターは甘言を弄して若者を軍に誘い、過酷な訓練で彼らを殺人マシーンに変え、イラク等へ送り込む。労働ビザや永住権が取れない移民も、概ね同じような進路をとる。

そればかりではない。米国には軍事専門の派遣会社が設立されており、米国のみならず世界中の貧困層を戦場に送り込んでいる。戦争の民営化だ。戦争派遣社員の仕事は軍事物資の輸送等の後方作戦ばかりでなく、戦闘専門の「社員」までいるという。新自由主義経済が米国国内ばかりでなく、世界を格差社会にし、下層に落とされた人々を兵士として、戦争に送り込む。経済戦争の敗者が、実際の戦争要員である軍(兵士)や派遣社員兵士として、戦場に送り込まれる。ブッシュ政権下の米国~世界には、経済と戦争が密接に関与しあっている。

横須賀の殺人事件の犯人として逮捕されたナイジェリア人が「神の声を聞いた」、と供述したと言われているが、もしかすると、逮捕されたナイジェリア人にPTSD(Post-traumatic stress disorder)の可能性もある。過酷な訓練もしくは実戦経験によって人格破壊され、心に傷を負い、日本で脱走し、人を殺してしまった――可能性がないとはいえない。アメリカンドリームを追って、アフリカから米国までやってきたこの殺人犯は、もしかしたら、民営化が進む米国社会の犠牲者である可能性を否定できない。

さて、本書は、夢の国・米国の実態を詳細に報じた、渾身のルポルタージュ。日本の巨大マスコミ――資金も人材も豊富なはずの――がなし得なかったルポを、一人のジャーナリストが見事にやってくれた。本書のような良質なルポによって、私たちは日本のマスコミが報じない、米国の影を知ることができる。

新自由主義、規制緩和、民営化、構造改革は幻想だ。「良い資本主義」と「悪い資本主義」の2つがあるかのような報道は間違っている。日本の資本主義が米国の資本主義より劣っているわけでもなければ、勝っているわけでもない。日本の株が下がろうと、日本売りが始まろうと、いいではないか。焦って米国の真似をするなかれ。いまの米国を理想としないことだ。

かつて、日本が戦争に敗れてから復興が進んだころ、米国のホームドラマが日本国を席巻した。庭付きの立派な家、大きな冷蔵庫、車、飼われている犬までがでかかった。ハンサムな人格者である父親、美人で心優しい母親、理想の家庭ではぐくまれていく子供たちの成長が、貧しい日本人を圧倒した。1960年代まで、日本人の「理想」が、米国にあった。

ところが、レーガン政権誕生を萌芽にして、ブッシュ政権下の「9.11」以降、急速に進められた臨戦体制下の新自由主義経済政策は、本書に示されたとおり、米国社会の理想的家庭=中間層を破壊した。一握りの富裕層と貧困層に社会を二極化した。そして、先述のとおり、貧困層を兵士として戦場に送り込み、さらに、戦争を国家から分離し民営化するという、究極の戦争システムを構築した。

日本では、この期に及んで、米国が民間活力を使った、理想の「小さな政府」であるかのような幻想が振りまかれている。「米国のような、米国のように・・・」という悪魔の声が、毎日のように、テレビから聞こえてくる。

そのような中、日本でも派遣社員問題やワーキングプア問題が浮上した。日本が格差社会であることは、だれもが認めるところだ。日本政府とマスコミの次の一手は、借金苦の若者を自衛隊に入隊させ、そして・・・でないことを確信でいないことが恐ろしい。
(2008/04/05)