2008年4月15日火曜日

『ゾロアスター教』

●青木 健〔著〕 ●講談社叢書メチエ ●1500円(+税)


 

聖火とは何か

世界中で、北京五輪聖火リレーに対する抗議行動が続いている。その聖火は、プロメテウスが火を盗んで人間に伝えたギリシア神話の話と関連付けられるのが常である。火は人間の知性の喩えでもある。ギリシア神話の中のプロメテウスの話は以下のとおり。

≪プロメテウスはゼウスの目を盗んで火を盗み人間に伝えた。それを知ったゼウスは怒り、プロメテウスを生きたまま野に曝し、野鳥に肝臓を食わせる罰を与えた。プロメテウスは不死であったから、永遠に野鳥に内臓を食われ続ける責め苦を負った≫

筆者は、聖火とプロメテウスが関連して語られるのは後代のことだ、と考える。ギリシア人は、古代アーリア系民族の一派で、彼らの原始宗教に聖なる火を崇める信仰があり、オリンピックの聖火の起源もそこに求められるものと思っている。余談だが、プロメテウスが内臓を野鳥に食われる罰をゼウスから負ったというのは、古代のアーリア人に、死者を曝葬する風習があったことの伝承だとも考えている。

さて、本書のテーマ・ゾロアスター教は、現在のイランに住んだアーリア人の宗教で、日本語で拝火教と呼ばれるとおり、聖なる火を崇拝したことで知られている。「アーリア人」という民族は、世界史上において、ロマンに満ち満ちたもの――少なくとも筆者には、世界史上における最大の関心事の1つ――と言って過言でなく、長年興味を抱き続けてきた。

印欧語族とアーリア人の定義

いまから8千~4千年ほど前、ユーラシア大陸の中央部を原郷とする、ある民族(仮りに「A族」とする。)が理由はわからないが移動を開始した。「A族」の移動先は、(一)イラン高原北部、黒海付近、(二)インド亜大陸、(三)ヨーロッパ-であった。そして、移動先の先住民と融合・定住した。もちろん、原郷にとどまった者もいただろう。彼らは元来が遊牧騎馬民族で、農耕民のような定住民ではなかった。

「A族」が移動後定住した先が特定できる理由は、その言語である。(一)で成立し現在に至るペルシア語、その周辺のアルメニア語、クルド語、そして、(二)で成立したヒンドゥー語等、(三)のヨーロッパ諸言語――ケルト系諸言語、ギリシア語、ラテン語系で後世に完成したイタリア語、仏語…、ゲルマン系の独語、英語・・・には共通性が認められ、各言語は「A族」の言語と融合して形成されたものと推定されている。

「A族」の言語及びそれと融合してできた各言語は、今日の言語学において、印欧語(インド=ヨーロッパ語)」と、また、古代「A族」で話されていた言語を印欧祖語と呼んでいる。

「A族」のうち(一)と(二)が古代ギリシアの歴史家から、「アーリア人」と呼ばれた。「アーリア」とは、「高貴な」という意味で、「A族」は自らを「高貴な人々」と呼んでいたものと思われる。「A族」は、広義の意味におけるアーリア人である。

言語学上、広義の「アーリア人」が移動し定住した各地の先住民の言語の大枠は消滅し、広義の「アーリア人」の言語の大枠が残存している。ということは、広義のアーリア人のほうが先住民族より政治権力上優位にあった、と推定する学者がいる。社会構成上、広義のアーリア人が先住民を支配したと主張しているわけだ。そこから、アーリア人をめぐる誤解と神話が後世に発生した。

人類は、広義のアーリア人の概念を政治的に利用した不幸な歴史を体験している。20世紀、ナチスドイツは、「第三帝国」を担うドイツ人(ゲルマン人)をアーリア人の直系と任じ、ユダヤ人、ロマ(ジプシー)等を劣等民族として抹殺を図った。ナチスは、ヨーロッパ先住民と融合したアーリア人を征服者=優性民族と考えた。アーリア人という民族名を積極的に使用したナチスは、アーリア人を金髪碧眼の白人種と定義したが、まったく根拠はない。今日、アーリア人を人種的に定義することはできない。

カースト制度が残る21世紀のインドにも、アーリア人=征服者=優性民族の思想が残っている。カースト上位のインド人はアーリア人をインド先住民(=ドラビダ人等)を征服した優性民族と位置付け、色の白いインド人をアーリア人の直系とし、彼らがカースト上位を独占し、低位カースト層を差別するイデオロギーとして利用している。

いまのところ確実なのは、▽ヨーロッパ、インド亜大陸、イラン付近の諸言語の話し手の共通の祖先として、広義のアーリア人と呼ばれる民族が存在したこと、▽広義のアーリア人の祖語が先住民の祖語より優位に保存されていること――だけだと思われる。

かくのごとく、アーリア人という民族概念は、手垢どころか、人類の血にまみれた悲惨な過去を背負ったものとなっているのだが、歴史探求としては、古代アーリア人に係る調査研究は重要であり、本書のように彼らの宗教に関する研究は、ユダヤ=キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教(仏教)の基層として、それらに多大な影響を与えた原始宗教を知るという意味で、極めて重要である。

本書は、先述したようなアーリア人概念の混乱を避けるため、広義のアーリア人を扱わない。著者(青木 健)は、西方(ヨーロッパ)へ移動し独自の発展をとげたアーリア人及びアーリア系の人々、すなわち、現在のヨーロッパ人には関与せず、東方(イラン高原及びその周辺並びにインド亜大陸)に移動後定住した、狭義のアーリア人を扱う。言ってみれば、本書は、狭義のアーリア人の宗教=ゾロアスター教の調査研究である。

ちなみに、現在の「イラン」という国名は、「アーリア」を意味する「エーラーン」の転訛である。後出するが、「エーラーン・シャフル」といえば、アーリア人が住まうところという意味になる。

ゾロアスター教とは何か

管見の限りだが、本書のように平易かつ簡潔に整理されたゾロアスター教の研究書を他に知らない。ゾロアスター教成立を境として、狭義のアーリア人の宗教を知ることは、実は、広義のアーリア人の基層の思想・宗教のみならず、民俗・生活を知るという意義がある。なぜならば、本書が詳述するように、ゾロアスター教は、当時、イラン高原周辺の原始宗教を取り込んで成立したからである。古代アーリア人の宗教を探るということは、ヨーロッパ史のみならず、世界史を考えるうえで、最も重要なアプローチの1つである。

ゾロアスター教とは、どのような宗教なのだろうか。開祖はザラスシュトラ・スピターマ。成立は紀元前12~9世紀、中央アジア~イラン高原東部のことである。ザラスシュトラ・スピターマの教えを大雑把に言えば、「善悪二元論」。善の極には、創造主にして叡智の神・アフラー・マズダー(光)を頂点にして、その下に6大天使を侍らせた。一方、悪の極には、大悪魔・アンラ・マンユ(闇)を頂点にして、6大悪魔を対置した。そして、善と悪が対立・戦闘を繰り広げ、信仰によって善が勝利するという体系を作り上げた。その詳細は後述する。

しかし、ザラスシュトラ・スピターマの単純な二元論では、それまでにあったアーリア人の諸々の神が切り捨てられてしまう。これでは、民衆の支持を得られない。そこで、ザラスシュトラ・スピターマの死後、後継者たちがアーリア人の神々を教祖の二元論と調和させつつ取り入れて体系化したのがゾロアスター教だという。

アーリア人の原始宗教は多神教で、火、風、大地…といった自然神崇拝が主流であったし、古代アーリア人に限らず、原始宗教では日常規範と宗教規範は分離していないため、古代アーリア人の間では、曝葬、最近親婚、諸々の呪術的善行の励行が宗教的規範として行われていた。ザラスシュトラ・スピターマの後継者たちは、こうした民俗的日常規範をゾロアスター教の教義の一環に取り入れた。さらに、世界の終末思想、救世主思想、最後の審判なども、古代アーリア人の原始宗教の影響であり、ザラスシュトラ・スピターマの教えにはなかった。

白魔術儀式

そればかりではない。ゾロアスター教が今日人々を魅了する所以は、それがオカルト的な魔術を伝えるからだろう。それは、以下のとおり、ゾロアスター教呪術儀礼の4分類と呼ばれる。

一.ハオマ草の受益を絞って、聖火の前でアフラ・マズダーに奉げるヤスナ祭式
二.悪の勢力から身を守る一連の浄化儀式
三.古代アーリア人の間で一般的だった人生上の通過儀礼
四.古代アーリア人の間で一般的だった年中行事
これら儀式の詳細は本書を参照していただきたい。

国教化と拝火神殿の成立-サーサーン朝ペルシア時代

サーサーン朝ペルシア(224~651)時代、ゾロアスター教は同朝の国教となり最盛期を迎えた。この時代に経典の整備、教団の組織化等が進んだが、なかで重要なのが、欽定『アベスターグ』の成立だろう。これはゾロアスター教の宇宙観を典型的に示すものなので、本書から引用しておこう。

≪太古の昔、宇宙は善なる光の神アフラー・マズダーの世界と悪なる暗黒の神アンラ・マンユの世界に分離していた。その間に虚空の神ヴァ-ユが挟まって、両者に接点はなかったらしい。しかし、ある時、暗黒の勢力が光の勢力に挑戦して、虚空が消滅し、善悪の要素が混合した。そこから、現在我々が生きているこの世界が生まれたのである。
当初、両者の戦闘は霊的な次元(メーノーグ界)で行われていたとされる。しかし、次第に実力行使に移って、この物質的な次元(ゲーティーグ界)での破滅的な大戦争が勃発した。(中略)ともかく、こうして、アフラー・マズダーは、自らを防衛するためにつぎつぎに善なる創造物を繰り出し、アンラ・マンユは、それを攻撃するべく悪の反対創造を展開した。第一の戦闘は天空、第二は大地、第三は河川、第四は植物、第五は家畜、第六は最初の人間ガヨーマルト、第七は火、第八は恒星天、第九はメーノーグ界の神々と悪魔、第十は星辰で、それぞれの善と悪の創造物が戦う。(中略)
最後に、世界が7つの州として形成され、その中心にアーリア民族が住まうエーラーン・シャフルが存在し、伝説的なカイ王朝がそれを統治したとされる。≫
(※筆者注:「カイ」はギリシア語の「X」のことだが、それと関係があるかどうかは不明。)

欽定『アベスターグ』の第20巻『チフルダード』等で古代アーリア人の神話的歴史が展開されるのだが、最初の人間が球形をしていたり、植物から兄妹が誕生して最近親婚をしたり悪龍が登場したりと荒唐無稽だが、神話としては面白い。そして、ゾロアスター教を象徴するは拝火神殿が、この時代に建設された。

ゾロアスター教の危険な部分

ゾロアスター教には危険な要素がある。筆者はこの宗教を認めない。その理由の1つが「アーリア至上主義」である。ゾロアスター教は古代アーリア人の原始宗教を取り入れたことは本書が指摘するところだが、その中に古代アーリア人の不浄観と清めの意識がある。古代アーリア人は、自分たちが住まう地域=エーラーン・シャフルの外部を悪・不浄の地として差別した。その結界を守るのが聖火だった。

ここで冒頭に掲げた、オリンピックの聖火に戻る。中国共産党首脳陣がゾロアスター教を知っているのならば(間違いなく知っていて確信的なのだが)、彼らは古代アーリア人にならって、聖火でエーラーン・シャフル(中国領土)の外側=他国を浄化しょうと企んでいる。世界の人々はだから、中国の聖火に反対するのである。何がなんでも、中国による世界浄化を阻止しなければならないと。

2つ目は善悪二元論だ。善悪二元論のゾロアスター教は、古代、一神教のキリスト教と厳しく対立したという。だが、西欧キリスト教の基層にある古代アーリア主義がキリスト教に二元論を持ち込んでいる。正統と異端、キリスト教と非キリスト教、十字軍とイスラム教徒、自由主義と共産主義、そして、西欧キリスト教的民主主義とイスラム的過激主義(テロリズム)・・・こうした二元論は、実態と乖離した幻想的善悪二元論に基づいている。

3つ目は、階級制度だ。古代アーリア人社会は階級制度をしいていたのだが、ゾロアスター教もそれを固定化した。本書によると、古代アーリア人は、神官階級、戦士階級、庶民階級――に仕切られていたという。インド亜大陸でアーリア人の宗教として独自に発展したヒンドゥー教もカースト制度という階級を固持した社会であり、イランも三階級社会だという。欧米でも、上流階級(旧貴族階級)、労働者階級、の階級制度が残っている。

前出のとおり、古代アーリア人は、3つの地域に移動した。その1つである、ヨーロッパの基層としての「アーリア性」については、本書では触れられていない。が、ヨーロッパの基層の「アーリア性」がナチズムのような過激な表象とならないまでも、欧米主導の世界に色濃く影を落としているように思えてならない。その意味で、ゾロアスター教への興味は尽きることがない。

今日のゾロアスター教

サーサーン朝ペルシアがアラブイスラム勢力によって滅ぼされると同時に、ゾロアスター教も廃れ、イラン高原一帯の信仰はイスラム教にとって代わられた。

同地域のアーリア人もアラブ系と融合し、さらに後年東方から移動してきたテュルク族(イスラム教に改宗した)とも混合し、アーリア人という民族は滅亡した。そもそも、アーリア人に限らず、21世紀、純粋・単一の人種、民族の概念は幻想にすぎない。

イスラム勢力との融合を拒否した、イラン高原一帯のゾロアスター教徒は、インド亜大陸に移動(亡命)し、現地の人々から、パールシー(「ペルシアから来た人」という意味)と呼ばれ、今日に至っている。

21世紀、全世界のゾロアスター教徒数は、40万程度(イラン3万、パキスタン26万、インド18万、中国不明)と推定されている。 (2008/04/15)