2010年9月21日火曜日

心無い報道

犯罪被害者を貶めるような、心無い報道が絶えない。このたびの押尾裁判においても、被害者女性が暴力団と関係があったとか、MDMAを自ら服用したというような事項が、弁護側から明らかにされたというし、ある有名ブログが、亡くなった女性の死は当然だというような論調の駄文を掲載した。

どのような属性の人間であっても、犯罪被害という不条理な死は、受け入れがたいものだし、受け入れてはならない。と同時に、人の命はいかなる状況にあっても、助けなければいけない。暴力団の抗争で重傷を負った構成員であっても、医者はもちろん、まわりにいる人間は、その命を助けなければならない。暴力団構成員、麻薬常習者、詐欺師、諸々の犯罪者、あるいは、その他諸々の職業にある者・・・であっても、そうである。殺人犯であっても、その者が死に瀕しているならば、救命しなければいけない。

押尾裁判の被害女性が自らの意思でMDMAを服用したからといって、遺棄致死罪が適用されないわけはない。彼女は犯罪を犯したのかもしれないが、彼女が生きていたならば、薬物使用者という犯罪者から、更生した可能性が高い。どんな属性の者であっても、その者が生命の危機に瀕していたならば、保護責任者は救命に最善を尽くさなければいけない。また、社会は、それを怠った者を糾弾しなければいけない。保護責任者遺棄(致死)罪は、このような根本原理に基づき、刑法に規定されているはずだ。

このたびの裁判において、弁護側は、被害者女性が自ら持ってきたMDMAを自らの意思で服用し、死亡に至ったことを傍証するため、彼女と暴力団との関係や、薬物使用の前歴を裁判で取り上げたという。だが、このような情報は明らかにネガティブキャンペーンであり、被害者女性のイメージダウンを狙ったものだ。

芸能人と薬物をやるような人間、堅気でない人間、水商売の人間――は、死んで当然、助けられなくって当然、押尾被告を非難する立場にない・・・というような意見を、平気でブログに公開するような者が、日本の言論界に存在するし、また、そのような暴論を掲載してしまうブログ編集責任者が後を絶たない。