2022年6月26日日曜日

日本昔ばなし 第一話「饅頭をたべる」、第二話「フラクション」

 

 
(第一話)饅頭をたべる

 これからする話は、この国の20世紀後半、西日本の小さな自治体のできごとだ。業界紙で働いていた筆者が、地域振興活動家を自称するとある人物から聞いたもの。そのころ日本各地では公共事業にまつわる談合が問題になっていた。入札予定価格が建設業者に漏れていたり、それぞれの業者が輪番で受注できるよう入札価格が調整されていたり、特定の業者が受注できるよう「天の声」が役所と業者にくだったりと、かなり脱法的行為が自治体と業者のあいだで横行していた。なぜそのような談合構造が構築されたのか、公共事業に縁の遠い多くの都会人には理解できなかった。もちろん、筆者も別世界のことだと思っていた。そんなわけで、この話は何年たっても忘れようがない。そういう世界があるのかと。いまはコンプライアンス順守やコンフィデンシャル・アグリーメントが当たり前の世の中になったので、まさか当時のようなことはあるまい、談合、情報漏洩などは絶滅したと思うので、日本昔ばなしとして聞いてほしい。

談合と饅頭

 過疎に悩む小さな自治体が地域活性化の方策に悩んでいた。当時、まちおこしイベントによる地域振興が流行していて、日本中の自治体職員はその企画に頭を悩ませていた。自治体職員、青年会議所有志、農協関係者・・・が終業後、だれかれとなく集まり、知恵を絞る毎日が続いた。そんなとき、深夜にも及ぶ会議室、諸々の事務費、休憩時間のお茶などを無料で提供してくれるのが、地元の有力な土建業者、建設業者だった。役所の職員も入るから、アルコールはご法度。会議のあいま、おやつに饅頭がきまってだされるのが常だった。
 熱心な会議が毎日が続く中、役所の職員と業者のあいだの壁は取り払われ、親密度が増して本音で話せる関係ができてくる。
 さて、深夜の有志の会議、企画は煮詰まっても、その壁となるのが予算である。立派なアイデアも予算不足のため頓挫してしまう。そんなとき、場所を提供してくれている業者が助け舟をだす。イベントにかかる予算の不足分は協賛(カネ)する、警備等の「ヒト」もだす、テント、客席づくりといった「モノ」までも業者が無料で提供してくれる。みなで苦労して出したアイデアが現実のものとなりそうだ。イベントが開催されれば絶対に話題を呼ぶ、新聞、テレビも取材にくる・・・
 そんなころをみはからって、業者が役所の職員にささやく、〝あの工事だけどさ″・・・と。役人は断れない。みなで煮詰めたイベントが実現間近なのだから。こうして役人どうし、業者との癒着を確認する隠語として、「キミ、饅頭たべた」が定着する。そう、いつも出されるあの饅頭である。「饅頭食べた」と答えれば、贈収賄関係が成立したことを意味する。「食べた」のが自分一人でないことを知って安心するのである。「饅頭」を食べてしまった役人は善意からである。イベントの成功、まちの活性化、明るい未来を夢想したのである。饅頭を出した業者だって、イベント開催に尽力したのである。それくらいの見返りがあっていい。 

毒饅頭

 「饅頭」はもちろん政界にも隠語として通用するようになるのだが、さすが政界においては「毒饅頭」と過激度を増した表現に変容した。自民党の有力議員が「毒饅頭」と発言して、当時話題をさらったものだ。賄賂を贈るほうは、政治家に対し、自分に有利になるよう関係者に便宜を図るよう尽力してもらうことを期待する。また、地位を保証してもらったりもする。また、賄賂(カネ)を渡さなくとも、裏から政治家を応援したり協力をすることもある。その関係の成立を、「毒饅頭」と表現したわけだ。まさに「饅頭怖い」というオチがついた。 

地域社会の小さな富の奪い合い

 地方自治体(行政)は住民ときわめて密接な関係にある。彼らが住まうまち(共同体)には生活者どうしの利害の対立があり、調整を要することがあり、権益の独占、すなわち、利権がつきものとなる。残念なことだけれど、それが政治・行政の意思決定の核となることもある。小さな共同体の中のささやかな富の奪い合いだ。奪い合う自由を放置すれば、強者(資産家、事業者等)が有利な立場にあるから、かれらが政治家や役人を動かして富と権力を独占するか、強者同士で分けあってしまう。そして、下層の公務員、労働者、無産者は富の恩恵にあずかれない。そればかりではない。小さな富の奪い合いの過程においては、権力者側が見えない罠を張り巡らす。この国の有権者は、前出の昔ばなしのように、権力側と見えない糸でつながっている。糸の先には生活の保障があり、それと引き換えに投票箱に結ばれている。自分の職、いい仕事、出世、もちろん収入(生活)が権力側と投票という糸でつながっている。糸でつながっていない生活者は、政治に無関心であり、かれらの関心事は日常のささやかな充実である。その占める割合は、この国の有権者のほぼ5割を占めていて、大都会にいけばいくほど、その比率は高くなる。

(第二話)フラクション 

1950年代末、谷川雁らが組織したサークル村

 政治や行政が投票と結びついていると感じにくい大都会の無党派層を利益誘導なしで組織化することはできないのだろうか。これからする話も、すでに昔ばなしの感が拭えないけれど、有効かもしれないので参考にしてもらえればいい。

組織づくりの基本

 組織づくりの伝統的手法として思い浮かぶのが、フラクションである。フラクションとは小さな断片という意味で、政党が有権者を利益誘導ではなく、市民の関心事に焦点を当て、数人単位の勉強会などを開催して集まってもらことから始まる。資金力のない政治組織が組織づくりを行うときの「はじめの一歩」と考えていい。小さな政党が政治活動を始める時、フラクションの結成のない組織づくりはあり得なかった。
 参院選たけなわのいま(2022.6.26)、棄権しないでください、投票しましょう、という呼びかけが大きくなるが、これほど無駄なものはない。いわんや、政治家がこの期に及んで、声を大にして自分、自党への投票呼び掛けに精を出しているのが哀れでならない。ほかにやることがないから仕方がないのだけれど、賢明な姿には見えない。
 いやしくも政治家を志し、政党という看板を世に掲げたならば、党員、シンパ、賛同者を自力で増やすしかないのである。常日頃から、有権者に向けて政策を訴え、権力側を批判し、それにかわるビジョンを示さなければならない。選挙になってから、熱を上げても遅すぎる。
 有権者すべてを党員とそのシンパに組織化することは不可能。そんなことはわかりきっている。だからといって、常日頃なにもせず、投票間近になって有権者に接近したのでは遅すぎる。日ごろから、党の核となる者を育て、要所に配し、読書会、勉強会、討論会、研究会等を組織的に開催し、その輪を広げなければ、支持層の拡充はない。
 日本共産党は戦前から、職場、大学等でフラクション(支部組織)を育ててきた。その後、1960年代~1970年代、新左翼各派は左翼反対派として、経済学、哲学、社会学、国際政治論、地政学・・・あるいはまた、演劇、映画、文学、音楽・・をテーマとした、フラクションを開催してきた。遡れば、1950年代末には「サークル村」があった。かくして、それらが実を結び、1960年代後半には、左翼反対派は急成長をはたした。

NC(ナショナルセンター)だってまだ使える 

 各所に分散していたフラクションが育ち、そこから地域連絡会が張り巡らされ、市区町村から都道府県、そして全国に規模拡大する。
 終戦直後から1970年代までにわたって先人が育て上げてきたのが、職場ならば今日の日本労働組合総連合会 (連合)であり、学生ならば全日本学生自治会総連合(全学連)である。いわゆるナショナル・センター(NC)だ。いまどちらもかつての求心力を失い、政治的影響力を消失しつつあるが、それは受け継ぐべき者がしっかり受け継がず、成長させる努力を怠り、先人が築き上げた遺産を食いつぶしてしまったからだ。
 政党の看板を掲げた以上、組織づくりが必須となる。労働者、学生のNCは弱体化したとはいえ、なくなったわけではない。連合は立民と国民にとられているからあきらめるのか。左翼反対派として介入すべきである。介入の方法は、NC内に「細胞」を侵入させ、増殖させる手法である。「細胞」が増殖すれば、あたりまえだけれど、政治勢力として拡大、成長する。左翼反対派なら、そこに着手しなければ、政権交代など夢の夢である。選挙だけが戦いの場だと規定するのは誤りである。日常があり、選挙があり、選挙結果を受け反省し、日ごと成長するのが政党である。盆踊りの選挙パフォーマンスで、無関心派、無党派層を獲得しようなんて、あまりにムシが良すぎる。(了)