2023年1月7日土曜日

『永遠のファシズム』

  ●ウンベルト・エーコ〔著〕 ●岩波現代文庫 ●1020円(+税) 

 本題〈永遠のファシズム〉は、映画『薔薇の名前』の原作者として知られるウンベルト・エーコ(1932-2016)の、もはや古典となりつつある感のあるファシズム論である。長大な論文と思いきや、講演の文字おこしであり、紙数としては少量である。なお、本書にはほかに4編の小論が収録されている。
 講演は1995年4月25日、ヨーロッパ解放記念行事として、米国コロンビア大学イタリア語学科の学生・教職員に向けて英語で行われた(本書序より)。第二次世界大戦(以下「WWⅡ」)で欧州を解放したアメリカで行われた講演なだけに、アメリカ=民主主義の盟主という気遣いが講演中、しばしば表出されている。啓蒙主義的観点から、母国イタリアで起こったファシズムを論じている点が特徴的であるが、このことについては後述する。
 WWⅡが欧州人にとっていかに過酷な体験であったかを感じさせる一方で、欧州人の一人であるエーコにとっての矜持と救いは、母国イタリアはファシズムを生みだし、それに統治された苦い経験を持っていながら、レジスタンス(パルチザン)をもっていたことではないだろうか。イタリア・ナチスドイツ・日本帝国は三国で枢軸国を形成し、防共協定を結んでいた。ドイツ・日本にはレジスタンス運動が起きなかった。

ナチズムとファシズム 

 エーコはファシズムを定義する前に、ほぼ同時期にドイツで台頭し欧州各所に波及したナチズムとそれを比較する。エーコはナチズムについて次のように言う。

 (ヒトラーの著作である)『我が闘争』は完璧な政治綱領です。ナチズムは、人種差別とアーリア主義の理論を備え、「退廃芸術(Entartete Kunst)」を正確に規定し、潜在的意志と超人( Übermensch)の哲学を有していました。ナチズムは明確に反キリスト教思想であり、あらたな異教思想でしたが、それは、スターリンの(ソヴィエト・マルクス主義の公式見解である)「弁証法的唯物論(Diamat)」が明らかに唯物論的無神論であったのと同じことです。仮に全体主義が、あらゆる個人の行動を国家とそのイデオロギーに従属させる体制を意味するものなら、ナチズムとスターリニズムは全体主義体制だったということになります。
 (それに対して)ファシズムはたしかに独裁体制でしたが、その穏健さからいっても、またイデオロギーの思想的脆弱さからいっても、完全に全体主義的ではありませんでした。一般に考えられているのとは反対に、イタリア・ファシズムは固有の哲学をもっていませんでした。『トレッカー百科事典』にムッソリーニ が寄せた「ファシズム」の項目はジョヴァンニ・ジェンティーレによって執筆された、もしくはかれから基本的に着想を得たものですが、そこに反映された「絶対的倫理国家」という後期ヘーゲル的概念は、ムッソリーニがついに完璧に実現することがなかったものです。ムッソリーニにはいかなる哲学もありませんでした。あったのは修辞だけです。〔後略〕(本書P37~39)》 

 ナチズムの人種差別とアーリア主義を代表するのがユダヤ人問題であることは言うまでもないだろう。WWⅡにおいてドイツと同盟関係にあったファシズム政権下のイタリアにおけるユダヤ人の扱いについては、ハンナ・アーレントが『エルサレムのアイヒマン』第10章「西ヨーロッパ ーー フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、イタリア -- からの移送」において詳述している。同書によると、イタリアにおけるユダヤ人に対する拉致、収容、死の収容所への移送についてはきわめてナチスに非協力的で、ユダヤ人の多くが保護され、拉致・収容所への移送を免れたとある。その理由についてアーレントは、以下のように書いている。

 (ユダヤ人の)同化はイタリアでは事実となっていたのである。イタリアには5万人を越えぬ土着のユダヤ人の共同体があり、彼らの歴史ははるかローマ帝国の時代までさかのぼるものだった。(中略)イタリアでは(ユダヤ人を差別しないことは)古い文明国民のすべてに行きわたったほとんど無意識的な人間味の所産だったのである。(『エルサレムのアイヒマン』/みすず書房版/P248~249)

 ファシズム政権下のイタリアにおいて、ユダヤ人差別が政治的にあったとはいえ、国民レベルでは皆無とはいえないものの、ないに等しかったことは注目に値する。
 エーコはまた、キリスト教に係るナチズムとファシズムの相違を指摘する。前者が反キリスト教的であったのにに対し、ムッソリーニは当初、行動的無神論者だったものの、後に教会と政教協定(コンコルダート)をむすんだ。そればかりか、ファシスト隊旗に祝福をあたえる司祭たちに好感をいだくようになり、演説のなかで、きまって、神の名を引き合いに出し、自分を「神の摂理が遣わした男」とよぶようになった、とエーコは言っている。ナチズムとファシズムの相違を頭の中に入れておくことは重要である。  

ナチズム以上に世界に影響を与えたファシズム 

 イタリア・ファシズムが、ヨーロッパの一国家を支配した最初の右翼独裁政権であり、次いで現れた類似の運動すべて、ムッソリーニ体制のなかに一種の共通する原型を見出すことになった。(中略)その新体制こそ、共産主義の脅威に対する代案となる穏健な革命を提供しうる興味深い社会変革を成し遂げつつあるのだと、ヨーロッパ自由主義諸国のリーダーたちを納得させたのは、イタリア・ファシズムなのです。(本書P39~40)

 なるほど、イタリア・ファシズム運動はイギリスに登場し、ラトビア、エストニア、リトアニア、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、ユーゴスラビア、スペイン、ポルトガル、ノルウェー、さらには南米へと波及した(本書P39~40)。モーズリー率いるファシズムがイギリスに登場したのは1932年、彼がドイツとイタリアを訪問した後の同年10月、「イギリス・ファシスト同盟」(BUF)を名のったところからである。日本の1932年前後といえば、昭和維新の時代、「五・一五事件」「二・二六事件」などが勃発したまさに軍国ファシズムの到来を告げる時代だった。極東日本帝国にもファシズムの嵐が押し寄せていた。

ファシズムとは何か 

 ファシズムとは《いかなる精髄もなく、単独の本質さえない、ファジーな全体主義(本書P40)》だとエーコはいう。ファシズムは一枚岩のイデオロギーではなく、むしろ多様な政治・哲学思想のコラージュであり、矛盾の集合体。君主制と革命、国王の軍隊とムッソリーニの私兵、教会にあたえられた特権と、暴力を奨励する国家教育、絶対的統制と自由市場 -- これらが共存可能な状況であると。
 そればかりではない。ファシスト党は、革命の新秩序を標榜して誕生しながら、その資金源となったのは、反革命を期待するもっとも保守的な地主たちであり、初期のファシズムは共和主義を唱えながら、その後20年間にわたって、王家に忠誠を誓うことで生き延びた。1936年、ムッソリーニがエチオピア帝国の併合を宣言すると、この征服により、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世国王(サヴォイア家)が帝位を兼ねると(イタリア植民地帝国)、「帝国の建国者(イタリア語: Fondatore dell'Impero、フォンダトーレ・デッリンペーロ)」という名誉称号をサヴォイア家から与えられた。サヴォイア家の指導下にあった軍の掌握にも努め、大元帥(帝国元帥首席)に国王・皇帝ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世と共同就任して統帥権を獲得した。 

永遠のファシズム14項目 

 エーコはファシズムの曖昧さ、多元性を指摘し、その典型的特徴を列挙する。それを「原ファシズム(Ur-Fascismo)」もしくは本題ともなっている、「永遠のファシズム(fascismo eterno)」と名づけ、14項目に整理する。これがよく知られる「ファシズム14項目」である。筆者としては、後者はやや抒情的表現に思えるので、前者の「原ファシズム(Ur-Fascismo)」のほうが適正のように思える。
 14の特徴とは、①伝統崇拝、②非合理主義、③行動重視、④批判の否定、⑤余所者排斥、⑥欲求不満層への呼びかけ、⑦ナショナリズム、⑧敵の力を把握する能力の欠如、⑨反平和主義、⑩エリート主義(弱者蔑視)、⑪英雄主義(死の賛美)、⑫マチズモ(男らしさ重視)、⑬ポピュリズム、⑭貧弱な語彙と平易な構文(総合的で批判的な思考の道具の制限) である。これらの項目の詳細が本書の肝であるから、本書を読んでいただきたい。 

日本帝国とファシズム 

 日本においては、明治維新から始まった、帝国主義的侵略戦争の時代(とりわけ、1930年代から1945年まで続いた、アジア太平洋戦争敗戦にいたるまでの期間)、天皇を頂点とする日本帝国政府が国民の自由を奪い、それに抵抗する勢力を暴力で抑圧し、国民を戦場に送り込んでいた。この時代の国家体制については、軍国主義、軍国ファシズム、天皇制ファシズム等と呼ばれている。軍国主義という名称は、連合国の盟主としてナチスドイツ、イタリア、日本帝国に勝利したアメリカがナチスドイツと日本帝国の国家形態に冠した名称である。日本帝国が犯した戦争の罪は軍国主義者が負うべきであるとして、軍事法廷でその者たちを処刑した。確かに日本帝国は軍事力で隣国に侵入し、そこの富を収奪し日本帝国の国富とした。また、軍事力にものを言わせて、他国との交渉を優位に進めようと図り、交渉が行き詰まると戦争で決着をつけようとした。まさに軍国主義である。国民の福祉、生活向上を顧みることなく、国富を軍事につぎ込んだ。いまで言う専軍国家だった。
 日本帝国と実際に戦った連合国からみれば、日本帝国は軍国主義の国家なのだろうが、日本の戦前・戦中の国家体制、なかんずく1930年代から1945年の敗戦までの期間のそれは、天皇制ファシズム国家と呼ぶほうがふさわしい。明治維新政府が建国時に掲げたスローガン、富国強兵は尖端的科学技術の高度化という裏付けがなければなしえないのだが、軍隊、生産現場、学校とあらゆる生活過程において、国民は天皇を頂点とする神話的伝統を崇拝させられ、それに殉ずる死の賛美を伴う非合理主義に支配されていた。国民は天皇の名の下、周辺国の諸民族を蔑む排外主義的価値観を身に着け、他民族を奴隷化した。日本帝国の性格は、エーコの「永遠のファシズム14項目」のほぼすべてにあてはまっていた。 

ファシズムは復活するか 

 講演の終わり近く、エーコは、アメリカ大統領ルーズベルトの演説「あえて言う。アメリカ民主主義が活力ある進展をつづけ、日夜、平和的手段をもとめ、わが国民の環境を改善する歩みを停止するようなことがあれば、ファシズム勢力がわが国にはびこることになるだろう」(1938年11月4日)(本書P61)を引用した。ルーズベルト大統領は、WWⅡでナチズム・ファシズム勢力と戦い勝利した自国アメリカを賛美するよりも、それらが再び台頭する可能性・危険性を予言していたのである。"アメリカが歩みを停止するならば"と。
 その日(1938年)から今日まで、アメリカはいとまなく戦争を続けた。その大義は自由と民主主義を守るためだった。果たしてそうだったのだろうか。そしていま、欧州の東、ウクライナ戦争のさなかにある。この戦争の当事者ロシアは、ウクライナにはびこるナチズムと戦うことを大義とし、ウクライナは祖国防衛の戦いを強いられている。そしてアメリカは、ウクライナ、そして世界の自由と民主主義を守るため、ウクライナへの軍事協力・軍事援助を惜しまない。アメリカはこの戦争の間接的戦争当事国である。
 そのアメリカ国内では、21世紀、トランプの登場により、国内は深刻な分断状態に陥り、トランプ支持者の価値観は前出の「14項目」にほぼ重なる。陰謀論が跋扈し、人種差別、性差別は激化し、あたかも中世のような道徳観念が復活し、支持者を集めている。
 日本も似たようなものとなった。ネット言語空間には他者に対する誹謗中傷が絶えることなく溢れ、陰謀論、極右・歴史修正主義、事実捏造、人種差別、女性蔑視等の投稿が垂れ流されている。政府は国民生活に目を向けることがない。政府・与党政治家は縁故主義、増税、軍備拡大等に一直線だ。アメリカ同様、「14項目」に重なる政治、社会状況に陥っている。アメリカ、日本ばかりか、欧州はじめ世界中がファシズムへの道を歩み始めようとしているかのようだ。
 エーコが「14項目」を挙げた思想的根拠は、18世紀啓蒙主義的価値観にあることは、前出の②非合理主義のところで述べた以下の言説から明らかである。 

 伝統主義思想家は、テクノロジーを伝統的精神価値の否定であるとして拒否するのがふつうです。(中略)近代世界の拒絶が、資本主義的生活形態の断罪というかたちで擬装されていたわけですが、その主眼は1789年もしくは明らかに1776年精神の拒絶にあったのです。(本書P50)。 

 1789年がフランス革命を、1776年がアメリカ独立宣言を指すことは明らかである。エーコのファシズム批判は、18世紀啓蒙主義に基づくものだが、啓蒙主義思想が欧州を席巻してからおよそ1世紀半後の20世紀初頭、ファシズムという反啓蒙主義思想が台頭した。世界はそれを世界規模の戦争という大きな犠牲を伴いつつ消し去ったと思いきや、1世紀ほど後のこんにち、ファシズムが再び復活する気配が色濃い。まさに"永遠のファシズム” であるかのように。
 ファシズムの台頭を止められるのは、いまを生きるわれわれしかいない。われわれがファシズムを止めなければ、ファシズムが永遠の命をもちつづけることになってしまう。(完)