2023年1月24日火曜日

『永遠のファシズム』(その2) 「他人が登場するとき」「移住、寛容そして堪えがたいもの」

 ●ウンベルト・エーコ〔著〕 ●岩波現代文庫 ●1020円+税 

 拙稿はウンベルト・エーコ著『永遠のファシズム』(岩波現代文庫版)に収載された「永遠のファシズム」(当該拙Blog/2023年1月7日)に投稿済み)を除く2編についての書評である。 

(一)他人が登場するとき 

 本書序によると、本編はカルロ・マリア・マルティーニ枢機卿(1927~2012) からエーコへの質問、《倫理の絶対性を構築するためには、〈形而上学的原理〉もしくは超越論的価値にも、普遍的に有効な〈至上命令〉にも依拠しないとするなら、道徳的行動に出るとき、あなたの確信と命令は何に基づいているのでしょうか?》に対する返書とのこと。マルティーニ枢機卿は《当時司教会議議長の職にあり、開明的な論客として、教皇庁外からも人望を集めていた(本書注/136P》という。

あらゆる文化に共通する根本原理とは、空間におけるわたしたちの肉体の位置である 

   エーコは22歳まで(ある断絶の瞬間を迎えるまで)、カトリックの強烈な刻印を受けていたことを告白している。そのうえで、次のような疑問を呈する。 

 この歳になってわたしは、ある外国のカトリックの大学で(そこでは、宗教教育に携わらない教授たちの募集においても、宗教的・学問的な儀礼典礼に正式に則った従順の意思表示を最大限要請しているのです。)、同僚たちが〈実存〉を信じることもなく、したがって告解することもなしに、秘跡に近づくのを目にしました。そのとき、何十年も経っているというのに、わたしは戦慄をもって冒涜の恐怖を感じたのです。(本書P122) 

 そのうえでエーコは"「宗教的ではない宗教性」が何に基づいているのかを申し上げることはできる"と論を進め、"「記号論的一般概念」、あるいは言語によって表現されるような全人類に共通する基本的な根本原理が存在するのかどうかということ″へと読む者を導く。エーコが導き出したその解すなわちあらゆる文化に共通する根本原理とは、"空間におけるわたしたちの肉体の位置に関わっている"ことだと結ぶ。
 エーコによると、人間が直立歩行する動物であることから、高い・低い(前者を後者より優位にとらえがち)という概念を共通に理解しているという。同様に、右・左、静止状態と歩行状態、立脚状態と横臥状態、這うことと跳ぶこと、起きていることと寝ていること -- などの違いを理解しているとも。そして、手足をもつことが頑丈なものを叩くこと、柔らかな物体や液体の中に入り込むこと、グシャグシャにつぶすこと、トントンと叩くこと、こなごなにすること、蹴とばすこと〔後述〕、そして踊ること、さらに、見ること、聞くこと、食べること、飲むこと、吐き出すこと・・・知覚すること、思い出すこと、欲望、恐怖、孤独、安心、喜び、悲しみを感じること、そしてこういった感情を表す音を発すること・・・がなにを意味するかを、だれもがわかっているのだと。
 つぎに権利の領域として、束縛とは、好きなことをだれかがじゃますること、だれかが縛ったり、隔離を強制したり、殴ったり、傷つけたり、殺したり、思考力を減退させ、あるいは停止させるような精神的肉体的な拷問を加えることに苦痛を感じるのだと。エーコが示した肉体の位置および肉体の各部分が引き起こす諸現象が意味するもの -- から、人類共通の根本原理(文化、倫理、道徳、価値観など)が創出されていったということになる。 

サッカーは人類共通の基本原理からの逸脱 -- 精神と肉体への拷問 

  ここで横道にそれて、エーコの言説をスポーツ論に応用することにする。筆者が注目したのは、前出の足で〈蹴る〉という動作が人類共通の根本原理だとする部分だ。ならば、サッカー(というスポーツ)はおそらく、人類共通の根本原理に基づく。
 いや違う!サッカーは、人類共通の根本原理から逸脱または逆立したスポーツではないか。なぜならば、サッカーではゴールキーパー/GKという一人の選手を除くと手を使えない。球体(ボール)を手を使わずに扱うことはとても難しいうえに、それを狭いスペース(ゴール)に蹴りこまなければいけない。加えて、それを邪魔する相手(守備)がいて、さらに前出のGKがゴールを守る。まさに束縛に束縛を重ねたスポーツがサッカーだ。ボールをただ蹴って遠くに飛ばすこと、いくばくかのスペースにフリーで入れるのであれば、それは楽しいゲームだっただろうに。
 エーコが言う"束縛"つまり"好きなことをだれかがじゃますること"がサッカーの神髄だ。サッカーをする者(選手)ばかりではない。それを見る者(観客)は、応援するチームが容易にボールをゴールに入れられないという、精神的拷問に長時間耐える。
 サッカーは、やるほう・みるほうの双方にストレス(拷問)を与える競技だと定義できる。だからそこから解き放たれた時、すなわち一方が得点を上げたとき、選手も観客も拷問状態から解放された喜びを爆発させる。得点を上げた選手の大げさなパフォーマンス、観客席の大騒ぎ -- それがサッカーの熱狂と興奮の源泉だ。
 おなじボールゲームであるバスケットボールと比較してみよう。プロバスケットの試合で上げられる両チーム合計得点数(40分間/10分×4回。ハーフタイム等を除く)は双方合計で150点以上。プロサッカーの場合、90分(45分×2回。ハーフタイムを除く)で0~2点どまり。両チーム合計で4点を超えることはまれだ。バスケットの得点数はサッカーと較べると桁違いに多い。バスケットの選手が得点を上げても冷静でいられる理由は前出の通りだ。サッカーが世界中で人気を呼ぶばかりか、フーリガンという暴力集団を呼び寄せるのも、このスポーツが束縛/解放のメカニズムを有しているからだろう。 

わたしたちを定義し、形づくるのは、他人であり、その視線である 

  肉体の位置から獲得された記号論的人類共通の根本原理はエーコによると、倫理学の基礎になっているという。

 わたしたちはなにより他人の肉体の権利(これには話すことや思考することも含まれます)に敬意を払わなければなりません。もしわたしたちの仲間がこの「肉体の権利」に敬意をはらっていたら、幼児の虐殺も、競技場のキリスト者たちも、聖バルトロメオの虐殺の夜も、異端者たちへの火刑も、強制収容所も、検閲も、鉱山で働く子どもたちも、ボスニアでの女性に対する凌辱も、存在しなかったはずです。(中略)
 あなたもまた、有徳の非信者に対して、他人とはわたしたちのなかにいると説いています。しかし問題は、漠然とした感情的傾向ではなく、「根本形成」条件なのです。[....]わたしたちを定義し、形づくるのは、他人であり、その視線なのです。[....]他人を殺し、強姦し、盗み、蹂躙するものでさえ、特殊な状況ではこういったことをするにしても、それ以外の場面では、仲間からの同意や尊敬や称賛を乞い、かれらが辱めた人間にまで、不安や隷属の認識を求めます。[....]もしも、だれもが互いの顔に目もくれず、互いに存在しないかのごとく振る舞う、と制度的に定められた社会に生きるとするならば、ひとは死ぬか、正気を失うことでしょう。(本書P125~127) 

 続いてエーコは他人(の肉体)を慮らない文化(すなわちカニバリズムや虐殺を是認するような)が存在した理由について、単に「他人」という概念をある部族の(あるいはある民族の)コミュニティーのなかに限定して位置付け、「野蛮人」を非人間的存在とみなしていたためだと説明する。 

 十字軍でさえ、異教徒たちをさして愛すべき隣人とは感じていませんでした。他人の役割を認識すること、つまり他人のなかにあるわたしたちにとって拒絶不可能な欲求を尊重することが必要だと分かるようになったのは、千年をかけた成長の賜物なのです。キリスト教の愛の掟が明確に表現され、なんとか受け入れられるのも、時が成熟したときだけなのです。(本書P127~128)

 「非宗教的倫理学」とは自然の倫理学である 

  エーコは、われわれが肉体をもち魂をもっていると本能的に知っているのは他人の存在があってはじめて可能であるといい、それを「非宗教的な倫理学」と定義する。それは結局のところ自然の倫理学であり、不信心者も否認しないものだとする。そしてそれは、正しい成熟と自意識に導かれた自然の本能に基礎づけられたものだとも。以下のエーコの言説は感動的でさえあるので、長いが引用する。 

 カルロ・マリア・マルティーニ枢機卿、[....]神は必要ないという仮定をほんの一瞬でも信じてみてください。人間が不器用な偶然の過ちによって地上に現れ、死ぬ運命にあるばかりか、その認識を持つことを余儀なくされ、そのためにあらゆる動物のなかでもっとも不完全なものである[....]と。この時人間は、死を待つ勇気を得るため、かならずや宗教的動物になるはずです。そして、模範的なイメージや説明とモデルを人間にもたらすことのできる物語をつくろうと心から願うでしょう。そして想像することのできるイメージ[....]のなかで、定めの時に到達することによって、キリストのモデルを、普遍的な愛を、敵への赦しを、他人を救うために生け贄に捧げられた生命を思い描く宗教的・道徳的・詩的な力をもつようになるのです。(本書P134~135)

  自然の倫理は、超越性の進行に根ざした倫理学的原理と一致し、それは「非宗教的倫理学」と言い換えられ、不信心者も否定しないものである。 

(二)移住、寛容そして堪えがたいもの 

  本篇第一節「第三千年紀の移住」は、西暦2000年を迎える直前(1997年1月)に行われた学会発表の冒頭部、第二節「不寛容」はおなじく1997年3月に行われた国際フォーラムの開会講演、第三節「堪えがたいもの」は、雑誌『レプッブリカ』に掲載された小論だ。軍事法廷がプリブケ(ナチの戦犯)に判決を下した際(1998年3月)に掲載された。

(1)第三千年紀の移住 

 ミレニアムをむかえようとする1990年代末、西欧キリスト教圏ばかりか、それ以外の地域をも巻き込んで、世界中の人々が不安と興奮に包まれた。そんな世情について、エーコはややシニカルな論評を加える。不安を代表する事象がコンピュータの誤作動騒動だったが、けっきょくはほぼ何も起きなかった。いまとなっては懐かしい思い出のひとつとなって記憶されている。 

コロンブスがアメリカを「発見」したのではない、アメリカ先住民がコロンブスを発見したのだ 

  西暦2000年はキリストの誕生を起点とする。もちろん、実際に生まれたわけではないことをだれもが承知している。エーコはこの件についておもしろい「事件」を紹介してくれる。17世紀、プロテスタント教徒イザーク・ド・ラ・ペレールは、中国暦はヘブライ暦よりはるかに古いことを解明したうえで、原罪はアダムの末裔たちにのみ関わるもので、そのはるか以前に生まれた他の民族には関係しないという仮説を立てた。結果、ペレールは異端宣言を受けたが、エーコは《今日ではだれも疑問すら抱かない事実にかれが反応していたことにはちがいない。すなわち、それぞれの文化において効力をもつ各々の年代の数え方は、どれもそれぞれ神々の紀元と歴史記述を反映していること。そしてキリスト教の暦法はそのなかのひとつにすぎない。(本書P140~141)》と、ヨーロッパモデルの普遍化に注意を促している。「キリスト誕生」以前にヨーロッパ(地中海海域)にはいくつもの文明が栄えていたが、それを紀元前(Avnti Christo)と数えることも同様だ。
 もうひとつ、エーコの機知にとんだヨーロッパ・モデル批判は笑える。《コロンブスのアメリカ「発見」は、アメリカ先住民がコロンブスを発見したのだ》。 

管理された〈移民〉、自然現象としての〈移住〉 

 ミレニアムの到来を間近にした当時のヨーロッパ・モデルにおける劇的変化は、アジア・中東・アフリカといった周辺地域からの人々の流入であり、この潮流は21世紀の今日まで継続している。エーコは他地域からの人々の流入について、〈移民〉と〈移住〉という区別をして考えることを提案している。前者はある国から別の国へ移動する場合をいい、政治的には計画的に行うことも受け入れることも可能だ。日本帝国は明治維新からアジア太平洋戦争開始前まで22万人をハワイに移民させた。一方、後者は暴力的であれ友好的であれ、自然現象として発生し、いったん発生すればだれも統制できない。
 歴史的には、コーカサスの民の移住(インド・ヨーロッパ語族の移住のことか)、そして誰もが知るローマ帝国への「蛮族」の移住があり、ヨーロッパからアメリカ大陸の移住があった(東海岸からカリフォルニアのルートと、カリブ海、メキシコからコノ・スール〔注1〕のルート)。 

〔注1〕コノ・スール;スペイン語で「南の角」。チリ・アルゼンチン・ウルグアイで形成される南米三角地帯を指す。また、広くブラジル南島部、ボリビア及びパラグアイの一部をふくむ用法もある。

  エーコによると、これらの移住では、移住民たちは出身地の文化や習慣をうけつぐのではなく、新たな文明を築き、それに第一世代(生き残った人々)までが適応したという。またアラブ起源の民によるイベリア半島への移住のように、中断されたものもあった。移民は移民先の国がもつ習慣の大部分を受け入れるときだけであり、移住者たちが移住した土地の文化を根本的に変えるときには、「移住」ということばが用いられる。 

ミレニアム以降、ヨーロッパは多民族大陸、「有色」大陸になる 

 エーコの「予言」(今日、ほぼそのとおりになっているのだが)によると、ヨーロッパは多民族大陸、「有色」大陸になる。ヨーロッパ人が望めばそのとおりになるし、望まなくてもやはり、そうなると。エーコはこのような複数文化の対立あるいは衝突が流血をもたらすことを不可避の事態であり長期間にわたると確信する。しかし、その間、ヨーロッパの人種主義者は絶滅するともいう。つまり、人種主義者がヨーロッパの有色大陸化に抗おうが、それはむだな抵抗だというのだ。そのことの歴史的事例として、500年間続いたローマ帝国を挙げる。ローマはガリア人、サルマーシア(サルマティア)人、ヘブライ人がローマ市民となり、アフリカ人が帝国の玉座に座ったではないかと。そのことに抗おうとした古代ローマ貴族は歴史に敗北を喫した人物にすぎなかった。 

 ローマ文明は混血の文化だった。人種主義者はだから堕落したのだと言うかもしれない。だがそのために五百年の歳月を必要としたのだ。わたしにはこれが、わたしたちの未来のための計画を実行可能にする時間のはばに思える。(本書P148)

  500年続けば、その次のヨーロッパのあるべき姿を描き、つくりあげる時間としてはじゅうぶんすぎるというわけだ。 

(2)不寛容

 エーコは不寛容について、それと似たような概念である原理主義と教条主義の違いから説きおこし、ポリティカル・コレクトネス(PC)、人種主義へと論を進める。

原理主義

 原理主義についてエーコは"キリスト教における聖書を字義どおり解釈しようとする決意によって特徴づけられた"と、また教条主義については"宗教的・政治的立場である"という。また、"原理主義と伝統主義が原則として保守的であるのに対し、教条主義のなかには進歩主義者や革命派と気脈を通じる者がいる"とも。

 原理主義はキリスト教に限られたものではなく、ある経典のすべてを受け入れ、それを字義通り実行しようとするかぎり、イスラム教にもマルクス・レーニン主義にもあてはまる。また、教条主義においては、かつて中国共産党とソ連共産党が論争したとき、ソ連共産党は中国共産党を「毛沢東教条主義」と批判したように、それが「立場」を指すというエーコの指摘はわかりやすい。

PCは新たな原理主義

  エーコは次に、アメリカにおける「ポリティカリー・コレクト(PC)現象」をとりあげる。PCはこんにちの日本において、「ポリティカル・コレクトネス」として定着しつつある。PCは一見すると「倫理的」な態度、姿勢のようにみえる。「#Me Too」「Black Lives Matter」 「 I can't breathe 」といったふだんづかいの短い言葉を掲げ、たとえば性暴力や警官によるアフリカ系市民に対する暴力に抗議する社会運動としてアメリカで生まれ定着し、その流れが日本を含めた世界各所に波及した。PCについてのエーコの見解は次のとおりだ。 

 (PCは)あらゆる差異、宗教的、民族的、性的な差異の認識と容認を促進するために生まれたものだが、原理主義の新たなかたちになりつつある。日常言語をおよそ儀礼的な様態でよそおい、精神を傷つけるような字義について研究する。そして盲人を「目の見えない人」とよぶ繊細さを持ちあわせさえすれば、かれらを差別することだってできるし、なにより〈政治的に正しい〉規則に従わない人びとを分け隔てすることができる。(本書P151~152)

  性暴力や人種差別が許されるわけはないのだが、エーコの表現に従えば、「日常言語を儀礼的な様態でよそおう」PCは、倫理的、道徳的、政治的な正しさのように見える思考停止であり、政治的に正しい(規則厳守)という、かたちをかえた原理主義になっているということになる。

人種主義

 ナチスそして近年イタリアで台頭している北部同盟〔注2〕という極右政党にふれ、両者が科学的であるかのような体裁をとったことを共通点として挙げる。

 ナチスの人種主義はもちろん全体主義だった。みずからは科学的であると喧伝したが、民族理論に関して原理主義的要素は皆無だった。イタリアの北部同盟のような非科学的人種主義は、似非科学的な人種主義と同じ文化的根源をもたないが(実際いかなる文化的根源はもっていない)、それでも人種主義であることに変わりない。(本書P152)

〔注2〕北部同盟;ロンバルト同盟を母体にウンベルト・ボッシにより結成され、その後「同盟」に改称されたイタリアの政党。工業地帯が密集し経済的に優越しているイタリア北部の自治拡大を主張する地域政党。過激な言動や文化的保守性、反共主義、反移民運動などから極右と認識されている。近年は地方主義から外国人移民への排外主義や、ユーロ圏への批判(欧州懐疑主義)に軸を移しているため、2018年、総選挙において郷土主義を想起させる「北部」の名称を外し、「同盟」に改称した。

 不寛容とは生物学的根源をもち、表面的な感情的反応に起因する 

  そこで不寛容である。原理主義、教条主義、似非科学的人種主義は、ひとつの〈教義〉を前提とした理論的な立場だが、不寛容はあらゆる教義の、さらに前提として置かれる。この意味で、不寛容は生物学的な根源をもち、動物間のテリトリー性のようなものとしてあらわれるから、しばしば表面的な感情的反応に起因すると説明する。
 こんにちの日本の「ネット言論空間」(言論空間というよりも罵詈雑言空間)に接するとき、エーコが示した、生物学的な動物間の縄張り争い(テリトリー性)のような不寛容さを実感する。国籍、ルーツ、性、価値観、思想性...あらゆる差異を目指して言語の牙を向ける。実際、行動に出る者もいる。《わたしたちが自分と違う人びとに堪えられないのは、わたしたちが理解できない言語を話すからであり、カエルや犬や猿や豚やニンニクを食べるからであり、入れ墨をするからだ...といった具合に(本書153)》。 このような不寛容について、エーコは欲しいものをなんでも手に入れたいという本能と同様、子供の自然さだという。ネットの不寛容な投稿者群はまさに幼児的だ。しかし子どもはしだいに他人の所有物を尊重するようにと寛容性を教育され、自分のからだをコントロールできるようになっていく。成長するにつれ、自分の括約筋をコントロールできる(おもらしやおねしょをしなくなる)ように。ところが、からだのコントロールとはうらはらに、寛容は、おとなになってからも、永遠に教育の問題でありつづける。〔後述〕

 教育者や言論人たちが、こんにちのネット言語空間の幼児性、不寛容性に警鐘を鳴らし、コントロールを求めながらも、改善の兆しはみられないどころか、不寛容の傾向は強まるばかりである。
 その傾向についてエーコは《日常生活の中でひとはつねに差異のトラウマにさらされているからだ(P153)》という。差異のトラウマとは、前出の「自分とは違う」ヒト、モノ、考え方等の継続的経験からくるストレスフルな事象の蓄積による心的影響だ。 

野蛮な不寛容さはあらゆる批評的理解と定義を逸脱するもの 

  専門家が不寛容さの蔓延をとめることに関心を示さない(エーコ流の表現では〝専門家が差異の教義を研究する頻度に比べて、野蛮な不寛容さについて熱心でない”)のは、《それがあらゆる批評的理解と定義を逸脱するものだからだ(本書P153》という。エーコによるとたとえば、欧州における不寛容さの事例である魔女狩りが「教義」となりだしたのは中世よりあとのルネサンス期であり、近代世界になってはじめて、魔女狩りが理論的正当性をうみだしたのだという。また、19世紀途中から似非科学的反ユダヤ主義が全体主義の人類学になり、ジェノサイドとして産業化(システム化されたという意味だろう)として実行にうつされたのは20世紀のことであると。
 しかし、このような不寛容さが教義として力を発揮したのは、それ以前に民衆信仰としての魔女狩りが日常的にあったからであり、反ユダヤ主義はゲットーに住む貧民ユダヤ人に対する差別と迫害が欧州全土に日常的にあったからだと説明する。こうした大衆的不寛容さ--自分たちと異なる人びとに対する憎しみ--が後年すなわち近代になり教義として成立したというのだ。 

もっとも危険な不寛容は初発の刺激によって出現するもの 

  エーコはこのような歴史的背景を踏まえ、もっとも危険な不寛容は、いっさいの教義もなしに初発の刺激によって出現するものだという。これに対しては、批判も、理性的議論による抑制もかなわないと。 

 『我が闘争』の理論的基盤はかなり初歩的な論証を積めば論破できるのだが、そこに提示されたさまざまな理想はどんな反論にも堪え抜いたし、これからも堪え抜くことだろう。どんな批評にももちこたえるのは、野蛮な不寛容に依拠しているからにほかならない。(本書155)

  なんともおそろしい断言だ。そして筆者を震撼させたのが次の箇所だ。 

  さらに恐るべきは、差別の最初に犠牲者になる貧しい人びとの不寛容である。裕福な人びと同士に人種主義はない。金持ちは人種主義の教義を生み出したかもしれないが、貧しい人びとは、それを実践に、危険極まりない実践にうつすのである。知識人たちには野蛮な不寛容を倒せない。思考なき純粋な獣性をまえにしたとき、思考は無力だ。だからといって教義をそなえた不寛容と闘うのでは手後れになる。不寛容が教義となってしまってはそれを倒すには遅すぎるし、打倒を試みる人びとが最初の犠牲者となるからだ。(P156~157) 

  ならば、野蛮な不寛容を社会からなくすことはできないのだろうか、エーコは不寛容が生物学的、あたかも動物的自然さに起因するといっていた以上、不可能だということなのか。結論としては、前出の子どもが年齢を重ねるに従い、〝しだいに他人の所有物を尊重するようにと寛容性を教育され、自分のからだをコントロールできるようになっていく″というところにもどる。教育である。 

 それでも挑戦してみる価値はある。民族上の、宗教上の理由で他人に発砲する大人たちに寛容の教育を施すのは、時間の無駄だ。手後れだ。だから本に記されるより前に、[....]もっと幼い時期からはじまる継続的な教育を通じて、野蛮な不寛容は、徹底的に打ちのめしておくべきなのだ。(本書P157)

(3)堪えがたいもの 

 本編については、訳者・和田忠彦の巻末〔解説〕が読者にとって最善のそしてじゅうぶんすぎる助けになるだろう。筆者が敢えて付言すれば、先の大戦末期から終戦におけるエーコの母国イタリアの複雑な立場くらいだと思う。 

枢軸同盟から連合国へ--イタリアは敗戦国なのか戦勝国なのか 

  1922年、ムッソリーニ率いるファシスト党が政権を奪取。1935年10月、エチオピア侵攻、征服、併合。 1936 年 11 月、ナチスドイツと枢軸協定を締結後、 1937 年 11 月にナチスドイツ・日本帝国が結んでいた防共協定に加わった。1939 年 5 月 、ドイツと鋼鉄協約に調印して、同盟関係に軍事規定を加えた正式なものとした。1939年4月にはアルバニアに侵攻・併合し、1940 年 9 月にはドイツ、イタリア、日本が枢軸同盟を締結。しかし枢軸側はしだいに連合国軍に追い詰められていく。
 1943年、戦争を主導していたムッソリーニ政権が倒され、新たに樹立したバドリオ政権のもと、連合国への無条件降伏・枢軸国からの離脱を決定。枢軸国から離脱すると、すぐさまナチスドイツ・日本帝国に宣戦布告を行ない連合国として参戦した。 

大戦末期、北と南に分裂内戦状態にあったイタリア 

  その間、イタリアが連合国側につこうとする動きは、ナチスドイツ側も事前に察知しており、休戦声明があると速やかに首都ローマに侵攻し、イタリア軍を制圧し、バドリオ政権によって幽閉されていたムッソリーニを解放、北イタリアに傀儡のイタリア社会共和国(RSI・ Repubblica Sociale Italiana/首都がサロに置かれたことから「サロ共和国」ともいう)を樹立した。
 このときからムッソリーニが捕縛・処刑されるまでの間(1943年9月~1945年4月)、イタリア国内は、南の連合国勢力と北の枢軸国勢力で二分される内戦状態にあった。 1945年4月、RSIは連合国に降伏し崩壊した。ムッソリーニは略式裁判でパルチザンの手によって殺害された。 

内戦下、ナチ親衛隊が起こした市民虐殺事件  

  大戦末期の混乱したイタリアで起こったのが「アルディアティーネの虐殺」といわれる1944年3月24日、ローマ郊外の洞窟で、ユダヤ人75人を含む市民335人を虐殺したとされる事件だ。この事件の処理をめぐる戦後イタリアの混乱ぶりを前出の〔解説/本書P175〕に従い以下略記する。
 虐殺の共謀者として、イタリア軍事法廷に起訴されたのが元ナチス親衛隊将校、エーリッヒ・プリブケだ。プリブケは1995年11月に逃亡先のアルゼンチンより強制送還されてから9カ月後、時効成立(軍事法廷は50年)による無罪判決が下されたが、ドイツ政府からの身柄引渡し要求を理由に、判決の翌日、再度収監される。以後、イタリア各地で抗議行動が繰り広げられるなか、時効を破棄し再審を命じた最高裁と、それを拒み一般法廷での審査を主張する軍事法廷、さらには「軍事事件」は管轄外とする一般法廷とのあいだで、被告人の押し付け合いがつづいた。その後、プリブケに対しては、97年7月、「複数の殺人」罪により禁固15年(即時減刑措置により5年)の差戻し審判決が、98年3月に、終身刑の控訴審判決が下された。本編は、エーコがプリブケ裁判をめぐって、司法界のみならず、イタリア世論全体が揺れ動いたさなか、日刊紙に寄せられたものだ。
 ナチスドイツのユダヤ人虐殺に関する裁判としては、ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』が名高いが、プリブケ裁判は大戦末期、前出のイタリアの複雑な政治的状況下で起こった事件であるというところに注目すべきだろう。虐殺者はナチス親衛隊将校であるが、イタリアは大戦時、降伏する1943年までは枢軸国としてドイツと同盟関係にあった。事件は1944年だから法的にはドイツは敵国だが、その1年前まではナチスドイツはイタリアの友軍である。プリブケは敵国軍人なのか同盟国軍人なのか。それだけではない。虐殺があったとき、ナチスの傀儡とはいえ、イタリアは南北に分裂していた。だからアイヒマン裁判のようにユダヤ人がナチを裁くのとはちがう。半世紀前のナチの生きた亡霊のイタリアへの帰還は、かつてのイタリアの複雑な国情を国民によみがえらせた。イタリア司法の混乱ぶりは、その延長線上にあったのではないか。

戦争犯罪を裁くことの困難さ 

  エーコは戦争犯罪全般へと論を進める。勝者が敗者を裁いたニュルンベルク裁判を越権行為だと断じている(本書P160)。先の大戦中、ナチスはユダヤ人を600万人弱殺害したともいわれている。おそろしい戦争犯罪にちがいない。だから裁判にかけて罪を問うのは当然だろう。日本帝国も中国南京で8万人、重慶で1万2千人、マニラで10万人を虐殺したとされ、東京裁判で日本帝国軍人が裁きを受けた。では広島・長崎への核攻撃はどうなのか。日本各都市への無差別爆撃はどうなのか。無防備の市民を連合軍(米軍)も虐殺したではないか。これらは戦争犯罪ではないのだろうか。 彼らは罪を問われてはいない。
 エーコは次のようにいう。 

 ニュルンベルク裁判という時代を画する事件から、わたしたちはまだすべての結果を得ていない。[...]最後には敗北した王が勝者となった徒弟を抱きしめたとき、あなたたちならどうするだろうか?敗者を捕まえて縛り首にするだろうか?はい閣下、ニュルンベルクを決定した人物は答える。この戦争では忍耐の限度を超えた出来事が起きたとわたしたちは考える。だから規則を変えましょう。しかし忍耐の限界を超えたといっても、それはあなたたち勝者の価値基準に則ったもので、わたしたちの価値基準は違ったのだから、あなたたちはそれを尊重しないというわけか?ええ、わたしたちが勝利をおさめたからには、あなたたちのの価値規準を踏襲して、わたしたちも力を用いよう。あたたたちは縛り首だ。それにしてもこんな裁判が未来の戦争にどんな教訓をもたらすのか?戦争の封印を解くものは、負ければ縛り首にされることを知るだろう。はじめるまえにそれを考えることだ。(本書P160~161)

  いま(2023年1月末)もって、ウクライナ戦争は終わる気配がない。ウクライナに軍事侵攻したプーチン(ロシア大統領)は「負ければ縛り首になること」を知っているはずだ。しかし彼は「はじめる前にそれを」考えなかったのだろうか。自分が負けるはずがないと。(完)