それを見た私は、一言「なじまない」と妻に言ったところで言い争いとなった。私は「有名な俳人の俳号を調べたらなじまない理由がわかるよ」と答えて、この話は終わった。妻はもちろん、俳号を調べるわけがない。Lさんの教養の高さに敬服しまくっているからだ。
私が「なじまない」と言った根拠を示そう。俳号というのは、おおむね自分を小さく見せる、あるいは、さりげなく付する傾向があると直感したからだ。
私は江戸期の三大俳人の俳号について調べてみた。私は俳句の専門家でもなければ、日本文学史にも疎い。だからWikipediaを頼りにした。
まずは松尾芭蕉。「芭蕉」を俳号に選んだのは、門人から芭蕉の株をもらったことに由来するという。
小林一茶はどうだろうか。なぜ「一茶」を俳号に選んだかについては、管見の限り不明だが、作品の傾向から推察するところ、取るに足りない自分、弱いものに寄り添おうとする小さい自分の象徴として、「一(服)の茶」もしくは「一つかみの茶葉」という意味を込めて「一茶」としたのではないかと想像してみた。
最後は与謝蕪村である。まず予備知識として、蕪村の「蕪」は一般には「カブ(ラ)」を指すが、「荒れ地に雑草が茂る様子」「みだれる、乱雑な様子」をも意味する。
ここで、Wikipediaである。与謝蕪村は漢籍から俳号をとっていた。前出のLさんと共通する。陶淵明の有名な『帰去来辞』だ。 Wikipedia には『帰去来辞』のどこから取ったのか書いていないし、ほかのサイトを当たってみたが説明をみつけることができなかった。以下の叙述は私の推測にすぎないのだが、あの有名な冒頭の節が思い浮かんだ。
帰去来兮。田園将蕪、胡不帰。
既自以心爲形役、奚惆悵而独悲。
悟已往之不諌、知来者之可追。
実迷途其未遠、覺今是而昨非。
(書き下し文)
帰(かへ)りなんいざ。田園将(まさ)に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる。
既に自ら心を以て形の役(えき)と爲(な)す、奚(なん)ぞ惆悵(ちうちやう)として独り悲しまん。
已往(いわう)の諌(いさ)められざるを悟り、来者の追ふ可きを知る。
実(まこと)に途(みち)に迷ふこと其れ未だ遠からずして、今の是(ぜ)にして昨(さく)の非なるを覺る。
(現代語訳)
さあ家に帰ろう。田園は(手入れをしないので草で)荒れようとしている。なぜ帰らないのか(今こそ帰るべきだ)。
これまで、すでに自分の(尊い)心を肉体の奴隷としてきたのだから(=役人となって心を悩ましてきたのだから)、どうして失望してひとり嘆き悲しむことがあろうか。
すでに過ぎ去ったことは諌める方法がないのを悟り、将来のことは追いかけられるのを知っている。
本当に道に迷った(=間違った方向へ行った)としても、まだ遠く(へは行って)はいなかった。今(役人を辞めて帰るの)が正しい生き方で、昨日まで(の生き方)は間違っていたことを悟ったのである。
与謝蕪村も、陶淵明とおなじく、権力や地位にしがみつく生き方を否定して、蕪村(荒れ果てた村)に帰る決意をかためた。そのことは俳人として、権威、出世、高い冠位…を否定して滔々と生きることを意味する。俳号「蕪村」にはそんな思いが込められているのではないか。
近代俳人を見てみよう。正岡子規の俳号「子規」はホトトギスのこと。鳴いて血を吐くこの鳥と結核で喀血する自身を重ね合わせた。正岡子規も、文学博士、売れっ子作家、知識人という知的上昇過程を断念し、俳人という小さき者であろうとする自己を鳴いて血を吐くホトトギスにたとえたのだ。
さらに時代を進めると、意外にも本名をもじって俳号にする傾向が顕著となる。以下、左が本名で右が俳号だ。
河東 秉五郎(へいごろう)→河東碧梧桐
高浜 清→高浜虚子
山口 新比古(ちかひこ)→山口誓子 *誓(チカフ)子(コ)
髙橋 行雄(たかはし ・ゆきお)→鷹羽 狩行(たかは・しゅぎょう)*タカハ・シユ行=ギョウ)
俳号を本名のもじりとする意識の深層には、俳諧・短歌を「第二芸術」と規定した日本文学の混迷的情況と共通するものがあったにちがいないが、ここではそれを論じない。
(結論)
俳句は方法的には、散文の強みである論理性・写実性を排し、最短で直感を強烈に押し出すという形式をもった韻文(詩)である。心情的には、江戸の粋・軽妙、洒脱の精神が底流に流れていて、俳人が名乗る俳号にその傾向がにじみ出ている。俳句を芸術の域に高めたといわれる江戸期の三大俳人にしても、自身の俳号に権威にたいする否定性を隠したし、近現代にもそれが受け継がれた。しかし、俳句のこの底流にある傾向には陥穽も潜む。反知性主義だ。コトバ遊び、語呂合わせでハット思わせる技巧に走れば、それまでである。
私はLさんにむかって、「その俳号はおかしい」とか「俳句の精神にあわない」とかいうつもりはない。Lさんは外国人であり、日本に長く住んでいるわけではない。日本の伝統文化を学ぼうという心意気をリスペクトする。俳号を古代中国の賢人の哲学から選んだ知性は、俳句という日本の伝統文化への敬意の表れだと理解する。Lさんが、俳句という日本文化の特異性を一日も早く理解してくれれば幸いである。〔完〕