2011年4月8日金曜日

協会の「八百長処分」は偽善

大相撲の八百長問題で、日本相撲協会は1日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、特別調査委員会(座長=伊藤滋・早稲田大特命教授)から関与を認定された23人の力士や親方に対する処分を決めた。72年に施行された「故意による無気力相撲懲罰規定」を初めて適用、関与を否認した幕内・徳瀬川(27)=朝日山部屋=ら力士19人に引退、谷川親方(37)=元小結・海鵬、八角部屋=に退職を勧告した。引退・退職届の提出期限は5日で、提出がない場合は解雇する方針。関与を認め、調査に協力した十両・千代白鵬(27)=九重部屋=ら3人は処分を軽減され出場停止2年となった。3人は引退・退職する意向で、23人が角界を追放される。(Yahoo!Japan)

大相撲の「八百長問題」はこの処分をもって、ほぼ幕引きとなる。上記処分者以外の力士、親方等は「八百長」に関与しなかったことになるのだが、そう思っている人は極めて少数だろう。

当コラムにおいて何度も同じことを書いてきたように、相撲は純粋スポーツではない。プロレスと同じような、格闘技的エンターテインメントだ。プロレスに「八百長問題」が存在しないように、大相撲にもそれは存在しない。ではなぜ、このたび、角界において「八百長問題」が顕在化したのかといえば、相撲協会が「八百長はない」と主張し続けてきたことに起因する。さらにいえば、相撲記者クラブ=マスコミが、大相撲に「八百長」はあってはならないと、報道し続けようとしているためだ。

協会、マスコミは、芸能である大相撲をあたかも純粋スポーツのように偽装し、やれ「名勝負」だとか「連勝記録」だとか「全勝優勝」だとかと、相撲結果をスポーツニュースとして扱ってきた。

大相撲が純粋スポーツとして社会に定着したのは、ごくごく最近のことだ。大相撲がマスコミ(とりわけテレビ)にとって優良なコンテンツになり始めたのは、戦後、栃若時代=高度成長期の初期のころからだった。戦前、相撲というものは、言葉は不適切だが、一般庶民の健全娯楽とは言いがたかった。力士の世界は市民社会から隔絶した独特の世界だった。髷を結うという力士の象徴的姿は、市民社会からの隔絶を表象したものであり、力士が独特の世界に属することの象徴だった。

しかし、テレビ中継が大相撲人気を煽り、栃若時代から柏鵬時代を経て、若貴時代を迎えたころ、相撲人気は市民社会に完全に定着し、「純粋スポーツ」として認知されてしまった。それにはマスコミが大きな役割を果たした。

純粋スポーツとしてのプロ格闘技には、プロボクシング、キックボクシング(K1、ムエタイを含む)、総合、プロ空手などがあるが、それらの人気を維持することには限界がある。なぜならば、これらのハードなスポーツ格闘技においては、日本人スターは簡単には生まれない。よしんば、日本人スターが生まれ育っても、長続きしない。

また、格闘技はハードなスポーツだから、試合数が限られる。一方、芸能である大相撲は本場所だけで1年6場所(15日間)、合計90日の興行が可能だ。大相撲の興行日数は、プロレスに準ずるものであり、スポーツとしての格闘技ではとても考えられない。

大相撲本場所のテレビ中継はNHKが独占しているようだが、トーナメント戦は民放が放映するし、地方の巡業はテレビ中継にはかからないものの、興行としては安定している。大相撲の人気は、それが純粋スポーツであるという建て前によって担保される。大相撲で利益を得るのは、もちろん、協会・相撲部屋・力士等であるが、NHKをはじめとするTV局、新聞、雑誌等のマスコミも同様なのだ。マスコミが大相撲報道で得る収入は、大相撲が純粋スポーツであるという建て前によって担保されている。

そればかりではない。そもそも、芸能に「八百長」という概念は存在しないのだから、八百長を行ったとしても問題にならない。しかし、芸能である大相撲の興行主体=協会が公益法人として国の認可を受け、寄付行為、事務規程等の約束ごとによって運営されているところが、今回の八百長問題の根源にある。国が相撲協会に対して、公益法人であるがゆえに、純粋スポーツ団体であるかのような運営を協会に課しているところが厄介なのだ。筆者の記憶では(まちがっていたらご指摘ください。訂正します。)、財団法人としての相撲協会の寄付行為には、相撲が「純粋スポーツ」であらねばならいとは明記されていないはずだ。協会の寄付行為には「相撲道の維持」という、伝統性に力点が置かれていたような気がする。それゆえ、このたびの処分は、協会の「罰則規定」すなわち内規に根拠を置いているように思われる。

今日の大相撲の不幸は、マスコミが芸能である大相撲をスポーツコンテンツとみなして人気を煽り、協会もそれに乗じて利益を追求したことにある。別言すれば、マスコミの都合で相撲が純粋スポーツであらねばならないとされ、協会も自らを純粋スポーツ団体だと自己規定してしまったことだ。相撲協会が一介の企業であったならば、八百長問題は永遠に存在しないままだった。

戦後日本にはいくつかの偽善がまかり通っていたし、いまでも、まかり通っている。スポーツに限れば、「高校野球」「読売中心のプロ野球」「大相撲」の3競技が、偽善の最たるものだ。読売中心のプロ野球は最近、脱巨人=健全化の方向にようやく向かい始めようとする兆候が認められようになってきた。また、このたび、大相撲は「八百長」の存在が暴かれ、断末魔の様相を呈している。それに反して、高校野球だけは、純粋高校生のアマチュア野球という偽善が強化され、プロの「高校生」が行う「プロ野球」という実態が隠蔽されてしまったままだ。筆者は、筆者の存命中に高校野球の偽善性が厳しく追求されることを願っている。

なお、これらの偽善的3競技の人気維持が、テレビ(NHK、日本テレビ)によって、推進されている点に留意しなければならない。テレビは虚構・偽善を、あたかもリアルであるかのごとく、人々に伝え続けている。

戦後復興期、プロレスが街頭テレビ中継により、大人気を博したことがあった。力道山の空手チョップだ。しかし、いうまでもなく、プロレスは純粋なスポーツではない。プロレスはやがて、一部のマニアが支持するマイナーな娯楽となってしまった。マスコミはプロレスを見放したが、大相撲は守り続けた。相撲の八百長は素人にはわかりにくいからだろうか。

さて、いま多くの有名人が被災地の避難所を訪れ、被災者を慰問していることを報道で知る。なかで、アントニオ猪木の避難所訪問のテレビ映像は印象深いものだった。プロレスラー・アントニオ猪木は、筆者の直感にすぎないが、ほかのどんな有名人よりも、よく被災者を励ましたに違いない。彼のプロレスが「八百長」であったかどうかは問題にはならない。超人的な肉体鍛錬を積み、命を賭けてプロレスに打ち込んできたアントニオ猪木は、筆者にとって肉体の英雄の一人であり、リスペクトの対象であり続けている。彼はカリスマであり、永遠の格闘技の英雄にほかならない。だから、力士も、「八百長をしてきたか」と問われれば、憤然とそれを否定すればよい。プロレスラーが、いつもそうするように。

力士は、“純粋スポーツ”という虚構を演じ続ける者であり続けるよりも、異形の者として、素人ができない格闘の世界を演じ続けることだ。そのことで、人々をずっと魅了すればよい。大相撲に「八百長」は永遠に存在しないのだ。だから、このたびの「八百長」処分もまた、極めていかがわしいものだと断じなければならない。嘘の上塗りはいい加減にやめにしょう。

『古代末期の世界―ローマ帝国はなぜキリスト教化したか?』

●ピーター ブラウン (著) ●刀水歴史全書 ●2940円

繁栄を誇ったローマ帝国が滅びた理由は何か――古代史ファンならば、最も関心を寄せるテーマの1つだろう。ゲルマン人の侵攻によるもの、疫病等の蔓延によるもの、キリスト教徒の信仰の力によるもの・・・その他諸々の理由が思い浮かぶ。もちろん、それらを組み合わせて、複合的な要因とすることもでる。

さて、余談だが、筆者も西欧古代歴史に興味をもつ者の一人。筆者はこれまで、イタリアのローマ、ミラノ、ラヴェンナ、シチリア島、チュニジア、ギリシャ、トルコのイスタンブール(コンスタンチノープル)、イラン(ペルシャ)、アルメニア、グルジア等々を観光旅行したのも、もちろん、それらの都市・地域が、古代末期の世界の舞台だったからだ。

(1)ローマ帝国とは、ラテン語圏とギリシャ語圏の合成概念

ローマ帝国とは、大雑把にいえば、地中海世界のことだ。その西端は、ヨーロッパにおいては現在のイギリス・アイルランド・スペインあたり。さらに北アフリカのアルジェリアあたりまでが境界だと認識できる。ところが、その東端がわかりにくい。アルメニア、メソポタミア、シリア、エジプトあたりを境界だとすればいいのだろうが、日本人にはこのあたりの状況がイメージしにくい。にもかかわらず、古代末期の世界を知ろうとするとき、地中海東側の諸地域の動きは極めて重要なものとなる。

ローマ帝国とは大きく2つの文化圏の合成であったことを忘れてはならない。一方は西のラテン語圏、そしてもう一方は、東側のギリシャ語圏だ。筆者(日本人)にとって、ローマ帝国の歴史がわかりにくいのは、とりわけ、東側のギリシャ語圏になじみがないからではないか。ローマ帝国といえば、標準語としてのラテン語と、その言語で記述されたローマ法典が思い浮かぶくらい、ラテン語が帝国の共通言語だと思いがちだ。ところが実際には、東部では、ギリシャ古典文化が教養として継承され、ギリシャ語で文学・哲学等が記述され、キリスト教の受容においても、ギリシャ語を使って聖書が編纂され、キリスト教神学が深められていた。グノーシス派がその代表的なものだろう。

さらに、地中海世界を複雑化したのが、ローマ帝国と接していたペルシャ帝国の存在だった。ラテン語圏、ギリシャ語圏、ペルシャ語圏の3つの圏域は、地中海世界を構成する伝統であったのだが、筆者(日本人)には、こうした複合性を知る機会が少なかったような気がする。

(2)西ローマ帝国の崩壊

本書は、ローマ帝国滅亡の理由を解き明かしたものではない。本書において帝国崩壊の理由が記されているのはたった一箇所、以下の引用部分だけだ。西ローマ帝国は崩壊したが、(東)ローマ帝国(後年の通称であるビザンツ帝国)は、西ローマ帝国崩壊(476年)後も、オスマン帝国に滅ぼされる1453年まで、およそ千年も存続した。このことは、世界史においてきわめて重要だと思う。西ローマ帝国の成立、発展及び衰亡、崩壊は普遍的ではなく、きわめて、地域的だったと筆者は直感している。
西ローマ帝国が崩壊した理由としては、モラルの低下や経済の後進性などさまざまなことが考えられるが、最大の理由は380年から410年にかけて、セナトル貴族と教会が軍隊や役人と絆を断ってしまったことにあった。意図しないままセナトル貴族と教会は、軍隊と役人の活力を殺いでしまったのである。彼らは、軍隊も役人も自分たちにとって必要のないものと考えられるようになっていた。(略)つまり西ローマ帝国の崩壊は、セナトル貴族の台頭と教会の勢力拡大がもたらした結果だったのである。(P112)

“セナトル貴族”については説明が必要だろう。セナトル貴族とは、ローマの周縁である北アフリカやアキテーヌ地方の小さな都市に住む新興貴族のこと。彼らは広大な領地の邸宅で「オティウム(孤独な思索)」を楽しむことを理想とした。彼らとガリア地方、スペインに登場してきた新しい支配層とは、同じような傾向をもっていた。両者は、西ローマ帝国(中心)に対する忠誠心、愛国心を失っていて、外敵との戦争や帝国中枢への政治的・行政的改革に無関心であった。自らの圏域に注力し、自らの権力と富を維持することに熱心だった。そして、彼らは新興のキリスト教と結びつくことになった。

(3)「正統的世界史」の歪み

もう一歩、踏ん張って考えてみると、ローマ帝国は、先述したとおり、その西側(ラテン語圏)を476年に失いながら中世を生き抜き、15世紀まで存続した。東ローマ帝国は、自らをローマ帝国と称し、しかも、オリエント世界からは、ルーム(ローマ)と呼ばれた。ビザンチン、ビザンツという帝国の名称は、後世の便宜的呼び方にすぎない。

ここに、世界歴史の「継続性」の歪みがみてとれる。世界史が、古代ローマ(ラテン)→中世ヨーロッパキリスト教世界→近代欧米(中心主義)、に継承されるという、正統的歴史観の神話だ。古代地中海世界の変容はローマ帝国の滅亡とは必ずしも一致しない。西側が消滅し、ゲルマン諸族が支配する中世ヨーロッパが誕生したからといって、ローマ帝国が消滅したわけではない。にもかかわらず、後世の欧米の歴史家は東のローマ帝国をビザンツ帝国としてローマ帝国と峻別し、その存続をローカル(異端)な歴史に限定したように思える。その結果として、筆者(日本人)は、ローマ帝国の継承者と“自称しているにすぎない欧米人”による世界史解釈を鵜呑みにしてきた。

(4)古代末期とはどういう時代だったのか

本書が規定する「古代末期の時代」とは、西暦200年頃~700年頃のことをいう。後年、中世といわれる時代、西欧はカトリック教会の世界を、東ローマ帝国はギリシャ正教会の世界を、さらにその東側の圏域はイスラム教の世界を――形成した。3つのうちのどちらが“正統”ともいえないし、三者に優劣があろうはずがない。中世とは、3つの宗教的圏域が並存した時代だった、とみるべきだろう。

古代末期、地中海西部(西欧)においては、(一)西ローマ帝国が消滅し、ゲルマン民族による諸国家の建国と滅亡が繰りかえされつつ、カトリック教会圏へと歩みを始めた。また、(二)地中海東部では、コンスタンチノープルを中心としたビザンツ帝国(ローマ帝国)が西から分離し、東方正教会圏としてその勢力を確立した。加えて、(三)オリエント世界では、ペルシャ帝国の伝統を基盤として、イスラム帝国が確立されようとした時代だった。

ローマ帝国が西(ラテン)と東(ギリシャ)の合成であったことは既に述べたので、ここでは、ローマ帝国と交戦を繰り返していたオリエントについて、話を進めておこう。
当時のヨーロッパ人にとって、イスラム帝国は巨大なオリエントの力を象徴する存在であった。イスラム帝国は、その力をムハンマドから得ていたわけでも、7世紀に征服戦争を戦ったベドウイン遊牧民から得ていたわけでもなかった。それは、8世紀から9世紀にかけて復活してきたペルシャ帝国の伝統から得ていたのである。
こうして古代末期、「肥沃な三日月地帯」をめぐるビザンツ帝国とペルシャ帝国の争いで曖昧になっていたヨーロッパ世界と非ヨーロッパ世界の境界線が、地中海を境に引かれることになった。イスラム教徒は、地中海の対岸にいた貧しいヨーロッパ人を無視することにしたのである。(P201)
あるものの終りは、新しいものの始まりである。古代の終りは、中世の始まりであるものの、突然まったく新しいものに生まれ変わったわけではない。古代地中海世界を構成していたギリシャ、ラテン、ペルシャの3つの伝統が、それぞれ、東方正教会、カトリック教会、イスラム教という新興宗教のパワーを借りつつ、それぞれの世界に進もうと、新しい歩みを始めようとした時代=古代末期があった。

古代末期が筆者にとって魅力的に写るのは、衰亡、崩壊のデカダンスよりも、伝統と新勢力が融合し、新世界が生まれようとしているパワーを感じるからだ。

2011年4月7日木曜日

本行寺境内

@Nishi-nippori

2011年4月6日水曜日

本行寺(月見寺)のしだれ桜







JR日暮里駅西口から徒歩1分、本行寺(月見寺)のしだれ桜はみごとである。境内が狭いのが難点だが、迫力満点。

■谷中霊園
@Yanaka

■全生庵

@Yanaka

■本行寺

@Nishi-nippori

2011年3月20日日曜日

くたばれ“東京ドーム”

『フィールド・オブ・ドリームス』(Field of Dreams)という映画(1989年公開、アメリカ)がある。この映画の粗筋は省略するが、アメリカに生まれ、アメリカ人によって育まれた野球(ベースボール)というスポーツの原点が描かれているように記憶する。と同時に、この映画のタイトルは、ベースボールを「野球」と訳した日本の先人の言語感覚の鋭さ、知性をも改めて知らせてくれる。野球がFieldで行われるスポーツであることを疑うことができない。野球文化というものを考えるとき、それがFieldで行われている事実は、極めて重要な要素の1つだろう。

私たちは、Field=野原から、何をイメージするのだろうか。緑の芝生それとも黄色い枯草、突き抜けるような青い空それとも重苦しい曇天、さわやかな春の風それとも乾いた突風、土の香りそれとも花の香り、この映画の舞台でもある“とうもろこし畑”それとも未開墾の荒地・・・

いうまでもなく、野原はときどきの自然を写すステージだ。野原を生活の初舞台にした開拓者アメリカ人が、そこで、球を棒切れで打ち、走り、捕るという競技に及んだ。それが野球であり、Field of Dreamsなのだ。

さて、このたびの大震災である。被災地はもちろん、被害が及ばなかった地域でさえ、日本人一人ひとりが、復興に向けてあらゆる不自由を厭わない覚悟にある。たとえば、大都会・首都東京においても、みな節電に協力をし、無駄な電気の使用を控えている。そんななか、日本プロ野球のセントラルリーグが、過日、ナイター試合を強行すると発表した。セントラルリーグは、電力の充分な供給の再開の時期がいつになるか、わかっていたのだろうか。

この蛮行、愚行を機に、日本野球の球場について再考してもよい。日本では東京ドームの建設を皮切りに、札幌、名古屋、大阪、福岡にドーム球場が建設されていて、読売、日ハム、中日、オリックス、ソフトバンクがホームグラウンドとして使用している。ドーム球場の利点は概ね、経済面だ。天候による試合中止がめったにないから、ロスが少ない。経済合理性の追求だ。

だが、スポーツというのは経済合理性にとらわれるものではない。合理性の縛りから逃れ、自由に発想し行動し、非合理的に肉体を鍛錬するところから発するエンターテインメントではないのか。野球選手は、練習では投手ならば一日に200球超を投じ、打者なら千回超の素振りをするのが当たり前だという。選手たちのこの練習ぶりは、経済合理性からでは説明がつかない。

筆者は常々、日本のプロ野球がドーム球場にて行われていることを苦々しく思っていた。読売の東京ドームの試合では、凡打がホームランになるケースが多く、「ドームラン」と揶揄されている。東京ドームの上空は、白地の布のようなもので覆われ空は見えない。風は吹かず、ドーム内の気圧の流れが、高く上がった打球を外野フェンス側へと追いやるため、凡打が「ドームラン」になる。ドームの「Field」は硬いコンクリートでつくられていて、その表面には「人工芝」と呼ばれる緑色の人工繊維物が敷かれている。そこには、野や土の匂いはなく、もちろん生物は存在しない。いうまでもなく、ドーム球場は、環境保全の観点からも好ましくない。そこで行われる夜間試合は照明、冷暖房調整等に大量の電力を使用する。節電、計画停電が実施されている東日本、首都・東京で夜間試合が開催されることはあってはならない、と考えるのが常識というものだ。

そんななか、セントラルリーグは、①当初の開幕(3月25日)から1カード(4日間)遅らせて、3月29日開幕とする。②4月3日までの18試合中、節電地域内で開催されるナイター6試合については、すべてデーゲームで開催する。③5日からは節電地域内で行われるナイターを「減灯ナイター」として、大規模停電対策を講じて開催する。④節電対策の一環として、今季公式戦全試合について延長戦を行わず、9回で打ち切りとする。⑤消費電力が増える夏場の試合については、可能な限りデーゲームへの変更を検討する――ことなどを改めて決定した。

これらの変更事項をみると、プロ野球がドームではなく、自然=Fieldにて行われていれば、ほぼ実施できるものばかりのように思える。これを機に、以降、ドーム球場を建設しないこと、しかるべき機会にドーム球場を撤去し、Field(屋根なし・天然芝)の球場にリニューアルする――ことに着手してほしい。

さわやかな春の風に吹かれながら、あるいは、暑さの中、ビールを飲みながら、野球を見る楽しさをふたたび味わわせてほしい。だからいま、“くたばれ、東京ドーム”と叫びたい。

2011年3月19日土曜日

稲佐の浜



出雲大社(仮殿)

旧暦10月10日、出雲の稲佐の浜では、年に一度、八百万の神々を迎える神事の日。出雲大社の神職が、浜辺で、かがり火を前に祝詞を読みあげる。氏子ら数千人が神籬(ひもろぎ)と呼ばれる台座に神々がのりうつるのを息をひそめて見守る。神職が神籬(ひもろぎ)を白い布で覆いながら朗々と警蹕(けいひつ)と呼ばれる声を発し、出雲神社へ神々を導く。

出雲にとどまらず、日本人の信仰では神は海からやってくる。沖縄では、海の彼方に「二ライカナイ」等と呼ばれる常世の世界があるものと信じられていて、神はそこから年に一度、われわれの住むムラを訪れる。神は豊穣と幸を携え、ムラにやってくる。われわれ日本人は海の彼方からやってきた神を丁重に迎えるため、神事を執り行う。

海は、沖縄の始祖伝説においては、始原の舞台だ。神代、大洪水がありすべてが破壊されたのだが、一組の男女が生き残った。一組の男女とは兄(エケリ)と妹(オナリ)の兄妹だった。この兄妹の子孫こそが、われわれ日本人なのだという。島嶼地域の沖縄における大洪水は、もしかしたら、津波であったかもしれない。

日本人にとって海は切っても切れない生活の場だ。海は豊穣をもたらす一方、大きな災いをもたらすこともある。このたびの地震と大津波は、後者の恐ろしさを日本人に改めて知らしめたのだが、そのことを知るための犠牲はあまりにも大きすぎた。

凶暴な牙をむいた自然界の試練を受けたわれわれ日本人が、新たな伝説を紡ぐことができるのか――いや、われわれ日本人は団結して、日本人の再生と復活の物語を、なんとしても、紡がなければならない。

2011年3月18日金曜日

鎮魂

@Inasa-no-hama, Izumo

このたびの大震災と津波により被害にあわれた皆々様に対し、心よりお見舞い申し上げます。

その被害の想像を絶する甚大さが日を追って、報道により、明らかになっております。加えて、原子力発電所の事故が私たちの不安を煽ります。

そんななか、松江、出雲におりました。なにもできない状況ではありましたが、出雲大社ほか各所の神社にて、哀悼と鎮魂の祈りを捧げてまいりました。

2011年3月12日土曜日

地震

2011年3月11日金曜日午後2時40分すぎ、東京・下町●●区の自宅にあった私は、突然の激しい揺れのさなか、なすすべのない自分に愕然とした。己の無力・非力をいやというほど自覚した。転倒しないようにテーブルにつかまり、割れ物が落ちないように気づかいながら、うろたえていた。いままでの揺れとは違うぞ。このまま揺れ続けていたら、あるいは、揺れが激しくなれば、家屋は倒壊し、私は死ぬのだと。

昨日の地震体験は、私の価値観・人生観を変えた。

激震がおさまった後、TVニュースが被害の大きかった東北地方の映像を流し続けた。私は被害の中心にではなく、たまたま、その外縁部に住んでいたのにすぎない――なんとも不思議な虚脱感が私を襲っていた。何百キロかの、新幹線で2時間ほどの差異・・・

昨晩、私は一睡もできなかった。ベッドのマットレスの反動が、余震のように感じられた。心的外傷後ストレス障害(PTSD/Posttraumatic stress disorder)になったかのようだ。

余震に怯えながらも、東京は急速に日常を回復していった。その一方、被災地にあっては、多くの人命・家屋・財産が失われていた。刻々と詳細化する報道が、そのことを確実に告げていた。

被災した者と安堵する者の差異は、いったい、なにを根拠としたものなのか――その差異、その立場の違いについて、だれがどう説明できるのか。

2011年3月9日水曜日

ブラウン系

@Yanaka

2011年3月7日月曜日

寺に御幣




各所に御幣を張り巡らしている寺は珍しい。神仏の習合なのだろうか。
@Yanaka

2011年3月6日日曜日

都市の中の植物の力と造形

@Yanaka

@Nezu

2011年3月4日金曜日

大学当局、新聞・テレビは情報弱者

○狂気の報道

予備校生が大学入学試験をネットに投稿したとして、偽計業務妨害の疑いで逮捕された。被害届を警察に提出したのは当事者である大学当局、そして、新聞・テレビが大騒ぎをして、未成年者である予備校生の個人情報等が不当に流出している。この事件に係るマスコミ(新聞・テレビ等)の報道は常軌を逸している。まさに、狂気である。

いうまでもなく、入試カンニングは不正行為であり、許されざる行為である。不正を犯した者には、それなりの処分がくだされて当然であり、試験会場からの退場、不合格等の処分を受けることに議論の余地はない。

○大学当局の試験監督体制に問題

試験問題の投稿の過程は明らかではないものの、予備校生単独の試験中の仕業であれば、事件化の責任は、大学当局の試験監督の不備にある。国家試験、公的資格試験に関わったことのある者ならばわかるように、それなりの試験実施機関は、試験を実施するにあたり、試験実施規程、試験実施マニュアル等を作成し、そのとおり実施しなければならない義務を課せられている場合が多い。

不正に関する事項は規程に、そして、不正行為を発見した場合に試験監督者がとるべき措置や不正者の取り扱い等はマニュアルに規定される場合が一般的である。今回の場合、もし予備校生が試験中に単独で携帯電話を使用して試験問題を投稿しようとした行為が現行犯で発見されたならば、当該不正者に対する処罰は、試験実施マニュアルに定めた措置にとどめられたと思われる。その場合の措置は、概ね、一回目は注意、二回目以降は退場、試験解答用紙の回収程度でとどまったであろう。

今回の場合、大学当局が受験者の不正行為を発見できなかった責任が最も大きい。換言すれば、大学当局の試験監督の状態にミスがあったと。大教室、小教室を問わず、試験監督員が適正数配置されていれば、受験者が試験会場において、携帯電話を操作して試験問題をネットに投稿するような作業は不可能である。今回、それができたというのであれば、大学当局が配置した試験監督員がその職務を全うしなかった可能性のほうが高いのであって、大学当局は、まず、その怠慢と無責任さを自己批判すべきではないか。

○大学当局は試験実施規程等を公開せよ

前出のとおり、試験に係る不正者については、試験実施規程及び同マニュアル等に定められていることが一般的である。今回、不正があったとされる大学の試験に係る規程、マニュアルに、不正者を刑事告発し逮捕に至らしめるような規定があったのかどうかを、筆者は大学当局に問いたい。

大学当局は、試験制度を揺るがすような事件だと主張しているようだが、それほどの制度ならば、試験実施機関である当局自らが不正を防止すべき管理体制を構築し、それを確実に実践する責任がある。大学当局は自らの業務の適正な遂行を怠りながら、試験問題がネット掲示板に投稿されたことに慌てふためき、狼狽し、試験問題投稿者の特定のため、自ら作成した規程を放棄し、被害届を提出した疑いが濃い。大学当局は自らが作成した試験実施規程を逸脱し、それを放棄した疑いが濃い。大学当局は、試験実施規程等をまず、一般に公開せよ。それと同時に、当該受験者の試験教室を監督した責任者を明らかにし、当日の状況を一般に説明させるべきである。

○大学当局は情報弱者

大学当局が狼狽し、偽計業務妨害として事件化した背景には、大学当局側がネット投稿に驚いたからだろう。大学当局関係者は「最高学府」にありながら、ネット世界に恐れしか覚えない情報弱者(information shortfall)であることを自ら暴露したのではないか。大学側は大学試験事務等の情報化(IT化)に遅れ、十年一日の昔ながらの試験事務を行っていたのではないのか。大学側が行っている試験事務こそが、情報格差(digital divide)にあったのではないのか。

○狂気報道する新聞・テレビも情報弱者

この事件を狂気のごとく報道した新聞・テレビも大学当局と同じ状況にある。「ネット」という、いまや日常化した媒体を恐れ、それを常人が扱いかねる「闇」と規定し、おどろおどろしいものであるかのように報道する。かれらの報道姿勢こそ、かれらもまた、大学当局と同じ、情報弱者であることを自己暴露しているのではないか。新聞・テレビが「ネット」を恐れ、それを特殊化する背景には、デジタルデバイドにある多くの読者・視聴者が存在しているから、ともいえるかもしれない。

カンニングがばれたら、試験会場からつまみだされる――それで十分ではないか。

2011年3月2日水曜日

体中が痛い

体調が戻ってきたところで、昨日、筋トレを再開した。

インストラクターN氏のアドバイズに従い、火曜日のメニューである、腕(三頭筋、二頭筋)、脚を行った。

いずれも、思うようにいかなかった。

そして、今朝、腕も脚も筋肉痛で辛い。

2011年2月27日日曜日

葵の門

●徳川慶喜の墓を示す道標

@Yanaka

●愛嬌のある顔

@Kaneiji

ニーケーゴーヨンマル









JR秋葉原駅~御徒町駅の間の高架下が、「2k540 AKI-OKA ARTISAN(ニーケーゴーヨンマル・アキオカ・アルチザン)」という商業施設として再開発された。

おしゃれなアクセサリー店(てづくり)が多い。

気の利いたプレゼントを探すにはいいかもしれない。

2011年2月26日土曜日

検査結果に異常なし

午前中、病院で先回やらなかった検査を受けたところ、やや●●傾向にあるものの、特段異常は発見されなかった。

別室で先回の検査結果の説明を受けたが、数値は昨年のものより、改善された事項すらあった。

すなわち「概ね異常なし」である。

これで一安心。

2011年2月25日金曜日

大観音(光源寺)にて梅を見る

 


@Mukogaoka

梅満開

近くの小石川植物園にて梅を見る。
隣接した展示室は暗くて、いつも人がいない。









2011年2月24日木曜日

旅の写真集~沖縄

沖縄の写真、アップしました。