2011年10月31日月曜日

「プロ野球志望届」を出しながら交渉拒否は法令違反

コンプライアンスは通常、「法令違反」と訳されるが、法律違反でなければコンプライアンス違反に係らないかと言えば、そうではない。このことについては、直前の当コラムに書いた。コンプライアンスとは、法令はもちろんのこと、諸規定(倫理規定を含む)、共同体の約束事、マナー等を遵守することだ。ドラフト会議とは、プロ野球界とプロ野球を志す学生アマチュア選手との間に構築された約束事だ。同制度は契約金の高騰を防止すること、特定球団に戦力が偏らないこと等を目的としたもので、きわめて合理的だ。

◎ドラフト制度の必要性

プロ野球は日本人に最も愛されている娯楽の1つであり、社会の関心も高い。地域にプロ野球球団をもつことは地域の人の夢の1つであり、実現すれば、その地域の活性化につながる。それは経済効果にとどまらない。だから、筆者はできるだけ多くのプロ野球球団が日本に存在すべきだと思っている。日本の人口1億2千万人超に比して現在の12という球団数は少なすぎる。

いま衰退期にあるという日本のプロ野球だが、衰退から飛躍へとベクトルを変換するためには、少なくとも、現状の12球団から8球団ほど増設し20球団体制で臨むべきだと思っている。地域でいえば、東北、北関東、甲信越、東海、中国・四国、沖縄等にプロ球団があっていい。

球団を増設するためには、初期投資、運営経費等を抑制した合理的球団経営が求められる。そのような観点に立つ時、ドラフト制度は新人契約金の高騰を防止する面で、必要不可欠な制度として機能する。さらに、各球団の戦力均等化が担保され、リーグ戦の白熱化がプロ野球ファンの拡大に直結する効果も期待できる。

◎「巨人」の復活は日本のプロ野球の「死」

そう考えないプロ野球経営者もいる。彼らは、かつての日本のプロ野球、すなわち、「巨人軍」人気に全面的に依拠し、日本中の野球ファン=巨人ファンであったことを理想とする者たちだ。彼らは、“巨人軍は永遠に不滅です”と信じている。

スポーツマスコミ経営者も同様だ。彼らの発行するスポーツ新聞が全国的規模で売上を伸ばすためには、全国の野球ファンが巨人ファンであることほど好都合なことはない。北は北海道から南は沖縄まで、巨人ブランドが浸透していれば、これほどシンプルなマーケティングはない。巨人が勝てば、全国規模で新聞部数が増大する。新聞に限らない。テレビ局、雑誌社も同様だ。

しかし、野球に限らず、スポーツの魅力は内容だ。戦力、情報、人気が一極集中したままであれば、そのようなコンテンツは腐敗する。同じ球団が9年連続して日本一であり続ければ、勝負とは呼べない。実際、近年のプロ野球界の推移を振り返ると、その人気が、他のスポーツに奪われていく過程そのものだった。プロ野球人気を侵食したスポーツは、どれも力の拮抗した者たちが真剣に競う内容をもったものだった。たとえば、米国のMLB(大リーグ野球)、世界のサッカー、米国のNBA(バスケットボール)、フィギアスケート、陸上競技、格闘技・・・それらの台頭と進出によって、日本プロ野球は人気に陰りをみせた。とりわけ、1995年、日本のプロ野球選手・野茂英雄がMLBで活躍したことがその契機となったと言って過言でない。野茂がドジャースの投手として、MLBで活躍をはじめ、MLBのライブ映像が日本に届けられるようになってきてからというもの、日本のプロ野球の貧困さに日本の野球ファンが気づき始めた。加えて、2002年日韓W杯が開催され、日本のスポーツファンがサッカーの魅力に覚醒して以来、日本プロ野球、とりわけ、“巨人一極集中”は一気に衰退へと向かっていった。

◎それでも野球は日本で一番の人気スポーツ

もちろん、それでも、日本のスポーツ界におけるプロ野球の地位は依然トップであり、スポーツ界の王者であることに変わりない。だから、人々はドラフト会議の結果にこうまで注目する。一人の新人選手の入団交渉権の行方について、世間が騒然とするようなスポーツはほかにない。

であるからこそ、日本の野球人には、コンプライアンスが求められる。前出のとおり、ドラフトは法的規制ではないが、野球界おける新人契約に係る倫理規定と言える。法外な契約金で新人を金満球団が独占できないよう、学生野球界とプロ野球界が倫理的に取り決めた規制とも換言できる。

学生野球選手は、プロ野球入りを希望する者すべてがその旨を学生野球連盟に申請する(「プロ野球志望届」)。学生野球連盟は申請を受け付け、それを公示し、プロ野球球団は順番にその中の意中の選手に対して(交渉権)を指名する。指名が重複すれば抽選だ。これほどシンプルで公正な制度がほかにあろうか。しかも、選手は指名を拒否することができる。その場合は、どことも交渉しないことを意味するので、プロ野球球団に入ることはなくなる。先に出した「プロ野球志望届」に拘束されない。このことについては後ほど、触れる。

このたび、学生野球界の逸材・菅野投手に対して、1位指名をしたのが日本ハムと読売。抽選の結果、日ハムが交渉権を獲得した。何の不思議もない。ドラフト制度のあたりまえの進捗だ。ところが、菅野の伯父にあたる者がたまたま読売の監督だったことから、菅野が読売に単独指名されることが自然であるかのような空気づくりが、事前にスポーツマスコミの間で醸成されていた。伯父のいる球団に甥が入団するのが「当たり前」であるかのように。

◎ドラフト破りに介在する学生野球部のボス

筆者は直前の当コラムにおいて、甥が、たまたま伯父が監督を務める球団に入団することのほうが不自然であることを書いた。よって、そのことについては繰り返さない。ただ繰り返しておきたいのは、菅野を無抽選で単独指名したい球団があり、菅野を特定球団に入団させたい大学野球部があることだ。大学野球部(体育会)においては、暴力体質とともに、その悪しき伝統となっているのがコネ・学閥だ。先輩・後輩の関係による利権確保だ。学閥は就職、転職等の決定に重要な要素となっていることも少なくない。さらにそのことが深化して、利権につながる。このたびのドラフト会議においては、東海大学野球部が指名球団である日ハムと指名された菅野の間に介在し、野球界、すなわち、プロ~アマ(学生野球)が共同して構築したドラフト制度の円滑な推進を阻害しようとしているようにみえる。

ドラフト会議は、プロ球団と学生アマ選手の交渉について、公正さと経済合理性を担保するための制度だ。それは法外な裏金等の授受を排除するためのルールでもある。だから、選手と球団との間に不健全な第三者の介在も自動的に排除される。

ドラフト制度がなく、学生選手とプロ球団が直接入団交渉をすることになれば、一個人(学生選手)が複数の大企業組織(プロ野球球団)とあい渉らなければならなくなる。学生選手側が代理人として弁護士を立てることもできる。また、所属する野球部の監督等が代理人として登場することもできる。もし、後者のようなケースが頻発すれば、そこに裏金のような不透明な金銭のやり取りが発生する可能性を排除できない。ドラフト制度という合理的仕組み(=規制)は、入団交渉における不透明性を自動的に排除できる。

野球人(プロ球団、学生選手、学生球団=学生・社会人野球部等)すべてが、ドラフト制度を遵守することが、野球界のコンプライアンスの確立につながる。また、スポーツマスコミは、野球人のうちのどこかの部分がドラフト無視の行動を示した場合、あるいは、抜け道をさがすような行動を見せた場合、違反者に対し、批判を加えなければいけない。少なくとも、スポーツマスコミはドラフト当事者に対し、中立であらねばならない。

◎「プロ野球志望届」を無視する学生選手こそ「法令違反者」

菅野が今後進むべき道(選択肢)は1つしかない。ドラフト会議で指名権を得た日ハム球団と交渉し、妥当な条件であるならば、プロ野球(日ハム入団)に進むことだ。海外プロ野球、国内社会人球団等への入団もないことはないだろうが、菅野は学生野球連盟に対して、「プロ野球志望届」を提出している。であるから、志望届をホゴにするような選択は不正にほかならない。学生選手が堂々と、プロ・学生球界共同で構築した制度を無視するというのはいかがなものか。「プロ野球志望届」というのは、それほどまでに軽い提出書類なのか。「プロ野球志望届」を提出していながら、ドラフト終了後、プロ球団と交渉しない場合、法令違反にならないのか。

日本プロ野球機構はこれまで、「プロ野球志望届」を提出しながら、ドラフト会議終了後にプロ野球に入団しなかった学生選手に抗議していない。プロ側は、「志望届」をホゴにした学生選手をとがめるようなことはなかった。また、日本のマスメディアもその件を追及していない。「法令違反者」を批判しない日本のマスメディアとは一体全体、どのような価値観・倫理観をもっているのか。一人の政治家の事務的ミスを「法令違反」にでっちあげ、検察審議会までつかって起訴に追い込んだ日本のマスメディアが、「プロ志望届」を無視する学生選手に寛容な理由が知りたい。