2010年、南アフリカで開催されたワールドカップは、その変容を明確に世界中の人々に示した大会だった。今日、大会参加国民の関心のあり方及び国家の思惑に規定され、代表サッカーは、その戦略・戦術を転換せざるを得なくなった。代表チームは“なによりも負けないサッカー”をすることが重要となった。
経済のグローバル化の進行と、その裏腹に惹起する世界金融危機が断続的に人々の暮らしを襲っている。そうした状況下、国別に戦われるワールドカップは、国民国家の擬似的復権を表象しているかのようだ。ワールドカップとは、失われた国家と国民の一体感を再び獲得する、疑似イベントとなったようだ。
(1)国家的プロジェクトとしての代表チームづくり
ワールドカップを巡って、世界のサッカー界は、2つの異なる立場を明らかにした。1つは、ワールドカップを国家的プロジェクトとしてとらえるものであり、一方は、旧来どおり、スターの寄せ集めチームとして大会に臨む立場だ。前者は、ワールドカップでの好成績がサッカー協会の利益のみならず、国家・国民・政府の利益に通じることを理解している。たとえば、南ア大会途中に崩壊したフランスチームの代表監督は、フランス大統領に、直接、電話で代表チームの混乱状況を説明しなければならなかった。また、今大会中、ドイツの首相、オランダ王室、アメリカの元大統領等の要人が、スタジアムに散見された。国家とワールドカップが一体であることは、このようなことから説明できる。
(2)代表強化を為し得ない国家事情
ワールドカップにおける代表チームの成功は、その国家の成功に通じている――サッカーは政治(統治)の一手段になった。もちろん、そのようなレベルに至らない国家もある。アフリカ勢がその代表的存在だ。とりわけ、ブラックアフリカ諸国は、国内リーグの基盤が脆弱であり、かつ、ナショナルチームづくりに必要なノウハウ、資金、システムが整備されていない。国民が自国代表チームのワールドカップにおける活躍を望みながら、国家がそれを支援するパワーを持っていない。
先進国の中で、国家と代表が一体化しえない事例として、英国の事情を挙げておく。英国は、イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドと、代表権が分散している。イングランドは英国の代表ではない。イングランドの成功を望むのは、英国民の一部にすぎない。
もちろん、イングランドのプレミアは、英国内の他のリーグを、その規模、選手層、チームの実力において、大きく上回っている。中村俊輔がプレーしたスコットランドリーグの実力は、イングランドのプレミアリーグと比較すれば、はるかに下のレベルにある。
イングランドのプレミアが英国最強リーグであり、イングランド代表は英国内の他の代表の実力を大きく上回っている。だが、過去のワールドカップにおいて、イングランドが優勝したのは1966年のイングランド開催のみであることに注目していい。イングランド代表はローカル代表であり、国家を背負っていない、というよりも、国家を背負いきれない国情にある。
(3)代表チームを支援するのは民力
ここでいう国家とは、政府という意味ではない。行政を含めた経済力、生活レベル、情報整備網、地域の統合の具合、スポーツ文化等を総合したもの――民力をいう。であるから、ここでいう国家的プロジェクトとは、かつての社会主義国家群が行ったステートアマチュアとは異なる。代表選手を育成するのは私的所有のクラブであり、それを束ねるのは民間のサッカー協会であり、資金は企業が提供するスポンサー契約が土台となる。加えて、代表チームに対して国民的支援を募り、かつ、それを増幅するのは国家のプロパガンダによるものではなく、民間のスポーツ情報産業(メディア)が担う。アフリカ勢は、以上の要素のいずれもが自国内に構築できていない。
(4)ワールドカップの転換点――21世紀最初の日韓大会がもたらしたもの
サッカーが国家的プロジェクトへと成長したのはいつごろなのか。筆者の直感ではかなり最近のことで、21世紀から(2002年の日韓大会)だと思う。20世紀最後の1998年フランス大会では、フランスが優勝しながら、同国内の右派が移民を主体とした自国ナショナルチームに不当な批判を加えた。このことは、ワールドカップの(フランス)代表チームは、国民(国家)から、完全な負託を得ていないことを象徴する。20世紀末、ワールドカップは、サッカーの国際大会の域を脱していなかった。
21世紀最初の日韓大会のいくつかの成功のうち、特筆すべきは、日韓両国民の親和性の獲得だろう。日韓大会以降、両国の文化レベルの交流が急激に進み、両国民の間のわだかまりは緩和された。日韓の相互理解は、ワールドカップ日韓大会の媒介なくしてはあり得なかった。
(5)ナチズムの呪縛からの解放――ドイツ大会
続く2006年ドイツ大会は、東西ドイツの統合をいっそう進めた。74年の西ドイツ大会は東西の融合の阻害要因ではなかったが、ドイツ統合の契機とはならなかった。
こんなエピソードがある。南アフリカ大会開催直前、TVのワールドカップ特集番組に出演したドイツ人女性は、次のような意味の発言をした。「(ワールドカップのすばらしさはいろいろあるけれど、)ドイツ大会の成功により、わたしたちドイツ国民が旗を振って集まっても、ヨーロッパの人から不審な目でみられなくなったのよね」。日本語堪能なドイツ人女性のこのコメントに、筆者は、目から鱗が落ちる思いがした。
アジアに住む人間には理解しにくいコメントだが、ヨーロッパ諸国におけるナチズムの記憶は、2006年(ワールドカップドイツ大会)をもって、ほぼ消滅したといっても過言でない。また、別言すれば、2006年、ヨーロッパの人々がナチズムの記憶を消し去ったというよりも、ドイツ人自身がナチスの呪縛から解放されたといったほうがいいのかもしれない。
そして南アフリカ大会である。この大会の政治的成功については、言うまでもない。第二次世界大戦以降、この国が行ってきた人種隔離政策に代表される同国に係るマイナスイメージは、本大会の成功をもって、ほぼ、表層的には国際的レベルで払拭された。ワールドカップの成功が、南アフリカに対して、国際舞台における一定の地位を約束したはずだ。
(6)政治的・国家的に勝利を求められる代表チーム
■スーパースター依存は失敗のもと
これほどまでのサクセスストーリーを提供するワールドカップ。代表チームには勝利が求められる。ワールドカップに出場する各国代表チームは、必勝という重荷を背負い、これまでの牧歌的戦術――顔見世興行――を変更せざるを得なくなった。必勝に向け、戦略・戦術の転換を強いられた。
必勝のための戦略転換とは、組織・規律・チームプレーの徹底だ。スーパースターに依存するだけの代表チームでは勝てなくなった。代表チーム=寄せ集め集団を、短期間に強いチーム(組織)として機能させるノウハウ(をもった指揮官)が、求められるようになった。40年以上も優勝から遠ざかっているイングランド(サッカー協会)が、カッペロというイタリア人に指揮を託した理由の1つもそこにある(結果は失敗に終わったが)。こうして、メッシ、カカ、C・ロナウドらの現代のスーパースターたちは、マラドーナ、クライフ、ベッケンバウアーといった、過去のワールドカップ英雄伝説の再現を為し得なかった。むしろ、スーパースター依存が勝負にはマイナスとなったのだ。
■スペイン方式――最強クラブ依存型の台頭
今回優勝したスペイン代表は、前出のイングランド代表と似たような環境におかれていた。スペインという国民国家がもちろん存在していて、マドリードを首都とする。しかし、マドリードに対して、バルセロナを首都とするカタルーニャ(という国家)があり、東部山岳地帯にはバスク(という国家内国家)がある。彼らはスペインからの独立をいまなお、強く望んでいる。そのため、これまで、スペインは優勝する実力がありながら、統一チームとしては脆弱だった。それを克服したのが南ア大会のスペイン代表チームだった。
スペインは、(カタルーニャという国内国家の首都に設立された)FCバルセロナという世界で最強の1つのクラブチームに所属する選手を中心にして、代表チームを組成した。オランダとの決勝戦に先発出場した選手のうち、FCバルセロナ以外の選手は、レアルマドリード所属のGKカシージャス、DFラモス、MFのXアロンソの3人と、ビジャレアル所属のDFカプデビラ、バレンシア所属のビリャの5人だった。
それ以外、DFピケ、DFプジョール、MFブスケッツ、MFペドロ、MFシャビ、MFイニエスタがバルセロナFC所属である。
スペイン代表の主力を構成するクラブは、FCバルセロナ(6名)、レアルマドリード(3名)、ビジャレアル・バレンシア(各1名)の4クラブで、FCバルセロナという単一クラブに完全に依存した代表チームであったことは容易に理解できる。
■イングランド方式の失敗――ドリームチームをつくったから勝てるとは限らない
その一方、相変わらずのビッグネームの集積がイングランドだった。ラウンド16でイングランドがドイツに負けた試合の先発メンバーをおさらいしておこう。GKジェームス(ポーツマス)、DFコール(チェルシー)、DFテリー(チェルシー)、DFアッブソン(ウエストハム)、DFジョンソン(リヴァプール)、MFジェラード(リヴァプール)、MFバリー(マンチェスターユナイテッド)、MFランパート(チェルシー)、MFミルナー(アストンビラ)、FWルーニー(マンチェスターユナイテッド)、デフォー(トッテナム)。イングランドも先発全員が自国リーグ(イングランドプレミア)で、他国リーグでプレーする代表選手はいない。しかし、クラブ別に見ると、チェルシー3人、リヴァプール2人、マンチェスターユナイテッド2人、ポーツマス・ウエストハム・マンチェスターシティー・アストンビラ・トッテナム各1人と、完全な分散化傾向を示している。
そればかりではない。イングランドプレミアが、そのローカル性ゆえ、無原則的コスモポリタン性へと進化し(国民国家の制約をうけにくいがゆえに)、同リーグの有力クラブでは、外国人選手ばかりが試合に出場するという、珍現象が生じている。欧州最強リーグの1つであるイングランドプレミアにイングランド人がいないというわけだ。それゆえ、イングランドは代表試合で勝てない、という指摘もある。
しかも、ヨーロッパの各国リーグ最終節は、概ね5月中旬(イングランドプレミアの場合、たとえば、チェルシーの最終節は5月10日、FAカップのチェルシーとポーツマスの対戦が5月15日)であった。ワールドカップ開催日(グループリーグ第1試合開催を起算日として)が6月10日だったから、準備期間は1ヶ月を切っている。イングランドの場合は、寄せ集めのチームにして、代表チームとしての準備期間は1月弱と短い。
そこで思いだされるのが、イングランド―日本の強化試合(5月30日/オーストリア、グラーツ)だ。筆者は、5月31日付の別コラムにおいて、「いまのイングランドなら韓国のほうが強い」を書いた。強化試合の結果は、日本代表のオウンゴールでイングランドが逆転勝ちしたが、イングランドの内容は悪かった。いまにして思えば、イングランドの調整はあのとき、筆者が受けた印象のとおり、けして万全ではなかったのだ。
ワールドカップ出場国には、スペイン方式とイングランド方式があり、両者の比較においては、イングランド方式ではワールドカップに勝てないことがわかってきた。といよりも、イングランドサッカー界は、グローバルスタンダードとかけ離れすぎている。
さりとて、スペイン方式とは、自国リーグが世界最高レベルの1つであるという条件により成り立つ。しかも、その中の最強クラブの1つFCバルセロナに依存したものだ。この方式はむしろ、例外だといえるかもしれない。
(7)ドイツはブラジルと互角の実力者
今回のワールドカップでは、優勝したスペインと並んで、オランダ、ドイツが優秀な成績をおさめた。この2国は、スペイン、イングランドの2方式とは異なる代表強化を行った。オランダの場合は、突出した攻撃陣のタレント(ロッベン、ファンペルシー、カイト、スナイデル等)を擁しており、しかも、戦術として、古典的分業制を貫き、それが結果として、好成績につながった。オランダには代表チームづくりのフォーミュラーがない、と確言できないものの、今大会の強さの継続性は乏しかろう。あれほどのタレントが代表チームに結集することは、そう何度もあることではない。オランダは、今世紀最大のチャンスを逃した。
ドイツは今大会、オランダより下位に甘んじたものの、ドイツこそが、ワールドカップ最強国の1つなのだ。第二次大戦後、ワールドカップは14回開催されたが、ドイツは、うち(西ドイツ時代を含めて)、優勝3回、準優勝4回、3位3回、4位1回という、驚異的成績をあげている。ベスト4をカウントすると、大会14回のうち11回だ。サッカー王国ブラジルは優勝5回、準優勝2回、3位1回、4位1回となり、ベスト4の合計は9回と、ドイツを下回る。ドイツは優勝回数でこそブラジルを下回るが、決勝進出回数で互角、ベスト4進出回数ならば、ドイツのほうがブラジルより2回多い。つまり、ワールドカップの主役はブラジルとドイツなのだ。日本がナショナルチームをつくるうえでの指針とすべきは、ドイツかブラジルかと問われれば、当然のことながら、ドイツだと回答すべきだ。ブラジルはなんといっても、天才の国なのだから、どこも真似できない。
(8)ドイツに肩を並べた日本型システム
今大会優勝国のスペインだが、日本は、スペイン方式を真似したくても真似できない。そのことは、既に見たとおり。Jリーグがスペインリーグと同じレベルに到達するには、まだまだかなりの時間を要する。今回準優勝のオランダもスペインとは違った意味において、日本から遠い。イングランドは環境が違いすぎる。国家組成の歴史的規定により、ワールドカップがナショナルプロジェクトになりにくい。
となると、ヨーロッパから1国を選べば、フォーミュラーとして学ぶべきはドイツということになる。もちろん、ドイツと日本とでは、身長・体重等の体格の面の差があり、戦術的共有はあり得ない。しかし、代表チームの組成技術という面においては、ドイツこそが日本の指針であり、しかも、今大会、日本がベスト16入りを果たせたということは、組織づくりという側面で、日本がドイツに近いレベルに到達したことを証明している。
世界、とりわけ欧州が日本のグループリーグ(E組)突破を驚きをもって迎えたのは、理由がある。日本という個の力量に乏しいチームが、日本を上回る戦力をもったカメルーン、デンマークに勝ったことに驚いたのだ。欧州各国は、100年以上の歴史をもつプロのサッカーリーグを有している。サッカーを見る目は肥えているはずなのだが、近年、欧州サッカーがビッグクラブ中心に回っているため、欧州のメディア及びサポーターがサッカーの本質を忘れかけてしまったようだ。リーグ戦が一流クラブのスター選手を中心に展開しているため、ワールドカップもそのように見てしまったのだ。そのため、サッカーが本来もっている、組織性、集団性、規律、統一された戦術眼の有無等に配慮しなくなったのだ。いや、クラブ戦では、厳しく組織性・集団性に目配りしながら、ワールドカップでは、その視点を曇らせた。
その間隙をついて、グループリーグを勝ち上がったのが、南米の中堅国(ウルグアイ、パラグアイ、チリ)であり、欧州の小国(スロベニア、スロバキア)であり、アジアの日韓であった。
(9)より強化されると予想される、世界各国の代表チームづくり
フランス、イタリアの敗退を含めて、世界各国は、ワールドカップへの取組み方について、根本的見直しを始めることだろう。リーグ戦を縮減してまでワールドカップを支援するかどうかまでは判然としないものの、ワールドカップへのマイナス要素を、いくらかでも排除しようと努めるだろう。その結果として、2014年には、日本が南アフリカで勝ち取った「ベスト16」に至るシナリオが時代遅れになる可能性も十二分にあり得る。日本が南アフリカの成功事例に固執する限り、4年後のブラジルでは、地獄に堕ちる。南アフリカの実績は、ブラジルにおける成功の条件の阻害物になるとも限らない。
日本がブラジルで成功するためには、もてる情報を駆使して、最高の指揮官を探すことだ。オシムを日本に連れてきたのは、日本のサッカー協会ではなく、ジェフユナイテッド千葉というクラブチームだった。2002年日韓大会終了後、日本サッカー協会幹部の頭の中には、オシムの「オ」の字もなかった。2002~2006年までのジーコ監督の時代は、「失われた4年」という表現こそが相応しい。2010年以後――ポスト岡田をだれにするか――代表監督次第で、2014年の結果が左右される。