2017年3月8日水曜日

森友学園=日本会議、教育勅語、儒教

森友学園事件について書いておこう。この件の詳細については、TVの情報番組等で報道されているので省略する。なかで注目すべきは、安部首相とその妻及び自民党政治家、行政(財務省、国交省、大阪府)が、事実上日本会議が運営しようとしている森友学園小学校設立のため、特別な便宜を図ったことだ。

森友学園=日本会議と安倍首相は深い関係

森友学園(日本会議)は、安倍首相を強く支持している。また、安倍及びその一派も日本会議のイデオロギーを支持している。日本会議は、戦前の日本を理想とする団体で、「保守主義者」「伝統主義者」と呼ばれるが、彼らの思想、理念等は支離滅裂である。『日本会議の研究』の著者・菅野完によれば、日本会議に確たる綱領・理念はなく、彼らが今日、日本の政治を左右するまでの地位を築いたパワーの源泉は、“なんとなく”反左翼という日本的草の根保守層から、過激な右翼ファシスト(天皇絶対主義者、旧日本帝国礼賛者、国粋主義者、差別主義者…)及び神道信仰者までを包含して束ねるだけの、運営力・事務力だとされる。

日本会議が教育理念とする『教育勅語』は古代中国の儒教が淵源

彼らの思想的支離滅裂さの好例を挙げておこう。日本会議は反中国を旨とし、中国の日本への影響を極力排除すべく、地道な運動を続けている。森友学園(日本会議)がすでに設立した幼稚園では、園児に『教育勅語』を暗唱させている。森友学園(日本会議)は『教育勅語』を礼賛し、日本人の教育の原点に据えたいと考えている。

そこで『教育勅語』の原文――

【教育に関する勅語】
朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁
之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽

ここに示されたのは、日本が古くから天皇の国として始まっていて、臣民(天皇の民)が、天皇がおさめる国家のためになにをなすべきか(理念)が明らかにされ、そのことを学ぶための教育理念と指針が明記されていると解釈できる。

Wikipediaによると、
教育勅語は、明治天皇が首相と文相に自ら与えた勅語であり、文中では「爾臣民」(なんじしんみん)、すなわち国民に語りかける形式をとる。

まず皇祖皇宗、つまり皇室の祖先が、日本の国家と日本国民の道徳を確立したと語り起こし、忠孝な民が団結してその道徳を実行してきたことが「国体の精華」であり、教育の起源なのであると規定する。続いて、父母への孝行や夫婦の調和、兄弟愛などの友愛、民衆への博愛、学問の大切さ、遵法精神、一朝事ある時には進んで国と天皇家を守るべきことなど、守るべき12の徳目(道徳)が列挙され、これを行うのが天皇の忠臣であり、国民の先祖の伝統であると述べる。これらの徳目を歴代天皇の遺した教えと位置づけ、国民とともに天皇自らこれを銘記して、ともに守りたいと誓って締めくくる。
それらの要約が、「12の徳目」と呼ばれるもの。
1.父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
2.兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
3.夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
4.朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
5.恭倹己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
6.博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
7.学ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
8.以テ智能ヲ啓発シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
9.徳器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
10.進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
11.常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)
12.一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)
姜尚中はあるTV番組の中で、“『教育勅語』とは古代中国の儒教をもとにして、維新政府がつくりあげたもの”だと指摘し、“日本会議が、彼らが大嫌いな中国の教え(儒教)をありがたがるとは、滑稽である”と一笑に付した。筆者も姜尚中に同意する。

日本会議が嫌悪する現代中国が儒教を国策に

それだけではない。日本会議が回帰したがっているのは戦前の日本。そのために彼らが改革したがっているのが日本の教育理念、すなわち教育基本法。そして教育基本法に代わる教育理念として、『教育勅語』の復活を意図している。

ところが、姜尚中が指摘した通り、その真髄は儒教であり、しかも日本会議が敵視する現代中国は、儒教をソフト・パワーの源泉として、外交政策、国内政策を推し進めているのである。なんと、日本会議と現代中国は、儒教を礼賛し政策として掲げる点で、奇妙な一致を見せる。

日米外交研究者の宮里政玄は、中国が行使したいソフト・パワーの理念は、日本会議が大好きな「教育勅語」の原型にある儒教だ、と次のように書いている。

中国のソフト・パワーは二つの特徴の組み合わせから説明できる(以下は、天児彗「中国の台頭と対外戦略」天児彗他編『膨張する中国の対外関係』勁草書房2010年に拠る)。
第一は構造としての円錐型、同心円型に広がる権威主義的階層型秩序である。その権威の階層性を創りだすものは「文化」(儒教思想)の体得の度合いである。(略)
第二の特徴は、秩序形成における非法制性と主体の重層性である。秩序形成に関する儒教の有名な言い回しとして「修身・斎家・治国・平天下」がある。そこには各人・家・国・世界とアクターを重層的にとらえ、法や制度の体系ではなく修養、教化による秩序形成がポイントになっている。(略)
・・・問題は、価値の基準を儒教的価値観においていること、しかもそれを基準に上下関係を重んじる権威主義的思考を強く残していることである。(『沖縄VS.安倍政権』P57~58)
現代中国が対外的に行使しようとする儒教に基づくソフト・パワーは、宮里によると、あまりうまくいっていないらしい。たとえば中国政府は、外国における孔子学院の設置(400カ所以上)や、孔子の生誕地である山東省曲阜を聖地エルサレムになぞらえ、孔子が生まれたという洞窟近くに総工費85億元という孔子にまつわるテーマパークを建設したりしているという。

森友学園(日本会議)の小学校も儒教(『教育勅語』)を理念としながら生徒が集まらず、中国もソフト・パワーの源泉を儒教に求めながら、うまくいっていない。儒教は現代においては人気がないようだ。

ところが報道よると、安倍夫妻を始めとする日本の「保守」政治家の多数が、日本会議が創設し運営する幼稚園を称賛していて、その根拠として、園児が『教育勅語』を暗唱している姿に感銘を受けたとコメントしている。安倍夫妻及び日本の「保守」政治家は、『教育勅語』のソースが中国の儒教にあることを知らないのだろうか。彼らは戦前の日本(明治維新後)の姿を「伝統」というが、それは、維新政府が捏造した儒教、国家神道、西欧の立憲君主制を合成した奇怪な「伝統」にすぎないことを・・・


安部夫人が、日本会議が開設しようとした小学校の名誉校長を引き受けたのは、安倍夫妻が日本会議と深い関係にあるからであって、たまたま名前を貸したものではない。日本会議のイデオロギーに共感したからであり、日本の「保守」政治家の多くは、日本会議の援助を受け、その見返りとして、彼らを国政に近づけつつ、世俗的便宜を図っている。

戦後日本の基礎をつくったのは戦前・戦中の教育を受けた世代

日本会議は、現代日本の「頽廃」が戦後憲法にあり、日教組を中心とした戦後教育(教育基本法)の悪い影響にあると考えている。もちろんこの認識は間違っていて、戦後高度成長期(1960年代初頭)以降の日本社会の指導層は当時40歳以上の世代、つまり戦前・戦中教育を受けた世代であった。戦後教育を受けた1945年以降生まれが日本社会の中核を担うようになったのは、彼らが40代に達した1985年以降からである。つまり、戦後日本社会の基礎をつくりあげ、今日のような状況をつくりあげたのは、戦前・戦中教育を受けた世代である。そればかりではない。戦後の日本社会が戦前・戦中のそれより悪くなったという根拠はどこにもない。

美しくない戦前・戦中の日本社会

明治維新から太平洋戦争敗戦までの戦前、戦中の日本社会においては、公安警察(特高)らの手により、共産主義者はもちろんのこと、社会主義者、自由主義者までが公職追放もしくは逮捕・拘束されるような世の中だった。教育の現場では前出のとおり『教育勅語』が暗唱させられ、思想・信条・信仰の自由が許されなかった。国民は国家が起こした無謀な戦争で死ぬことが強制される社会だった。

戦前・戦中は、排外主義、人種差別、強制労働、強制収容所、拷問が容認されるような社会であり、挙句が、日本人だけでも300万人以上が戦争の犠牲になり、国は焦土と化し、国民は飢餓に喘いだ。そのような日本社会のどこが「美しい」のであろう。

日本会議・現代中国が目指すのは「円錐型、同心円型に広がる権威主義的階層型秩序」

そのなかで『教育勅語』が果たした役割は、前出の宮里が引用した、「構造としての円錐型、同心円型に広がる権威主義的階層型秩序」をつくりあげることだった。そして、いま現代中国も、儒教を駆使して国内外に戦前・戦中日本と同型の、権威主義的階層秩序型社会を強制しようとしている。筆者は日本会議も嫌悪するし、現代中国も同じように嫌悪する。構造としての円錐型、同心円型に広がる権威主義的階層型秩序の社会を嫌悪する。それゆえに、日本会議を支持する、安部首相夫妻、「保守」政治家、及び行政機構(財務省、国土交通省、大阪府)を嫌悪する。

似非保守・日本会議とは一線を画す、真正の右翼・見沢知廉(1995-2005)は確か『天皇ごっこ』のなかだったと思うが、自身が北朝鮮を訪れた際、“日本が太平洋戦争に負けていなかったら、北朝鮮のような国になっていたいに違いない”というような意味のことを書いていたと思う。かの国も中国と同様、儒教の国である。