2010年6月20日日曜日

核心に迫れるか―相撲界野球賭博事件―

いまが正念場だ、角界の暗部を暴くことができるのかどうかの――

野球賭博事件問題の核心は、角界のだれとだれが野球賭博をやっているかではない。当該コラムで書いたように、今般、日本中の職場の多くにおいて、高校野球が賭博の対象になっていることは、珍しくない。そのことで、生活者が処罰されることはないし、問題となることはない。賭けマージャン、賭けゴルフ等々もしかりだ。

今回の角界の野球賭博事件で最も重要なことは、角界と反社会的勢力とのつながりの一点につきる。野球賭博に反社会的勢力がどのように関与しているのか、賭け金の流れ、賭けに負けた力士が、賭けの資金をどこに求めたか、また、胴元が反社会的勢力そのものなのか、角界関係者が胴元になっていたとしても、その背後に反社会的勢力の存在が認められるのかどうか――にある。

いまのところのマスコミ報道を見聞きする範囲では、その解明については不十分だ。現在の報道の状況としては、親方、力士、床山…のだれだれが野球賭博に関与していました、すいませんでした、で終わりそうな気配だ。角界の野球賭博事件は、それをやっていたことの罪を問うことで終わりそうな気配がする。

繰り返すが、事件発覚の状況は、朝青龍の暴行事件のときと似ている。朝青龍事件を報じたのは、新聞・TVといったマスコミではなく、某週刊誌だった。朝青龍暴行事件の現場は、六本木の某クラブで、その店は事件当時、麻薬取引関係者の出入りが頻繁にあったという噂が絶えなかった。事件当時といえば、芸能人の麻薬事件がしばしば報道されていたころだった。だからといって、朝青龍及び「被害者」が麻薬取引に関与していたというつもりはないが、本場所中のアスリート(=朝青龍)が顔を出すような場所でないことだけは確かではないか。

重要なのは、朝青龍事件も今回の野球賭博事件も、週刊誌が報じなければ、明るみに出なかった可能性が高いことだ。つまり、日本の(スポーツ)マスコミは、先の朝青龍暴行事件も、このたびの野球賭博の蔓延の事実も、知ってかしらずか、報じなかった。

筆者の推測では、相撲界と反社会的勢力は、巡業興行権を媒介として、戦後一貫してつながりがあった。また、その筋から角界関係者に対して、多額の交際費のような不適切なカネの流れがあった。力士・親方等は、その筋の関係者と親密な交際を行っていた。ところが、当局、(スポーツ)マスコミ並びに文科省(公益法人である相撲協会を所管する監督官庁)の3者は、そのことを見過ごしてきたばかりでなく、マスコミは相撲人気を煽り、当局・文科省は「国技」としてお墨付きを与えていた。その間、相撲界には「銃刀法違反」「八百長疑惑」「暴行事件」「麻薬事件」「朝青龍問題」などが起ったが、報道は一過性であり、文科省の指導も形式的であり、当局の捜査も生温かった。

「朝青龍事件」の場合、週刊誌報道がきっかけとなって、マスコミ報道が白熱する一方、朝青龍と「被害者」との間に示談が成立した。その結果、警察の捜査が朝青龍側に及ぶこともなく、朝青龍の突然の引退をもって、事件の真相はうやむやのまま、フェードアウトした。しかし、一部の専門メディアは、示談には反社会的勢力が関与したことを報じた。朝青龍事件の背後に反社会的勢力の存在がうかがえた。

今回も、同じ週刊誌の報道がきっかけとなって、賭博事件が明るみに出た。繰り返すが、大新聞は角界で野球賭博がほぼ恒常的に行われていたことを1行たりとも書いたことはないし、TVも1秒たりとも、流したことはない。(スポーツ)マスコミは相撲協会の広報宣伝の機能を果たし、公共放送は不祥事が多発する相撲のTV中継を休むことはなく続けていた。日本の公共放送は、視聴者から視聴料を取り続けながら、反社会的勢力と関係する団体が行う興行を中継し続けた。大企業は、その取組みに懸賞金を出し続けた。そればかりか、その「優勝者」を国をあげて顕彰した。

これまで角界で起きた事件に係る報道は、マスコミによって大量の「情報」が流れる一方、事件の真相・核心に迫るものはなく、むしろ、真相・核心を隠蔽する働きをしてきたように思える。麻薬事件の場合も、朝青龍暴行事件の場合も、背後に反社会的勢力の関与がうかがえたにも関わらず、報道がそこを突くことはなかった。今回の事件に先立って、「維持員席」のチケット販売をめぐって、相撲協会と反社会的勢力との深い結びつきが暗示されていたにもかかわらず、マスコミは角界の暗部を突くような報道をしなかった。逆に、(スポーツ)マスコミ、当局、文科省は、一貫して、相撲協会を守り続けてきた――なぜか